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1: 世界@名無史さん 2011/11/06(日) 16:14:15.46 0
古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです








220: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 20:42:40.73 0
南フランスでは、コンシュラ都市(フランシーズ都市)が多く、北フランスでは、コミューン都市、プレヴォ都市が多かった理由は何でだろう。
コミューン都市

主として北フランスに分布し,住民が結成した〈コミューン〉という宣誓共同体の運動の結果,領主・国王から〈コミューン証書〉を付与されて種々の特権を享受し,かつ住民により選挙された市政官の団体によって運営される都市をいう。コンシュラconsulat都市およびフランシーズfranchise都市と並ぶフランス中世都市の一類型。コンシュラ都市は南部に分布し,市政官コンシュルの団体(コンシュラ。市民のほか聖職者,領主も参加する点が特色)により運営される都市で,〈コンシュラ証書〉を付与され特権を享受する。

222: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 22:48:45.84 0
分かれてること自体は割と説明つきやすいね。
もともとラングドックとラングドイルで言葉も文化も違うし、アルビジョワ十字軍あたりまでは王権が南まで浸透してなかったし。
なんでそれぞれの形態なのか、までは分からんけど

223: 世界@名無史さん 2013/10/22(火) 14:32:05.46 0
ちょっと調べてみたが、やっぱり王権と関係深いんだろうな。
中世のコミューン都市の承認権は、王領以外の都市であっても、地方領主ではなく国王が保持している。
プレヴォ都市の首長は国王代官だから、これも王権の強い北フランスに多いんだろう。

南部に多いコンシュラ都市では市民のほかに聖職者も行政に加わるけど、
これは南仏ではアヴィニヨンの教皇庁の権力が大きかったってことなじゃないか

224: 世界@名無史さん 2013/10/22(火) 14:59:49.94 0
補足。
コンシュラ都市も含め、都市への特権付与は基本的には王の権能だけど、1380年、ベリー公の南仏における国王代行の親任状では、コンシュラ都市への承認・拡大の権利も付与されている。
国王の本拠地と地理的・政治的に近いかどうかで形態も変わるんだろう。

225: 世界@名無史さん 2013/10/24(木) 06:29:30.50 0
王領地ならともかく、たとえば、勝手に伯の都市に許可を与えたり、プレヴォを置いたりして伯の抵抗はなかったのだろうか?

226: 世界@名無史さん 2013/10/24(木) 09:16:22.09 0
王家が自治都市増やすことにあんまりメリットないだろうし、むしろ諸侯が勝手に許可を与えないために権利を保持してるんじゃないかね
法律関係とかでも、王家先決の事項は国王バイイを通じてお伺いを立てるようにはなってたから、なんでもかんでも諸侯が決めれたわけじゃない

227: 世界@名無史さん 2013/10/24(木) 09:20:17.86 0
ちなみにブルゴーニュみたいな半独立国家と言われるような大諸侯は、領地における国王代理として、国王の権能も行使できたパターンが多い。

228: 世界@名無史さん 2013/10/24(木) 22:29:51.83 0
中央は、五職(セネシャル、ブテイエ、コネターブル、シャンブリエ、シャンスリエ)とその部下とプレヴォを設置。5職は王領地の城主・騎士層が初期に世襲的に独占。
セネシャル・シャンスリエが空位となることが徐々に増える。
中央ではクリア・レギスを設置。
財政部門の会計検査院と司法部門の高等法院を分離して設置。
プレヴォの監督のバイイ(前述とは別のセネシャル)を設置。
バイイの権限が徐々に拡大。プレヴォ裁判も徐々に浸食してバイイ裁判を実施し、プレヴォ裁判、バイイ裁判、高等法院裁判の三級審制度になる。
バイイの権限が徴税部門に及ぶと会計検査院の所属に移る。
バイイは市民出身が多く、セネシャルは貴族出身が多かった。
国王大権を理由に、クリア・レギスに戻って裁判結果を吟味したりすることで司法権の中央集権化を図る。
クリア・レギスの後身は、第三身分が参加した三部会。
王領地が南部に及ぶようになると南部出身のローマ法系の役人が中央に集められレジストを形成していく。

中央集権化への抵抗ってあったけ?

229: 世界@名無史さん 2013/10/25(金) 03:26:03.81 0
プラグリーの乱とか。
部隊召集を王だけの権限にして、軍を率いるには王からの隊長職への任命が必要になった。
さらに農民に自衛のための武装を許したから領主階級が怒った。すぐに鎮圧されちゃうけど。

230: 世界@名無史さん 2013/10/25(金) 22:34:16.65 0
この辺の時代の単語は、同じ単語でも違う意味に変化していくからよくわからない。

セネシャルだと
1.フランク王国の食事の采配をしていた人。
2.のちに権限が強化され王の直属の家臣的な意味合いになり。筆頭となり、やがて消滅して、
3.プレヴォの監督としてバイイと対となる単語で、地方と中央をつなぐ人。
4.プレヴォの権限が縮小し、セネシャルが代官の代名詞となりプレヴォは、代官からマレショーセ(司法・警察)に関する役人となる
5.いつ頃か不明だが消滅(フランス革命?)。

1.この意味での和約は、主膳長。
2.直属っぽい感じで執事長,家令。
3.地方監督官や国王代官(プレヴォを代官とすると区別がつかない)や奉行(監督職と徴税職を表現できない)。
4.国王代官、プレヴォが奉行(江戸時代の奉行だと司法・警察・消防・役所が入るけど)

233: 世界@名無史さん 2013/11/04(月) 14:25:27.77 0
>>230
推測だと。
1,2
食事の采配をする。つまり毎日、王と顔を尾合わせる。頼み事や伝令・指示を受けることが多くなる。代理などの行為もするようになり、徐々に権限が強くなる。
息子が成長すると一緒に補佐するようになり、死ぬと息子がその職に就くので世襲化して一門となる。やがて権限が強まり疎まれて消滅。

234: 世界@名無史さん 2013/11/11(月) 11:03:39.44 0
ジャンヌダルクは何故パリ陥落にこだわったの?
ランスでシャルルを戴冠させた時点で満足して引退してれば火炙りにならなくて済んだのに

242: 世界@名無史さん 2013/11/19(火) 09:14:48.63 0
>>234
パリを落とせば、セーヌ川沿いのルーアンを攻め込める

236: 世界@名無史さん 2013/11/11(月) 20:39:51.10 0
リッシュモン元帥だってその後はとことん戦い続けたし、戴冠だけで満足という選択肢は最初からないだろう。

237: 世界@名無史さん 2013/11/11(月) 21:00:22.48 0
フランスという国家概念の先駆者だからねえ
後世でナポレオンが利用(捏造)した可能性もありうるけど

246: 世界@名無史さん 2013/11/24(日) 19:30:47.49 0
ブルゴーニュ公国は「中世の秋」のおかげで日本でもかなり知名度は高い方だとは思うけど、もっと知られてない小国はいっぱいあるし

247: 世界@名無史さん 2013/11/24(日) 23:58:33.08 0
「中世の秋」って読みにくい。

251: 世界@名無史さん 2013/12/01(日) 20:36:09.92 0
ブルゴーニュ公国はスイス傭兵こええええの引き立て役

252: 世界@名無史さん 2013/12/08(日) 20:07:42.11 0
ルイ11世も王太子時代にスイス軍と戦って、20000対1300の兵力差にもかかわらず大苦戦してる
突進公を殺したスイス傭兵の雇い主であるロレーヌ公は、母方のアンジュー家を通じてフランス王家と縁続き
フランスがスイス傭兵をお抱えにするのはもうちょっと後だけど、このあたりで精強さは伝わってたんだろうね

257: 世界@名無史さん 2013/12/31(火) 21:24:42.22 0
フランスからアルプスまでゆっくりと登りで繋がっていてそんなに隔絶してないんだよね
フランス=スイスの関係って面白そうだなあ

259: 世界@名無史さん 2014/03/21(金) 23:28:12.80 0
中世の人口大国フランスの、近世以降の異様な人口の伸び悩みは、20世紀大戦期英仏独三国志の重要要素なのにきちんとした説明を見たことがない。
近隣国は軒並み近代18~19世紀で人口が4倍以上になったのに、フランスはせいぜい2倍。
政治が不安定だという説明もあったが、革命期を除けば他より突出した内乱状態でもなかったし、可耕地だって衛生状態だって他より著しく劣らない。
少子化自体革命前から起こっていたという説もあるらいしが、産業最先端のイギリスを差し置いてというのも腑に落ちない。

260: 世界@名無史さん 2014/03/21(金) 23:55:14.71 0
晩婚現象はわりと早くから見られたようだね
で・・・少子家族化で豊かな暮らしを(※一人当たりの生活費増)という選好が強かったとか
ポール・ロバン主宰の「人間再生連合」という新マルサス主義的団体など、それを後押しする運動もあった

459: 世界@名無史さん 2016/11/18(金) 10:38:36.24 0
革命で君主制(王制)倒しても結局は君主制(帝政)に行き着くのが皮肉な気も・・

460: 世界@名無史さん 2016/11/18(金) 10:52:54.71 0
「王も帝もどっちも君主だし大して違わん」というのは現代日本人の感覚。
ヨーロッパの伝統的な感覚では皇帝というものは民衆の代表という性格があるのだ。
ローマ皇帝というのはそういうもの。
ローマでは元老院が伝統的支配階級の代表で皇帝は軍の代表かつ民衆の代表。

461: 世界@名無史さん 2016/11/18(金) 13:33:20.95 0
神聖ローマ皇帝にそんな性格があるとは思えん
そして長期間ヨーロッパ人のなかで皇帝といえばあれだったわけで

463: 世界@名無史さん 2016/11/20(日) 03:51:03.98 0
>>461
だから神聖ローマ皇帝なんて僭称なんだよ
元老院の指名も民衆の歓呼も無い

465: 世界@名無史さん 2016/11/20(日) 18:28:04.69 0
>>463
それはいいけど、じゃあ「ヨーロッパの伝統的な感覚では云々・・・」というのは、十数世紀の空白期間を経て維持されている感覚ってこと?

467: 世界@名無史さん 2016/11/22(火) 12:17:47.50 0
>>465
なぜナポレオンが皇帝になったと思う?
それはナポレオンが革命の守護者として権力を握ったからだよ

もしナポレオンが皇帝ではなく王に即位しようとしたら革命の守護者どころかむしろ革命の裏切り者として誰も支持しなかっただろうね
ナポレオンが革命の守護者だからこそ当時のフランス人は皇帝ナポレオンをマンセーしたんだ

フランス人は本物のローマ皇帝など戴いたことは無いがローマの知識だけはあったからね
教養ある人ならローマ皇帝というものを知識としては知ってた

473: 世界@名無史さん 2017/01/10(火) 12:28:27.48 0
三十年戦争、オランダ侵略戦争、スペイン継承戦争の頃のフランスはチートすぎる
継承戦争なんてヨーロッパのほとんどを敵に回しているやん

474: 世界@名無史さん 2017/01/10(火) 16:43:34.73 0
ヨーロッパユニバーサリスってストラテジーゲームをやると、ほとんどの国が小国の集合体だった時期にブルターニュとフランスに二分されてるとはいえ、欧州最大規模の版図がある
かなり早い段階で国土拡張・統一を達成できてるのが強かったかなあ
フィリップ2世は有能な上に幸運とフランス中興の祖だ

475: 世界@名無史さん 2017/01/11(水) 08:51:08.70 0
単純に中近世は人口が周りより一桁多い圧倒的だからな
近代以降は英独並みの増加率なら1億人くらいになっても不思議ではないのに何故か異様に人口が増えなかった
土地はあったし内戦してたわけでもないのにこの辺のちゃんした理由を聞いたことが無い

477: 世界@名無史さん 2017/04/21(金) 20:13:18.14 0
ヴァロア王朝のアンリ二世にはフランソワという名の子供が二人います。
一人はのちにフランス国王になるフランソワ二世、もう一人はアンジュー公及びアランソン公のフランソワですがこの両者は同じ時期に生存しています。
兄が先に死んでいてその後生まれた弟に同じ名前をつけるということは多々ありますがフランスでは兄弟で同じ名前をつけることなんてあるのでしょうか?
またその場合どうやって呼び分けていたのでしょうか?(肩書きがつく前)
よろしくお願いします。

479: 世界@名無史さん 2017/04/21(金) 21:33:08.67 0
>>477
アンジュー公の方はエルキュール・フランソワ・ド・フランスだそうなのでエルキュール・フランソワが名前と思います。だからエルキュールと呼んだんじゃないでしょうか。
ちなみにエルキュールといえばポワロの名前として有名ですがヘラクレスのフランス名です。

480: 世界@名無史さん 2017/04/21(金) 23:51:40.40 O
>>477
フランスに限らず、兄弟で同じ名前というのは昔のヨーロッパではよくあります。家族や親しい知人の間では愛称で呼び分けてたんでしょうね。

482: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 09:52:55.06 O
最大のポイントは女王を持った事が無い事
だからルペンが大統領になればそれ自体が画期的になる

483: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 12:39:14.88 0
女王がでないのはサリカ法典(Lex Salica)のせいなんだよな
フランク王国の版図だったドイツやオーストリアやボヘミアもこれがあったために女子の不動産相続が禁止されていた
イングランド、スコットランド、フランドル、ネーデルランド、ロシア、イベリア半島、イタリア、北欧諸国にはこの規程がなかったので女王が存在した
何とそれは日本の女系天皇問題にも影響している

484: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 13:18:41.53 O
マリア・テレジアの場合は?

489: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 14:16:26.32 0
>>484
皇帝カール六世は生前に国事勅書(プラグマティックザンクツィオーン)を表し娘のマリア=テレジアにオーストリアをはじめとするハプスブルク世襲領の継承とマリア=テレジアの夫であるロートリンゲン公フランツシュテファンに神聖ローマ皇帝位の継承を諸侯に認めさせた。
しかし、バイエルン選帝侯カールアルプレヒトはカール六世の死後、自分の妃が先帝ヨーゼフ二世の娘であるマリアアマーリア(マリア=テレジアの従姉にあたる)であることを理由に帝位継承権を主張、これが神聖ローマ皇帝カール七世となる。
これがオーストリア継承戦争のきっかけとなるが皇帝カール七世は第二次シュレジェン戦争の間にカール七世は死去し帝位はフランツシュテファンが継承する。(フランツ一世)
しかし、オーストリア大公位とハンガリー王位はマリア=テレジアが継承することとなり実権を持っていたためフランツ一世は名ばかりの皇帝になった。
すなわちカール大帝以来の神聖ローマ帝位の女子相続権は認められなかったということ。

488: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 13:51:56.87 0
正当な君主である親父が女にも所領相続を認める国事詔書を作ったおかげで相続する根拠はできた
でも周囲はそれを認めたわけではなく、カール6世が死ぬと相続の無効を掲げて侵攻を開始した
それがオーストリア継承戦争

マリア・テレジアが並の女みたくおばかだったらオーストリア滅びてたかもな
類稀な有能だったから軍事力で相続の正当性を勝ち取れた

486: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 13:40:14.64 0
日本の天皇が世界最古の家系といわれるが、フランスの王家もすごかった。

千年前にユーグ・カペーが即位して以来、本家に跡取りがなく分家が跡を継いだことが2度あるだけで、基本的にはユーグの子孫が19世紀半ば頃まで君臨した。

「万世一系」とまではいかないが、かなりそれに近い。

490: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 14:21:36.27 0
>>486
ヴァロアからブルボンへの交代は女系相続になるがカペーからヴァロアへの王朝交代は男系だから別にカペー王朝のままで良かったような気がするんだけどどうなんだろ?

494: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 15:45:36.49 0
>>490
分家といっても、元国王の孫。

ちょうど、秋篠宮家の悠仁親王が皇位につき、「秋篠朝」を創始するという位置付けだ。
本流ではないけど、「王朝交代」と呼ぶほどのことではない。

495: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 15:52:29.05 0
カロリング朝はメロヴィング朝から妻を迎えたり、カペー朝はカロリング朝から妻を迎えてるはずだからブルボン朝やオルレアン朝もクローヴィスの血を引いてることにはなってる

499: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 16:51:37.60 0
>>495
神聖ローマ皇帝はカロリングとリウドルフィンガーの間では断絶しているよな?

503: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 23:42:57.03 0
>>499
今みてみたら、リウドルフィング朝の初代国王のハインリヒ一世の母親はカロリング朝の王女っぽい

505: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 00:26:29.99 0
>>503
ハインリヒ捕鳥王(Heinrich der Vogler)の母ヘートヴィヒはルイ敬虔帝の曾孫に当たるらしいね

506: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 01:03:23.86 0
ルイ敬虔帝の娘のフルーリとギゼラのエバーハルトの娘のインゲルトルート(Heinrich , dux Franconiae von Berbenbergの妃)の娘ヘートヴィヒ(Otto "der Erlauchte", Herzog von Sachsenの妃)の息子がハインリヒ捕鳥王(Heinrich der Vogler)

507: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 01:35:22.03 0
仏王が神聖ローマ皇帝も兼任してたらちょっとはローマ帝国に近くなったな

513: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 10:36:05.41 0
>>507
その代わり、スペイン王が神聖ローマ皇帝を兼任したおかげで、もっとローマ帝国に近くなったが。

508: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 01:43:05.10 0
最終的にはハプスブルク帝国の一部に成り下がっていたかも。

511: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 08:43:28.83 0
しかし神聖ローマ皇帝とフランス国王の間には封建的臣従関係はないのにフランソワ一世は何で神聖ローマ皇帝選挙に立候補出来たんだろうな
いわばこんな外国人ともいうべき人物を推す選帝侯なんて存在したのだろうか?

512: 世界@名無史さん 2017/04/23(日) 10:32:47.35 0
>>511
立候補するのは、カトリック国の君主であれば可能。
当選するかどうかは別問題。

引用元: ・フランスの歴史



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