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1: 日本@名無史さん 02/09/27 21:45
戦国時代と聞けば、思い浮かぶのは下克上の世の中、戦火に包まれた日本列島、秩序は麻のように乱れ、街道には屍が累々としている。

ところがそうしたイメージにもかかわらず、農業生産高は増え、商工業が勃興し、貿易が盛んになり100年足らずの内に人口は2倍に増加したこの時代。
同じ戦乱の時代でも、ドイツの30年戦争では人口は半減、中国の動乱期には人口が10分の1になったといわれる(諸説あり)えらい違いである。

当時の宣教師達の記録には、勤勉で誇り高く礼儀正しい日本人像、犯罪も少なく極めて秩序だった社会の様相が描かれているが戦乱の激しさや、日本の軍隊の強さを訴えたものはほとんどない。(悪意を持った宣教師が残忍な国民だと書き送った例はある)

世界的な視野からすれば、戦国期程度の動乱はむしろ常態であり、特筆すべきものではないのかもしれない。
では、「戦国時代」とは何だったのか?
「戦国時代」という呼称は適切なのだろうか?








190: 日本@名無史さん 04/09/12 00:12:02
戦国初期はホントのんきな戦らしいよな…
まずは投石、弓→盾に隠れて特に被害無し
次に長槍で壮絶などつきあい。(突くのではなくたたき合い)
で、崩れたとこから攻め入って大将首をあげた方の勝ち。

個人で見れば大体数年に一回起こるだけだから大したこっちゃないだろう

193: 日本@名無史さん 04/09/14 00:30:17
日本は島国だから殲滅戦にならなかったと聞いた事がある

195: 日本@名無史さん 04/09/14 13:12:02
>1
>戦乱の激しさや、日本の軍隊の強さを訴えたものはほとんどない。

ザビエルとか戦乱で盗賊とかが結構横行してたってはなしてなかったけ。

203: 日本@名無史さん 04/09/15 00:05:08
信長あたりからは急速に変化していったと思う

関ヶ原は懐疑的な意見が多いけど、少なくとも大阪の陣は壮絶な殲滅戦だったみたいだし…
互いがハイレベルで拮抗していたんじゃない?

238: 日本@名無史さん 04/10/30 18:57:43
例えば長篠なんか武田の将兵悉く討ち死にしているよね
真田家なんか跡継ぎの長男次男が帰ってこなかったもんだから三男の昌幸が跡継ぎに。。
指揮官クラスでさえこの率で死亡してたことを考えると、前方の兵卒なんかは逃げる間もなくもった多くの鉛玉をもらっていただろう

殆ど信長絡みで申し訳ないが、姉川、ジェノサイド長島や鳥取の干殺しなんかを見ていると戦国時代の戦も消耗はあったんじゃないかな

250: 日本@名無史さん 05/01/02 18:58:51
> 農業生産高は増え、商工業が勃興し、貿易が盛んになり100年足らずの内に人口は2倍に増加したこの時代。 

16世紀って全世界的に人口増えたんじゃなかったっけ?

254: 日本@名無史さん 05/02/01 21:42:10
全世界的に人口が増加したのは産業革命から
グラフを見るとすごいよ
爆発的に増えてる

256: 日本@名無史さん 05/02/20 16:49:52
実は戦国時代の戦争で戦死者って余りいなかったのかな

257: 日本@名無史さん 05/02/20 19:12:41
>>256
実際の合戦は信長の野望の戦闘みたいな感じでなかったからね。

部隊の一定割合(高くない)の人間がやられると壊走するといった感じ。

261: 日本@名無史さん 05/02/21 17:19:16
現代戦もそうだけど、部隊の3分の1が行動不能になったらその部隊は壊滅状態になる、という話があったような・・・

詳しい人は語ってくれ。

264: 日本@名無史さん 05/03/03 18:55:26
軍忠状を調べたある人によると、刀傷がだいたい2%から3%くらい。
さらに槍傷なんかもごく少なかったんだな。(5%くらい)一番多かったのは弓傷、あるいは鉄砲傷なわけ。
という事は接近戦なんてものはごくたまにしか行われなかったという事なんですな。
川中島なんかでは両軍合わせて3000人近い死者がでたと甲陽軍鑑なんかではあるけど、だとするとその負傷者はその1.5倍以上。まあ武田も上杉も壊滅状態でしょう。
けれど上杉は越前なんかにも出兵してるし、武田も北条相手によく戦ってる。ということはこの数は誇張ということですな。ただ八幡原の霧の中での遭遇戦だから、ある程度の白兵戦にはなっただろうけど。
と思うんですけどどうかな。僕は専門家じゃないからあまり決め付けはしたくないんですよ。

266: 日本@名無史さん 05/03/07 23:29:55
最近の環境考古学の成果によると、戦国時代は気温が低く、農業の生産性が低下した時代。食糧確保のために、絶えず争いが起き、戦争が頻発したのではと言われている。
戦国時代は、食糧事情が悪く、食糧を得るための人の移動も多く、生産力が低いためにかえって商業や人の移動が盛んな社会だったのではと考えられるようなってきている。
 
それから、生産力が伸び、人口が急増したのは、江戸時代のはじめ。
実はこの時期に、商品経済から一度自給自足的な経済に戻り、その後もう一度商品経済化したのではとの指摘がなされている。
 

267: 日本@名無史さん 2005/03/25(金) 12:04:48
>>266
>>戦国時代は気温が低く、農業の生産性が低下した時代。

天文年間までの話だったと思うが。
永禄期からむしろ温暖期に変換したはず。

268: 日本@名無史さん 2005/04/06(水) 23:54:43
そんなことどうやってわかるの?

269: 日本@名無史さん 2005/04/09(土) 02:28:52
>>268
ごく一例として、長寿な木の年輪。
温暖な時期は成長幅が広く、寒冷な時期は成長幅が狭い。

270: 日本@名無史さん 2005/04/09(土) 19:12:21
>>268
他にも各地に残っている日記の内容などを吟味し、動植物の季節変化を現在と照らし合わせる方法もある。

287: 日本@名無しさん 2005/06/23(木) 00:21:34
「政基公旅引付」を読む限り、戦国時代が平和だとは思えない。
政基公旅引付

戦国時代に前関白九条政基が記した日記。文亀1年(1501年)3月から永正1年(1504年)12月まで家領(けりょう)の和泉国日根荘(現大阪府泉佐野市)に下向(げこう)した時の日記で,原題に〈旅引付〉とある。

私的な内容も含まれるが,日根荘で荘園領主として実際に荘務に携わったため,その際の証拠的記録としての性格が強い。荘園領主が4年間現地に滞在し,自らの目で捉えたことを記述したという点で,戦国時代の荘園の様相を知ることのできる稀有な史料とされている。

288: 日本@名無史さん 2005/06/23(木) 04:27:10
>>287
貴族にとっては、源平争乱以降平和だった時代はないので全面的に依拠して良い物やら。
401: 日本@名無史さん 2008/03/23(日) 12:09:01
『政基公旅引付』文亀4(1504)年2月16日条 

16日雨。大木村と船淵村の番頭が来た。昨年の干ばつのため御百姓が多く餓死しています。そのため、蕨を採ってかろうじて命をつないでいましたが、これを盗む者がいて、食物が無くなってしまうと死んでしまうので、見張り番をおくことにしました。 
昨夜盗む者があったので、追いかけたところ、瀧宮神社の巫女の家に逃げ込みました。中に入ってみましたら、巫女の2人の息子が犯人でしたので、かばう母親と息子2人を殺害しました。ご報告します。 

(政基の感想)地下沙汰だから仕方がない。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。 

402: 日本@名無史さん 2008/03/23(日) 12:10:42
『政基公旅引付』文亀元(1501)年9月23日条 

和泉国の守護細川氏の家臣と周辺の諸郷の農民1000人ほどが、武装して日根野村に侵入してきた。政基の家臣と入山田村、日根野村の農民が200人集まって、侵攻軍を撃退した。 
隣村の村が、日根野荘を攻撃したことについて、入山田村は、上郷へ抗議した。 
返事は、根来衆が侵入してきたと守護方が出陣命令を出したので出陣した。 
しかし、相手は根来衆ではなく、御本所様(九条家)だったので、戦闘をやめて引き返した。以後このようなことはしないということだった。

303: 日本@名無史さん 2005/09/05(月) 15:12:58
戦国時代は武士以外の勢力も武装していたから、それなりの政治力があり、また大名も江戸時代のように年貢を「八公二民」とか「九公一民」なんてできなかった。
治安は悪かったけど、権力者による圧政が少なかったのが戦国時代なんでしょうね。

304: 日本@名無史さん 2005/09/06(火) 17:28:48
戦国時代でも足利幕府存続以前と滅亡後で、大名の意識の違いはありそうじゃないか?
以前⇒建前は天皇と幕府に従い、地方で権力を高めていく。

幕府が実権を失う⇒自分が幕府を立てて天皇家を護る。そのために天下統一しよう。

天下統一っつーか中央集権国家の樹立を目指していたのってやっぱり信長だけなのかな?
島津家だってなんだか秀吉に対抗する為に九州統一戦争やったって感じ出し。

305: 日本@名無史さん 2005/09/06(火) 20:16:29
>>304
信長が上洛した理由も建前上は、足利義秋を奉じるためだったから、最初から中央集権国家の樹立を目指してたわけじゃないと思うな。
義秋を京都から追い出したのは、自分に刃向かったからであって
もし義秋が刃向かわなかったら、形の上では足利幕府を再興したと思う。

308: 日本@名無史さん 2005/09/06(火) 23:00:11
>>305
室町幕府末期はほとんど誰も献身の情から幕府に従う事はなかっただろうけど、もちろんそれは幕府の権力が失墜したからで、
戦争が起きる理由に幕府が絡んでいないならば、それはなんだろう?

隣人が気に食わないから紛争が起きる。するとより強大な相手からの干渉が現実味を帯びてくる。それで気に食わないから戦争が起きる。

この繰り返しか。

309: 日本@名無史さん 2005/09/07(水) 00:40:52
>>308
合戦を起こす理由なんていくらでもありますよ。
要は大義名分があればいいわけで、もちろん幕府を口実にした合戦もあったけど。
徳川家康が豊臣家を滅ぼした時の口実なんて、ほとんど言いがかりでしょう。

307: 日本@名無史さん 2005/09/06(火) 21:24:56
戦国時代は戦がある程度、経済の発展に役立っていたって見方がありますね。
大名が遠征をする場合などは、莫大な金が動いてましたし。
とくに農村にとっては、大名が金を出して兵糧を買い取ってくれるので米を金にできる願ってもない機会だったそうです。


308: 日本@名無史さん 2005/09/06(火) 23:00:11
>>307
大名としては経済的利益のために領土を拡大させたかったのだろうか。
だとしたら本当に戦国時代は平和だったのかなあ。

319: 日本@名無史さん 2005/09/18(日) 23:10:43
戦国時代って信長以前と信長以降にわけたほうがよくない?
信長以前は、中央政府が機能しなくなって地方豪族がたまにコゼリ合いしてた時代
寝返りとかなんかないと他国を制圧することってできなかった
それが信長以降、近代的な総力戦になったと


325: 日本@名無史さん 2005/11/02(水) 16:11:38
城下町→武家屋敷→常備軍みたいな軍政改革できたのって信長だけ?
何で他の大名にできずに信長にはできたのかな?

329: 匿名希望 2005/11/20(日) 20:33:15
戦国大名は被官に家族・郎従に大名の居城に住まわせていた(常備出陣、謀反防止、人質のため)。
織田信長以外にも程度の差はあれ、軍政改革は行われていたのでは。
春日山城や小田原城や一乗谷がその例として本にあるのですが、他の大名の居城はどうなのでしょうか?

330: 甲斐犬 2005/11/20(日) 21:09:24
農民兵は、農繁期に出兵できない、なんてのは間違い。年表を見よう。
おそらく、この間違いは、当時の農家を今日の小規模経営の自作農と勝手に思いこんでる間違い。当時は、領主(国人・地侍)や地主(名主)による大規模農家。今日の、住み込み従業員をかかえるパチンコ屋や旅館を想像しる。
 
当然、忙しい時期でも、経営者一族の男が従業員の一部を率いて出兵する事は、何とか可能。要は生産効率。生産効率の高い地域ほど、余剰労働力を出兵させやすかった。
当時は、丘陵地から大河川下流域への人口移動期でもあったから、濃尾平野など、もっとも余剰労働力の多い地域であったろう。

>>1
おそらく、宣教師は、宗教改革以降の、無茶苦茶な時代のヨーロッパと比しめて日本を平和と思ったんだろうな。

365: 日本@名無史さん 2007/03/03(土) 08:48:39
一応、フロイスの日本史にも「戦乱が続いている」ってかいてあるんだけどね・・・

当時の日本は北斗の拳状態だったということでOK?

367: にゃんこ 2007/03/03(土) 09:55:36
多数派工作が戦争の中心で、戦場での決戦は、多数派工作の成果の再確認の場。
戦闘も、物理的破壊は少しで戦死者も少数、形勢が不利な側はあっさり瓦解。
勝った側は、勝った事を多数派工作の宣伝材料として、明日からまた、多数派工作。

そもそも、戦う理由は、縄張り争いと相続争い。ヤクザの抗争に近い。(最も、近代戦や宗教戦よりも、被害の極小化において、文明的とも近いと言える。)

ヨーロッパの宗教戦を見てきた人間なら、日本の戦国時代は「平和」に見えるだろうな。

なお、中国で、わずか数十年で、人口が1/10になったり、5倍になったりするのは、人口調査のある公領と無い私領の間を、民衆が行ったり来たりするため。脱税や節税のためである。

375: 日本@名無史さん 2007/10/18(木) 01:34:04
戦国時代の治安がいいわけないだろ
「戦国時代は明るくて平和だった」だのわけわからんことを抜かしている奴がいたが江戸時代の人々からみたられっきとした暗黒時代だったと思うがね
今の日本人が見た戦時中の大正昭和に近い感覚で江戸初期の人々は戦国時代を見ていたんだと思う
大河の明るい戦国のイメージなんて所詮は歴史を楽しめと言っているだけで本当は第二次世界大戦ばりの暗黒時代

376: 日本@名無史さん 2007/11/06(火) 15:31:41
>>375
治安いいよ。
西部劇みたいに保安官を傭う必要なんかなくて、村人全員が武装して犯罪者を捕縛したり処刑したりしてるから。

ま、村を離れた遠方で、敵対する村の軍隊に襲われて拉致られたり売り払われ、あるいは殺傷されたりすることがあるのは愛嬌だが。

... 現代人の感覚としては、軍事政権が力を持ってるような一部の発展途上国の雰囲気。
現代日本の平和ぶりとは比較することができん。
まあ。連年の大飢饉で生きるか死ぬか、って世界だしな。

378: 日本@名無史さん 2007/12/31(月) 13:55:34
藤木久志氏の戦国村民ルポに対する言及レスがありませんね。
戦国の村を行く 藤木久志 1997/06 (朝日選書)
飢餓と戦争の戦国を行く 藤木久志 2001/11 (朝日選書)
雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り藤木久志 2005/6 (朝日選書)
土一揆と城の戦国を行く 藤木久志 2006/10 (朝日選書 ) 
389: 日本@名無史さん 2008/01/03(木) 12:04:07
>>378
『土一揆と城の戦国を行く』の中に面白いことが書かれているね。

「十五世紀後半に、日本中世は内戦(戦国)の時代がはじまり、その内戦の中で、危機に対応して、攻撃と防禦の拠点として戦国の城がつくりはじめられる。一方、その内戦とともに、村は滅びたのか。そうではなく、新たな戦国の城の周辺に、村が大きな移動をはじめたのではないか。」 p208

これは藤木氏独自の意見というよりは近年の考古学調査の成果みたい。

こういう状況だったようだから、戦国時代が平和だったとはあまり言えないと思う。

385: 日本@名無史さん 2008/01/01(火) 23:54:01
前時代よりも戦国期はかなり厚遇されてたよ農民。
それに商業の発展は飛躍的な流通経済による恩恵も受けれた。
領民に逃げられたり集団で徒党を組まれたらヤバァイからね…彼らは武器も持ってるから。
北条の4公6民とかもあるし。
豊かな民力が広範囲な大名の活動を支えたと言える。


404: 日本@名無史さん 2008/05/23(金) 06:58:44
誰か知ってる人居たら教えて欲しいんだけど。

戦国時代、戦場となった場所には数百~数千の遺体が転がったと思うんだけど、この遺体はどう処理されたんですか?

405: 日本@名無史さん 2008/05/23(金) 09:24:05
>>404
そんなに転がらない。>遺体
数千も死者が出たら、軍事的にはもちろん経済的にも大打撃を受ける。

家の近所の古戦場にはいくつか塚があったから、現場でまとめて葬られるのでは?

406: 日本@名無史さん 2008/05/24(土) 03:29:43
刈り出されるのはほとんど農民だしな
モチベーションはかなり低いだろ

408: 日本@名無史さん 2008/05/24(土) 17:17:26
>>406
勝手に隊列を離れて略奪に行くヤツがいたり、戦闘そっちのけで略奪してて、その間に戦いに巻き込まれたりするしな。

447: 日本@名無史さん 2010/05/04(火) 01:10:52
今で言う軍隊規則があったんでは?
村に押し入って「ヒャッハー!」なんてことが出来たのは山賊や野武士くらい?
そいつらにしたって駆逐されてただろうに
農民も武器を隠し持ってたみたいだし

451: 日本@名無史さん 2010/05/19(水) 03:15:27
>>447
大名間の戦争とかで戦場になるときには、係争地付近の村に乱入するのは常識だったようだぞ。
それを避けるために、係争地付近の村や寺社はツテを頼りに乱入側の大名に付け届けをして「制札」というのをもらうんだが、「濫暴を禁ず」とか「異乱」とか「略奪禁止」なんかの制札をもらっても、当事者の村が自力で略奪者を撃退することに対して「その大名に敵対しようとしたわけではない」と認めてもらうだけの意味しかなかった。略奪者の撃退は、あくまでも村々の責任で行う義務があった。

戦争に動員された村人たちが自ら率先して遠征先の村で略奪するのが日常だったんだ。
そこの村人と戦いになったら捕虜を連れ帰って身売りする。
捕虜に身寄りがあれば「身代」を取って返却する。って、中南米とかで見られる誘拐産業と大差ないな。

448: 日本@名無史さん 2010/05/04(火) 08:03:44
ルイス・フロイスは、『日本史』で、「日本は百年も戦乱が続いてるはずなのに京都や堺周辺は信じられないほど平和で繁栄してた」・・・と書いてる。


449: 日本@名無史さん 2010/05/05(水) 20:59:35
「ヒャッハー!」なんてやってたら来年取るもの無くなっちゃうしな

451: 日本@名無史さん 2010/05/19(水) 03:15:27
>>449
いやいや。
とある国境の村を治める領主の苦労譚で、毎年秋になると隣国の大名が責めてきて青田刈りをして米を取ってしまうので、その時期よりも早く収穫できる早稲を主体にして田植えするのが常だった、とか書いてるんだよな。
当時は早稲・中稲・晩稲の三系統ぐらいを併用して、あの田は早稲、この田は晩稲などと植え分ける風習があったらしい。
稲の品種そのものはすでに何十もあったが、そのうち収穫期の違うもの数種類を併用していたわけだ。

たぶん、村人総出で田植えする、その時間が長くかかるので、時期をずらしてたんだろうけど。

話がそれた。
つまり、毎年ヒャッハーする大名が少なくなかったんだよな。
植えの記録を残した領主は宇和島の人で、攻め込んで略奪したのは宗麟だったかな。

460: 日本@名無史さん 2010/08/13(金) 11:03:37
確かに戦争するためには兵士に食べさせないといけません。
決して戦国時代が平和だったから、戦争をするだけの食料が取れたのではなく、生き残るためにみんなが工夫して競争した結果だと思う。相手より1人でも多く兵士を集めなければ自分が滅ぶとなれば、必死に工夫するでしょう。

462: 日本@名無史さん 2010/08/16(月) 17:00:02
>>460
むしろ、略奪に行く機会を与えるために戦争いたみたいだぞ
略奪にでも行かないと生きていけないほど困窮した人が少なくなかったみたい。

当然ながら、略奪されて飢えた人も多かったんだろう。

引用元: ・本当は平和だった戦国時代



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