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1: 人間七七四年 2016/04/23(土) 10:16:38.70 ID:KN93EOAO
その時代いいよね!なんとなく







4: 人間七七四年 2016/04/24(日) 01:15:43.66 ID:NoK5IA+G
この時代をもうちょっとクローズアップして欲しいね

5: 人間七七四年 2016/04/24(日) 07:40:56.00 ID:fOOBMe6V
大河だと毛利元就くらい?

7: 人間七七四年 2016/04/24(日) 13:44:24.13 ID:JJTSD3mL
元就前半、花の乱後半、国盗り物語前半ぐらいが該当かね

8: 人間七七四年 2016/04/24(日) 13:51:11.25 ID:XO27wZ4E
美濃は斎藤妙椿が死んで近江越前尾張巻き込んで斎藤妙純が船田合戦やって
近江じゃ六角高頼が将軍に攻められて甲賀に逃げ込んだり

15: 人間七七四年 2016/04/25(月) 15:15:12.82 ID:7rntN1Fp
早雲、氏綱がちょうどその時代だな

117: 人間七七四年 2016/05/04(水) 01:42:09.68 ID:Tb2M60DY
この時代で天下取りの可能性があるのは、やはり大内義興だけか?

118: 人間七七四年 2016/05/04(水) 02:15:43.84 ID:3SnKX4vC
武田元光。
桂川原の戦いに高国派として唯一参戦。
この天下分け目の合戦に勝てていれば、栄誉を独占できた。
当然、高国から実権を譲渡されるので、天下統一も夢じゃなかった。
Motomitsu_Takeda


武田 元光(たけだ もとみつ)は、戦国時代の大名。武田元信の次男。若狭国守護。若狭武田氏6代当主。

大永6年(1526年)7月に細川高国が香西元盛を誅殺すると、これに怒った丹波国の波多野稙通と柳本賢治が細川高国から離反、それに呼応して足利義晴の弟・足利義維を擁立する細川晴元も阿波で挙兵した。同年10月23日、細川高国は、丹波神尾山城に総大将細川尹賢を、八上城には瓦林修理亮、池田弾正等を差し向け、更に、足利義晴の名で元光に援軍を要請したため、同年12月、元光は足利義晴を支援するため上洛した。

一方、丹波で細川尹賢を打ち破った波多野稙通と柳本賢治は京都に向けて進軍、堺に上陸した細川晴元が派兵した三好勝長、三好政長がこれに加わった。翌大永7年(1527年)2月、両軍は桂川原で激突したが、武田元光軍が三好軍の襲撃を受けて崩れ、細川高国軍も壊走、元光は将軍足利義晴、細川高国と共に近江国に逃亡した(桂川原の戦い)。

119: 人間七七四年 2016/05/04(水) 11:23:44.30 ID:L12h0u8Q
>>118
若狭武田は無理でしょ。若狭自体が小国だし、隣に朝倉がいるし。

120: 人間七七四年 2016/05/04(水) 11:29:14.26 ID:NYxfET7T
>>119
朝倉は中々動けんよ。一向宗国内にもいるし隣国加賀越中は侮れない。
しかも斯波武衛も隙あらば復権狙ってるし

121: 人間七七四年 2016/05/04(水) 14:15:56.06 ID:MFU5xJZG
一時的に京を取るは可能でも天下は無理だろ
三好でさえ畿内程度だったのだし
バックボーンが若狭だけの武田じゃ畿内支配さえ難しいと思う

122: 人間七七四年 2016/05/04(水) 14:16:37.93 ID:MFU5xJZG
あと高国じゃ勝っても讒言信じて遠ざけられる可能性もあるな

123: 人間七七四年 2016/05/04(水) 17:14:02.04 ID:ycVR2ra+
高国も晴元も畠山も朝倉も全て打倒し武田元光が天下統一!

まあ、冗談はさておき、天下取りの可能性は段階別に分ければいいと思う。
天下分け目の戦いに参陣、勝利、上洛、政権確立、大規模遠征とか。

124: 人間七七四年 2016/05/04(水) 18:37:18.54 ID:NYxfET7T
大内義興に1票

125: 人間七七四年 2016/05/05(木) 00:06:45.02 ID:cIJSORFH
天下を取る≠全国制覇

天下を取る=幕府の実権を握る

みたいなもんだから、武力統一は誰も無理だろ

126: 人間七七四年 2016/05/05(木) 00:24:00.25 ID:VsrUnKJu
信長以前は春秋時代で信長以降が戦国時代でいいんじゃね?
信長以前の人物は上洛して幕府の実権握る以上の思考がない

128: 人間七七四年 2016/05/05(木) 05:24:55.16 ID:Y6Xr1Jyf
思考が無いんじゃなくて、両細川家が十分に健在だったから、将軍を掲げないと軍事的に幕府管領細川家の勢力に勝てなかっただけだろう。
足利義昭の頃は三管領が没落していたのが致命的だった。

132: 人間七七四年 2016/05/05(木) 11:14:10.51 ID:TJ6D6sad
>>128
三好も松永も将軍管領を無力化してもその地位に代わることまでしか考えてないからな
軍事力で全国を再統一なんて考えなんて思考がないよ

133: 人間七七四年 2016/05/05(木) 12:53:52.18 ID:za9PCZPw
>>132
発想自体無いってのは同意。
まさに春秋時代の周王朝と似てる

130: 人間七七四年 2016/05/05(木) 07:36:32.33 ID:84bvPF3v
武士の棟梁としての、征夷大将軍の地位と源氏の血統ってのが戦国時代になっても武士の行動を縛ってたんじゃなかろうか
だから天皇も介入しないし、武士も皇族を奉じなかった
征夷大将軍は源氏じゃないとなれないって信じてる人は最近でもいたぐらいなんだし

131: 人間七七四年 2016/05/05(木) 09:54:08.32 ID:jl9/eRDb
>>130
そもそも将軍にとってかわるって発想自体がなかったというか、
政元みたいに傀儡にしようとすればその必要もなかった気もする。

135: 人間七七四年 2016/05/05(木) 19:09:00.36 ID:5BkuLwIy
細川政元は関東遠征を企図していた。
全国統一なんて誰でも考える発想だと思うけど。

それに、いくら将軍にとってかわっても、その上に天皇が居るんじゃ、傀儡を戴くという実体は同じで、発想的には新しくも何とも無い気もする。

136: 人間七七四年 2016/05/05(木) 19:27:17.67 ID:cIJSORFH
関東遠征するとしたら、全国制覇ではなく、言うことを聞かない鎌倉公方や関東管領を従わせるためでしょ
まあ幕府と関東を統一したら全国統一って感じも当時ならあるかもしれんけど

144: 人間七七四年 2016/05/08(日) 22:29:58.61 ID:HOOBylN5
大内義興くらいしか、この時代の覇者はいないような気がする。

146: 人間七七四年 2016/05/08(日) 22:50:34.06 ID:/pzcUAfM
京極政経が居るじゃないか。

149: 人間七七四年 2016/05/09(月) 00:21:53.11 ID:kHRKJ7oW
一色は元々そんなに力があった時期が無いからな
山名宗全時代からの落ち込みが凄い

151: 人間七七四年 2016/05/09(月) 13:59:11.77 ID:m5Uf/3AG
山名も細川も近世大名で残ったのは庶流家だけだもんな

152: 人間七七四年 2016/05/09(月) 16:31:32.31 ID:bcEtyhnA
>>151
山名自体が新田の庶流だろ
そして新田がほぼ壊滅してる(岩何とかって世良田の庶流だろ)中で生き残った山名は尊敬に値する

154: 人間七七四年 2016/05/09(月) 18:04:30.55 ID:GNSGm+QU
波多野兄弟達って一時期キャスティングボード握ってた気がする

155: 人間七七四年 2016/05/10(火) 06:25:26.27 ID:i4bxbCUu
足利義晴に気に入られてたのかな。名前的には義稙系だけど。

157: 人間七七四年 2016/05/10(火) 14:31:39.20 ID:8yQ+8BV/
今川家には早雲を独立扱いにしないという選択肢はなかったん?

158: 人間七七四年 2016/05/10(火) 14:36:52.40 ID:/Bip2/8V
>>157
氏親が生きている間は早雲も氏綱も独立はしていない。氏輝の頃に半独立の立場になるが、まだ完全独立には至っていない。

氏輝が死去して義元が武田と結んで完全独立。

159: 人間七七四年 2016/05/11(水) 19:47:57.24 ID:i1JP6K65
大友は当時は天下取りは無理かな? やはらは隣に大内がいるし。

172: 人間七七四年 2016/06/28(火) 20:30:18.21 ID:dCyaR1KN
>>159
応仁の乱の前だけど、大友持直が大内盛見を討ち取った時にうまく立ち回って、幕府から逆賊にされなければ九州から大内の勢力を排除できてたかもしれん

161: 人間七七四年 2016/05/12(木) 01:50:16.63 ID:0G/L5AQ/
大友と大内って微妙な関係だよな 義隆自害の後、宗隣の弟か何かの義長を継がせたんだし

162: 人間七七四年 2016/05/12(木) 08:13:35.95 ID:+ycvuV9Y
>>161
親戚だろ
嫁が大内の娘じゃなかったっけ?

163: 人間七七四年 2016/05/13(金) 06:06:38.72 ID:ScK6Z+Iv
宗麟と義長の生母は大内義興の娘
厳島後に大友の支援を受けて山口に攻め込んだ大内輝弘は義興に家督相続で負けて大友に保護されてた弟の息子

165: 人間七七四年 2016/05/20(金) 13:52:56.98 ID:skIrjZra
西国無双の大大名・大内家はどうして没落したのか?

168: 人間七七四年 2016/05/26(木) 11:14:50.68 ID:tjZNLAFv
>>165
大寧寺の変が大きい。
義隆も事跡を見る限りは無能ではない。あれだけ凄まじい内紛起こしたら没落は当たり前。
大寧寺の変(たいねいじのへん)とは、天文20年8月28日 - 9月1日(1551年9月28日 - 9月30日)にかけて起こった、周防山口の戦国大名・大内義隆が家臣の陶隆房(のちの晴賢)の謀反により、自害させられた政変。この事件で西国随一の戦国大名とまで称されていた大内氏が実質的に滅亡し、西国の支配構造は大きく変化した。

170: 人間七七四年 2016/05/30(月) 02:17:31.07 ID:6Xgu5mKc
大内の基本収入は「銭」
商業振興や文化保護もそうだけど、それ以上に銭の輸入は大内にしかできなかった、というか、幕府からお墨付き貰ってるからな。

で、大寧寺の変でそこらを全部無視して義隆をサクッとやっちゃったものだから、明が怒って銭の輸入を完全シャットアウトしちゃった。
そして義隆の信用で用立てをしていた商人連中からの貸し剝がしで収入大激減。
更に貴族でも上位の皆さまも軒並み滅しちゃったものだから、周囲から孤立も良いところだった訳ですよ。

171: 人間七七四年 2016/06/11(土) 10:10:37.54 ID:eneAsNBI
対明貿易でヘマしたら
天下の大大内も滅亡だもんな
豊臣家も根切りされてw

俵物の輸出じゃなかったのかw

173: 人間七七四年 2017/02/02(木) 21:00:19.01 ID:YxZfqqx3
不意打ちされるという事は、大内義隆は政治力が無かったか、問題意識が無かったのかのどちらか。

175: 人間七七四年 2017/02/21(火) 16:22:36.60 ID:JCvZABjl
>>173 
問題意識が無かったとしか思えない。多くの家臣が晴賢に注意しよう、殺してしまおうと言ってるのに聞かないんだもん。
さっさと討っとけば、大内があんな没落の仕方は無かった。

177: 人間七七四年 2017/02/22(水) 21:58:18.80 ID:05Whw42R
>>175
家臣に唆されて祖先の代からの重臣を殺すようでは、どのみち先が短いかと

引用元: ・応仁の乱以降信長誕生前



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