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1: 日本@名無史さん 02/06/30 00:34
昭和初期~縄文まで時代は問いません。
昔の障害者ってどんな生活をしていたのでしょうか?
知ってることがあれば教えて下さい。
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昔の障害者ってどんな生活してたの? 








7: 日本@名無史さん 02/06/30 00:47
めっかち、びっこ、めくら、はくち、色々言われ、近所で事件があると真っ先に疑われたようです。
実際は、こういう人が重大事件を起すことって、ニュース見てもわかるように、まったくと言っていいほどないんだけどね。

9: 日本@名無史さん 02/06/30 00:55
確か東北に多い、しろっこ=座敷童の正体とか言うのがあったな。

397: 祐天寺みゆき 2005/10/19(水) 02:28:02
小人はよくジャグリングをして客から見物料を取っていました。
江戸時代は、興行収入には課税されなかったので、今の舞台俳優などよりよっぽど高収入でした。今でもジャグリングの研鑽をしている小人はいますが、一般の劇場でショーを開くと、人権団体の猛烈な講義にあうので、縁日等で小屋賭け芝居をするしかないそうです。
かわいそうですね。
乙武洋匡さんがテレビ番組に出演して出演料をもらうのと、どこが違うのでしょうか。

403: 日本@名無史さん 2005/12/02(金) 11:13:47
>>397
そういえば、昔は小人プロレスとかあったのにね。

406: 日本@名無史さん 2005/12/30(金) 20:44:54
>>397
ミゼットプロレスなら昔「八時だよ全員集合」でやってたよな。ミスターポーンとかさ。
今じゃ絶対にあんなのできないだろうが。

ジャーナリストの本多勝一氏の妹が先天性脳性麻痺者で、70歳近くになって自伝を出したね。
戦前の田舎での障害者の扱いがわかる資料だよ。

414: 日本@名無史さん 2006/01/03(火) 06:48:41
俺の祖母の話によると近所に「びっこのこーちゃん」なるイザリの精薄男児がいて、思春期に去勢されたらしい。また、それとは別に、比較的裕福な家に狂女がいて、座敷牢に閉じ込められたまま亡くなったそうな。
またそれとは別に祖母の小学校の担任の男性教師が発狂。
その人は脳病院に入れられ、暴れるから四肢の骨を折られ、半年後に死亡。
いずれも昭和一桁の話。悲惨だよ、昔は。

415: 日本@名無史さん 2006/01/03(火) 07:09:30
障害者でも徳川家重はなんちゃらとかいうレスがあるが、身分ってもんがある
障害者じゃなくても、有力者や金持ちの年寄りがうば棄て山に捨てられたかよ。

416: 日本@名無史さん 2006/01/03(火) 07:20:07
>>415
姥捨山は棄老伝説に過ぎないけど、身分や財力の違いは大きいよね

424: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 20:13:47
>>415
重度ならともかく、日常生活が送れる程度の軽い障害なら身分の高い方がよいに決まっている。
一般人に比べて高い教育を受けられる上に、少なくても表面的には敬わなければならないから、比較的幸福な生涯を送られる。

417: 日本@名無史さん 2006/01/03(火) 10:40:18
皇家だと池沼が産まれると殺されたり闇に葬られてきたって聞いた事がある。
生涯掛けて天皇家って仕事をまっとうするんだもんな。色々と大変だよな。

426: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 20:10:17
総合失調症を患う人々はどういう扱いを受けたんでしょうか。
障害者とは分けて考えるべきかもしれませんが。

428: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 23:06:04
>>426
島崎藤村の「夜明け前」では、最後は座敷牢に入れられたような・・・
でも、あれはあくまでも小説だしね。 
429: 日本@名無史さん 2006/01/11(水) 22:05:56
>>426
明治時代の「精神病者監護法」では私宅監置が認められてるよ。警察庁の許可を得ないといけないけど。・・ということは江戸以前は公然と行われていたんだろうなあ。昔は精神病院もないし、当然クスリもないし。

ちなみに、鹿児島の離島や東北の山奥の村々では1970年頃まで精神障害者を自宅に閉じこめる、という事例がちらほらでていたらしい。
ガクガクブルブル。

451: 日本@名無史さん 2006/01/18(水) 20:38:56
我々30代の祖父母(明治30~40年くらいの生まれか?)が生まれた頃までは、今のように避妊技術も発達しておらず、健康な子供でさえ経済苦から育てきれない農村部などでは、生んだ直後に殺す事もあった らしい。(まびき)まして、障害者ともなれば・・・。

453: 日本@名無史さん 2006/01/20(金) 02:02:44
障害者が居場所を確保したのは単に社会の分業化の賜物
分業の契機である農耕社会の発生・発達を、障害者という観点から分析すると面白いかもしれないね。

454: 日本@名無史さん 2006/01/20(金) 22:34:50
日本の精神障害者はまだ宗教の偏見がないからマシ。
欧米だと魔女裁判や強制収容所いきだよ。

456: 日本@名無史さん 2006/01/27(金) 15:03:03
秀吉は指が6本ある多指障で、相当な迫害も受けたのだろうが、彼はむしろそれを利用した感がある。珍し者好きの信長に気に入られた要因の一つにもなったし、同僚の嫉妬を抑える効果もあった。
天下人になってからは気にしだしたようだが、それ以前にはそんな素振りもなかった。
器が違うっつーかなんつーか。俺だったらすぐ切りとっちまっただろう。

457: 日本@名無史さん 2006/01/27(金) 15:58:06
自分で切断しようかと思ったらしいけど、母親好きであり、親から貰った体を傷つけるのが嫌で切断するのを止めたと自筆の手紙に書いてたと本で読んだことある。

前田利家の日記にも「太閤殿下は指が六本ある云々」と書いてたらしいね。
これは、新潮新書「モナリザは高脂血症だった」に載ってた記憶がある。

466: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2006/02/04(土) 16:13:05
>457
日記ではなく、『国祖遺言』です。しかし、よく出て来る割に今ひとつはっきりしない話。

458: 黒羊 ◆N7qmqkEULs 2006/01/28(土) 22:32:37
僭越ながら障害者保護についてこの場をお借りして語らせていただきます。
身体障害者の保護が明文化されたのは律令制下でのことです。
障害者は戸令で障害の程度で残疾、廃疾、篤疾の3つのランクに分けられ、それに応じて税の減免や介護人(侍丁)を任命して保護されました。
介護人(侍丁)は高齢者にもつけられ、福祉政策はかなり進んでいました。

459: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 23:14:20
>>458
しかし、実際に行われたかどうかは定かではない。
各地で散見される「福子」「宝子」も律令の影響を受けているのかどうかは不明。

現代に目を向けても昭和23年に教育基本法が定められた時、盲学校、聾学校は、逐年義務化されたが、養護学校は放置。実際に義務化されたのは昭和54年からという経緯がある。

法律(律令)に明記されていたから実体を伴っていたとするのは早計では?

463: 黒羊 ◆N7qmqkEULs 2006/02/02(木) 00:47:39
正倉院文書には写経生が高齢となった親の侍丁として帰郷しなければならないといった主旨の辞職願が残っています。当時の籍帳には残疾、廃疾、篤疾の記載されいますので、私は実施されていたと思います。
確か岸俊男(氏)の著作だったかと記憶しているのですが、参照した資料が学生時代のコピーでタイトルを紹介できないのが残念です。内容的には行政側の積極的な介入ではなく、不作為によって実行可能なものですので、当時の政府規模であっても施行は可能であったのではないでしょうか?
実際的な問題として廃疾、篤疾といった重篤な障害があれば、調はともかく徭役の提供は困難だったでしょう。

476: 日本@名無史さん 2006/03/15(水) 12:18:40
歴史上、もっとも有名な障害者って誰?

477: 日本@名無史さん 2006/03/15(水) 19:48:08
>>476
ベートーヴェン

478: 日本@名無史さん 2006/03/15(水) 22:30:08
普通に考えてヘレン・ケラーでは?

479: 日本@名無史さん 2006/03/16(木) 14:48:26
障害者ゆえに有名だった人ではなく、ふつうに功績がある障害者っていう人を教えてください。

481: 日本@名無史さん 2006/03/17(金) 00:48:21
>>479
日本史板だから日本限定で考えるとして、有名人ということだから、教科書に載っているとか国民の多くが知っているという風に捉えると 
多指症を障害に含めるならば、豊臣秀吉
盲人では塙保己一(群書類従の編纂)
知的障害では山下清
どこまでを障害者として考えるかによるけど
山本勘助、伊達政宗、大谷形部、野口英世も障害者に入るかな。

480: 日本@名無史さん 2006/03/16(木) 19:49:40
アメリカのルーズヴェルト大統領は車椅子だったんだよな。
テレビがまだ一般的ではない時代だったから、国民の殆どは知らなかったらしいが。

493: 日本@名無史さん 2006/03/21(火) 11:12:36
障害者の中には、お遍路さんや全国を障害者しか知らない裏道を使って旅をしていたって忘れられた日本人に書いてあった。
うらのネットワークがあったんだねぇ

あと手話にしても正式なもの以外の古来からの聾唖者の間で受け継がれたものがあるそうですね。

494: 日本@名無史さん 2006/03/21(火) 13:05:47
>>493
手話に関しては難しいね。何をもって正式なものとするか、から始めなきゃならないくらい個人差、地域差(学校差)が大きいし、全日本聾唖連盟発行の本に載っているのが正式なものとするとかなり、京都色が強いし・・・

それに手話は聾唖者集団があってこそ、成り立ち、発展していくもので聾唖者は視覚障害者のように早くから組織化されていたわけではないから、せいぜい一代限りのホームサインに終わってしまうことが多い。

狂言の演目に聾唖者が出てくるものがあるらしく、そこでホームサインが使われていた というのは「手話の世界」という本にも出てくるが、これを手話と呼べるかどうか。

「みんなが手話で話した島」という外国の例の翻訳本があるけど、日本でも九州の方に聾唖者が多く生まれる島があるらしい。そこではもしかしたら、島の聾唖者同士で通じる別系統の手話があった可能性はあるね。

497: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 19:01:57
言語障害の将軍もいることだし
少なくとも江戸時代後期には普通に生活してたんだろうなぁ

499: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 20:08:53
目の見えない女にはゴゼなんて職業もあった。

500: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 11:21:30
風が吹けば桶屋が儲かるの意味は

風が吹く→埃で眼を傷める→三味線引きが増える→三味線を作るには猫の皮が必要
→皮を加工するのに桶が必要→桶屋(゚д゚)ウマー

502: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 12:43:09
>>500
俺が知ってるのは
風が吹く→埃で眼を傷める→三味線引きが増える→三味線を作るには猫の皮が必要→猫が減ると鼠が増える→鼠が桶をかじる→桶屋(゚д゚)ウマー
だったが・・・

501: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 11:48:26
農村でなら、体が動けば地域社会に守られてなんとかなりそうだけど、手足が不自由だときつそうだね

569: 日本@名無史さん 2006/08/25(金) 01:20:08
青森県日本海側一部地域の津軽地方(旧津軽藩)の視覚障害者は、津軽三味線奏者や民謡歌手になり、生活の糧にしてました。仕事と言っても特に無く、大道芸人みたいな者でした。日本の偏狭である津軽では、大道芸として町中で披露しても、誰も振り向きもしないのが現実でした。
そこで門付けと言われる、各家々を回り玄関先で三味線を弾いたり民謡を歌うなどをしました。しかし地元津軽では、視覚障害者の事をボサマと蔑み迫害してきました。
門付けに行けば、ボサマ(盲目)・ホイド(物請)と蔑み嫌いました。中には投石や棒で叩き追い回す子供等もいました。津軽では門付けすらまま成らない状況でしたので、東北一円を回ったと言います。

現在ではメジャーな津軽三味線ですが、悲しい歴史が有ります。盲目の三味線奏者が涙を堪え、生きる為に発展した津軽三味線。津軽三味線が泣き三味線とか恨み節と呼ばれる所以です。

津軽三味線奏者や民謡歌手等は、昭和40年頃迄差別迫害されてました。

【津軽三味線・歴史】等でググれば沢山史実が見つかりますよ。


追記
津軽=青森県と勘違いする方が居ますが、津軽は青森県の一部地方です。
青森県全域では無い事を付け加えます。

589: 日本@名無史さん 2007/02/25(日) 15:34:02
土方歳三の兄貴って目が見えなかったんだろ?
でも、女を買いに歓楽街に出かけたりしているし、よっぽどの事が無い限り殺されるってのは無いだろうなぁと思うけど・・。

604: 日本@名無史さん 2007/12/24(月) 21:23:53
性病で足腰が立たなくなった娼婦は舟で移動し売春していた。
これを 舟饅頭 と呼ぶ。 江戸期。

606: 日本@名無史さん 2007/12/30(日) 08:08:53
ビートたけしの「座頭市」は昔の盲人のありかたというより
知的障害者の息子のほうが印象に残った。

引用元: ・昔の障害者ってどんな生活してたの?



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