1: 樽悶 ★ 2019/06/11(火) 20:03:48.44 ID:uwmjgB7F9

三重県大紀町の沿岸部で1950年代に発見された土器片の中に、3世紀後半に近畿中央部で作られたとみられるものが確認された。調査に当たった桜井市纒向(まきむく)学研究センターの橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」と見ている。

(略)

3世紀後半は邪馬台国の最有力候補地とされる纒向遺跡(桜井市)の最盛期に当たる。橋本総括研究員によると、同様の土器片は瀬戸内海や福岡県博多湾沿岸などで見つかっているが、紀伊半島の熊野灘沿岸では初めて。橋本統括研究員は「ヤマトとの関係を示す証拠と言える」と話す。

 調査された土器片は大紀町役場錦支所で公開されている。問い合わせは、大紀町教委。【藤原弘】

(全文は)
https://mainichi.jp/articles/20190608/ddl/k29/040/458000c?inb=ra

調査の結果、3世紀後半にさかのぼる近畿中央部系の物が含まれていることが判明した土器片=三重県大紀町教委提供 
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/06/08/20190608oog00m010047000p/9.jpg







12: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 20:29:57.05 ID:VC05b2mb0
大和から天照大神を伊勢に移したのがこの頃だろ?
その周辺で大和の土器が見つかっても不思議ではないんじゃないの

24: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 21:13:56.13 ID:o/AbzMWK0
まあ熊野古道もある事だし、大和朝廷を作った人の先祖には縁のある場所でしょうね
それが邪馬台国とは思えませんが

25: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 21:14:08.33 ID:+4jLxb5g0
熊野で土器片が見つかったのか
けど今のところ古代の東海ルートって宇陀或いは甲賀・伊賀とか通るのがメインで
航路が一般的であったのは実証されてないし
どう解釈していいのか難しいがなあ

もっともらしいのは他の年代の土器もあるので
後世の人が物珍しいのを運ぼうとしたら難破したってとこかね

49: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 21:47:11.30 ID:t34WKo3l0
奈良周辺の街道整備て予想以上に進んでたんじゃね

60: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 21:58:56.53 ID:W0NFceVp0
黒潮太平洋航路の存在が現実味を帯びてきたな

大隅半島→黒潮→潮岬→熊野

帰りは
紀ノ川→淡路島→徳島→高知→宮崎、大分

81: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 22:22:47.49 ID:BMQurc2c0
要は熊野灘からヤマト関連の土器片が見つかったと
なのでヤマトと熊野灘沿岸は関わりがあったんじゃないかと
そりゃまぁ近隣だしな

107: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 23:09:16.89 ID:/9wFQtGz0
纏向は伊勢や熊野とかの海が現代人が考えるより身近だな
日本中の土器が見つかってその当時最大の建物があるんだから
只の都市じゃないだろう各地の首長が集まる政治の場所か宗教施設か

109: 名無しさん@1周年 2019/06/11(火) 23:11:23.93 ID:YDkNamXz0
>>107
あれくらいの建物は吉竹高木遺跡には紀元前
2世紀頃にはあったけどな。

232: 名無しさん@1周年 2019/06/12(水) 06:30:40.19 ID:6BbDYhtZ0
まあ箸墓掘ってみようぜ

引用元: ・【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」