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1: 世界@名無史さん 02/04/30 20:33
ないようなのでたてました。
クレタ文明、ミケーネ文明から始まり、ドーリア人の南下、ポリス政の時代、ヘレニズム時代までの古代ギリシア史について語りましょう。








3: 世界@名無史さん 02/04/30 21:13
古代ギリシアって、なんであんな辺境の地にあんな輝かしい文明が栄えたのか謎だ・・・
よく「海洋民族・商業民族だったから」という人がいるけど、それならフェニキア人だって同じだろうし。

4: 世界@名無史さん 02/04/30 23:22
>>3
辺境じゃないんですよ。

BC1500年前後の文明の先進地というと、オリエントからエジプトにかけての一帯で、ギリシアはそのあたりの地域と文化的・経済的な交流が行われていましたから。

そもそも、文字も伝説ではフェニキア人(カドモスという名前が伝えられてますが)によってもたらされたとされていますよね。それは、事実ではないかもしれませんが、当時の東地中海圏の文化的交流の存在を暗示していると思われます。

もっとも、フェニキア人の文字を受容するさいに、ギリシア人はいくつかの重要な改革を行っているのですが、それはまた別の話で、語るとそれなりに長くなってしまいます。

ギリシア文化の古典期の開花は独自のものですが、下地は東方からもたらされたと考えても良いかもしれません。

5: 世界@名無史さん 02/04/30 23:31
>>3が言ってるのは、オリエント世界の辺境と言う事では?

>>4
1つには地形の複雑さ
もう1つには比較的楽に採掘できる鉱物資源と食料生産量の脆弱さ
これが古代ギリシア人をして交易と植民に駆り立てたと言えるかもしれない
14: =5 02/05/01 09:55
>>5の日本語が少し曖昧なので捕捉 
>もう1つには比較的楽に採掘できる鉱物資源と食料生産量の脆弱さ 

これは「当時の技術で採掘できる鉱物資源が比較的豊富」と「当時の技術での食料生産量の脆弱さ」の意味 

7: 世界@名無史さん 02/05/01 01:07
>>5

なるほど、そうですね。>>3氏申し訳ありません。

植民はかなり古くから行われていたようですね。まあ、あの地勢ではあっという間に生産力の限界が来るでしょうが。

アテナイの場合、古典期には消費される小麦の大部分は黒海沿岸から輸入されていました。それゆえ、アテナイの安全保障上、現在のボスポラス、ダーダルネス海峡の安全な通行を確保することは死活的な重要性をもっていました。

ペロポネーソス戦争では、この地域の制海権を失ったことがアテナイの敗因になっていたかと。

6: 世界@名無史さん 02/05/01 00:07
古代はもっと緑豊かな土地だった。
今では青い海と白いむき出しの岩山のイメージがあるが、その岩山は緑に覆われていた。それを人間が切り倒してしまった。ギリシアに限らず地中海全域がそうだけれど。
蛇もギリシアでは絶滅したんだっけ?

7: 世界@名無史さん 02/05/01 01:07
>>6
森は燃料とそれから船の材料として消費しつくされたようですね。

11: 世界@名無史さん 02/05/01 03:08
ところで、古代ギリシャが緑に覆われていたのはどうして分かったの?

12: 世界@名無史さん 02/05/01 04:10
花粉分析

15: 世界@名無史さん 02/05/01 10:23
今より緑多いと言っても大したことないぞ?だいたいオリーブなんて乾地適用型植物が流行っていたことからも解る。葡萄なんてのはいわずもがな

ギリシャ(へらす)は、土地が豊かでないから、商業的価値のある商品(オリーブ・葡萄酒)を作って海外(エジプトなんか)に売らなければ生活が成り立たなかったっと考えるのが吉。

緑を切りすぎたってのはインダスなんかに言う方がしっくりくるよな。
煉瓦作るためにね。ギリシャは大理石文化だからねぇ。

意外と知られていないんだなギリシアのことって。

17: 世界@名無史さん 02/05/01 12:54
>>15
木を切りすぎたかどうかはわかりませんが、ギリシアの神殿は最初木造で、だんだん石造に変えていったことがわかっています。
ローマ時代のパウサニアスの旅行記にも、オリュンピアのヘラ神殿に一本木の柱が残っていたことが書かれています。

42: かちゅ~しゃで書き込めない! 02/05/04 14:14
えっと、古代ギリシャが現在よりも緑豊かな自然を持っていたということは、かなり確実なことのようです。でもって、緑が失われた原因ですが、燃料や材木用途での森林伐採と、羊の放牧による相乗的なものと推測されていますね。
なんらかの理由で一度森林が失われると、次の幼木が芽吹いても、放牧されている羊や山羊がすぐに食べてしまうために、森林が回復しない。森林を喪失したために表土が流れ、地味が痩せ、河口付近が流出土砂が埋まってしまうといった地理的変動が発生したという説が有力なようですが。

83: イエス・バラバ 02/05/06 01:47
かつてギリシアを覆っていた森が伐採されて消え去った話は、
「環境考古学のすすめ」
「環境の世界史」
あたりに載ってるね。
懐かしいところでは、NHKの「地球大紀行」の最終話でも紹介されていた。

もともと湿潤でない上に、伐採⇒跡地での放牧のコンボ攻撃で森林が再生されず。

伐採の理由は、
・耕地開発
・船の製造
・貨幣鋳造
・陶磁器製作
などなど。

84: イエス・バラバ 02/05/06 01:50
・船の製造
・貨幣鋳造
・陶磁器製作
などは、ギリシア発展の軌跡と表裏一体。避けようも無かっただろう。

ギリシア人がポリス社会を捨てて領土型国家(アレクサンドロスの帝国、ローマ帝国、ビザンツ帝国)を目指す(もしくは支配下にはいった)ことにも、森林の消滅は影響したのだろうなあ

85: 世界@名無史さん 02/05/06 01:53
そだろうね。
フィリッポス2世の頃からマケドニアは大陸側の森林資源で造船にせいだしたって言うからね。

18: 世界@名無史さん 02/05/01 17:37
ギリシア神殿て日本の鳥居に似てない?

20: 世界@名無史さん 02/05/01 18:17
>>18
似てないだろ
ファサードに偶像刻むし
青とか金とかで彩色してたし

27: 世界@名無史さん 02/05/03 06:51
>>20
ギリシア彫刻は、もともと彩色されていたというのは有名な話だけど、どんな塗り方をしてたのかなあ。
原色をベッタリ塗っていたのか、それとも肌の部分とかは微妙な塗り方をしていたのか。

21: 世界@名無史さん 02/05/01 20:19
裸体を美しい、気高いものと見た点も変わってるね。
ほかの民族の場合はだいたい裸体をさらすのを恥と考えたんだけど。

29: 世界@名無史さん 02/05/03 10:14
ギリシャでは、ストリップやストリーキングは市民権をえていたのでしょうか?

30: 世界@名無史さん 02/05/03 14:43
>>29
裸になったのは体育の訓練やオリンピックのときで、ふだんはちゃんと服を着てましたよ。

32: 世界@名無史さん 02/05/04 00:13
ところで、みなさんはミケーネ文明の崩壊要因を「ドーリア人の南下」とする説にはどのような見解を持っておられるのか?

44: 世界@名無史さん 02/05/04 15:12
>>32
ミケーネ文明衰亡の兆しは、紀元前1300年以降、トロス墓の築造がほとんどおこなわれなくなったことや、金・銀・青銅製の副葬品が少なくなったことに見ることができると思います。
またこの時期、城壁の拡張や増強が行われていたことが調査の結果わかっています。
「海の民」やドーリス人の侵入説のほか、内乱説、自然災害説などもありますが。
でも単なる自然災害ではあそこまでの被害は受けないと思いますね。
多くの宮殿が破壊された上、文字の使用、フレスコ画、印章、象牙製品、ファイアンス製品などもほとんど姿を消したのですから。

35: 世界@名無史さん 02/05/04 02:00
美術関連の話なんだけど、ルネッサンスが起こるまでの地中海世界の美術って、古代ギリシア→ローマをピークにビサンチン辺りで絶対退化してると思う。
ポンペイ展(展覧会の出来はアレだったが)観に行ってそう思った。ルネッサンスは起こるべくして起こったんだろーなあ。
ああ、ヘラスと関係なくなってきた、ごめんね。
古代ギリシアのヘタイラ(高級娼婦)ってかっこいい。

36: 世界@名無史さん 02/05/04 08:44
>>35
ローマ時代末期(コンスタンティヌス大帝の時代)にはもう優秀な芸術家がほとんどいなくなってたみたいだね。
だから凱旋門を作ったとき、トラヤヌス帝の凱旋門から彫刻をはぎとってきてくっつけたとか。

96: イエス・バラバ 02/05/06 03:04
>>36
>ローマ時代末期(コンスタンティヌス大帝の時代)にはもう優秀な芸術家がほとんどいなくなってたみたいだね

これって不思議だよね。
最初は、偶像崇拝を禁止するキリスト教が、ギリシア人から彫刻の技術を奪い去ったのかと思ったのだけど、どうもそう単純ではないらしい。

だって、初期のローマ人(ギリシア人含む)のキリスト教徒たちは、自らの棺に、イエスその人の姿を彫刻させたりしているんだよね。イコノクラスム以前は、十戒なんて全然気にしていない(笑)

元老院が皇帝に贈る、という最高の建築だったはずのコンスタンティヌスの凱旋門を飾ったレリーフが、トラヤヌスの凱旋門のリユース品だったという事実はどうやって説明すればいいのだろう・・・。

ただ、彫刻の技術は、衰えるけど、フレスコ画やモザイクの技術は、ビザンチン後期には、古代ギリシア時代のレベルを遥かに凌駕しているように思う。

37: 世界@名無史さん 02/05/04 09:42
現在のギリシア人はギリシア彫刻とは全く似ていないと言うのは本当ですか?
美男美女があまりいないとか・・・

38: 世界@名無史さん 02/05/04 09:53
>>37
ギリシア彫刻の場合は理想化されてますからね。
古代のギリシア人でも、ソクラテスとかは醜男で有名でした。

64: 世界@名無史さん 02/05/05 09:48
アカイア人、ドーリア人、イオニア人等に「ギリシャ人」はさらに細分されますが、これらは、一見して「○○人」とわかるぐらいの差はあったのでしょうか?

65: 世界@名無史さん 02/05/05 09:58
現状、定かなことは言えないはずと思いますが、外見的差違はさほどなかったのではないでしょうか。周辺異民族との差違の方が顕著だっただろう、とは言えると思います。

文字遺物には、ミケーネ時代にはみられなかった方言の偏差がその後顕著にみられるようになったと言いますが。
ちなみにアカイア人はミケーネ時代の呼称だと思います(←異論は出るかもしれませんが)。

大雑把には次のように整理してよいと思います。
アカイア人と総称されていた時代(ミケーネ時代?)があって、ドーリス人が南下してきた前後からイオニア人、アイオリス人などの分化が顕著になる。

その後、各ポリスの自立形成と並行してヘレネスの自称(総称)が流布するようになった。

98: イエス・バラバ 02/05/06 03:09
ギリシア人と民主制ってやつも面白いね。

民主制を称えたはずの民族が、アレクサンドロス以降、オリエント的な専制君主制に取り付かれ、ビザンチン帝国に至っては、神の代理人が絶対的な権力を握る体制にいきついてしまうのだから・・・

その著しき落差には驚かされる。

101: イエス・バラバ 02/05/06 03:26
ギリシア人の政治システム・・・

オリエントに攻め込んでは、オリエントに染められ、ローマ人に支配されては、ローマ人万歳にローマ帝国東西分割の後は、またしてもオリエント的専制に戻る、と

結局、アレクサンドロス以降は、政治的には他の文化圏の影響受けまくりで独自性なし、という印象。

109: 世界@名無史さん 02/05/06 20:04
>>101
アレクサンドロス以後、「君主の神格化」というのがでてきたね。
アルカイック時代や古典期のギリシア人は、神々、半神、人間というわけ方をしていて、死んだ後に祀られた例はあるけど、生きているうちから支配者を神格化するという発想はほとんどなかったんじゃないだろうか。

102: 世界@名無史さん 02/05/06 03:41
>ギリシア人の政治システム・・・
>結局、アレクサンドロス以降は、政治的には他の文化圏の影響受けまくりで独自性なし、という印象。


そう、そうなんだよ(w
口の悪い学者がいてさ、誰とは言わないが、
「ヘレニズム国家とはオリエントがギリシア化した社会ではない、ヘレネスの政治中枢がオリエント化した国家である」とか書いてるの読んだことがあってさ。
冗談半分なんだと思うが大笑い。

で、文明の話をすると、文明には普遍性が必要でさ。
これは数学は普遍的だって話とはちょと違って、異文化を変質させる長期的影響力みたいなもんよ。

イスラムが来てからシリアではアラブ語がドミナントになっただろ。
ヘレニズムはシリアにはそんな影響力は持たなかった。
ローマ時代になっても、ギリシア語、ローマ語、シリア語マルチ・リンガルだったのが判断根拠。

キリル文字は東欧に影響力を与えた文明の断片だが、あれは古代ギリシアの話ではない。

118: 世界@名無史さん 02/05/07 08:12
あまり古代ギリシャ芸術で高く評価されていない部分だよな、絵画って。
確かギリシャ美術になぜ絵画だけ発達しなかったかは大きななぞだったような。
1-2世紀となるともうオリエントの影響じゃないか。
ギリシャのオリジナルじゃあるまい。
なんとなくオーソドックスのこじつけの臭いがするな。

120: 世界@名無史さん 02/05/07 09:02
>>118
古代ギリシアでは絵画もおおいに発達してましたよ。
ただ、彫刻と違って、カンヴァスやタブローなど、材料がもろかったのでほとんど残ってないだけです。

122: 世界@名無史さん 02/05/07 10:11
>>120
古代ギリシアの絵画
>カンヴァスやタブローなど、材料がもろかったのでほとんど残ってないだけです。

カンヴァスってどんなものだったのですか?
中世ビザンツのイコンは板絵だったですよね。
古代ギリシアにカンヴァス画があったというお話ははじめて聞きました。
どんな材料でできていたんでしょうか?

今の考古学技術なら残骸からも素材は分析できますよね?

123: 世界@名無史さん 02/05/07 10:47
>>122
スミマセン、ちょっとそこまではわかりません。
考古学方面にはうといもので。
古代ギリシアにカンヴァス画があったというのは、
福部信敏『ギリシア美術紀行』(時事通信社)という本に書いてあったのです。

119: 世界@名無史さん 02/05/07 08:28
今残っているギリシャ美術はローマ時代のリメイクが多いはずだが、ローマが領土を拡大してエジプトやシリアの影響を受け始めた前後につくられたとしたら所謂古代ギリシャ時代との直接のつながりとは言えないのではないか?
当時の他文化の影響だろう。

121: 世界@名無史さん 02/05/07 09:16
>>119
ギリシア人の職人が原作をコピーしたものです。
ただ、ローマ人の好みに合わせて一部改作することもありました。
原作でのこっているものは、神殿の付属彫刻、海中から引き揚げられたブロンズ像、墓碑浮き彫り、奉納浮き彫りなどです。

124: 世界@名無史さん 02/05/07 21:35
ギリシア人のすごい点に、神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたことがあるね。
普通、古代世界では神話と歴史を連続線上にとらえるものだけど。
(神代における時間の流れと、人代におけるそれを異なったものとして考える傾向はあるけど)
ギリシアの場合そういう傾向がさらに進んで、神々の時代をフィクションとして理解するようになった。

125: 世界@名無史さん 02/05/07 21:44
>ギリシア人のすごい点に、神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたことがあるね。

「神話(ミュトス)と歴史を峻別して理解していたこと」はギリシア人全般の特質ではなく、一部知識人の特質なんじゃないの?
マケドニアは、ヘラクレスの末裔だって主張して、やっとオリンピックに入れてもらえたりしてたじゃん。 これって、ペルシア戦役の前後のことだぜ。

都市国家の政治や外交関係には、ずっと、神話的系譜関係が混入してたはずだがね。
神聖戦争とかさ。

だとしたら、一部知識人が神話と歴史を峻別するのは、何も古代ギリシアに限った事ではない。
いろいろな文明社会にママみられること。

126: 世界@名無史さん 02/05/07 21:58
>>125
ええと、じゃあ古代社会で一部知識人が神話と歴史を峻別していたのは、ほかにどんな文明がありますか?

129: 世界@名無史さん 02/05/07 22:17
エジプトやアッカドの王名表は 神話と実在の王を区別してるよ。

130: 世界@名無史さん 02/05/07 22:20
マヤ文明も 最近文字がかなり解読されたが 神話と歴史は完全に区別されてる。

158: 世界@名無史さん 02/05/09 14:55
紀元前5世紀ごろになると、
「おまえたちが拝んでいるのは(神々ではなくて)石の塊にすぎないではないか」
と説く思想家があらわれる。

257: 02/06/01 03:01
>>158
秘儀冒涜事件(でしたっけ?)の顛末なんかの例を考えるとそんな印象を受けますね。少なくとも一般大衆のあいだでも無批判に神話・宗教世界と現実を直結して考えるようなことはやっていなかったとように思えます。
「中世に無神論者はいない」なんてのは一神教の文化圏に限った非常に特殊な議論で、多神教のもとにおいては古代の時点ですでに柔軟な信仰スタイルがあったと思ったりしてます。

260: 世界@名無史さん 02/06/02 09:43
>>257
ソクラテスが死刑になったときの訴因は、
「青年を腐敗させ、国家の認める神々を信じず、新しい神霊を信じた」
というものでしたが、実際は、ソクラテスが三十人僭主時代に寛大な扱いを受けたことにわだかまりを持っている人が多かったことが有罪判決の理由だったとか。


引用元: ・古代ギリシア総合スレッド



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