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1: 世界@名無史さん 2006/09/16(土) 20:27:53 0
戦後の歴史の中でのベトナム戦争を語ってください。
本当に必要な戦争だったのか?
代理戦争として冷戦下の世界にアメリカの覇権の歴史に与えた影響などなど。
関連記事
【ダナン発】ベトナム戦争とその時代【最終便】 










3: 世界@名無史さん 2006/09/16(土) 20:31:21 0
ベトナム介入はケネディの大失敗だろ

5: 参考 2006/09/16(土) 20:34:15 0
1960年:南ベトナム解放民族戦線結成(12月)
1961年:ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任(1月)、アメリカが南ベトナムにヘリコプター部隊と軍事顧問団を派遣(11月)
1962年:アメリカ軍が「南ベトナム軍事援助司令部(MACV)」を設置(2月)、南ベトナムとラオスが国交断絶(11月)
1963年:アプバクの戦い(1月)、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領暗殺(11月)
1964年:南ベトナムでグエン・カーン将軍によるクーデター(1月)、トンキン湾事件発生(8月)
1965年:アメリカ軍による北爆開始(2月)、アメリカ海兵隊がダナンに上陸(3月)、韓国軍派遣(10月)
1966年:北ベトナムに対するB-52による初空襲(4月)、初のクリスマス休戦(12月)
1967年:南ベトナム解放民族戦線がダナン基地を攻撃(7月)、グエン・バン・チューが南ベトナム大統領に就任(9月)
1968年:テト攻勢開始(1月)、ソンミ村虐殺事件(3月)、パリ和平交渉開始(5月)
1969年:北ベトナムが南ベトナム臨時革命政府の樹立を発表(6月)、ホー・チ・ミン死去(9月)
1970年:南ベトナム軍とアメリカ軍がカンボジアに侵攻(4月)、カンボジア内戦勃発
1971年:南ベトナム軍とアメリカ軍がラオスに侵攻(2月)、ニューヨーカー誌に「ペンタゴン・ペーパーズ」連載開始、南ベトナム大統領選挙(10月)
1972年:北ベトナムの戦闘機がアメリカ艦艇を初攻撃(4月)、アメリカ軍無制限北爆再開・停止(12月)
1973年:パリ協定締結(1月)、アメリカ軍がベトナムから撤兵完了(3月)
1974年:北ベトナム軍がプノンペンを包囲(2月)、リチャード・ニクソン大統領辞任(8月)
1975年:北ベトナム軍全面攻撃開始(3月)、サイゴン陥落(4月)

185: 世界@名無史さん 2006/12/15(金) 16:10:22 0
「ベトナムから国に帰ってみれば空港にウジ虫共がうじゃうじゃ居てオレに抗議するんだ! 女や赤ん坊殺したの何のって言いたい放題だ!あいつ等に何が分かる! あいつ等も、俺達と同じナムに居て、同じ思いをしてあそこで立って喚いていんのか! 」

「皆、絶望して苦しんでいたんだ、もう済んだことだ」

「ナムじゃ戦車にも乗れたし、百万もする武器も自由に使えた、お互い助け合い支え合っていた、だがここには何もねぇーーー!でも国に帰って見りゃ駐車場の係り員にもなれねぇんだ! 」

「おまえは私が育てた最後の隊員だ無駄に死んでくれるな」

ランボー 1 FastBlood

195: アシャウ937 2006/12/18(月) 17:55:42 0
>>185
ランボーは、アメリカにとってのベトナム戦争の重さを象徴する映画でしたね。
これは、ベトナム人にとっても、あるいはより以上に「ランボー的な重さ」を引きずっていると思う。

旧NLFの活動家などは、民族独立を信じて闘い、気づいてみれば、共産党に利用され、戦後は「北」の支配下に置かれ、悪ければ粛正の対象になったのだから、ロイヤリティーから見ると、ランボー以上の絶望と混乱を味わっていると思う。

そういった問題を全て含んだ上で、ベトナム政府は、複雑な国際環境と、時代の中で、うまく政策の舵取りと、国家運営をやっていると思う。
対中関係、対米関係の正常化には、おそらく党内で激論(場合によっては粛正)が必要だったのではないか。
NLF

南ベトナム解放民族戦線は、南ベトナムで1960年12月に結成された反サイゴン政権・反米・反帝国主義を標榜する統一戦線組織。南ベトナムの民衆はおろかサイゴン政権の要人にも秘密メンバーを獲得していたことでも知られており、今なお構成員だったことを公表していない人々が多数存在している。

196: 世界@名無史さん 2006/12/18(月) 19:29:23 0
>>195
ですね、ランボーも2までは娯楽としても、政府に踊らされて苦悩する兵隊を描いた点でも良かったですが、三は大失敗でしたね。 

>ロイヤリティー
これは両者将兵一致でしょう
下の会話って、おそらく米兵もベトコンも同じとみた一兵士の代弁だと思う。

「また勲章もらえるな」

「もらう権利があるのはあいつ等ですよ」 

「今回も悪かったな、だが国を恨んじゃいかんぞ」

「恨む? 死んでもいい 」

「何が望みだ?」

「望みっ!オレの望み!このベトナムに来て、腹ぶち抜かれて泥水の中、のたうち回って死んだ兵隊の望みは、オレ達が国を愛するように、国も!オレ達を愛して欲しい!それだけです。 」

「これからどうやって生きる……?」

その日その日を…。 END       

ランボー2 

197: 世界@名無史さん 2006/12/19(火) 00:10:46 0
スタローンが徴兵猶予者ってのがなぁ

平気な顔して、こういった作品に出てきたら、生き残ったベテランは、死んでいった戦友たちにどう語りかけているんだろうか

200: 世界@名無史さん 2006/12/19(火) 14:44:22 0
明確に宣言した徴兵拒否者ではなく、逃げ切った徴兵忌避者なんだよな。
またこの映画が受けた層、ターゲットとした層は、帰還兵ではなく、アメリカに残った人たち。

だから2で描かれている、ベトナム兵の描写も、極めていい加減でも問題なし。

205: 世界@名無史さん 2006/12/19(火) 19:49:26 O
ベトナム戦争時代のアメリカは選抜徴兵制じゃなかったか
プアホワイトやアフリカ系はまさに貧乏くじ引いて戦地に送られた
戦争当初は戦争が労働者層に支持されていた
なぜなら当初の反戦運動は徴兵されて戦地に行く可能性のない裕福な家庭の大学生によって行われていたからだ
しかしながら茶の間のTVで戦争の実相が編集のできないリアルタイムで放送されはじめた
ベトナム戦争時代は軍当局による規制がなく、自由取材が許され、またメディアやジャーナリストの中には敵国北ベトナムで取材に行く者もあった
これら生の情報の流入と長期の戦争で厭戦機運の高まりもあいまって反戦運動は階層を問わず広まった

206: 世界@名無史さん 2006/12/19(火) 20:11:29 0
出征した黒人の比率は、本土の黒人比率と変わらなかったが、死傷率は突出していた。
高学歴で事務処理能力も高い白人は後方勤務に、そのような能力を持ち合わせていない黒人は前線へと送られた為。
しかし映画では、白人が主役。

208: 世界@名無史さん 2006/12/19(火) 21:22:01 O
ベトナム戦争で初めて白人、アフリカ系の混成で部隊編成し実戦投入された
朝鮮戦争では白人とアフリカ系は別々の部隊編成
アフリカ系で構成された第25歩兵師団第24歩兵連隊はちょっとした敵の攻撃にも混乱をきたし散々だった。また規律もひどく、日本駐留時代には暴動を起こしたこともあった
僚友部隊で白人兵で構成された第27歩兵連隊が海兵隊並の活躍で師団から抽出され軍予備として重用されたのとは大違いであった
ベトナム戦争時代は前線部隊と後方部隊の比率が3:2となり、前線部隊の比率が小さくなった
一般前線部隊の比率は3分の1がアフリカ系となった
しかしながら空軍、スペシャルフォース、海兵隊Reconは白人の比率が高かった
これらの部隊では身体能力以外の能力も必要とされたからだ


220: 世界@名無史さん 2006/12/21(木) 18:12:59 0
ハンバーガーヒルで有名なアプビア山のふもと、山岳民族パコ族が住んでいた

戦争中、「無差別爆撃地帯」に指定されたそこには、爆撃とともに枯葉剤が降り注ぎ、パコ族たちは洞穴を掘って生活していた

戦争が終った時、枯葉剤と爆撃によってパコの人口は三分の一にまで減少していた
かつて豊かなバナナ林は枯葉剤で失われ、今は大きな木はもう育たない

「枯葉剤の村の子供たち」 アーニ出版 パコ族と村のカラー写真多数
ご覧ください

221: アシャウ937 2006/12/22(金) 17:11:46 0
>>220 
この本は知りませんでした。ご教示多謝。
ベトナムで商売関係で会っていて、やや親しくなって政府の役人のいないところにいくと、戦争の話も聞くことができます。
(「革命の人」がいる場では、まず1975年以前の話はタブーですww)

枯れ葉剤の話は微妙ですが、おれの実感では、「奇形・異常出産」などは、ある程度、政治的な誇張があるかも知れません。少数民族については、フランス時代の方が弾圧が酷かったという人もいます。

日本も二次大戦中、食料の徴発で、農村部で大量の餓死者を招いた、といったことをしているのですが、ベトナム人は(ある程度本音だとして)、フランス人、アメリカ人、日本人に好意を持っています。反対に嫌いなのが韓国人、中国人、ラオス、カンボジア人など。
この辺の対外感情は、ちょっと不思議です。

223: 世界@名無史さん 2006/12/22(金) 19:50:57 0
>>221
韓国人はベトナム戦争で汚れ仕事を一手に引き受けたからじゃない?
他のは周辺諸国の人間は嫌うという一般的な法則でそ。

224: 世界@名無史さん 2006/12/22(金) 20:22:28 0
>>221
>この辺の対外感情は

近親憎悪みたいなもんでしょう。また階層に置いてもその感情はかなり違うかと。

後、ご存じと思いますが地政学的、経済学的な観点からベトナム・インドシナ戦争をみると、ベトナムが一手に米国を引き込んだおかげで、周辺国は物資調達等で経済的に潤ったとあります。
この場合でも地政学的解釈は悪意と取っていいと思います。
具体例は朝鮮動乱での日本の特需ですね、単純に比較は出来ませんがね

225: 世界@名無史さん 2006/12/22(金) 23:39:15 0
アメリカのベトナム帰還兵の証言集なんか読むとソンミ村みたいな事件て実は大して珍しくもなかったみたいですね。

そういう証言を反戦系帰還兵団体が公聴会なんかで後押ししていた。
団体の規模はだいたい三万人だそうです。
210: 世界@名無史さん 2006/12/20(水) 09:30:39 0
ペンタゴンの米軍資料によるとサイゴン政府軍はテト以前から毎年平均10万人あたりの脱走者出していた。 
テト以後徴兵年齢が大幅に拡大され人員が増えたが、脱走率もまた倍増していたらしい。

239: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 23:34:14 0
>ペンタゴンの米軍資料によるとサイゴン政府軍はテト以前から毎年平均10万人あたりの脱走者出していた。
テト以後徴兵年齢が大幅に拡大され人員が増えたが、脱走率もまた倍増していたらしい


戦争後期には、ひと月あたり二万人脱走していた。
ちなみに政府軍の死者は75年までに約25万だから脱走した人間がその何倍いたという事になる。

240: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 23:49:00 0
兵隊になる事に意味を見出していないのだから、脱走するのは当然よ。
南ベトナム政府は、兵士達にいったい何をしてあげたの?

241: 世界@名無史さん 2006/12/24(日) 13:40:00 0
南越がお粗末な傀儡国家であったこと、失策が多かったこと
北越にとってはラッキーだったのか

長いこと大国に苦しめられてきた歴史があるが、統一の際にはラッキーな事が重なった
幾つもの有利な点があってようやく、大国を退けることができたという感じで
少しでもその要素が失われていたら、あっさりと負けていたかもしれない

あの時代にホーチミンのような人物が現れたのは偶然か時代の必然かということはベトナム人でも度々考えることらしい

242: 世界@名無史さん 2006/12/24(日) 16:29:39 0
ゲリラはみんな貧乏人。
命を賭けてゲリラと戦っても、何も得るものがない。
失いたくない物がある人たちだけが、ゲリラと死闘を演じればよかったが、そんなアメリカの庇護のもと、特権を貪っていた層などごく僅か。

高い士気を要求できるはずもない。

243: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 01:32:31 0
失うものなんて無いと思ってた貧乏人たちも、イザ戦争が終わって社会主義国家が出来たら、命かながら国を捨てて逃げ出す羽目になったけどな。

244: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 10:06:29 0
海外に行ったのは 華僑が過半数以上、残りは旧政府関係者を中心とする都市部の比較的恵まれた階層がほとんど
軍から出てた毎年10万人の脱走者は、徴兵された農村部の若者達
全然別物だからさりげなく一緒にしないように

245: アシャウ937 2006/12/25(月) 16:53:37 0
>>244
ボートピープルについては「華僑」「旧政府」というイメージがあるが、誤解だろう。
もちろん、一部はそうだが、多くは一般のベトナム人だ。
この誤解は、ベトナム政府の宣伝(逃げたのはブルジョワ階級で、悪政の結果ではない)
もあったが、それ以上に日本のメディアによる「偏向」報道が大きい。
どういう訳か、日本のメディア、特に大新聞は、ボートピープルを華僑、旧政府と決めつけ、日本領海に流れ着いた人たちと、政治亡命者とは認めなかった。
そのため、多くの悲劇が発生している(加藤紘一の著作に詳しい)。

おれは、北関東にあるカトリック系の収容施設に行って話を聞いたことがある。
すでに多くの亡命者(ボートピープル)は、日本で自立したり(店舗経営が多い)、子供をアメリカにやって安定した生活をしている人が多い。一部、精神障害者の人が施設に残り、成功したベトナム人は週末に集まって、バザーやボランティアをして、ベトナム人の交流の場になっている。

彼らに直接話を聞いても、ボートピープルの主体は、ベトナム人(キン族)で、普通の農民、商人などである(ベトナムではIDカードに民族名が書いてある)。元兵士の家族もいたが、徴兵制だったので、当然だ。

ベトナム戦争中は、反戦など訴えたメディアや知識人たちが、実際の政治的迫害を逃れ、必死の亡命を行うベトナム人を全く無視し、そのため多くの犠牲を生んだことは、忘れてはならないことだと思う。

248: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 21:20:11 0
>どういう訳か、日本のメディア、特に大新聞は、ボートピープルを華僑、旧政府と決めつけ、

例外は勿論いるが殆どが華僑、旧政府というのは間違ってない。ちなみに日本の受入数は一万人ほど。特に中越関係悪化からきた迫害で華僑の流出の目立った多さは別に日本だけでなくほとんどの難民を受け入れた米国の新聞メディアでも報道されてた。

ニクソンの著書によれば86年時点で華僑はベトナムから数十万規模で大量出国したとして
86年在米ベトナム出身難民は約40万
うち13万程度は戦後すぐから流出した旧政府系のベトナム人なので実際中国系の割合はかなり多い。

その後上記家族や旧政府系ベトナム人の移民枠受け入れが空路で増えたが中国系は更にベトナムから流出し続けた。
(現在でも縁故移民とかでベトナムの華僑人口は年々減ってる)

華僑=中国籍の在ベトナム中国人
華人=ベトナム籍の在ベトナム中国人(ジェム時代に華僑のベトナム籍取得政策で増えた)
戦後、民族籍は選択できるようになった。

財産取られて辛苦を舐めた中国系は反共意識から自身を「南ベトナム人」と定義し名前をベトナムの発音で名乗ってる人もかなり多い。

250: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 23:27:06 0
逃げ出すのにさえ金はいるわけで、泳いで来たとでも言うの?

てか金持ちは、いざとなったら逃げる手段を選択できる事が、必死に戦えなかった遠因だな。

252: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 00:13:10 0
>>250
後期には国連が見舞金出す事にしたら見舞金目当てで中国や北ベトナムの貧乏人の難民発生。
そのため見舞金中止。
貧乏人でもその気なら。

254: アシャウ937 2006/12/26(火) 11:54:34 0
>>250
たいていは、沿岸の漁師の船を雇って逃げ出すので、泳ぐのは、その船から他国への上陸や、他国船籍の船へ渉る場合ではないか。

ニャチャン近くの人で、1度目は燃料切れで失敗、またベトナムに漂着。
1か月ほど留守だったが、町の役人には「山の親戚の所に行っていた」とごまかす。
その後、2度目で成功。
香港経由で今アメリカにいて、毎年親戚にドルを送っている。

251: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 23:39:55 0
ある人に聞いたが胴巻きに金塊巻いて香港と中国の海を泳いで往復している強者が居たらしい。

256: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 12:19:01 0
ソースはSoutheastasia resource action centerの
americans from cambodia Laos and vietnam 2003
&当時の米新聞報道など

中国系ベトナム人=華人(ジエム政策でベトナム籍になったものなど)華僑(中国籍)あわせて中華街のショロンは昔、ベトナム語より中国語が流通しててとある中国系ベトナム人の難民によると中国系の人はベトナム語つたなくて喋るとすぐわかっちゃうそう。
脱出の際は、田舎まで距離歩くので普通の洋装では目立つ為アオババ(寝巻き)とノン(編み笠)で地元民に変装して行ったそうです。

257: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 14:33:13 0
第二次大戦から混乱期東南アジア全域に中国系が多数逃げてきて移住してる。ほとんどがショロンで商業。

オーストラリアもインドシナ系華人の率がかなり高い。
シドニー郊外に漢字とベトナム語の入り混じった看板のエスニックタウンがある。

1986年オーストラリアにおける華僑華人の人口は約20万人であったが出身地別ではベトナム39% マレーシア22% 中国18% 香港13%  シンガポール8%となっている
(華人月刊 1989年三月号 の資料)

※オーストラリアが受け入れたベトナム難民1988年までに8.5万人
1993年までにインドシナ三国合計で13万人受け入れ


260: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 20:12:42 0
ケネディが存命なら・・・

おそらく65年までに撤退してたでしょうね。そうなるとベトナム統一も10年早まるわけで・・・
南ベトナムの崩壊を10年遅らせただけという事になりますね、ベトナム戦争の功績は。

マクナマラの伝記読むと、ジョンソンの南ベトナムへの派兵は特別勝ち目がありそうだからではなく、このままだと南ベトナムが崩壊し中国の影響力が拡大する。だから地上軍を派遣して何とか南ベトナムの崩壊を防ごうとしただけのようです。
ジョンソン本人はベトナムでの戦争拡大は嫌ってました。それよりも「偉大な社会計画」の方を実行したかったようです。

それにケネディーはジョンソンのスキャンダルを探してました。例のエステス事件とか・・・副大統領を変えてしまうつもりのようでした。
それも暗殺事件の原因の1つでしょう。南部民主党は、ケネディーと敵対してましたからね。

271: 世界@名無史さん 2006/12/27(水) 01:27:14 O
>>260
ケネディはベトナムからは撤退したかもしれん。しかしそうすると、ラオスとカンボジアを更なる惨状にした可能性もある。ラオスにCIA投入を押し切って、タイと台湾から志願兵かきあつめたのだから

282: 世界@名無史さん 2007/01/01(月) 12:02:12 0
「ベトナム戦争」って表現は、これで正しいのかな?
フランスが主に関わっていて時代は、「インドシナ戦争」と呼ばれていて、この二つを「第一次インドシナ戦争」「第二次インドシナ戦争」と表記する文献も多いよな。

またこの戦争にかかわった国のひとつであるラオスでは、後者を「ラオス・アメリカ戦争」と呼んでいるけど、アメリカ側では、「ラオス内戦」との表現しかされていない訳?

283: 世界@名無史さん 2007/01/02(火) 01:30:00 0
アメリカがラオスにやったのは、右派への援助・空爆・ラムソン719作戦ぐらいだろ?
ラムソンにしても戦ったのは北ベトナム軍だし。

ホーチミンルートの「提供」は、立派に北ベトナムに協力してる事になるから
(もちろん好きで許してる訳じゃなく北べ軍が怖いから、強えーもん)
爆撃や侵攻はある程度は仕方がないかも。

ベトナムもあの戦いは「アメリカ戦争」だが、ラオスもだとはチッタアおこがましい。

285: 世界@名無史さん 2007/01/02(火) 06:37:04 0
一つの戦争に対する呼称が一つであるべき、と言うわけでもあるまい。

287: 世界@名無史さん 2007/01/02(火) 23:08:04 0
ラオスの戦争の影が薄いのはカンボジア侵攻時と違いニュースや新聞での写真報道が許可されなかった為。爆弾投下量で言えば古今の戦争でも最大規模と言っていい。
地上軍を縮小して空爆規模を拡大するマスコミ目くらまし対策の路線が非常に功を奏したといえる。

ちなみにラムソン作戦で同じ黄色の南べ軍投入にはラオス右派さえ反発していたまた領内への空爆にも非協力的であった。だから実際にはラオス空軍機にはラオス政府軍でなくタイ人や米人パイロットが搭乗していた。
ラオス侵攻

カンボジア東部の侵攻から10ヵ月後の1971年1月末、ラオス南東にある「ホーチミン・ルート」の遮断とその兵站基地を破壊を目的として、アメリカ軍と南ベトナム軍はラオス領内に侵攻した。

ラムソン719と名付けられたこの侵攻作戦はカンボジア侵攻と同じく、中華人民共和国、ソビエト連邦などの共産圏から北ベトナムへの軍事物資支援ルートを遮断することを目的としており、1970年から始まっていたアメリカ軍が撤退した後の兵力を、アメリカ製の兵器で武装して、約100万人の兵力を保有していた南ベトナム軍とする「ベトナム化」政策により、地上戦闘は南ベトナム軍が主力として担当し、輸送・航空支援はアメリカ軍が担当した。


288: 世界@名無史さん 2007/01/02(火) 23:44:03 0
タイから空爆に出かけた米兵が、ベトナム軍の対空砲火にビビって、いそいそとラオス上空に引き返し、余った爆弾をラオス領内に適当に落として、帰還した。
ラオスへの投下量って、戦略爆撃でもなく、戦術爆撃でもない爆弾がいっぱい落とされた。

落とされた側は、アメリカと戦争していると思っても仕方がない。

289: 世界@名無史さん 2007/01/03(水) 09:29:06 O
しかしそのベトナム軍とは大量にラオスに駐留してたベトナム軍じゃないのですか?

290: 世界@名無史さん 2007/01/03(水) 11:51:50 0
ホールートにはベトナム軍がいたのはまじ。
ベトナム軍を叩くといってパテトラオ勢力下のラオスの東北部の人口密集地帯にも大量空爆してたのもまじ。
ラオス右派が空爆や南べ軍の侵攻に反対してたのもまじ。
ラオス右派とコン・レの中立派とパテトラオで政治的な連立も出来ていたがなぜか中立派要人の暗殺が相次ぎ、政情不安化し米の本格介入にいたったのもまじ。

いろいろ複雑なんです。

291: 世界@名無史さん 2007/01/03(水) 19:49:46 0
まぁ、そんな複雑な地域に、共産主義のドミノ倒しを阻止するって単純な原理でのめり込んでいったアメリカが可哀想だな。

293: 世界@名無史さん 2007/01/04(木) 13:15:16 0
>>291
複雑は複雑だが、結局国内に北ベトナム軍&ホーチミンルートの駐留・存在を許している以上「中立国」では無いので、巻き込まれるのは仕方がない。
酷な言い方だが、しっかりした政権を作って北ベトナムの影響を排除出来ないラオス自身の責任。

295: 世界@名無史さん 2007/01/04(木) 21:16:23 0
>>293では、いかにも「高みの見物」的なことを言ったが、ベトナムの支配権は「第1次インドシナ」で勝ったベトミンにあると思っているので(イデオロギに関係なく血の収穫)、そもそもアメリカが横やり入れたのが元凶とは思っている。

ただ地球連邦政府が無い以上、降りかかった火の粉は自分で払わなきゃダメなので・・・

312: 僕ちゃん 2007/01/17(水) 18:34:29 0
戦争末期、
グエン・バン・チュー → チャン・バン・フォン → ズオン・バン・ミン
短期間に大統領が次々に変わったんだね。

315: アシャウ937 2007/01/18(木) 10:42:17 0
>>312
南ベトナム最後の大統領、ズオン・バン・ミンで、ホーチミンの知り合いから、おもしろい話を聞いた。

サイゴン陥落が迫り、大統領官邸でミンが北ベトナム軍が入ってくるのを待っていた。
例の有名な戦車突入の後、北の将校がミンのいる部屋に入ってきた。

ミン「あなたにベトナム共和国の政権をお渡しするため、ずっと待っていました」
北将校「お前たちは、前から政権など持っていない。渡すものなど何も持っていない」

近藤鉱一のサイゴンが陥落した前後を描いたドキュメンタリーがあるが、ひとつの国家が滅びるというのは、すさまじいものがある。

引用元: ・【ダナン発】ベトナム戦争とその時代【最終便】



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