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1: 人間七七四年 2018/08/07(火) 19:40:31.31 ID:5anonhZw
加藤清正と並ぶ戦国時代有数の築城家として、また生駒、加藤などの後見人を勤めるなど、実績を残した藤堂高虎を、語る








3: 人間七七四年 2018/08/14(火) 20:24:54.60 ID:Yq73yXve
藤堂高虎は秀吉の死が間近になると、奉行衆の動きを徳川方に伝え、家康暗殺計画の阻止に動いた。
これだけ見ると裏切り者扱いされそうだが、高虎は、豊臣政権下では直属ではなく、大和大納言家家老という傍流だった。
しかも、秀保の溺死後は、一時は高野山に登って政界引退を考えた人物であった。

4: 人間七七四年 2018/08/21(火) 18:15:03.59 ID:tVwt+k1m
>>3
そうだよね
だから豊臣期の高虎を考える時は秀保(秀俊)の話は避けて通れない
丹羽長秀の息子で秀長の養子になったけど秀保が養子になって玉突きで高虎が引き取った藤堂高吉も含めて一方からは裏切り者と指弾されるけど何かとバランス取ろうとしてたのかなと思う

5: 人間七七四年 2018/09/02(日) 16:05:01.41 ID:BT/63Emw
1585年頃から死ぬまでの間、高虎が毎日毎日どこにいたかを記す資料でもあればおもしろそう
移動距離が半端ない

8: 人間七七四年 2018/09/15(土) 08:23:40.46 ID:r7wnEHt6
>>5
藤田先生の本に江戸時代になってからだけど、何処に居たのかまとめられてたね

10: 人間七七四年 2018/09/19(水) 20:33:37.80 ID:VCxufYLP
裏切り者の代名詞

11: 人間七七四年 2018/09/19(水) 20:58:47.30 ID:lXzAr83j
>>10
いつだれを裏切ったのか、書いてみてくれ

39: 人間七七四年 2018/09/27(木) 00:41:51.03 ID:uL5/65u8
子孫の藩が徳川を裏切ったとき、藩祖の真似がうまいわけだ的な嫌味を言われてなかったっけ?
つまりそういうイメージがついているんだろう

羽柴の下で大名に取り立てられたのに、簡単に羽柴を裏切ったからな
津藩(つはん)は、伊勢安濃郡安濃津(現在の三重県津市)に置かれた藩。

1868年(慶応4年)1月に鳥羽・伏見の戦いが始まると、「薩長と会桑の私闘にくみしない」として中立を保っていたが、新政府の四条隆平が津藩陣営に勅使として訪れ、敗退した旧幕府軍への追撃を命じる。津藩守備隊を指揮していた藤堂元施と吉村長兵衛は、勅命が出た以上は官軍に協力することを決意し、対岸の幕軍砲台を砲撃して官軍の勝利に大きく貢献することになった。

当初こそ中立を宣言していたものの、旧幕府側からは味方と思われていたため、「藤堂の犬侍」「その行い、藩祖(高虎)に似たり」とそしられた。

43: 人間七七四年 2018/09/28(金) 23:20:53.75 ID:vt100CcA
藤堂高虎は主君はたくさん変えたが、基本的には辞めてから次に仕えてる。
裏切ったと言えるのは、豊臣を見捨てて徳川についた時だけ。

コイツよりも裏切り者と呼ばれるに相応しい奴はいくらでもいるだろ。

47: 人間七七四年 2018/09/29(土) 22:34:07.53 ID:3XGeedqa
>>43
むしろ戦国時代は下克上だから忠勤よりも出世が大事だしその頃の豊臣なんて酷いぐちゃぐちゃ状態
藤堂、福島、加藤、はじめまともな奴は豊臣を見限ってるがねね様は大事にしたから良いんじゃないかな

49: 人間七七四年 2018/09/30(日) 10:00:28.31 ID:sfCi1clA
>>47
羽柴秀長と徳川家康には忠勤を尽くしてるよ。秀長の跡継ぎの秀保にも義理は果たしてる。良くも悪くも戦国時代の人らしい現実主義者で、そこが魅力だと思うよ。

豊臣家中が分裂し始めたとき、秀長時代から親しい家康の側に、自然についただけで、秀吉の側近たちと違って、ねねとも淀君ともほとんど関わりなかったと思うけど。

54: 人間七七四年 2018/10/01(月) 12:52:24.03 ID:id8FgE0s
高虎の親父は虎高
紛らわしすぎる

57: 人間七七四年 2018/10/19(金) 12:25:18.36 ID:+rkUikft
親父の虎高も次男坊で仕官先を求めて放浪してるんだよな

58: 人間七七四年 2018/10/20(土) 12:41:38.09 ID:fbN+Atko
武田信虎に仕えて虎の字を拝領したとか、眉唾ものだよな。
ただ武田家の譜代家臣は外様に冷たいから、居心地悪くて近江に逃げ帰ったというのは妙に真実味がある。

60: 人間七七四年 2018/10/21(日) 11:01:54.18 ID:1TmMPqVb
高野山から還俗した時、説得に当たったのが高虎と親しい生駒親正だったというけど生駒親正と高虎のエピソードってこれ以前に何かある?
以後のエピソードは幾らかあるけど以前が見つからない

61: 人間七七四年 2018/10/22(月) 03:40:12.87 ID:FuMLHvC8
築城の名人だったから家康に好かれたらしいな

63: 人間七七四年 2018/10/22(月) 11:23:36.87 ID:KLRweOVZ
質素を旨とし華美を好まずとか実用性最優先な所も家康と性格が合ったと思うな

64: 人間七七四年 2018/10/23(火) 22:14:36.21 ID:m5YoHHW9
家康に最初に気に入られたのは滞在屋敷の普請で私財を投じて設計を変えた話だろうね
「万一があれば主の恥になるから」って理由も三河者が好みそうな感じ

65: 人間七七四年 2018/10/25(木) 12:26:52.02 ID:PHQodaWs
気に入らなけれは手打ちにしてください
ってもの三河武士の脅迫の常套句に近いしね

66: 人間七七四年 2018/10/31(水) 01:35:40.40 ID:IM81rcaD
なんで福島正則と仲悪かったの?

67: 人間七七四年 2018/10/31(水) 12:50:42.63 ID:SmynaeDi
福島正則と仲が良い奴の方が少ない疑惑

黒田長政と高虎が不仲で長政と正則が仲良かったからそこからじゃない?

68: 人間七七四年 2018/10/31(水) 12:56:25.24 ID:BQ1NlEQa
不仲の原因は関ヶ原の時の岐阜城陥落後の進軍の是非だと思う
一気に進もうとした政則と家康の到着を待たせた高虎
ひいては豊臣政権内の勢力争いと思っていた政則と家康の天下を見据えていた高虎
その政治スタンスの違いじゃあないかな

70: 人間七七四年 2018/10/31(水) 13:14:10.30 ID:SmynaeDi
清正とはなぜか知らないけど仲が良かったらしいね
仲が悪いとされてるのは黒田長政、嘉明、正則の三人のはず

72: 人間七七四年 2018/11/01(木) 12:13:12.25 ID:7l2NaxhX
加藤嘉明と仲が悪いのに自分より格上の会津藩主に推挙する聖人高虎
70過ぎて東北に行きたくないから押し付けたのかもしれないけど

73: 人間七七四年 2018/11/01(木) 12:59:53.35 ID:7ewjzMZy
嫌だけど自分は年だし生き残りで信用できる外様が嘉明以外にいなかったから仕方ない
あと伊勢は石高以上に豊かだったから動きたくなかったのもあると思う

74: 人間七七四年 2018/11/01(木) 13:56:32.74 ID:CeeDlsuG
娘嫁がせたり後見したりした蒲生生駒清正とは仲良かったんだろうね

77: 人間七七四年 2018/11/04(日) 17:44:11.46 ID:eJOXy2xo
徳川の譜代衆からはどう思われていたんだろ?

78: 人間七七四年 2018/11/04(日) 23:46:13.97 ID:wIbudGLs
具体的なエピソードは知らないけど子や孫が徳川譜代や重臣格と度々婚姻関係結んでるし悪くは思われてないっぽい

79: 人間七七四年 2018/11/05(月) 10:24:36.93 ID:wfQ1oKG6
妬みなんかはあっただろうけど大久保彦左衛門ですら高虎の悪口は言ってないしな

81: 人間七七四年 2018/11/05(月) 13:23:27.37 ID:M9a7toGN
あのめんどくさい三河者の譜代を差し置いて一番槍指名だから妬まれてたんじゃあないかな
本人と直に接して人となりを知るものには尊敬されただろうけど

84: 人間七七四年 2018/11/06(火) 23:43:02.23 ID:VikjDVAn
あまり話題にならないけど津野親忠が高虎と仲が良かったことから家督を譲らされる恐れありと謀殺されて
それが原因で改易された長宗我部盛親が大坂の陣で高虎隊と死闘を演じるのは何か運命的なサムシングを感じる

88: 人間七七四年 2018/11/16(金) 16:06:16.94 ID:vgJjWmZx
>>84
盛親とも親しかったりするのだよな

89: 人間七七四年 2018/11/16(金) 18:21:36.79 ID:riil3P6/
親父の代からの付き合いだからな
元親が秀吉に屈して大阪まで出向いた時には高虎が迎えに行っている
その時に人質として差し出した三男の津野孫次郎を世話したのも高虎らしい

91: 人間七七四年 2018/11/16(金) 19:13:00.03 ID:VL6pVv4f
長宗我部軍と大坂で死闘を演じ多数の一族を失った藤堂家だが、元親の孫だかを仕官させており、津藩に預けられた荒木又右衛門と渡辺数馬は弟子である。

90: 人間七七四年 2018/11/16(金) 18:50:09.95 ID:A62Iz/+2
四国征伐の総大将が秀長だったからその家老の1人として取次になったんだろうね
その後の四国小田原、秀保時代もそうだけど大和豊臣家の家老格は他にもいたけど軍事外交は高虎の担当だったっぽい

その割には戦上手って感じがしない不思議

92: 人間七七四年 2018/11/17(土) 13:27:33.53 ID:YPRFp1f4
>>90
秀長が病床だった小田原にしても朝鮮出兵にしても
当時の日本No.2の大和大納言家の軍を実質的に采配するてすげーよな

93: 人間七七四年 2018/11/17(土) 14:43:53.70 ID:FmqGvsDT
その軍を指揮する技量を身に付けた経緯が謎だ
己ひとりの槍働きじゃない

94: 人間七七四年 2018/11/17(土) 18:04:11.17 ID:DSrk8QPl
個人での武功はすごいが武将としてはあんまりすごくない
関ヶ原で大谷吉継に壊滅させられて大阪の陣でも長宗我部に壊滅させられて

122: 人間七七四年 2018/12/26(水) 10:02:00.41 ID:xoq3X2Nq
>>94
一番きついところで捨て身で働いたから家康に信用されたんだろね

95: 人間七七四年 2018/11/17(土) 20:50:04.69 ID:3Slmn3uh
中国攻め:基本的に装備と兵力で優位。毛利援軍のあった小代国人一揆は一度敗退した説あり。
山崎:活躍無し、勝ち組にいただけ
賤ヶ岳:佐久間にトドメを指したが撤退したのは秀吉の大返しによる
小牧長久手:伊勢の城を落としてた(本戦では出番無し)
紀州:活躍ターン1、メインは謀略。
四国:海岸沿いに城を2つ落とした。戦力的には勝って当然。
九州:活躍ターン2。ただし戦局を決定づけたのは黒田&小早川とも。
文禄の役:李舜臣相手に日本大名初の敗戦を飾る。
慶長の役:活躍ターン3、具体的にどう活躍したか不明。加藤曰く手柄泥棒とか何とか
関ヶ原:大谷相手に半壊、秀秋の強襲からの裏切りラッシュで最後には勝った。
大坂の陣:長曽我部相手に半壊(ただし相手が倍近い)。井伊隊の援軍で形勢逆転して勝利。

うーんパッとしない

133: 人間七七四年 2019/01/16(水) 02:03:21.23 ID:TqVr6+hb
>>95
大坂の陣に関しては本能寺の変の従軍記録で有名な『本城惣右衛門覚書』にも記述がある
本城惣右衛門は藤堂家に従軍して大坂の陣にも参戦していた
現場では高虎と高吉との間に対立があって指揮系統が混乱していたらしい
本能寺と大坂の陣は30年間隔が開いてるけど本物の個人の経験談なら貴重な証言だ

八尾の戦いで藤堂高吉が長宗我部の先鋒を攻撃して吉田重親を討ち取ったけど高虎本隊は盛親本隊の待ち伏せ食らって壊滅したのってそういう行き違いの事情があったんだろう

97: 人間七七四年 2018/11/27(火) 21:47:46.91 ID:nxCvtfxY
高虎は秀長の家老だったんだよね。
同時期に秀長に仕えていた島左近は同僚か?
どちらが格上なのだろうか。

98: 人間七七四年 2018/11/27(火) 23:01:58.74 ID:ISmoNrnE
間違いなく高虎
高虎の知行は1587年の九州後で二万石、この時点で高虎は秀長の家老格

秀長時代の左近の知行は知らないけど仕えたのが1588年に筒井順慶の元を去ってからなので高虎の後輩
加えて小田原征伐では高虎が名代を務めている上に秀保時代を経て三成に二万石で召し抱えられてる
この二万石が破格と言われてるので、高虎の知行を超えていたというのは考えにくい

99: 人間七七四年 2018/11/28(水) 04:47:45.54 ID:RVfyy2W4
なるほど。
左近が後輩なのか。
筒井家の家老を務めた左近が、若輩の高虎の下風に立つのかなと疑問だった。

100: 人間七七四年 2018/11/28(水) 07:40:16.42 ID:65hfeH4v
左近の方が高虎よりも16歳年上なんだな
元々大和の在地領主が筒井家に従って伊賀に行ったけど地元に戻って秀長に仕えたんじゃないかな
小田原征伐の頃には石田に仕えたようだけど

112: 人間七七四年 2018/12/08(土) 18:06:09.22 ID:jDCwXok3
歴史学者の磯田道史におべっか使いと言われてたな

113: 人間七七四年 2018/12/18(火) 10:33:31.85 ID:pcfA3qiY
秀吉はともかく、家康っておべっか使いをそばに置くかなあ

114: 人間七七四年 2018/12/18(火) 10:55:25.91 ID:VidFQhfX
言葉だけのおべっかじゃ無くて高虎は実際に手を尽くしてるから気に入られたんでしょ
仙石や最上など、外様で気に入られてる連中はみんな行動で徳川支持を表明してる

117: 人間七七四年 2018/12/19(水) 07:56:44.99 ID:JVsoMvyR
70過ぎて隠居どころか会津に転封されかけたね
加藤を生贄にして助かったけど

118: 人間七七四年 2018/12/19(水) 08:40:35.51 ID:0lNTZ2fC
「公私は別です」って「確かに嫌いだけどそれを理由に東北に追いやるわけじゃねえよ」って意味だったのかも知れない

119: 人間七七四年 2018/12/20(木) 23:29:51.23 ID:840NF+pQ
小堀遠州の妻は藤堂玄蕃の娘、養女にして嫁がせた訳だね

123: 人間七七四年 2018/12/28(金) 14:49:03.17 ID:6qhhGDZ2
小堀政一と縁者というのもなにげにすごい

126: 人間七七四年 2019/01/06(日) 14:38:23.18 ID:T8QEnNeL
清正亡きあとの肥後加藤家の政治を指導
徳川譜代の仕事じゃないのかね
高虎、信頼され過ぎ、忙し過ぎ

127: 人間七七四年 2019/01/09(水) 13:26:45.19 ID:XULBISn2
生駒家も指導してたよね
仲良かったんだなあ

129: 人間七七四年 2019/01/09(水) 18:19:59.55 ID:zO5FygsY
生駒に関しては高野山の高虎を説得に行くのに選ばれるくらい仲良かったみたいやね
あるいはこの一件で恩ができたと考えて仲良くなったのかも知れない

131: 人間七七四年 2019/01/12(土) 10:28:26.65 ID:CpWAch3s
>>129
高虎と生駒親正て歳が30離れてて、息子の一正と高虎がほぼ同い年なんだよね
どういう繋がりかは分からんが説得に応じたて事は高虎にとって親正は頭の上がらない親父さんだったのかもね

157: 人間七七四年 2019/04/11(木) 16:48:10.57 ID:ch1OvyOL
若い頃はけっこう荒くれ者だったんだよね 

158: 人間七七四年 2019/04/11(木) 20:20:45.10 ID:aPxnaPpM
身体でかくて短気だし全身傷だらけだし色々あったんだろうね

163: 人間七七四年 2019/04/13(土) 18:22:48.73 ID:OCR8TEx1
身長190ぐらいで全身傷だらけで指もないとか戦を知らない世代の若者は怖かっただろうな

164: 人間七七四年 2019/04/13(土) 19:24:54.45 ID:qsU/wRv9
>>163
それ交渉役としても大きな武器だよね
恫喝的な意味で

170: 人間七七四年 2019/05/15(水) 17:55:16.70 ID:djzdv3H3
高虎って意外といくさ下手だったのかな?

171: 人間七七四年 2019/05/15(水) 20:31:32.98 ID:nzOJyL0k
いくら忠義に厚くても戦下手を先鋒にしろとあの家康が言い残すとは思えんがね

173: 人間七七四年 2019/05/15(水) 21:51:34.83 ID:jFKU8Acq
下手でもないけど強くもない感じ
自分より強い相手に粘るのが上手かった印象がある

174: 人間七七四年 2019/05/15(水) 23:13:19.77 ID:nzOJyL0k
個人的武勇伝は三木城の賀古六郎衛門を討って相手の騎馬に乗って帰ってきた豪快エピソードが好きw
戦国時代随一の巨漢で全身傷だらけだったんだからパワー&タフネスの重戦士て感じだったのかな

182: 人間七七四年 2019/05/28(火) 09:10:46.73 ID:WRX6+OEG
戦上手でなきゃ譜代差し置いてあの家康が先鋒になんて言い残さないよ

引用元: ・藤堂高虎



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