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1: 2006/07/24(月) 02:14:49 ID:1nUf16hP
なんとね~おっつぁん話してごせや。まっちょーけんね
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尼子経久ってどうよ 






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尼子 経久

尼子 経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名。出雲守護代。

北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、「謀聖(ぼうせい)」「謀将(ぼうしょう)」と称された。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と称される。
家臣に対しては非常に気を使う優しい人物であった。
『塵塚物語』によれば、経久は家臣が経久の持ち物を褒めると、たいそう喜んでどんな高価なものでも、すぐにその者に与えてしまうため、家臣たちは気を使って、経久の持ち物を褒めず眺めているだけにしたと伝えている。




2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/24(月) 02:16:11 ID:LMtGN9u1
戦国最強にして最高にカッコヨスな緒方経久。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/24(月) 02:22:11 ID:i1bPCKm5
>>2
彼はまさに下克上のなんというかまぁ緒方拳の演技はよかったな

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118: 人間七七四年 2007/09/22(土) 15:27:56 ID:rM/8F1xv
十一国に対する影響力はどうだったんだろう?

119: 人間七七四年 2007/09/25(火) 21:22:44 ID:7MnqMfK1
そうでもなかったと思うよ。
ちゃんと支配していたかと言うとそうでもないし。
重臣達には岡山とか与えられていたけど実質空知行にかわりはなかったみたいだし。
どちらかというと切り取り次第と言う感じ。

危ない所(主に他国)は重臣へ、安全な所(完全に掌握している地)は直轄領。
実際11カ国といっても完全に支配できたわけではないと思うよ。

122: 人間七七四年 2007/10/10(水) 17:08:07 ID:rYPOhTE8
本当に11カ国持っていたら100万石どころじゃないだろww

123: 人間七七四年 2007/10/10(水) 17:13:48 ID:oGz26LwK
でも当時は石高がひくかったんじゃないの。大内からみたら、田舎の僻地になっちゃうし、都にもちととおいし

124: 人間七七四年 2007/10/10(水) 23:49:20 ID:UXO55ZIL
山陰地方というと古代~飛鳥以前は出雲大社もあって発展してるイメージがあるが戦国期になると裏日本ってカンジで地味~なイメージしか湧いてこないな。


125: 人間七七四年 2007/10/11(木) 01:12:12 ID:HzmBeWdw
確かに地味だよな。その後も歴史の表舞台にでてこないし。
でも気前よさそうだから、すぐちぎょうふやしてもらえそ。

126: 人間七七四年 2007/10/11(木) 01:23:26 ID:IbrfXsCK
11ヶ国って、山名(6分の1衆)のパクリじゃん

127: 人間七七四年 2007/10/11(木) 16:22:06 ID:5UjKnepV
鉄と銀山と関銭のことも考えてあげなきゃ

128: 人間七七四年 2007/10/31(水) 16:30:49 ID:3cBVWtRp
11ヶ国がオーバーだったとすると
経久を持ち上げる必要があったのは 本当に子孫の佐々木氏なのか。
毛利自体だったりして。

242: 人間七七四年 2009/07/26(日) 07:14:54 ID:hcvW2n5M
>>128
11カ国といっても完全支配していた国は何カ国かというと・・・

243: 人間七七四年 2009/08/10(月) 16:10:09 ID:oBgADTf5
まだ完全支配の考え方がない頃。

244: 人間七七四年 2009/08/13(木) 02:15:23 ID:0Vxa1J1g
完全に支配してたのって出雲、、伯キ、隠岐、くらいじゃなかったけ?
石見、安芸、備後、備中、備前、美作、因幡は大半とか半分とかで播磨はほんの一部だったらしいって何かで読んだ

245: 人間七七四年 2009/08/25(火) 14:39:49 ID:2EsYivse
国人に任せている場合が多いんだよね。

246: 人間七七四年 2009/08/28(金) 23:45:28 ID:nRo6Dj6F
石見は宇山、美作は佐世に代官をさせて統治していたが、どっちも支配していたとは言いがたいよな。

247: 人間七七四年 2009/08/29(土) 09:18:26 ID:oHlwC1nd
東日本の尺度(織田、武田とか)で考えると違和感が出てくる
大内、尼子、毛利、大友
ここらあたりは傘下の国人による間接統治地がかなり多い

250: sage 2009/09/21(月) 10:09:58 ID:n7cBZ8la
尼子はやや旧来のやり方であっても、晴久が割と専制的な政治制度を作ろうとはしてた
結局は急死したから未完成だったし、いかんせん補佐するべき親族が居なかったのも

251: 人間七七四年 2009/09/21(月) 11:08:22 ID:/oZ0brEQ
西国と言うか大内尼子毛利の支配領域だと東国のように面を支配することにこだわらなくても収益が上がるからじゃね?
要は家臣団を養い大兵を運用するだけの金が定期的に確保出来ればいいわけだし国人層をいちいち滅ぼしていては土地も荒れるし人口も減る
銀山、日本海沿いの津、瀬戸内沿いの津、鉄、木材

253: 人間七七四年 2009/10/10(土) 15:43:45 ID:wv2SAS/y
>銀山、日本海沿いの津、瀬戸内沿いの津、鉄、木材
経済面では先進的だよね。

254: 人間七七四年 2009/10/11(日) 09:03:04 ID:P8IyUS6Y
>>253
だって石高そのものが低いからね
海に面して良港にめぐまれたという面もあるが

256: 人間七七四年 2009/11/10(火) 15:04:33 ID:OEbZT7FW
尼子は交易という感じではあまりないが。

258: 人間七七四年 2010/01/07(木) 23:23:38 ID:BSssWhC9
>>256
義久の代の物とされる唐物が出土したし、晴久の代では銀山を確保していたからかなり交易していたはずだよ。隣の中国が世界中から銀をかき集めている時代だったしね。
もう少し唐物茶碗が出てもおかしくないと思う。
掘ったら出てくると思うんだけどなぁ・・・。

261: 人間七七四年 2010/02/15(月) 16:09:06 ID:GAcqhsGw
弟の久幸の実像って、いまいちわからんくない?史料が乏しいんだろうけど…
史料がそこそこ残ってる、多賀久幸とは別人なんだよね?

262: 人間七七四年 2010/02/15(月) 18:38:00 ID:Q0jfdmXz
>>261
多賀久幸は尼子誠久の嫁さん一族だから違うね

270: 人間七七四年 2010/12/05(日) 20:45:01 ID:gZ+XEMYn
>>261
尼子氏スレでも言われてたが経久が久幸に家督を譲るつもりだったって話も怪しいもんだな。
晴久や国久がいるのに若くないであろう弟に家督を譲るメリットも薄い。

271: 人間七七四年 2010/12/05(日) 21:31:34 ID:1EWCLNxj
>>261
経久の弟ではなく、弟の子だって話も聞くけど、それも怪しい気がする。
経久と久幸は15歳差だろ?弟がいくつのときの子だよ。

275: 人間七七四年 2010/12/12(日) 13:43:55 ID:7umDmLnu
>>271
久幸の生年も怪しくなりそうだけどね
晴久ですら生年が揺らいでいるし吉田郡山城の戦いに参戦するにしては歳を取り過ぎてるような気もするし

266: 人間七七四年 2010/06/18(金) 22:20:42 ID:kYrbY/CA
久幸は、佐々木系図によれば、経久の弟の子になっている。
年齢的なことを考えれば、この方がピッタリくる。

272: 人間七七四年 2010/12/05(日) 22:04:24 ID:8+cjEmxG
清定と経久も年齢が離れすぎてるな。
嫡子誕生が48歳って遅すぎないか?

273: 人間七七四年 2010/12/06(月) 23:23:46 ID:8EaJWUev
>>272
久幸が経久の「甥」だとすると、久幸の父は経久弟じゃなくて、兄だとか?
兄が早世し、甥が幼かったので経久が跡を継いだとか。
いや完全に妄想だけどさ。でもそれなら久幸が重鎮扱いだったのもわかるかも。

あと、経久のことじゃないのでスレ違いだが、ついでだから尼子家系に関する俺の疑問。
早世したという晴久の長男(義久の兄)の母親って誰?
国久娘とは再婚なんだよな?
で、本によっては義久誕生の前前年ぐらいに最初の妻が病死、その後すぐに再婚て書いてあるけど、そうしたら長男の母親は前妻ってことになると思うんだけど。
経久としては、興久の件があるから国久娘の子に晴久の跡を継がせたいという意図があったんだよな。
すると、前妻とその息子が都合良くさっさと死んでるのって…。

282: 人間七七四年 2011/09/03(土) 09:41:30.93 ID:EfpKbpY0
>>272
「嫡子」と言っても、嫡子になるハズだった男児が早世して文献に残らなかった可能性もある。

283: 人間七七四年 2011/10/02(日) 04:31:20.22 ID:PZFbyfYa
吉川興経も父元経が60歳の時の子らしいからな
資料によっては生年が10年ほど開きがあるがそれでも50歳の時の子だし

285: 人間七七四年 2011/12/07(水) 21:51:45.83 ID:M68AeEmO
なぜ出雲、伯耆、石見、隠岐、因幡、但馬、備前、美作、備中、備後、播磨を支配したことになっているのか

286: 人間七七四年 2012/01/03(火) 15:59:56.41 ID:jOsgsgHW
11ヶ国の太守っていうのは誇張

287: 人間七七四年 2012/01/28(土) 16:52:04.59 ID:S71rUVKl
尼子家の全盛期は晴久の代

288: 人間七七四年 2012/07/29(日) 18:48:50.01 ID:oBulsv//
>>287
元就の計略にかかって新宮党事件を起こしたおバカちゃんがどうかした?

289: 人間七七四年 2012/08/23(木) 17:48:41.83 ID:5AtM0lgd
新宮党粛清は尼子宗家の権限強化の為だろ

291: 忍法帖【Lv=5,xxxP】(0/8:0) 2012/09/02(日) 06:19:07.31 ID:LPD4LmgG
>>289
でも親族衆を一掃したのは長期的にはマイナスだったな

293: 人間七七四年 2012/09/05(水) 14:16:13.85 ID:iRcPTVzP
新宮党粛清しても晴久が長生きしてれば問題なかったんだがな

298: 人間七七四年 2012/12/09(日) 20:15:18.30 ID:5Xh0CK5L
>>293
晴久に弟が何人かいれば、義久の補佐とかできたんだろうが・・・。

しかし、よく考えたら興久謀反、国久好き放題やらかした挙句粛清と毛利みたいに親子兄弟協力してってことが想像できないので、どっちにしろ詰んでる感じだなぁ。
元を正せば経久の頃からの勢力急拡張で地盤強化が遅れたのが祟っている。

300: 人間七七四年 2012/12/10(月) 18:55:32.88 ID:fDBK8xOY
>>298
>晴久に弟が何人かいれば、義久の補佐とかできたんだろうが・・・。

それを考えても政久の早世が痛かったな
逆に詮久が兄同様夭折して国久に家督が回ってきてたら尼子の歴史も大きく変わっただろうが

302: 人間七七四年 2012/12/15(土) 19:30:39.20 ID:E9BrAq7d
>>300
国久って美作の代官とか任せられていたけど、一揆とか頻発して内政とか政治力には少々疑問符がつくんだよね。

結局、晴久が美作まで一揆鎮圧に出張ってるし。

294: 人間七七四年 2012/09/06(木) 18:03:59.96 ID:P1LhoWLQ
尼子を滅ぼした義久が長生きしたのは皮肉よの~

295: 人間七七四年 2012/09/19(水) 11:22:28.15 ID:iu9Ae0by
義久が生きてる以上、勝久の再興は成功しようがなかったな。
正当な尼子家当主は宗家の義久なわけだし、反勝久の神輿に義久が担ぎ出されたらどうしようもない。

296: 人間七七四年 2012/10/22(月) 18:09:40.63 ID:G+upM4O4
尼子という価値がなくなった家を支持したがるかね?
支持したい奴は、毛利から冷遇されてる奴だけでしょ。
義久が対抗馬として出されるほどの事でもないと思う。
結局は毛利対冷遇された尼子旧臣+その他勢力に過ぎないと思う。

303: 人間七七四年 2013/02/07(木) 14:15:23.06 ID:8a/0Gc6L
興久の謀反が成功してたら尼子宗家を乗っ取ってたかも

313: 人間七七四年 2013/10/23(水) 14:58:30.16 ID:jtjCr3rZ
>>303 
尼子興久はかなりの巨大勢力になっていたようだからね。
三男興久自害の首が送られた際、経久は相当悲しんだようだが。
興久といい国久といい、才も武もあったのだから、晴久と支えあっていれば・・
尼子兄弟的にもこの事件は、結構でかかったんじゃなかろうか。

314: 人間七七四年 2014/01/10(金) 10:34:06.29 ID:U3OU0cbf
尼子家の内輪もめを見てたらそりゃ元就も一族の結束を重視するわな

引用元: ・尼子経久ってどうよ



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