51r3xbnei2L



1: 人間七七四年 2010/07/13(火) 22:18:57 ID:192dysjV
志村けんはNGワードで。
関連記事
【今川氏真】バカ殿を語ろう【山名豊国】 










196: 人間七七四年 2011/03/21(月) 13:59:33.57 ID:LXtflJyD
織田信雄は安土城を焼き払った上に家康と組んで秀吉と争っていたときも100万石もってたんだろう。
その軍事力を何一つ使えないで秀吉に取り上げられたんだから日本1のバカ殿に俺には見えてしまうが。

197: 人間七七四年 2011/03/21(月) 20:08:13.71 ID:lpf4k8yR
日本一とは言わないまでも、日本有数なら誰も反対はしないと思う
つか信長も親子の縁を切ろうとまで考えたって言うから、いっそ本気で縁切りしてたら歴史が動いてたろうにな

199: 人間七七四年 2011/03/27(日) 23:48:57.96 ID:BNFcnGTx
織田信雄は安土城を焼いた件に対してフロイスが稀な愚行として本国に報告してるくらいだからな
フロイスはキリスト教を信奉しないやつは基本けなすけどねw

信雄はこれから無能のレッテル剥がすにはよっぽどの新事実が発覚しないと無理ゲーかもしれん

200: 人間七七四年 2011/03/28(月) 00:15:40.26 ID:dQY2KoSM
>>199
織田信雄、大友義統あたりは再評価も含めていい話をきいたことがないからな。

201: 人間七七四年 2011/03/28(月) 10:26:07.63 ID:JWpyqgxA
あれだけ恵まれた境遇にあって何一ついい話が伝わらないってのもすごい

202: 人間七七四年 2011/03/28(月) 22:29:37.88 ID:5eLG3o9R
信雄や義統と同等の環境だったら豊国さんもそれなりに立ち回れただろうに・・・

204: 人間七七四年 2011/05/11(水) 17:49:19.39 ID:boIkTJOG
やっぱり大友義統かな
せっかく親父や高橋紹運の奮闘で何とか持った領地をあの逃亡で水泡にしたのは救いようがないな…

205: 人間七七四年 2011/05/11(水) 21:35:17.03 ID:ebx+qIWQ
あれは切ない。

207: 人間七七四年 2011/06/14(火) 23:22:25.28 ID:i7PoMHAr
マイナーなとこで南部晴政。
息子可愛さのあまり御家騒動を10年もやってたんで。

南部 晴政(なんぶ はるまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。南部氏第24代当主。

元亀元年(1570年)に実子・晴継が誕生すると、晴政は養子である信直を疎んじるようになる。元亀2年(1571年)、同じ南部氏族の大浦為信(後の津軽為信)が、信直の実父・石川高信を突如討ち取ったのを皮切りに、周りの南部系の豪族を次々と滅ぼし、最終的には津軽、外ヶ浜、糠部の一部を占領した。しかし、晴政は信直との争いにより自ら手を出すことをせず、差し向けた討伐軍も打ち破られてしまったという。

信直との確執は続き、『八戸家伝記』によれば元亀3年(1572年)に、川守田村の毘沙門堂へ参拝した信直に対し、自ら手勢を率いて襲撃。信直は鉄砲で狙撃し晴政を落馬させ、またそれを介抱していた九戸実親(晴政の次女の婿)にも撃ち当てたという。一触即発の事態に陥るかと思われたが、天正4年(1576年)、信直の正室(晴政の長女)が早世すると、身の危険を感じた信直は晴政の養嗣子の座を辞退し田子城に引き籠もり、刺客の脅威から逃れるため北信愛の剣吉城や八戸政栄の根城などに身を隠したという。晴政はなおも信直への不信を抱き続け、南部家内は晴政ならび九戸氏の連衡と、信直を盟主とする南長義、北信愛の連合の間で対立していく。天正10年(1582年)、病死。享年66。


212: 月孔雀 2011/06/15(水) 19:46:18.65 ID:BFxDfeI0
バカ殿といえば、前田利常。

300: 人間七七四年 2011/07/24(日) 11:07:56.52 ID:0xf+HFup
>>212
あそこはバカ殿のふりをしなきゃマジでやばかったからな。
利常は調べれば調べるほど恐ろしく優秀な名君だと判る。
幕府に警戒されて当然なくらいな。

214: 人間七七四年 2011/06/16(木) 23:27:19.50 ID:DaLLqdfn
真性バカとバカを演じる大名とでは後世に与えた影響力が雲泥の差。

217: 人間七七四年 2011/06/17(金) 11:28:45.09 ID:kkUpN13f
氏真を評価してる奴がいるが、信長の前で蹴鞠というのは流石に人間性を疑う。
仮に平和な時代に産まれても馬鹿殿だったと思うけどな

222: 人間七七四年 2011/06/18(土) 22:00:56.96 ID:MNM6/x97
>>217
所領も何もない状態で粋がった所でどうなるモンでもない
合理的な考え方じゃないか

219: 人間七七四年 2011/06/17(金) 12:34:31.35 ID:kkUpN13f
まともな感覚した人間なら氏真みたいに醜態晒し続けて長生きをしたいとは思わだろ。
それでも平然とこなすから馬鹿殿と呼ばれる訳で。

222: 人間七七四年 2011/06/18(土) 22:00:56.96 ID:MNM6/x97
>>219
実権を喪失した朝廷が生きながらえたり、同じように幕府が生きながらえたり
お前が思ってる以上に、ヒトは生に執着するものなんだよ

220: 人間七七四年 2011/06/17(金) 16:19:10.37 ID:vy1eyHWw
今川の血絶やす訳にはいかんし

223: 人間七七四年 2011/06/18(土) 22:12:13.89 ID:s73DMwlJ
大名じゃなくなった後にようやく産まれた嫡男もいるしな

225: 人間七七四年 2011/06/22(水) 18:24:57.15 ID:sDCSKgfi
なんつうか潔く死ぬ奴らが過大評価されるのは日本人の性質なのかなぁ。

氏真が本当に取るに足らないただのバカだったなら、後々まで家康が遊び相手になったりしねぇと思うよ。家康だって暇じゃねぇんだから。
大名としての評価はどうあれ上がりようがないと思うが、一人の武将としての有能無能で言うなら有能だったと思う。

227: 人間七七四年 2011/06/22(水) 21:27:15.93 ID:NcjZIqam
>>225
wiki
『及聞秘録』には、晩年家康を頼った氏真が江戸城をたびたび訪れては長話をしたために家康が辟易し、江戸城から離れた品川に屋敷を与えたと記されている。

なるほど~

229: 人間七七四年 2011/06/23(木) 15:11:38.03 ID:eGq/8xLg
>>227
江戸城はガセだね。
駿府記で氏真と家康は駿府で会見したとはあるからそこからそういう話になったんだろうね。
家康は義元に恩もあるし無碍にはできなかったんだろうけど
氏真は次男・孫を秀忠に出仕させたり最低限のことはしてる。
沢庵和尚とも交友があって意外。何つながりなんだろう。

232: 人間七七四年 2011/06/23(木) 21:23:30.09 ID:4vFDH8iT
>>229
どゆこと
品川家出来た頃には家康は駿河にいて氏真が江戸日勤するはずないってこと?

237: 人間七七四年 2011/06/23(木) 23:09:40.98 ID:eGq/8xLg
次男の高久は1598年出仕だけどその時に品川氏を名乗ることになった。
家康は1607年から駿府にいるんだけど、氏真は1612年までずっと京都にいるから品川家ができた頃に江戸で2人が会ったとはちょっと考えにくい。
駿府記に1612年4月に駿河で面会があったとあるのでそこから江戸城押しかけ、品川に屋敷拝領エピソードができたんだと思う。
実際氏真は江戸では11年に出仕した孫と一緒にいたと考えるのが妥当じゃないかな。

240: 人間七七四年 2011/06/24(金) 09:07:39.11 ID:SZkr0lK3
氏真と家康の主従逆転による会話って面白そうだな

247: 人間七七四年 2011/06/28(火) 01:24:39.73 ID:0I+nfS8B
殿としての馬鹿さ加減なら

勝てない戦いをズルズルやり遂げ一族滅亡>いろいろ問題はあるが引き際はよかった

だと思うがなあ。今川氏真はみすみす助かる機会を無駄にして死んでいった奴らよりはマシだろ。

249: 人間七七四年 2011/06/28(火) 15:34:11.87 ID:GoCUSZRz
>>247
一族やら家臣を見捨てて自分だけ生き残った荒木さんなんて自分を糞だと言って悔やんで自責の念があるだけ立派だが氏真はヘラヘラうかれて蹴鞠してるようなイメージしかない

250: 人間七七四年 2011/06/28(火) 18:35:32.25 ID:uI2yGr6p
氏真は確かに家臣にとって良い君主じゃなかったけど歌とか見ても、ヘラヘラ浮かれてたことないと感じたけどな。
氏真の場合後世に名指しで貶されてるからそういうイメージがつくのも仕方ないんだろうね。

251: 人間七七四年 2011/06/28(火) 21:55:30.93 ID:ZGCfeqSC
辞世の句からして
『なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして 悔しともうら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな』
だからな。

260: 人間七七四年 2011/06/30(木) 19:30:30.93 ID:RQuTgX0Y
改めてスレタイに乗せる人物を間違えたと思う
大友義統と織田信雄っていうどう転んでもどうしようもない2TOPにすべきだった

268: 人間七七四年 2011/07/02(土) 13:09:54.32 ID:5kTHlzzI
生き延びた奴で一番はノブオ君で確定かな
父親公認だし
ただ伊賀出兵は柘植や木造といった北畠氏親織田派に担ぎあげられただけだけど

269: 人間七七四年 2011/07/02(土) 13:13:41.20 ID:sCJrW8yk
担ぎ上げられてホイホイ乗っちゃうのが
父親公認の理由じゃないか?

263: 人間七七四年 2011/06/30(木) 22:07:17.55 ID:2vTZiG4S
織田信雄は最後には大名に返り咲いているんだからどうしようもない
と言う程ではないと思う。

270: 人間七七四年 2011/07/02(土) 14:21:37.77 ID:4a1lbvy9
本当のバカ殿は一条兼定と斯波詮直だと思う

一条 兼定(いちじょう かねさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名・公家。土佐一条氏の事実上の最後の当主。

1代で土佐一条氏を滅ぼしたため『土佐物語』など軍記には暗愚な人物として描かれている。ただこれらは時代が下ってから記されたものであるので信用性に疑問が残る。追放後も、四万十川の戦いに際して伊予・土佐の国人領主の支持を受け、更に長宗我部氏の工作に買収された旧臣に殺されかかるなど、兼定は最後まで旧領回復の強い意思を示し、反対に長宗我部氏はその存在を警戒し続けたことがうかがえる。


271: 人間七七四年 2011/07/02(土) 16:05:51.72 ID:yYtHH15u
一条さんはバカ殿ではないよ。
負け続きではあったが長宗我部氏に最後まで反抗していたし、反長宗我部勢力を煽り続ける能力はあった。
酒色に溺れて云々な話は、明らかに長宗我部の情報操作だろう。
そんな無能なら、わざわざ暗殺を仕掛けない。

287: 人間七七四年 2011/07/09(土) 16:30:53.13 ID:3t/Wke2+
島原の乱のきっかけを作った松倉勝家なんかも相当なもんだぞ
松倉 勝家(まつくら かついえ)は、江戸時代前期の大名。

領国に悪政を敷き、島原の乱を引き起こした。乱の鎮定後は江戸幕府に領国経営失敗と反乱惹起を問責され、大名としては異例の斬首刑に処された。この時代、大名が名誉の刑である切腹さえも許されず一介の罪人として斬首刑に処せられることは異例で、江戸時代を通じてこの一件のみである。大反乱を引き起こす原因を作った勝家の失政を幕府側が極めて重大な罪と見なしていたことを示している。


288: 人間七七四年 2011/07/09(土) 19:52:43.57 ID:akGPAAsl
松倉だけにお先真っ暗
365: 人間七七四年 2014/07/06(日) 23:10:34.10 ID:NlqWOpF2
苛性と搾取で島原の乱を起こしてしまった松倉重政

松倉 重政(まつくら しげまさ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。日野江に入封後は苛政と搾取を行い、子の勝家と共に島原の乱の主因を作った。

元和4年(1618年)、一国一城の制にしたがって従来あった原城と日野江城を廃して島原城の築城を開始する。廃城となった原城、日野江城などから領民達に石材を運搬させ、数多くの人夫を動員して島原城を完成させた。禄高4万3千石でありながら10万石の大名の城に匹敵する分不相応な規模の城を築いたため、領民から過酷な搾取を行うこととなった。この際、検地を行い、領内の石高を実勢の倍近くに見積もり、領民の限界を超える税を取り立てた。 さらに幕府への忠誠を示すため、禄高に見合わない規模の江戸城改築の公儀普請役を請け負い、それらの費用を捻出するために過酷な搾取を重ねた。

南蛮貿易の利を得ていた重政は入部当初キリシタンを黙認していたが、江戸幕府のキリシタン弾圧政策に従って元和7年(1621年)になるとキリシタンの弾圧を開始。最初はゆるやかなものだったが、寛永2年(1625年)に将軍徳川家光にキリシタン対策の甘さを指摘されると発奮し、徹底的な弾圧を開始した。顔に「吉利支丹」という文字の焼き鏝を押す、指を切り落とすなど種々の拷問を行い、寛永4年(1627年)には雲仙地獄で熱湯を使ったキリシタンの拷問・処刑を行うなど、キリシタンや年貢を納められない農民に対し残忍な拷問・処刑を行ったことがオランダ商館長やポルトガル船長の記録に残っている。


368: 人間七七四年 2014/07/07(月) 22:08:32.90 ID:VEbmMm+g
重政は島原に来た当初はキリシタンに寛大だったんだよ 
それを幕府に咎められたから大弾圧になった 
島原城築城による重税は言い訳のしようもないけどね

371: 人間七七四年 2014/07/08(火) 21:05:14.90 ID:dDw9uS0l
>>368 
松倉がひどい搾取を行ったのは、それまで海外貿易に頼ってきた島原藩に幕府が海外貿易を禁止したのが原因。 
おまけに松倉にルソン遠征を命じていたくせに直前に取りやめて、財政破綻に陥らせた、徳川家光が一番のワル。

372: 人間七七四年 2014/07/08(火) 21:42:09.71 ID:DuSCKfTI
>>371 
いくら何でも4万石のくせに巨城造ったり 
10万石並みの公儀普請受けたりしちゃいかんだろ

373: 人間七七四年 2014/07/08(火) 22:12:13.81 ID:9tmAmxu5
ルソン遠征を見込んで城建てたり公儀普請受けたりしてたんじゃないの? 
日本では4万石かもしれんけど、ルソン遠征が成功すれば何十倍になって返ってくると 
それで言うなら、文治政治で泰平の世になったにもかかわらず5万石の分際で巨城造った浅野内匠頭のがよっぽど無茶やってるんだけど

375: 人間七七四年 2014/07/09(水) 01:23:32.78 ID:NfeQ4znK
>>373 
しかしルソン遠征って勝算はいかばかりだったんだろう。 
台湾を補給基地に使えるならまだしも結構遠いだけに。

377: 人間七七四年 2014/07/09(水) 13:37:26.18 ID:QZRM0Vwu
朝鮮の時みたいに、中国が介入する心配がない。それに、当時、アジアに駐留していた 
スペイン艦隊の規模によっては勝てたかもしれない。鄭成功が台湾を占領した例もあるから。 
占領政策については、住民の習慣を黙認しておけば、長期間の植民地も可能だっただろう。でも、そうすれば、フィリピンに入植する日本人も増えて彼らからキリスト教に入信する者も出てきて、鎖国できなくなったかもしれない。 
また、日本に入る外国人も増えて、良くも悪くも国際化が早まった?

289: 人間七七四年 2011/07/10(日) 14:22:41.76 ID:eLYE4ju7
あまりそういうイメージでもないが、やった行為だけを見てると秀家なんかもバカ殿と言われても仕方がないな

293: 人間七七四年 2011/07/16(土) 22:16:15.17 ID:MAl35nXh
その時々の不精の治世を見ても意外に多いのが善政を敷いたのはそこそこあるが
悪政まみれの地獄の使いみたいな奴ってそうはいないんじゃないか

294: 人間七七四年 2011/07/17(日) 01:14:48.91 ID:yTCQgGHO
三好長治ぐらいしか知らん
松倉は江戸時代だし

305: 人間七七四年 2011/08/07(日) 18:15:17.34 ID:A+LdQxEv
仙石秀久もなかなかのもんやぞ

306: スレのぞき 2011/10/27(木) 01:19:24.45 ID:dFHT7zMO
母方の祖父が山名性だったので母もかつては山名でした。
自動車の普通免許とるとき恥ずかしかったそうです。
山名大名って極悪人だったんですよね?

308: 人間七七四年 2011/12/27(火) 02:26:39.63 ID:EGEO6zje
>>306
豊国は憎き武田国信の息子である助信が浪人してるのを重臣に拾う位個人としてはいい人だよ。
加増された時には旧臣再雇用しまくってるし

310: 人間七七四年 2011/12/27(火) 20:15:02.00 ID:JPaegD7u
山名豊国に関しては馬鹿ではないだろ。
毛利織田に挟まれて、まして国内あんな状況だったし家名残せただけで上出来だと思うが。
因幡岩井城時代には新田開発や築堤なんかで領民からの評判も良かったって話だし。

317: 人間七七四年 2012/03/13(火) 12:27:37.02 ID:sWuoZurv
>>310
豊国ちゃんは人の良さなら間違いなく戦国一だなwww
かつての敵(自分を城を追い出した家臣や武田の息子)を召し抱えたり、娘(しかも側室の)可愛さに降伏とかwww

ただ小和田さんも書いてるけど、なにげに策士だし自身が出陣してる戦での戦歴もなかなかだよ。対毛利家戦では吉川相手に野戦で勝利してるし、第一次鳥取城戦も大手門さえ落とさせなかったあたりは中々。

ただ自身の家臣団(但馬からの直臣)がいかんせん少ないし国内があんな状態ではね…

326: 人間七七四年 2012/04/26(木) 14:39:15.30 ID:ocNYUN0F
>>317
家臣の加陽氏に手紙で述べてるように、家名存続が第一って考えだったんじゃない?

豊国家伝によれば因幡時代(岩井領時)に豊国が自由に動かせた兵は農兵雑兵含めても600前後って話だ。
吉岡、中村、森下は家臣とはいえ直臣ではないし半独立だった訳だし。

それだけの力で毛利、織田と対峙や和睦で生き残ったんだから大したもんだと思う。
関ヶ原の時もまわりが西軍まみれなのに家臣の三上に即座に徳川方につく旨を指示してるから先見性もあったんだろねー。

328: 人間七七四年 2012/05/05(土) 19:54:58.90 ID:ofuU3k12
豊国は表に出ないだけでかなり頑張ってる方

359: 人間七七四年 2014/07/04(金) 22:16:19.86 ID:dvCb8rdj
氏真も豊国もある意味優秀とは言えるが
誉めるところが全くないのは小早川秀秋だな

360: 人間七七四年 2014/07/04(金) 22:25:16.96 ID:fhqvaxpJ
>>359
彼は今でいうところの鬱病のような所謂精神疾患だったのでは。
関ヶ原での罪の意識から発病して。

364: 人間七七四年 2014/07/05(土) 21:13:31.58 ID:wN+w2u3F
>>359
20歳で死んじゃったから判断のしようがないな。

361: 人間七七四年 2014/07/05(土) 00:52:46.04 ID:VaoPX5fP
小早川秀秋は朝鮮での指揮ぶりは優秀だったと聞いたが


430: 人間七七四年 2014/07/21(月) 17:51:54.85 ID:ZEd4qf0I
諏訪頼重もバカ殿だが、あまり知名度ないな。
信玄がらみで大河とかでも結構取り上げられるのに。

433: 人間七七四年 2014/07/22(火) 09:24:36.46 ID:lVGWCJD6
>>430
世間一般の「戦国時代」のイメージより前に没してるってーのもあるんじゃねーかなあ

434: 人間七七四年 2014/07/22(火) 16:00:42.93 ID:YacPI0PJ
>>430
高遠頼継のほうがさらにアレだし。

引用元: ・【今川氏真】バカ殿を語ろう【山名豊国】



駿河今川氏十代 (中世武士選書25)
小和田哲男
戎光祥出版
売り上げランキング: 358,419