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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 16:07:25.28 ID:414fLF8V0
幕末歴史ロマンー水戸天狗党の悲劇
-明治維新を待てなかった人々-
http://member.nifty.ne.jp/sasanuma/historio/tengu-to.html

明治維新も目前となった1865年,北陸の港町敦賀で,はるばる水戸からやってきた武士や農民ら350人余りの大量処刑が行われた。「天狗党」とよばれた彼らは,なぜ敦賀に来たのか。そして,なぜ処刑されなければならなかったのか







天狗党

天保年間、水戸藩主徳川斉昭なりあきの藩制改革に伴い、下級藩士を主体に結成された改革派グループ。保守門閥派の諸生党と激しく対立。1864年、攘夷延期を不満として筑波山に挙兵、武田耕雲斎・藤田小四郎を主導者とする一派は、心事を一橋慶喜を通して朝聞に達すべく、上洛の途についたが、加賀藩に降伏。武田以下数百名は敦賀で斬刑に処せられた。その後も明治維新に至るまで藩政の主権をめぐって保守派と凄惨な争いが続いた。



3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/10(日) 08:17:53.19 ID:zoR+raCx0
なんで市川三左衛門は鬼のように、天狗党の家族まで弾圧したの?徳川慶篤の意向?よかろう公だから意見なんてなかったんだろうけれども。。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/15(日) 02:23:31.00 ID:x7QRcqOy0
略奪騒動を起こして天狗党の評判を失墜させた田中愿蔵だけど、早くから倒幕を唱えていたとか甲府城乗っ取りを企てていたとか話をきくとなかなかの行動力や先見の明をもっていたようだし
早死にせず生き延びていたらもっと活躍できたかもしれないな

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/18(水) 02:43:21.30 ID:yw6SUPZV0
その田中愿蔵を加えた天狗党の総勢が京都まで辿り着けたと仮定して、新選組なんかと交戦したら、どっちが勝っていたのか?

みんなはどう思う?

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/21(土) 21:51:09.96 ID:oL3RMMY50
>>30
水戸天狗党の討伐軍出陣の前日に、新選組が禁裏守護職総督軍の偵察隊として、出動していた。
大津の勢田(瀬田?)まで出動していたようです。新選組同人会(研究会)

http://miburou.blog103.fc2.com/blog-entry-747.html

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/22(日) 12:01:54.29 ID:cskq4es10
>>31
御教示有難うございます。そうだったんですか。
大津まで偵察が来ていたと言う事は、やはり天狗党がいざ入京した時には、一戦あり得たかも知れませんね。

でも、新選組独断ではなく、上層部が色々政治的駆け引きをした末の決裂ならば、命に拠って戦ったかも知れませんね。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/21(土) 22:42:36.42 ID:A7ZnLkwh0
>>30
天狗党と新撰組がガチで戦うかな?
新撰組自体はたいした人数じゃないけど、幕軍の一部として戦うから当然勝敗は決しているよ。

でも京までたどり着いた段階でボロボロだろうし、まずは勤王藩として付き合いの長い薩摩藩に協力を頼むと思う。
その後で新撰組と戦うなら面白いね。人数多ければ、新撰組狩りでもするんじゃない?

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/22(日) 12:01:54.29 ID:cskq4es10
>>32
ご意見ありがとうございます。そうですよね。天狗党は長旅の上、各藩と交戦ギリギリの交渉して、かなり遠回りで入京する訳だから、ボロボロですぐに戦えるとは思えませんね。でもそこが幕軍の狙い目で疲弊し切った所を叩くかも知れませんね。

でも、薩摩藩と通じた場合は容易に手が出せないですね。新選組狩りをやった場合は、近藤も土方も上層部に掛け合って即座に戦闘開始を迫った可能性はありますよね。
特に土方は自分が創り上げた新選組だと思っていた節がありましたから、隊士達を闇討ちされたら、政治判断無関係に斬り込んだかも知れませんね。

もし、はありませんがそんな事を考えると面白いし、何より天狗党が惨殺されて行くシーンしか想像出来ないのが、当時の彼等の立場を理解させてくれます。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/26(木) 04:07:22.15 ID:vnXo/obb0
負ければ自分だけでなく水戸の家族の命もないだろうし
後がないガチガチに凝り固まった思想集団で士気は高かっただろうけど
進路変更せず京入りを目指すってことは
頼みの綱と思っていた慶喜に直接刃を向けるということだから
そのことで士気が下がるか逆に激昂して戦意が高揚するか
脱走者も当然出るだろうし多勢に無勢だから京に入る前に壊滅しそうだ

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/27(金) 00:17:59.35 ID:e1+NgS6a0
実際は慶喜の出陣を聞いて士気はがた落ちだったが、それでも幕府兵は怖気づいていて決して自ら戦いを挑むことはしなかった。
加賀藩が吹雪の中で何とか布陣したが、幕府の戦えという現状無視の言葉にプッツン切れて我等は一橋公の指図によって出陣したのであり、足下等に指図されるいわれは無いと拒否した。
この加賀藩側の不服従に、及び腰の幕府側はどうにもできなかった。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/04(土) 14:01:27.35 ID:mrTw4rOR0
幕府の大将は田沼。慶喜は加賀藩に預けていて、幕府の田沼が慶喜に身柄を引き渡すよう要求し慶喜が同意し加賀藩から幕府に引き渡されたことで虐待が始まったのであって、虐待の判断・権限は田沼に帰す。慶喜は田沼に引き渡したことで非難はされたが、虐待や大量処刑の権限は田沼・幕府によって執り行われた。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/15(月) 22:19:13.78 ID:A0TY7tQn0
正確な史実に関してはよく分からないけど、山田風太郎の『魔群の通過』って小説では天狗党の生き残りが維新後に水戸に帰ってきて、殺された自分の家族達の復讐だってんで諸生党派の重臣やその家族の投獄・拷問・斬殺を大々的に行ったって話が書かれてる。

小説だからあんまり信用は出来ないけど、天狗党の蜂起から京を目指しての行軍過程とかはかなり史実に忠実に書いてるから、この維新後に起こった壮絶な内ゲバの話しにもそれなりに信憑性はあるような気がしてる。
諸生党(しょせいとう)は、水戸藩の保守・門閥派。幕末に家老市川弘美(三左衛門)らを中心に、藩内で改革派・天狗党と激しい抗争を繰り広げた。諸生派とも。

諸生党は田沼意尊を将とする幕府の討伐軍の応援を得て那珂湊を包囲し、ついに天狗党を敗走させた。一橋慶喜の仲介を頼りに天狗党が京都へ去り、諸生党が藩政を掌握すると天狗党やその協力者の弾圧を進めた。12月、藤田ら天狗党一行が越前敦賀で討伐軍に降伏し、その多くが処刑され乱は鎮圧された。諸生党は藤田小四郎や武田耕雲斎らの首を水戸に移して、罪人として晒し、乱に加担した者の家族を処刑した。


46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/17(水) 15:07:40.68 ID:tj4h8Grs0
諸生党は水戸を脱出すると会津に合流して北越戦争や会津戦争を転戦して会津の降伏後は留守の水戸城を奪還しようと奇襲をかけて奪還に失敗してもそのまま房総半島まで南下しながら最後まで降伏せずに追討軍と何度も戦闘を続けたんだよな
市川の息子もその途中で戦死してた気がする
諸生党も天狗党に劣らぬ信念の集団だったけどそのせいでお互いあんな酷い殺し合いをすることになったというのがいたたまれない

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/28(日) 20:14:41.86 ID:DhR8qEPmO
市川の息子は全員戦死みたい。斬首された武田の子達に比べたら温い死に方のよう
娘は長次ともに釈放され、水戸を離れて後は曾孫まで血を残したらしい
武田は唯一残った金次郎が孤独に死に直系が絶えたのとは対象的

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/28(日) 21:02:03.44 ID:KbXqEx6V0
旧諸生派にとって天狗派は仇敵であっても藤田東湖だけは別格だったらしく、東湖が生きていてくれればという思いは天狗派と同じであったという。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/10(土) 13:14:51.95 ID:FMLAVSyA0
諸生派の家老達

太田丹波守従五位下資春
鈴木石見守従五位下重矩
結城寅寿
市川三左衛門
朝比奈弥太郎
興津蔵人
興津所左衛門
尾崎豊後

・・・・死罪・致仕などの処分受ける。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/11(日) 14:48:35.90 ID:Hfwdlitw0
確か上に名前あがってる家老も戦死したりしてるんだよな
劣勢でも自害とかするつもりもなく、天狗を1人でも殺そうとしてたんだろうな

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/12(月) 06:40:22.71 ID:gyeOsxGm0
動けず戦える体力が無い隠居した老人は自害した。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/12(月) 12:55:09.78 ID:+I5Q5miP0
戦死も自害もし損ねた者には斬首か獄死が待っているだけだったろうしな

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/13(火) 18:52:36.66 ID:GkgNWUlHO
まぁ敦賀で352人を切ったあと幼児まで斬首し、根絶やしにしようとした訳だし、権力振りかざして弾圧したんだから今更許して手を取り合おうなんていう甘い成り行きが期待出来るはずがない
まして自分達が賊軍になっても天狗を根絶やししてやりたいと考えていたから、自ら和解しようという考えもあるとは思えない
殺し合いの果ての全滅は当然の成り行きだったと思う

実際、武田の3歳児を処刑した人物は八つ裂きの末田畑に捨てられ今になっても墓も立てられてないし
同じように3歳以下の幼児を斬首し晒しにしてる

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/13(火) 20:49:14.51 ID:GkgNWUlHO
ちなみに諸生党の生き残りは明治維新後、藩籍封還、廃藩治県による秩緑処分や戦死手当を一切受け取れなかったとか
迫害の上じり貧にされては、水戸に居ても「生きるも地獄、死ぬも地獄」だったろう

ここまで報復を受け賊軍のままにされて、後に慰霊碑が造られたのは数十年後。それも政府は渋々の模様だったことから如何に睨まれていたかがわかる
もっともそれは諸生党が巻いた種ではあるが

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/13(火) 23:04:41.30 ID:MX3emU8j0
諸生党の慰霊碑建立に尽力したのは天狗党の生き残りだったとか。
自分が殺し損ねた相手に自分達の慰霊碑を建てられるという皮肉。

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/15(木) 22:49:18.02 ID:K7drS2+JO
慶篤と田沼を、結局天狗党は報復しなかったな
慶篤は敦賀の処刑を安心したと嘲笑い、田沼は処刑した張本人なのに処罰なし
そのまま明治を流れたことを党員はどんな気持ちでいたのだろう

今でもそのしこりを上の子孫にぶつけたいという思いがくすぶってるのだろうか…

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/15(木) 23:11:30.78 ID:kBHaLVRg0
天狗党自体"よかろう様"である慶篤を当てにならず、ゆえに慶喜を頼ろうとしたので
慶篤が天狗党を快く思っていないのは重々承知。天狗党が復権した頃に心労で死去。
田沼=金次郎が田沼邸へ来たときは既に死にかけていてあだ討ちのやりよう無し。
しかし田沼が死んだ後も本当に死んだのか疑う旧水戸藩士が執拗に田沼邸に押しかけて来たという。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/16(金) 00:00:37.11 ID:R1ReDAdYO
>>58
水戸内の抗争を思えば手ぬるい感じがする
特に田沼はそのまま首をとって晒しにしてもおかしくなかったろうに
それで歴史から何もありませんでしたと、記載さえされなかったことになるとは…
他の天狗縁者からしてみたら、遺恨を断ち切るには影響が弱いでしょ

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/16(金) 00:20:55.21 ID:M8M8OVw+0
だから納得できない旧天狗党縁者が田沼邸に押しかけてきて本当に死んだのかいちいち確かめにくることが暫く続いた。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/21(水) 00:36:09.47 ID:sraIRopAO
水戸に入国して3週間で病死したって、どんだけ天狗が嫌いなんだよ慶篤
水戸が天狗に政局乗っ取られたくらいで情けなすぎる。その程度で病気になる理由がわからん
つか天狗に謝ってから逝くべきだった

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/06(木) 03:24:10.18 ID:ajgxalA00
>>61
毒かなにかで天狗の残党に暗殺されて体面上病死ってことで片付けたんじゃないとか勘繰ってしまう

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/06(木) 18:03:13.81 ID:DCt/mEdd0
そこまで簡単じゃないだろう、毒殺。
と思ったが、その頃には殿の回りも天狗党に入れ替え済みかな。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/06(木) 19:05:56.60 ID:Qj726yvH0
以前から脚気を患ってはいたが・・・・

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/07(金) 03:38:10.48 ID:6u+mFEaR0
諸生党の主だった人物はもう水戸を脱出しており
さいみ党が報復で白昼諸生党の残党や家族を殺してまわっても誰にも止められないような状況下で3週間で病死というのがいかにもあやしいけど
本当に病死でそんな事実がなければ勿論、あったとしても証拠なんて残すわけないから真相は不明だな

殿様の死に様なんて一部の人間しか知らないだろうに
当時、暗殺されたのではという噂の類はなかったんだろうか
あやしいと思っていても口にするのはタブーみたいな空気だったのかな

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/22(木) 16:26:29.87 ID:ZvXyGYPwO
そういえば、明治以降の天狗と諸生の確執はそれからどうなったのだろうか?
会津のように未だ遺恨の残っているのだろうか

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/22(木) 19:04:22.32 ID:EmpOZMYm0
明治以降も加波山事件とか血盟団とかきな臭いことやっていたので、会津のように幕末維新で止まっているわけではないから複雑。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/25(日) 18:16:19.75 ID:5xkr4vOgO
恨み一つってわけじゃなさそうだね

しかしなんだろう
どれだけ酷い処刑をすれば、歴史に残らないほどの報復をされるのか想像出来ない
本当に八つ裂きとか遺体放置の墓禁止とかしたんだろうか
だとしたら明治以降、諸生が天狗を恨むのは逆恨みじゃないのか

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/25(日) 20:11:08.38 ID:D0wYUsb30
天狗側の生き残りが諸生派戦死者の慰霊碑を建てるぐらいだから天狗側がみんな揃って
復讐に拘っているというわけでもなさそうだが。

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/02(日) 17:30:58.26 ID:PKz+Q9Ur0
武士だけじゃなく、庄屋、農民でも天狗だ諸生だやってたんだよな
維新後でもわだかまりはそれは凄かっただろうね

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/02(日) 18:17:37.40 ID:XrMtcJGj0
農民層に対する尊王教育にも水戸藩は力を入れ、郷校を藩領各地に建て、農民層への尊王思想の普及に努めた。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/08(土) 22:49:33.23 ID:IMx/KOCFO
天狗党の主だったものは処刑という辱めを受けたのに、諸生党の主だったものは戦死という名誉を遂げていることに少し不条理を感じるのだが

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/08(土) 23:02:31.25 ID:IMx/KOCFO
後暗黒時代のことを記載している歴史書は少なからずあるけど
明治2年以降の天狗と諸生の争いや、明治における諸生の仕返しがどんなんだったかを記したのって全くといっていいほどないよね
やはり凄惨なことは少しでも抹消したかったのだろうか

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 19:32:55.11 ID:M4LlIcuJ0
>明治2年以降の天狗と諸生の争いや、明治における諸生の仕返しがどんなんだったかを記したのって全くといっていいほどないよね

山川菊栄の"幕末の水戸藩"に淡々と抑揚無く愚かしいことやばかげたこと様々な事件が記されている。
(博打で負けた奴が相手に"天誅"加えたとかわけの分からないことまで)
"全く無い"のではなくあまりにも痛い話が列挙されるので読まれないだけなのではないのだろうか。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/12(水) 01:49:04.75 ID:ZxsGgaD/0
諸生党の市川って、最期は逆磔の刑に処されたんだよね?幕末の時代に水戸藩の執政までのぼりつめた。幕閣で例えたら老中クラスの人物でここまでの残酷な処刑法で命を落とした人物っていないよね.
小栗上野介忠順だって斬首だったから。祇園寺ってとこに墓があるらしいけど墓参りする人いるのかな...
常磐神社内で市川の名前を言ったら、追い出されそう。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/15(土) 23:44:43.75 ID:ZiJILNt10
福井県民なんだけど、旧暦12月、つまり今の1月に美濃から山道越えて越前に入ったというのは正直とんでもないと思う。真冬の揖斐市~大野市ルートなんて現代でも誰も通らない。というか通れない。積雪量でいえば暖冬の年でも2メートルは堅い。まともに雪降ったら3~4メートルは積もる。
1000人近い人数で大砲まで引っ張って、犠牲者一桁で脇道の蝿帽子峠越えるって、佐々成政のさらさら越えの次ぐらいに凄い。そして偉業の傍らで家燃やされた大野藩の村民涙目。

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 23:18:58.54 ID:4EY72TgR0
慶喜様なら我々の思いが分かってくださるという信念が彼等の行軍を支えていた。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/17(月) 02:39:18.39 ID:J6MxdqMK0
最後の山越えの前にも水戸から美濃まで
討伐命令を受けた諸藩との交戦や冬の山道の強行軍を続けてきて
満身創痍のうえに慶喜が討伐軍を率いていると知って精神的打撃を受けても
天朝様に尊攘の志をきいていただくという一念だけで隊が維持されたのは
他に道がなかったというのもあるだろうけど
天晴れを通り越してここまでくると思想教育の怖さを思わずにはいられない

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/05(木) 20:44:43.89 ID:3C09sImg0

この大虐殺は幕末最大の汚点だろう
この大虐殺が歴史から抹殺されたようになっていること自体不思議なこと
幕末を描くのなら龍馬や新選組ではなく天狗党惨殺に悲劇的な歴史事実を隠さず描くべきだ!!
幕末維新の作り話はもうたくさんだね

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/06(金) 07:27:27.06 ID:Su4C9goV0
対立構図が薩長対会津といったものじゃなく同じ水戸人同士の殺し合いなうえ
一族皆殺しのようなえげつないことをやってしまったから
創作の題材にもしにくいし水戸の人もあまり掘り返されたくないだろう

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/08(日) 16:22:07.01 ID:yVirHhh+0
天狗にやたら同情的なレス多いけど天狗も十分狂ってる。

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/09(月) 07:04:51.96 ID:nNGkGt5Q0
天狗の異常な尊皇攘夷原理主義とくらべて思想的には諸生党のほうはいたってまっとうだけど先に家族にまで私刑を加えたせいで天狗より印象が悪い

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/22(木) 18:19:02.37 ID:oEN0VhGj0

★市川三左衛門・肖像写真
 no title

 no title


130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/07/14(土) 06:33:17.86 ID:M0robdg30
乱後の私刑による諸生党による粛清やそれに対する天狗残党の報復の総犠牲者数ってどれくらいになるんだろうか
たぶん戊辰戦争の犠牲者(靖国に合祀されている人数)の内には含まれていないんじゃないかと思うけど
乱の全体では名前がわかってるだけで約三千人、総計で五千人以上といわれてるってなんかで読んだが

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/10/29(月) 09:20:48.36 ID:m4ea+Ccr0
山川菊栄の本を読むと、一部だけとはいえ壮絶ぶりが伝わった。
あと、市町村史も天狗関係だと北関東の人達は口をつぐんでしまう。
水戸内戦後の明治維新でさえ、恨みで殺したなど逸話があるぐらい。
隣近所が諸生・天狗系の郷士だったから壮絶ぶりが伝わるけど口伝としか残らないよな。
それが現在の選挙運動などの地方利権にストレートに絡むから益々言えなくなる。

引用元: ・【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3



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