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1: ころろ ◆tbZrQihFM2 2006/11/10(金) 17:44:45 ID:uHGGGSry0
呂布を弁護してあげて!

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130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 14:34:00 ID:msy0i7Id0
北斉の皇帝全般。
どんな王朝でも、一人くらいは名君だとか英傑だとか言われる人がいるもんだけど、北斉に限っては全部が酷い。
蘭陵王がこの皇帝の一族とは思えんw

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 20:34:45 ID:Q2KJzVnK0
北斉の皇帝は高緯以外は戦にだけは強いし、斛律光のような有能な将もいたから中々滅ぼせなかったのもたちが悪い。

133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 22:10:50 ID:msy0i7Id0
>>132
惰弱とかではないんだけど、残忍な印象を受けるな。
あと、性的な面でも、北斉は中国史のなかでも屈指の荒淫ぶり。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 06:24:09 ID:uMSxc0v0O
だからある意味北斉はダークさでは屈指の魅力があるw

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 12:16:47 ID:D3OYYbqD0
石虎や北斉の皇帝と比べると煬帝なんて大した暴君には見えなくなる

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 17:29:05 ID:C8+QiFNy0
親兄弟陥れてサクセスとか時代を考えれば普通の事だしな

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/29(水) 22:55:47 ID:mPb1Uf2E0
永楽帝や李世民も親族を殺してるけど名君として評価されてるからな

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/29(水) 23:38:55 ID:D15odgexO
北魏道武帝

薬物中毒になった晩年がひどい
朝臣の顔色が変わったり、息づかいが乱れたり、歩行の様子がおかしかったり、言動に誤りがあると心中の悪意が現れたものだとして殺したらしい

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/01(金) 00:01:49 ID:mOxjtF5L0
>>138
トウガイ大ピンチ

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/01(金) 23:19:34 ID:AzqOkdUw0
司馬昭

曹髦を殺させた挙句、実行犯に全て責任を擦り付けて賈充を殺さなかったり
やりかたがあまりにも陰険すぎる

142: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 11:19:17 ID:BMrrNPOJ0
>>141
司馬昭って被害者のような気がする
なにしろ皇帝を殺すつもりなんか全然なかったんだし
司馬一族はスマートに王朝交代をさせるつもりだったわけだしな
カジュウの独断のおかげで後世の人々から皇帝殺しと言われるはめになった
おそらくこれ以降も皇帝殺しと言われるだろうな
ちょっとかわいそう

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 21:38:55 ID:i0q6E2+r0
でも陳泰に賈充を斬れと進言されたのに却下したしなあ
曹髦を殺す意思がなかったならが賈充を斬ればよかったのに

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 22:03:52 ID:OV8vrG1h0
名士層は言うに及ばず、晋で取り立てられた魏の皇族もいるし、夏侯氏なんて晋の外戚に納ることになるわけだしね。

やはりこのスレ的には殺戮・荒淫+国土を荒廃、民衆を疲弊、こういう王(皇帝)のほうが該当するんじゃないかと。

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/04(月) 22:43:57 ID:UC+jn8po0
>>144
>殺戮・荒淫+国土を荒廃、民衆を疲弊

この条件だとやはり五胡~南北朝の独壇場かな?
五代十国でも南北朝レベルのひどい国は少ないと思う。

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/05(火) 00:20:25 ID:dD6kJb8d0
>>145
ま、朱全忠くらいだな。
皇帝殺しの罪を仮子になすりつけて忠臣面して嘆いたし
仮子の嫁を寝取ったりと、なかなかに引けはとらないと思う。
女性関係で言うなら、沙陀軍閥の方が淡白なように思えるな。
後の漢人政権、後周も、年数短いけどそのあたりはドロドロしてない。

朱全忠

852‐912
中国,五代後梁第1代の皇帝,太祖。在位907‐912年。宋州碭山県の人。本名は朱温であるが,黄巣の反乱軍(黄巣の乱)に投じ,乱後半に形勢不利とみて唐朝に下り,全忠の名を賜った。さらに恩賞として運河の要衝汴州に治所を置く宣武軍節度使に任ぜられ,その豊かな経済的立地により群雄を平定し,唐帝を保護下に置いた。907年(開平1),自らがたてた唐最後の哀帝に迫って譲位させ,帝位についた。


148: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/05(火) 22:06:35 ID:8E+/tWlr0
朱全忠は酷いよな。
兄貴からも唐王朝の恩を忘れて簒奪するとは何事かって罵られてるし、最期は実の息子に殺されるという無様な末路。
兄貴は朱全忠が死んだ時どう思っていたことやら。

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 00:01:46 ID:ftnCxD450
まーでも皇帝(皇族)殺しを臣下のせいにするとか、近親者の嫁を寝取るとか、忠義面しておいて簒奪するとかは他にも沢山いるから、それだけでキチガイだとは言えないけれど
「俺の息子は揃ってろくでなしばかりだ!」(そりゃ親見て育つさw)
って罵ってたら、そいつに殺されちゃったのはいただけなさ過ぎるよねぇ

少し殺伐とした人物ばかりなので、侯景なんてどうでしょう?
宇宙大将軍とかなかなか笑かしてくれるお方ですが
彼に殺された梁の武帝も、その半生の名君っぷりと後半の老害っぷりが激しい隠れ暗君だす

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 01:17:18 ID:XY6JE3Cu0
朱全忠は生まれが生まれだからその分差っ引いて見てしまうな
貧しい生まれだから根がアレだ、って部分と
貧しい生まれだからこそ破壊できるんだ、って部分と
同じコトしても生まれ育ちがイイ奴がやるのと、朱全忠みたいな奴がやるのとでは印象違う罠
前者の方が救いがたいと思う

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 11:02:29 ID:wfNuovQr0
朱元璋は生まれ育ちの悪さも、やった事の残虐さも朱全忠の比じゃないよ。
朱全忠と違って民には優しかったけど。

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 16:59:58 ID:2hIeflus0
>>154
朱全忠も統治領民に対してはやさしいよ。
部下の育て方も上手いし、適材適所ではあった。
朱全忠亡き後の「豚犬」と罵倒された子らであっても、なお晋の鋭鋒から十年耐えたのは、朱全忠時代の良将が多数いたから(晋の統治もアレなので相殺されているという説もw)。
ま、それも「豚犬」がのきなみ粛清していったので、オワタが

157: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 19:32:52 ID:uBINI4/D0
ちゅーか息子が豚犬しかいねぇってのは後継者であった優秀な息子がアボンした人がいうテンプレ台詞だとオモ
朱友裕が生きてれば梁はまた違ったかと

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/06(水) 20:12:07 ID:WzMNjLGv0
自分を罵倒した兄貴を殺さなかったので、多少の理性は残ってたんだろう。

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/07(木) 07:10:57 ID:5eLvzbxw0
そもそも兄の罵倒なんて理解できなかったんじゃ?
朱全忠は唐に恩を売ってこそすれ、買った覚えはないんじゃね?

しかし朱全忠は人気ないね
似たような劉邦、劉備、劉裕、朱元璋とかは人気あんのに
エピソードの無さか、あるいは五代トップバッターだから割り食ったか

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/07(木) 08:55:41 ID:9pzN2L9v0
>>159
わかりやすく言うと、朱全忠は三国志でいう曹操みたいなもんで強大な敵扱いなんだろう。
宣伝上、唐に忠誠を尽くす(主役視点)のは、その強大な悪役に滅亡の寸前まで追い詰められ、やがて逆転する沙陀軍閥、晋~後唐側だから むしろ、沙陀の激烈な民衆統治が無視されがちなんだよねw

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/07(木) 09:44:33 ID:5eLvzbxw0
そういわれりゃそうだったな>朱全忠悪役
李克用は戦バカ、李存勗は唐かぶれ、(ついでに李嗣源は軍に金散撒きすぎ)で晋&後唐ってニントモカントモな印象だったが、唐への忠義って面でみれば善玉扱いなのか(張承業に諫められたけど)
そのポジションは王建や楊行密だと思ってたが、やっぱ格が落ちちゃうかね

個人的には全忠だの克用だの王建だのに挟まれながら皇帝に近いって条件を散々利用して戦い続けた一兵卒出身の李茂貞が一番梟雄っぽくてロマンがあるがw

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/07(木) 13:34:57 ID:9pzN2L9v0
李茂貞もいいな。
いっとき、前蜀をも上回る勢力を隴西にもち、朱全忠に嫁を寝取られた楊崇本とか引き込み、相当威勢はよかったんだけどね。
それにしても、朱全忠相手にはほとんどワンサイドゲーム食らわされている。
岐討伐(皇帝奪回)のときは、晋も半分沈黙させていたし、後梁って朱全忠本人もだけど、やはり部下に相当できるヤツが多かったと思うな。

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/14(木) 00:31:12 ID:EM4Ni9NM0
武将より、文官のほうがよっぽど悪いことしてると思うけどな・・・・・
中国の王朝史においては。
なんで>>1は武将と王限定にしたのか・・・・

武将が人を殺すのは、致し方が無いところがあるが、文官は自分の手を汚さず人を殺すからな・・・しかも悪どい方法で

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 00:13:35 ID:gwnl4rR00
文官で最悪なのと言えば王衍かな。
石勒との問答の際の無責任さが印象深い。

王 衍(おう えん、256年 - 311年4月)は、中国西晋の政治家・武将。王衍は才気に溢れて容貌にも優れ、聡明で鋭敏な様はさながら神人のようであったという。

石勒は晋の大軍が東下しているのを知ると、軽騎兵を率いて強襲を掛けた。王衍は銭端に命じて迎え撃たせたが、石勒はこれを返り討ちにし、銭端を斬り殺した。この戦いで諸侯王や百官の多くが戦死するか生け捕られ、王衍もまた捕縛された。

石勒は晋の重臣たちを幕下に引き出すと、晋がなぜ凋落したのかを問うた。王衍は進み出て晋朝廷の衰退の原因を詳細に話し、晋滅亡は必然であったと述べ、媚び諂って石勒に帝位に即くよう勧めた。石勒は「汝は若い頃から朝廷に仕え、名声は四海に及び、その身は重任を担ってきた。官界に興味がないことはないはずだ。天下が破綻したのが汝のせいでないというのなら、誰のせいだというのか!」と詰り、彼を連行した。

その一方、石勒は王衍の名声を評価していたので、彼を助命しようと考え、配下の孔萇へ「我は天下を長年走ったが、このような人物にあった事はない。生かしておく事はできないだろうか」と問うたが、孔萇は「彼は晋朝の三公であり、我々のため力を尽くす事はないでしょうか。生かしておく意味はありますか」と述べた。石勒は「ならば刃を用いずに殺すとしよう」と述べた。他の群臣はみな斬り殺されたが、王衍は夜中に戸外へ連れ出され、壁を押し倒してその下敷きになって圧殺された。


192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/02(土) 22:04:02.12 ID:bTwhI5ftO
王衍は石勒の引き立て役

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 21:25:02.13 ID:dnio0aRW0
なんで五胡十六国、南北朝だけあんなに暴君が多いんだ?

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/05(火) 11:39:35.87 ID:vhhiQ+sHO
まず元から皇帝なるビジョンも無いのに権力の頂点へ必死に成り上がる奴や、単に好き勝手したい→なら皇帝になればイインジャネ?てな発想の奴ばかりがこの時代には皇帝を称するチャンスに恵まれていた事。
あまりにも皇帝まで成り上がるハードルが低すぎた事。
そして当時皇帝や国主を名乗るのに躊躇する発想が全国総じて少なかった事。
それだけ皇帝という存在の権威と価値が低くなってしまっていたが故。

195: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/07(木) 21:34:22.84 ID:BCEjHh9i0
>>194
流石に支持基盤がないと乱世でも皇帝にはなれないから好き勝手する奴はすぐに部下に瞬殺されてる
あと帝位の価値は確かに下がったが五胡十六国では準皇帝として天王を名乗るのが一般的だったと補足

北朝…部族系国家の乱立
漢人<部族の利益優先な政権、部族の蛮習の名残→漢人の反感
漢化しきれてないまま中国を統治する訳で部族制(嫡子より兄弟優先)と漢文化の価値観の違いからのトラブルだったりカルチャーショックのストレスからの暴走や奇行がほとど 異民族の真似事って感じ

南朝…皇帝=生存権
最初は武人と文官の権力闘争だけど、後期はつまらないお家騒動
北朝とのいがみ合いで疲弊→刹那的な快楽に逃避
皇位継承者同志の争い→過激化
人民も貴族もほったらかして自分の命のためだけに皇帝位を簒奪
統治範囲も少なくなって暴君というか皇帝位を仕事として認識してない奴らばっか
ただのバトロワ

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 17:12:07.13 ID:nRZvuxD3O
満洲国末期の溥儀の毎日の日課は念仏や金剛経を唱える事や占いだったそうだから丁度晩年暗愚化した時の乾隆帝とよく似ている。
いくら政治は関東軍が仕切っていて実権が無かったとはいえ、末期にこれじゃあ…。

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/28(火) 01:52:56.79 ID:g02gwEgu0
>>200
王莽もそんな感じだったな。
まあ迷信を信じる度合いは昔ほど大きいから単純な比較にはならないけど。

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/29(金) 02:03:32.37 ID:6bAQcli10
現実逃避=祈りに集中
太公望の時代から賢い奴は迷信を上手く活用し馬鹿は迷信に振り回される
でも電気があって一日中明るい現代でも迷信信じる奴が居るんだから当時の人を批判できないなとは思う

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/20(日) 16:06:50.85 ID:j6BlYLoT0
始皇帝も不老不死という迷信に惑わされて寿命を縮めた

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/20(日) 20:58:34.07 ID:gg+ByzeF0
始皇帝はどの后を優遇したとか、側近を粛清したとかじゃないから悪名ランキングだと圏外だと思うが。
郡県制や皇帝制度、軍用道や貨幣文字度量衡の統一なんかは以降の皇帝達も資産として受け継いだ訳だし。

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/22(火) 21:20:24.41 ID:ZSk/k7bA0
秦始皇の「悪名」ってのは結局、後世の儒者の筆誅だしねえ。
で当の儒者達の主君たる皇帝はおしなべて言ってる理想は五帝や周文王・武王だけど、大半の実態は秦始皇の劣化バージョンという皮肉。

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/13(金) 21:56:14.04 ID:cGCYt/8tO
孝武帝は相当ダメ君主だと思うけど、名前出ないね。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/14(土) 09:44:46.22 ID:nh6Q0V220
どの孝武帝だよ。いやまあ、劉徹のことだろうけどさ。

武帝(ぶてい)は、前漢の第7代皇帝。彼の治世下で、前漢は最盛期を迎える。

武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、こうした地道な政治を後手に回していたきらいがあり、盛んな造作もあいまって治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。


216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/16(月) 15:49:57.18 ID:dfVeXDy/O
劉徹も酷いけど東晋や劉宋の孝武帝も大概だぞ

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/18(水) 01:25:50.16 ID:R579WleT0
劉徹は財政を無茶苦茶にした挙句、江充なんぞに騙されて無実の皇太子を殺した暴君。

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/10(火) 15:10:11.93 ID:fr/p4wPE0
ここまで張献忠0

244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/04/26(水) 18:36:39.72 ID:ksNPUxM10
>>218
蜀碧 読んだ人は少ない、故武田泰淳は読めと言っていたけど、殺殺殺殺殺殺殺

245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/05/21(日) 23:42:33.85 ID:rdZs/tfi0
>>244
その本に「揚州十日」とか他の街の虐殺記録も載っていたけど、あれだけの大国だったのに、明朝末期ってホント陰惨な感じだよな……。

でも国共内戦ですら、長春籠城戦で10万単位の市民が餓死してるみたいだし国替りの混乱でああいう事が起こるのは、中国ではデフォの事なのか?

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/09/07(木) 04:01:33.95 ID:zTajEyqS0
石虎
「朕には縁のないスレだな」

引用元: ・【誰】中国史上悪名高き王or武将は?



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