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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 04:18:14 ID:3McIQq9L
公家といったら近衛家ばかりに目がいきがちだけど
その他もいろいろ語ろう
関連記事
戦国期の公家について語ろう 









109: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 01:25:56 ID:RwoG5z6l
細川家が近衛家を乗っ取ったって本当?
今の当主が実は細川の家系と聞いたんだが
なんだかガセくさいな・・・。


111: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 15:31:21 ID:BfwXkyNF
信尹は一人だけ男の子がいたけれど、何かの問題があって近衛家を嗣がせられなかったという説がある。
「近衛太郎君」といわれている人がその男の子らしい。

119: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/10(土) 22:06:28 ID:zN5fFD2z
>>111
太郎君は女だよ

信尹のこどもは薩摩にいたころ産まれてすぐ亡くなった男の子と、姫である太郎君だけ

120: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/10(土) 22:13:46 ID:N1TOvuf6
>>119
橋本政宣『近世公家社会の研究』を嫁
「近衛太郎君」の文書を分析した結果、それまでの通説であった「女性」説は信用できないとしている。
(文章が漢文でありひらがな文がない、その他)

126: 人間七七四年 2007/04/27(金) 13:52:19 ID:peIHCS8N
やはり黒幕前久のことでも語ろうか
この人相当タフだよね
近衛前久

戦国末期の公卿。稙家(たねいえ)の子。

1554年関白となる。1559年長尾景虎(上杉謙信)と盟約を結び,翌年景虎の関東経略を支援するため関白現職のまま越後へ下り,さらに関東に入った。しかし1562年志を果たせず帰京。1568年織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると出奔したが,1575年に許されて帰京,その後は信長に協力的であった。本能寺で信長が横死すると,徳川家康を頼って遠江浜松に下向,まもなく帰京するが,帰京後も立場に窮することがあり,失意のうちに余生を送った。



134: 人間七七四年 2007/09/02(日) 03:41:57 ID:S2fOeiBT
>>126
黒幕つーか、放浪(出奔)癖が凄いね。
義兄(義輝)の仇である松永とは縁が切れないし、光秀与党と疑われるし、その度に田舎に逃げてる。

128: 人間七七四年 2007/05/16(水) 14:26:30 ID:/Won5qyq
薩摩にまで行ってしまうんだもんね
越後は比較的近い(航路的には)だろうけど

131: 人間七七四年 2007/07/28(土) 23:30:21 ID:t8gMyHxl
>>128
武士に憧れたが、武士には慣れなかった公卿。

132: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 00:47:40 ID:PFKRX5cI
鷹狩りとか乗馬のこととか武士に教えを請われるくらい詳しかったようだね>前久

でも晩年は
「ヤパーリ公家らしく文芸をたしなんどきゃ良かった(´・ω・`)」
と島津義久や義弘にこぼした手紙が残ってる
自分のやりたいようにやったように見える人生でも、最後は後悔が残ったと言うことなのかな

139: 人間七七四年 2007/11/13(火) 14:26:29 ID:hnQewsin
五摂家とか清華はどうでも、江戸期の公家は全般に貧しいよね
戦国期とさして変わらないような気がする
公家は貧しさに耐えうると、幕府に見くびられたように最近思えてきた

142: 人間七七四年 2007/12/20(木) 14:40:53 ID:6ov4rd5j
>>139
公家の貧しさより、大名旗本をのぞく武家の貧しさの方が著しいと思う。
戦国期の厳しさは、公家武家問わず江戸時代と比べるべくもないほど悲惨。

143: 人間七七四年 2007/12/24(月) 16:31:30 ID:zzdKheir
>>142
そうですね、江戸時代の公家の断絶は聞かないもの
戦国期は有名な公家でも、ばたばた断絶してしまいましたね
一条家(世尊寺流)、二条家(御子左流)、洞院家(西園寺流)
惜しい限りです
これらの末の庶子家の冷泉や正親町しか江戸時代に残ってない

145: 人間七七四年 2007/12/24(月) 22:42:04 ID:+zfOhWMJ
江戸期の近衛家ってかなり裕福だったみたいね
他の公家は窮乏してたのに
ちょっとした小大名だったのかな

148: 人間七七四年 2008/01/26(土) 09:59:00 ID:XK7uttJF
>>145
九条3,043石 近衛2,860石 一条2,044石 二条1,708石 鷹司1,500石というところ。
まあ裕福といえば言えるかも。
清華は1,300~300石 大臣家で500~300 だいぶ苦しくなりますね。

150: 人間七七四年 2008/02/12(火) 14:44:35 ID:CwDHHn1S
>>148
これが羽林家になると最低百石、名家には五十石のところもある

144: 人間七七四年 2007/12/24(月) 16:44:17 ID:Y5SvGGTQ
このあたりで菊亭晴李の話でも…

146: 人間七七四年 2007/12/25(火) 10:30:11 ID:581I7Hm3
>>144
菊亭
落語家の屋号みたいだけど
公家的な呼びかたでいうと
家康の二条城は二条亭
秀吉の聚楽第は聚楽亭
公家は他の公家の屋敷を亭と呼んだみたいだね
公家的にいうと
二条家康
聚楽亭秀吉

147: 人間七七四年 2008/01/12(土) 20:54:38 ID:R6SVxyKI
聚楽てい たいこう
という著名も残っています。
聚楽亭秀吉に間違いはないですよ。
二条家康は未だ、おめにかかれませんが
新田殿 家康は見ました。
京都の宮廷では新田殿で通っていたみたいですよ。

151: 人間七七四年 2008/02/16(土) 18:12:24 ID:DXxRYP2d
>>147
聚楽亭 秀吉

新田 家康
が京都公家風の呼び名なんですね。
ふーん

152: 人間七七四年 2008/02/16(土) 23:27:51 ID:9v4MOyBj
公家にとって新田氏は馴染み深いのか?

153: 人間七七四年 2008/02/17(日) 18:51:05 ID:eXzcTIxq
>>152
「徳川」や「松平」なんて苗字よりはわかりやすいだろ。

156: 人間七七四年 2008/03/07(金) 11:15:11 ID:wf76QRYE
土佐中村の一条家が天下統一していたら
関白と征夷大将軍を兼任していたかもな。

160: 人間七七四年 2008/04/21(月) 15:16:30 ID:tGGMeK0u
>>156
九条家には関白も征夷大将軍もいたけどね。
兼ねてはいないが。

163: 人間七七四年 2008/05/13(火) 09:33:00 ID:eYeaFu0d
>>156
一条家って並みの公家じゃないんだね
近衛家と同格の最上級の公家なんだね
関白家が都を離れてもよかったの?
まあ近衛家も離れた時期もあったらしいけど

164: 人間七七四年 2008/05/13(火) 13:21:07 ID:3ZON/ccP
食うに困っているのだから止むをえないっす
九条も荘園から年貢が上がってこないので一時期下向してるし。
近衛の場合は一条や九条とは違うかな?前久という人物の個性による放浪だと思う。

にしても土着して大名になったのは珍しい

165: 人間七七四年 2008/05/13(火) 14:16:16 ID:58KKdeIy
・土佐に下向した教房の父兼良は教房没時も京で存命
・摂関家の方は兼良の子冬良が、教房の順養子となり相続、土佐国司は教房の子房家が継ぐ

これらから考えると、安定的な収入の確保を狙って一族を土着させたような気がする

166: だいたい・・・ 2008/05/17(土) 18:44:45 ID:/0dYz/eC
一条家と土佐の一条の親戚は別の家なんじゃね?

167: 人間七七四年 2008/05/17(土) 20:02:08 ID:LloaoTac
>>166

168: だいたい・・・ 2008/05/18(日) 14:37:42 ID:LNvnVnQ/
>>167
摂関家の一条家が土着したんじゃなく、ただの庶子(一門の人)が土着したんじゃないかなーということ。
家名も一条じゃないんじゃない?。

169: 人間七七四年 2008/05/19(月) 00:36:22 ID:eOMWy5XK
>>168
っていうか、土佐一条家から京都の一条宗家に養子入りして家督相続している人がいるのに?

170: だいたい・・・ 2008/05/20(火) 10:21:24 ID:X7+PEbiT
養子入りしないと継げないんじゃ別の家なんじゃないかなと・・・

172: 人間七七四年 2008/05/20(火) 13:18:02 ID:j9AcE/Nl
>>170
言いたい事は分かるけど「別の家」になってしまうほど疎遠では無かったでしょ。
土佐下向は口減らしじゃなくて、逆に本家を食わせるためなんだし。
京都の宗家では土佐下向を貴族的な発想で「収入確保のための一時的な滞在」みたいに
認識していたんじゃないかな?

177: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/05(木) 15:17:43 ID:T0Ey/v+/
>>172
そんな感じだよね
安定的な収入の確保が狙いでしょうね

178: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/07(土) 15:09:06 ID:4c60AULr
下冷泉家も播磨の所領に下向してたんだが三国司に入れるべきなんじゃない?
播磨守になってないとダメなのか?
下冷泉家は受領なんかより遙かに高い家柄なんだが・・・。
赤松家や別所家と姻戚関係にあり武士化している。
三国司よりも土着感は強いんだが・・・。

181: 人間七七四年 2008/06/12(木) 11:06:11 ID:Hysj4nYO
>>178
確かに下冷泉家は赤松氏と姻戚関係をかさね赤松准一門ていうかんじだね
一条家よりも土着率は高いともいえる

182: 人間七七四年 2008/06/25(水) 18:22:14 ID:NT4KfKS6
>>181
武士なの下冷泉家って?。
ヨロイを装着し、戦国だから鉄砲で武装?
ありえなくない?

183: 人間七七四年 2008/06/25(水) 18:27:39 ID:A9rXzuB8
>>182
戦国は(つーか室町期通して)公家は武装してるし戦闘もするぞ。
公家が「武装解除」されたのは江戸期から。

186: 人間七七四年 2008/06/28(土) 14:36:41 ID:IP4k4rGw
公家の武官って意味なくね?と思ってたら、江戸以前はちゃんと意味あるのな。

188: 人間七七四年 2008/06/29(日) 23:56:11 ID:dxBJoGDl
>>186
冷泉家は羽林家だから
近衛中将として実があったってこと?
播磨で近衛府の中将の責任は果たせないと思うが

192: 人間七七四年 2008/07/06(日) 23:14:27 ID:K5CrtqJ/
公家と関係の深い戦国大名というと今川氏が有名だが、後北条氏も負けないくらい京の公家と関係が深かった。

193: 人間七七四年 2008/07/07(月) 00:56:08 ID:VRDbiIwq
>>192
氏綱の後妻が近衛氏の出身だしね。

若狭武田氏も公家との縁は深い。国信は長く在京していたし、久我氏に嫁いだ娘もいる。

196: 人間七七四年 2008/07/08(火) 22:52:02 ID:o9CyaYJQ
>>193
武田氏の一族で重臣の粟屋氏の娘は近衛家の室になり、外孫は天皇になったらしい。

194: 人間七七四年 2008/07/07(月) 01:18:23 ID:sZuABODJ
公家と関係が深い戦国大名といってパッと浮かぶのは
・大内氏
・朝倉氏
・今川氏
あたりか

196: 人間七七四年 2008/07/08(火) 22:52:02 ID:o9CyaYJQ
>>194
大内氏の官位の高さは並みの公家以上だね、将軍家も凌いでいる。

200: 人間七七四年 2008/07/18(金) 14:10:04 ID:e4qTdzJo
>大内氏の官位の高さは並みの公家以上だね

弛まぬ献金の積み重ねゆえ
歴代1位と言われてるね

201: 人間七七四年 2008/07/18(金) 21:08:35 ID:29vfLVhm
なんでそんだけお金持ちなの?

202: 人間七七四年 2008/07/18(金) 21:45:22 ID:4bxikxYd
勘合貿易と、それ以外の対朝鮮、対中国北方交易を牛耳っていたから

205: 人間七七四年 2008/08/11(月) 09:21:58 ID:pZsYpMcx
戦国期の公家といえば山科言継

武士にも物怖じしない下々の人間にも気さくな人物だったらしい。
山科言継

1507-1579 戦国-織豊時代の公卿。永正4年4月26日生まれ。山科言綱の子。

永禄12年山科家ではじめて権大納言にすすむ。正二位。戦国武将から献金をつのり,衰微した朝廷経済のたてなおしにつとめた。また有職(ゆうそく)故実,医薬に通じた。日記に「言継卿記」がある。天正7年3月2日死去。

210: 人間七七四年 2008/08/18(月) 00:44:09 ID:Fhsy4kBk
>>205
町医者のようなこともしてたらしいね

206: 人間七七四年 2008/08/11(月) 16:05:52 ID:gWDsQ4Pa
史上、天皇家や公家が最も困窮した時代だからな
米とか恵んでくれる町民に対して
「恐れ多くも権大納言の麿の前で平伏もせずに口をきこうとは、なんと下賤な輩どもでおじゃるか!麿に敬意を払わぬは即ち帝への不敬!朝敵でおじゃる!」
なんて言ってらんねーだろう

207: 人間七七四年 2008/08/11(月) 17:57:44 ID:ewA72rmA
>>206
かなり勘違いしている

212: 人間七七四年 2008/08/31(日) 21:18:45 ID:nKBOFMQ4
山科家は裕福だったはず

214: 人間七七四年 2008/09/22(月) 14:51:41 ID:0QdpwvVO
官位絡みの献金はあったろうね。

215: 人間七七四年 2008/09/30(火) 14:15:49 ID:Y/Gi3I6L
贅沢をしてる風はないけどね

252: 人間七七四年 2009/03/12(木) 23:30:31 ID:s3c4d88c
柳沢を輩出した柳原家が好きどす

254: 人間七七四年 2009/03/17(火) 14:59:24 ID:nmL2qUNg
柳沢と柳原とは?

255: 人間七七四年 2009/03/19(木) 00:52:19 ID:BCb9s5sB
柳沢元政のことです。たぶん彼は柳原家の庶子だったのでしょう。
宗家や父親から猛反対されつつも義輝に頼み込み、武家して新家をたてることに成功したのではないかと・・・
文弱な公家出身の彼は戦闘マニアの義輝に武士として認めてもらおうと血の滲むような鍛練を重ね肉体改造をしたのかもしれないですね。

256: 人間七七四年 2009/03/23(月) 16:32:54 ID:8is91ucc
鞆へも行ったんですね

257: 人間七七四年 2009/03/28(土) 15:19:46 ID:2eSitk2H
山口あたりが住みやすかったでしょうね。

258: 人間七七四年 2009/03/28(土) 15:21:37 ID:e4/u2lmz
鞆ですか。鞆幕府ですね。
六角や細川・若狭武田なんかの守護の子弟までも随行していますし
もちろん奉公衆は行くでしょう。

259: 人間七七四年 2009/03/30(月) 07:07:04 ID:Vr3G5EEL
関ヶ原の戦いの敗戦後、毛利家の一員として柳沢も江戸に足を向けて寝てたんだろーな・・・

引用元: ・戦国期の公家について語ろう



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