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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 19:17:52 ID:Erco/VI7
田舎大名の大内なんかが1番経済力を持っていたなんてうそ臭い
戦国大名の経済力について資料を持っている人は詳しく教えてくれ
関連記事
戦国大名の経済力   







4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 19:37:03 ID:bUKSqObQ
領国に金山や銀山があるか
米が多く取れる土地か
交通の要所を押さえているか

後はこのあたりの条件?

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 20:14:37 ID:xfOdjlVu
尾張・美濃・伊勢をおさえた信長の経済力は半端じゃないでしょ
これだけで他の有力大名と十分に渡り合える国力があるんじゃないの

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 20:44:01 ID:nf5VjE7o
>>5
その辺りは一国当りの石高がでかいからね。
毛利元就なんてあれだけ国を手に入れてやっと100万石ぐらいか。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/05(土) 07:45:56 ID:1pjm4/Kp
>>7
尾張・美濃・伊勢だけで160万石越えるからね。

ちなみに武田家は信玄のころに110万石くらい、勝頼の代の最盛期で120万石くらい。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 22:25:09 ID:bUKSqObQ
武田は紙や漆などの産業を興して特産品作りもしてたかな。
しかしそれでも人が集まる地方で税金をとった方が手っ取り早く収入になるのは現在の法人税と同じだな。
なんだかんだで堺や京都を押さえた大名は経済力も桁違いだろう。

540: 人間七七四年 2007/12/29(土) 23:49:14 ID:eSffiCML
ところで「1石の価値」ってここの住人はどう考えてる?

俺は石高(3000万石)=総生産≒人口(3000万人)という観点から現在に置き換えるとGDP/人口という数式として、

一石=388万円≒だいたい400万円と考えている。

548: 人間七七四年 2007/12/30(日) 04:54:05 ID:+ltxNt7l
>>540
う~ん。どうだろうな。
GDPとか言うより、一人が一年食う最低限度の金額で考えたほうが早いような気がする。 俺は、感覚として一石=100万円前後かなと。

一石=10斗=100升=1000合で、一合がおよそ150グラムとして一石=150キロ。

嫁も寝てるし、ようわからんが5キロが千五百円~魚沼産で三千円とかするのか?(笑)

つーことは今の米の価値は一石=4万5000~9万円 程度。吉宗もビックリな暴落ぶり(笑)

551: 人間七七四年 2007/12/30(日) 07:22:01 ID:DypQiuu4
>>548
一人が食う最低限度の額、というのは、当時のエンゲル係数考えると今よりものすごく高いと考えたほうがいいのではないかい?
当時の食糧生産能力を考えると、多くの人間は、それこそガキの頃から一日中働いた収入=労働力の大半が食に消えて行くわけで。

ちと古い資料になるけど、H6年度の新潟県の米生産量は、減反に減反を重ねて一県で78万トン=520万石。
ちなみに新潟県の農業GDPは全体のわずか2%(加工食品もろもろも加えると20%)だから、ありえない仮定だけど、もし今の農業技術=食料生産力を使って米を生産したら新潟一県で当時の日本全国の米の生産力を軽く凌駕する。
外国に比べて高い、効率の悪い生産力と悪し様に言われる日本の農業で、さえだ。

現在は、それだけ効率的に食料が生産できる時代ということで、ここから考えて自分の食費が生きていくのにぎりぎり100万、だから一石=100万と考えるのはイメージずれていくんじゃないかな。
昔は文字通り食うこと=生きることの大半を占めていたわけだし。

557: 人間七七四年 2007/12/30(日) 11:28:11 ID:3d5D7yrj
つーか昔の人って白米すらほとんど食えんかったろ
ヒエやアワ食ってたんだから

558: 人間七七四年 2007/12/30(日) 12:03:41 ID:dv2sbQdz
それは流石に。
白米まで精米はあまりしないけど、米を食うのは普通。
米の作付け量が一番多かったのは事実だし、経済力がある都市圏の人間や、武士の上級の人口なんて、人口のほんの一部。
そして武士層はそんなに贅沢しない。
大名クラスでも、一汁一菜とかかゆくらいが普通。
白米もあまり食べないしな。

559: 人間七七四年 2007/12/30(日) 13:04:50 ID:3d5D7yrj
一反で約一石多くて二石取れるらしいが、どの程度の人数で昔は一反維持できたの?

593: 人間七七四年 2008/01/01(火) 09:40:15 ID:HbKEbGjy
>>559
こちらのHPによると
tp://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm

夫婦二人に子供一人の中流農家(江戸後期)
田1町と畑5反
馬などの耕作用の家畜は飼っていないようなので、すべて人力。
日雇いの費用が支出にあるので、一人当たり5反~10反くらい?

706: 人間七七四年 2008/06/26(木) 07:15:19 ID:lJxkdFvE
ところで後北条の領地での銭の流通量はどれだけだったんだろ?
年貢をすべて銭でとなるとかなりの量が必要になるんだが

鎌倉・室町の頃のは銭納は公事、夫役が主で
年貢のほうは地頭が、集めた米をまとめて商人に売って現金化して
領主にはそれを手形にして送るというのか主で
農民が米の変わりに現金でというのはまれだったという話なんだが。

貫高制の地域でも全額銭で支払うには流通量が少なかったので無理だったと思うんだがの

707: 人間七七四年 2008/07/09(水) 14:39:10 ID:2wGQrVaV
鋳造してるわけではなから、銭は少なそうだよね

708: 人間七七四年 2008/07/18(金) 13:06:21 ID:ONzAiInP
民間で選銭(売買のとき質の悪い銭を受け取らない)してたから流通量は減っていく一方だった。
そうすると銭で税を納めることが出来なるなってしまうので、選銭令で一定の範囲まで使うように指導している。
北条氏じゃあ税の何割かは鐚銭でもOKになってたね。
 
当然誰も守らないわけで、物納も可(輸送・換金コスト分上乗せ)になった。

709: 人間七七四年 2008/07/18(金) 19:17:17 ID:90rqsrOD
ちょっと違う。
鐚銭混入→物納切り替えは、選銭が深刻化して鐚銭が一切通用しなくなるという異常事態を受けて。
明日から二千円札以外使えませーんみたいな状態が発生したからだよ。
ただでさえ銭が足りなかったのに精銭のみでとなると話にならないから、永禄二年だか三年だかの飢饉で特例として物納を許したのを先例として以後制度化された。

710: 人間七七四年 2008/07/20(日) 10:58:21 ID:alYg7YqP
質の悪い銭の価値を低くみたりしたのはなぜ?
同じ貨幣の価値が状態で変わるって変じゃね?

718: 人間七七四年 2008/07/29(火) 17:10:32 ID:pQvDkx5f
>>710
例えば金の純度が100%の金貨と、50%しか含まれない金貨を「両方同じ値段ですよ」って言われても納得いかないでしょ?

50%の方を同じ価値のものとして流通させるには、国がその価値を保証してやる必要がある。現代のような高度に経済が発達して国の信用度も高い時代ならばただの紙切れでも貨幣として流通させることができるけど、当時は国というものにそれほどの信用はなかった。

721: 人間七七四年 2008/07/30(水) 17:17:56 ID:GyLX0QZz
>>718
てことは貨幣の製造コストを減らすために金の比率を下げたらインフレになるってことですね?
昔の時代の商人にいまのアルミ硬貨を流通させようとしても
「金がつかわれてないから受け取らない」とか言われそうだな。

725: 人間七七四年 2008/07/31(木) 00:40:23 ID:/QBxp6N6
>>721
金の含有率減らしたからインフレ、というよりは、含有率減らした改鋳で市場の貨幣量が増えたからインフレ、今でも「予算足りないからお札刷っちゃおうよ」ってすればインフレはくるし。だから貨幣の素材はあんま関係ないと思う。

室町時代は 銭は勘合貿易で日本に入ってきてたんだけど、実は日本国王の取引(朝貢)しか銭は手に入らなかった。
(他の船の商取引は物々交換と明が決めてた)
それ故、銭のコントロールを将軍が出来たのだけど、戦国時代に入るとその慣習が破れて市場の銭が増えて崩壊したんじゃないかなぁ…

719: 人間七七四年 2008/07/29(火) 17:18:14 ID:4tVGHuEd
お金の形をしていても中身は物々交換だからね
純度が半分なら価値も半分

720: 人間七七四年 2008/07/29(火) 19:49:31 ID:AARMxq1A
江戸前期の勘定奉行萩原だっけかな、貨幣悪鋳で白石に有名にされた。
あいつが「そもそも貨幣なんかは瓦でもよいのだ」と言ったがこれが政府の保障なんだよな。

まあ輸入した銭に頼っている戦国時代じゃあできない発想だ。
てか金本位とかドル本位とか現代まで貨幣の価値の裏づけが欲しいというのをみると戦国時代が異常じゃなくて萩原の斬新な思想が異質なのかもな。

728: 人間七七四年 2008/08/03(日) 14:18:30 ID:rSgKZV/p
大河の「黄金の日日」で茶器のオークションみたいことを秀吉が催した描写があるけど、戦国時代に美術品や工芸品や茶道具などのオークションて、本当にあったのかな?

経済力と少しズレた話しだけど…気になる。

729: 人間七七四年 2008/08/06(水) 18:51:06 ID:heyff3jM
そういえば信長の野望では当たり前のように茶器が宝物扱いされているよな

730: 人間七七四年 2008/08/06(水) 19:56:39 ID:bgceu/AM
そりゃ、信長に渡すのが嫌なあまり茶釜に火薬詰めて自爆する武将がいるくらいだし

737: 人間七七四年 2008/08/21(木) 01:04:26 ID:ySDxplEB
欲しがる人がいれば、石だって高価になる。

739: 人間七七四年 2008/09/01(月) 15:43:25 ID:JSFWahmg
そういえば江戸時代は奇石コレクションが流行ったらしいね
※あくまで「奇石」であって宝石ではない
おそらく中国の文人趣味の影響だと思うが。

現代でも極たまに『鑑定団』でスペシャルコーナーが組まれるが、石ハァハァだけは理解できない・・・

742: 人間七七四年 2008/09/11(木) 17:08:37 ID:wfiWtsMD
石で実際儲けた人もいたのかな?

743: 人間七七四年 2008/09/12(金) 15:06:00 ID:tl2/vhTr
石屋って職業あるんだからそれなりに儲かるんだろう。

745: 人間七七四年 2008/10/01(水) 14:49:44 ID:3lDHh/Xi
戦国期は石屋の商売は盛んだったんだろか?

747: 人間七七四年 2008/10/01(水) 19:28:59 ID:aHhfoP60
今では禁止されてるが、少し前まで長良川で丸石拾ってきて売る商売があった
今でも長良川の丸石は人気があるが入手手段が限定されていてそこそこの値で取り引きされている

748: 人間七七四年 2008/10/01(水) 19:56:00 ID:1Nr9mGrF
石垣に使われてる様々な石(地蔵とか色々)からして当時の石不足はわかるね。
少なくとも良い商売になったろう。

749: 人間七七四年 2008/10/01(水) 20:26:14 ID:goulzAc5
石不足というよりは経費と期間の問題でしょう。
他の城の石垣や櫓などを転用するのは経費削減や期間短縮に有効ですから。

750: 人間七七四年 2008/10/01(水) 21:11:10 ID:hSOW49Bi
利根川の河原に転がるたくさんの石ころにも持ち主が存在していて
遊びにきて勝手にいじると怒られるから触るなと昔、言われた事がある。

756: たけのすけ 2008/10/25(土) 19:22:52 ID:9PMGylNy
銭不足っていうけど、銭の鋳造は、そんなに大変だったのかな?
原料の銅がない?技術がない?信長や秀吉あたりが、鐚銭集めて鋳造すればいいと思うんだけど。表に天下不部、裏に天象10年とかにして。

764: 人間七七四年 2008/11/08(土) 15:53:37 ID:bOQn7ESz
>>756
当時(室町戦国時代)の日本では私鋳銭が存在していました。
つまり”銭を作る技術”は存在しています。

祇園社の銅細工師が検非違使に新銭(私鋳)の疑いで逮捕の記録(祇園社記1343)があり、
発掘でも京都市内の室町の住居跡から、”□和□宝”の鋳型が見つかってます。
また傍証になりますが、江戸幕府で銭を鋳造していた鳴海氏の由緒書には、「足利義持公に永楽銭鋳造を命じられた由緒ある家柄」と書かれています。
そして銭の材料になる銅地金自体、日本が明に輸出していますので、国内に質の良い材料は豊富でした。

で、「なぜ自国貨幣が作られなかったか」については単純に「幕府に信用がなかった」だけ、かと。

当時”明銭”は額面(含有銅)以上の価値で流通し、また埋蔵金で見つかるされる銭の大部分が宋銭です。
「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉通り、蓄財された輸入銭に対し、私鋳銭(日本製)は市場流通の”悪貨”の部分を担ったと思われます。

つまり、自国で自前の通貨をつくっても、国民がそれを信用しなかったので、わざわざ将軍が”明の貨幣を真似て銭を作る”状況になったのでしょう。

765: 人間七七四年 2008/11/09(日) 20:33:08 ID:eUgxsmMF
>>764
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_09.htm
基本的に質的にも見劣りがある

767: 人間七七四年 2008/11/09(日) 23:39:16 ID:vta37CtK
>>765
おいらは、中国銭経済は200年あまり続いているので、室町戦国初期の銭納の時代は高品質(見分けがつかない)私鋳銭がかなりの量存在した、と思いますよ。

京都の銅細工の技術は主力輸出品”奈良刀”の飾りなどにも見られるように、中国製品と遜色はないものでした。
また捕縛の記録から自由気ままに私鋳することは出来なかったようですし、私鋳には何らかの権威者が関わっていた可能性も大きいと思います。
そのような公の私鋳ならば、その質は相当のものであったはずです。

また、16世紀半ばに税が銭納から物納に変わった理由が多量の悪貨が氾濫したためなので、この時期に日本各地で活発な私鋳が行われたのではないかと。
(当時安芸の国の小早川家でも私鋳していた様子があります)
中央の権威が一時期消滅(つまり戦国時代)に日本各地で様々な私鋳が行われた結果が”質の悪い”私鋳銭なら、それまで室町幕府はしっかり私鋳銭の質の管理していたのでしょうし、「将軍命令の銭鋳造」という話もそこらに関わることかもしれません。

そこで貨幣の信用に幕府の権威ではなく”中国”を持ち出したところに室町時代の特色が出ているのかもしれませんね。

768: 人間七七四年 2008/11/10(月) 22:35:37 ID:k7sUYbz0
それは事実でしょうが、当時の日本に大量生産する技術と資本がなかったのも事実かと
特に応仁の乱以降は技術の断絶・劣化は間違いなくあったでしょうし

772: 人間七七四年 2008/12/04(木) 18:08:23 ID:jZhxl0Tq
>>768
戦国時代の私鋳銭には二種類あったんじゃないかと。

まず 将軍家のつくる”公の私鋳銭”
鎌倉時代末から室町初期にかけて、銭飢餓(ぜにけかち)という言葉がつかわれたように、市場に銭が払底した時代もありましたが、足利義満以降、勘合貿易(これ以外には多量に明銭を手に入れる手段はありません)により将軍家が明銭供給元になってからはある程度経済的に安定した時代が続きました。

で、将軍家が輸入したのは一文銭のみ、高額貨幣はまったくしていません。
一文銭と高額貨幣には含有銅に違いがあり、将軍家は”均一な品質の銅貨”を多量に必要としたのです。
そして一文銭含有銅の価値は額面の3割程度しかありません。

つまり、室町時代の明銭=将軍家の放出銭、というわけで、当時の明銭は、そのものの銅価値や明の保証ではなく”将軍家放出の銭”という信用価値で流通したわけです。

で、将軍家支配下の都に明銭鋳造の遺跡が残っているのは、若干の”水増し”を将軍家自身でやってたんじゃないかなぁ……と。
これがおいらの考えてる”公の私鋳銭”です。
これは、将軍家が明銭の流通を管理、つまり日本の経済を把握していた結果だとは思うのですが。

773: 人間七七四年 2008/12/04(木) 18:23:16 ID:jZhxl0Tq
…つづき……

もう一つは 宋銭などの”法律違反な私鋳銭”
実際市場の主流だった宋銭は将軍家以外の貿易でも日本国内に流れ込んできました。
(台湾に向かった貿易船が銭を全部集めたので、台湾市場での銭が払底した、なんて話も)
銭の流通形態は、紐を穴に通した形で行われていて、私鋳銭はそれを水増しする形だったようです。

このような私鋳銭は鎌倉時代から隠れて多量に作られていたらしく、たとえば鎌倉の大仏建立に寄付された銭を溶かして使用したとか、本当に価値があるならソレで銅地金買った方が良いだろ、と思うような事例が見られます。
おいらはコレは品質の悪い私鋳銭の処分に近いのじゃないか、と……

まぁ、検非違使の取り締まりの例もあるように、一番生産力のある都での私鋳は禁止され、地方も守護の目が光っていたわけで、その私鋳の規制はなされていたと思います。
ま、守護自身が私鋳したかどうか、はわかりませんが……
赤松家が幕府布告の座の権利保護を無視し国内商人を保護した例もありますから、まぁ……


で、なぜ銭経済崩壊は、将軍家による銭管理体制が崩壊したんじゃないかと。

戦国大名が守護の勢力を浸食することにより幕府のタガがなくなり、一地方豪族でも私鋳を始めるようになります。
しかも制限無く多量に生産し多量に使います。
たとえば小早川家の例では私鋳銭を銭一本の三割程度も混ぜていたようです。

現在残る”質の悪い私鋳銭”の多くが、この時代の産物じゃないかと思います。

775: 人間七七四年 2008/12/13(土) 15:48:31 ID:VCvU9ynn
江戸期に繋がる金銀銭の貨幣制度をつくったのは秀吉?

776: 人間七七四年 2008/12/14(日) 05:04:17 ID:35aRDM3X
>>775
徳川幕府
秀吉は金銀銭の交換比率を定めていない

777: 人間七七四年 2008/12/17(水) 12:53:39 ID:zYOMP6hT
金銀が貨幣として流通していない時分に、何千・何万貫もの銭で物資を調達したりした時に、それらの巨額の銭をどうやって運搬してたんかな?。
…そもそも、それほどの巨額な銭を調達する事が出来たんかいな?。

779: 人間七七四年 2008/12/17(水) 23:25:13 ID:ZCAJqvtS
鎌倉時代から為替があるな。
手数料かかるけど証文だけで済む。

持ち運びの問題ではなく銭不足で高額取引が出来なくなった室町後期は東国では金、西国では米が代わりになってる。

780: 人間七七四年 2008/12/18(木) 03:45:14 ID:DioOYYAX
>>779
それは銭不足というより、銭の価値を保証する幕府の権力低下も踏まえた、銭の信用度の低下によるものじゃなかったっけ? 

784: 人間七七四年 2008/12/18(木) 22:42:53 ID:KzmBL4cw
>>780
そもそも幕府は銭の価値を保証していない。
基本的には中国で通貨となっているというのが信用であり、西国で言えばアジア圏で貿易に使えるというのが信用。
だから、明が銀の流入で銅銭経済が崩壊し、特に新しい永楽銭の信用がなくなったため、西国ではより古い貨幣、洪武銭や宋銭などを良銭と見なしたわけだ。

786: 780 2008/12/18(木) 23:31:30 ID:DioOYYAX
>>784
なるほど、勉強になった
そうか、明への銀の流入かぁ、なるほどねー

ついでに大内が結構大量に銅銭を輸入してたのは、どう影響あったんだろうか?
でも誰かの論文で、輸入量はさほど多くないと言う指摘もあったようだけど・・・

796: 人間七七四年 2008/12/23(火) 05:10:28 ID:SQt12CWO
>>786
日本の銀の流入が明の経済を変えた、というのもちょっと微妙な話かも?
銀というのは元々大陸の交易通貨(モンゴルとか元とか)でした。

明では当初、銅銭=紙幣の二本立て経済だったんですが、そこに日本が一文銭ばっかり多量に買い占めたものだから中国国内の銭の交換レートが乱高下して経済大混乱、
たまらず銀=紙幣に移行した結果、銅銭を作ることをやめちゃったから
日本の銭もどんどん”びた銭”ばっかりに……
…とみる説もありますよ。

ちなみに清の時代に”銭”は復活したんですがその国内生産量は少なく日本の寛永通宝(鉄銭)が輸入され、室町時代とは逆の状況になってますね。

781: 人間七七四年 2008/12/18(木) 04:19:58 ID:rIM2lLSA
明からの銭の供給の停止と、貫高制から石高制への移行って時期が大体一致してるんだよね。供給が止まれば必然的に銭の信用度も落ちる。(磨耗や損傷で鐚銭化する)

東国ではそれでも貫高制が維持されたのは、米の輸送が陸路に限られていたので輸送費で足が出てしまうため、銭の方が目減りせずにすんだかららしい。

一方西国は瀬戸内海運が発達していたせいで安い輸送費で米が輸送できたので、石高制に。15世紀から輸入された明銭は西国では嫌われていて、宋銭は14世紀で供給が止まっているので磨耗や損傷で失われてゆき流通量が少なかったらしい。

16世紀後半になると、西国では米遣いから銀遣いへ移行(大口決済が銀へ変わる。)
米で決済するより、目減りが少ないのが魅力。
東国では金が使われる。

こんな感じ?

783: 人間七七四年 2008/12/18(木) 14:15:36 ID:XMbzPyLc
>>781
銭から現物に移行してるよ >東国
関東では永禄年間に深刻な選銭問題が発生してそれまでの経済体制がほぼ崩壊してしまって維持されていない。
この手の事を検証しやすい北条で例を挙げれば、永禄七年の反銭の米納を認めたのを皮切りに数年内にすべての税に現物納を認めている。

784: 人間七七四年 2008/12/18(木) 22:42:53 ID:KzmBL4cw
>>781
強いて言えば、東国では時期的に新しく、流通量の多かった永楽銭を良銭と見なしていて、比較的多量の銭が確保できたという事が大きい。
それでも最後まで銭による納税を維持した北条家でも最後は物納に切り替えた。
(なお、納税時期の直前に農民がこぞって米を売るため米価が下がり、納税のためにより多くの米を売るはめになるという、農民の生活を保護するためという事もある)

同時期に西国は永楽銭を悪銭と見なして古い貨幣を重宝したため、良銭の絶対量が圧倒的に不足していた。

785: 人間七七四年 2008/12/18(木) 23:15:12 ID:2goK0b+Z
江戸初期では銀の紙入とか成熟したっぽい流通の仕方をしてたから、戦国時代から西国では銀が高額貨幣として流通していたと思っていたが違うんだね。
まあ、各銀山の銀の質が全然違うから難しかったのかな。

787: 人間七七四年 2008/12/18(木) 23:41:24 ID:oV1Nv+AS
もちろん、秤量貨幣としては使われていたよ。
銀の重さが何グラムだからこれだけの価値ってね。金も同じ。
でも明の貨幣経済を崩壊させるほどの銀が日本から輸出されたってのは、なんだか不思議な気分だね。

日本で初めて、刻印された額面通りの価値がある計数貨幣を作ったのは、武田信玄だろう。領内の秤を統一して、その秤を基準に、金貨を規定の重さで鋳造する。額面と重さが一致しているから、いちいち計量せずに使える。
単純な話だけど、他に誰も成し得ていない。
しかも、単位が1両=4分=16朱=32朱中=64糸目=128小糸目=256小糸目中で、当時の金の価値が1両あたり3~4貫とすると、かなりの小額までカバーしている。
銅銭不足を、金貨で補ったということなのだろう。

788: 人間七七四年 2008/12/19(金) 00:08:02 ID:glm2gws2
>>787
ただ、銀の重さを量るのも当時は難しいんだよね。
石見銀山の銀の含有量は90パーセント以上だけど、他はもっと低かったり。
江戸時代以降は均質になっていったからいいんだが。

まあ、銭も計数貨幣なので、金の計数貨幣という話なら多分そうだろうね。

789: 人間七七四年 2008/12/19(金) 14:55:39 ID:u+aGWaK+
織田信長は、武田信玄が甲州金を鋳造して領国内に流通させたように、金銀で貨幣を鋳造して領国内に流通させなかったのでしょうか?

791: 人間七七四年 2008/12/19(金) 17:04:37 ID:S6R1tLZG
>>789
結局、金銀で貨幣を鋳造する事よりそれを流通させる流通経路の確保こそが重要で、信長の軍事行動を見ていけば非常に上手く流通拠点を確保している。
武田も必要に上野に拘ったのは上野が日本海と関東を結ぶ貴重な陸の流通拠点だったから。後年駿河に侵攻したのも流通経路の確保の為だね。

795: 人間七七四年 2008/12/19(金) 22:04:36 ID:k4i3tUVM
>>791
貨幣は所詮は媒体でしかないから、大事なのは人と物の流通やけどね。
それは信長はよく理解していたと思う。

797: 人間七七四年 2008/12/23(火) 12:42:40 ID:xmAuVV1D
日本は貨幣が欲しくて、ちょうど西日本には腐るほど銀があったから、どんどん交換。明は銀びたしになって銀経済に移行。貨幣の価値暴落。
日本でも貨幣の信用失墜。

石見銀山恐るべし。サブプライム級だな。

引用元: ・戦国大名の経済力