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1: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 17:54:30.14 0
おしえてください








2: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 18:24:53.92 O
うーん、宗教改革が起きなかったからか?

4: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 18:30:10.45 0
途中までは文化・産業面で周回差付けてリードしてたよね

8: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 19:43:38.04 0
でもいつの間にか欧州に追い越された
ついでに中国にも追い越された

13: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 20:36:24.51 O
欧州がルネサンスで希羅文化を学んだ後、どうしてそこで停滞しなかったのが肝だろう
中東だってビザンツを通して学んでいたのに

16: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/10(日) 21:29:01.47 0
>>13
中東も、ビザンツやペルシャを征服したばかりの初期イスラーム時代の頃は、それらの地域から学んだものを独自に発展させてた訳で停滞してた訳では、ないと思うんだけど。
イスラム科学に関しては14世紀頃になると停滞するけど。

15: 世界@名無史さん 2011/07/10(日) 21:16:34.06 0
そもそもなんでこんなに人口が少なそうな地域が発展できたのかが謎だ。
ローマとパルティア、東ローマとササン朝は互角っぽいイメージがあるが人口は常に地中海・ヨーロッパ側が数倍だったそうじゃないか。
セルジューク朝はフランスより人口がすくなかったんだろ?
衰退した原因としてはモンゴルによるものが多そうだけど。

20: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 11:54:06.40 0
宗教のせいだろう
欧州はキリスト教の枷から逃れたルネッサンス以降から急速に力をつけてきたけど中東では逆に宗教の影響が強まった

21: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 14:05:10.04 0
>>20
それは因果関係が逆な気がする。
現在流行ってるイスラーム原理主義は、中東がヨーロッパに比べて遅れをとってるのはイスラームの教えを正確に、守ってないからであり、だからこそイスラームが厳密に守られてた時代を、見習おうというのが基本的な考え方だと思うから。
つまり、「宗教の影響が、強まったから遅れた」のではなく「遅れてたから宗教の影響が強まった」と、思うんだよね。近世ぐらいまでは中東もそんなに宗教の影響強くなかったし。(まぁ、あくまで同時代のヨーロッパに比べてだけど)

22: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 14:28:10.54 0
>>21
そこから、プロテスタントみたいに近代化になるということは考えられないのですかねぇ
清教徒革命のイギリスやカルヴァンの時代のジュネーブなんかホメイニやワッハーブ派のサウジも真っ青の宗教テロの時代だっただろう
ダンスをすれば、下手すりゃ死刑、生もない占いをすれば死刑、酒を飲んで暴れたら死刑そんな話がゴロゴロ転がっているだろう。
今のイスラム原理主義やワッハーブ派の流れから近代向かっていく潮流が生まれるのですかねぇ

25: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 14:40:16.83 0
>>22
案外その考えも間違ってない気はするんだよね。ただ現実問題として、現在のイスラーム原理主義が近代的なものには見えないんだけどね。
トルコ式のオーソドックスな近代化かそれをやめてイスラーム主義に、走ったイラン式近代化のどちらがより近代的かは今後の政局によるね。

24: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 14:29:01.58 0
>>21
理性を重んじるムウタジラ派が廃れた以降のイスラム世界とヨーロッパを時間軸で追って見ればわかる
イスラム科学の黄金期を築いたのは合理主義のムウタジラ派
この宗派が宗教論争に破れて合理主義が廃れて理性よりも神性が重視されるようになってからイスラムが下降の一途を辿ってる
逆にヨーロッパではルネッサンスを経て合理主義が台頭して宗教改革を経てイスラムとの力関係を逆転させた
ムゥタズィラ学派とは、イスラム教の神学の学派である。9世紀初頭から10世紀にかけてのイスラーム世界で大きな影響力を持ち、分散して少数派となった後も思想の一部はシーア派に継承された。

ムゥタズィラ学派はカラーム(議論、思弁)を取り入れた最初の神学者の一派であり、イスラーム史上初めて体系的な神学論を構築した初期のムゥタズィラ学派はタウヒードを合理的な思惟で擁護した。この学派に属する人間はイスラーム世界における神、人間、世界の関係を人間の視点から理性による説明を試みた。理性による説明は行為の分析を介した人間の自由意志の確認が前提となっており、ムゥタズィラ学派は「行為の創造者」という自立した立場から神の合理的解釈を行った。

25: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 14:40:16.83 0
>>24
ムウタジラ派が廃れたのってイスラーム史の中では結構前半部分だよ。
それ以降もセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などが実際、栄えてる訳だし、しかも>>23が言うようにルネサンス以降のヨーロッパも、異端審問や魔女狩りは存在した。スーフィズムの台頭を衰退の原因に、挙げる人は多いけど、それはあくまでイスラーム科学に限った話だと思う。
軍事的政治的にはそれより後の時代でもヨーロッパとまだ肩を並べてたよ。

23: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 14:28:51.00 0
私もオツガイさんの見解が近いと思います。
イスラム過激派とか、原理主義という運動で直接現在のものと結びつくのは20世紀に起こってます。列強の侵略の後です。ルネサンス以後でも17世紀ではまだ異端弾圧・魔女狩りは続いてました。欧州は世俗化したが、米国・イスラエルでは今でも宗教の力が強い。
つまり、「宗教の強さ=発展を阻害」ではなく、例えば同じ一神教でもユダヤ・キリスト教は多国籍企業・規制緩和・自由主義色が強いが、イスラム教は地元バザール経済中心・社会主義色が強く、この辺が違いを生んでいるのかも知れない。
これも因果関係が逆かな。

29: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 14:55:44.49 0
>>23
う~ん、どうだろう?イスラームとキリスト教に根本的な違いがあり、イスラーム圏が遅れてるのはそれが原因だとすると、かつて中東が、ヨーロッパより繁栄してた理由が説明つかない気がする。
まぁでも、イスラームがバザール経済中心というのはたまに言われるからね。
近世まではそれで成り立ったけど資本主義の発達した近代以降は、それでは上手くいかず経済的に遅れる事になったという考えもあるね。

30: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 14:58:20.58 0
>>29
中東が繁栄してたのはイスラム成立以前からだろう
いまだに8世紀の教条を法律にしてる宗教だから、時代の変化に追いついていけないのは当たり前

32: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 15:06:46.12 0
>>30
まぁ確かにイスラーム以前から中東は先進地域だったけどイスラーム化後も、しばらくは先進地域だった訳で、イスラームに原因を求めるのは違うと思うよ。
後、シャリーアは結構時代の変化に対応できてる面もあるよ。時代の状況に、応じてウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。イジュティハードの門は、閉ざされたはずなのにそれ以降の時代でもオスマン帝国とかは現実的に、色んな法律を作って時代の変化に対応しようしてる。

34: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 15:11:35.09 0
>>32
>ウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。

それは解釈可能な範囲の中でいじってるだけで、シャリーアそのものの方向性に影響を与えるほどのものじゃない
だからマレーシアだろうとサウジだろうと量刑の軽重こそ違うが基本は同じ
「人間の合理性」を排除した神と預言者の意思による裁き

36: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 15:19:00.75 0
>>34
まぁ確かにそうか。でも同時代のヨーロッパの法体制もそうだっんたじゃないの?
あまり法制史に詳しくないので良く分からないけど、基本的な方向性はそんなに、大きく変わってた気はしないなぁ、向こうの教会法だって。まぁどっちみち現在は、シャリーアをそのまま法律にしてない国だって中東にはたくさんあるけどね。

38: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 15:24:03.66 0
>>32
イスラームに原因があるわけではなくて、むしろ西欧の発展のほうが異常だったと考えるべきだろう

42: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 15:35:21.03 0
>>38
うん僕もそう思う。中東が停滞したというよりはヨーロッパが急速に、発展しすぎた。むしろ西欧はなぜ中東にならなかったのかについて、語ったほうが真実に近い気がする。ヨーロッパの発展が異常だった。

26: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 14:43:39.88 0
近代化するにあたって、人民がどういう欲望を持っているのかも大事だと思う。
私から見てイスラム圏の人は平均的にアメリカ人や中国人、韓国人より上昇志向が強いようには見えない。
そこの国の人民の本音がそこそこ食えれば満足なのか、それとも子どもがエリートとなり、より広い家と大きい車、良い家電製品が欲しいのか、本音はどうなんだという事だ。
私にはイスラム圏の平均はどっちか言うと前者に見えるのだが。

55: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 16:52:09.50 0
オスマン帝国はヨーロッパと接触があったけれど、江戸時代の日本の蘭学者たちのように
西洋のフィロソフィーまで学ぼうとしたわけではないからな

彼らの関心はもっぱら、軍事技術などのテクノロジー面に向けられていたように思える
これがオスマン帝国の限界

58: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 17:05:16.53 0
>>55
まぁ、あくまで自分たちのほうが有利だという自信があったからね。これは、近代中国にも当てはまる気がするけど。下手に大国だと素直に向こうの、文化や思想を学びにくいだろうね。
軍事や技術は簡単に学ぼうと思えるけど、精神や思考の核となる部分(宗教も含めて)はあくまで自分たちのほうが、上だというプライドがあるせいで、そう簡単に学ぼうという気は起きにくいね。
19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。

60: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 17:08:12.12 0
>>58
19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。
学んだ結果、彼らが導き出した結論は政教分離だぞ?

57: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 17:02:22.91 0
欧州の軍事技術の発展は突き詰めて社会全体の改革につながってるけどそれを無視して兵器製造技術にしか興味を持たなかったからなあ

ナポレオンの銃剣方陣対してマルムークが突撃をかまして大敗したし

117: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 19:56:35.04 O
王朝が変わってないから。

119: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 20:18:16.70 0
>>117
それはあるかもね。オスマン帝国は良くも悪くも長く続きすぎたから、自国へのプライドが高くなり、ヨーロッパに隣接してたにも関わらず、ヨーロッパの思想を学ぼうという気が近代まで起きにくかったのかな。

120: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 21:30:52.95 0
文明国のローマを征服したという事実が大きかったのかも
ローマの西は所詮は野蛮なフランク人の国だと馬鹿にしてたんだろう

121: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 23:33:34.61 0
そういえばオスマン帝国からアメリカやカナダに移住した移民なんてどれくらい居るのかな?

128: 世界@名無史さん 2011/07/12(火) 10:21:33.85 0
ユダヤ家系はオスマン帝国出身の者が結構大物が出てるな。
ルーズベルト家もサッスン家もオスマン帝国出身だろ。
シオニズムの源流であるサバタイ派もオスマン帝国だし、オスマン帝国出身者がユダヤ史に占める重要度は高いと思う。

129: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/12(火) 15:07:38.33 0
>>128
当時のオスマン帝国には、スペインなどから迫害を逃れてやって来たユダヤ人が、たくさんいたからね。オルハン・パムクの小説にユダヤ人の女商人が登場するけど、ああいうのがイスタンブルなどを始めとする都市部に当時はたくさんいたんだろうね。

130: 世界@名無史さん 2011/07/12(火) 16:28:09.55 0
>>128
卑近な例ではニール・セダカの父親も世代的にぎりぎりオスマン帝国時代のトルコ生まれのユダヤ人っぽいな
なぜか英語版にはないけど、日本版だと父親はイズミル出身

135: 世界@名無史さん 2011/07/13(水) 02:48:59.39 0
ペルシアとかオスマンとかが長く支配しすぎなんだよ
中東にヒッタイトとかエジプトとか群雄割拠の時はあらゆる面で凄まじかったじゃん

139: 世界@名無史さん 2011/07/13(水) 15:38:38.35 0
>>135
オスマン帝国で中東は安定期に入ったのです。
オアシスで灌漑施設があればいいじゃないか。
欧州は安定期がなかったのです。食べる為には農業革命が求められたのです。

948: 世界@名無史さん 2012/01/22(日) 20:00:28.61 0
>>135
やはり他国との戦争は科学技術を進歩させる動機たりえるな。

949: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/01/22(日) 20:22:53.57 0
>>948
オスマン帝国とか普通に他国と戦争しまくってたけどね。
それでも西欧の軍事革命についていけず18世紀には軍事的に衰退した。
まぁ、中期に西欧よりもサファヴィー朝などと多く戦争してたからかもね。

143: 世界@名無史さん 2011/07/13(水) 22:32:36.76 0
しかし、中東の人は西洋文明のどの部分が受け付けられないのだろうか?
立憲君主制にしても、議会制民主主義にしても徴兵制や資本主義にしても基本的人権の尊重にしても東アジアの人やアフリカ人いやインド人でさえ、うまく運用できるかどうかは別にして、その考え方に触れた時は「理にかなっている」と評価したのだろう
紆余曲折はあるとはいえ、曲がりなりにも自分たちに合わせて運用しつつあるみたいだけどむしろ欧米人のほうが近代西洋文明に対して反発しているところがあるじゃないか
例えばホーキング博士の「神はいない」との発言や量子力学や相対性理論など
イスラムは量子力学やホーキング博士や相対性理論がけしからんと火をつけた人なんてほとんどいないだろう

145: 世界@名無史さん 2011/07/14(木) 06:56:45.70 0
>>143
中東も一度西欧化政策をとったが、うまくいかなかった
その反動でイスラーム主義に走る

146: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/14(木) 08:13:43.64 0
>>143
まぁ日本にだって幕末期には西欧文明を受け入れられない攘夷派とかが、いた訳だし、急速な近代化について来れずに懐古主義に走ったり自国の、ほうが西欧より優れてると思ってるナショナリストは少なからずいるでしょ。それでも19世紀から20世紀前半にかけてはイスラーム圏も西欧の文明を、学ぼうと近代化に励んでた。
今でもトルコとかはその延長線上にあるけど、イランみたいに近代化の途中でイスラーム革命によってぽしゃった例もある。
中東の場合は西欧文明からナショナリズムを特に多く学んでしまったと思う。
例えば、汎アラブ主義にしろイスラーム原理主義にしろアイデンティティの、対象となるものが違うだけでナショナリズム的な考え方には違いないからね。
中東が西欧文明を否定しがちな方向にあるのはナショナリズムのせいかも。

147: 世界@名無史さん 2011/07/14(木) 11:45:14.11 0
>>146
中国の西洋化、近代化の過程と比べれば分かると思うが、中東と同じ懐古主義に阻まれたり挫折したり、社会主義に走ったりしたけど、結局中東のように西欧全否定の原理主義に走る
ことなくさらに突き進むことになったから、中東のイスラム原理主義回帰はあくまでも中東の特質だろう

151: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/14(木) 15:32:32.28 0
>>147
まぁ別にムスリムだって西欧全否定の原理主義に走ってるのばかりではないけど、確かに他の地域とかと比べれば多い気がするね。
オスマン帝国末期辺りを見ると、やっぱりあそこら辺の地域はナショナリズムという思想を輸入しすぎたように思える。それと東南アジアや南アジアやアフリカと違って中東は中途半端な植民地支配を、受けたからかも知れない。
近代までオスマン帝国があったから中東が西欧列強の、植民地になってた期間って意外と短いんだよね。植民地支配の長い他の地域だと、西欧の影響も強いから完全な否定はしにくいだろうけど中東はそこまで長い支配は、受けてなかったため逆に西欧アンチが多くなったのかな。そうじゃないのもいるけど。

152: 世界@名無史さん 2011/07/14(木) 15:44:02.05 0
中国やタイは欧米列強の半植民地だった

アフリカの内陸部まで白人が行けるようになったのは19世紀になってから
だからアフリカ諸国の植民地支配の歴史は意外に短い

153: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/14(木) 15:54:57.39 0
>>152
アフリカも確か意外と植民地になってた期間は短いね。アフリカ分割の、ベルリン会議は1884年だし。それでも中東はオスマン帝国があったから、イラクやシリアなど中心的地域は第1次世界大戦後まで列強の支配は、受けてなかった。
オマーンとかの周縁地域とエジプトなど北アフリカは、例外的に19世紀後半から植民地支配を受けてたけど。イランやトルコは、半植民地化されたことはあっても植民地になったことすらないし。

185: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 15:36:16.40 0
初期の頃のイスラムってすごい勢いで台頭したよね。
ギリシャ系の知識人を吸収したとかあるのだろうが。欧州や中国のような文化基盤がないところからあれだけ急速に台頭したのは不思議。

186: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 15:41:35.71 0
ビザンツやサーサーン朝の文化遺産を受け継いだから

187: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 16:00:38.36 0
ペルシャも文化レベル高いね。
そういえば昔何かで読んだがイスラムやモンゴルが台頭したのは身分差別が比較的軽く他文化の取り入れに積極的だったってあった。
インドは文化基盤高かったが、カーストがあるため世界帝国になれなかったと。

188: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/28(木) 16:09:59.19 0
>>187
まぁ、そういう面はあるかもね。イスラーム圏は結構成り上がりも多いし。
奴隷から解放された人がそのまま出世する場合なんかも割りとあるし。

190: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 10:55:33.43 0
オスマン帝国もサファヴィー朝もムガル帝国も、国としては開かれていても、精神的鎖国(ひきこもり)状態だったからなあ

江戸時代の和蘭風説書のように、定期的に海外の情報を収集していたわけでもないし

191: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/29(金) 11:04:08.85 0
>>190
オスマン帝国なんかは定期的に情報収集しようとしなくても嫌でも、ヨーロッパ情勢は耳に入ってたと思うけどね。ただ、先述したように、自国の方が優れてるという自信が西欧から何かを学ぼうという気を、起こしにくくさせてた。
ヨーロッパ情勢自体は自国の帝国的野心や、防衛のためにむしろ積極的に収集してたと思うけど。それをもとに、近代化・西欧化しようという考えは18世紀後半まで生まれなかった。

210: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 19:36:49.50 O
モンゴルによる被害は凄まじいものだったと思うが。
バグダッドとホラズムという東西の中心地や各地の水路が破壊されてる。

211: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/29(金) 19:44:01.52 0
>>210
確かにね。杉山正明氏なんかはモンゴルは中東に破壊しか、もたらさなかった訳じゃないと言ってて実際それはいくつかの、点で当たってるけど、それでもバグダードとかの被害がかなり、すさまじかったのも事実だからね。
ところで、ウィキペディアの、
「バグダードの戦い」の記事が要出典の嵐になってるんだけど。モンゴル帝国以降もイスラーム圏では大国も生まれてるから、それだけが原因じゃないとは思うけど被害の大きさは現実だね。
まぁ、モンゴルだって中東の文化を発展させた面はあるけど。

212: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 19:55:28.08 0
>>210
同じモンゴルに壊滅させられたルーシがそのあとトルコを圧迫するまで強くなったから、モンゴルガー、は通用しない

ドイツが北方戦争や三十年戦争で蒙ったダメージも凄かったし

213: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/29(金) 20:00:00.15 0
>>212
確かにモンゴル以降もサファヴィー朝やオスマン帝国などの大国が、出来たことを考えると、モンゴルだけに原因を求めるのはおかしいね。
モンゴルによる破壊が大きかったのは事実だけど、モンゴルによって、発展した面もあるから。やはり原因はもっと後の時代にあるだろうね。

引用元: ・なぜ中東は欧州になれなかったのか



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