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1: 日本@名無史さん 2008/04/06(日) 14:20:36
江戸大名の二大左遷地について語りましょう。








3: 日本@名無史さん 2008/04/06(日) 18:23:47
譜代の左遷地高田藩も仲間に入れて

4: 日本@名無史さん 2008/04/06(日) 19:14:42
保科正之以降の出羽山形も有名な左遷地。

5: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 12:16:15
左遷地はまだまだある
陸奥棚倉や越後村上に加え…出羽山形、陸奥白河、陸奥福島、越後高田

とくに山形がひどい。昔は57万石の城下町だったのに

8: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 19:18:58
>>5 
山形城はやたらデカイ。
江戸城より広い
だから小藩には維持できずに幕末は荒れ果てていた

6: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 15:07:19
庄内藩は裕福だったんだろ?

7: 村上藩主内藤備前守 2008/04/07(月) 15:27:43
羽州荘内は表高15万石ながら、実収は20万石を越えることは、周知の事実であります。
ご承知のように、川越藩松平大和守殿は大御所さまの第24子紀五郎君を世嗣に戴いております。
また、川越藩が多年の財政逼迫に疲れて、先年、水野出羽守様に姫路移封を画策されたのも広く噂のあったことでございます。
おそらくは川越藩が、莫大な黄白を使って、大御所の寵愛が衰えぬ、紀五郎君の生母おいとの方を通じて大奥から大御所に働きかけたものであろう

9: 日本@名無史さん 2008/04/08(火) 13:43:40
白河って左遷の地なの?

10: 日本@名無史さん 2008/04/09(水) 08:38:40
白河に限らず、奥羽への転封は皆嫌がった。
酒井左衛門尉忠勝が出羽鶴岡に転封になったときも不満を将軍秀忠に述べたらしいけど
結局は説得されてのまされたという。

11: 日本@名無史さん 2008/04/19(土) 09:50:45
宮内大輔忠勝な

15: 日本@名無史さん 2008/04/19(土) 12:09:42
太閤検地の出羽、佐渡、土佐あたりは明らかに過少申告ぽい

20: 日本@名無史さん 2008/04/19(土) 18:35:12
白河は左遷地じゃないでしょ。どちらかと言うと名誉ある封地。
ただ、実利は乏しい。時代が下がれば下がるほど「名誉」と言う名前の負担が増加していくかんじ。

21: 日本@名無史さん 2008/04/19(土) 19:02:37
延岡な。未開墾地がかなりあったらしいから領主がその気になればいくらでも新田開発可能な感じもするが、その辺どうなんだろ

22: 日本@名無史さん 2008/04/19(土) 19:15:26
延岡も平も左遷とはいえないでしょう。
まず、平は4家(井上は10年だから、実質3家)しか治めていないし、延岡も内藤家が後半124年にわたって治めているんですよ。
ただ単に内藤家がお家騒動で平から延岡に転封させられただけじゃないですか。

26: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 12:14:51
太平洋戦争時の畑俊六陸軍元帥は棚倉出身。

27: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 19:29:02
棚倉は出世の登竜門
丹羽も立花も
棚倉から準国主に帰り咲いた

29: 日本@名無史さん 2008/04/27(日) 15:39:17
>>27
最初はそうだった。時間が立つに連れて左遷地となった。
地理的にはそこそこ重要な所だったのだけど・・・。

31: 日本@名無史さん 2008/04/27(日) 17:55:13
棚倉は実に、住むのは悲惨。棚倉というより穴倉みたいなところで盆地だから、夏暑いし冬は凍える。本線からは離れているから何をするにもまず白河まで出なきゃならない
江戸時代から生産性が低い見本みたいな土地だよ

35: 日本@名無史さん 2008/04/29(火) 12:41:04
>>31
ばかな。
棚倉から白河に出るということはないよ。
棚倉の場合、江戸時代は現在の茨城県の大子を通って大田にぬけるか(大田街道)、直接平潟にぬけるかですね(平潟街道)。
現在は白河との繋がりが強いですが、ついさっきの戦前までは白河とのつながりよりも同じ県内の石川郡とか茨城県とのつながりのほうが断然強かったですよ。
あと気候ですが、白河もですが、棚倉は夏は涼しくて冬はあったかです。あと、雷の多発地帯です。

40: 日本@名無史さん 2008/05/13(火) 21:23:41
棚倉って幕末は十万石だったんだろ?
飛び地がたくさん、領土的には会津・二本松・相馬藩程度の広さだったろう

51: 日本@名無史さん 2008/05/19(月) 19:57:20
棚倉なんて田舎いやだよ。
でもあんなに大名家が入れ替わったということは相当重要な場所だったんだろう。
本当に左遷の地?

53: 日本@名無史さん 2008/05/19(月) 21:08:03
>>51
左遷の地だから、ひんぱんに入れ替わったんだよ。
ミスをしでかす奴が出るたびに、そいつが棚倉に飛ばされ、そこにいた大名は別のとこへ返り咲く。井上家なんかそうじゃなかったっけ?あのスケベ大名の家。

54: 日本@名無史さん 2008/05/19(月) 22:10:36
奏者番井上河内守正甫(40)は同僚の内藤大和守の屋敷で、農家の女房に「押して不義」に及び、遠州浜松から陸奥棚倉に転封となった

55: 日本@名無史さん 2008/05/19(月) 22:26:09
「色でしくじりゃ井上様よ」

うわさがうわさを呼び、江戸城の門前で「お○○こ大名!」とかやじられたとか聞くけどマジかな?

57: 日本@名無史さん 2008/05/20(火) 01:06:07
内藤新宿の内藤大和守下屋敷敷地内の百姓家で、井上河内守が女房の秘書所にあてがい、犯していたら亭主が帰ってきて、亭主と河内守がもみ合ううち、河内は太刀で亭主の腕を切り落としてしまった
井上河内は奏者番を休職して騒ぎがやむのを待っていたが、久しぶりに登城した河内守に他藩の中間たちから
「待ってました!強淫大名!」「密夫大名!」「百姓女の味は如何でござる?」「満腹満腹」
とヤジが飛び、まわりの武士からは「何事だ?」と聴かれると
「実はですねえ」
と河内守のスキャンダルをばらしたせいで幕府も見て見ぬふりができなくなり、

「奏者井上河内守、尊慮にあらずして、職解かれ御前を留められる」(徳川実記)とあるように、正甫は奏者番を免職、差控を命じられ、さらに井上を遠州浜松から陸奥棚倉へ、棚倉の小笠原主殿頭を肥前唐津へ、唐津の水野伊豆守を浜松へ移封させた

60: 日本@名無史さん 2008/05/21(水) 03:13:08
>>57
中間ごときが態度でかすぎw

61: 日本@名無史さん 2008/05/21(水) 14:20:55
渡り中間 なんて言葉があるように中間は基本、臨時雇いだから大名家に対する忠誠心とか大名家の体面とか薄いんだろうね
集団意識もあって、平気で他家の大名を罵倒するんだろうな

59: 日本@名無史さん 2008/05/20(火) 20:42:29
小笠原は元掛川藩だったが、怪盗日本左右衛門事件のとばっちりを受けて棚倉に移封された

63: 日本@名無史さん 2008/09/20(土) 20:58:17
村上からさらに左遷されて鯖江に行った間部は

64: 日本@名無史さん 2008/09/20(土) 22:14:30
幕末に老中となる

66: 日本@名無史さん 2008/09/20(土) 23:34:15
ウキウキしながら城の縄張りしてたら維新

引用元: ・陸奥棚倉VS越後村上



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