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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/03/22(火) 02:10:17.63 ID:4ejMYDhi0
なかったので






五胡十六国時代

五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。

五胡十六国は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える。後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したため力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。




65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/03/30(水) 18:23:55.06 ID:IMwoTdHX0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は漢(前趙)。名将・猛将を挙げるにあたり、自分の中で基準はあるにはあるが、けっこう主観も入ってしまってる。あとは、これはと思う人物を挙げてもらうとありがたい。 

【漢(前趙)】 
・王弥:飛豹の異名を持つ劉淵の旧友 
劉淵服属前は青州を中心に荒らし回った有名な人物であった。劉淵服属後は周囲勢力の平定、洛陽攻略に功があった。 

・劉曜:千里駒及び神射の異名は伊達じゃない 
対西晋戦線の総指揮官として洛陽、長安を落として西晋の息の根を止める。後趙の石虎を一蹴するなど軍才は文句なし。 

・劉胤:劉曜譲りの軍才の持ち主 
前涼軍に大勝し、その存在を刻みつける。その存在に前涼は前趙に攻め込むのを止めるほど。 

・平先:剛勇を誇る陳安を問題にせず 
陳安との一騎打ちで、彼の得物を弾き飛ばして完勝をおさめる。この一戦で陳安の命運は尽きたも同然となった。 

・遊子遠:文武の才を兼ねた逸材 
前趙成立直後の大規模反乱をわずかな兵で鎮圧し、心服させた。石勒との決戦時に生存していれば、歴史が変わっていたかもしれない。 

・劉岳:前趙の軍事を支える劉曜の従弟 
仇地、前涼戦で活躍する。後趙戦で石佗を斬り、その後は洛陽攻略寸前まで石生軍を追い詰めた。 

・劉霊:乱を望んで、中原を暴れ回る 
暴れ牛を止め、暴れ馬を追い越すほどの豪傑だった。劉淵服属後、石勒と共同して冀州攻略にあたり、漢の北方攻略を担当した。 

・趙染:西晋より降りて、力量を発揮する 
西晋より降り、主に劉曜の麾下で対西晋戦線を戦った。劉曜に献策して、奇襲を仕掛けるなど活躍した。 

・劉翼:劉淵から認められた豪傑 
驍勇で知られ、射術に長じていたため、人々は関羽張飛の再来と呼んでいた。平陽の城門を軽々と越える身体能力の高さで、劉淵から只者でないと高く評価された。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/03(日) 09:06:11.13 ID:x/kYeF9g0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は後趙。この国の雑多な家臣構成は見てて面白い。人種、境遇、身分と違う者同士を組み合わせ、それで中原を治めた石勒はやはりすごい。そうせざるを得ない環境だったのもあるが。 

【後趙】 
・石勒:死んでなければ負けじゃない。ゾンビ並みの復活力 
多くの敗戦も苦にせず、最後には勝利する。劉曜との洛陽決戦では、終始先手を取って劉曜を捕える大勝をおさめた。 

・石虎:石勒の弟にして、石勒軍のジョーカー 
破った相手は数知れず、切り取った領土は五胡十六国随一。石勒は明確に相手を破りたいときは、必ず彼の軍を動かした。 

・孔萇:石勒の躍進を支えた爪牙 
石勒の勢力拡大に貢献し、段末破を破り、幽州を平らげた。一定以上の結果を残す、計算できる名将。 

・石生:石勒の養子にして、前趙との戦端を開いた攻防に優れる将 
洛陽を前趙に渡さず、逆襲に転じるきっかけを作った。前趙、東晋と戦い、石虎との戦いでも堂々と渡り合った。 

・郭権:石虎に認められた、“ますらお” 
石生とのコンビで石虎軍との戦いを優位に進める。石生死後も、独立して石虎との戦いを継続した。 

・姚弋仲:石虎も恐れぬ剛直な男 
梁犢の乱は後趙の武将を次々に破った。要請を受けて、討伐に加わるとたちまち梁犢を破り、反乱を鎮圧した 

・支雄:十八騎の一人にして、石勒股肱の臣 
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石勒死後も段遼との戦いに参戦した。門臣祭酒として、胡人の訴訟問題も担当した。 

・キ安:十八騎の一人にして、大都督として東晋を掠す 
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石虎支持をいち早く決めて、征討大都督として荊州・揚州北方を征圧した。 

・桃豹:十八騎の一人にして、数々の戦歴を持つ 
祖逖に敗れるも、河南において長期戦を展開した。劉曜との洛陽決戦にも参戦し、段遼との戦いには水軍を率いて活躍した。 

・麻秋:負け戦が目立つけど、その名を聞けば泣く子も黙る 
蒲洪、段遼に勝つなど、負けばかりではない。相手があまりに格違いなだけ。勇猛さにかけては定評があり、泣く子に“麻胡”が来ると言えば泣き止んだという。 

・王擢:後趙の西方戦線でなくてはならない存在 
石生に招かれて以来、後趙の西方戦線で活躍した。前涼と一進一退の攻防を繰り広げ、後趙滅亡後は諸勢力の間を渡り歩き、存在感を示した。 

・石瞻:勇猛果敢に戦い続けた冉閔の父 
敵方から石虎の養子となる。以後、東奔西走して戦場を駆け巡り、西晋、東晋との戦いで活躍した。 

・郭敬:流転の末に巡り会えた石勒の恩人 
石勒が年少の頃から、彼の大器を見抜いて様々な便宜を図った。奇策を用いて荊州北部の基盤確保に努め、民心を得ることも忘れなかった。 

・石聰:石の姓を与えられて勇躍した晋人 
東晋との戦いでは、石生を破った郭誦、李矩を破り、さらには寿春を落とした。劉曜との決戦に参加し、活躍した。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/21(木) 12:08:01.45 ID:8M91xwPp0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は成漢。この国は最初の益州流入からの約10年間くらいが一番熱いと思う。敵味方、かなりの将兵の血肉で国が興り、固まっていくのは胸熱。 
それを過ぎると、あまり話題がないというのも、益州は一度固めてしまうと、引きこもりにはいい環境なんだろう。 

【成漢】 
・費黒:南方戦線のエキスパート 
成の南方攻略に大きく貢献する。南方の事情に精通し、的確な進言を行い、李寿から軍事を委ねられた。 

・李驤:李特の弟にして、成の勢力を拡大させる 
成の成立、反乱の鎮圧、北・西・南への勢力拡大に活躍した。成の初期より、軍事の要として東奔西走した。 

・李蕩:李特の子にして、決死の戦いで父を救った 
李特に従って、各所の戦いに活躍した。張徴との戦いで、李特が危機にあったとき、敵軍の重囲を破って救い出した。休む間もなく追撃し、ついには張徴を討ち取った。 

・李庠:李特の弟にして、成建国の引き金となる 
文武の才に優れ、人々から文鴦、関羽、張飛のようだと評価された。彼の死に民衆の誰もが流涕して悲しみ、成建国の流れが生まれた。 

・李離:李特の妹婿にして、成の基盤作りに貢献する 
李雄と共に西晋軍を撃退する。巴西での西晋軍をことごとく破り、漢中に侵攻して勢力の拡大に貢献した。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/23(土) 10:57:41.59 ID:uiUxOnRN0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は前燕。ここらへんの戦闘系の充実ぶりは素晴らしい。戦歴もそうだが、それなりにエピソードもあって、キャラも立っているのはいい。 
五胡十六国時代の序盤から中盤まで存在し、中央にも深く入り込んでいる国だし、当然と言えば当然なんだけど。 

【前燕】 
・悦綰:後趙の大軍に寡兵で城を守り切る 
後趙の大軍に対し、逃げようとする将兵を鼓舞して、千人余で城を守り切った。呂護、冉閔との戦いでも活躍した。 

・賈堅:慕容儁や慕容恪も愛した、抜群の射術を持つ老将 
六十歳を超えて、精妙さをほこる弓術に人々は感服した。十倍の兵に対してもひるまずに自慢の弓術で渡り合った。 

・慕與根:長く前燕に仕えた歴戦の宿将 
石虎の進軍に恐れた慕容コウを止めて、力戦して侵攻を食い止める。各方面に参戦し、前燕の中原進出に寄与した。 

・慕容仁:慕容カイの子にして、決して揺るがぬ遼東の守護神 
宇文部、高句麗から遼東を守る。特に高句麗軍を撃破してからは、高句麗は遼東侵攻を行わなかった。 

・慕容翰:慕容カイの子にして、数奇な運命に翻弄される 
慕容カイの頃は軍の中心として各方面で勝利を重ねた。一時、前燕から離れたが、帰参後は宇文部、高句麗との戦いに活躍した。 

・慕容恪:慕容コウの子にして、五胡十六国随一の将器の持ち主 
石虎、冉閔という当代の猛将に勝利し、前燕の中原進出、最大版図の原動力となった。その存在は他国にとって脅威でもあった。 

・侯青:従軍すれば先頭に立っての陥陣営 
騎射に優れ、従軍すれば先頭に立って敵陣を落とし、慕容儁から張飛に比されるほどだった。 

・鮮于亮:大恩に大功で応えた国士 
石虎に仕えたが、敗れて前燕に仕えた。高句麗戦で数十騎を率いて敵陣を犯した。後趙戦でも活躍して、その名は広く知れ渡った。 

・悉羅騰:三軍に冠する武勇にして、精妙な囲碁の達人 
桓温との戦いで慕容垂と共に戦い、反乱者を捕らえ、敵将を斬る活躍を見せた。囲碁の達人であり、これに並ぶ者はいなかった。 

・悦綰:死命を果たし、国の滅亡を阻む 
後趙の大軍が城に迫るも、断固として屈せず守り抜いた。反覆常ない呂護を捕らえ、姚襄と呼応して冉閔を破るなど活躍した。 

・傅顔:数々の戦いに参加した勇将 
反乱者の李黒、慕輿根を討ち果たし、東晋の北伐を阻んだ。慕容恪と共に呂護を破り、前燕の軍事行動を支えた。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/21(土) 06:26:21.34 ID:XNr60XMc0
苻堅の前燕併合ってあり得ないくらい短期間で達成したよな
後趙と前趙の場合も電撃的ではあったが、それは石勒が狙って成功させた作戦だったわけだし
国力的にはそもそも後趙の方が圧倒していた

前燕平定は国力的にはかなり難しかったような気がする
棚ぼた要素はあったかもしれないが素直に凄えわ

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/24(火) 19:22:19.27 ID:3IA1Vw8a0
>>188
所詮軍閥が適当にたてた国だから
軍が敗れた時点で官吏も人民もあっさり見放したんだろうな

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/25(水) 07:23:59.47 ID:vOA+FlYL0
征服した奴が別の国建てるだけだわな。司馬昭は上手かったなー両方とも殺しちゃうんだもん

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/02(木) 14:01:25.40 ID:sqXwRffa0
やっぱ胡族のせいで分裂が長引いたんだろうなー。他の時代であんなに長く小国乱立したことなんてないし

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/02(木) 22:14:24.91 ID:U1sooLTt0
春秋・戦国「せやな」

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/03(金) 17:07:47.41 ID:ssBHFeL90
肥水の戦い後とか東晋首脳部の反謝安派が完全に足引っ張っているからねえ
王氏に始まり、ユ氏、桓氏、そして謝氏と有力な貴族政治家が頭ひとつ抜け出ることに
猛烈な抑制力がかかる東晋政界はかなり異様な世界だと思うわ
派閥均衡というかつての自民党的世界観

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/06(月) 11:58:36.16 ID:NWOf9HF70
苻堅(親父の苻雄もだが)はブチャイクだったと史書に書かれているけど曹操みたいに容貌コンプレックスとかあったのかな?
慕容垂を過度に尊重したりしたのも偉丈夫な彼に気圧されたりした複雑な側面があったからだったりして

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/06(月) 19:59:08.89 ID:KkmHlwWM0
慕容垂はイケメンだったんやろな。苻堅を殺さなかったし風格があったんだろう

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 10:10:22.99 ID:TATUPSQZO
劉淵はなんか全盛期過ぎた年寄りのイメージ

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 13:12:45.27 ID:C0sBTV+K0
劉聡を挟まず劉曜になっていれば・・・

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 15:07:21.02 ID:TATUPSQZO
劉曜の運の悪さは異常
石勒の悪運の強さも異常

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/08(水) 04:10:42.47 ID:DNc2twMb0
そもそも劉淵の旗揚げがせめて40歳前後なら

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/08(水) 10:36:03.22 ID:O50bCxud0
40歳の時が八王の乱の開始の年だからその頃旗揚げしても難しいな

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/09(木) 22:30:32.57 ID:jPioF5Hw0
北魏が中華帝国第二ラウンドのはじまり、
フランクはヨーロッパ第二ラウンドのはじまりという気がする

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/10(金) 07:22:15.88 ID:3nuGbETD0
北魏よりも劉裕の登場による南朝の変容の方がはるかに中華第2ラウンド開始っぽいような
名実ともに南朝貴族政治全盛期の終焉だったわけだし

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/11(土) 08:25:52.05 ID:cCBzKwGZ0
北魏当たりから南朝から北朝への亡命が出てくるんだったっけ

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/11(土) 12:28:37.14 ID:qJVr9jct0
劉裕が権力握ってからじゃなかったっけ

探せば東晋から華北諸政権への亡命者がいるかもしれんけど桓氏一族すら族滅せずになあなあで共存できる東晋のゆるさ考えれば数は少ないんじゃないかなあ

255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/23(木) 20:19:49.25 ID:3eRRwCXn0
>>217
謝安のバランス感覚と敢えてそれに乗った桓温の度量の深さの御蔭だな
劉裕登場以降は本当に酷い
劉裕じゃなくて桓玄が南朝を継いでいた方がマシな世の中だったんじゃないのか?

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/12(日) 11:52:17.18 ID:AkySXQts0
南朝から北魏に亡命した皆さんのコメント

簫宝寅「斉を出る喜び」
王粛「斉に居ると自分までダメになる」
劉昶「北魏に来て良かったと心から思った」
裴叔業「宋や斉では誰を信用して良いか解らなかった」

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/12(日) 13:56:12.79 ID:JzYYFhw50
しょっぱなから皇帝が置物扱いされる東晋のグダグダ感

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/12(日) 16:12:08.96 ID:6MyEY3PJ0
正直南遷した時点で滅亡してもおかしくなかったので皇帝が置物になる程度で王朝が続くなら上出来の部類の気が

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/12(日) 17:08:08.65 ID:Q0Oo+qvU0
輔政の筆頭司馬イクですら置物感半端ないからな

穆帝=1歳 当然置物
崇徳太后=臨朝称制する置物
司馬イク=録尚書六條事でありながら恵帝と同レベルとdisられる置物
何充=録尚書事だけで病気で瞬殺
蔡謨=気がつくと庶人にまで落とされている頑固者

誰が政治的な決断しているのかさっぱり分からん

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/20(月) 18:12:44.76 ID:ItIgBCir0
晋書の海西公紀を読んでいたら枋頭の戦いの箇所が明らかに記述混乱してるなあ
まあ林渚の戦い(通鑒だと六月)の捷報が遅れて建康に至った可能性も否定できないけど
さすがに九月の慕容垂との決戦直前は無えわ
海西公紀だと七月になぜか慕容垂に勝っちゃってるし
ただ気になるところを発見した

枋頭の撤退開始が九月丙申(太陽暦だと10月3日頃?)
襄邑で追撃を受けた日が九月辛丑(太陽暦だと10月8日頃?)
わずか6日間で5万の桓温軍が枋頭→東燕→倉垣→襄邑と距離にして約240㎞を踏破していることになる
40㎞/日はかなりの強行軍、後退作戦としては相当の速度
そりゃ落伍者も出てきて負けることになるわ
騎兵主体の慕容垂は高みの見物だったんだろうな

でも主要な指揮官、参謀たちの死者はゼロだったわけだから
残存1万をキープできただけでも御の字だったのかもな
前燕みたいに戦後国がガタガタになったわけでもないし

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/21(火) 00:57:38.80 ID:GfjJb0UY0
>>243
頭が生きてることが一番大事だからな。一将は得難し

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/21(火) 06:45:43.13 ID:ofYKLvCk0
>>246
桓温だけでなく前鋒務めた朱序や鄧遐・司馬の?彝・参軍の?超・掾だった王珣・謝玄みんな健在だったから
逆に言うと慕容垂取りこぼし過ぎですわ

桓温の前燕北伐って見方によっては赤壁の戦いの東晋バージョンみたいなものなのかも
燕と秦に同盟組まれて頓挫するあたりとか

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/21(火) 08:31:28.98 ID:cDCZQ0Kp0
慕容垂は符堅から自立した時も脇が妙に甘い印象

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/21(火) 19:00:27.84 ID:ofYKLvCk0
>>248
あの時期の慕容垂はたぶん一番格好悪い

それと慕容恪が段龕に手を焼くのも結構情けない
それだけ段龕と廣固城と東晋の増援が強かったということかもしれないが

276: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/28(火) 08:50:59.37 ID:uVRzFJ5j0
劉邦に会ったら韓信や彭越と先陣を競うだろう
劉秀に会ったら雌雄を決するだろう
大丈夫たるもの日月が明るく輝くように物事を行うべきである
曹操や司馬仲達のように孤児や未亡人を欺き狐のように天下を取る真似はこの俺は絶対に出来ねえ! 

石勒(274~333)
後趙初代皇帝 奴隷出身で文盲のハンデを抱えながら華北を制圧し帝位に就いた傑物
熱心な仏教徒で仏図澄を保護したり国史の編纂を推奨するなど文化事業にも
熱心な名君

277: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/28(火) 18:37:15.41 ID:coWnjXJ50
>>276
昔は石勒が好きだったけど
年取ってきたら簒奪以降の石虎と愉快な仲間たちのイケてなさの方が愛着湧くようになってきたわ
愛すべきダメ君主みたいな感じで

同じ理由で完璧超人の慕容恪よりもコミュ障天才肌の慕容垂よりも人間臭すぎる慕容儁の方が良いなあと思えるようになってきたり

これを突き詰めて拗らせていくと姚萇好きになっていく

279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/29(水) 21:35:05.57 ID:FX6bGbCB0
普通に石勒好きだわ。劉曜殺したのはいただけないが

280: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/30(木) 00:38:24.66 ID:IusIFMyrO
石虎ウイルスに感染した李寿

281: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/30(木) 12:41:56.29 ID:OCW7L7UG0
>>280
成漢には悪いがあそこの記述はクスッとする

282: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/01(金) 15:19:47.50 ID:1Ph6BYxv0
君子営の皆さん
予は非才だけど王位についた以上国事に精励し、精励し?あれ?

【石虎】字は季龍 後趙三代目君主
石勒の甥。劉曜親子を捕らえるなど後趙の華北支配に貢献。石勒の息子弘から簒奪して天王に就く。熱心な仏教徒でもある。   

283: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/01(金) 20:37:07.16 ID:RzV/OP2f0
>>282
前涼相手に遠征戦力溶かしちゃうくらいだったら
成漢の滅亡阻止するように軍事支援しておけば良かったのに・・・・

287: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/02(土) 22:40:49.06 ID:Ky+YgEfN0
ヤッホー胡人のみんな元気してるー?じゃあ死んでー!!

冉閔(?~352)
石虎の仮子 勇猛を石虎に評価され後趙の重臣になるも石虎死後の混乱を利用し天王を自称。漢族至上主義を打ち出し胡人の虐殺を実行するも東晋からも呆れられ前燕に敗死。

290: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 00:13:36.02 ID:AhqdYSkv0
異民族殺しをがんばったのに孤立して死んだ冉閔カワイソス

291: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 07:06:06.19 ID:HPVEor8z0
>>290
さっさと帝号を除いて東晋に降伏していれば状況はかなり変わっていたと思うぞ

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 12:25:34.00 ID:gvPbgEq20
>>290
まぁ伝国の玉璽を異民族から約半世紀ぶりに取り戻したのは評価したいが
異民族よりクズなので特に可哀想ではない
まだ劉琨とかの方が

294: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 16:02:15.59 ID:AhqdYSkv0
劉琨はほんとよく頑張ったわ。でも救援に行くの絶対無理な立地やわ

296: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 22:10:24.43 ID:dJyIdX970
この時代で関羽クラスの猛将は冉閔くらいかね

298: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/05(火) 00:26:32.00 ID:DcB3eqfOO
>>296
関羽になぞらえられた奴いっぱいおるな
前涼の索苞とか前秦のトウ羌とか

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/05(火) 22:31:29.82 ID:vlKyAUNU0
五胡十六国縛りだと
石虎(後趙)、姚襄(後趙・東晋)、冉閔(後趙・冉魏)、鄧羌(前秦)、慕容垂(前燕・前秦・後燕)
東晋入れていいなら
桓石虔、劉牢之、劉裕あたりを加えたい

しかし猛将とは一体何なんだろう

308: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/06(水) 00:14:50.37 ID:MD9EFUYb0
>>304
それなら猛将というより名将かな

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/06(水) 17:06:35.49 ID:pLaxbvKU0
>>308
名将というのは勝つべき勝機に確実に勝てる将軍を指すべきではなかろうか

割と勝利の算段をしっかり組み立てているタイプとしては石勒、慕容恪が秀逸かなあ
慕容恪が戦いの前に理詰めで解説する場面が好き
お馬鹿な生徒役で傅顔が窘められるのも好き

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 10:16:17.71 ID:mIYXFJde0
敢えて慕容評名将論を提唱しその評価のあり方に一石を投じてみる

主要な戦績
①343年 慕容儁とともに代(拓跋部)を攻撃する
②350年 勃海で自立していた賈堅を攻撃し捕虜とする
③351年 魯口の王午討伐を担当、南安において王午の将鄭生を斬る
④352年 ?を攻略し冉智らを捕虜とする
⑤358年 慕輿根の支援を受け上党の馮鴦を攻撃し野王へ敗走させる
⑥359年 傅顔とともに東阿において諸葛攸の北伐軍を撃破
⑦364年 李洪とともに河南を攻略する
⑧370年 30万の兵を率いて王猛の軍歩騎6万の阻止を図るも大敗、戦死者5万、捕虜10万余りの大損害を受け?に敗走する

最後負けてるから評価下がっちゃうのは仕方がないけど
枋頭の戦いより前の段階だと慕容垂と同じくらい勝っているような気が

慕容垂の戦績(枋頭の戦いまで)
①342年 慕容翰とともに慕容?の前鋒として高句麗遠征に参加
②344年 宇文部征討において敵将渉夜于を斬り宇文部を潰走させる
③350年 慕容部南侵開始、後趙の征東将軍鄧恆を敗走させ安楽・北平の兵糧の接収に成功する
④352年 繹幕県で自立していた段勤を降伏させる
⑤357年 勅勒(高車)を8万の兵を率いて攻撃し捕虜・斬首10万、馬13万頭を得る
⑥365年 慕容恪とともに洛陽攻略に参加、陥落後は征南大将軍・荊州牧・都督十州諸軍事として魯陽に出鎮する
⑦369年 林渚において桓温の北伐軍に敗れる
⑧369年 撤退する桓温5万の軍を襄邑に追撃し8千騎でこれを大破、首級3万を得る

載記には載ってないけど慕容垂が敗れた記述が海西公紀と桓温伝にはあるから、おそらく慕容垂負けてるっぽいんだよなあ
だから対桓温戦で苦戦した原因は慕容垂が敗れているからのような気がしないでもない

340: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/14(木) 10:34:38.11 ID:lWGynjV80
>>319
慕容垂よりも慕容評の方が慕容恪の援護の役割を果たしている
少なくとも方面司令官としてキッチリ仕事こなしたのは慕容評の方

最高司令官の大司馬としては下手こいたが

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 10:39:14.19 ID:mIYXFJde0
全盛期の慕容部は慕容恪は言わずもがな
慕容垂、慕容評のほかにも慕輿根、陽?、悦綰、皇甫真、傅顔、慕容臧、李洪らが控えていたわけで
桓温しか決戦兵力のなかった東晋から見るとかなり層が厚く感じられる

367年前後で慕容恪、封奕、陽?、悦綰たちが一挙に没しているのも地味に痛かったか
それにしても枋頭の戦い直前までの前燕は無様に捩じ込まれすぎではある

321: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 12:45:19.75 ID:rEbF5cYf0
慕容翰は父親生きてたときは輝いてたな。国を追われ、戻ってからも大功をあげてたのにハッピーエンドにならないとこは、悲劇の名将というのがしっくりくる

322: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 14:15:59.88 ID:jxyYDDte0
遊牧民系の集団は母ちゃんの身分が結構重要なのだろうけど
母親の氏族が良い生まれか代々の姻族とかじゃないと扱い悪くてかわいそうになるわ

東晋なんて二代目明帝からして母親の身分が低いの関係なく即位しているからなあ

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 21:32:09.78 ID:R6cccDkK0
333年は、石勒、慕容カイ、李雄と時代をリードしてきた人物が亡くなってる。八王の乱からの一時代の一区切りみたいな感じがする。まあ、それで終わらずに、さらなる混沌があるんで面白いんだけど

324: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:31:49.16 ID:OnLBqph/0
>>323
330年代は実は東晋の動きの方が面白い
ユ亮が陶侃死んだ後に豫州から江州、荊州まで勢力広げて「さあ、北伐だー!」と意気込んでいたところに全力で冷水をぶっかける後趙という流れが実に小気味いい

東晋がその後北伐再起するまでさらに10年も費やすことになったけどその後は何度負けても諦めずに北伐続けるようになるのが不思議

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:37:44.77 ID:IT/I2FLY0
石虎が前燕遠征失敗した所に追い打ちかけようという庾亮の判断は正しい
だからこそ無理してでも電撃的に先手を打って叩いた

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:46:50.92 ID:OnLBqph/0
>>325
石勒が死ぬ間際に慕容も前涼も無視して荊州侵攻を開始したのは実は最善手なんだよな
あそこで荊州取れてたら蘇峻の乱でボロボロになってた東晋滅ぼすのは容易だったと思うわ
慕容攻めに行った石虎の圧倒的な戦略センスの無さ

327: 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! 2016/07/10(日) 18:52:03.02 ID:58Wbe85N0
陶侃が頑張ってたからなあ
石勒と死ぬ順番が逆だったら東晋は滅亡してたでしょ

引用元: ・五胡十六国時代について語るスレ



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