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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/10(月) 20:51:14 ID:PO1TbmLd
日本最北端にして北海道唯一の戦国大名
松前氏について語り合おう
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219: 人間七七四年 2011/11/18(金) 05:51:54.53 ID:JJPk+R//
松前藩は支配面積でいえば日本の1/5を支配するという江戸時代最大の藩と言えなくもないのだろうか

220: 人間七七四年 2011/11/18(金) 10:17:42.86 ID:J2ZZsDWc
>>219
石高や官位ではなく、面積での評価は斬新だ。

240: 人間七七四年 2013/03/12(火) 20:52:14.38 ID:zTVUCsxM
当時はアイヌをからかいながら冬に怯えて平和に暮らしてたのかな

241: 人間七七四年 2013/04/23(火) 21:54:04.36 ID:JokFOvUG
津軽藩とか盛岡藩にもアイヌ人はいたみたいだけどね。
幕府と松前藩の目を盗む形で、北方交易に手を出してたし。

261: 人間七七四年 2016/08/28(日) 19:25:53.78 ID:d1rjuMAg
砂金で儲けたアイヌ部族も火縄銃持ってたようで、砂金発見がもう少し早ければ歴史が…

265: 人間七七四年 2016/09/04(日) 10:54:10.62 ID:tloTlKHB
>>261
変わらんよ。アイヌじゃ松前さえ倒せない
仮に松前を支配下においてもその先の南部は無理ゲー

263: 人間七七四年 2016/08/29(月) 23:40:59.96 ID:RIImlV2k
ロシアの極東進出、砂金利権でのアイヌ富裕化、がもっと早ければ状況変わってた

282: 人間七七四年 2018/02/08(木) 23:04:03.37 ID:2x2NlFyW
蠣崎氏は安藤氏の傘下とあるのだが、安藤は秋田でしょ? 地理的に言ったら青森の南部の傘下じゃないの?
勢力図がよくわからん

283: 人間七七四年 2018/02/08(木) 23:17:04.94 ID:AAxw8m/P
元々津軽や下北は下国安東領だけど南部に奪われて、下国安東氏は蝦夷地にいったん逃げた後、湊安東氏のツテで秋田に移転
津軽下北はその後南部系領主や浪岡氏に分割、蝦夷地はそのまま安東系領主が勢力保ったって形。海路で秋田と繋がっていたので特に問題は無かった模様

286: 人間七七四年 2018/05/19(土) 22:55:58.02 ID:86K3bPXX
安東から独立を果たしたり、南部が仕切っていた北方交易の権利を奪取したりと
この時代の大名としては意外と活躍してるんだよな。

287: 人間七七四年 2018/05/20(日) 06:21:49.31 ID:CuhRG+/o
戦国時代なのに、それほど戦争しなかったのではないか?

297: 人間七七四年 2018/12/24(月) 19:55:36.79 ID:UpHtxeFi
>>287
ところが意外と戦っている。
主にアイヌ人相手に。もちろん苦戦の連続ですよ。

他に宗家の檜山安東氏に何回か援軍を出している。

298: 人間七七四年 2018/12/26(水) 16:37:58.54 ID:8wtTTbyO
>>297
> 主にアイヌ人相手に。もちろん苦戦の連続ですよ。

松前さんの場合、鉄砲の数が少ないし、城郭は砦レベルの防御力だしで、苦戦するのは仕方ないんだろうな。

299: 人間七七四年 2018/12/27(木) 20:17:29.53 ID:SeyKJFgm
>>298
蛎崎氏等の道南の武士たちがアイヌ人に勝てなかった理由は当時の蝦夷地の地勢にあると思う。

当時の蝦夷地は農民なんかまったく居ないから足軽を使った集団戦法が使えない。多分、当時の道南武士は南北朝時代そのままの戦闘方しか知らなかったんではないかな。
しかし、当時の蝦夷地はまったく開拓もされてないから一歩内陸に入ったら湿地か密林。騎馬が活躍できる場所が少ない。
比較的近距離で弓矢の打ち合いということになったろうけど、相手は毒矢を使うのに長けている。

なかなか厳しい状況だよね。鉄砲が普及すれば状況は変わったと思うけど。

302: 人間七七四年 2018/12/29(土) 17:35:00.91 ID:/ZAVFj8+
>>299
>鉄砲が普及すれば状況は変わったと思うけど。

ひょっとしたら鉄砲を買うカネがなかったのかな? 

305: 人間七七四年 2018/12/30(日) 12:48:42.21 ID:dME2LztK
>>302
多分、金はあったと思う。海産物の交易は今も昔もドル箱。
松前藩は、海産物の交易で設けていた。3万石相当とされていたけど、実際はそれ以上に設けていたらしい。

志苔館からはコシャマインの戦いの時に埋蔵されたと推定される埋蔵古銭が発掘されてるが、その数なんと38万7千枚。
日本国内で一ヶ所から発見された古銭として今もって最大。

単に北の端っこにいたから鉄砲の知識が伝わらなかったとか。

309: 人間七七四年 2018/12/30(日) 21:58:25.14 ID:h+a/jEjF
>>305
本州最北の南部家で北信愛が侍100人と鉄砲隊20丁でクーデターを起こした例もあるし伝わらなかったとは考えにくい。
常識的に考えて領内へ入らないようにしたんでしょ。アイヌ人も鉄砲を知れば害獣対策という名目で手に入れたがるだろうし

310: 人間七七四年 2019/01/03(木) 06:02:27.82 ID:H880i6oz
>>309
> 常識的に考えて領内へ入らないようにしたんでしょ。

鉄砲を持っていなかったとは考えにくいが、記録が残っていないのではなかったか。

289: 人間七七四年 2018/05/22(火) 05:52:18.34 ID:5yt/O9Fo
安東から独立してからは不戦?

290: 人間七七四年 2018/05/22(火) 09:08:27.80 ID:H/PbT+7m
独立した時には秀吉天下統一してる。後は江戸時代になって大坂やヘナウケやシャクシャイン

292: 人間七七四年 2018/11/07(水) 01:50:04.86 ID:gpLsU9yp
アイヌとの同化を拒んでたんだっけ?
アイヌには見分けがつくようにアイヌの衣装を着ることを強制させてたとか

296: 人間七七四年 2018/12/24(月) 19:40:10.12 ID:UpHtxeFi
>>292
よく分からんがアイヌとの交易が飯の種だから同化されて減ってしまうことが嫌だったのかも。

松前藩は何しろ経済基盤が貧弱すぎてな。
幕府が直轄地にしたのも、基盤の弱さを慮ってだろう。
対露防衛といっても武器も武士も数が揃えられず、下手すりゃアイヌ側が本気出せばアイヌ人にも(単独では)負けかねない程度だし。

303: 人間七七四年 2018/12/29(土) 22:33:55.22 ID:ew6aZKq9
松前の松って誰からだっけ?
前は前田からだろ?

304: 人間七七四年 2018/12/30(日) 06:10:17.35 ID:3Ke4FAZK
>>303
蠣崎季広の子・蠣崎慶広の代には上洛して、天下を平定した豊臣秀吉(関白、太閤)に拝謁することで本領を安堵された。
これによって秋田氏(旧・安東氏)から名実ともに独立する事になった。天正19年(1591年)、秀吉の命に応じて九戸政実の乱に多数のアイヌを動員して参陣。
秀吉の死後は徳川家康に接近して慶長4年(1599年)、姓名をアイヌ語「マトマエ」由来の地名である「松前」に因んで松前慶広に改める。

(ウィキペディア)

「松」は特に誰ということはないようだ。

306: 人間七七四年 2018/12/30(日) 16:37:16.96 ID:yD5WE8hT
鉄砲を買い込み、さらにそれなりの規模の城塞をつくっておけば、たとえアイヌが攻めこんできても籠城して、城内から鉄砲で反撃すれば負けることはなかったと思うんだが。

307: 人間七七四年 2018/12/30(日) 20:04:54.99 ID:pWadHATy
>>306
完全に独占できるならともかく、普通に買い込むだけなら市中にも同じように出回るしアイヌ側も持つようになってしまう
よく西部劇で馬に乗ったインディアン(アメリカ先住民)が描かれてるけど、あいつらが馬に乗り始めたのはヨーロッパ人が大陸に馬を持ち込んでからなんだぜ

312: 人間七七四年 2019/01/03(木) 23:07:51.90 ID:It1eiksG
そもそもアイヌ相手にボロ負けしてた時期は鉄砲無いやろ
主筋の安藤氏が鉄砲使い始めたのがせいぜい永禄頃、その頃にはアイヌとは比較的平穏になってる
シャクシャインの頃は松前もそれなりに鉄砲使ってる

313: 人間七七四年 2019/01/03(木) 23:26:53.62 ID:eko9qPRU
九戸の乱の時にわざわざアイヌ弓隊を率いてそれが表看板になるくらいだから鉄砲は重視されていなかったのかもしれず。
シャクシャインの時も南部藩や津軽藩からかなり鉄砲と銃兵を借り受けたという話だし、鉄砲があまりあったとは思えない。

九戸の乱の時に大活躍したらしいアイヌ人の毒矢部隊も色々謎が多い。
長年敵対したはずのアイヌ人をどうやって組織したのか。日本ではあまりいない傭兵だったのか。士分にしてたのか。有力氏族を味方につけていたのか。分からないことは多い。

しかし、アイヌ人相手にぼろ負けという認識は共通なのね。

318: 人間七七四年 2019/01/05(土) 07:34:01.31 ID:bnU7qHr7
>>313
>しかし、アイヌ人相手にぼろ負けという認識は共通なのね

コシャマインの戦いの時点で和人の支配地がどれだけあり、1549年の蠣崎季広が行ったアイヌ人との和睦の時点で支配地がどれだけ縮小したのかを見れば誰でも分かりまっせ。
蠣崎季広の和睦内容(夷狄之商舶往還之法度)を知れればさらに。ほぼ不平等条約なので。

コシャマインの戦いしか世に知られていないので誤解する人も多いけど、あれは始まりにすぎない。

321: 人間七七四年 2019/01/08(火) 19:14:12.52 ID:o/PUEkzy
>>318
松前氏自身はほとんど負けてなくね?
負けたのは他の氏族。松前氏はほとんど尻拭い。

329: 人間七七四年 2019/01/11(金) 21:38:42.66 ID:uB3+xJu/
>>321
いや負けてる。
タナサカシ相手に支館の瀬田内館を失陥してる。

そして瀬田内の回復を試みた際は、利別川での戦いに大敗して重臣の工藤佑兼が討たれるなど大損害を被っている。
結局瀬田内と、江差も多分合わせて失ってしまい、それっきり。

311: 人間七七四年 2019/01/03(木) 17:32:34.76 ID:W+SlJoZR
秋月俊幸の著書ってどれくらい信憑性高いの?

317: 人間七七四年 2019/01/04(金) 19:23:45.58 ID:1V1rJ59g
そもそも秋月俊幸ってどんな人?

はい、そんなレベルなんで答えられません(>_<)

319: 人間七七四年 2019/01/06(日) 04:01:09.71 ID:9AvnFVX9
>>317
津軽海峡を封鎖した異国船というタイトルの著書で松前道広がロシアに寝返ったというデマが流れたってあるけどこのときの松前道広って梁川に転封されてるはずだからデマの流れようがなくね?と疑問に思っただけだよ

320: 人間七七四年 2019/01/06(日) 05:57:38.55 ID:tOiipq/1
>>319
マイナー大名だから転封されていたことを当時の人たちの多くが知らなかったということだろう。

324: 人間七七四年 2019/01/10(木) 10:38:46.90 ID:zrEIx6Xw
>>320
つまり松前家の梁川転封を知っていたのは幕府首脳部と梁川周辺の人だけ?

325: 人間七七四年 2019/01/10(木) 16:05:30.25 ID:e5TaRviV
>>324

> つまり松前家の梁川転封を知っていたのは幕府首脳部と梁川周辺の人だけ?

他の大名たちや憂国の知識人たちも知っていただろう。
庶民は1万石の大名に関心ないから知らなかっただろ。

323: 人間七七四年 2019/01/09(水) 23:22:38.85 ID:udhsBpUz
蠣崎光広の頃だと思うけど、陰謀によって下ノ国守護と松前守護を滅ぼし、蝦夷地の首領になったという話は本当だろうか。
蠣崎派のアイヌを操って下国氏(下ノ国守護)の館を攻撃させて滅ぼし、松前守護に対してはアイヌ兵に擬装して松前の館を奇襲して滅ぼした、またはアイヌ人を煽って滅ぼさせたというんだけどなんかの出典があるんでしょうか。

ネットでけっこう転がってる話なんだけど、陰謀論めいて面白い。

327: 人間七七四年 2019/01/10(木) 21:00:24.53 ID:NfdmnAQ9
>>323
松前累系あたりから大体採ってる。
今の史書でもちょこちょこ採用されてる説よ。

328: 人間七七四年 2019/01/10(木) 21:15:22.62 ID:B/SUhyVO
>>323
こういうのとか?
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/matuma_k.html
>これはアイヌに偽装した光広の軍勢であったとされている

戦国時代にしては器用すぎる気もするが・・・

333: 人間七七四年 2019/01/18(金) 09:27:44.23 ID:au3JPk1l
>>328
さすがに無理があるやろw

・アイヌのコスプレしたって常識的に考えれば一発でばれる

・松前を落とせるほどの軍勢を隠密に行動させるのは至難の業
松前守護の連中は撫切りにすれば良いとして、自分の館や松前周辺の住民は必ず異変に気付く。軍隊レベルの人数の偽装なんて不可能。

そして他の独立の舘主や北海道出入りの商人から主家の桧山安東氏に注進が行けば反逆として扱われることとなる。しかし、蠣崎氏が主家から咎めを受けたという話はまったくない。
史実として考えるには無理が多すぎる。

松前守護の館が落城した永正10年の前年に函館周辺の館が皆アイヌ人の攻撃で落城してるようなので、その勢いに乗ったアイヌ人の攻撃があったと考えた方が自然ではないか。

338: 人間七七四年 2019/01/18(金) 23:58:45.37 ID:KhNV5N1w
>>333
和人兵をアイヌ兵に偽装するのは無理かもしれないけど、裏で函館方面で蜂起してたショヤコウジ兄弟と手を結んでいた可能性はあると思うよ。
武器や兵力の貸与もしていたかもしれない。
蠣崎光広には動機があるのは確か。

それが噂となって正史以外に記録されているとかね。

341: 海老酢 2019/01/26(土) 23:40:12.52 ID:bMwUcduM
このスレは勉強になる(*^^*)

アイヌ民族に対するイメージが変わった。
おとなしくて争いを嫌うってイメージだったけど、実は精強果敢な面もあったのだな。

武田氏などの日本人側が戦いでかなり負けてることをはじめて知ったよ(@ ̄□ ̄@;)!!
城を落とされまくりじゃない。

ゴールデンカムイでのイメージとは全然結び付かないよ。

342: 人間七七四年 2019/01/27(日) 17:09:37.13 ID:e69p2wC+
ゴールデンカムイはもう明治だし。

左翼学者がアイヌ人等の先住民族の温和さを過度に強調しすぎた側面はあると思うけどね。

ルイス・フロイスが
「日本国の北にエゾという大国があり、住民は酒を好み、戦いに勇猛にして日本人ははなはだこれを怖る。彼らは出羽の国の秋田という都市まで時々やってきて商売をしている。日本人もエゾに行くものがあるが、夷人に殺されることを怖れていてその数は少ない」
なんて書簡をインド総督に報告してるくらいで、往時は勇猛な民族との評判があったようだ。

他国の地域の蛮族(スキタイとかモンゴルとか)に比べるとはるかに平和的な民族だったとは思うけど。

344: 海老酢 2019/01/27(日) 23:42:47.37 ID:Ome+zqwD
>>342
面白いね、その情報(゚ロ゚ノ)

フロイスなら安東愛季の頃か。安東愛季は北海道と密接な関係があったということだね。
下国安東氏は蝦夷地に三つの守護を置いて間接統治してたということらしいけど、フロイスの情報を見ると、たしかに強い関係を持っていたように思える。

そして、本州まで海を越えてアイヌ民族がやって来てたということも分かる。
それも秋田まで来てたとは凄い行動力、航海技術もそれなりのものがありそうだね。

379: 人間七七四年 2019/03/20(水) 00:22:42.03 ID:JtOEXgsI
>>342
まあ九州人から聞いた蝦夷の話だし大袈裟になったり曲解があるのはしょうがないんじゃないかな

引用元: ・【最北端】 蠣崎・松前 【北海道】



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