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1: 世界@名無史さん 2007/08/28(火) 09:55:06 0
(´;ω;`)カワイソス








2: 世界@名無史さん 2007/08/28(火) 10:01:01 0
どうすんだよこのスレ

11: 世界@名無史さん 2007/10/11(木) 22:49:46 0
なんで兄ちゃんは妹を救出しなかったんだろう

41: 世界@名無史さん 2008/05/05(月) 21:21:09 0
>>11
革命の時は、兄は他界していて、甥がオーストリア皇帝だってのです。そして、皇帝にしてみたら、血縁とはいえ、会った事もない叔母など、救出する気になれなかったのです。

13: 世界@名無史さん 2007/11/29(木) 11:22:15 O
どんな作品を見ても自己中心的な女にしか見えない。
何であの母親からこれが生まれたんだ…

15: 世界@名無史さん 2007/12/04(火) 15:49:59 O
なんでこんな頭悪そうな娘をフランスに嫁がせたのか…
上に何人かしっかりした姉がいただろうに…

テレジアしくじったよテレジア

19: 世界@名無史さん 2007/12/11(火) 23:31:40 0
>>15
ナポリあたりに嫁げば、この人ももっといい人生だったろうにねぇ。
順番通りなら、一番しっかりもののマリア・カロリーネがフランスに嫁ぐはずだった。
天然痘で死んだ娘がいて順番が狂ったんだよ。

24: 世界@名無史さん 2008/04/21(月) 09:36:41 O
バレンヌ逃亡事件が無かったらルイ16世共々処刑はされなかった。
逃亡を計画したファルセンが間接的には王族一味殺しの張本人。

40: 世界@名無史さん 2008/05/05(月) 08:17:07 0
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」
「私は退屈が何より怖い」
「ごめんあそばせ、わざとじゃなくてよ」

世界史上に残る名言を3つも残しているんだから只者ではないのは確かだな

53: 世界@名無史さん 2008/05/15(木) 01:39:04 O
パンがなければお菓子食べればなどと言ったのはマリーではないでしょう。一級資料にはそんな記述は一切ない中傷に満ちた悪意ある噂です。
みなさん悲劇の女王マリーの真実を知りましょう。

43: 世界@名無史さん 2008/05/07(水) 16:45:14 O
ルイ16世の名言は

何もなし

くらい?

ルイ16世

革命勃発時、つまりバスティーユ牢獄襲撃当日のルイ16世の反応については次の2つのエピソードが有名である。

1 略

2 ルイ16世は日々の細かなことを手帳に書き記す、メモ魔であったが、そのメモの7月14日の欄。「Rien(何もなし)」

あれだけの出来事が生じた日について「何もなし」とは何と愚かな、という苦々しい感情が伴われているのが一般である。しかしこの表現は、狩り好きのルイ16世が、ほとんど毎日のように行なっていた狩猟の獲物について記したものである。当日の社会的な出来事について記述しているわけではない。[独自研究?]


51: 世界@名無史さん 2008/05/15(木) 01:25:44 O
マリーが賭博やドレスで遊んだのは若い頃
子供産まれてからのマリーは大人しくなり子煩悩な母親になったのだよ
事実フランスが財政難に陥ったのはルイ14世と15世の時代のバカみたいな贅沢な暮らしが原因
アメリカ独立戦争で決定打
しかし16世は実は財政を見直しなかなかの善政を行っているし残虐な拷問を廃止し苦しみの少ないギロチン開発したのは有名だし宗教も自由に許した

52: 世界@名無史さん 2008/05/15(木) 01:36:10 O
当時のフランス市民のパンの消費量も決して飢えることない量、居酒屋でよくワインを飲み騒いでたのが事実
パンがなくなり困窮したのは革命が勃発してからです
マリーも後半、ドレスも一着も買うことせず家具も売りかなりの寄付金を国にだした
遺品として残っているマリーの書いた数々の手紙からは頭脳明晰な知的なマリーがみえます
革命が起こってからのマリーは別人のように男らしく、政治力をみせました。処刑の前日に書いたエリザベスへの手紙はそれは愛に満ち溢れた心優しいマリーがうかがえます。
オレルアンはルイとマリーの中傷を広め陥れる必要があったのです
44: 世界@名無史さん 2008/05/08(木) 00:23:05 O
処刑台に連行されるマリーアントワネットのスケッチ画を見たことがある。 
完全な横顔だったのだが、下唇の真ん中がツンと上を向いたへの字口だったよ。

Jacques-Louis

45: 世界@名無史さん 2008/05/08(木) 03:59:46 0

wikiのアントワネットの頁に貼ってある処刑前の絵の顔が怖い 
天を仰いでる奴だけど、あの目夢に出てきそうだ

1024px-Marie_Antoinette_being_taken_to_her_Execution,_1794

48: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 21:09:11 0
イギリスのマダムタッソー蝋人形館のアントワネットが一番忠実なアントワネットの顔なんだってな

60: 世界@名無史さん 2008/05/23(金) 01:30:43 O
マリーの子供達の消息は?

63: 世界@名無史さん 2008/05/31(土) 01:49:32 O
>>60
息子17世は行方不明
多分死んだのでしょう
娘はオーストリアに帰り後年フェルゼンはマリーの面影のある娘の姿を見愕然とします。
フェルゼンはマリー処刑後も20年?だったかな日記に書き続けます
あの日亡命に失敗したあの日しねばよかった
愛しい人のいない世の中で生き長らえている苦しみからひねくれた嫌な奴になったフェルゼンは望み通り20年後の亡命と同じ月日に民衆に殴り殺されます。

80: 世界@名無史さん 2008/08/21(木) 23:05:29 0
>>63
真偽があやふやになっていた遺体があってつい4年ほど前DNA検査の結果
本物のルイ・シャルルと判断が下った。

81: 世界@名無史さん 2008/08/22(金) 13:15:08 0
>>80
2000年に医師ペルタンが保管していた心臓がルイシャルルのものだと判明したけど
その後、遺体(遺骨?)も見つかったの?

82: 世界@名無史さん 2008/08/22(金) 15:11:20 0
2004年にDNA鑑定で結果が出た、とだけ記憶。
骨がみつかったかは知りません

83: 世界@名無史さん 2008/08/22(金) 17:50:47 0
>>82
ぐぐったら
2000年に心臓を鑑定→2004年にご本人と判定
4年もかかったんだね。

ペルタンはどうして心臓を切り取ったのかな。
記念?最後の王様だから?
何にせよ、持ち帰ってくれてよかったよね。


65: 世界@名無史さん 2008/05/31(土) 14:11:10 0
>>60
ルイ17世はDNA鑑定で牢獄で病死したのがハッキリしたじゃん。人間らしい扱いもされず・・・

フランス革命と言えばその精神は「人権宣言」に代表されるハズなんだが、実際はこの程度。
時代的制約とはいえ切ないねぇ・・・。もっとも「宣言」は立憲君主派のラファイエットが起草したわけだが。

86: 世界@名無史さん 2008/08/23(土) 21:09:55 0
流石に子供を死刑にするわけにいかんからそんな扱いしたんだろうが、死刑の方がまだまし。
(つーか実質、結核刑だろ。ひっでー。)
ロシア革命で銃殺されたアレクセイ皇太子が幸せモンに見えてしまう。

87: 世界@名無史さん 2008/08/25(月) 20:37:06 0
どう考えても銃殺刑の方が幸せ。

気が触れてからも、面会人の手にキスのご挨拶をしたという根っから上品な幼い王子がそんな死に方しなきゃならないなんて……

62: 世界@名無史さん 2008/05/31(土) 01:42:50 O
マリーに対する中傷はそれは酷いものだったのです。実際には処刑されなければならないような罪もありません。ハプスブルク家に産まれたごく平凡な女王様です。

66: 世界@名無史さん 2008/06/03(火) 00:06:10 0
なかなか子宝に恵まれなかった反動からか子煩悩な人柄だったみたいですね。

74: 世界@名無史さん 2008/07/06(日) 21:47:43 0
夫君のスレの方が盛り上がってるのは、何だか意外な成り行きですな

75: 世界@名無史さん 2008/07/06(日) 22:45:24 0
そりゃ直接に歴史に関わるのは国王の方だから。
アントワネットの贅沢が仏革命の原因!なんて思ってるヤツなんて居ないだろ。

76: 世界@名無史さん 2008/07/06(日) 23:39:05 0
アントワネットがネッケルの改革を頓挫させたことと革命が起きたことに間には多少の因果関係がある
まあアントワネットが居なくても保守貴族がネッケルの足を引っ張っただろうけど

ジャック・ネッケル(1732年9月30日 - 1804年4月9日)は、フランス革命前夜に活動したフランス王国の銀行家、政治家。彼は貴族ではなくブルジョワであったため、フランスでは第三身分であり、一般庶民には人気があった。

1776年にテュルゴーの失脚をうけて後任に就任する。すでにフランス財政は火の車であり、財政立て直しのため、国王ルイ16世に請われての就任だった。王妃マリー・アントワネットとその寵臣に質素倹約を進言したため、王妃や保守派貴族たちに疎まれ、フランスの財政再建は進まないまま、1781年にルイ16世によって罷免された。

101: 世界@名無史さん 2008/10/14(火) 09:19:54 O
よく平凡な女性って言われるけど、どこが平凡なのかいまいちわからない

102: 世界@名無史さん 2008/10/14(火) 14:32:13 0
ドレスなんかを取り除いた素の容姿。

あと、政治も見知らぬ他者の生活も大して興味のない平凡な女性が富と権力を持ったらせいぜいこんなもんだろうというあほで享楽的な日常。
最期は毅然としてたというけれど、その気概を若い頃から持ち合わせていれば平凡とは言われなかったろうな。

103: 世界@名無史さん 2008/10/14(火) 22:46:43 0
ファッションをリードするあの才能は惜しい。
あんな時代に生まれなければ、まさにドル箱クイーン。

105: 世界@名無史さん 2008/10/18(土) 10:41:19 0
マリー・アントワネットも末子、ルイ16世も兄がいて、兄が急死していなかったら、傍系の王族として一生を終わった人らしいからな

両国とも、二人に大した教育をしていなかったんだろうなあ

107: 世界@名無史さん 2008/11/08(土) 21:27:36 0
肖像画ですら美人には描いてない。
モデルより美女に描くルブラン夫人の手にかかってもいまひとつ。
馬面なんだよね。
でもとても興味あるなあ。ベルバラの影響だけどね。

108: 世界@名無史さん 2008/11/08(土) 22:11:24 0
ハプスブルク家自体、美貌の家系というイメージはないわ
マリア・テレジアは飛びぬけて綺麗な部類じゃない?

109: 世界@名無史さん 2008/11/20(木) 01:25:18 O
国家反逆罪になった理由って逃亡した以外にあったの?

117: 世界@名無史さん 2008/12/14(日) 14:45:26 0
>>109
オーストリアと内通して資金援助をした上フランス側の作戦を漏らし不利益をもたらしたというのが一番大きな罪状

証拠は一切見つかってなかったしアントワネットは的確に受け答えをしていたから裁判を傍聴していた人はせいぜい国外追放だろうという印象を受けた

でもどうしても彼女の首が欲しい人間がいて最初から判決は決まってた
だから死刑に値する罪状が提示できれば証拠や事実関係の有無はまったく関係なかったという

ひどすぎるよなー

145: 世界@名無史さん 2009/01/18(日) 19:58:27 0
フェルセンは1784年6月にもヴェルサイユを再訪していますが、それから9ヵ月後にルイ・シャルル、後のルイ17世を出産しています。
シャルルはフェルセンの子供ではないのかという根強い噂があります。
ルイ16世も、シャルルが誕生したときに、不可解な言葉を日記に残しています。

『王妃、ノルマンディ公を出産。すべて我が王子と同様に取り扱う。』この言葉をどう解釈しますか?
自分の子供ではないけれど、他の王子と分け隔てなく扱う。そう受け取れないでしょうか。
実際、ルイ16世がシャルルのことを『わが子』と呼んだのは、たった1度、断頭台に向う直前のことでした。
ルイ・シャルルがわずか10歳で牢獄の中で幼い命を散らせたことを知ったフェルセンは、
『あの子はフランスに残してきた最後の、そしてたった一つの心配事だった』と言い残しています。

http://www.marieantoinettej.com/people/fersen.html

148: 世界@名無史さん 2009/01/19(月) 07:48:04 0
『王妃、ノルマンディ公を出産。すべて我が王子と同様に取り扱う。』
→慈しみ深いルイ16世は兄弟をみな分け隔てなく育てようとした。
(ルイ・ジョゼフと同じ待遇で育てる意思表示)

『あの子はフランスに残してきた最後の、そしてたった一つの心配事だった』と言い残しています。
→愛するアントワネットの子供の消息を掴めなかったからでそれ以上の意味はないと思う。

152: 世界@名無史さん 2009/01/31(土) 18:12:26 0
マリア・テレジアを末娘を甘やかして育てたことを悔いて輿入れまでの1年間自室で寝起きさせて躾けたそうだ

153: 世界@名無史さん 2009/02/01(日) 00:25:58 0
>>152
甘やかしたってゆーか
放置プレイしすぎてたってゆーか

155: 世界@名無史さん 2009/03/16(月) 20:27:30 0
てゆーか
マリア・ヨーゼファが天然痘で亡くならなかったらナポリにマリア・ヨーゼファ
フランスに豪腕マリア・カロリーナが嫁いで歴史は全然違っていたかもしれないんだよなあ

アントワネットについてはノープランだったのが繰り上がってフランス王妃になっちゃったというのが本当のところ


156: 世界@名無史さん 2009/03/19(木) 22:03:21 0
あと5、6年でも早く(もしくは遅く)生まれてればフランスに嫁ぐ事もなかっただろうにな、アントワネット。つくづく運が悪かった。
革命で処刑される所までいったのは、本人の責任も少しはあるけどほとんどは1755年にオーストリア皇女として生まれてしまった不運の為せる業だと思う。

157: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 10:00:15 0
お姉ちゃんが嫁にいく予定だったんだっけ?
でもお姉ちゃんが嫁いでいても結果は大して変わらなかったような気がする。

158: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 10:51:29 0
お姉ちゃんなら立憲君主制を成立させて革命は起こらなかった…
とまではいかなくても、最低限逃亡は成功していたと思う。
少なくとも、豪華で目立つ馬車に重い荷物詰め込んで大人数で逃亡してあっさり捕まる、なんて事だけはなかっただろう。

159: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 12:54:49 0
あ~そっか~。
あそこで逃げ切れていたら、また運命も変わっていた…どころか首切りにならずに済んだもんね。
それに、お姉ちゃんだったらあそこまで民衆に嫌われなかったかもしれないね。
歴史にもしもはないって言うけど、この人の激動の人生を考えるともしもあの時…と思わずにはいられないね。

160: 世界@名無史さん 2009/03/29(日) 00:45:21 0
フランスに行くはずだったマリア・カロリーネはスペインの内政干渉を排除してイギリスから顧問招いてナポリの内政改革をやった豪腕女傑。
旦那は狩りにしか興味のない無教養な人だったけどカロリーネに再教育されてそれなりの王様になれた。

ので、彼女がフランス王妃になったら内政改革がきちんとできて革命は起こらずにすんだかもしれない。

161: 世界@名無史さん 2009/04/17(金) 00:20:56 0
しかしいったん革命派と対立しだすと、流血の弾圧に至っただろう

207: 世界@名無史さん 2009/11/27(金) 23:17:53 0
>>161の言う通りで実際ナポリでは共和国派を大弾圧してる
別にそれが悪いとは思わないけど

163: 世界@名無史さん 2009/06/04(木) 19:42:32 0
アントワネットって確かに贅沢好きの世間知らずかもしれないけど、国民を武力弾圧しそうな感じはあまりしないんだよね。

164: 世界@名無史さん 2009/06/09(火) 20:18:35 O
基本的には悪人ではなかった。

165: 世界@名無史さん 2009/06/09(火) 22:03:04 0
必要な時に悪(粛清なり弾圧なり)をなせなかったのが最大の敗因じゃないか?
まあ、相手がロベスピエールじゃ善人でもギロチン行きだけど

166: 世界@名無史さん 2009/06/14(日) 20:54:24 0
>>165
それができなかったことの責任は王妃ではなく王にあるわけで…

172: 世界@名無史さん 2009/06/21(日) 19:15:52 0
まあ、ルイ14世以来の庶民への負担のツケがルイ16世とアントアネットに回ってきたということだろう。
不運と言えば不運だが、こればかりは逃れられないからね。

引用元: ・マリーアントワネットおおおおおおおおおおお



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