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1: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 00:12:31 0
春秋戦国時代についてどんなテーマでも良いので、皆さんの知識や思いをぶちまけて下さい。
また、時代については、商~西周時代についてもOKとします。








14: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 00:59:21 O
んじゃ
「孔丘の正体はインチキカルト教祖!」
について語ろうか

15: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 01:01:37 0
言ってることは宗教じみてないけどな。

16: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 01:02:15 0
彼は政治家の側面もありますね

19: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 01:25:44 0
>>16
生きてるときは経世の術を過去に求めた学術一派の祖でしょう。
彼の求める政治の重要な要素が礼だったり浮世離れしてたりしただけで。

儒学を宗教とするのは、学問としての儒が硬化して変化を許容しないようになってからじゃないかなぁ

17: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 01:02:55 0
子貢なんか、並の遊説家顔負けじゃね?

20: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 01:28:37 O
口で(宗教的な)理想を説きつつやることは国家転覆計画

22: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 08:07:23 0
なんでもカルト認定するのもどうかなあ。
理想ばっかり説いていたわけでもなし、結構人間味もあって好い人でしょ。「勇者は懼れず」なんていい言葉だよ。
このオッサンより老子一派の方が浮世離れしてる希ガス。

23: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 08:53:49 0
>>22
老子は道教って形で三国時代には宗教化してるしなぁ
とはいえ、中華で世界が完結している時代はそれぐらいの方が良かったのかも知れず

24: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 08:59:22 0
何か、孔子が老子の弟子ッつーか、老子が孔子でさえ教えを請う
聖人つー話の設定は道教側が流したデマ?

孔子って実はデカイんだよな・・・

25: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 09:46:06 0
デマというか、先に流布していた老子の権威をもらうためのお話。
デマだったら、国権を握った儒学の徒が抹殺してるでしょ。始皇帝を悪しきざまに伝えてるように。
儒教の隆盛は、西漢武帝以後のことでそれまでは宮廷儀礼にちょこっと関わっているだけだった。

初期の西漢は老荘の国だったんだよ。

27: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 13:20:21 0
>>25
武帝が封禅の儀式を行ったこととは関係しているのでしょうか?
見当はずれだったらごめんなさい

28: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 16:58:37 0
>>27
無いと言えば無いね。封禅は結果だし。封禅をするための儀式や準備に関しては、古典に詳しい儒徒が役に立っただろうけど。

武帝は太皇太后の竇氏に帝位につけられたわけで、その治世の最初は実権は竇氏有ったわけですよ。先に、西漢は老荘の国と書いたけど、これは高祖の妻の呂后が儒教嫌いだったと言うこともあって宮廷では儒の扱いがかなり低い物だった。
竇氏も当然のように道教信徒だったわけで、竇氏の勢力を駆逐するには不遇であった儒と結びつくのが一番だった。そのあたりが尾を引いて江充あたりの讒言にひっかったんじゃないかと思うけど。
また、呉楚七国の乱で有力な勢力が倒れたあとその子弟が再起しないように、力を分散させることも狙って儒教を持ち出した面もある。郷挙里選の審査基準に儒を持ち込んで、今までとは違う人材を集めようとした(不都合な人物の推挙を断る口実にした面の方が強いんじゃないかと思うが)とか。
そういった宮廷内外の都合が儒の持つ教えと合致したから手を組んだと見るのが正しいんじゃないだろうか。

まぁ、その結果が儒の強烈な信奉者・王莽だったりするわけだが……

31: 田単 ◆gm1aR3Q.f2 2005/07/11(月) 14:17:01 0
孔子ネタとしては、小説ではありますが、中島敦の「弟子」が好きですね。

35: 世界@名無史さん 2005/07/12(火) 10:24:56 0
『弟子』はおもしろかったなあ。
子路と顔淵は全く違う個性でありながら2人の先生である孔子はそれぞれに自分と共通する部分を強く感じる。
子路は侠気の塊で感情を上手くコントロールできない部分があり大変な困った子だが、その直向きで率直なところはもう可愛くてしかたがない。
ごっついオッサンなんだけどな。

42: 世界@名無史さん 2005/07/19(火) 16:53:59 O
儒教の影響範囲って春秋~戦国時代は中原だけ?

44: 世界@名無史さん 2005/07/19(火) 23:13:17 0
>>42
呉の季札とか。

45: 世界@名無史さん 2005/07/20(水) 06:59:13 0
>>42
尚書秦誓は秦穆公。

儒教的な教養は中華の諸国の知識人は誰でも持っていたのだと思うけど。

47: 世界@名無史さん 2005/07/20(水) 12:39:59 O
六経の知識≠儒教的教養

だろ、当時にあっては


六経は本来儒者とは無関係

50: 世界@名無史さん 2005/07/20(水) 21:38:47 0
儒教ってのは元々あった風習を学問って形でまとめただけだから影響範囲は全土

38: 世界@名無史さん 2005/07/15(金) 17:50:01 0
(´-`).。oO(和氏の璧の材質は何だったんだろう

39: 世界@名無史さん 2005/07/15(金) 17:56:55 0
軟玉でしょ。

91: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 00:26:45 0
和氏の璧はウランと聞いたことがあります。

93: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 07:17:54 0
>>91
それは・・・保持者も厳しいですな。

94: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 07:43:46 0
趙が和氏の璧を楚から手に入れたいきさつをご存知の方はいませんか?

102: 世界@名無史さん 2005/08/07(日) 19:51:45 0
>>94
たしか趙王が楚王が賭け事をして勝ったからだと聞いたんだけど。

104: 田単 ◆gm1aR3Q.f2 2005/08/08(月) 08:06:27 0
>>94
宮城谷厨なレスで申し訳ありませんが、前のオール読物では、楚と趙の盟約締結に伴う贈り物、みたいな書き方をしていたのを思い出しました。

105: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 09:42:56 0
楚にとって和紙の壁は因縁めいた物だったから、いくら優れた壁でも国内には追い解けなかったんじゃないのかな?
ただ、一度でいいから和紙の壁を見てみたい。

106: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 10:23:20 0
「和紙の壁紙」ならいくらでもあるぞw

162: 世界@名無史さん 2005/09/08(木) 20:15:46 0
共和の話などはありなのだろうか。

163: 奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ 2005/09/09(金) 00:44:46 0
共公和。

165: 世界@名無史さん 2005/09/09(金) 21:35:07 0
当時、共公和のことを「共和」などと称する事はあったのかな?
晋文のことを「晋重耳」って言うようなもんじゃん?

166: 世界@名無史さん 2005/09/09(金) 23:07:13 0
「共伯和」だろ。晋侯重耳という言い方がありえないのは周公が周礼というくだらないものを作ったからなのだがそれが実は後世の捏造で、共和の頃にはそんなものはない。

169: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 03:09:37 0
質問です。
孟嘗君とか信陵君とかの「君」は「候」や「公」とはどのような関係、位置づけなのでしょうか?

170: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 03:57:15 0
その頃は中央集権がすすんで「公」「侯」ってほとんどいなかったんじゃないの?

172: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 12:17:34 0
魏冄も穰侯と呼ばれていたね。

173: 169 2005/09/10(土) 14:48:41 0
そっか。
ってことは「君」ってどういうことなんでそ?

174: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 18:17:07 0
なんとなくですが、「○○君」は美称っぽいイメージ。
あと、所有してる領地の本国に対する独立性が、「侯」の方が「君」より強そうな感じもする。

詳しい方教えてください…

175: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 18:38:45 0
侯は爵位だろうが…

176: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 18:50:45 0
君は君子って言葉からもわかるように美称

178: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 19:13:26 0
君は宰相(経験者)あたりに箔を付ける意味であげる称号なんじゃないかと

180: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 22:17:09 0
楽毅が昌国に封じられて昌国君と号したし、公孫鞅が商の封じられて商君と号した。
孟嘗君という号も嘗という場所から来ている説もある。
で、范雎は応に封じられ応侯と号した、というのもあるから、どこかに封じられたとき、爵位を受けたならその○○侯、爵位を受けていなければ○○君と号したんジャマイカ。

181: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 22:36:51 0
爵位って、周王から貰うってこと?

182: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 05:09:45 0
>>181
諸侯が王号を名乗った戦国期では周王も諸王の一人に過ぎない。

183: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 19:24:28 0
戦国時代の諸国の重臣の「~侯」っていうのは単なる小国(大国の衛星国)の君主という意味で、公侯伯子男のような爵位じゃないんじゃないかと思う

188: 169 2005/09/14(水) 00:18:29 0
まとめると、
・周王
・諸侯(候、公、伯、子、男)=国の君主として周王に認められた
・君=諸侯の家臣で邑に封ぜられた
ということかな? (伯と男っている?確か、楚王は子だったよね???)

日本の戦国時代で具体的にいうと
・天皇
・伊達氏(奥州の大名)=諸侯
・留守氏(伊達氏の家臣で水沢城主)=君
という感じか。
(地元なもんで^^;)

191: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 19:13:43 0
>>188
各国が周王の諸侯だった頃にはまだ「君」号の領主はいなかったでそ。

それから子爵や男爵ってのは戦国時代の認識では五等爵位の四位と五位だけどっそれは史実ではなく実際の春秋時代には諸侯の附庸だったらしいね。
(だから呉・楚・越なども実際には子爵だったことはない)

196: 世界@名無史さん 2005/09/15(木) 00:29:56 0
>>191
>それから子爵や男爵ってのは戦国時代の認識では五等爵位の四位と五位だけどっそれは史実ではなく実際の春秋時代には諸侯の附庸だったらしいね。
(だから呉・楚・越なども実際には子爵だったことはない)

では左伝はまちがってると?
単に子爵、男爵で附庸になってる香具師がいたってことじゃなっくって?

206: 191 2005/09/17(土) 01:22:28 0
>>196
異民族の君主はたとえ大国でも子爵にしかなれないというルールがあるのだが(ソースは周礼) それは「春秋」側の勝手な論理であって、実際には呉も楚も越も王と自称していた。(ソースは史記や青銅器銘文)

202: 世界@名無史さん 2005/09/15(木) 03:27:53 0
史記三家注の孟嘗君列伝に、索隱戰國策作「韓慶為西周謂薛公」
とあったので、少なくとも孟嘗君は周王から爵位を受けていたようだ。

205: 世界@名無史さん 2005/09/16(金) 07:38:54 0
五等爵についてですが、「史記を探る」(吉本道雅著、東方書店)によると、春秋の経文では、魯の周辺の諸小国は称号の貶記が行われているそうです。
例えば、滕や薛はそれぞれ滕子や薛伯となっていますが、滕や薛が製作した青銅器の銘文では侯を自称しているそうです。
また、春秋の経文のなかでも隠公十一年の「滕侯・薛侯来朝す」とあるように彼らの自称がそのまま記述されてる部分が残っていることが、貶記の傍証となっているとか。

210: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 23:28:43 0
自分なりにまとめた春秋戦国時代ミニ知識(ツッコミ大歓迎)
その1、爵位について

爵位は五等級ある。

公爵:前王朝「殷」の末裔の国が受けた。宋のみ。

侯爵:黄河流域(中原)の中大国が受けた。普、斉、衛、魯など。

伯爵:主に中原の辺境国が受けた。秦、燕、テイなど。

子爵:長江、ワイ水流域の国が受けた。楚、呉、越など。

男爵:各国の家臣が受けた。

212: 世界@名無史さん 2005/10/02(日) 03:17:57 0
>>210
許は中原の小国だったが男爵じゃなかったか?
史書にはよく許男と書かれる事が多かったし。

213: 世界@名無史さん 2005/10/02(日) 17:28:00 0
だから「各国の家臣」に含まれるんじゃねーの?
魯と鄭の間で勝手に交換されちゃってたし。

215: 世界@名無史さん 2005/10/07(金) 21:23:11 0
そうなん?
魯は侯爵かと思ってた。

216: 世界@名無史さん 2005/10/07(金) 22:09:14 0
侯爵でしょ。
孟子の「吾之不遇魯侯,天也。」や
国語周語上の「魯侯歸而卒, 及魯人殺懿公」、
書経費誓の「魯侯伯禽宅曲阜」と、一貫して魯侯と書かれている。
魯が公爵なら、そのソースを教えてほしい。

218: 世界@名無史さん 2005/10/07(金) 23:46:18 0
>>216
侯爵。
史記では、「周平王命武公為公」とあるけど、春秋などでは「衛侯」となっているしね。
それと、鄭は伯爵でしょ。
春秋では左氏伝でも公羊伝でも定公九年に「夏,四月戊申,鄭伯蠆卒。」とある。

234: 世界@名無史さん 2005/10/25(火) 15:01:33 0
そんじゃ、軽くトリビアでも

春秋時代・戦国時代という名称はどちらも本の名前からきた。

春秋時代という呼び名が『春秋』に由来するということはよく知られているが、戦国時代の方は、国々が互いに戦争していたからそう呼ばれた……わけではなく『戦国策』という本に由来する。

273: 世界@名無史さん 2005/11/04(金) 07:42:02 O
この時代の水軍ってどうだったんだろね

274: 世界@名無史さん 2005/11/04(金) 11:19:37 0
>>273
松浦章『中国の海賊』(東方書店)すら、後漢の張伯路から書き出しているところをみると、海上は闇の中なんだろうな。
川の上ならもしかして...誰か知らないか?

278: 世界@名無史さん 2005/11/11(金) 03:09:14 0
>>274
左伝に呉の徐承が舟を使って海から斉に攻め込んだ、という記事がある。

276: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 21:06:33 O
船中の指、掬すべし。

277: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 21:33:11 0
>>276
水軍というよりも、黄河を渉るのに船を使っただけじゃね?

279: 世界@名無史さん 2005/11/12(土) 10:19:09 0
呉越同舟 (,,゚∀゚)ボソッ

286: 世界@名無史さん 2005/11/22(火) 09:47:04 0
なんでこの時代は季節の名前がついているんですか?

288: 世界@名無史さん 2005/11/22(火) 18:32:27 0
>>286
孔子が編纂したといわれる魯の年代記『春秋』から取ってます。
まあ孔子が書いたなんて、信じる人は今どきいないけど。
春秋の称も、季節の名前というより歳月という意味でしょ。

362: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 16:58:09 0
>>288
そうなのか
春と秋に戦が多かったから、戦乱の時代って意味で
春秋だと思ってた・・・

引用元: ・<<<春秋戦国検討委員会4>>>



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