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1: 世界@名無史さん 2005/04/17(日) 17:43:09 0
鄭和、倭寇、朝鮮出兵、南蛮進出、鄭成功・・・話題はたくさんありそうです
また、東南アジアにおける日本、中国、イスラム、ヨーロッパの勢力争いで
なぜヨーロッパが勝ち残ったのでしょうか?








281: 世界@名無史さん 2007/09/03(月) 23:28:57 0
日本と西洋諸国との決定的な差は外洋航海が可能な船を作れなかったこととそして操れなかったことだと認識しています。
朱印船貿易に使っていた船の性能はどの程度だったのでしょうか?
また、日本で本格的な外洋航海に必要な造船技術や航海術が根付かなかったのはなぜでしょうか?

287: 水 株主【whis:183/2466=7(%)】 ◆TCygujgOWY 2007/09/04(火) 23:21:49 桜 0 株主優待
>>281
なんで造船技術や航海術が根付かなかったかというのはやはり国内事情があったんじゃないかな?戦国時代とかで海外に目を向けるようになったのはスペインとかより遅かったし朱印船貿易やってたところですぐやめちゃったでしょ?

日本で作った朱印船にはガレオン船から流用した技術も使われてたらしいし長い目で見たら技術の向上はあったと考えられるけど、朱印船貿易とかできなくなったら造船技術なんかあってもあんまり役に立たないしね。

314: 世界@名無史さん 2007/09/14(金) 21:19:37 0
>>287
末次平蔵の唐船や天明時代の三国丸(和洋中の折衷)のように外国の造船技術はある程度維持されていたようです。


291: 世界@名無史さん 2007/09/05(水) 17:09:30 0
>>281
戦国時代にも海外貿易は頻繁に行われている。
例えば、九州の相良氏なんていう中規模の大名でも三十隻の船を自作(大きさ、型は不明)して、対明貿易をしたという記録もある。

284: 世界@名無史さん 2007/09/04(火) 21:13:14 0
技術的なことはそう問題じゃないな。
大航海時代の初期のヨーロッパの船(カラベル、キャラック)なんか、正直言ってそう大したものではない。
どんだけ難破しまくり、餓死しまくりだったかは例を挙げるまでもあるまい
それでも七つの海を制する事が出来たのは、ひとえに海の向こうに良い「儲け話」があったからで、日本にはそれが無かった。差があるとしたらその辺。

285: 水 株主【whis:183/2466=7(%)】 ◆TCygujgOWY 2007/09/04(火) 23:00:13 桜 0 株主優待
朱印船はさジャンク船を使ったんだよ。
輸入品が多かったけど日本でも製造してたな。
日本で製造した物はヨーロッパの技術を取り入れてたりとか中国製のものとちょっと違ってた物もあった。

スペインとかはさレコンキスタが終了したってのも海外に積極的に出る一因だった。
失業した兵士とかが一攫千金を狙って海外に出て行ったんだよな。
海外植民地で一儲けできるっていういい前例を他のヨーロッパに提供したんだろうな。

289: 世界@名無史さん 2007/09/04(火) 23:22:10 0
要は外洋に出る必要があったか否かだしね
幸か不幸かアジアにはインド亜大陸と中国という巨大すぎる生産・消費地があり周辺諸国含めて全ての需給は事足りた

290: 世界@名無史さん 2007/09/05(水) 00:43:34 0
香料貿易ほどのうまみのあるビジネスがあったら、日本も積極的に海外に乗り出して17、8世紀には朱印船の発展型みたいな船が世界中駆け回ってたんだろうけどな。
ちょうど間の悪いときに陸軍国の清が台頭して、他所との貿易を全面禁止してしまった影響もでかい

295: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 00:11:37 0
江戸時代最初期までの日本って実はそんなに生産力高くないね。
だから貿易やったら赤字で、銀の海外流出。金・銀だけは驚くほど生産していたけど。
輸出できるような産物があまりなかった。

301: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 22:18:42 0
一応、刀剣とか蒔絵とかがあるけどね。
絹や陶磁器に比べて使用範囲は限られる罠。

そう言えば、倭寇も日本人の振りをするために日本刀を持ったそうだ

303: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 23:35:43 0
やっぱ偽装のためにチョンマゲとか結ってたのかね。
月代まで剃るともとの姿に戻れなくなるからやらないだろうけど

304: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 09:47:31 0
>>303
いや、日本人でない倭寇も結構月代をそっていたみたい。
明代の図像とかを見ると、倭寇は大概月代をそっているし。

305: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 14:08:40 0
こーなると威嚇効果もあるのかもな
「俺様は凶悪な倭寇だぜ」みたいな。

307: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 19:22:04 0
倭寇の捕虜になった者も無理やり月代を剃られることがあった。
関係ない民間人でも頭を剃ってると「倭寇」として処理されてしまうので官軍と遭遇したときにはその連中も必死になって戦わざるをえなかった。

309: 世界@名無史さん 2007/09/13(木) 21:44:46 0
月代を剃ってた連中は、生まれた国が中国や朝鮮であっても、中国中心の華夷秩序とは完全に決別して暮らしてたんだろうね。
鄭成功みたいな国籍の不明瞭な混血児も多かっただろうし。

310: 世界@名無史さん 2007/09/13(木) 22:07:12 0
海は洋の東西問わず近世までは一種の治外法権的な世界だったもんな
そんな世界にフリーメンやアウトローが集まるのはある意味必然
海洋冒険物が今でも人気があるのもなんとなくわかる

312: 世界@名無史さん 2007/09/14(金) 14:11:38 O
>>310
網野史感でも、海は統一国家の権力の及ばない自由な地域と捉えているね。
海禁によって自由地域を制限しようとしたのがアジア国家で積極的に貿易に乗り出す事で、自由地域を国家の枠組みに組み入れようとしたのがヨーロッパなのではないだろうか?

313: 世界@名無史さん 2007/09/14(金) 14:53:01 0
>>312
一面ではそれもあると思うけど、明は商業蔑視による冊封貿易→民間貿易禁止で
江戸幕府はイエズス会に対する国防って側面があるからね

311: 世界@名無史さん 2007/09/14(金) 01:41:44 O
鄭和が戦った最大の相手は、中国人海賊だったしね。

318: 世界@名無史さん 2007/09/20(木) 23:39:30 0
このあいだ、何とかいう戦国IFものの小説を立ち読みしてたら
「南蛮のガレオンの技術を取り入れた、外洋航行できる安宅船」
なんてものが出てきてた。
簡単に言ってくれるなあ…

319: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 00:26:57 0
支倉常長が乗っていった和船サン・ファン・バウティスタ号はガレオン船のコピーだっけ?

321: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 01:08:47 0
日本の材木で出来てはいるが、スパニッシュ・ガレオンそのものだね。
「和船」と言っていいものかどうか少し悩むが

323: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 18:53:57 0
>>321
いや、復元船の設計をした時の検証によると、単純なスパニッシュガレオンではなくイングリッシュガレオンの影響も受けているらしい。記録にある寸法を全部合わせて引いた設計図がスパニッシュガレオンの特徴とはやや異なるのと、ウィリアム・アダムスの指導を受けた向井将監も建造に加わっていることからそう言う解釈になったとのこと。

324: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 19:12:53 0
他スレから一部転載

>もし秀吉が大名への恩賞を知行地ではなく貿易などで得た金銭や宝物の下賜って方向性にしてたら明征服とかではなく東南アジアへの交易路の開拓に乗り出していたかも知れないな
そして武力は商売敵との抗争や敵対関係にある交易港湾都市攻略にこそ使われた可能性も高い
課題としては先進造船技術のすみやかな導入だな


これって可能性としては起こりえた事かな?
そしてもし起こりえた場合はその後の近世史はどう変わっていっただろう?

325: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 21:05:13 0
>>324
ヨーロッパと違って、日本人は東南アジア産の香料には興味が無いしなあ。動機付けが問題だな。

秀吉の配下でその手の海外進出を一任できる武将と言ったら、小西行長で決まりだろうな。
もともと商人なので交易のイロハを知っているし、戦闘もこなせる。バテレンとの人脈もある。
当時の日本にあって「キャプテン」をやれる数少ない人物だと思う。あと亀井茲矩あたりか。


326: 世界@名無史さん 2007/09/21(金) 23:29:12 0
>もし秀吉が大名への恩賞を知行地ではなく貿易などで得た金銭や宝物の下賜って方向性にしてたら

一応、恩賞として金銭や宝物を与えるってことは秀吉や他の大名もやってたけど
知行地下賜を完全に止めて、金銭や宝物の贈与に変えるなら、それって社会体制の根本的な変革ってことになるよ。

327: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 01:32:36 0
いちおうルソン遠征計画なんてのもあったはずだが、とりあえず琉球侵攻が早まったのは確かじゃないかな。

328: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 02:53:00 0
沖縄制圧は勿論の事、もし台湾侵攻があったら明やオランダ相手に勝利してた可能性は高いね
史実ではオランダ軍に勝った鄭成功の軍では日本人傭兵の鉄人部隊が大きな戦果をあげてたし

329: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 08:18:14 0
>>328
鄭成功の勝利は、港湾封鎖による兵糧攻めに拠るもの。
キーポイントはやはり船でつよ。
安宅船では同じことはできなかったと思われ

330: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 09:24:23 0
ルソンを攻めるとスペインやポルトガルと手を切ることになり、貿易できなくなる
オランダとはまだ貿易していない以上、連中には利用価値があるから、平和裏に服従させたいのが秀吉にとって本音では

332: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 19:27:56 0
>>330
貿易相手という意味では日本にとってヨーロッパ勢みんな必要なかったのでは?
彼等がやったのは日明貿易を肩代わりしただけで、ある意味日本商人のライバル。
浜田屋事件の根底にも、中国側の仕入れ拠点から日本商人を締め出そうとするオランダの動きがあったわけだし。

333: 世界@名無史さん 2007/09/22(土) 22:30:16 0
中継貿易の為に必要だと思ったが
秀吉の時代に、日本商人がライバルと言えるだけの活動をしていたか知らないから、これ以上はどうとも言えないな

334: 世界@名無史さん 2007/09/23(日) 12:09:15 0
>>333
もしかして、ヨーロッパ人が来航しなければ日明貿易は活性化しなかったとか思っているのか?

335: 世界@名無史さん 2007/09/23(日) 23:00:31 0
>>334
以前読んだ和船関連の本で「朱印船貿易の航海士はヨーロッパ人に依存していた」と書いてあった気がしたので、ヨーロッパ人を追放すれば朱印船貿易に支障が出ると思って書いたが
今読み返してみると単に「外国人」と書いてあった。記憶違いだったみたいだスマソ

337: 世界@名無史さん 2007/09/25(火) 19:26:55 0
>>335
外国人と言うと、当時の海上で大型船を操れたのは南蛮(ヨーロッパ勢)か、琉球か、支那の3択くらいだけど、ヨーロッパ人を追放しても琉球人を雇えば問題はないな

341: 世界@名無史さん 2007/09/27(木) 01:25:27 0
まず中国の海禁を解かない事には海上発展の道はないと思う

342: 世界@名無史さん 2007/09/28(金) 11:14:24 O
明の海禁はアジアの発展を妨げたよな。
宋・元の時代に自由経済、自由貿易だったおかげで中国本土では庶民層まで富が行き渡り、周辺諸国では経済が発展しだしたのに。

その反動が倭冦という形で現れて明を揺さぶることにもなる。
乞食坊主には世界の流れが見えていなかったのだろうな。

344: 世界@名無史さん 2007/10/09(火) 00:00:32 0
安土桃山~江戸初期ごろに幕末の海軍伝習所のようなものが作られたとして、航海技術の習得には何年くらいかかるかね?
講師はウィリアム・アダムスあたりにお願いして

345: 世界@名無史さん 2007/10/10(水) 16:09:56 0
船1隻動かす程度なら、ウィリアム・アダムスあたりが直接少人数の水夫を育てればいいだけだから、そんなに時間はかからないと思う。
ただ大規模な艦隊編成するには大人数の水夫を育てなければならない。
そのためには、まず教官になる人間から育てなければいけないので時間がかかると思う。

346: 世界@名無史さん 2007/10/10(水) 18:31:09 0
>>345
水夫くらい当事の日本にいないとでも?
朱印船も知らんのか?

347: 世界@名無史さん 2007/10/10(水) 23:28:49 0
朱印船の水夫の大多数は雇われの外国人。
日本人もいることはいるが、数はたかが知れてる。年間10隻ぽっちだしな。
海賊衆の類も、近海用の和船しか乗ったことがない奴がほとんどだから、遠洋に乗り出すなら1から教育する必要があるだろう。

349: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 17:07:07 O
>>347
水夫の場合一から訓練し直す必要は無いのでは?
ヤードの上で何も掴まずバランスをとるのはかなり難しそうだが、それ以外は陸者でもなんとかなると思われ。大学のヨット部でも一年みっちり練習すれば、海がかなり荒れていても対処出来るくらいになる。
それより航海士や船大工といったあたりを育てるのが大変だろうな。

350: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 18:15:01 0
>>349
>それより航海士や船大工といったあたりを育てるのが大変だろうな。
そうだね。特に航海士は天測術とかマスターしないといけないから大変そう。

351: 世界@名無史さん 2007/10/14(日) 21:40:57 0
幕末の初の国産洋式船「ヘダ号」もロシア人のアドバイスの元、たった三ヶ月で建造したというから造船法を洋式に切り替える事自体はそんなにハードル高くないかも。
基礎技術が十分あるからね

352: 世界@名無史さん 2007/10/19(金) 13:47:03 O
>>351
ハードルは高いんじゃないか?
設計・現場監督といった上の話の航海士・船大工にあたる中核を担う所はロシア人任せで船を造れたからといって、中核の技術がすぐ習得出来るわけではないのでは?

353: 世界@名無史さん 2007/10/20(土) 03:47:02 0
でもその後、同じ港でスクーナーを立て続けに何隻も作ってるぞ。ロシア人に頼らずに

354: 世界@名無史さん 2007/10/20(土) 17:57:15 0
船の建造はコピー元か設計図があれば何とかなる。
在来の木工技術で作れない部品は無いんだから。

戦国時代に鉄砲を数丁の輸入品を元に国産化したり、幕末には稜保式要塞を輸入洋書で学んだだけの知識で作ったりしてるように。

358: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 01:23:55 0
明治時代の合いの子船なんかを見ていると、安宅船の船体に洋式の三本マストを立てるのも、出来なくはないのかと思えてくる

いや、帆走性能が上がるだけで、外洋には耐えられないだろうが

361: 水 ◆TCygujgOWY 2007/11/24(土) 20:45:25 0
コルテスのテノチティトラン攻撃の際には先住民が製造したベルガンティンが投入されているね。
指導者がちゃんとしていればうまくいくと思う。
一ヵ月か二か月位で作ったと思う。

363: 世界@名無史さん 2007/11/27(火) 20:39:54 0
マニラにあったガレオンの造船所でも先住民が作ってたんだっけな。

海軍伝習所が長崎に初めて作られてから、日本海海戦までが、ちょうど半世紀。
50年あれば一人前の海軍になるか?

364: 世界@名無史さん 2007/11/27(火) 22:14:17 0
残念ながら日露戦争時の主力艦は全て外国製。駆逐艦は作れても戦艦は造れなかった。
「海軍」は一人前でも「造船技術」は半人前

365: 世界@名無史さん 2007/11/27(火) 22:58:24 0
流石に鋼鉄艦の建造体制整備は木造船のそれとは同じようにはいかんか

366: 世界@名無史さん 2007/11/27(火) 22:58:28 0
乗る人間が一番重要でしょ。特に帆船は。

367: 世界@名無史さん 2007/11/27(火) 23:50:06 0
ナポレオン戦争時フランスの造船技術はイギリスより上でイギリスの艦長達は拿捕艦の艦長になれるように争ったという話も有るしな。

377: 世界@名無史さん 2008/03/28(金) 01:04:53 0
日本が外洋水軍を整備しようとする場合にネックになるのは、航海士と大砲だろうな
もしかしたら水軍で利用するので、大砲が発達したかもしれないな
銅は豊富に取れるし
鉛はどうだっけ?

382: 世界@名無史さん 2008/04/01(火) 00:56:44 0
>>377
鉛も豊富だったと思う。灰吹き法で銀を採取するときに使うから。
青銅砲は作れるだろうけど、鉄製の鋳造砲は難しかろうな。
たたら製鉄では無理だから溶鉱炉から作らないといけない。

383: 世界@名無史さん 2008/04/01(火) 18:56:48 0
>>382
鉛は産出量が少なかったはず。
秀吉、家康共に鉛を南蛮人から硝石と鉛を大量に購入している。
1614年ころには、鉛100斤が、関東では60匁、大阪では45匁の相場だった。

後の朱印船貿易では、シャムから鉛を輸入し、鉛弾を輸出していた。

384: 世界@名無史さん 2008/04/01(火) 21:15:35 0
>>383
戦国時代から加工貿易やってたのか。
鉄砲玉にするから戦国時代はいくらあっても足りなかったろうな

385: 世界@名無史さん 2008/04/04(金) 11:50:01 0
>>383
1614年って、大阪冬の陣の年だから、徳川方が高値で鉛を買占めたかったってことかな?

386: 世界@名無史さん 2008/04/05(土) 11:17:10 0
それもあるし、
当時は関東の交通の便がまだ相当悪いので、どうしても割高になるというのもある。

390: 世界@名無史さん 2008/04/20(日) 01:08:15 0
江戸幕府がせっかくの海外発展の可能性を閉ざしたからなぁ

392: 世界@名無史さん 2008/05/10(土) 20:17:48 0
>>390
当時のイスパニア人の記録にもあるが、
日本人は渡航先に定住せずすぐに帰りたがるから、移民人口が増加しづらい傾向にあった。また婦人移民者が少なかったので、現地人女性と結婚し二世、三世は急速に現地に同化して日本への関心や愛着も持たなくなった。

また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた。彼らは移住の由来も古い上に、人口も多く中間階級として、同じ立場の日本人を大いに圧倒するようになった。

一方ヨーロッパ人は国家を背景に組織的に発展し、日本人の前に立ちはだかった。

鎖国がなくとも日本人町の未来は明るくなかったと思われる。


393: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 16:35:46 0
>>392
>また港の日本人町の隣には例外なく中国人町ができた

この理由は?
発展していた日本人町から利益を掠め取ろうとしていたということか?

402: 世界@名無史さん 2008/05/12(月) 00:49:09 0
そりゃ南方の日本町は中国産の絹の仕入れのため出来たようなもんだから、中国人町が隣にあるのは自然だろう。
当時の中国は銀が不足していたから、物産の対価を銀で支払ってくれる日本とは、お互いに良い取引相手だったってだけのこと。

404: 世界@名無史さん 2008/05/12(月) 13:20:14 0
鎖国後の日本人町の人は長崎に渡る清国人を通じて、
日本の知人へ手紙を出したり、故郷の品を送ってもらってるんだよね。
注文状には
 酒二樽、鰹節六十、氷コンニャク百、干し大根少し、醤油二樽、
 黒豆五升、ケシ八合、奈良漬二樽、青豆五升、ワカメ少し、
 大根漬二樽、モグサ一斤、干牛蒡少し、カンピョウ少し、イリコ五斤、
 梅干少し、塩松茸少し、干しアワビ五斤、干しワラビ少し、目薬一箱、
 椎茸十斤・・・」

んで鎖国から40年後にベトナムのフェフォからの手紙には

「ここもと日本人みなみな相果て、ただ二人にまかりなり。
 せんかたなきありさま推量なさるべく候」

引用元: ・大航海時代 in アジア



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