51C3GX7GECL



1: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:17:37 ID:FVW
をすこれ
それ以外は語れんけど








3: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:19:45 ID:lOu
魯とかいうでかいだけの雑魚国家

5: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:21:21 ID:lOu
まさに魯鈍

8: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:32:50 ID:lOu
戦国はまだわかる
春秋は国多すぎ

11: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:36:06 ID:8XE
とりあえず春秋五覇と戦国の七雄覚えとけばいいやろ
春秋五覇(しゅんじゅうごは)は、中国の春秋時代に周王朝に代わって天下の事を取り仕切った覇者を5人挙げたものである。たんに五覇(ごは)ともいう。誰を以て五覇とするかは文献によって違いがある。

「五覇」という言葉は、『孟子』告子下に見えるが、孟子は斉の桓公以外の具体的な名前をあげていない。

後漢の趙岐注では斉の桓公(在位紀元前685年 - 紀元前643年)
晋の文公(在位紀元前636年 - 紀元前628年)
秦の穆公(在位紀元前659年 - 紀元前621年)
宋の襄公(在位紀元前651年 - 紀元前637年)
楚の荘王(在位紀元前614年 - 紀元前591年)
の5人を挙げている。応劭『風俗通義』五伯篇、『史記』十二諸侯年表につけられた唐の司馬貞『史記索隠』も同様である。

これに対して、『荀子』王覇篇では、秦の穆公・宋の襄公がなく、それにかえて呉王闔閭(在位紀元前515年 - 紀元前496年)越王勾践(在位紀元前496年 - 紀元前465年)の2人をあげている。



450px-ZH-战国七雄地图


戦国七雄
(せんごくしちゆう)は、中国の戦国時代に有力だった七国を指す言葉。春秋時代の中国には邑の連合体から成る数多くの国家が存在したが、弱小国は大国に次々と併呑されていき、領域国家へと成長を遂げた秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に収斂した。この七国を戦国の七雄ともいう。


9: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:34:25 ID:xrY
三国志では蜀が雑魚扱いやけど、戦国時代は秦が強い(のか?)不思議

12: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:36:23 ID:lOu
>>9
北伐成功して長安涼州を手に入れた蜀が秦
楚はほとんど呉の地域
魏のあった中原には五カ国がひしめき合ってた

13: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:37:46 ID:2Zw
>>9
秦だけは商鞅の政治改革が上手くいっていた
蜀は元々豊かなうえ関中も有している
対抗馬の晋は分裂、斉は連合軍に大敗、楚は秦昭王の時代にボコボコにされてた
商 鞅(しょう おう、紀元前390年 - 紀元前338年)は、中国戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも秦軍に攻められ戦死した。


15: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:39:19 ID:8XE
趙、魏、韓ってどこが分裂したんやっけ?

16: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:39:40 ID:2Zw
>>15
三晋(さんしん)は、戦国時代の中国における趙、魏、韓の三国の総称。後に山西省の別称となった。春秋時代末期、晋は趙、魏、韓の3国より分割された。

24: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:45:07 ID:lOu
韓魏趙は姓だよな

26: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:45:41 ID:kyn
>>24
氏やで

28: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:46:50 ID:lOu
>>26
氏姓わからん
教えて

34: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:51:31 ID:kyn
>>30
タイピング面倒やからwikiのスクショにするわ


no title

no title

39: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:55:56 ID:2Zw
姓は血族を表し氏はその中の特定の集団を表す
氏の付け方は地域名や職業に由来
趙国王だったら姓は?だが趙城に封じられたので趙氏を名乗った

35: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:52:50 ID:lOu
wikiでわかったら苦労せんのよなぁ

40: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:56:10 ID:kyn
>>35
スマンな
姓は血縁な大本を示すもので
氏は封建されたところの地名や官職名が由来になるイメージや

42: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:57:57 ID:lOu
>>40
姓は同じでも氏が違うとかあるんか


韓魏趙の由来はなんやろ

49: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:01:07 ID:kyn
>>42
韓は晋の君主一族で韓の地を貰ったから韓氏を名乗ったんや
魏は晋の家臣畢万って人が魏の地を貰った時に魏万と名乗ったのが始まりや
趙は周の家臣で功績あった人が趙の城を貰ったのが始まりやで

47: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:59:45 ID:2Zw
>>42
普通にあるで
魏、韓はどちらも姫姓(周の国姓)の出だがそれぞれ魏、韓の地に封じられたので氏をこれにした
趙は>>39

50: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:01:35 ID:wSS
>>47
後の時代は姓よな?

56: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:05:08 ID:2Zw
>>50
漢のころには姓氏がごちゃごちゃになってどっちでも血族集団を表すようになったで

20: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:42:08 ID:xrY
その後中国の王朝名になる国の名前は春秋時代の国名なん?

22: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:43:54 ID:2Zw
>>20
周にあった国名が地域名になる
その地域に封じられた王公やその地を本拠にした者がその名前を国号に使う
例外として隋や元以降はそのルールに縛られなくなるけどね

21: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:43:15 ID:8XE
牛耳るとか
合従連衡とか
呉越同舟とか
なんかそういうのの宝庫よな春秋戦国時代って

25: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:45:25 ID:kyn
宮城谷昌光の小説を読んでおけ

27: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:46:06 ID:8XE
>>25
多すぎるんよな
ちょっと読んであとは史記の現代語訳にあたったほうがよさそう

29: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:47:59 ID:kyn
>>27
せやな
史記初心者なら徳間書店のがオススメや
名シーンの抜粋やから比較的手軽に読めて面白いンゴ

33: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:49:30 ID:8XE
>>29
徳間書店の史記と十八史略は昔読んだわ
あと陳舜臣の小説十八史略
岩波ちゃんとしたのは読んでない

49: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:01:07 ID:kyn
>>33
中国英雄板の猛者曰く「中国古典なら明治書院」らしい

43: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)20:58:19 ID:8XE
正史のなかで史記だけ日本での扱いがええのはなんでなん?
やっぱ読みやすいの?

56: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:05:08 ID:2Zw
>>43
対抗馬
漢書→物語性が薄くてつまらない、武帝紀までの面白い部分は史記でカバーできる
後漢書→漢書と同様、しかも高い
三国志→言わずもがな
その他→もれなく原文で読む苦行が発生

75: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:18:20 ID:8XE
昔は三国志より史記のほうが人気あった印象
宮崎市定とか武田泰淳とかの本読んでると史記の逸話はみんな知ってて当然みたいな書きっぷりやし

77: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:18:50 ID:kyn
そもそも春秋戦国時代は誰が主役かわからんからな

89: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:28:31 ID:FVW
とにかく曹は外交(笑)のイメージが強すぎて
曹 沫(そう ばつ、生没年未詳)は、魯の荘公に仕えた将軍。

隣国で強国の斉は魯に度々攻めこんできて、曹沫は魯の将軍として防いだが防ぎきれず、領土を取られて行った。不利な魯は、遂邑の献上を申して和議を申し込んだ。桓公はそれを承諾した。盟約の席で荘公が遂邑献上の誓約書を書こうとすると、曹沫が飛び込んできて、匕首(暗器の一種)を桓公に突きつけた。曹沫は桓公に一喝して、自らの敗戦を償うべく、今までに取った魯の領地を返す事を強引に認めさせた。桓公が誓約書を書き終わると曹沫は匕首を投げ捨てた。

桓公は脅されて行った誓約など無効だと考え、臨淄に帰ると遂邑などを再び奪うための軍を起こそうとした。しかし宰相の管仲に「覇者としての信望を守るためには、たとえ脅されて行った約束でも守るべきだ」と諌められ、思いとどまった。

91: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:29:59 ID:kyn
>>89
左伝や国語読んだら評価変わるやろ

93: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:31:17 ID:FVW
>>91
あの斉を破ってるんだよなぁ

95: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:32:57 ID:kyn
>>93
ホンマになあ
史記のあの部分だけ読んで理解した気になっとるにわか結構おるよな

92: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:30:45 ID:ii0
春秋戦国時の読み物2冊読んだら呉起の評価がまるで違ってて困惑
1冊はありあまる才能を持ちながら色々不運だった悲劇の人
1冊は人格最悪な出世亡者のクソ野郎
呉 起(ご き、紀元前440年 - 紀元前381年)は、中国戦国時代の軍人、政治家、軍事思想家。孫武、孫臏と並んで兵家の代表的人物とされ、兵法の事を別名「孫呉の術」とも呼ぶ。死後兵法書『呉子』の作者に擬せられた。


94: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:32:37 ID:2Zw
>>92
どちらも呉起の一面だけしかとらえてない
出世のために妻を殺し兵士を利用したのも呉起であれば大才を抱きながら横死したのも呉起や

100: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:34:36 ID:kyn
>>94
呉起の話すると大体楚は糞って結論になるのすこ
呉 起

楚では時の君主悼王に寵愛され、令尹(宰相)に抜擢され法家的な思想を元とした国政改革に乗り出す。元々楚は宗族の数が他の国と比べてもかなり多かったため、王権はあまり強くなかった。これに呉起は、法遵守の徹底・不要な官職の廃止などを行い、これにより浮いた国費で兵を養い、富国強兵・王権強化に成功した。
しかしその裏では権限を削られた貴族たちの強い恨みが呉起に向けられ、呉起もそれを察知していた。呉起が無事なのは悼王の寵愛があればこそだが、悼王は既に高齢であった。

紀元前381年、悼王が老齢で死去すると、反呉起派は呉起を殺害するために宮中に踏み込んだ。逃れられない事を悟ると呉起は悼王の死体に覆いかぶさり、遺体もろとも射抜かれて絶命した。政権空白期の事故である。だが父の後を継いだ粛王は、反呉起派の放った矢が亡父の悼王にも刺さった事を見逃さず、巧みに「王の遺体に触れた者は死罪」という楚の法律を持ち出し、悼王の遺体を射抜いた改革反対派である者たちを大逆の罪で一族全員処刑してしまった。

死の間際において呉起は、自分を殺す者たちへの復讐を目論み、かつ改革反対派の粛清を企てたのである。しかしこの機転にもかかわらず、呉起の死により改革は不徹底に終わった。

105: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:36:23 ID:2Zw
>>100
七雄でもっとも保守的な勢力やったからな
春秋では秦よりはるかに強かったのにその体制のままきたから富国強兵した秦に負けるんや

109: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:38:20 ID:kyn
>>105
一度呉に滅ぼされても懲りないお国柄やからしゃーない

104: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:36:12 ID:ii0
>>94
ワイはちゃんとした史書とか読んどらんけど、呉起ってかなりのチート野郎やな
なんかいつのまにか消えてた孫武さんより印象強い

110: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:38:22 ID:2Zw
>>104
ワイは中国の武将調べるの好きなんやけどやっぱり中国史で第十位には確実に入るわ
孫武は兵法書のおかげて名声はあるがやったことは一国の首都を落としただけでしかない(それでも十分すごいけど上には上がいる)

113: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:39:20 ID:kyn
>>110
呉起さんは楚の内政改革までやったからすごいよな

115: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:42:06 ID:2Zw
>>113
それそれ
政治まで手が回るからすごいよね
兵書の孫子と呉子を比べるとだいたい孫子でええやんってなるけど唯一呉子が優れてる点
それが略奪に対する態度で孫子は略奪して自国を強くしろのみやが呉起は占領後に統治するため勧めない
ここらへん政治家の目線も持ってるよなスゲーってなる

119: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:46:13 ID:2ll
>>115
でもあの時代に略奪させないって、兵士の士気ダダ下がりじゃね?

123: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:50:39 ID:2Zw
>>119
統治者としての観点やからそれはそうかもしれへん
でも呉起さんは怪我した兵士の膿を自分の口で吸ってあげるぐう聖(の演技ができる)やから略奪しなくても士気は保たれてそう
孫子の兵士を死地に追い込んで逃げられないようにしろっていう点と比べてここも優れてるって今気づいたわ

118: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:43:30 ID:wSS
>>110
呉起の戦功って秦に勝ったくらいしか思いつかん
何があったっけ

123: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:50:39 ID:2Zw
>>118
百越の平定と陳蔡の併合がある
呉起はとにかく負けないから強い
膿を吸い出したエピソードから人心を掴んで兵士を喜んで死地に行かせるのが上手かったんやろうか
呉 起

呉起は軍中にある時は兵士と同じ物を食べ、同じ所に寝て、兵士の中に傷が膿んだ者があると膿を自分の口で吸い出してやった。ある時に呉起が兵士の膿を吸い出してやると、その母が嘆き悲しんだ。将軍がじきじきにあんな事をやってくだされているのに、何故泣くのだと聞かれると「あの子の父親は将軍に膿を吸っていただいて、感激して命もいらずと敵に突撃し戦死しました。あの子もきっとそうなるだろうと嘆いていたのです」と答えたと言う。

この逸話(「吮疽の仁」と呼ばれている)の示すように兵士たちは呉起の行動に感激し、呉起に信服して命も惜しまなかったため、この軍は圧倒的な強さを見せた


106: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:37:07 ID:eaq
景公「狩りに行ったら虎と蛇を見たんだけど不吉じゃない?」
晏子「野山に出てんだから当たり前ですよね?」

すこ

109: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:38:20 ID:kyn
>>106
晏子のツッコミはコントみたいだよな

107: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:37:07 ID:lGY
伍子胥すこ
あの不屈の精神すごい

108: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:37:57 ID:wSS
>>107
死体掘り起こすのはちょっと…

96: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:33:15 ID:FVW
范蠡とかいう鬼畜爺好き

111: 名無しさん@おーぷん 19/08/01(木)21:38:59 ID:FVW
呉楚越の連中はホントメンツ濃い
范蠡伍子胥孫子夫差呉起句践

引用元: ・三国志はもうええから春秋戦国時代語れ



史記・春秋戦国人物事典 (Truth In History)
小出 文彦 瀬戸 慎一郎
新紀元社
売り上げランキング: 340,958