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424: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 04:54:01
榎本と一緒に降伏していたら、やっぱり斬首?
新撰組は長州に恨まれていたから、助命は無理だったかな?
日本陸軍としてロシアと戦う土方さんを妄想したい。

427: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 15:15:57
>>424
近藤の斬首刑を強行したのは長州ではなくて一部の土佐系なわけだが。

428: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 20:59:26
>>424
土方は降伏しても絶対斬首だったとかよく見るけど、近藤でさえ助命の働きはあったわけだし、首魁の榎本が許されてるんだから土方も絶対助からないとは言えないと思うな。

429: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 21:58:10
斬首に決まっているとかいうのは、悲劇性を高める宣伝文句の一つではあるから、作家等には好まれて言われるところだろうね。土方が生き残ると残りの幹部の命も危ない、ということも言われるが、結果だけ言うと、まず、それはなかったと思う。
土方一人のために、黒田らの、榎本達有為の才の助命運動が影響されるとも思えないし、岩倉使節団の旅程に変更もないだろうから。

無論当時の人間が知りえたことではないから、彼らがどう考えていたかというのは別だけれども。

430: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 22:41:07
土方が生き残っても五稜郭幹部の命に影響があるとは思えないが、生贄の意味で死刑にされた可能性は否定できない。元老の木戸は榎本・大鳥らですら死刑を主張していた。
榎本らは黒田の嘆願や西郷の英断で死罪をまぬがれたが、幕臣テクノクラートと人斬り集団の副頭目では経歴が違いすぎる。池田屋事件や坂本竜馬(これは濡れ衣のようだが)の責任追及も行われるだろう。
誰かの血が必要ならば土方が最適だと思うが。
しかし当の土方が戦死してしまったからすべてはIFになる。

土方自身は近藤の斬首を知ったとき、生きる道は徹底抗戦以外にないと思ったんだろうな。

431: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 23:24:44
池田屋事件の責任追及っていうのはどうかと思うけどな、確かに長州や土佐から恨まれる原因にはなってるかもしれんが公平な目で見ると悪いのは長州側だもんな。

432: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 23:31:34
弁天台場降伏時に隊長の肩書きを請け負ったにすぎない相馬が、五稜郭幹部の中ではもっとも重い刑の流罪になってるからね。(とはいえ現地で結婚してるし、ずっと獄中にいて妻子に面会もできなかった大鳥らよりちょっぴりラッキー??)
土方だったらもっと重い刑になってはいただろうね。っていうと、やはり斬首以外にはありえない気がする。(大石鍬次郎や横倉甚五郎も、刑死や獄死しているしね・・・)

生きる道がないだろうとは、降伏時に榎本らも考えたこと。
黒田の助命運動なんて、期待してはいなかっただろう。
徹底抗戦してなにか(幕府?近藤?自分の武士道?)に殉じようとしていた土方も、自分達の首を残った兵士達の生命の保証と引き換えにしようとした榎本らも、それぞれ立派だと思う。比較してどっちがえらい、えらくないって話でもないわな。

434: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 23:44:15
>>430
>幕臣テクノクラートと人斬り集団の副頭目では経歴が違いすぎる。

これは後世の人間の見方だと思うけどね。
人斬り集団の副頭目と言ったところで、官軍側も人斬りばかりなのだから、「人斬り」という部分を否定する事は、自らも否定する事になる。新選組だけが人斬り集団であるかの如く思うのは、その発想自体がすでに皇国史観による新政府キャンペーンの影響を受けているよ。
つまり新政府的=後世の見方。

むしろ、土方が斬首刑になるとしたら、会津と組んでいた過去があることや甲陽鎮撫隊絡みじゃないかな。大鳥も会津に関わっているから、会津絡みで土方が斬首になるなら、大鳥も同様にされたんじゃないかな?

>土方自身は近藤の斬首を知ったとき、生きる道は徹底抗戦以外にないと思ったんだろうな。

そもそも、土方は生きる道を求めていたのか?

435: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 23:54:53
>>434
大鳥は単なる客将にすぎないよ。
(それでも土方が去ってのち、9月まで会津で奮戦してたんだから、えらいと思うが)
土方は「会津藩御預り新撰組」の副将。ちょっと立場が違う。

ちなみに相馬は、坂本・中岡暗殺や御陵衛士惨殺の件で取調べをうけている。大石や横倉の投獄も、そのかどで。
近藤の極刑を主張したのも土佐系だし(香川は水戸人だが、坂本と交流があった)、そうなると大鳥はますます関係ない。その極刑を主張した谷干城はのちに会津藩家老の山川大蔵と懇意になっている。
とすると、会津も関係ないんじゃないか?
問題は、やっぱり坂本ら=勤皇派志士殺しだったんじゃないだろうか?

441: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 00:48:15
>>435
>大鳥は単なる客将にすぎないよ。

客将かどうかとか、そんな事は関係ない。
このスレを読んでいて思ったが、罪というのは個人の属性によって決まるという不思議な主張が堂々と罷り通っている。
従来の新選組研究家の解釈はそうなのかもしれないが、罪状は戊辰役でも個人の属性よりは薩長土肥の内部事情や政治力学、あるいは朝敵か否かという判断に重点が置かれている。近藤の処刑も本質的には薩長土肥の内部における政治力学の結果。
坂本暗殺というのは表向きの理由でしかない。

>その極刑を主張した谷干城はのちに会津藩家老の山川大蔵と懇意に
>なっている。
>とすると、会津も関係ないんじゃないか?

だから、何を罪として問うかは官軍が決める事だが、罪に問われる可能性があるものとして、会津のことを持ち出したまで。
そもそも薩長同盟自体が対会津、対一橋を想定して成立したものだし、戊辰役自体が一会桑の打倒が最大目標。だからこそ、悲惨な会津戦争が起こった。もし、官軍側に会津戦争に関連した事を問う気があったら、関連した人間はみな罪状を突きつけられただろう。
だから、大鳥の属性や資質がどうこうという理由で、同じ事柄に関して罪に問われる人間と問われない人間が出てくるという事はないだろうという意味。
もし、土方が戦死せずに降伏メンバーに入っていた場合、会津関連で土方に罪状を出すなら、大鳥にも出ただろうと書いただけだよ。
谷と山川が懇意になった云々は後世のことだから関係ない。

439: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 00:29:58
だから、土方だけが斬首になるとすれば新撰組に対する新政府側の悪感情とか個人的な恨みでしょ。正当性のある理由はないようなかんじがする。
新政府が冷静な処断をするとすれば生き残る可能性もあったように思えるよ。

440: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 00:46:34
当時はろくな裁判制度が整ってなくて、重罪人とみとめられればすぐ斬首。
(そのせいで諸外国にしばらくナメられ続けたわけだし)
恨みとか悪感情=現在の裁判制度と同じ重みがあったんだから、生き残る可能性は限りなく少ないと思う。
榎本らの助命に必死だった黒田も、土方には特別の思い入れないから、土佐系・長州系から「ほかは許してやるから土方だけは殺させろ」って言われたら、逆にほかを助けたくてYESと言ったかも知れない。

でも、生き残っても何ができた?とは思う。
生き残り幹部はまずほとんどが北海道開拓史にまわされた。
開拓使って柄じゃないよな(笑)。
相馬はのちに榎本からどっかの県知事に推薦されているが(断ったけど)土方にそんな仕事ができたかどーか・・・。
陸軍なら、能力的には向いてそうだが、長州系が占めてたからなあ。

459: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 02:09:34
一会桑打倒は確かに戊辰戦の目標だっただろうが、それが敗戦処理に決定的に響いたとも見えない。政治力学と戦犯者の個人的有為さが、罪状決定に奇妙に影響した状態だったのでは。三権分立はおろか司法省も設置されていない混沌期であったし。
朝令暮改で民衆の不満が旧幕臣への同情世論に転化し、人材は劇的に不足し、死刑多発も非文明国扱いされるから、諸外国への配慮も行わねばならなかった時勢。
敗戦処理に恣意が混じる、つまり罪人の経歴・能力によって差がでるのも仕方あるまい。
会津藩士も有為な人材は取り立てられた。
戦後、幽閉されていた山本覚馬も著作が認められ釈放、京都で重用された。
山川健次郎が国費留学生になったとき榎本らは、獄中だった。
そういう世の中で土方が生き残ったとして、どういう処遇になるか判断するのは難しい…という、面白みのない結論しか浮かばない。
…と最後は無理やり土方スレに合わせてみた。

462: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 02:37:17
>>459
>会津藩士も有為な人材は取り立てられた。
>戦後、幽閉されていた山本覚馬も著作が認められ釈放、京都で重用された。

そういったケースにしても、敗者側にいた人間の罪状決定に関しては、個人の属性・資質如何と薩長土肥の政治的思惑では、後者の方が優先順位が上だったと認識している。
君の主張を全て否定する気はないよ。
罪状決定に個人の資質・属性が全く影響しなかったとは思わないから。
しかし「榎本や大鳥は優秀な人間だから処刑されなかった。土方はそうじゃないので…(以下略)」のような見方には賛同出来ないということ。
榎本や大鳥らの釈放にしても、個人の資質よりも国情による部分が大きかったと思うね。黒田の功績も否定はしないが。

470: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 14:24:22
ここ見てると大鳥が常敗将軍っていうのは史実じゃないのか?
あれは本当だと思ってたんだけど。

472: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 18:54:39
>>470
復古記、箱館戦争史料集、北戦日誌、南柯紀行、戊辰戦役史あたりを読んでカウントしてくれ。
大鳥は、30回近くの戦闘の内、3~4割は、一応、勝っている。負け越しには違いないが。
土方は勝ち負け云々できるほどに標本数が無い。実際に率いた戦闘数は少ない。
常勝将軍というのは小説家の作った、1を10に見せかけるキャッチフレーズ。

480: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 17:46:55
>>472
3割と4割じゃだいぶ印象が違うな。3割なら常敗将軍もそんなにおおげさじゃない感じがするし、4割ならそんなことないじゃんって感じだ。

482: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 20:42:47
>>480
「大鳥が配下を遣した戦い」もカウントするなら、4割越えるだろうな。
後は自分の目で判断してくれ。
そもそも、誰が負けても大鳥がその責任をとって、配下の負けを自分の負けにする。
劣勢ほど大鳥が自分で前線まで出てくる傾向があるので、(宇都宮、今市、母成、木古内、桔梗野、千代が岱、他) 直率ほど敗北率が高まる結果になる。
それで自分から「又負けたよ」と笑っているので、周囲は敗北を大鳥の所為にできる。
対し、土方は、局所戦闘の勝利を自分の手柄にしていればいい立場なので、だいぶ楽だろう。
大鳥マンセーですまん。土方スレだとは分かっているのだが。
小説をスルーして、史料を直接当たっていると、どうにもこういう認識になってしまって困る。

474: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 09:09:19
小説家だけじゃなくて、当時の人達も言ってたんじゃないか?
だって自分達を率いる人間が無能だったら嫌じゃん。
誇張でも「常勝将軍」って言っておいた方が士気も上がるだろうし。

475: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 09:57:54
常勝将軍?小説以外にソースあるの?見たことないんだが。

478: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 11:01:49
二股口で歳三の部隊だけ勝ってたってのは有名だわな。資料にもそうのってるみたいだけど。

479: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 16:04:36
狭峡の二股口だよね。
土方先生でも木古内では守りきれないだろう。
また大鳥マンセーといわれそうだがw

481: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 18:24:37
総司令官のつらいところだな。
会津や木古内など、敗北しても仕方ない劣勢の戦闘だったのだが、理由はどうあれ敗軍の責がすべて降りかかってくる。
幕軍の行く先を予想したのか、大鳥は当初総督の地位を辞退したが、ついに引き受けてしまった。

484: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 21:18:26
守りやすく攻めにくい二股口で不敗でもなあ…。
同じく宇都宮も、土方たち先鋒隊が落としたときは新政府軍の陣容がまったく整っていなかった。ついでに、大鳥が体調不良で不参加だったので負けた、と大鳥を責めるむきがあるが、これ言い換えれば大鳥が全軍を指揮して、土方が先鋒をつとめていれば負けなかった、といえるかも知れない。
土方の力量自体は疑うべくもないんだが、小説や大衆向け歴史読本系での持ち上げすぎ(とセットでの大鳥貶し)は非常にもにょる。
土方本人も草葉の陰で苦笑してんじゃないか?(笑)

495: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 22:50:38
土方の修正前の写真をみてしまった。
電車の人身事故の写真を見て以来のトラウマだ。
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496: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 23:25:12
修正前は・・・
正直、榎本の方が男前だ。

沖田の似顔絵は更に虎馬w

497: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 23:50:28
>>496
実は榎本はおっさんになってからのほうが男前だ(笑)
土方もふつーにかっこいいんじゃない?修正前でも。

498: 日本@名無史さん 2005/05/29(日) 00:00:32
修正前はカッコイイとは思えないんだが。
東郷提督はもちろん、横山主税や山川浩でも余裕で勝つな。
若い時限定なら大鳥の方がいい。

しかし修正後の顔は実物に似せたのだろうから、当時の写真技術が稚拙で本人の写真写りが悪いだけなんだろう。史実や聞き書きの記述をあわせると、イメージは滝沢になるから。

499: 日本@名無史さん 2005/05/29(日) 01:17:18
あれだけ容姿をほめた証言が多いのはすごいな。修正前写真を間に受けて見るとちょっと褒めすぎ?とも思うけど修正前もやっぱりかっこいいとは思うな。
関係ないけど、当時の人ってなんか迫力のある顔の人多いな。幕末の写真技術の問題なんだろうが。

504: 日本@名無史さん 2005/05/29(日) 11:20:07
すんません、写真修正がいつ行われたのか知んないけど、修正後ってどうやって実物に似せるんかいな?土方知らない現代の人が修正したんでないの?
土方知ってる奴が修正したの?撮ったその場で修正?
何か、格好良くなった修正後の方が、実物に似とるって素で言われても…。
どうやって似せるねーンって感じで。贔屓のひきたおしっぽくてアンチの的になりそう。
とりあえず、前と後の大きな違いは、二重かそうでないかかな。
その辺に史実の記述ありだったりとか?

507: 日本@名無史さん 2005/05/29(日) 14:09:43
>>504
別に>>498は似せたと思われっていってるだけだと・・。修正後写真は現代の人が修正したんじゃない。明治時代に土産写真として当時の写真師が修正したものらしい。(明治には維新期の有名人の土産写真が売られていたらしい)
そのころには実物の歳三を知ってる人もたくさん生存してただろうから、生存の歳三に似せた可能性もあるんじゃないかと思う。
修正した人は知らん。

511: 日本@名無史さん 2005/05/31(火) 09:16:17
でも、土方のあの写真って最初土方久元だと思われてたって聞いた事あるけど

512: 日本@名無史さん 2005/06/01(水) 00:59:26
そういう説もあるね。なんだか土方久元の写真を見たことがあると言う人がいて、その人によると土方に少し似ているらしい。
まあ似ていないと誤認もされないだろうけど。

513: 日本@名無史さん 2005/06/01(水) 01:08:09
今土方久元の写真見たけど、似ても似つかんかったぞ。土方の修正前
写真より目が細いw

514: 日本@名無史さん 2005/06/01(水) 01:50:39
しかし土方の目は実際に細かったんだろうか。
八木家の人間の証言では「目がぱっちりとして」とあったのに。
ぱっちりが必ずしも大きな目を意味するわけじゃないだろうが、細いツリ目のことはさすがに言わないだろう。
だが、修正前の写真と土方とも言われる集合写真では目は細い。
写真技術のせいかな?

515: 日本@名無史さん 2005/06/01(水) 12:39:46
坂本龍馬もぱっちり目と言われてるのに細目で映ってる。
写真を取る時、反射板か何かで眩しいからだったと思う。

580: 日本@名無史さん 2005/06/24(金) 17:12:44
土方はね、函館で討ち死にして正解だったね。
榎本や大鳥みたいに新政府で活躍出来る知識や教養があるわけでなし。
生き残ったとしても、他の隊士同様地味な晩年だろう。

582: 日本@名無史さん 2005/06/24(金) 19:59:50
日露戦争開戦時(1904年)の日本軍の主要メンバーの満年齢

満州軍総司令官 大山巌 62歳
総参謀長 児玉源太郎 52歳
第一軍軍司令官 黒木為もと(木+貞) 60歳
近衛師団長 長谷川好道 54歳
第二師団長 西寛二郎 58歳
第十ニ師団長 井上光 53歳
第ニ軍軍司令官 奥保鞏 58歳
第四師団長 小川又次 56歳
第三師団長 大島義昌 54歳
第六師団長 大久保春野 58歳

583: 日本@名無史さん 2005/06/24(金) 20:16:51
第三軍軍司令官 乃木希典 55歳
第九師団長 大島久直 56歳
第一師団長 貞愛親王 46歳
第十一師団長 土屋光春 56歳
第四軍軍司令官 野津道貫 63歳
第十師団長(後鴨軍司令官) 川村景明 54歳
第五師団長 上田有沢 54歳
第八師団長 立見尚文 59歳
近衛後備混成旅団長 梅沢道治 51歳

そして土方御大は....
69歳
最年長と野津とでも、六歳差。

587: 日本@名無史さん 2005/06/25(土) 00:50:05
爺さんになるまで生きていたら、判官びいき人気どころか榎本・大鳥以上のバッシング対象になっていたと思われ。

588: 日本@名無史さん 2005/06/25(土) 12:33:08
斎藤は爺さんまで生きていて女子大の交通整理までしてるわけだが
叩かれてないのは歴史スキーからみたら小者扱いだから?

589: 日本@名無史さん 2005/06/25(土) 15:00:04
>>588
会津と一緒に苦労してるからじゃない?

600: 日本@名無史さん 2005/06/26(日) 14:06:40
土方好きって司馬先生の燃え剣好きな人が多いよね。
自分も土方歳三が大好きなんだけど、あの小説はあまり好きじゃない。
これって土方ファンとしてはどうなの?

601: 日本@名無史さん 2005/06/26(日) 21:45:36
創作歴史小説としてはうまくできてると思うが、史実と混同している人間を見ると萎え。

602: 日本@名無史さん 2005/06/26(日) 21:50:17
そういう人も結構多いよ。いいんじゃないかと思う。誰かも前に同じようなこと書いてたけど、自分は最近ちょっと性格悪い土方がツボ。土方は京都時代は実際結構ねちねちした陰湿な部分もあったと思うんだよね。
当時の土方の性格の証言が人によってぜんぜん違ったりするのもおもしろい。

666: 日本@名無史さん 2005/06/29(水) 23:25:28
ところで、新撰組って結局誰が一番強いんだ?
近藤?沖田?土方?斎藤?
その時~で、西南戦争やってたけど、斎藤は西南戦争でも活躍したんだっけ?

668: 日本@名無史さん 2005/06/30(木) 01:19:02
ここのスレタイ主はさほど強くなさそうな。
成人してから入門したし、個人的武勇伝も自己申告以外は皆無。
帷幕で策をめぐらすのが上手いタイプだから、当然といえば当然だろう。

沖田、近藤は免許皆伝、斉藤、永倉。
山南も八木老人の話では腕は立つとされていた。

669: 日本@名無史さん 2005/06/30(木) 08:06:37
山南も強いんじゃない?3流派で学んでるし。
あとは近藤、伊東、永倉、沖田、斎藤、谷、原田は強いんじゃないかと思う。

715: 日本@名無史さん 2005/07/10(日) 20:44:55
>>669
服部を二人がかり+多人数でも刀が折れるまで倒せなかった原田と永倉はヘタレ
まあ、地形を利用して一人づつ戦っていたっての聞いたけどそれでもヘタレ
最強は京洛一って言われていた服部

716: 日本@名無史さん 2005/07/10(日) 22:17:20
>>715
服部の「京洛一」てよく聞くけど、ソースは何?

724: 日本@名無史さん 2005/07/11(月) 22:33:01
>>716
ソースは無いよ。
ただ、奮戦ぶりが凄まじかったらしく
目撃者によると片手二刀、大の字で死んでいたらしい。

725: 日本@名無史さん 2005/07/12(火) 20:29:01
日野の土方の実家へ行ってきた。
思いもかけずのお屋敷で、お金持ちそうだったので、何だかムカついた。

732: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 22:54:58
>>725
近藤もお金持ちだったんだよ。
新撰組もいまなら金持ち不良が族をつくったようなもんだ。
武士だが貧乏でその日暮らしの御家人中心の族・見回組と仲が悪いのも理解できる。

734: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 23:26:38
でも結局、苗字を買えなかった豪農だからたかが知れてる

近藤の家は元々畜生といわれてた職業らしいし

748: 日本@名無史さん 2005/07/16(土) 17:29:14
>>739
近藤勇は子供の頃、「宮川の暴れん坊」と言われていたという。
ということは、近藤が幼少の時分に宮川家は同家苗字が近隣に知られていたということだ。
その頃すでに苗字御免の許しが宮川家に出ていたかどうかまでは知らない。
しかし、維新以前から宮川という苗字を使っていたのは確実だろう。
また、苗字の他にも、宮川家には名主の家から嫁入りしている等を考慮すると、名主層と同等の家格だと推定される。

752: 日本@名無史さん 2005/07/16(土) 19:38:01
近藤の義兄弟だった佐藤彦五郎や小島鹿之助も名主だし、土方の家も元名主?だという話もあるし、おなじ階層で仲良くしてたってことだろうね。

759: 日本@名無史さん 2005/07/17(日) 13:59:30
近藤の実家跡へも行ってきた。生家跡の前に「近藤」の表札のある昔の地主風のお屋敷があり、近藤の実家の宮川家が作った道場・撥雲館の記念碑が建っていた。土方の実家の方が金持ちそうだ。
でもやっぱり地主の豪農が偲ばれて、近藤も金持ちかと何だかムカついた。

761: 日本@名無史さん 2005/07/17(日) 23:49:24
>>759
土方の家でかいよね。でもあのへんは東京でも田舎なのか、周りの家もでかかったじゃん

767: 日本@名無史さん 2005/07/19(火) 23:30:58
試衛館はかなり貧乏だった。

770: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 19:04:50
>>767
試衛館ではメシを食わしてもらえるってんで、山南、永倉、藤堂たちの飲まず食わずの浪士連中が集まったんでしょ。
近藤の実家や仲間内の多摩の豪農からの寄付が大きいはずで、とても貧乏道場なはずがない。

771: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 19:15:14
飲まず食わずの食客が集まり過ぎて貧乏になったのでは?

だが、藤堂も山南も北辰一刀流の道場に通えていたと言う事はそこそこお金があったんじゃないか?

772: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 19:42:43
メシ食わしてもらえるから集まったんではなくて、近藤勇の人望で集まったって色々な小説に書いてあった。ただ、近藤勇の何が良いのかは、会ったことがないからわかんない。
西郷の人望もそうだけど、過去の人の人望の大きさって今では会えないから実感もっては分からないよね。

774: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 21:09:13
>>772
だから小説でなくて事実を推定すると、やっぱり浪士に稼ぎはないのだから、近藤の道場で“食える”から集まったのだ。
藤堂も山南も北辰一刀流の道場に通えていた・・って、門人3千人もいる千葉道場では一回行って門下生を名乗っても誰も疑問に思わない。
藤堂も山南も稼ぎのない浪士なのでその程度だろう

773: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 20:24:21
日本で初めての新聞記者、福地源一郎が「あの頃の町道場の主人は剣がいくら強くても人格的にまるでなってない手合いが多かったが、近藤はそれらの連中とは違い独り高く光っておった」と語ったそうだ。
道場は100坪くらいの土地に平屋で建っていてあまり見栄えは良くなく、下町の4流道場といった構えだったが近藤の私室は一流文人の書斎のようだったらしい。

778: 日本@名無史さん 2005/07/20(水) 22:03:16
藤堂も“津藩・藤堂の殿様の落しだね”と自称しているが、実際は足軽の子と言われている。足軽の脱藩者じゃ金どころか、食うにも困っただろう。いったいどうやって稼いでいたのか。
やっぱり近藤や土方のような豪農に食わせてもらっていたのだろう。

794: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 01:14:32
士農工商全部を体験してるって凄いな。

795: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 01:21:47
工は?

796: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 01:37:24
石田散薬を自分の家で作っていたらしいので、これを工と判断しました。

797: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 21:44:59
ワロタ

引用元: ・【新選組】土方歳三について語るスレ3【新撰組】