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1: 世界@名無史さん 2005/10/02(日) 19:45:56 0
無造作に南アジアを荒らしまくった謎の民族エフタルを語るスレ

エフタル最強
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エ フ タ ル 







Hephthaliten
エフタルの最大版図(520年頃)


エフタル

エフタルは、5世紀~6世紀にかけて中央アジアに存在した遊牧国家。
国史書では嚈噠(ようたつ、Yàndā),囐噠(さったつ、Nièdā),挹怛(ゆうたつ、Yìdá),挹闐(ゆうてん、Yìtián)などと表記される。また、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも表記される。

5世紀中頃に現在のアフガニスタン東北部に勃興し、周辺のクシャーナ朝後継勢力(キダーラ朝(英語版))を滅ぼしてトハリスタン(バクトリア)、ガンダーラを支配下に置いた。これによりサーサーン朝と境を接するようになるが、その王位継承争いに介入してサーサーン朝より歳幣を要求するほどに至り、484年には逆襲をはかって侵攻してきたサーサーン朝軍を撃退するなど数度に渡って大規模な干戈を交えた。さらにインドへと侵入してグプタ朝を脅かし、その衰亡の原因をつくった。
6世紀の前半には中央アジアの大部分を制覇する大帝国へと発展し、東はタリム盆地のホータンまで影響力を及ぼし、北ではテュルク系の鉄勒と境を接し、南はインド亜大陸北西部に至るまで支配下においた。これにより内陸アジアの東西交易路を抑えたエフタルは大いに繁栄し、最盛期を迎えた。

しかしその後6世紀の中頃に入ると、鉄勒諸部族を統合して中央アジアの草原地帯に勢力を広げた突厥の力が強大となって脅かされ、558年に突厥とサーサーン朝に挟撃されて10年後に滅ぼされた。

エフタルの支配地域は、最初はアム川を境に突厥とサーサーン朝の間で分割されたが、やがて全域が突厥のものとなり、突厥は中央ユーラシアをおおいつくす大帝国に発展した。




130: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 01:55:19
エフタル人って人種的には?

131: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 03:53:57
「梁職貢図」に出てくる滑国(南朝でのエフタルの呼び名)使節の姿を見ると、モンゴロイドともコーカソイドとも言いかねる。おそらく混血だろう。ただし、この使節がエフタル・プロパー出身であるという保証はない。 

顔つきは小振りで端正な顔。髭はなく鼻も低い。毛深くて鼻が高い明らかにコーカソイドの形質を示す波斯国使、白題国(バルフ )使と比較すると、モンゴロイドに近い。 

が、目はつり上がったキツネ目ではなくあまり北方的ではない。
百済国使と比較すると違いは明らか。どっちかというと倭国使に近い(こっちは毛深くアイヌっぽいが)。個人的にはチベット人に似てると思う。 

しかし髪の毛はかなりきついパーマがかかっていてチリチリ。 
この辺は白題国使とそっくり。
Zhigongtu_full
6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末国、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯国、鄧至、狼牙修、倭、亀茲、百済、波斯、滑/嚈噠からの使者。


エフタル
滑/嚈噠


140: がいやまん 投稿日:2006/04/21(金) 07:41:37
>>131 
なんだかアラブ系の感じだな。

182: 世界@名無史さん 投稿日:2006/06/13(火) 00:35:32
でも、人物と滑国使本文の間(本文冒頭)が欠落しているけど、あの人物が本当に滑国使に結びつくんだろうか?もしかするとたまたま残っていた全然別の国の使節の絵を前にくっつけただけだったりして。

132: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 04:03:39
滑国は吐谷渾の手引きで南朝に使節を派遣していたので、滑国使節の中には吐谷渾周辺民族が混じっていた可能性もある。 

「梁職貢図」ひとつで、エフタルの人種を断定するのはかなり危険だとは思うが、いずれにせよ非常に面白い資料であることは間違いない。もっと議論されてもいいはずなんだけど。 

倭国使の姿があるこの「梁職貢図」って日本古代史でもなぜかあまり議論されない。


159: 世界@名無史さん 2006/05/26(金) 04:31:36 0
エフタル研究の第一人者って誰?

161: 世界@名無史さん 2006/05/28(日) 18:50:28 0
日本だと、榎一雄と内藤みどりがエフタル研究の二大巨頭。
両者はエフタルの出自について、イラン系(榎説)vsテュルク系(内藤説)と真っ向から対立していた(この辺の議論は最近は全く進展なし)。

インドのフーナについては、山田龍城-明爾の親子二代にわたる論考が光る。フーナについては、インド人学者の論考は多い(専門書も何冊かある)が、粗雑な研究が多くて困る。

桑山正進もキンガル朝~テュルク・シャーヒ絡みで、エフタルやフーナに詳しく触れた論考が多い。山田説・桑山説で特徴的なのは、エフタルとフーナを別勢力とみている点。でも、世界的には同一勢力説の方がまだ強い。

163: ty270410 2006/05/30(火) 23:02:37 0
>>161
内藤みどりさんの『西突厥史』の本の付載にメナンドロスの日本語訳が載っているが,その中にエフタルが出てくる.
内藤さんの註が詳しい.(ただ,少し古い.)
私のような在野の物好きには,非常に面白い.

162: 世界@名無史さん 2006/05/28(日) 18:51:30 0
邦文ではエフタルについてまとまった本は皆無で、詳しく知りたければ論文(あるいは個人全集)をコツコツ当たるしかない。

中国では余太山 「嚈噠史研究」という本が出ているらしいが未見。
書評を読んだ限りでは、既存研究をよくまとめてあるようだけど、独自の考察にはちょっと疑問点が多く、無理して探す気もあまりしない。

164: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 13:36:47 O
テュルク系の突厥と対立していたエフタルが同じテュルク系というのも・・・
ただ突厥と友好関係にあり、エフタルと対立していたソグドもイラン系といわれるからなあ

165: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 16:16:48 0
エフタル・・・・・遊牧騎馬民族か

友達が間違えてずっと「エタフル」と連呼してたが敢えてスルーした

167: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:28:47 0
エフタルが匈奴である可能性は?

168: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:35:32 0
エフタルと匈奴を結びつけたがる人は
北匈奴残党→悦般、悦般→エフタル、という二段構えで結びつけようとするが、二段とも難があって、匈奴と結びつけるのはちょっと難しい。

今のところは「白フン」という名前が匈奴やフンと似ている、という以上には話は進展しない。

170: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 22:03:07 0
Excerpt from L.N.Gumilyov "Vestnik drevney istorii", 1987, No.3, pp. 91-98

さて、エフタルのヒイターラントは中央アジアの平原なのか、パミール川流域の山中なのか本論の初めに提起した問題には、もう回答が出せるようだ。AD1000年のターリム盆地歴史地図は衆知のとおりである。その付近にエフタルのような大国家、大民族はどこにもなかった。
エフタルによるホータン、クチャ、カラシャールの征圧は495 - 497年であり、この際エフタルは東ではなく西から侵入した。天山山脈地方及びこれに接するセミレチエは古代はサカ族、その後烏孫(BC2世紀-AD2世紀)、その後は欧州に移動する途中に、後年「ユエバン」と呼ばれるヘシュ族が滞留し(2-5世紀)、最後は鉄勒が住んでいた(5世紀末-6世紀初め)。

171: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 22:03:52 0
アラル海周辺平原は東はバルハシ湖の連なり、広大であるが、人の住むのには不適であった。この平原の西部は強粘土砂質、つまり、不透水土壌であり、この土地の植物は貧弱で、多数の住民を養うことはできず、その東は水のないベトラク・ダラ砂漠が広がっている。カスピ海周辺平原もエフタルが侵入したところであり、出たところではないのであるから、同様に除外される。パミール川西部流域をエフタル族の故郷、その民力の源泉、その文化の城塞と認めなくてはならない唯一の可能性しか残されていないのである。
エフタル族の祖がどこから来たものであろうが、彼らがそういう民族になったのはすなわちここなのである。

173: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 22:37:19 0
エフタル国の歴史的運命は中世スイスと驚くほど似ている。双方とも、隣接する王国の一時的凋落、国難に乗じて勇猛な山岳民が連合し、片方はオーストリア、ブルグンド似対し、片方はペルシャ、インドに対し輝かしい勝利を収めたが、双方とも、占領した地域の留保と戦績の確保にはつながらなかった。
結果としてスイス傭兵がフランス王の親衛隊を輝かしたように、エフタルはラージプートの隊列を増強し、崩壊したグプタ帝国の残党に対する勝利を助けた。

・・・結論、エフタルはトルコ系ではなくパミール山岳民であるとのこと。

175: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 22:55:55 0
>>170-173の話はだいたい榎一雄説と同内容だね。

ただ、中国史書ではなぜアルタイ(金山)出身で蠕蠕に従属していたなどと書かれてるのか?とか、バダフシャンの山岳民族にしては急速に領土を広げていく様子が極めて遊牧騎馬民族的だ、とか、
まだまだ解明しなきゃならない謎がエフタルには多い。

183: 世界@名無史さん 2006/06/13(火) 01:43:11 0
ある言語学者の研究によれば、エフタルの王族の言語は「Proto-Pashto」だそうな。
言語としてはイラン系のものをつかっていたんだろうか。

まあ、そう遠くないうちに「エフタル語」のコーパスができるんじゃないか。

184: 世界@名無史さん 2006/06/13(火) 02:19:22 0
無理だろー、エフタル語の文章って何が残ってるっての?

185: 世界@名無史さん 2006/06/13(火) 21:11:32 0
確かに「コーパス」は大げさかもしれないけど、語彙集くらいはできるんじゃない?
エフタル起源の単語が収集されはじめてるって話は聞いたことがある。

エフタルの言語による文章だって、アフガニスタン北部あたりからなら見つかる可能性はゼロじゃないかも。バグラーン近郊のエフタル城塞遺跡はまだ未調査らしいし・・・

187: 世界@名無史さん 2006/06/14(水) 09:29:56 O
エフタルが文書を残したとするなら何の文字を使った?
敵対しているソグド文字、突厥文字ではないよね

189: 世界@名無史さん 2006/06/16(金) 00:17:38 0
コインの銘文などに記されているいわゆるエフタル文字というのは、バクトリア文字であってギリシア文字の変形(草書体みたいな)。

独自に文字を創作するとか、込み入った文章を作るといった文化は残さなかった(今のところ見つかっていないだけかも知れないが)。
だからいつまでたっても謎の民族扱いされる。

190: 世界@名無史さん 2006/07/08(土) 23:25:46 0
遊牧国家ってのは公用語に異言語を使うことに抵抗感が薄いよな。

191: 世界@名無史さん 2006/07/09(日) 00:16:03 0
あと宗教もな。

204: 世界@名無史さん 2006/12/11(月) 01:40:03 0
エフタルってそもそも何語の表記なのよ?
中国だとエンタツ?

208: 世界@名無史さん 2006/12/13(水) 00:32:28 0
日本語表記の「エフタル」はギリシア語「Έφθαλίτοι」から。

209: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 01:00:39 0
ギリシア語「Έφθαλίτοι」って何という書物に記されているの?
それとも碑文かなんか?
中央アジアでギリシア文字はいつ頃まで使用されていたんかな?

212: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 22:12:29 0
>>209
エフタルのギリシア語表記は現地周辺に残る文書や碑文ではない。
ビザンティンでの記録。メナンドロスが記した突厥使節マニアクのビザンティン訪問記などにこの表記がある。

213: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 01:52:45 0
突厥が東ローマに使者を送ってたんだ~。
用向きは何だったの?

214: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 09:32:47 O
突厥使者“イランって邪魔だね”
東ローマ官僚“そうだね、あいつがいるからセリカ(中国)と商いできないんだよね”
突厥使者“じゃあ、ルート変えてみるちょっと北のルートに”
東ローマ官僚“いいねえ それと繭ちょうだい”
突厥使者“いいけど 値が張るよ”
東ローマ官僚“いいよ”
突厥使者“サンクス じゃあね”
東ローマ官僚“バイバイ”

216: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 21:33:39 0
エフタルの諸侯であったカトゥルフォスが妻をエフタル王に寝取られた。
頭に来たカトゥルフォスは西突厥のディザブロス(イステミ)とササン朝をそそのかしてエフタルを挟撃させた。これが当たって563~4年頃 エフタルは滅亡。

その後、西突厥がアヴァールを攻めようとした際に、カトゥルフォスはディザブロス(イステミ)を諫めたため嫌われ、ササン朝に身を寄せる。

西突厥の使節ソグド人マニアクがササン朝を訪れ絹貿易交渉を行ったが、このカトゥルフォスがコスロー王にあることないこと吹き込んで、この交渉を二度に渡り潰した。西突厥は怒って交渉相手をビザンティンに切り替える。

こうして568年、ビザンティンと交易・同盟関係を求める西突厥の使節マニアクがビザンティオン(コンスタンティノープル)を訪れた。

210: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 18:48:57 0
エフタルのような拠点、領土が不安定な国家は維持するのが大変だったんじゃね?

212: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 22:12:29 0
>>210
そもそもエフタルは中央集権国家の体裁をなしていなかった。
封建国家のような雰囲気もあるが、ガンダーラのテギンをはじめあちこちでテギンや領主が勝手なことやってたんじゃないかな(王を裏切って突厥に寝返ったカトルフォスはそんな領主の一人)。
よくわからんコインがあちこちで勝手に鋳造されてたみたいだし。

パンジャーブのフーナ(トーラマーナ&ミヒラクラ)に至ってはエフタル本体とどういう関係であったのかすらわかっていない。

230: 世界@名無史さん 2007/06/17(日) 02:26:53 0
フンザは、その名の通り、エフタルの末裔かもしれない。

231: 世界@名無史さん 2007/06/17(日) 05:14:02 0
フンザの語源はブルシャスキ語の「矢(hunts)」の複数形 huntse だと地元では言われてるらしいがあんまり説得力はない。今のところ語源は不明。

かといってフーナ or エフタル起源を思わせる伝承もないし、今のところ特に積極的にフーナと関連づける理由はない。

232: 世界@名無史さん 2007/06/17(日) 07:29:32 0
>>231
矢の複数形でありますか、とりあえずは、騎馬民族に関連がなくはないようですな。

233: 世界@名無史さん 2007/06/17(日) 09:54:06 0
北方の「匈奴(ヒュンヌ)」とか「フン」とか「フーナ」は「人」という意味の自称らしいけど、フンザのブルシャスキ語ではそういう言葉はない。

「男・人」=sissで全然関係なさそう。むしろ「数字の1」=hunで、これは「人」と結びつく気配は今のところなし。
地名のHUNZAは「数字の1」と関係ある言葉なのかもしれない。

237: 世界@名無史さん 2007/06/19(火) 21:38:49 0
フンザの話を続けてもエフタルには結びつかないから、こっちで答えるよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1107859162/l50
【パキスタン・バングラデシュの歴史】

一つだけエフタル/フーナの話をしとておくと、カラコルム・ハイウェイ沿いでは、サカ王モガ(マウエス)やクシャン諸王の碑文が見つかっていて、これら王朝の支配が及んでいたことがわかっている。

エフタル/フーナの碑文は発見されておらず、史料でもエフタル/フーナ領とははっきり記されていないが、すぐ近くまでは確実に支配していたから、カラコルムにも支配が及んでいたのは間違いないだろう、といわれている(少なくとも敵対している様子はない)。

238: 世界@名無史さん 2007/06/24(日) 17:28:14 0
「魏書西域伝」や「洛陽伽藍記(宋雲行記)」などに、エフタルの既婚女性は角のついた帽子をかぶっている、とある。

実はこの帽子、アフガニスタン・ヌーリスタン(カーフィリスタン)のバシュガル渓谷に住むカティ人の間には19世紀末まで存在していた。
イスラム化によって消滅してしまったが、かぶっている姿は古い写真に残っているし、現物も数点博物館に残っている。

http://www.chart.ac.uk/chart2001/papers/noframes/witek.html
Wlodek Witek(National Library of Norway, Oslo)
With Camera to India, Iran and Afghanistan: Access to Multimedia
Sources of the Explorer, Professor Dr. Morgenstierne (1892-1975)

この帽子が「ヌーリスターニーがエフタルの後裔である証拠」とまでは言わないが、なんらかの関係がある証拠ではあるだろう。
特に「エフタルの原郷はバダフシャン(モンゴル高原出身ではない)」という説にはかなり有力な証拠。

239: 世界@名無史さん 2007/06/24(日) 17:30:27 0
カラコルム~ヒンドゥクシュの諸民族の中に、ギリシア人、月氏、サカ、クシャン、エフタル、突厥などの血が混ざっているのは間違いないだろうが、「そう推測できる」というだけで、これといった証拠が見つからないのが難点。
特に言語資料がほとんどないのが痛い。

スレとはちょっとずれるが、「ギリシア人の血」については近年面白い研究がある。

http://hgm2002.hgu.mrc.ac.uk/Abstracts/Publish/WorkshopPosters/WorkshopPoster11/hgm0533.htm
HGM2002 Poster Abstracts: 11. Genome Diversity POSTER NO: 533
Investigation of the Greek ancestry of northern Pakistani ethnic groups
using Y chromosomal DNA variation

これは「先祖はギリシア人」という伝説を持つ3つの民族、パシュトゥーン、カラーシャ、ブルショについて、ギリシア人に特有な遺伝子の有無を調べるという調査研究。

結論は、パシュトゥーンには少し混じっている、カラーシャについてはよく分からない結果で結論は保留、ブルショには全然ない、というものだった。

240: 世界@名無史さん 2007/06/25(月) 01:37:57 0
以前ティムール朝史についての本を読んでいたら
「バダフシャンの諸王(Shahs of Badakhshan)」
というのが出てきたけど、エフタルと関係あったりするんでしょうか?
検索してもよく分からなかった・・・

243: 世界@名無史さん 2007/06/29(金) 21:13:40 0
>>240
> 「バダフシャンの諸王(Shahs of Badakhshan)」というのが出てきたけど、エフタルと関係あったりするんでしょうか?

シャイフ・ムハンマドとかシャイフ・アリーとかいう人たちでしょ。
彼らは「アレクサンドロス大王の子孫」を名乗っていたらしい。

いつからそう言いはじめたのかは知らないが、これより100年前、マルコ・ポーロがバダフシャンを通ったときに「王族はアレクサンドロス大王の子孫を称する」と書いているがのが一番古い記録だと思う。

244: 世界@名無史さん 2007/06/29(金) 21:14:54 0
しかしそれより逆上ると、10世紀にいたバダフシャン王の名は'Abu-al Fath al-Yaftaliという名前だった。

バダフシャンの中心地ファイザバードの北にYaftal(Haftal)という地名が今もあって、Yaftaliという氏族名にもなっている。
Yaftali氏族(タジク人)の有名人は、最近ではブルハーヌッディーン・ラバーニー元大統領。

このYaftalという地名はエフタルという名と同源ではないか?といわれており、「エフタル・バダフシャン起源説」の根拠のひとつ。

245: 世界@名無史さん 2007/06/29(金) 21:16:09 0
バダフシャンがエフタル発祥の地かどうかは結論出ないけど、エフタル帝国崩壊後、その残党がトハーリスターン~バダフシャンにかけてたくさん小国を作って残っていた(一説では27カ国)のは間違いない。

エフタルの名は、8世紀前半まではトハーリスターン~バダフシャンに追えるが、その後消えてしまう。

14世紀のバダフシャン王族シャイフ・ムハンマドたちも、アレクサンドロスの子孫、というよりはエフタルの末裔である可能性の方がリアリスティック、と思う。とはいえ、10世紀の王様の名前くらいしか証拠になりそうなものはないんだけど。

246: 世界@名無史さん 2007/06/29(金) 21:17:35 0
それに系譜がわからないので、10世紀の王家と13~17世紀の王家が繋がるのかもはっきりしない。16世紀にバダフシャン王家から モグーリスターン・ハーン家に嫁いだ姫様ャー・ベガムは「うちは三千年の歴史がある」と言っている(ならアレクサンドロスより古いんだけど??)から、まあずっと繋がってるとは思うが・・・。

「アレクサンドロス大王の子孫」話があんまりあてにならないのはいつものことで、実はバダフシャンの王家は、17世紀にサマルカンドから来たウズベク人の王朝に変わっているんだが、19世紀になるとこいつらも「アレクサンドロスの子孫」と言い始める。
やれやれ。

248: 世界@名無史さん 2007/07/07(土) 22:18:56 0
17世紀の中ごろヤフタル部族から迎えられてバダフシャンに新王朝を開いたヤール・ベクは、サマルカンドのサイイド(預言者ムハンマドの子孫)の家系とされているから、チンギス裔ではないようだ。

まあ自称「サイイド」ってやつも「アレクサンドロスの子孫」同様信用できたもんじゃないけど。

引用元: ・エ      フ      タ      ル




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