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1: 人間七七四年 2007/04/20(金) 02:12:39 ID:0mK8O8lL
戦国最後の大名同士の戦「大阪の陣」
豊臣方の実質総大将的な存在の大野治長とその一族の歴史について語るスレです。

大野治長
片桐且元が大阪城から退去させられた後の豊臣家を主導する。
中途半端に開戦だ、和平だと豊臣家を滅亡に導いたとされる一人。
ドラマで浪人達の意見を全て却下するのは大概この人。
淀殿との関係はあった?なかった?秀頼の父親なのか?
実は徳川方の間者なのか?

大野治房
主戦派だったらしい。最後は逃亡を試みるも斬首。

大野治胤
堺を焼き討ちにする。大阪城落城後逃亡をはかるもやはり捕まり斬首。

兄弟間でも主戦派だったり和平派だったりでちっともまとまりがない。








4: 人間七七四年 2007/04/20(金) 02:47:44 ID:HP4eXnP7
片桐スレでは悪者扱いだw

関連記事
◆小ネタ◆片桐且元ですが和平がまとまりません



5: 長門 ◆q8GdomS4XA 2007/04/20(金) 02:53:42 ID:Ok/oxuBm
暗愚じゃないかな?
この期に及んで消極的戦闘主張とかどうかと
片桐追放主導したのってこの人?

9: 人間七七四年 2007/04/21(土) 19:08:57 ID:alJf0lld
治長って関が原で功立てて家康から賞賛されてるし一時旗本にも取り立てられてるよな
とにかく家康は結構気に入ってたみたいだ
それに浪人衆の意見却下は後世の作り話じゃないの?

11: 人間七七四年 2007/04/27(金) 00:49:16 ID:zFB8yap/
大野兄弟ってもともと豊臣の家臣なの?
大野治長って関ヶ原のときは家康の陣を借りていたし、たしか弟の一人が大坂の陣のときも家康の旗本だったと思ったけど、どちらかというと家康寄りだよね。
弟(治純だったっけ?)の家は幕臣として残らなかったけどどうして?

28: 人間七七四年 2007/09/19(水) 04:01:54 ID:F3fjna4L
>>11
大野治純
治長の弟で、徳川家に差し出された人質。
夏の陣で家康から真田幸村・長宗我部盛親らが内通しているという偽書を見せられ兄に伝えた。
そのせいで秀頼出馬が見送られたとか。

12: 長門 ◆q8GdomS4XA 2007/04/27(金) 02:01:03 ID:9z5IrGA8
大野は実は幕府の回し者だから
一連の流れに大野家が関わっている
・徳川に決戦挑ませる
・援軍のない籠城策、うってでない
・講和、外堀埋める
・再度決戦
・千姫救出
・淀、秀頼を殺害
・秀頼の息子娘を連行する

だが口封じに斬刑
とか軽く妄想してみる

24: 人間七七四年 2007/08/16(木) 01:00:35 ID:SEF8oQ+/
>>12
治長としては豊臣家の家臣というより、人生全般においてすべて淀殿ありきで行動してた様子。
家康の間者つうのはあんま想像つかんわ。

39: 人間七七四年 2008/03/11(火) 01:15:58 ID:W02b4rvM
治長が茶々とどこまでの関係だったかが気になる。
乳兄弟とはいえ、ねぇ。

43: 人間七七四年 2008/04/11(金) 15:46:57 ID:hd18wZYr
修理さんも書の才能とか画の才能とかある人じゃなかったっけ
これも修理悪役の創作物だと
「軍人や官僚というより芸術家になった方が幸せな男だった」みたいな描かれ方しちゃうけど素直に文武両道の才人だったのだと思うな

45: 人間七七四年 2008/04/15(火) 22:47:31 ID:Zy7YfNqC
治房の夏の陣での活躍はもう少し評価されてもいいと思うんだが。
しかもこの人、最期はどうなったのかいまいちわかってないみたい。
一般的にはつかまって処刑されたといわれているけど

46: 人間七七四年 2008/04/16(水) 02:50:57 ID:iSjvq5wc
真田の突撃が現代でも大いに語られているが、その影で毛利勝永と治房の突撃あってこそだからな。

47: 人間七七四年 2008/04/16(水) 23:05:00 ID:ZTQ9w5FB
「城塞」では脱出後普通に行方不明になってたな>冶房
勝永は最後すらかかれずにフェードアウトしたし
又兵衛に「お前らどっちも死ねよ」って言われたり
出番は多いほうだった

50: 人間七七四年 2008/07/02(水) 10:42:04 ID:KdlDLu9t
大野治房は、人格的にはかなり問題あるようだが、大坂夏の陣での活躍ぶりはもうすこし評価されてもいいと思うんだが。
一番がんばったのは毛利勝永だろうけど・・・

49: 人間七七四年 2008/06/28(土) 15:14:28 ID:KUtxCKRr
確か治長、豊内記だと、心が広くて才はあるけど、礼儀がなってないって評されてる。

53: 人間七七四年 2008/08/07(木) 00:16:49 ID:hC6DIM3E
治長はまぁそれなりに頑張った、よく言われる程悪い奴じゃあないと思う
治房もまあ頑張ったかな
でも治胤だけは許せん

54: 人間七七四年 2008/09/18(木) 19:08:14 ID:b8qndWgu
治長は摂河泉65万石の大名の筆頭家老としては十分優秀だろ。
天下の豊臣家の宰相としてはお話にならないけれど。

57: 人間七七四年 2008/11/10(月) 22:52:30 ID:MqxsrY/V
大野治長は>>1の言うように確かに中途半端だったな。
どちらが正解かはともかく、戦うなら徹底的に攻めるべく野戦展開するべきだし和平なら徳川に屈するべきだった。
でも大坂城から逃げずに最後まで秀頼についてた忠義心は素晴らしい。

58: 人間七七四年 2008/11/23(日) 14:36:54 ID:4DfvUJpd
武田の跡部みたいなもんだな。あれも奸臣だの何だのとけなされていながら勝頼に最期まで付き従った。

59: 人間七七四年 2008/11/24(月) 01:56:37 ID:oYnfnf0J
大野治長は、確かに力不足感は否めないものの、最後の最後まで秀頼に尽くしているのはもうちっと評価されてもいいような。

治房も、岡山口での奮闘は特筆ものだと思うんだけどなあ・・・

60: 人間七七四年 2008/12/24(水) 00:06:54 ID:gZ+5UTBK
兄弟の間でも方針でもめてるあたりダメダメ

62: 人間七七四年 2009/03/23(月) 17:37:32 ID:mu55y+uv
大阪城の宰相としては器じゃないな

63: 人間七七四年 2009/04/25(土) 22:16:22 ID:2UgRqZbd
つーか、普通に大野治長は評価されるべきだろう。
大阪がまともな迎撃体制を作れたのはこの人のおかげだし。

64: 人間七七四年 2009/04/26(日) 02:48:00 ID:jI+xYncu
冬は評価出来るが夏はなぁ

65: 人間七七四年 2009/04/26(日) 16:29:33 ID:EG7xsYzU
結局武人じゃなくて吏僚なのがこの人の限界なんだから大坂の滅亡は避けられなかった
それに主家滅亡を回避できない臣が忠臣かね?

66: 人間七七四年 2009/04/26(日) 20:19:04 ID:m7wagt1E
>>65
>それに主家滅亡を回避できない臣が忠臣かね?
この論法はおかしいだろ
主家滅亡と忠臣かどうかはまったく別物だ。

70: 人間七七四年 2009/05/12(火) 01:39:46 ID:qf0UuRWW
大野治長は有能だと思うけどな・・・普通に10万の大軍を短期間で戦える体制にしたのは素晴らしい。
兵站に関しては三成よりも有能かも。

71: 人間七七四年 2009/05/17(日) 23:43:02 ID:FC6oVoBk
外交やってたの?この人は?
片桐追放は誰が主導したんだろ?

72: 人間七七四年 2009/06/04(木) 23:34:07 ID:OuWsnQ5v
片桐は追放されたんじゃなく自主退去。
勝手に逃げた卑怯な裏切り者。

74: 人間七七四年 2009/06/05(金) 15:40:56 ID:GuI6rIhs
>>72
豊臣家を残すためあれほど力を尽くした武将を勝手に逃げた卑怯な裏切り者として評するなんて淀殿と同じ思考の持ち主なんじゃないか

79: 人間七七四年 2009/09/23(水) 20:28:02 ID:BpmIw/fp
真田とか一発逆転を狙った浪人は豊臣に尽くしたと評されて、同じく命を賭した大野は奸臣扱い

81: 人間七七四年 2009/09/24(木) 01:11:05 ID:J4nfLOwV
ただのスケープゴートだろ。
日本人の感覚なら秀頼を悪者にできるわけない。
かといって淀殿を悪人にするわけにもいかないし、近臣の大野が泥を被るのはやむをえない。

85: 人間七七四年 2009/11/13(金) 02:48:39 ID:UYTLGV5/
大野治長は家康にも評価されてたし、実際に一角の人物だったのだろう。
ただ実際に薄ら馬鹿だったのは弟の治房、治胤。

86: 人間七七四年 2009/11/14(土) 03:05:26 ID:AY2DXrf2
伊予の大野一族じゃねーのかYO

92: 人間七七四年 2010/03/18(木) 05:38:25 ID:wc/kWrAK
福井県に大野平野ってあるし。単純にそこの出だと思ってた。なんか「中央の、多勢の意向なんざ知らん」て風な、ふるい地方豪族イメージなのだけれど。

95: 人間七七四年 2010/05/17(月) 06:32:12 ID:SUwZk70P
『文明と歴史の間』の植村清二も「大野氏はもともと朝倉氏に仕えていたらしいので越前大野が出身地ではないか」と推測している。
他に尾張説もあるけど、一応今の所は丹後説が有力なのかな。
小説なんかでも丹後出身としてる事が多いような気がする。

98: 人間七七四年 2010/09/30(木) 12:33:48 ID:G5+Ziwgq
近江の誓願寺で治房の遺児が匿われていたことが発覚、母親とともに捕縛されたのが1649年
治房や治胤の息子の生存説が流れて幕府が大規模な捜索を行ってるんだからのほほんと生きられるような状況じゃなかったでしょ。

102: 人間七七四年 2010/11/22(月) 07:21:02 ID:pwmnlBxt
赤穂藩の大野九郎兵衛は?

103: 人間七七四年 2010/11/22(月) 12:05:45 ID:LDgAF04R
>>102
戦国期の伊予に「大野九郎兵衛」という人物がいて、その子孫ではないかという説がある。

99: 人間七七四年 2010/11/21(日) 14:13:49 ID:7WfL+a9D
子孫が印刷屋の社長とかやってそう。

100: 人間七七四年 2010/11/21(日) 18:44:11 ID:muLJKS7N
なぜにwww

引用元: ・大野一族について語るスレ