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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/21(月) 19:33:17 ID:rzrHfn0A
織田信忠(1557~1582)

信長の嫡男。
松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。
信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。
本能寺の変の際、二条御所で自害した。
関連記事
*  織田信忠  * 









4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/21(月) 19:36:10 ID:WxrHtzvR
「こいつは奇妙な顔をしておる。名前は奇妙丸じゃ!」

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/01(金) 08:46:46 ID:BMVwLbV0
信長が死んで信忠が逃げ延びたら、今頃『本能寺信忠黒幕説』一色だっただろうな。

227: 人間七七四年 2007/06/02(土) 20:27:43 ID:NjLAssnv
能道具を取り上げられたのに腹が立ったのでやった、今は結構後悔している

228: 人間七七四年 2007/06/02(土) 21:49:20 ID:OB3AboMk
んなアホなw

と思ったけど、考えてみりゃ明智の謀反は折檻を食らった怨恨説とかもそれと大してレベルは変わんないか。

235: 人間七七四年 2007/06/12(火) 22:19:07 ID:+KrHmtTo
本能寺襲撃は本城惣右衛門覚書にもあるように相手が誰だか分からなかった者が多かったようだが二条御所包囲時には相手が信忠を始めとする織田方と分かり戦意が落ちた兵も多かったとか。
そうしたことを考えると信忠が逃亡して明智方と遭遇したとしても討たれたとは限らないかも知れん。上にもあるように信忠の顔の分かる兵などいくらもいなかったろうし。
元々明智軍の中で相手が信長・信忠父子と知ってた者はほんの一握りだったし。すでに言われてるように家康を討つと勘違いしてる者も少なくなかったようだ。

246: 人間七七四年 2007/07/11(水) 22:52:21 ID:TfeBrO6e
濃姫スレの手にかかると、信忠が「御方」にあてた手紙も濃姫あてらしい。
まぁ確かに、通説の信雄あては苦しい。信雄は家臣だから、目上に向けて書かれた文体は変すぎる。
この「御方」宛ての手紙は、何故か真田家に大切に保管されていたそうだが真田昌幸と信繁が関ヶ原後に高野山に出されているので、三法師経由で真田家に流れたのかなと思った。
武田攻めの時なんかだと、臣従したばかりの真田にああいう身内に宛てた手紙を渡すとも思えないし。
数え年3歳で父を亡くし、父のことをあまり覚えていない三法師に、昌幸や信繁が武田攻めの時の信忠の思い出話でもしたのかなとか思うとほろりとする。
参考
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館~北陸の旅⑥2010春


247: 人間七七四年 2007/07/11(水) 23:02:57 ID:3RypNJ6b
濃姫宛というより、濃姫を筆頭とした城の留守居役への報告みたいな方向でスレでは話しがまとまっていたと思うが。
あと、信忠が書いたものだが、書かせたのは信長ではないかとも。
それなら、書状の中で「信長」と呼び捨てにしているのも納得はできる。

248: バロン曽志崎 2007/07/11(水) 23:24:47 ID:I17S0OBG
>>246 
その文書は本来「小川文書」と称される物で真田家とは直接関係が無い。 
現在の所蔵者が真田家(というより真田宝物館)というだけ。 
「小川文書」にはその他「茶筅宛」文書が複数伝わっており、「御方」が公家衆などの尊称としての用例(「兼見卿記」等)が確認出来ることから、近年は北畠家の後嗣となった信雄宛(もう少し広く北畠家中宛か)と判断されている

250: 人間七七四年 2007/07/12(木) 00:43:50 ID:2SVDbtgS
信雄宛で「御方」でもおかしくはないんだろうけど
なんか不自然な感じはするんだよな。
他にも信雄宛が「御方」になってた例ってあるんだろうか。

251: 人間七七四年 2007/07/13(金) 12:59:02 ID:E7ih/Bkz
信雄宛で「御方」はあきらかにおかしいよ。
信雄になら「北畠○○(役職)殿」と書くのが普通だろ。
「御方」と書かれているということは、宛名の「御方」とは誰かすぐ特定できるからだろう。だとすると、初陣でもあった信忠が、合戦の報告を濃姫宛で、留守居役も含めた城の人に伝えるためだと考えた方が自然だ。

254: 人間七七四年 2007/07/21(土) 16:15:17 ID:YTikehNN
信忠は、氏郷・忠興・長可・秀政らの同世代の生きのいい連中を使いこなせたかな。

255: 人間七七四年 2007/07/21(土) 17:54:01 ID:foXH+Bmf
信忠は甲斐攻めで普通に滝川、河尻を使いこなしてたから使いこなせる可能性は随分高いと思う
滝川なんて秀吉ですら使いこなせなかったんだぜ

256: 人間七七四年 2007/07/21(土) 18:19:59 ID:rRJY5hys
確かに武田攻めの手際は素晴らしかったな。

257: 人間七七四年 2007/07/22(日) 17:42:53 ID:Di5Q2xH8
それなのに戦国史の泰斗と言われる高柳光寿が「信康事件は信忠より優秀な信康を信長を怖れて殺させた」なんてことを言ってたのは?だな。
しかもその後もそれを踏襲する作家らも多くいるし。
信長も信忠もいい迷惑だ。

258: 人間七七四年 2007/07/22(日) 22:06:08 ID:qcS0XvID
そう、それに信長に告げ口したとされている徳姫も。

259: 人間七七四年 2007/07/24(火) 15:59:28 ID:HyBBCzbr
信忠時代が到来した場合
津田勝長、斎藤新五、丹羽長重、前田利長、蒲生氏郷
が大身かな。血縁的に
後、弟の穴で森長可

261: 人間七七四年 2007/07/25(水) 22:02:56 ID:ALHnN/XE
>>259
軍団的には
河尻父子と滝川一益は更に大きくなると思う

262: 人間七七四年 2007/07/25(水) 22:51:38 ID:IS02tATX
柴田→前田利長
明智→津田信澄
信孝→丹羽長重
滝川→津田勝長

って感じに準血族に軍団を引き継がせつつ縮小かなぁ
信雄と羽柴は思いつかないが
あんまり近い血縁ってのは危険なんで信孝と信雄、次いでに秀勝は信忠時代に芽がないじゃないかと
勝長は元服まで人質で織田家中に人脈が無い+すぐ信忠預かりだから例外的に兄弟では力を握りそうだが

263: 人間七七四年 2007/07/25(水) 23:00:26 ID:ALHnN/XE
>>262
勝長つーか信房は地理的に河尻の跡が適任じゃないかな?
秀勝は同じく養子になってる二人の弟とは違ってそこまででもないと思う

265: 人間七七四年 2007/07/26(木) 22:20:09 ID:30oKPiRD
軍団という制度自体、天下がほぼ固まれば解消されるだろう

266: 人間七七四年 2007/07/26(木) 22:57:52 ID:SgvGQvPI
しかし頭っから解体しますよーといって納得させるほどの独裁権はない訳で

272: 人間七七四年 2007/07/28(土) 21:47:43 ID:vtJpoplO
いきなり軍団を解体するとどういうコトになるか

所々に不満が出る
彼らは別の誰かを担ぐ
担ぐのは自分たちの見知った、共に戦場で戦った大将
あるいは自分の所領を奪われた大将自らが叛旗を翻す
さながら明智光秀が本能寺の変を起こしたように
奇跡的な速度で秀吉が帰った為に細川も筒井も味方しなかったが
そうじゃない場合はどうなることか

ゲームの様に武将を鉢植えすることなど出来ない

273: 人間七七四年 2007/07/28(土) 21:52:07 ID:F9Eau+sS
>>272
それができるんだよ 信長はそれができる体制を整えた
だから信長は凄かった

大体佐久間軍なんて一瞬で解体されちまったじゃねーか

274: 人間七七四年 2007/07/28(土) 22:01:17 ID:vtJpoplO
佐久間の配下は他の戦場に回されたからね
でもわかってる?解体ってコトは在る物を無くすってコトなんだよ
リストラするってコトなんだよ?

275: 人間七七四年 2007/07/28(土) 22:04:43 ID:F9Eau+sS
>>274
みんな自分の領土に戻せばいいだけのこと
一応言っておくが明智の丹波攻めは与力として一時期あの丹羽さんがいたこともあるからな
信長の力をもってすれば領土も軍団も鉢植えをするが如く

277: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 06:50:39 ID:KL3EwxpR
>>275
丹波攻めに丹羽や滝川が参加したのは、明智の与力としてではないだろ・・・

278: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 17:20:22 ID:XYpCysDM
軍事力を集中させて敵を叩いたり、指揮系統をまとめあげることが軍団制のメリット
だから天下平定後に軍団は解体されるだろうけど、人脈は残るだろうね
というか実際に豊臣・徳川の時代に何が行なわれたかを参考にすれば良い

293: 人間七七四年 2007/08/30(木) 21:16:16 ID:ptHtcLhw
本能寺の時に、光秀は信忠が別の場所(妙覚寺)にいるとは知らなかったぽいね。
逃げられる可能性は無かったかな?

294: 人間七七四年 2007/08/30(木) 21:44:40 ID:5OU+5S+a
結果論で言えば、一緒にいた長益が生き延びているんだから、逃げれば間違いなく生き残れたと思って良いだろうね。

306: Y ◆nzdGjBH722 2007/09/09(日) 01:29:32 ID:YJcJYMky
>>294
問題はむしろ逃げた後じゃね?
近江方面に逃げても京極阿閉山崎とか明智派ばかりだし、安土は秀満が占拠している。
柴田も上杉方面で釘づけで、逃げるとすれば大坂の信孝のところくらいなもんだが、信孝の軍も霧散霧消してるし、秀吉が中国で釘づけになる可能性が高かった以上逃げてもいずれ明智にやられる可能性が高いとおも。

307: 人間七七四年 2007/09/09(日) 02:19:15 ID:e5Mrro2f
>>306
時系列めちゃくちゃ
安土を占拠したのは本能寺の変の後、山岡景隆が焼いた瀬田の唐橋を修復して渡った後
信孝軍が瓦解したのも(当主・嫡子戦死という形での)変の報が伝わった後

そもそも脱出っていう選択肢自体が思いつかないだろ
後世から見れば周囲への根回しも甘く、逃げおおせた連中もいる謀反だが、実際混乱の京都にいて、京近郊の坂本・亀山を抑え、筒井細川を与力とする重臣・光秀が謀叛を起こしてすでにあの父・信長が殺されたとなれば、逃げおおせられないと悟るほうが当然

295: 人間七七四年 2007/08/31(金) 00:50:07 ID:FSipNHR5
>長益が生き延びているんだから

首の重さが違う

296: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/31(金) 00:58:54 ID:pxsp9lGb
>>295
確かに同じように逃げても長益なら逃げ延びられても、信忠では逃げ切れなかった可能性が高いな。

297: 人間七七四年 2007/08/31(金) 01:10:14 ID:oDQyW1ao
首の重さは違っても、逃げられたと思われ。
長益であろうが、もし捕捉していたら逃がすわけもない以上、捕捉されなかったと見るべきで、長益と一緒にこっそり脱出に成功した段階で、史実の長益通りに逃げられた可能性が高いな。

299: 人間七七四年 2007/09/01(土) 21:33:04 ID:BfDdhFg/
そういえば、長益ってどう逃げたのか具体的に書いてある資料ってあるの?

310: 人間七七四年 2007/10/06(土) 02:57:37 ID:NcXSYXiF
俺の中での脳内イメージ・・・
織田信忠=すごいお人良し→配役は玉木宏がぴったり!

311: 人間七七四年 2007/10/06(土) 08:33:39 ID:k82a6DUj
たぶんみんなそんなイメージ
実際には
・信長と戦略のことでモメた
・本能寺の変の際信長に真っ先に疑われた 「謀反です!」「信忠か!?」
・二条城では自ら刀を振るって奮戦

312: 人間七七四年 2007/10/06(土) 15:38:58 ID:Eb49smEH
>>311
いつまで三河物語の適当な捏造信じてるんだよ。
信長が織田家の菩提寺と定めてた崇福治の信長信忠の墓は一体化してるのに。
あんな権力者が親子で同じ墓に入ってるんだよ。
まぁ遺体はそこには無いが、信長が信忠を疑った証拠があったらそんな配置にする訳ない。
三法師が家督を継ぐのも厳しかろう。


313: 人間七七四年 2007/10/08(月) 23:41:50 ID:9KySO5G6
信長の「城介が別心か」という返しは謀反と言われて
「現在の京で自分以外に軍を持っていて動かせるのは信忠しかいないはず」
という認識からのものだと思う。
「自分に対して謀反を起こしそうなのは信忠しかいない」なんて考えからではないと思うな。少なくとも、以前からそんな思いを抱いていたのなら、信忠と一緒にいるのに自分は軍隊を持っていない状態でいることはやらないだろう。

317: 人間七七四年 2007/10/24(水) 05:04:33 ID:YlXNvLPy
信忠って小説とかで美形描写される事が多いけど、実際にそう言う事を伝えてる文献ってあるの?
美男美女の家系だから信忠もそうだろうとか、松姫と美男美女同士の方が、より悲恋的だとかっていうイメージから来てるのかな?

319: 人間七七四年 2007/10/24(水) 05:31:30 ID:oKk/FIlI
やはり伝わってる肖像画は、江戸時代のものかな?

320: 人間七七四年 2007/10/24(水) 12:14:50 ID:eGnqc3oe
いわゆるお約束のような文句、「織田家は美男美女の家系」ってヤツの最古の出典というか、言い出しっぺは誰なのか実はずうっと気になっている。

>>319
信忠の肖像・・・、大雲院にもあったな。
この夏の特別公開にわざわざ出かけたのに、残念ながらパンフが行方不明だ。

321: 人間七七四年 2007/10/24(水) 18:44:38 ID:YlXNvLPy
大雲院の肖像画って父子セットのやつだっけ?
信忠が信長にそっくりで初めて見た時興奮した。
見たの本でだけどw

322: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/24(水) 19:01:28 ID:qiDszr+K
岐阜城にある信忠肖像画
no title

326: 人間七七四年 2007/10/24(水) 19:59:29 ID:WnL4IE/j
>>322
の信忠は26歳未満にしては、ふけて見えるな。

俺が以前どこかで見たのは、丸顔に父親譲りの鼻、目元はもっと凛々しかったが・・・

327: 人間七七四年 2007/10/24(水) 20:07:07 ID:N6rhAjHW
でもパッチリ二重だな

331: 人間七七四年 2007/10/27(土) 18:33:52 ID:H+x/eZf0
丸顔の多かった日本では面長は美形の条件だったからね
今で言うシャープな顔立ちだな
そう考えると美男子の概念は意外と変わってないのかね

332: Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/29(月) 01:48:49 ID:N8A/BtSu
でも肖像画の信忠は丸顔なんだよな・・・

334: 人間七七四年 2007/10/29(月) 09:22:30 ID:YlGIECc9
ああいう肖像画は江戸時代に描かれたものが多い。
当時の当主の顔をモデルにしてるのかな?

335: 人間七七四年 2007/10/29(月) 12:26:27 ID:Vp6yesI1
岐阜城にあるという肖像も、信忠死後に描いたものだろう

336: 人間七七四年 2007/10/30(火) 20:25:44 ID:SAoq8Y8+
松姫に手紙とともに贈られたっていう肖像は残ってないのかな?

337: 人間七七四年 2007/10/31(水) 03:43:03 ID:h0M7IYhB
物語やドラマのエピをそのまま信じてる人が・・・

338: 人間七七四年 2007/10/31(水) 04:07:37 ID:Y8jDDEAG
別に実際に贈られたものが出てきても不思議はないけど

339: Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/31(水) 22:43:41 ID:I9dFt7oD
そういえば松姫と文通していて云々と悲恋に描かれることはよくあるけど、あれってソースは甲陽だよね?実際はどうだったんだろう・・・?甲陽みたいにとはいかなくてもそれなりに信忠は一目置いていたんだろうかねぇ・・・。

344: 人間七七四年 2007/12/14(金) 11:53:27 ID:djt4+HXT
26歳で自害にまで追い込まれて不運だよな。せめて与えられた二国のどちらかに滞在してれば後を継いで優秀な家臣達に助けられ統一もあったろうに…優秀な信忠なだけに残念だ。その息子秀信も傀儡状態で25歳で病没も哀れでたまらない。

345: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/14(金) 12:55:14 ID:jKQnkJXH
>>344
つーか京都以外に滞在していれば、例えば当初の予定通り家康の接待に堺に行っていた程度でも本能寺は起きなかった。

346: 人間七七四年 2007/12/14(金) 13:53:10 ID:djt4+HXT
いずれにせよ光秀は殺意満々だったから6月中には変は起きてただろうな。

347: 人間七七四年 2007/12/14(金) 15:41:07 ID:w5TyOgAr
殺意があろうと無かろうと実行に移すかどうかは別
光秀は稀代の謀将として腹黒さは天下に響いてるが信長・信忠・家康が鴨葱状態じゃなけりゃ殺意は見せない

356: 人間七七四年 2007/12/16(日) 13:04:26 ID:PRfgUxqH
信忠が生きていても天下は治まっただろうか?
秀吉・家康が黙って従っただろうか?
勝家は従っただろうが・・
次男三男が歴史から消されたのをみても、生きていても謀殺されたと思う。

360: 人間七七四年 2007/12/16(日) 23:29:40 ID:heg1j4vb
>>356
信忠が生きていた場合、秀吉は三法師擁立のカードが無くなるのでこの時点で芽はない。
家康も織田家が分裂してガタガタにならない限り何もできない。
架空戦記ならともかく、二人とも勝算のない賭けに出るほど無謀じゃないだろう。
勝家は史実でも天下への野心を見せなかったのだから、正当な後継者の信忠が生きていれば尚のこと。

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/16(日) 13:22:46 ID:83NN4gQQ
つーか秀吉なんてそれこそ織田のつけてくれた与力が無きゃ何も出来ないんだから、信忠が生きてて織田家の指揮命令系統が機能している状態なら手も足も出せないわな。

359: Y ◆VqSh5C7CR6 2007/12/16(日) 17:58:20 ID:vYFLHMIx
そもそも所有石高が違いすぎるわな。本能寺直前じゃ秀吉の石高は56万石、以後でもせいぜい80万石程度かそれ以下
一方の信忠は軽く100万石を越えている、おまけに信忠が生きていては柴田池田あたりは信忠側につく、こんな状態で秀吉に何ができるというのか。
家康にしてもすんなり反乱起こせるほど生ぬるい状況ではない。

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/16(日) 23:55:42 ID:83NN4gQQ
信忠が生きていたら、織田家の武将筆頭格は滝川になっただろうな。

362: 人間七七四年 2007/12/17(月) 21:48:06 ID:4xQRJehH
森長可あたりもかなりの要職に就くだろ
なんせ弟三人が本能寺で信長に殉じてるから同情もあるし元々信忠の信頼も厚いし
池田っつー後ろ盾もあるしな

365: 人間七七四年 2007/12/18(火) 00:51:22 ID:AZoJ4MuG
その後の織田政権について親父と話したりしてたのかな
既に家督は譲られてるし勿体無かったね

引用元: ・*  織田信忠  *



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