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1: 世界@名無史さん 2018/11/18(日) 22:13:56.33 0
なかったので立てました
三大陸にまたがったこの帝国の歴史を語りましょう








2: 世界@名無史さん 2018/11/18(日) 22:33:17.58 0
瀕死の病人

3: 世界@名無史さん 2018/11/18(日) 23:25:43.03 0
第二次ウィーン包囲の失敗の後、ヨーロッパを知ろうとしてイルミセキズ・チェレビーがフランスを訪問したが、彼が持ち帰ったものはオスマン帝国の政治や軍事にほとんど変化をもたらさなかった

4: 世界@名無史さん 2018/11/26(月) 00:17:27.79 0
日本とのかかわりといえばやはりエルトゥールル号か

7: 世界@名無史さん 2018/11/28(水) 23:43:27.17 0
オスマン帝国が技術的に西洋より優位だったのは何年ごろまででしょうか。

11: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 15:45:20.34 0
>>7
優位だったことはないだろ
14世紀には西欧はもう機械時計が普及してるし
火器の技術もウルバンみたいな西欧人技術者雇ってるし

12: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 18:33:00.00 0
遊牧民は民族に関係なく有能な人間を集めてくればいいという発想だからな
技術者も西欧人を雇えばいいと考えていた

16: 世界@名無史さん 2018/11/30(金) 03:56:36.63 0
中近東の人間は、技術に興味ないんだよな
昔、ロシアのミサイルの設計図が中東で流出したときも、アラビア人には組み立てられず、結局、北朝鮮に設計図を渡した。

鉄道も発電所も、発注してカネを出すだけで、技術は丸投げ。
中国と違って、技術をパクろうとはしないから安心できる(笑)

17: 世界@名無史さん 2018/11/30(金) 03:58:36.16 0
ただし、それは技術に限った話
医学に関してはアラビアが圧倒的に進んでおり、中世の欧州は未開人の呪術レベルだった

8: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 02:24:09.45 0
オスマン帝国のハーレムでスルタンが寵愛したのは、カフカース出身者であり、彼女たちは金髪で色白の肌を持ち、雌鹿のような目をした美女たちであったチェルケス、グルジア、アブハズ、アルメニア出身の女性たちである

14: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 20:01:12.64 0
>>8
スルタンが誰と同衾するかは母后と大臣が決めていて結果的に何の後ろ盾も持たない
コーカサス人種の奴隷が好まれただけの話

10: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 09:21:40.25 0
奴隷出身者でも宰相にまで出世できたのがオスマン帝国
もちろんスルタンの恣意に左右される地位だが

15: 世界@名無史さん 2018/11/29(木) 22:13:08.12 0
オスマン帝国のハーレムには美女たちが集められていたが、内廷の小姓たちも美少年が集められていた

19: 世界@名無史さん 2018/11/30(金) 09:19:07.63 0
オスマン帝国君主がローマ皇帝としての自意識を持っていたという説が巷間に流布している。オスマン帝国君主が「ルーム(ローマ)」のカエサル」という称号を用いていたことは確かである。
しかしこの用法での「ルーム」とは「かつてローマが支配していた地域」という意味でアナトリアを指す地名であり、ローマ帝国を意味しているわけではない。
また、「カエサル」も数ある君主の称号の一つとして利用されていたにすぎない。

20: 世界@名無史さん 2018/11/30(金) 18:23:08.25 0
メフメト2世だけはローマ皇帝の称号にこだわってたんじゃない?
ギリシャ正教の総主教の支持を得てたし。
メフメト2世死後はどうでも良くなったみたいだが。

21: 世界@名無史さん 2018/11/30(金) 18:54:34.34 0
メフメト2世は、トプカプ宮殿の「帝王の門」に、「二つの陸のスルタンにして二つの海のハーカーン」という称号を刻ませている

22: 世界@名無史さん 2018/12/01(土) 08:05:08.36 0
ハーカーンって可汗?

23: 世界@名無史さん 2018/12/01(土) 09:15:59.21 0
>>2
そう。テュルク語のカガンのこと

25: 世界@名無史さん 2018/12/01(土) 12:04:02.02 0
>>23
なるほど。
ならオスマン可汗国と呼ぶべきか。

26: 世界@名無史さん 2018/12/01(土) 14:29:55.67 0
オスマン人自身は自国のことを「至高の帝国」と呼んでいたな

28: 世界@名無史さん 2018/12/01(土) 20:43:04.14 0
オスマン帝国崩壊後、バルカン半島や中東各地での民族紛争が続く。
曲がりなりにもオスマン帝国が世界の秩序と平和を護っていた。

29: 世界@名無史さん 2018/12/02(日) 10:29:10.40 0
>>28
統治の難易度が超絶級に難しい地域ばかりだ

31: 世界@名無史さん 2018/12/02(日) 10:51:21.65 0
>>28
オスマン帝国の民族共存は、ユダヤ教徒やキリスト教徒などの異教徒を「二級市民」として扱うことによって成り立っていた
現代にそのまま適用できるようなシロモノではない

32: 世界@名無史さん 2018/12/02(日) 20:16:10.55 0
>>31
そりゃバラ色の理想郷の実現からは程遠いだろうし、欠陥は数知れずだろうが、一定の秩序と安定をもたらしただけ、マシじゃないか。評価しようよ。

ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。

166: 世界@名無史さん 2019/02/13(水) 12:56:32.51 0
>>32
>ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。

当時~オスマン帝国末期~の経済を動かしてたのはユダヤ人やアルメニア人で、特にアルメニア人はトルコの経済の70%を握ってたという説もある位で、憎まれてたと読んだ事がある。

以前NHKのBSの紀行番組観たとき、イスラム社会のどこにでもアルメニア教会があった。
そしてかってはアルメニア人街があったけど、現在は少しの人しか住んでいない、との事だった。

174: 世界@名無史さん 2019/02/14(木) 13:16:52.55 0
>>166
アルメニア人って、陸路海路の商業ネットワークを持ってて広い範囲でかなり活躍してたんだね。
イギリス東インド会社にとってもアルメニア人有力商人たちの協力を得たことが会社活動に大きな利益となってるらしい。

37: 世界@名無史さん 2018/12/03(月) 08:17:04.10 0
ティムールが最強。

39: 世界@名無史さん 2018/12/04(火) 08:54:32.46 0
>>37
ティムールはオスマン帝国なんぞ瞬殺できちゃう英雄だが、1代の成り上がり者の悲しさで、後継者が小粒だし、結局、四方八方の敵対勢力に一人で対処しなければならず、それも親征すると次々と撃破しちゃうんだが、親征しない方面は押されることも多く、ジョチ・ウルスとの死闘の一方で、さすがにアナトリアまで目が届かない。

40: 世界@名無史さん 2018/12/04(火) 18:36:47.76 0
アンカラの戦いにおいて、ティムールはオスマン侯国のアナトリア側での拡大の結果として追放されていたかつて諸侯国の君主たちを戦いの前面に立て、オスマン軍をゆさぶった
オスマン軍として戦いに参加したアナトリア出身の騎士たちの多くは、かつての君主がティムールの軍にいることに気づいて動揺したといわれる
オスマンの常備軍も、バルカンとアナトリアの両前線で続く遠征に疲弊し、士気があがっていなかった
軍勢の数でも勝ったティムール軍は、オスマン軍を解体させ、侯国は分裂した

41: 世界@名無史さん 2018/12/04(火) 20:42:44.93 0
バヤジッドも、アナトリアに覇を唱え、バルカン半島を侵略し、「雷帝」と呼ばれた英雄だったが、相手が悪すぎた

歴史における「上には上がいた」という例

42: 世界@名無史さん 2018/12/04(火) 20:44:12.58 0
ティムールのおかげで、西欧はホッとした

ニコポリスで、ハンガリー王ジギスムントが完敗したときは、久々に西欧の危機だった

43: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 09:36:45.07 0
アンカラの戦いの後、ティムールが東征のため軍を引くと、あとにはバルカン、アナトリアに散らばったバヤズィトの王子たちによる後継者争いが残された
以後、20年にわたってオスマン家は分裂し、バルカンとアナトリアを舞台に抗争が続く
最終的には、メフメト1世の手でオスマン家支配の再統一がなされた

44: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 09:58:59.37 0
オスマン帝国の大宰相。
超有能で帝国を盛り立てて、権勢の絶頂に立ったところで、処刑されておしまいというイメージを持ってる。
なんか可哀想。

94: 世界@名無史さん 2018/12/11(火) 17:06:54.61 0
>>44
斜陽を迎えた第一次大戦末期に大宰相を務めたタラートも処刑こそされなかったけど自国から死刑判決を受けてたっけ
(エンヴェルやジェマル共々)

45: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 11:10:22.83 0
歴代スルタンの中でも、オスマン2世はイェニチェリ軍に殺害されている

46: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 12:01:04.26 0
スルタンにならない兄弟たちは自動的に死んでもらう制度なんでしょ。
合理的だけど非人間的なものを感じる。

48: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 21:40:30.01 0
>>46
さすがに19C後半以降はそういう制度もなくなったような

ムラト5世⇒アブデュルハミト2世⇒メフメト5世⇒メフメト6世
というように兄弟が帝位を引き継いでるし

50: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 22:21:47.30 0
>>48
アフメト1世(在位1603年ー1617年)の時代から兄弟殺しは行われなくなった
代わりに皇子たちは「黄金の鳥籠」と呼ばれる場所に幽閉されるようになった

52: 世界@名無史さん 2018/12/06(木) 06:46:22.15 0
>>50
即位の度に兄弟殺しを厳格に実行し続けてたら、いくらハーレムがあってもいずれ断絶しちゃうよな。

まぁ、ハーレムは男のロマン。

47: 世界@名無史さん 2018/12/05(水) 17:43:36.51 0
インドのムガル帝国にも兄弟殺しの習慣があった
遊牧民の王朝にはよくあることなのかな

66: 世界@名無史さん 2018/12/07(金) 07:13:25.16 0
>>47
ムガール帝国の場合は、兄弟殺しというより、兄弟による内戦だな
どういうわけか、跡目争いのたびに毎回そうなる

70: 世界@名無史さん 2018/12/07(金) 22:32:49.25 0
>>66
長子相続制ではないし、ゲルマン人国家のように分割相続でもないから、必然的にそうなってしまうんですかね

72: 世界@名無史さん 2018/12/08(土) 01:53:15.02 0
セリム1世にいたっては、クーデターで父バヤズィト2世を倒したばかりでなく、父を毒殺したという噂があるな(真相は不明)

もちろんセリムの兄弟やその子供たちも殺された

62: 世界@名無史さん 2018/12/06(木) 23:57:29.43 0
アジアで最初の成文憲法は1878年に発布されたオスマン帝国憲法。
しかし2年後に停止、オスマンは元の専制君主国家に戻る。
その結果、有色人種に憲政は無理というのが当時の常識に。

75: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 18:28:00.89 0
>>62
トルコ人を有色人種と見做しているヨーロッパ人はいないと思うぞ
ペルシャ人もな
元祖アーリア人で同じ印欧語族だしな

82: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 21:50:40.86 0
>>75
そういや大昔の日本で欧米人役演じてたトルコ人俳優もいたっけか

90: 世界@名無史さん 2018/12/11(火) 08:12:44.66 0
>>82
ロイ・ジェームスか。彼は、タタール人だから、テュルクではあるが、トルコとは言えないな。
カザン・タタールだと思ったが、カザン・タタールは殆どロシア人と見分けがつかないから。

91: 世界@名無史さん 2018/12/11(火) 10:07:05.66 0
>>90
ユセフ・オスマンって人も

85: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 23:21:00.45 0
イスラームでは同性愛禁止、というタテマエになっているけれど、実際にはオスマン帝国の支配層の間では同性間の感情・関係がよく行われており、スレイマン1世も寵臣のイブラヒム・パシャと恋愛関係にあったといわれている

86: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 23:22:32.63 0
オスマン帝国も、ムガール帝国も、ペルシャ文化に深く系統し、影響を受けていた

欧州におけるフランスのような位置づけか、それ以上

87: 世界@名無史さん 2018/12/10(月) 23:29:19.37 0
ムガルではペルシア語が公用語やった
中央アジアではペルシア語が広くリンガフランカとして通用する
「なんちゃらスタン」という地名は広く使われるがこれもペルシア語

88: 世界@名無史さん 2018/12/11(火) 07:03:47.50 0
ムガール帝国期に、インドの文化は大きく変質した
音楽・美術・文学・建築、何もかもがペルシャ風になった
唐の時代に、日本が中国から受けた影響にも比すべき変化

89: 世界@名無史さん 2018/12/11(火) 07:05:42.09 0
トルコも、革命でオスマン帝国を倒したケマル・アタチュルクがペルシャ語の語彙を民族語に置き換える国語改革をしたほど、ペルシャ語の影響は大きかった

100: 世界@名無史さん 2018/12/16(日) 19:35:46.53 0
オスマン帝国の近代化がなぜ失敗したのか教えてほしい

101: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 05:47:06.92 0
得意の交渉と取引でなんとかしようとして、殖産興業政策が失敗した。

102: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 06:32:02.75 0
失敗してないで
近代化を始めたからこそオスマン体制では立ちゆかんようになって滅びたんや
清朝も徳川幕府もおんなじや
みんな近代化に着手したらすぐ滅びた

ロシア帝国はピョートルが近代化始めてから200年近く存続したけどこれは時代の違いや

106: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 10:40:23.05 0
>>102
だな
オスマンからトルコ共和国という連続した近代化

104: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 07:35:41.62 0
中江兆民の「三酔人問答」には、「いまやアジア諸国の中で、日本とトルコだけが希望の星ですな」という下りがある

日本とトルコだけは、欧州の近代化にかろうじてついていけているというのが、当時の認識だった

105: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 07:37:07.68 0
18世紀初頭のロシアのピョートル大帝にとって、トルコはスウェーデンと並ぶ強敵だった

109: 世界@名無史さん 2018/12/17(月) 23:56:47.61 0
オスマン帝国の破産の引き金となったのは実は海軍だった
軍艦購入のために行った巨額の借款がオスマン国家の財政を窮地に追い込んだ

111: 世界@名無史さん 2018/12/26(水) 02:09:06.75 0
オスマンが明確に傾き始めたのはギリシャ独立戦争からという認識でよろしきや?

引用元: ・オスマン帝国の歴史



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