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1: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 00:29:19.64 0
最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。

興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える








167: 世界@名無史さん 2012/09/15(土) 15:32:32.66 0
バルカンのモザイクはオスマン支配の解放の歴史だけど、実際はプロテスタントの発生やスラブの各国正教自体がオスマン出現に起因しているから、もしかするとオスマン支配がなかったら、キリスト教国も民族の概念自体も存在しなかったかもしれない。

168: 世界@名無史さん 2012/09/16(日) 03:26:25.92 0
まあブルガリアの正教はトルコが来る前から勝手に総主教立ててたけどな

169: 世界@名無史さん 2012/11/04(日) 20:09:36.94 0
セルビアも勝手に立ててなかったっけ

175: 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:8) 2013/02/03(日) 10:11:35.72 O
セルビアではオスマントルコの統治下に入ってから、有力者はイスラムに改宗したし、近代ナショナリズムに目覚める頃には「セルビア人」はほとんど農民だった。
そもそもカラジョルジュからして血統はよく判っていない。
カラジョルジェヴィチ家は、近代セルビア王国およびユーゴスラビア王国の王家。第1次セルビア蜂起の指導者カラジョルジェに始まる家系。

1842年から58年まで及び1903年から45年にかけて指導者、君主を輩出した。1945年、ユーゴスラビアの共和制移行により王位から退けられ、亡命生活を送っていたが、2001年に帰国を果たした。


188: 世界@名無史さん 2013/02/25(月) 16:45:12.63 O
>>175
19世紀半ばのセルビア王国成立までの時代、セルビア人の文化、経済、人口の中心はハプスブルク直轄領の軍政国境地帯(ヴォイヴォディナ・スラヴォニア・クライナ辺り)。
商工業をはじめ、軍人、学者などの職業につくセルビア人は多くいた。

カラジョルジェはモンテネグロの山岳地帯の部族出身。

190: 世界@名無史さん 2013/09/14(土) 22:57:43.24 0
>>188
カラジョルジェのカラってトルコ語の「黒」から来てるのかな

176: 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:8) 2013/02/03(日) 10:24:40.42 O
あと、オスマン統治下から衰退期にかけてのバルカンでのギリシャ人の存在は興味深い。
ワラキア等の太守はある時期からずっとギリシャ人だったし、バルカン全域にギリシャ商人のネットワークがあった。

「フィリキ・エテリア」で調べてみると面白いよ。

フィリキ・エテリアは19世紀前半にオスマン帝国統治下のギリシャにおいて活動した秘密組織。

トルコの支配を排し、ギリシャ人による独立国家を設立することを目的としていた。フィリキ・エテリアのメンバーは、ロシア帝国に在住するギリシャ人が中心となっていた。バルカン半島でのロシアの影響力を拡大しようとするロシア政府が、組織に物質的援助を与えていたと言われる。彼らの決起が1821年に始まるギリシャ独立戦争の嚆矢となった。


177: 忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) 2013/02/03(日) 13:17:31.10 O
すみません。ちょっとスレチでしたね。

178: 世界@名無史さん 2013/02/08(金) 18:43:50.49 0
ギリシャ人の商人ネットワークは面白そうだな
ユーゴ域内を侵食していたならスレチじゃないでしょ、今のギリシャ人は古代の面影の片鱗も感じられないけど言葉だけは古代ギリシャ語の直系子孫だからなあ、

179: 世界@名無史さん 2013/02/20(水) 21:09:36.63 0
クロアチア人はホルヴァト人といってポーランドの南部から。
セルビア人は白ソルブ人といって東ドイツのソルブ人と同じで、ポーランド西部から出た。
おそらくスロヴェニア人(オーストリアと合わせて中世カランタニア人)はポーランド南西部シレジアから出た。
これらはいわゆるスクラヴェン人(スラヴ人)の諸部族。

こんなところ?

ブルガリア人はアント人(東スラヴ人)がブルガール人を同化吸収した形。
マケドニア人はおそらくもっとアント人ぽい。
アント人はウクライナから来た

180: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 01:04:14.70 0
ビザンツ史料では「バヴァリアの彼方」にいたという白クロアチア人についての記述で
Kloukas Lobelos Kosentzis Mouchlo Chrobatos Touga Bougaといった人名が残されているが、これらはイラン系と考えられており実際ドン河下流域にChoroathosというイラン系の地名が存在した。

黒海北岸のイラン系遊牧民が西に移住してスラヴと同化したのだろう。
マスウーディーの地理書にも白クロアチア人の首長は馬乳酒を飲むと記されており支配層における遊牧民文化の残存か。

セルビア人についてもドン河流域にいた「セルボイ」やカフカスの「サルバン」といった部族との関連が考えられている。

181: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 07:22:06.33 0
スクラヴェン(バルカンのスラヴ語派の諸部族、スラヴ)はどの部族もヴェンド(ヴァンダル=西スラヴ)とアント(東スラヴ)が多少なりとも混ざっているんだろう
クロアチア人もセルビア人も基層としてはヴェンドで、バルカンでアントと混交

アントに濃く混じっているイラン系遊牧民は間違いなくサルマタイ人

182: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 07:39:40.97 0
アント人はサルマタイ人と、その前は遊牧系スキタイ人を同化吸収している。
ウクライナにおける農耕民に遊牧民が次々と吸収されて成立したのがアント人(東スラヴ人)。

200: 198 2014/01/02(木) 14:27:49.03 0
ヴァンダル=西スラブと言いきっていいのか?

201: 世界@名無史さん 2014/01/02(木) 14:33:32.63 0
Nie.
ヴァンダルは後に西スラブに変遷することは確かだが当時はどうかは言い切れない。
考古遺物や中世初期の文献による傍証は有る為可能性は高いとだけ。

202: 世界@名無史さん 2014/01/02(木) 14:34:50.86 0
ただしヴェンドのうち南下したのがスクラヴェン。要するに南スラブの祖。

203: 世界@名無史さん 2014/01/02(木) 14:48:49.12 0
ヴァンダルという呼称は実は古代から中世中期まで途絶えた時期が無い。
途絶えた時期があるならそのどこかで住民が別の住民に入れ替わっていることも考えられるのだが、それが無いため、考古遺物の連続性もあることから、古代のヴァンダルは中世の西スラヴ(と南スラヴ)に連続していると考えられる。

219: 世界@名無史さん 2015/07/14(火) 00:49:15.44 0
スラブってロシアが強大になるまでは概ねやられ役の歴史なわりに、最後に言語と血統を残してくるとこがスゲーよな

220: 世界@名無史さん 2015/07/14(火) 22:37:29.40 0
>>219
たまにはポーランド・リトアニア王国さんのことも思い出してあげてください。

232: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 22:24:31.72 0
東スラブはなんだかんだ大筋は想像つくんだが、本題にもどって南スラブだ
連中、ユスティニアヌス1世の治世後半あたりから急に沸いて出てきやがる
なんとなく南ポーランドあたりからパンノニア平原を越えてきたのは分かるんだが
終局では、アヴァールあるいはブルガールの雑用係として随伴してきたのか?

233: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 22:59:40.55 0
>>232
アヴァールはバルカン半島南部まで侵入していないし、ブルガールはスラブ族の移動のあとから侵入している。

政治的野心を持たない集合体だったのかな。

234: 世界@名無史さん 2015/07/20(月) 23:32:38.76 0
アヴァールはバルカン側からスラヴ引き連れてコンスタンティノープルに迫ってはいたな。
ベリサリウスに華麗に撃退されてたけど。

235: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 00:03:57.43 0
ユスティニアヌス1世の治世前半パンノニアとイリュリアは東ゴート領だった
東ローマ軍がイタリアに侵攻すると東ゴート軍はイタリアに集結したのでパンノニアとイリュリアは無防備となりスラブ人が侵入し始めた

236: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 00:13:26.41 0
ユスティニアヌスってバカじゃないのか

237: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 00:45:15.23 0
足元が見えてないとこはバカと言われてもしょうがないかw
ただ東ゴートと比べてスラブの戦闘力はかなり落ちるんで、それで見誤ったのかもね
スラブ単体が相手なら、面では守りきれないにしても点では撃破できる感じだったようだし
・・・少なくとも当人の存命中においては、重要都市で陥落したところはそれほど多くない

239: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 10:22:57.26 0
侵略者としてではなく、移民として入ってきたから、イマイチ敵として認識できなかったのだろう。

240: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 15:29:22.99 0
そんでも、旧・東ゴート支配地からビザンツ領にわらわら入ってきてる時点で対処すべきだった
ユスティニアヌスが生きてる間にテルモピレー周辺まで到達してんだぞ、なんで放っておけるんだ?
帝権に伏さない蛮人が首都から300-400kmのとこでウジャウジャいて生計たててるのは気味悪かろう

241: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 17:50:31.24 0
ユスティニアヌスの治世にはペストの大流行が始まった
都市の住民や集団生活する軍隊は疫病で壊滅していった
都市に住む習慣がなく農村で自給自足のスラブ人は疫病に感染しにくかった

243: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 20:27:41.49 0
そういやギリシアってスクラヴィニアと呼ばれて、ほぼ全土がいったんスラブに征服されたよね
んでテッサロニキとアテネとモネンヴァシア(ペロポネソス半島東南端)だけがギリシア人の手に残った
この状態が7世紀前半から約200年間、ニケフォロス1世の再征服まで続くわけだけど・・・
彼はちゃんと民族浄化できたのかな?ギリシア人を故地に強制移住させたりはしてたようだが

244: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 21:05:45.49 O
>>243
スラブ人はギリシャ人に比べて少数派だった可能性は

245: 世界@名無史さん 2015/07/21(火) 21:06:08.03 0
ギリシャ本土へのスラブ人の侵入によりギリシャ人はアナトリアへ避難したがアナトリアにトルコ人が侵入した時にギリシャ人はこんどはアナトリアからギリシャ本土へ避難したのでギリシャ本土は再ギリシャ化した

246: 世界@名無史さん 2015/07/23(木) 14:56:30.65 0
侵入したスラブ人に政治力があれば、今頃ギリシャは南スラブ後圏。
もったいないことをした。

247: 世界@名無史さん 2015/07/23(木) 15:52:53.01 0
バルカン全土がブルガリア領とかで完全にスラブ化していたのならば東ローマはアナトリアを死守しただろうからトルコ人はアナトリアへ移住出来ずイラン全土がアゼルバイジャンのようにトルコ化しただろう

248: 世界@名無史さん 2015/07/23(木) 16:57:24.66 0
なんという希望的観測・・・東ローマスレの住人が聞いたら喜びそうだw

251: 世界@名無史さん 2015/07/23(木) 20:52:45.24 0
軍人皇帝時代以来バルカン出身の将兵がローマ軍の主力だったから
バルカンが壊滅すると地中海帝国は再起不能となった
ユスティニアヌスとベリサリウスら自身もバルカン出身だった
アナトリア出身者の武力ではアナトリアを守るのが精一杯
無理してブルガリアを倒してバルカンを奪回すると
ほどなくしてアナトリアをトルコに奪われてしまった

255: 世界@名無史さん 2015/07/24(金) 14:52:09.09 0
農耕民のスラブ人に比べて遊牧民のトルコ人は人口が少ないのでキリスト教化したらそのままギリシャ人に吸収されただろう
異教徒の言語であるギリシャ語をトルコ人は拒絶したようだ

イリュリアやトラキアは牧畜が盛んでローマ騎兵の供給源だからスラブ人よりも元々人口が少ないのでスラブ化してしまったようだ

256: 世界@名無史さん 2015/07/24(金) 17:39:25.39 0
しかし、キリスト教が中近東で定着しないのは何故かね?
現代ですら、シリア・イラクのキリスト教は風前のともしびだ。

257: 世界@名無史さん 2015/07/24(金) 22:22:55.86 0
一神教から一神教への改宗は難しいよ
それに、今のキリスト教はお膝元ですら信仰心弱まってるし

ピレンヌの著作の注に、7世紀後半にリビア~チュニジアの取り合いしてた頃ベルベル人は30回ぐらいキリスト教⇔イスラム教の改宗したとあって、面白かったけどw

261: 世界@名無史さん 2015/07/25(土) 18:19:03.14 0
本当にチトーってありえないほどのチート統治者だよな
あれだけ利害関係が錯綜してる状況で完全にコントロールできるのは神業に近い

ヨシップ・ブロズ・チトー、またはヨシップ・ブロズ・ティトー(1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領、ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者である。

いびつに配置された多民族による社会主義連邦国家において、チトーの作り上げた体制は絶えず分裂の引き金となりながらも、チトー個人のカリスマと少数民族に配慮した政策によって、国内の民族主義者の活動が抑えられていた。それがユーゴスラビアを一つの統一国家に収斂させて秩序を安定させ、またアメリカともソ連とも距離を置いた独自の立場を確立していたが、チトーの死後、カリスマを失った体制は崩壊へ向かうことになる。


263: 世界@名無史さん 2015/07/25(土) 20:59:40.53 O
>>261
強権を振るう一方でマイノリティへの気配りも欠かさなかった

264: 世界@名無史さん 2015/07/25(土) 21:27:38.82 0
年齢的に無理な話だが、なんとか冷戦崩壊から落ち着くとこまで生きてたらと想像しちまうな
ユーゴスラビアとしてEU加盟の目処がたったとこで死去なら、違う展開もあったかもしれない

265: 世界@名無史さん 2015/07/26(日) 16:23:42.94 0
>>264
旧ユーゴの諸民族に求心力がないから、遅かれ早かれだろうね分裂は。

267: 世界@名無史さん 2015/11/06(金) 13:30:32.42 0
民族の違いもあるけど、歴史・文化の違いが統一を長続きさせられなかった真因だな

スロベニア人・クロアチア人には屈辱の40年間だったに違いない

283: 世界@名無史さん 2016/08/26(金) 05:06:37.13 0
>>267
>スロベニア人・クロアチア人には屈辱の40年間だったに違いない

屈辱を押しつけたチトー自身が皮肉にもスロベニアとクロアチアのハーフという・・・・

268: 世界@名無史さん 2015/11/11(水) 18:21:27.26 0
ヴォイヴォディナ地方はセルビア人やクロアチア人に加えてハンガリー人やスロバキア人やルテニア人などがいても内乱など起こらず平和だけどね。
連邦制採用が紛争と分裂を招いた気がするなあ。
チトーの失策。

270: 世界@名無史さん 2015/11/12(木) 19:01:07.46 0
民族主義に蹂躙されながらも最後まで残った多民族国家ハンガリー王国の残滓
旧ユーゴ最後の良心
それがヴォイヴォディナ自治州

273: 世界@名無史さん 2016/06/22(水) 18:35:25.51 0
冷戦時代のユーゴスラビアはソ連・イギリス・フランスに次いでヨーロッパで4番目に大きい軍事力があったらしいな。
しかも日本からロケットとその推進剤製造設備を買って軍事転用してるし。

277: 世界@名無史さん 2016/07/02(土) 19:38:20.14 0
ユーゴスラビアでは以外にもロボット工学が発達していたらしいな。
ミオミール・ブコブラトビッチが二足歩行ロボットの制御法を開発してる。

286: 世界@名無史さん 2016/08/27(土) 22:24:09.62 0
イヴォ・アンドリッチの「ドリナの橋」を読んでみると オーストリアの支配下に入ったボスニアの田舎町にオーストリア=ハンガリー領各地から人々が移り住む場面が描かれてた。
ボスニア出身のオシム元監督の先祖もこの時代によそからボスニアへ移ったクチなんかねえ・・・

287: 世界@名無史さん 2016/09/02(金) 10:54:00.55 0
イヴィツァ・オシムは何故か日本ではドイツ系の人という事になっているが、オシムという姓はアシムやウシムといったようなイスラム風の名前
ゲルマン系の名前ではない

288: 世界@名無史さん 2016/09/02(金) 19:29:58.41 0
それよく分からんのよ
Wikiに父方の祖父母がドイツ系と書いてあるが、俺の読んだ本だと父はムスリムの共産主義者だと言っていた
ということは、祖父母か父親の代で改宗して名字も変えたってことか?
母方は祖父がポーランド人、祖母はチェコ人でミュンヘンに住んでたともWikiに書いてあるがさて

289: 世界@名無史さん 2016/09/02(金) 23:44:47.19 0
この書き込みは、 Ivica Osim氏のいかなる名誉を毀損するものではありません。
情報は、可能性であり、盲信しないでください。

1)Osim氏は、東欧のユダヤ人の集団に属するのではないか?
2)理由
Osimという名前は、Yusimに由来し、このYusim姓は、イスラエルに非常に多い名前です。(Osimは、男性形の名詞です。)
この名前は、もともとYosemであり、東欧ユダヤ人(アシケナージ)の名前としては、Yossem, Josem, Yosim, Yusem, Yusim, Jussimなどの変形態として現れます。また、イスラエルにおけるヘブライ語では、Iatom(ルーマニア語式のローマンアルファベット表記です),Yathom, Yatomと表記されます。同様の由来の名前は、アラビア語にもあり、Yatim, Yattimとなります。
Osimという名前は、クロアチアにもごく少数ながら存在し(ユダヤ人関係の名前でしょうが)、Ivica Osim氏がクロアチア人ではないか?という可能性もあります。
この単語(姓)は、上記のとおりヘブライ語でYosemですが、この意味は、「孤児」です。同様に、イディッシュ語(東欧ユダヤ人が使用するドイツ語の影響を強く受けた言語)でも同様です。この名前を使用するユダヤ人は、ハラハーを信仰する正統派ユダヤ教徒です。ハラハーとは、ヘブライ語の聖書の法と法の解釈について定義するタルムード文学です。
(つづく)

290: 世界@名無史さん 2016/09/02(金) 23:45:45.41 0
>>289
つづき)
上記のイディッシュ語を使用するユダヤ人は、中欧、東欧に分布し、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、とくにドイツに多い名前です。
このイディッシュ語(Osim/Yosemの姓を持つ人々を含むことが多い)を話す人々は、少数言語使用者として、イスラエルをはじめとして、ボスニア=ヘルツェゴビナ、オランダ、ポーランド、ルーマニア、スウェーデン、ウクライナに認められます。
整理しましょう。
Yosem (ヘブライ語・イディッシュ語)-->Yusim (イスラエル他での名前):「孤児」の意味-->Osim(東欧のユダヤ人の姓)

推定(あくまで推定です:盲信厳禁!盲信厳禁!):
Osim氏は、東欧のユダヤ人の系統の可能性がある。先祖が、上記の地域(ポーランドやドイツ)からボスニア・ヘルツェゴビナ地域へ移住してきた可能性がある。また、もしかしたら、クロアチアやセルビア(両者の言葉はまったく同一)にいた東欧ユダヤ人かもしれない。
I. Osim氏の出自の詳細が語られないのは、このような事情があることも考えられる。あくまでも可能性です。盲信しないでください。
以上です。

291: 世界@名無史さん 2016/09/02(金) 23:50:56.51 0
ちなみに、旧ユーゴスラビア国民には、国民各個人が帰属する民族名を記入する項目が戸籍にありましたが、民族主義を打破しようとする人々(ユーゴスラビア国民)は、その項目をユーゴスラビア人としました。
セルビア人やクロアチア人などとしないで。しかし、そのような人々は、ユーゴスラビアの解体によって、大きな苦渋を受けることとなります。
悲しいですね。

293: 世界@名無史さん 2016/09/11(日) 15:21:26.62 0
>>291
悲しいな(´・ω・`)

引用元: ・【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について



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