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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 17:12:45 ID:SUGGbYSH
信長の鉄甲船があったとかなかったとか
そんなことについて語ろうぜ
関連記事
【海賊】 水軍スレ 【安宅船】  





2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/17(日) 17:15:41 ID:oxmR6Jfu
多門院日記には鉄張りだと

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/17(日) 21:49:06 ID:Cohtvskn
>多門院日記には鉄張りだと 

「鉄の船」とあるだけで、鉄張と書かれているわけではない。 
「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/23(土) 05:48:02 ID:Jb0caD7a
>>5 
>「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。 


鉄砲搭載ならばちゃんとそう書き記されるんじゃないのか? 
素直に鉄板がコーティングされてる箇所がある大船と解釈したほうが納得するけど。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/23(土) 06:41:12 ID:9PNYuejo
海戦の参加者の記録か、さもなければテレビ映像を見て書いたのであれば正確に書けたかもしれませんね。 

しかし、奈良の多聞院日記の人が実物を見ていないのなら、伝言ゲームの末に「鉄の船」と伝わってきたのを書いたのでしょうからそれがどこまで正確なのか書いた人にもわからないでしょう。 
下手をすれば記録した当人は海を見たこともなかったかもしれません。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/29(金) 23:17:39 ID:eMPDL4Qx
鉄甲船がなかったとすれば、どうやって村上水軍を撃破したのか謎になるからあったことはあったんじゃないかなぁ

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/30(土) 21:37:58 ID:sxaoeV8T
>>12 
大口径鉄砲による攻撃力

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/03(火) 21:28:36 ID:fWkNMWNM
>>16 
それだけじゃ船をデカくした意味が無い。小型~中型の船にも大口径鉄砲は積める。 
大きいだけの船は、当時の海戦では動きが鈍いわ的にはなるわ、輸送目的以外ではいいところがないので生粋の海賊らは、機動性のある小型~中型の小早船や関船を好んで使っていた。




小早

小早(こはや)は、中世(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた日本の軍用船の種類のひとつで、大型の安宅船と中型の関船とで三分される内で最も小型の軍船を指す。名称の“小早”は、“小型の早船(関船)”という意味である。

艪(ろ)の数は概ね40挺以下。船体が小さく、安宅船や関船とは異なって船体の全長を覆う甲板状の上部構造物(総矢倉)を持たないため、搭乗できる戦闘員は少なく、矢倉上の高い位置から射撃することも不可能である。
織田家の九鬼水軍などでは戦闘での役割は補助的で、その軽快な機動力を活かして偵察や伝令などの用途に主用された。一方、毛利水軍や村上水軍などは焙烙火矢や投げ焙烙を主要武器として用いていたため、小型・快速の小早が主力艦であった。
関船

関船(せきぶね)は、日本の水軍で中世後半(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた中型の軍用船。大型の安宅船と、小型の小早との間に位置する規模の軍船である。

性能的には安宅船より攻撃力や防御力に劣るが、小回りが利き、また速力が出るため機動力に優る。安宅船を戦艦に喩えるなら、関船は巡洋艦に相当する艦種である。名称の由来も、この種の船が機動性に優れていて、航行する他の船舶に乗りつけて通行料を徴収する水上の関所としての役割に適したことに基づくといわれる。


21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/03(火) 22:16:42 ID:fXlBKabm
>>20 
大型にすればそれだけ火砲の搭載量も増える。 
実際、やや時代が下った欧州の軍船は大量の火砲を船体側面に積めるよう大型化している。 
また、船縁が高くなれば斬り込みも困難になる。 
火矢の的になるのは機動力があっても大して変わらん。 
火矢を避けられるスピードで航行できるはずもないのだからな。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/04(水) 09:36:47 ID:sroDS8Hx
>>21 
大船に多数の火器を搭載するのも、小船多数に一艘当たり少量の火器を搭載するのも火力の総和は同じ。 
大船と小船の装甲が同程度だとすると作戦展開の面で後者の方が有利となる。 
西洋帆船が火力を増強する方向に進化するようになったのは風だけで十分な推進力を得られる純帆船として完成されてからのことであり手漕ぎのガレー船に相当する和船と同列に論ずる事はできない。 
欧州においてガレー船を巨大化させて大火力を搭載しようとした「ガレアス」は、試みとしては明白に失敗作であった。
19: 狸伍長 投稿日:2006/10/02(月) 12:46:35 ID:jVm0hE5z
海戦といえば普通は機動戦だけど、この海戦だけは野戦築城に近いんじゃないかな? 
信長の戦い方には、割と付け城による包囲戦が多いけど(野戦は決戦となる戦くらい)、その延長で海の付け城、と考えれば鉄甲船が理解しやすいかも。 
信長は、自分の得意な戦に持ち込むのが得意だけど、これも海戦に勝つのではなく、自分の得意な状況に持ち込んだのかもしれない。 
どういう構造だったのか判らないところが多いけど、当時の船(和船・西洋船・中東・ジャンク)で、薄鉄板を張って、機動戦が行えたはずが無いから。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/04(水) 00:22:36 ID:Q6H3e42/
大安宅がまともに使えたのは狭い河で戦われた木津川口の合戦くらいで、 
実用性は殆どなかったのではないか。 
朝鮮でも安宅は殆ど兵力にならなかった。 
海での戦いはわずかな速度差でも結局は機動力の勝負になるよ。
安宅船

安宅船(あたけぶね)は、室町時代の後期から江戸時代初期にかけて日本で広く用いられた軍船の種別である。

巨体で重厚な武装を施しているため速度は出ないが、戦闘時には数十人の漕ぎ手によって推進されることから小回りがきき、またその巨体には数十人から百数十人の戦闘員が乗り組むことができた。室町時代後期以降の日本の水軍の艦船には、安宅船のほか、小型で快速の関船と関船をさらに軽快にした小早があり、安宅船がその中核を成した。


25: 狸伍長 投稿日:2006/10/05(木) 20:59:46 ID:N1aqCIUX
安宅船は指揮艦でしょう。 
九鬼も、九鬼丸は安宅船だけど、主力は関船ですしね。 
ガレアスは強火力・遅速力・弱装甲で、ガレオンは中火力・速速力・弱装甲だから、撃たれたらやられるのは同じ。 
だから、ガレアスは駄目だったけど、鉄甲船は、機動力不要・大火力・強装甲という必要充分な性能を持っていたから、戦えたんでしょうか。 
となると、鉄甲船は、対石山専用船?

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/07(土) 12:22:21 ID:MMB9bUkO
長篠の合戦の馬防柵のような、足止め・待ち受け戦術用の船だったと思う>鉄甲船 
陸戦の発想を力技(財力)で海戦に持ち込んだものだったのでは

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/14(土) 16:55:27 ID:/uyzOrNv
ガレアスもコンスタンティノープル攻め落としてるから拠点攻略には強いんだろうな。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/14(土) 17:06:26 ID:531QN0Wq
>>31 
ガレー最後の晴れ舞台となったレパントでも連合軍の6隻のガレアスは敵のガレーと互角異常に渡り合ってるからね。 
しかも味方ガレーの援護があったにせよ1隻も沈んでない。全く使い物にならない代物ということはないな。 
失敗作なイメージは漕帆両用火力重視の良いとこ取りで特長がぼやけたことと、その後のガレオンに取って代わられたからだろう。


405: 人間七七四年 2010/03/27(土) 22:07:02 ID:ukq+vi+j
外様藩の中で水軍が充実していたのはどこだろ?

408: 人間七七四年 2010/05/11(火) 06:19:12 ID:T9vQCsgH
>>405

前田100万石の水軍はどうだったの?

410: 人間七七四年 2010/05/13(木) 17:12:58 ID:UWlMUA86
前田って関ヶ原の時大谷吉継が水軍で前田領を襲うって噂が流れただけで、大慌てしていたような。

411: 人間七七四年 2010/05/13(木) 20:48:40 ID:ZIBPoFFB
大谷吉継の水軍といっても前田領をかく乱できる程度でしょ。

412: 人間七七四年 2010/05/13(木) 22:29:48 ID:CyyzWgCh
だから>>410はその撹乱に対応できるかどうかくらいの水軍しか前田家にはなかったと推し量れるって言ってるんだと思うけど。

441: 人間七七四年 2011/04/23(土) 13:33:56.65 ID:F2cZ6n16
少女漫画家の一条ゆかりの母(故人)は村上家の直系子孫だそうな

442: 人間七七四年 2011/04/23(土) 14:36:38.29 ID:KqDBlazZ
水軍は村上が最強だろう
河野は海上がそこそこ強いが陸がからっきしダメ
長曽我部は海上も陸上も強かった
何が言いたいかと言うと四国のスレだねここ

458: 人間七七四年 2011/09/24(土) 13:40:34.44 ID:ldSuYgTL
>>442
長曽我部の水軍て兵站輸送が主でしょ?

459: 人間七七四年 2011/09/24(土) 16:47:12.81 ID:/vzh/Vjn
>>458
たしかそうだが、それでも大型船だったはず。

460: 人間七七四年 2011/09/24(土) 18:49:39.25 ID:ldSuYgTL
>>459
土佐水軍は池氏だよね?
隣の阿波の土佐泊の水軍や河野水軍・来島水軍・能島水軍の方がインパクトが強くて

461: 人間七七四年 2011/09/24(土) 21:43:17.38 ID:/vzh/Vjn
>>460
長宗我部水軍は結果的に戦闘よりも兵站とか伝令で活躍したからね。

462: 人間七七四年 2011/09/25(日) 00:44:37.34 ID:V2a2w21i
小田原の役の際、秀吉に鯨を献上したとかって話は長宗我部水軍だっけ

468: 人間七七四年 2011/12/03(土) 20:51:56.43 ID:yuutvrPt
毛利 大友の戦争の門司城の戦いに付随して起こった
豊前[ 蓑島 OR 簔島 OR 簑島 ]での海戦

http://iyo-sengokushi.blog.so-net.ne.jp/shodaibu-hosoku
http://kelog2009.seesaa.net/article/113764158.html

この海戦について調べてるんですけど
他に詳しいサイトありませんか?

471: 人間七七四年 2011/12/05(月) 20:30:52.45 ID:+R9J/duw
豊前今井・元長船合戦図 ぶぜんいまいもとながかっせんず
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=75752
永禄4年(1561)の大友氏と毛利氏の豊前門司城の争奪戦に関連し、同年11月に豊前今井・元長(福岡県行橋市)沖で起きた大友水軍と毛利水軍との船合戦を描いたもの。
湾内に待機する大友方の奈多・鶴崎・竹原の兵船を、毛利方の村上掃部頭武吉・来嶋河内守吉次・因嶋村上新蔵人吉充らの兵船・丸木船が取り囲む様子が描かれている。
付書によると、大友の兵船は300余艘、毛利軍は兵船800艘・丸木船400艘・軍士3700余騎とある。

472: 人間七七四年 2011/12/05(月) 20:56:08.97 ID:+R9J/duw
>>471
http://www.kuroyaryusaku.com/history-table/2011/10/1561_1.html
9/8:児玉就方率いる毛利水軍が豊前蓑島で大友方と交戦し、警固船八艘と十三人を生け捕りにする。
10/12:毛利方村上水軍が豊前沼江にて大友方と交戦する。
11/2:毛利水軍が豊前今井、元長を攻め、大友方の軍船数十艘を奪う。

11月2日の海戦を 「蓑島合戦」と呼ぶのか、それとも「蓑島合戦」は9月8日の海戦のことで、11月2日の海戦は「今井・元長合戦」なのかよく判らん

473: 人間七七四年 2011/12/14(水) 12:14:35.37 ID:IPi/rP3d
>>471
> 付書によると、大友の兵船は300余艘、毛利軍は兵船800艘・丸木船400艘・軍士3700余騎とある。

当時の水軍力は毛利かなり優勢ということかな?

474: 人間七七四年 2011/12/15(木) 00:45:33.36 ID:z9fcaKnN
そりゃそうだ。毛利直属水軍に村上水軍も加わってるんだから最強
大友水軍が太刀打ちできないのは当然。

475: 人間七七四年 2011/12/16(金) 01:30:56.40 ID:InOXCPnc
丸木舟って単材刳船か
まだ古代みたいなもの使ってたんだなぁ

476: 人間七七四年 2012/01/02(月) 12:40:38.96 ID:Xsx7T4n7
まだ日本には巨木が多かったんだな

489: 人間七七四年 2013/01/04(金) 17:36:50.45 ID:NQ/8ozPw

490: 人間七七四年 2013/01/04(金) 20:05:58.72 ID:NQ/8ozPw
5-1-08
今井元長浦船軍紀  (5/11~5/12)
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/pages/5-1-08.html

十一月朔日の夜半計に赤間関を押出し・・・
(略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大舩三艘に萱を
高く積上け下に炮禄を数多ハサミ今井の湊に推入
敵舩の間に繋かせ鬨の声と相圖の旗上は其時
舩に火を掛よと教えける角て十一月二日の暁
海面も未晴峯の横雲も未曳に一千余艘の兵船
家々の幕をはしらかし一手々々の舩印を推立
・・・・・・・・・・・
(略)

491: 人間七七四年 2013/01/04(金) 20:45:19.04 ID:NQ/8ozPw
大日本海志編纂資料|第七部門 絵画・図巻|三 絵図
7-3-13
三嶋流今井津浦船戦図
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/category/cate_7_3.html

この絵図には入江の相対する位置に今井集落と元長集落があり
簔嶋は沖合に浮かぶ島

492: 人間七七四年 2013/01/05(土) 02:50:04.88 ID:E8N14fLn
刈屋畑の戦いは関が原時の地方戦の中でも知名度低いよね
もっと有名になってもいいと思うけど

510: 人間七七四年 2013/12/26(木) 19:07:01.63 ID:J+qbsV5d
三津浜の戦いはもっと有名になっていい

511: 人間七七四年 2013/12/27(金) 05:52:56.48 ID:iFcS/UVR
>>510
これはどっちが勝っても関ヶ原の戦いにはなんの影響もなかった戦いというのが有名にならない理由。

512: 人間七七四年 2014/01/02(木) 01:26:23.17 ID:d9u8R/p+
>>511
まぁそうなんだけどそういう意味では長谷堂城の戦いと大差ないよなとは思う

513: 人間七七四年 2014/01/02(木) 10:56:14.46 ID:oDT6Cc1d
政宗や直江、如水が関わった他の戦線と違って有名武将が絡んでないからな…
一応村上武吉・元吉親子が参戦して子の方が討死してるけど、武吉の動向は調略の書状以外は不詳だし

514: 人間七七四年 2014/01/03(金) 23:28:38.68 ID:WrQeAkEc
加藤軍が苦戦して高虎が援軍で来てたら違ったかも

515: 人間七七四年 2014/01/04(土) 00:52:14.25 ID:IRV2q51d
高虎は関ヶ原にいたから嘉明同様戦ったのは留守部隊だね
んでこっちも西軍に呼応した一揆の鎮圧に兵を出してたから援軍は厳しいかも(おまけに加藤とは仲悪いし)

516: 人間七七四年 2014/01/04(土) 07:32:46.41 ID:hH2yegjT
両方の主君が出張中の留守部隊どうしの戦いってのは、レアケースだと思うが。

517: 人間七七四年 2014/01/04(土) 10:14:47.91 ID:4/w0EZKk
一応西軍側は伊予守護家復興の大義を掲げて河野通軌(宍戸景好とも言われる)を大将の一人に奉じてるから
河野家残党にとっては本隊と言えなくもない

526: 人間七七四年 2014/07/28(月) 15:21:24.43 ID:sFfAUaFM
日本の水軍がいまいち貧弱に思われるのは唐入り時海戦での朝鮮側の誇張表現もあるが、日本最強と言われてた村上水軍の総帥の村上武吉の小船好きもあると思う。
馬鹿は大きい=強いって思う節があるからね

533: 人間七七四年 2014/09/07(日) 15:21:23.67 ID:dyPD0Bez
本願寺補給路封鎖作戦で村上水軍にリベンジしたときの九鬼水軍の主力艦は大安宅船と呼んだらしいな

既存の安宅船より大きかったことは間違いなさそうだ

544: 人間七七四年 2015/08/17(月) 07:56:55.44 ID:qXZY5cZw
夏休み中に鉄甲船さ作るだ。

546: 人間七七四年 2015/08/21(金) 07:23:58.91 ID:NiKfE2ox
普通に考えると、鉄板張りしたら錆ないか?
すぐに使い物にならなくなるよ。しかも海だよ。
戦のたびに鉄板替えてたりとか?
当時は防錆技術なんてないだろうし。
その辺どうなの?誰も指摘しないかど。

551: 人間七七四年 2015/11/14(土) 16:31:48.20 ID:Ulgxx0ic
>>546
当時の鉄製の金物は基本的に表面を黒錆処理して内部が錆びるのを防いでいる

547: 人間七七四年 2015/08/21(金) 08:19:50.96 ID:bajRq0Ad
鉄甲船は史料だと鉄砲を大量に積んだ軍船の事で鉄板張りの類は書かれていないと、どっかで読んだ

550: 人間七七四年 2015/10/20(火) 13:44:51.20 ID:AyniQK0C
>>547
鉄甲船は史料に存在しない
昭和末期に生まれた空想の産物だから

毛利-村上水軍に一度完敗した織田軍が、九鬼に作らせた「大安宅船」で再戦した
大安宅船は既存の安宅船を更に大型化したもので、「大砲」を積んで運用した
フロイスによると、この大砲が決定的な勝利をもたらしたとのこと

少し後の秀吉の時代に、明征服作戦の装備として鉄張の軍船が試作されたが、これは完全な失敗作で、実用にはならなかった
この情報も、鉄甲船という架空兵器の基の一部になっていると思われる

朝鮮の「亀甲船」が全面装甲艦だったという荒唐無稽な空想と同水準だな
あちらの亀甲船は、甲板上を棘付きの篭で覆い、斬り込みによる白兵戦を防ぐものだった
どこをどう曲解して装甲艦に仕立て上げたものやら

552: 人間七七四年 2015/11/20(金) 17:48:59.11 ID:4n0CJ3Iu
名護屋からジョアン・ロドゥリーゲスは一書簡を送付してきたが、彼はその中で次のように述べている。
「関白はこのたびの朝鮮征服のために幾隻か非常に大きい船舶を建造させました。それらの舟は、すべて水面から上は鉄で覆われ、中央に船楼を有します。相互に通じる船橋は、いずれも鉄が被せられ、木(造部)は露出していません。そして全て甚だしく美しく塗金されています。
それは大いに鑑賞に値するもので、私は時々それらの船に入ってみました。同署にありました船を測ってみましたところ、長さ十九畳ありました。数名のポルトガル人たちは、それらの船舶に入ってみて肝を潰していましたが、それらの船は弱体で、船骨に欠(陥)があったために、幾隻かは裂けて沈没してしまいました。」

555: 人間七七四年 2016/01/01(金) 13:39:59.10 ID:rLGeUcis
一番重要な船骨に欠が・・・
どんだけ無能なんだ

556: 人間七七四年 2016/01/18(月) 13:40:05.50 ID:17P55qU2
和船に船骨はない

558: 人間七七四年 2016/01/18(月) 16:28:56.70 ID:Tb0kK/hS
外海には出ないし泊まれる港もなくなるしいらんのよね

576: 人間七七四年 2017/02/13(月) 07:50:27.73 ID:6Smlo7Ho
何で大航海時代の造船技術や航海術は手に入らなかったの
鉄砲をあれだけ量産したり城や何だと建築できる技術とGDPがあれば金なんかいくらでも積めたよね
船ごと艦隊ごと買うとか容易かったろうに
海賊はいくらでも買えたろう

蘭学事始並の語学力がいるわけでもなかろうに

579: 人間七七四年 2017/02/17(金) 22:12:31.64 ID:8hC4Z3kH
家康と政宗が3隻作ったやん

582: 人間七七四年 2017/02/17(金) 23:24:33.24 ID:ZU2LWMS4
外国からくる船は当然、外国へ帰る足でもあるのでそんなホイホイ売れないし、軍事機密でもあるんだからそんな簡単に手放さないでしょ

595: 人間七七四年 2017/06/26(月) 11:58:51.99 ID:lepDbyQS
第二次木津川口の戦いのwiki見るとさ
織田方の水軍が鉄甲船6だけみたいな感じで書かれてるんだけど
実際、大船(鉄甲船かどうかは怪しい)を護衛する小舟もたくさん出てたわけでしょ?
一次の時は毛利が出した水軍の船に対して織田が急遽用意できた船が少なくて負けたわけで二次は当然、毛利に対抗できるだけの数を揃えたと思うんだよ
鉄甲船がどうのみたいな話じゃなく備えがあったか否かの話でさ

なのに、毛利方が出したのは一次も二次もたいして規模の程度はないような記述なのに二次の織田方は鉄甲船のような大船が6でただけみたいな記述はなんでなん?
二次の織田方の水軍兵力に関する情報ってそんなにないの?

596: 人間七七四年 2017/07/02(日) 01:39:54.83 ID:biQ40rHO
第二次木津川口で織田側が小船を出したという記録は無い

597: 人間七七四年 2017/07/02(日) 03:46:54.90 ID:sbX+ZdwB
じゃあ本当に大船6しかないの?
仮にそれが主力だとしても護衛艦なしで戦艦突っ込ますようなもんじゃないの?それ

598: 人間七七四年 2017/07/02(日) 15:37:37.27 ID:EFiHzi3S
織田の鉄甲船は、河口を塞ぐ移動砲台みたいなものだから

599: 人間七七四年 2017/07/04(火) 06:20:36.01 ID:MJ3yiM/U
記録はなくても出したと考える。

600: 人間七七四年 2017/07/04(火) 21:08:34.30 ID:XboUOCZC
里見の水軍って強かったの?
瀬戸内の水軍に比べたら武装もちんけだろ?

606: 人間七七四年 2017/07/07(金) 20:41:08.31 ID:yi1sXOxA
>>600
少なくとも対北条では連戦連勝。海岸沿いの北条領は里見水軍にも年貢を収めてた
北条は自前の水軍じゃ足りないから紀州とか伊勢の水軍を借り出してる

607: 人間七七四年 2017/07/07(金) 21:17:48.73 ID:Qh42ma8J
>>606

> 北条は自前の水軍じゃ足りないから紀州とか伊勢の水軍を借り出してる

それは知らなかった。カネ払えば傭兵になってやって来てくれたの?

609: 人間七七四年 2017/07/08(土) 14:13:32.39 ID:aQlMhdy8
今川武田徳川水軍と渡り歩いた駿河水軍の向井正綱は伊勢出身。
それと渡り合った北条水軍の梶原景宗は紀伊出身

610: 人間七七四年 2017/07/08(土) 21:28:51.49 ID:PZOC1mCV
伊勢水軍と熊野水軍は東海道沿いの大名たちと交易を介して関係を持っていて、戦に出張したり、召し抱えられる者も居た

611: 人間七七四年 2017/07/08(土) 21:39:08.09 ID:VvgZ+6CY
後北条水軍(たしか)の関係者が、
海路、松島の瑞巌寺に参拝した
という記録を読んだ記憶がある。

たぶん安房の里見や、常陸の佐竹とかには事前に話をつけてから沿岸を通過したんだろうな。

612: 人間七七四年 2017/07/09(日) 03:32:20.57 ID:hAYpHk8f
佐竹に仕えた剣豪の愛洲氏も熊野水軍の出

614: 人間七七四年 2017/07/09(日) 07:06:41.72 ID:ID0fGYh1
>>612
佐竹は水軍らしい水軍は持っていなかったのに、なぜ雇ったんだろうか?

616: 人間七七四年 2017/07/17(月) 00:47:51.57 ID:TzAfORKF
>>614
真崎宣広ってのが「佐竹水軍」を率いたってあったんだけど佐竹って水軍なかったの?

613: 人間七七四年 2017/07/09(日) 03:36:07.08 ID:hAYpHk8f
基本的に当時の水軍は傭兵と貿易商兼ねた勢力なので依頼があれば行けるとこは行くよ
雑賀根来も船出して長宗我部の援軍とか行ってるし

引用元: ・【海賊】 水軍スレ 【安宅船】



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