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108: 世界@名無史さん 2013/12/28(土) 01:42:03.64 0
曹丕が導入した9品中正法の余韻のせいで胥吏の世襲化を科挙が防ぐことはできなくなったって本当?

109: 世界@名無史さん 2013/12/28(土) 12:08:50.08 0
九品中正法以前から人材が官吏になるには地元の名士の前で功を積んで推挙されるのが近道だった時点で何とも言えんわ

110: 世界@名無史さん 2013/12/28(土) 22:11:45.09 0
胥吏と官吏は別物だぞ…

111: 世界@名無史さん 2014/01/02(木) 23:05:00.36 0
九品中正法は官吏の登用法に関するものであって地元の推薦から中央政府主導の登用を狙ったもの
これは実際には果たせず地方有力豪族の貴族化を進めることとなったが胥吏は地元民間人が無給で徴用されて仕事をするもので別物

官吏は異動があるが胥吏は地元の民間人を採用して再任が繰り返されるため地元有力者がこのポストを押さえ続け給与が無い分庶民から賄賂を取り続けて憎まれた

112: 世界@名無史さん 2014/01/03(金) 15:23:41.31 0
なお中国では科挙の導入によって貴族階級は時間をかけて試験を通じて一掃され皇帝による直接帝政とも呼ぶべき体制が確立されていくことになる
このため一貫して皇帝は強力な独裁者であり続けた

現代の独裁政権が国内に競合相手を持たず官僚を手足に絶対的な権限を振るうのと似た形式

120: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 06:13:40.03 0
呉の奇襲さえ無ければ関羽の北伐は成功できたまで話を戻すか

123: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 12:23:18.34 0
>>120
「北伐の成功」の定義次第かな

北伐の成功が荊州確保ってんならまあ可能性は半々くらい
前線を長江から漢水まで引き上げっていうならほぼ確定だろう

これ以上の戦果が出るとしたら呉の奇襲並の事件が魏に対して起こらないといかんな
魏諷のクーデター成功とか

122: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 11:43:40.61 0
>>120
奇襲w
そんな面白そうな流れあったのか見たかった

124: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 13:57:54.07 0
関羽の軍は樊城で多少手こずってても包囲は完璧だったんだと
それが呉が裏切ったせいでおじゃん、撤退するはめになったんだと
これ魏書にちゃんと載ってる記述だからなしかも裴松之の註じゃなくて

125: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 16:24:52.45 0
呉が裏切る原因を作ったのは関羽なんだけどな。

126: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 16:27:00.35 0
樊城攻撃は守りの堅い襄陽を回避していきなり後方を攻撃して孤立させようという奇策
この奇策が一時的に成功したところで襄陽の攻略は容易ではないのに無傷のままの襄陽が健在な点は無視されることが本当多いな
結局演義の脚色で樊城さえ落とせれば!ってイメージが固定化されてしまっているんだろうけど

129: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 17:36:11.68 0
>>126
近隣の城が落ちたことは普通に考えれば士気が落ちるし無傷だろうがあっさり降伏することも考えられると思うよ

130: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 18:42:02.67 0
>>129
希望的観測過ぎるだろ、城の規模が違い過ぎる
襄陽ってどれだけ人口いたと思ってるんだ

128: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 17:33:08.70 0
襄陽と樊城てセットみたいなもんだから
対岸である片方が落ちればやばいんじゃないの?

131: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 19:11:02.83 0
樊城まで攻撃に晒されてる時点で漢水の制水権って関羽側にありそうだけど樊城解放後の魏軍ってどうやって漢水渡ったんだろう?
運河とかで他の河川から水軍引っ張ってきて普通に関羽側の水軍打ち破ったのか適当な筏とかで渡れる程度だったのか、実は関羽は漢水の制水権を掌握できていなかったのか

133: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 22:00:33.19 0
関羽が徐晃に普通に負けた事って、何故か無かった事にされる事が多いよね。

134: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 22:03:53.14 0
>>133
普通にではないだろ
お前も勘違いしてるよ

137: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 22:33:06.45 0
>>134

ああすまん、普通じゃなくて壊滅的大敗だった。
関羽軍は自ら入水自殺する者が多数いた程だったらしいからな。

138: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 22:43:56.29 0
>>137
普通じゃなくて孫権の裏切りを前提とした勝利だろ
矢文工作とかあるから徐晃も勝てた

それと徐晃伝の記録をそのまま信用もできないな
関羽はその後、軍をまとめて江陵に向かったけどその時に襄陽の包囲は結局全く緩まなかったことから包囲軍からそれほど引き抜いた様子がないと判断できる

139: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 23:02:49.88 0
>>138
矢文工作程度でボロボロにやられる関羽軍てどんだけ~

140: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 23:26:35.41 0
>>139
矢文工作だけで勝敗が決するわけじゃないけどその後押しにはなってる
徐晃が近くにいても孫権の側面攻撃なければ下手すると襄樊のどちらかが開城してしまう可能性も有り得たので関羽が完全に後続分断されたという情報ってのは君の考える以上にでかいよ

136: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 22:11:57.75 0
曹操は徐晃に命じて孫権の裏切り文を包囲されてる友軍にも、関羽軍にも矢文で打ち込んでる

ボロボロだった襄樊は「志氣百倍」といわれる程奮い立ち、これで完全に降伏による落城がなくったし
徐晃側も勝てるってことで燃えるだろう

154: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 17:48:55.65 0
呉が邪魔しなきゃ関羽が徐晃に勝てた、ってのも怪しいけどな
徐晃だって名将だし、蜀軍は連戦で疲労もあっただろう。兵糧庫襲った経緯から見ても余裕は無かった筈

155: 世界@名無史さん 2014/01/20(月) 03:58:30.69 0
>>154
徐晃は名将で北岸の包囲を解くことに成功した、としても
南岸は完全に制水権抑えてる蜀のものだし、制水権奪おうにもでかい水路ないから
史実でも関羽負けてさえ包囲継続されてるから呉が邪魔しなければ
そのまま漢中の劉備と襄陽包囲を継続してる関羽、孤立しないから裏切りもしない孟達の連携があって
結局曹操がどこへ行こうと、曹操の居ないところへ攻撃されて、魏は前線を後退させることになるだろう

156: 世界@名無史さん 2014/01/20(月) 11:55:41.91 0
>>155
兵糧持たんだろ。

149: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 07:09:14.90 0
関羽が樊城を攻撃したのは暴動がそこで起こったからだとも
陳寿は書いている

151: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 11:12:59.06 0
たしか樊城で反乱がおきてそれを曹仁がすぐについて鎮圧したんだよな
だとすれば対岸の襄陽の状態も怪しいところだな…

153: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 16:34:06.18 0
魏の勝利を知ってる後世の人間は後知恵で呉が余計なことしなければって思うけど
当時の人からしたら魏は相当動揺しており蜀が独り勝ちしかねない情勢に見えた
呉にとってその蜀軍を助けるような北進は論外だろう

161: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 06:41:06.72 0
>>153
無理があるな
関羽の北上一つで魏より脅威になるとでも思ってんのかよ

159: 世界@名無史さん 2014/01/20(月) 23:39:18.68 0
本格的に動員をかければ魏のほうが圧倒的なのであって襄陽確保するには魏が諦めてくれないといけない
漢中と違って中原に近い襄陽を諦めるとは思えないのでどうやってもいずれは奪回される

当時は呉も蜀も数万レベルの動員がせいぜいだったのに洪水と失策が重なり3万を一気に
失った直後に逆襲に転じられる魏の国力は圧倒的すぎる

162: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 13:01:26.39 0
関羽の北上は後詰が無いから厳しいだろうね。単発ではいずれ国力に勝る魏に押し返される

164: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 18:07:27.91 0
>>162
孟達らがその後詰になるんだよ
もう少し時間あれば何とかなった

だからこそ孫権のここぞという裏切りの見極めは素晴らしかった

179: 世界@名無史さん 2014/01/24(金) 21:14:40.18 0
孟達は軍の指揮者としてこう考えるだろう

「自分の任務は房陵・上庸の掌握で成功したのに、計画外の軍事行動でフイにしてたまるか」と。

孟達はとうぜん節鉞などは持っていないが、この当時の知識人の常識として
「一旦軍を預かって外に出たならば王命といえども違えることがある」
という指揮者として当たり前の原理原則が「増援拒否」という判断の後ろにあったはず。

孟達を監軍する役の劉封もたまったものではなかっただろう。
孟達が気前よく兵を残してくれるとは限らないし、増援として意味のない兵力を差し向けても意味がない(どころか自分のせいにされる恐れまである)。




以上の理由から孟達に増援を要求したのが関羽だとすると(俺は情況証拠から関羽説を取る)、孟達の任務を理解しておらず、かなり利己的な話といえる。
もし仮に劉備が命令してそれを拒否したとすると、孟達と劉封は正史に描かれている「曖昧な立場」で収まるわけがなく、命令拒否の時点で明確に処分の対象となっていたと思う。

180: 世界@名無史さん 2014/01/25(土) 13:12:50.83 0
荊州では関羽も命令権者という事忘れてるな

189: 世界@名無史さん 2014/01/29(水) 22:20:43.13 0
呉からすれば、蜀は赤壁と周喩の病を利用して荊州を奪い、益州取ったら返すと言っていたくせに返さない屑
蜀からすれば、呉は蜀が自力で勝ち取り、劉表の息子から受け継いだはずの荊州に意味不明な所有権を主張する屑
蜀が弱小の身だから仕方なく脅迫に屈したふりをしただけなのに何勘違いしてんだ?それより倒さなきゃならない敵は曹操だから同盟してんだろ、と

190: 世界@名無史さん 2014/01/29(水) 22:30:53.25 0
>>189
その後、正式に涼州取ったら返却するということが口約束ではなく条約で確定してるし、呉もそれで納得してるから返さないクズ、という批判は間違ってるけどな

191: 世界@名無史さん 2014/01/30(木) 00:01:59.07 0
孫権はあれでも群雄割拠の時代を勝ち残ってきた男だからな
自国の領土が脅かされても黙って見てるようなお人好しだったら、とっくに消えてるだろう

197: 世界@名無史さん 2014/02/01(土) 01:20:56.90 O
関羽っていくつで死んだの?

198: 世界@名無史さん 2014/02/01(土) 10:11:06.64 0
178年3月に関平が生まれたとか、そのへんから換算してみれば

199: 世界@名無史さん 2014/02/01(土) 12:55:21.25 0
民間伝承の関平の生年なんかよりは
関羽の活躍時期から考えた方が正史スレとしてまだマシだと思うが

200: 世界@名無史さん 2014/02/02(日) 01:08:16.31 O
いや正確な没年齢が知りたいわけじゃない
だいたいの年齢でいいよ
死ぬ頃の肉体的な衰え具合を想像したいだけだから

201: 世界@名無史さん 2014/02/02(日) 13:20:35.92 0
だいたいの年齢と言ったって
正史からは劉備の生年±5かそれ以上の幅がある
としか言いようがない

202: 世界@名無史さん 2014/02/02(日) 19:32:53.68 0
50~60辺りだろ

203: 世界@名無史さん 2014/02/03(月) 01:03:21.69 O
そんな長生きだったのか?

204: 世界@名無史さん 2014/02/03(月) 01:31:46.48 0
呂岱なんて90近くまで現役ですがな

205: 世界@名無史さん 2014/02/03(月) 12:57:55.31 0
蜀でも80近い人が愚痴ってるし

206: 世界@名無史さん 2014/02/03(月) 23:54:16.50 O
食糧事情や医療がわるかったろうによくそんな生きてたな
うそくせえよな

208: 世界@名無史さん 2014/02/04(火) 07:54:13.87 0
成年後寿命なんて結構高いものだよ。ゾロアスターの時代でさえ80歳まで生きることを
前提に話をしてるし

209: 世界@名無史さん 2014/02/04(火) 08:00:48.67 0
曹操の一族がそうだったように若死にする奴も多いけど長生きする奴も多いんだよなあ
司馬懿の一族みたいに

210: 世界@名無史さん 2014/02/04(火) 20:11:52.63 0
そういや三国では宦官の状態やその養子制度とかどうなってんの?
蜀の黄コウだって、前漢の石顕のように気に入られて政治にも口は出していたけど
逆に言えばその程度と言えるし、彼個人にとどまり宦官全体のことでもないし…

後漢唐明において酷いというのは聞くけど三国では全体としてどんな状態なの?

211: 世界@名無史さん 2014/02/04(火) 21:35:33.84 0
蜀以外はたまに宦官の記述がちらほらある程度で大した影響力は持たなかったんだろう
呉についてはよく知らないが
曹丕は彼の政治的傾向から言っておそらくそういう権力の腐敗に繋がるものは抑えた
代わりに中書省が強くなってそれは明帝期に臣下から不満が出るほどになったけど、深刻な対立となるほどじゃない
明帝期が終わると司馬懿と曹爽の政争から司馬一族の執権に移行していくからこれまた宦官が出張る余地が乏しい

212: 世界@名無史さん 2014/02/04(火) 22:42:12.67 0
呉は谷利が宦官かもしれないとどこかで読んだけど
どうなんだろ

373: 世界@名無史さん 2014/06/18(水) 21:58:07.30 0
三国志クイズ

三国時代の君主の中で「封禅の儀」を行った人物は誰でしょうか。
資料を見ずに正解できたら立派なマニア。

374: 世界@名無史さん 2014/06/18(水) 23:32:39.99 0
たぶん呉の君主だろうなと見当をつけて調べたら孫晧だった
江南の神秘主義流行の芽はこの頃から出始めていたのか、ちょっと勉強になったわ

375: 世界@名無史さん 2014/06/19(木) 15:45:57.06 0
孫晧の酷刑て陳寿が現役で活動していた時だから全部、本当なのかね?
陳寿はどうも呉の君主への評価が厳しいんだが。

376: 世界@名無史さん 2014/06/19(木) 18:40:53.06 0
碁が嫌いだったっぽい

387: 世界@名無史さん 2014/07/07(月) 23:48:31.31 0
>>376
蜀の遺臣って呉嫌いが多いからな。
まあ蜀をデスるわけにもいかんし、再就職先の魏を叩くのはもっといかんから仕方ないのかもしれんが。
あとハイエナにきたのを死ぬほど恨んでいるっぽい。

377: 世界@名無史さん 2014/06/20(金) 01:28:04.86 0
曹叡は封禅にびびってたね
魏の正当性に疑ってたところがあったんだろうか

378: 世界@名無史さん 2014/06/20(金) 08:05:07.69 0
>>377
漢の武帝は南越などを平定してからやっと行ったことだからな
蜀も呉もあるうちからやるってのは抵抗あるんだろ

388: 世界@名無史さん 2014/07/08(火) 10:34:24.88 0
呉は蜀の滅亡を防ぐために牽制の軍を出したりしてるのに、逆怨みもいいとこだな
蜀が呉の為にやった事って何かあるか?

390: 世界@名無史さん 2014/07/08(火) 18:39:02.43 0
>>388
羅カン「・・・」

391: 世界@名無史さん 2014/07/08(火) 19:54:29.44 0
呉の永安攻めは蜀滅亡後じゃないか。そもそも

409: 世界@名無史さん 2014/08/17(日) 14:51:28.81 0
曹操の死因は脳梗塞でしょうか?

410: 世界@名無史さん 2014/08/17(日) 15:06:20.50 0
脳腫瘍じゃないかと個人的に思うけど。
癲癇のような症状があったんじゃないかな。

カエサルやアレキサンダーと同じ感じ

411: 世界@名無史さん 2014/08/17(日) 20:29:57.15 O
肺結核という説もあった
210年後半は流行り病で七子の何人かも亡くなっていること、虎痴が血を吐いたことから、頭痛の悪化と流行り病の併発とかね

438: 世界@名無史さん 2014/09/21(日) 22:16:40.41 0
https://kiss.kokushikan.ac.jp/pages/contents/0/data/1004685/0000/registFile/2187_6525_003_04.pdf
※リンク切れ
劉備出自考

劉備が皇族としての特典を受けてたことを指摘する山田勝芳氏の研究を紹介してないのは
どうなんかなと思うけど

439: 世界@名無史さん 2014/09/22(月) 12:24:25.48 0
読んでないけど、(pdfは重い)
・誰も劉備の出自について追求してない
・大した功績もないうちから左将軍に任命されてる
から少なくとも当時の人達は劉備が皇族である事に疑いを持っていなかったと思うんだよね

もし詐称なら大きな脛傷になるし下手すりゃ罪人
でも敵対勢力でさえその事に触れていない
今には残っていないけど、当時にはそれなりに信頼性の高い証拠があったんだろう。

440: 世界@名無史さん 2014/09/22(月) 14:25:58.87 0
左将軍自体は
董旻→袁術→呂布→劉備
と横滑りにとりあえず与えてただけな気がするけどな

ともあれ、引用された論文は荊州以前には皇族を称して無いと指摘する部分は面白いけど
劉表から皇族として特典を受けていたとかはただの想像で論証してないだろ

442: 世界@名無史さん 2014/09/23(火) 01:44:45.72 0
そもそも劉氏かどうかなんか光武帝の出自が景帝からくだると大したことがないように
劉備も似たようなもんでさらに後漢建国から150年たってるんだからそりゃ誰も問題にしないわ

443: 世界@名無史さん 2014/09/23(火) 10:19:03.47 0
魏には漢以来の記録とか戸籍とかあるんだし臨邑侯子孫説のがまだ信憑性高いんじゃないかな

まあ朝廷が洛陽から長安に移動してさらに長安から皇帝が逃走する時点で
相当の行政史料は失われてると考える方が正しいか

444: 世界@名無史さん 2014/09/27(土) 05:05:10.57 0
家柄は歴代三公の御曹司 袁術>>越えられない壁>>草鞋作りの劉備
ですから。

445: 世界@名無史さん 2014/09/27(土) 08:33:23.96 0
何言ってんだ?「家柄」で言ったら皇族のが上に決まってんだろ

ただ当時の社会を見ればその辺の弱小皇族なんかより
袁氏は遥かに権門ってだけで

446: 世界@名無史さん 2014/09/29(月) 22:46:40.95 0
いくら皇族の末裔でも、皇族と言えるのは分家して亭侯くらいまでだよ
劉備の家は皇帝を祖にする民(っても豪族ではあっただろうが)でしかない

447: 世界@名無史さん 2014/09/29(月) 23:00:04.90 0
皇族といっても後漢からみるとかなり薄いわ
そもそももし前漢王朝が続いてたら
光武帝だって県令の息子程度だからそれから100年たってさらに4,5世代をカウントすれば
劉備なんて傍流の傍流

450: 世界@名無史さん 2014/09/30(火) 00:32:01.45 0
まあだが霊帝のときはかなり系譜遡ってるし
袁紹も劉虞を擁立しようとしてる
擁立する側としてはおそらく劉姓と利便性が問題だった

454: 世界@名無史さん 2014/10/01(水) 01:23:40.90 0
結局担ぎ方によって劉姓の価値は高くも低くもなるってことでいいんですか。

引用元: ・正史『三国志』 二十九巻



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