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1: 世界@名無史さん 2006/01/20(金) 18:12:05 0
初めて欧州人を震撼させたフン族を讃えよう。








169: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 13:53:02 0
フン族は何時滅んだの?

170: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 15:21:36 O
アッチラ死後、東ゴートは独立戦争を起こす
東ゴートのアマレル王家のヴァラミール、ティウディミール、ヴィディミールはゲピート族のアルダリックと同盟
かれら4人はアッチラ存命時代からフン・ゲルマン連合軍の実質的指揮官であったため、アッチラの子らを破るのは赤子の手を捻るより容易だった
455年長子エラック率いるフン族はネダオの戦いで東ゴート・ゲピート連合軍に大敗、エラック以下フン族3万人が戦死     
次子デンギジク、末子エルナックに率いられたフン族の残存勢力は執拗に東ゴートを攻めるが、その都度、敗北
エルナックは諦め、ドブルジャに定住
デンギジクは456、462年に東ゴートに攻撃をしかけるが、敗北
最後は469年ローマに攻撃をしかけるが、ゴート人将軍アナガスト、アスパルに敗北、斬首される
その後、フン族は黒海北岸へ撤収、クトリグール族、ウトリグール族に分化、ササン朝を攻撃
482年皇帝ゼノンの誘いでウトリグール族はブルガール族とともに東ゴートのテオドリック大王に攻撃をしかけるが、大敗
結局、クトリグール族、ウトリグール族とともにアヴァール族に吸収されたといいます

171: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 17:32:00 0
>>170
束ねる人物がいないと各部族で点でバラバラになったんだな。
良くありがちなことではあるが。

173: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 20:23:05 0
ゴート・ゲピードはアッティラの遺族達を滅ぼしたが、新手のアヴァールの攻撃は支えきれずに潰滅した。
アヴァールはかつてのアッティラの根拠地であったパンノニアを抑え、かなりの勢力を築き、東ローマ帝国などを脅かしている。

174: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 21:41:51 O
フン族に束ねる有能な人間が出なかったというより東ゴート側に有能な人間が出てきたというべきでしょう
最初の対フン族戦を除く他の戦いでは東ゴート側はヴァラミールひとりで他の兄弟の増援が来る前にフン族に勝利しています
一説によると東ゴート軍はフン族の戦術、つまりアウトレンジからの集中弓射を見切り、森へ誘い込み、遠距離弓射や投げ縄というフン族の得意戦法を無効として、ゴート軍得意の長剣で馬の腱を切り引きずり降ろし、白兵戦に持ち込み孅滅したといわれます

あとアヴァールが登場したときは既に東ゴート王国はビサンティンに滅ぼされています
またゲピートを滅ぼしたのはアヴァールの支援は若干受けたものの主力はランゴハルト族です

175: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 22:06:39 0
アヴァール、マジャールとパンノニアを制圧した騎馬民族はフン族の後裔を自称した。
アヴァールのタヤンハンはアッティラの帝国を再建しようと盛んに軍事行動を起こしたが
フランクに敗れアヴァール帝国は瓦解した。

177: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 02:02:19 0
フン族って東洋人的には蔑称ぽい響きと字が当てられるけど、西洋人的にはどうなんでしょ。

178: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 04:36:57 0
>>177
中国はあくまでも音には特に蔑称はない。あくまでも文字で差別を表していたと思った。
突厥は読み方はあくまでも(テュルク?)だったと思う。音に差別的漢字を当てはめると
いったやり方。Hunということばが悪い意味になったのは後の世のこと。あくまでも音
を表しているだけど思われる。

181: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 22:23:07 0
フン族は野蛮だというけど、ローマがカルタゴにした行為などは野蛮そのもの。
特別フン族が野蛮で凶暴だったわけではないだろう。見方を変えればアッチラなどは英雄と言える。
375px-Brogi,_Carlo_(1850-1925)


アッティラ
(Attila、406年? - 453年)は、フン族とその諸侯の王。現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げ、西方世界の「大王」を自称した。

ローマ帝政末期に広がっていたキリスト教の信者からは、「神の災い」や「神の鞭」と恐れられた。出自についてはフン族自体と同様、詳しくは分かっていないが、名前や風貌の伝承などからテュルク・モンゴル系民族に属すると思われる。

183: 世界@名無史さん 2006/06/11(日) 18:40:11 0
ハンガリーではアッティラは偉大な王として尊崇されている。

185: 世界@名無史さん 2006/06/12(月) 09:04:08 O
ハンガリーで偉大な王と讃えられているのはイシュトバーン聖王だと思ったが

190: 世界@名無史さん 2006/06/14(水) 20:21:56 0
フン族の将軍がフン族の略奪暴行に文句を言うローマ人に向かってお前達が散々やってきたことをお前達がされているだけの事だと突っぱねたとか。

192: 世界@名無史さん 2006/06/16(金) 21:12:14 0
そういやアッティラとレオ1世て会見の時、何話したんだろうね

450px-Leoattila-Raphael


レオ1世
(Papa Leo I、390年 - 461年11月10日)は、ローマ教皇(在位:440年9月29日 - 461年11月10日)。大教皇。カトリック教会、正教会、聖公会などで聖人。

このの頃のイタリアではフン族の首長・アッティラが侵攻してきていたが、レオ1世はアッティラと会見して平和的解決を図った。中世ハンガリーの年代記によると、教皇はアッティラへ、もしも平和裏にローマから去るならば、彼の後継者の一人が「聖なる王冠」を受け取るであろうと約束している。その結果、452年にアッティラはローマから撤退している(実際は、フン族の陣営に疫病と飢餓が発生していたと見られている)。


201: 世界@名無史さん 2006/06/22(木) 09:44:57 O
フン族ってほんとに匈奴?
中国にも匈奴残っていたのに
それにしてはフン族数多すぎないか
ローマの傭兵にもなっているグループもいるし

202: 世界@名無史さん 2006/06/22(木) 23:41:02 0
>>201
匈奴説は、所詮仮説の域を出ないんじゃないですか?

フン族の数は、推定で総人口20万、戦闘員5万(大雑把な数字です)
数百~数千単位で傭兵になるなら問題ないでしょ。
フン族といっても、フン族に併合・吸収された民族部族も含んでるだろうし。

203: 世界@名無史さん 2006/06/22(木) 23:48:28 0
そういや、ローマの名将アエティウスは、対ブルグント戦にはフン族傭兵を動員、対アッティラ戦にはゲルマン人を動員、
頭いいね、この人。

ちなみに、フン族傭兵は6世紀、ユスティニアヌス帝の軍隊にも登場するけど、最後に史料に出てくるのっていつなんだろ。

206: 世界@名無史さん 2006/06/24(土) 21:35:14 0
フン族は背が低くて、ズングリ体型で鼻が低いとローマ側の記録にあったような。
あんまり印欧語族系という感じではなさそうだが。
どうも東アジアに起源を持つ連中が中核なような感じだ。

217: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 10:12:02 0
あのモンゴル帝国も、後のオスマン帝国もできなかった西欧中枢への進出を為したわけですから、フン族は讃えられてしかるべきでしょう。
この事実は、世界史上の偉業だと思う。

218: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 13:13:47 0
マジャール人の軍隊は一度大西洋まで出ちゃったらしいけど

219: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 13:23:55 0
>>218
へえ、そうなんだ。いつごろ?
でもマジャール人ってアジアの遊牧民って感じではないよね?西欧を脅かしたというよりは自分もすっかり西欧人になってしまっているわけだし・・・。
フン族がアジアの遊牧民かどうかはさておき、インパクトからいえば、やっぱり凄いのかなと思う。

220: 世界@名無史さん 2006/07/21(金) 05:09:14 0
ある意味、フン族のインパクトは現在でも語り継がれているからな。

221: 世界@名無史さん 2006/07/21(金) 07:12:48 0
つうか今でこそゲルマン国家が栄えてるけど、当時は正しく地図にも載っていない辺境だったわけで・・
そんな収益も上がらない地域まで進出したからって「讃えられる」なんて大げさだよう。

222: 世界@名無史さん 2006/07/21(金) 10:05:06 0
>>221
そうか、たしかにそうとも言えるな。
いっそのこと教皇レオ1世の説得なんかに応じずに、アッチラがローマに進撃していたら、もっと劇的だったかもしれないな。

224: 世界@名無史さん 2006/07/21(金) 20:48:54 0
>>222
もっともフン族側も疫病が流行って進撃不可能だったと言われているけどね。

229: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 09:11:30 0
モンゴルは東欧に僅かな期間しか存在しなかったけど、フン族は370年の東ゴート族襲撃から453年のアッチラの死去まで実に83年猛威を振るっていた。
欧州でのフン族の印象は強烈なんだろうな。もっともその話しは本当かどうかは不明だが。

236: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 13:02:46 0
カタラウヌムでアッティラが敗れたというのはローマ側の誇大宣伝で、アエティウスは闇夜に隠れて逃げ出し、アッティラは取り逃がしたというのが実情らしい。
実際翌年アッティラは大規模な遠征軍を北イタリアに進軍させアエティウスにはそれを食いとめる力が無かった。


カタラウヌムの戦いは、ゲルマン民族の大移動の時代に、フン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。両軍合せ約5万名が参戦し、うち1万名が戦死するという大激戦となった。

451年、アッティラの率いるフン族はライン川を渡り、ガリアに侵攻し、オルレアンを包囲した。西ローマ帝国の将軍アエティウスはゲルマン諸族の軍と共にこれを討ちカタラウヌムの野(今の北フランス、シャロン=アン=シャンパーニュ付近)で決戦した。激戦の末、アッティラは大打撃を受けて本拠のハンガリー平原に退き、西欧はフン族の征服を免れることができたが、フン族の勢力は維持された。
ローマ軍側も追撃不可能なほどの被害を受けたことで、西ローマの勢力は弱まり、ガリアへのフランク族の侵入が始まることとなった。

この決戦は世界史上の東西両民族の大衝突の1つとしても名高い。


238: 世界@名無史さん 2006/09/05(火) 14:38:49 O
>>236の話は違うんじゃないか

まず戦場を見渡せる制高地を西ゴート王子トリスムント率いる西ゴート軍とフン族が争い、トリスムントはフン族を撃退し、制高地を制圧
それから両軍本隊同士が衝突し、フン族側の東ゴート軍が西ゴート軍を押し始め、西ゴート国王テオドリックが戦死
東ゴートのヴァラミールは西ゴート軍側面にフン族騎兵を投入
制高地にいたトリスムントはそれを見て、直ちに行動に移り、フン族騎兵の側面を攻撃撃破し戦果を拡大
アエティウスは戦いに消極的だった
アエティウスにとってフン族が西帝国に大々的に侵入されるのは困るが、フン族に完勝することにより西ゴートが強大化することも恐れていた
従って双方とも潰しあうのがアエティウスにとって一番の戦略だった
夜間に入りフン族軍は円形車陣の内側に篭り、そこから迫りくる西ゴート軍を狙撃せざるを得なくなり、アッチラも覚悟を決め、戦死した場合の火葬のための薪を積ませた
円形車陣の防御法はゴート軍のもので、これを破るには投石器やバリスタなど重投擲器が必要なため、再三再四トリスムントはアエティウスに支援を求めたが、逆に謀反されぬように帰国をさせ、アッチラを逃がし、彼は九死に一生を得た

239: 世界@名無史さん 2006/09/05(火) 17:56:08 0
アッティラが敗北して大打撃を受けたのなら翌年に北イタリアに侵攻してきただけの余力を残していた事実が矛盾する。
実際勝ったというアエティウスは侵攻してきたアッティラに抵抗らしい抵抗をしていない(するだけの力はもう無かったのかもしれない)
記録するのはローマ側だから戦勝は粉飾で実際のところは逃げたアエティウスを追って北イタリアに攻め込んできたと見る説もある。

240: 世界@名無史さん 2006/09/05(火) 19:28:40 O
ケルトもゲルマンもローマに敗れてもすぐに回復する
現にローマもカンナエやトイブルクやアドリアノープルで歴史的大敗してもすぐに再生した
確かに記録というものは現代に至っても著作した側に誇張があるのは確だが、それをもって著述の全ての内容が虚構と言うなら全ての歴史的文献全てが虚構であるということになる
フン族の実力を過大評価するのもどうかな
実際、アッチラ死後、すぐに独立したゲピードや東ゴートに対しフン族はまるっきり勝てなくなってしまった
それも燦々たる惨敗だ

241: 世界@名無史さん 2006/09/06(水) 19:21:43 0
ローマ側の記録ではアッティラはカタラウヌムで九死に一生を得るほどの惨憺たる敗北をしたと誇らしく記しているが、そんな大打撃が「すぐに」など回復できるわけが無く翌年に北イタリアへ侵攻するほどの力を回復できるわけが無い。
しかもアエティウスはやられ放題で食いとめる力はもう無かった。
例えカタラウヌムでローマが勝ったのが事実だとしても、深刻な打撃を受けていたのはローマ側であり、アッティラ側はそれほどの打撃は受けていなかった可能性が高い。

243: 世界@名無史さん 2006/09/07(木) 12:50:40 O
カタラウニアの戦いでフン族が大損害を受けたのは正しい
ローマの文献が・・・
というより誇張があるのはゴート人の歴史家ヨルダネスによるものだ
それは論外としてピティエ山の発掘で試掘段階で200体の遺骨が発掘された
しかもほとんどアジア系
またアッチラが自らの火葬を行う火刑場を予定していた地周囲には臨時に作られた土の防壁の跡が発見されている
フン族の推定戦死者は3万人といわれる
負傷者を含めればかなりの数である

244: 世界@名無史さん 2006/09/07(木) 13:00:40 O
イタリア侵入はアエティウスにとっては予想外だっただろう
アエティウスはアッチラがカタラウニアで助けてくれたことを恩義に感じているだろうと誤解していたためだ
侵入されてもあの一件で西ゴートの信頼を失っていたのはアエティウスには誤算だったろうが

247: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 13:00:11 0
遊牧民は有能な指導者がいるときはやたら強いけど、無能な指導者だとさっぱり。
フン族もこの法則に当てはまる。

250: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 19:52:41 O
戦場の近くシャロン付近の村々では現代でも蒙古斑のある赤ん坊が少なからず産まれるそうだ

251: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 20:00:51 0
>>250
本当ですか?マジなら凄いですね。
モンゴロイドと混血した時は男蒙×女欧と男欧×女蒙どちらの組み合わせが多かったのでしょうか?
シャロン付近ではフンが負けたから後者の組み合わせが多いのかな?

253: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 20:15:12 O
シャロン付近の赤ん坊の祖先はおそらくフン族が撤退するときに見捨てられた負傷者の生き残りや落伍者でないでしょうか

260: 世界@名無史さん 2006/09/09(土) 18:56:12 0
アッチラの墓が見つかれば大発見だよね?
ドナウ川の底?

261: 世界@名無史さん 2006/09/09(土) 22:47:57 O
ゴート人歴史家ヨルダネスによるとアッチラは土葬されたと述べていますね

アッチラの塚がつくられ
哀悼の詩歌が終ると酒宴が開かれ、埋葬式を行った
夜になり、遺体は天幕から塚に移し、金・銀・鉄の三重の棺に納め埋葬された
金・銀は東西両帝国の貢納金を受け取ったことを表し鉄は部族を征服したことを表した
宝石・財宝だけでなく、敵から捕獲した武器が副葬され王を埋葬した人々は全員殺され遺体の側に置かれた

と書かれているそうです

268: 世界@名無史さん 2006/09/15(金) 09:32:23 0
モンゴルの王侯の墓もどこにあるかわからないからな。
東アジアから移動してきたフン族の王も同じなのかな。

269: 世界@名無史さん 2006/09/15(金) 23:23:23 0
見つからないというよりタブーでしょ。
江上波夫がやろうとしたけど大バッシング受けて撤退したし。

271: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 19:49:38 0
アッチラの墓を見つけることに反対する人はあんまりいないと思う。

274: 世界@名無史さん 2006/09/26(火) 13:12:51 0
トルコ人やタタール人の間ではアッティラについて何か伝承のようなものは残っていたんでしょうか。
それとも西洋の書物が入ってくるまで忘れ去られていた?

275: 世界@名無史さん 2006/09/26(火) 13:41:02 0
現在のトルコ人やタタール人なんてフン族と全く関係ないだろ?
トルコ人がアナトリアに進出したのなんかセルジュークの頃だし、タタール人はモンゴル人とキプチュク人の混血かなんかだからやっぱフン族とは関係なし。
フン族が活躍したのは4・5世紀の話しだからな。伝承はやっぱハンガリーを中心として中欧だろうな。

276: 世界@名無史さん 2006/09/26(火) 13:50:02 0
トルコやテュルク系の民族の歴史では匈奴やフンは自民族の歴史として説いてるからヨーロッパや中国の史書は参考に有ったとしてもその前から既に自分達の伝承には有ったんじゃね
まぁ、アッティラもそうだけどあとはメテ(冒頓単于)をかなり英雄視してるっぽい

因みに
BUYUK HUN(大匈奴)
BATI HUN(西匈奴(日本や中国で言う北匈奴))
AVRUPA HUN(欧匈奴(いわゆるフン))
AK HUN(白匈奴(エフタル))
を4匈奴の偉大な歴史としてトルコでは教えている

例えば
ttp://millibayraq.blogspot.com/
とか

280: 世界@名無史さん 2006/09/29(金) 17:40:19 0
>>276
へえ、そうなんだ。
だとすると、匈奴=フンというのはあながち間違いとは言えないんだ。

283: 世界@名無史さん 2006/09/29(金) 21:43:56 0
>>280
匈奴=フンって言うのは今のところ正しいとも間違いとも完全に実証されてないので不明
トルコやテュルク系の人達の主張するその歴史観はあくまでも今議論されているそう言う部分から切り離して彼等の国々や民族ではそう言う風に教えてるんだなって割り切る方が良いかも
エフタルなんか今ではイラン系って言うのがかなり有力なんだけどトルコやテュルク系の国々や民族はこれも我がテュルクの民族の歴史と言う事にして古き偉大なHUN(匈奴)の系図として教えてるし

そう言えば結構前にディズニーの映画でムーランってのが有ってそのムーランが匈奴討伐に行くシーンだったかでトルコの人達が抗議したって言う話しが有って当時は匈奴の討伐に何でトルコが…?って不思議でならなかったがこうしてネットで見るようになってトルコやテュルク系の人達が匈奴やフンを自国の誇りとして大英雄視してるって分かってなるほどとは思った

286: 世界@名無史さん 2006/09/29(金) 23:35:39 0
>>283
なるほど。
分かり易い解説ですね。助かります。

287: 世界@名無史さん 2006/09/30(土) 13:34:14 0
>>286
因みにトンデモ掛かったごく一部のトルコの国粋的な学者なんかはスキタイが中央アジアに流れたサカ族や中国の古代の時代に存在して西周を滅ぼした犬戎までもテュルク系の民族と位置付けてるらしく
「世界最古の騎馬民族はキンメリアでもスキタイでも無く我がテュルクこそ真の最古であり現在にも続く真の民族」
と誇っているとか
もちろんそこまで主張している人は流石に少数では有るけど

304: 世界@名無史さん 2006/11/01(水) 18:26:34 0
フン族の墓からDNA採取しろよ~。
ってか墓は無いの?

305: 世界@名無史さん 2006/11/02(木) 05:10:02 0
>>304
中欧にはあるそうだ。
主に背の低いモンゴロイドの人骨が出土するらしい。

310: 世界@名無史さん 2006/11/04(土) 22:52:54 0
『アッチラとフン族』という本に、匈奴=フンの疑問点としてフン族が北匈奴なら周辺諸国・民族に大きな被害を与えるはずであり、そうした記録はないのは不自然だと。
考えられるのは東シベリアから中央アジアに登場した匈奴とは別の民族でないかとの説を唱えている。でもバイカル湖周辺が起源という説だった。

311: 世界@名無史さん 2006/11/04(土) 23:08:34 0
アランを征服してサルマートなんかを手下にしたんでしょ?
まあ、遊牧民同士だからそんなにひどい扱いはしなかったんじゃない?
それにシツ支単于みたいな暴れ者ばかりが単于になるとは限らないし。

316: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 06:26:17 0
匈奴とフン族の同一論拠

① 族名の類委

② 民族性の一致

③ 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致

④ 共にアルタイ語を使用したらしいこと

⑤ フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと

⑥ 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと

⑦ 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること

「アッチラとフン族」4Pより

しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖周辺から移動してきた民族との見解。

317: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 08:22:53 0
これだけ論拠があって否定的な見解になるやつらはそれ以上の論拠があって否定してるのか?

318: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 22:32:07 0
>>317
一番の疑問は匈奴とフンが同一だとすると、西遷からアラン攻撃までの期間が結構長い休止期間があること。好戦的な連中が周辺国に被害を与えたという記録がないことが大いなる疑問。

引用元: ・偉大なるフン族を讃えよう



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