51dDZWDx12L



1: 名無しさん@おーぷん 2019/02/20(水)23:59:54 ID:TWj
いますか?








4: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:00:59 ID:rQ0
当時って黒人差別はなかったのかね

16: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:04:48 ID:8eP
>>4
中世初期は珍しくて差別とかはなかったみたいやな
フランクの国王がムスリム商人から献上された黒人を側近として使ったという信長みたいな話が残ってる
中期~後期あたりにイベリア半島のムスリムから「黒人は劣った人種だから奴隷にしていい」という概念が入ってきたと言われてる

13: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:04:10 ID:mON
黒人はキリスト教圏では、ノアの息子であるハムの子孫やと考えられてたんや
ハムはノアが酔っぱらって裸になって寝とったんを見てて、その罪により、ハムの子孫は肌を黒くされたんや
やから、黒人に対して良いイメージはなかったと思われる

17: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:04:51 ID:rQ0
>>13
はえー、やっぱ迫害はあったんやろか

18: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:05:06 ID:mON
>>17
迫害まではない

22: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:06:16 ID:McI
そもそも異教徒は人ではないし
沢山殺すことはいいことだと考えられてたからな
ちなやれば天国にいける模様

39: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:09:37 ID:O5k
>>22
小室直樹でも読んだんか?聖典の記述をみんなが真に受けてたわけじゃないぞよ

24: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:06:26 ID:rQ0
キングダムオブヘブン見とるから十字軍の話が知りたい

44: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:10:28 ID:mON
>>24
当時、ちょっとキリスト教が廃れはじめとったんや
そこで教皇ウルバヌス二世は新事業として、聖地奪還をスローガンに十字軍を提唱したんや

49: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:11:41 ID:rQ0
>>44
なんかイタリアに続々集まってたけどカトリックもプロテスタントもキリスト教ならなんでもいいんかな

55: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:12:52 ID:8eP
>>49
まだ宗教改革はないで
異端は当時でもいたが教会的には異教よりもNG

61: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:14:24 ID:vvw
>>49
そもそもギリシア正教会のビザンツがイスラムのセルジュークに圧迫されてローマカトリックの西ヨーロッパに支援求めたんや
多分西ヨーロッパ的にはギリシア正教会に借りを貸しとこうと思ったんやろな
実際は第四回十字軍見たらわかるように、宗派が違えば人とも思ってへんで

62: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:15:05 ID:mON
>>61
フィリオクエ論争の溝は深い

フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)とは、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の解釈・翻訳をめぐる問題である。キリスト教の神学上最大の論争のひとつで、カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主因となった。

西方教会でいう聖霊すなわち正教会でいう聖神は、父なる神と、子にして神であり人でもあるイエス・キリストとともに、三位一体を構成する。問題は、正教会では「聖神は父より発する」とされるが、カトリック教会では「聖霊は父と子より発する」とされる点の相違である


66: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:16:00 ID:rQ0
>>61
当時ビンザンツとイスラムの力関係ってどうなん?

72: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:17:17 ID:8eP
>>66
ユスティニアヌス1世の再興で力を使い尽くしてイスラム帝国が勃興すると防戦一方
ちょくちょく反撃もしてるけ

77: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:18:26 ID:rQ0
>>72
やっぱオスマンってしゅごい

84: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:19:27 ID:mON
>>77
メフメト二世が賢かったんや
300px-Sarayi_Album_10a


メフメト2世(1432年3月30日 - 1481年5月3日)は、オスマン帝国の第7代スルタン(皇帝、在位: 1444年 - 1446年、1451年2月18日 - 1481年5月3日)。

コンスタンティノープル(イスタンブール)を攻略してビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、オスマン帝国の版図を大幅に広げる。30年以上に渡る征服事業から、「征服者」と呼ばれた。


86: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:20:15 ID:2vv
>>84
トルコの織田信長だね

87: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:20:22 ID:wOP
>>84
船で来たけど山越えたろ!の人やろか?

Kusatma_Zonaro


コンスタンティノープルの陥落(コンスタンティノープルのかんらく)とは、1453年5月29日、オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)が陥落した事件である。

オスマン帝国側は膠着状態を打開すべく、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区があったガラタの外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出た。「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこの奇策は成功し、これによりジェノヴァ船による援助物資の供給は阻止され、東ローマ帝国軍の士気をくじくことになった。

88: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:20:37 ID:mON
>>87
せやで
95: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:22:47 ID:vvw
ウルバン砲のロマン、ジェノヴァ船のオスマン艦隊突破、鍵のかけ忘れの謎、船の山登り、コンスタンティヌス11世の散りざま・・・
中世の終焉にふさわしいわ

97: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:23:14 ID:McI
鍵かけ忘れはマジで致命的で草

74: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:17:36 ID:mON
>当時ビンザンツとイスラムの力関係ってどうなん?

1453年頃やともうビザンツはオスマンにいつ潰されてもおかしくない状態やったね

76: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:18:12 ID:vvw
>当時ビンザンツとイスラムの力関係ってどうなん?

イスラムに関しては当時のヨーロッパよりも遥かに進んだ先進地域や
対するビザンツはオスマンに滅ぼされる前よりマシとは言え、もう息絶え絶え
西ヨーロッパはご察しの通りや

42: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:10:18 ID:vvw
中世ヨーロッパ興味持ちたてなら乙女戦争って漫画読んでほしいわ
グロ表現キツいけどフス戦争の漫画なんてそうそうないしおもろいで

50: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:11:53 ID:fH5
中世ってせまーいキリスト教世界に閉じこもってたのに、ヴェネツィア商人とかが今でも通用するような会計、金融システムを開発してるのが不思議でならない

60: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:14:13 ID:mON
>>50
ヴェネチア商人はいうて、ムスリム商人と仲良しやったんや

69: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:16:52 ID:2vv
交易を必要としない西欧内陸国にとってイスラム諸国と交易するヴェネチアは裏切り者でしかないがヴェネチアは、

「我々に交易するなと命じるのは我々に死ねと命じるのと同じだ、いかな法王と言えど、我々に死ねと命じる権限はない」

の一言で突っぱねた

94: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:22:17 ID:gcV
まだローマ教皇がめっちゃオラつけた時代やなあ

96: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:23:08 ID:mON
>>94
叙任権闘争がなければな


98: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:23:21 ID:fOO
中世って100年戦争終結までか東ローマ滅亡どっちまでやっけ?

103: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:24:03 ID:mON
>>98
キリスト教史的には、1453年で中世は終わる

108: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:25:12 ID:Wbm
>>103
ビザンツ帝国がいるかいないか境目なのね
というかローマ帝国1000年以上ってよく考えたらキチガイよね

102: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:23:59 ID:voC
「中世ヨーロッパ」の範囲広すぎ問題

106: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:25:01 ID:mON
>>102
キリスト教史的には、アウグスティヌスの死後からビザンツの滅亡までが中世やで

111: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:26:29 ID:2vv
ビザンツの滅亡こそが独自の西欧史が始まる契機になったとも言われてるけど

113: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:27:16 ID:mON
>>111
東半分がなくなって、西欧になったんや

115: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:28:04 ID:fOO
>>113
まあそこで完全にヨーロッパの枠組みからアナトリアが除外されるからな

114: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:28:03 ID:Wbm
トルコってよく考えたら昔からわりかし安定してるのな
ローマ帝国→セルジューク朝→オスマン→トルコ

117: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:29:55 ID:fOO
>>114
オスマンが本格的に台頭するまであそこ色んな国あったろ
トレビゾントとか
375px-Map_of_the_Empire_of_Trebizond.svg


トレビゾンド帝国(1204年 - 1461年)は、1204年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスが第4回十字軍の攻勢によって陥落した際に、東ローマの皇族が各地に樹立した亡命政権のひとつ。
東ローマ帝国滅亡後の1461年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで約250年間存続し、史上最後の東ローマ系国家となった。


121: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:31:31 ID:Wbm
>>117
まあ分家みたいなもんやし 詳しくは知らんけど

120: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:30:58 ID:fOO
あれトレビゾントってローマやっけ?
キリスト系なのは覚えとるが

124: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:31:49 ID:mON
>>120
いや、小アジアからブルガリアの辺りにかけてやで

125: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:32:19 ID:8eP
>>120
元はギリシャの植民都市

第四回十字軍の後、皇族の一人が反カトリックの政権をここに作った

122: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:31:37 ID:McI
アッバース朝とかいう地味にでかい国

127: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:32:47 ID:vvw
>>122
地味どころちゃうで
初期中世やと間違いなく最強や

no title

129: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:32:57 ID:mON
>>122
千夜一夜物語に登場するお話の時代はだいたいがアッバース朝なんや

131: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:33:50 ID:voC
アッバース朝はISの主張領土の元でもあるな
なおつい最近滅亡した模様

123: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:31:39 ID:2vv
西欧から恐れられたトルコ君も一度モンゴルさんとケンカして散々な目に合わされて
西欧世界がホッと一息ついたこともある

126: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:32:33 ID:gcV
モンゴルが一時期はヨーロッパの一部までやってきてたという事実に驚愕

130: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:33:22 ID:mON
>>126
ワールシュタットの戦いやね

139: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:37:47 ID:fOO
アッバースと後ウマイヤって元辿れば一緒やったけ?
まあイスラムやから当たり前やけど

145: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:40:10 ID:vvw
>>139
正統カリフ4代目が死んだ後にムアーウィヤってやつが作ったのがウマイヤ朝や
それを倒してできたのがアッバース朝、イベリア半島に逃げたウマイヤの残党が後ウマイヤ朝や

154: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:44:22 ID:fOO
中世ってイスラム全盛期やったけど近世入るとイベリアから追い出されたり技術とかで欧州諸国に負けていくの悲しい
オスマンも中盤まで良いのにどんどん衰えてまうし

155: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:44:46 ID:bef
イタリアはビザンツ+イスラムの学問吸収できたからルネサンスが出来たし、イベリアもイスラム文化の影響は大きい

156: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:45:58 ID:fOO
>>155
グラナダとかだと遺跡も残ってるもんな

157: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:46:42 ID:voC
宗教と科学って相反するように見えるけど、むしろ中世じゃ修道院が研究所的な性格があったっていうね

159: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:47:52 ID:2vv
世界史の中心軸が地中海世界から西欧世界に移動した理由の方がイマイチ謎やねん

166: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:53:11 ID:vvw
>>159
ワイ的には中世後期にペストが流行して西欧の国家の仕組みが根底から改変されたり、イスラムの方がモンゴルやらで痛手受けてたのがデカいと思うで
ワイは西欧中心の世界になったのはオスマンがウィーン包囲に失敗した17世紀半ばからやと思っとる
近世初期なんてひどいもんやで、ヴァスコダガマがインドのヴィジャヤナガル王国に貢ぎ物を持って行ったとき、インド人の王が余りの粗末さに顔をゆがめたって話もある
まぁお得意の残虐性でインドにも植民市を瞬く間にゲットするんやけど

163: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:51:06 ID:gcV
アメリカとかアジアに目を向けるようになって地中海とか知らねってなったから?

169: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)00:55:48 ID:fOO
交易が途絶え始めたからやない?
中世ってコンスタンツティノープルが貿易の中心やったが近世入ると新大陸との繋がり強くなるし直接アジアに行けるようになったし

174: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)09:35:40 ID:Xmf
「帳簿の世界史」って本を読んだら、ヨーロッパではわりと最近まで、王様であっても自分の財産がいくらあるか、正確なところは知らなかったらしいぞ。
調べさせても担当者が頑なに拒否して教えないんだって。
担当者の横領なんて当たり前だったんだろうな。
複式簿記は日本の関西商人が始めたとか言われているけど、ヨーロッパでは単にそういうのの芽が摘まれていただけみたい。

175: 名無しさん@おーぷん 2019/02/21(木)09:45:15 ID:UrT
>>174
複式簿記はヴェネチア商人が発明して使ってたし商人は遥かに先進的
封建領主は経済に疎くてすべてがドンブリ勘定だった
日本でも同様でよく年貢を四公六民やったイヤ5部5部くらいやとか論議されてるけど
実際は当時の領民も領主もどれくらいの割合なのかよく判ってなくてその場の気分だった
というのが実態のようだ

引用元: ・おんJで中世ヨーロッパ語れる奴wwwww



15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史
堀越 宏一 甚野 尚志
ミネルヴァ書房
売り上げランキング: 357,178