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1: 名無しめじ 2006/12/01(金) 15:19:21 ID:Bw8WXrYC
直孝はかなり過小評価。






井伊 直政

井伊 直政(いい なおまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。

徳川氏の家臣(家臣になった当時は外様)。自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である。徳川氏きっての政治家・外交官としても名高い。遠江国井伊谷の出身で、『柳営秘鑑』では榊原氏や鳥居氏と並び、「三河岡崎御普代」として記載されている。また、江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となり、現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人物でもある。

徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。その一例として、滋賀県彦根市では、直政が現在の彦根市の発展の基礎を築いたということを顕彰して、「井伊直政公顕彰式」という祭典が毎年行われている。



井伊 直孝

井伊 直孝(いい なおたか)は、江戸時代前期の譜代大名。上野白井藩主、近江彦根藩第2代藩主。井伊直政の次男。

井伊家では直政の死後、家督を兄の直勝が継いでいたが、直勝は家臣団をまとめ切れず、それを憂慮した家康の裁定によって慶長20年(1615年)、直孝は井伊家の家督を継ぐよう命じられ父の遺領18万石の内、彦根藩15万石を継承し、直勝には上野安中藩3万石が分知された。井伊家の家臣団は井伊谷以来の家臣は直勝に、武田氏の遺臣などは直孝に配属された。

同年の大坂夏の陣においては藤堂高虎と共に先鋒を務め、敵将・木村重成と長宗我部盛親を打ち破り(八尾・若江の戦い)、冬の陣での雪辱を遂げた。
寛永9年(1632年)、秀忠は臨終に際して直孝と松平忠明を枕元に呼び、3代将軍・徳川家光の後見役に任じた(大政参与)。これが大老職のはじまりと言われる。その後、家光からも絶大な信頼を得て徳川氏の譜代大名の中でも最高となる30万石の領土を与えられた。



297: 人間七七四年 2009/04/08(水) 02:57:23 ID:AcBxyNXv
伊達政宗が家康から貰った百万石のお墨付きを、直孝が分捕って燃やしたって本当なの?

305: 人間七七四年 2009/06/29(月) 02:21:58 ID:HtgODaav
>>297 
それって、他のパターンの話を見たよ 
確か竹中と黒田の話だった気がする 
紙切れ一枚の約束で有頂天になるなと諭された、みたいな 

298: 人間七七四年 2009/04/09(木) 10:12:42 ID:n77sM4ML
>>297
実話かはワカンネが、直孝が政宗に借りた直後に火鉢に入れて焼いた。
激昂する政宗に対し、「太平の世にたとえ権現様のお墨付きとはいえ百万石を欲するのは、伊達家と幕府の戦、ひいては天下大乱になりかねない。そもそももはや日の本にそんな土地はない。」と諫め、納得させたそうだ。

あと確か直孝と政宗の子が婚姻関係があるんじゃなかったかな?
299: 人間七七四年 2009/04/22(水) 21:05:43 ID:HMJWByhr
>>298
井伊直政の娘と、伊達政宗の子の秀宗(伊予宇和島藩主)が結婚している。
302: 人間七七四年 2009/04/27(月) 22:09:35 ID:tWFnnx4R
徳川軍の先鋒で、武田由来の赤備えで、外交上手で、そこそこ武勇伝もあって、子孫も活躍したのに…

子孫の直弼が有名になりすぎて、ご先祖の直政・直孝の影が薄いのは仕方ないのか?
同じ四天王の忠勝と比べて影薄いよな…

327: 人間七七四年 2009/10/26(月) 07:52:45 ID:yb1j+Yxz
地味、とにかく地味

けど鎧はかっけぇ
f1ba13c1

336: 人間七七四年 2010/01/28(木) 14:23:01 ID:UJXcAyTY
井伊直政の政治力って、どのくらいの物だったの?
家康は、直政の政治力を高く評価していたそうだが…。

340: 人間七七四年 2010/01/29(金) 02:53:34 ID:k4Ca0dW5
>>336
関ヶ原後の島津との交渉・土佐鎮定じゃないかな?

寧ろ合戦において政治的意図が大きい戦術をよく取ってる気がするな。
小牧長久手の奇襲や第一次上田合戦の撤退、関ヶ原の先陣なんて正にそれだよ。

純然な政治家は息子の直孝なのは言わずもがなだが。

337: 人間七七四年 2010/01/28(木) 15:25:43 ID:EndcsIZE
政治といっても広範だからねええ。
直政が外交担当だったのは確かなんだよねえ。

338: 人間七七四年 2010/01/28(木) 23:33:38 ID:p/rQy+9o
高崎って地名、井伊直政が僧侶と相談して決めたって、最近知った俺。
松崎が候補だったらしい。
蟄居してきます。

339: 人間七七四年 2010/01/29(金) 01:37:00 ID:cnrCU741
譜代ではないけど譜代以上の信頼を得たなんて
三国志の趙雲みたいな直政

342: 人間七七四年 2010/02/01(月) 09:34:19 ID:jhhnALXd
>>339
直政浜松譜代だろ。

344: 人間七七四年 2010/02/01(月) 18:53:58 ID:M7eIemOQ
>>342
それをいうなら三河に対して遠江譜代では
でもなんか遠江譜代って無理に作ってる気がして・・・

343: 人間七七四年 2010/02/01(月) 09:43:13 ID:8rLLWJw/
井伊の赤備えは言ってみれば家康の外人部隊みたいなもんだ

345: 人間七七四年 2010/02/01(月) 18:55:29 ID:M7eIemOQ
>>343
あれ結局兵士はどこの人がメイン?
部隊長とかなら旧武田だと思うが
それ以下の全員まで旧武田なのか、それともそのランクは特に関係無いのか

346: 人間七七四年 2010/02/01(月) 20:01:59 ID:3o7Ea2wt
トップの直政は当時の外様出頭人、下級の侍は甲州侍、
で、肝心の中間管理職は譜代衆を配して、コントロールしている

347: 人間七七四年 2010/02/01(月) 20:03:32 ID:3o7Ea2wt
譜代衆の前に「家康の」を入れてください

348: 人間七七四年 2010/04/09(金) 17:54:45 ID:+m/f5xUE
井伊直政の最大の不幸は、小説に恵まれない事だろうか?
正直井伊軍史は面白いが手に入りにくいし、他は主人公補正が入り過ぎていて…

単なる猪武者やインテリ侍じゃないから描きにくいのだろうか。

349: 人間七七四年 2010/04/09(金) 21:12:08 ID:sZ0DY57o
2歳のときに命を狙われるところはスリルいっぱい!

356: 人間七七四年 2010/07/16(金) 22:37:29 ID:LdoT/ySi
でも直政って若い頃はあんまりこれといった動きはしてないよね
遅い元服のあたりから急に伸びだしたって感じで

357: 人間七七四年 2010/07/17(土) 00:35:48 ID:eiUuLj53
ウホとかアッーな動きで出世の糸口をこじ開けました

358: 人間七七四年 2010/07/17(土) 02:09:49 ID:XZk3oNyZ
しかしそのチャンスを掴んでものにしたところは天晴れ

407: 人間七七四年 2010/11/27(土) 21:52:19 ID:atHmo5mB
当時の風習もあったとはいえ、あっちの道での貢献もあって出世頭というのは、微妙な感じ。

409: 人間七七四年 2010/11/30(火) 22:48:18 ID:X99GUtrF
>>407
逆だ逆。当時は「異例の出頭=衆道」と考える風潮だった。
実際に衆道関係にあったかどうかはわからない。

360: 人間七七四年 2010/08/06(金) 20:32:59 ID:C0b3l8XC
直政は家康浜松時代はどこにいたんだ?
若いから城主じゃなくて家康側近として浜松城?
井伊家復興とかいうから井伊谷城・・・とも思えないし

361: sage 2010/08/16(月) 20:01:35 ID:0SC9mbBP
出典が何か思い出せないが、若いときの直政と家康の屋敷が隣どおしで、家康が足しげく通っていたというのを見たことがある。

あと、話は飛ぶんだけど、江戸で直政はどこに住んでたんだろう?
桜田門と明治神宮の屋敷跡は旧加藤清正邸なんだよね。

362: 人間七七四年 2010/08/16(月) 20:20:30 ID:HRjUbKOj
井伊直勝の頃だと西丸下にある

364: 人間七七四年 2010/08/27(金) 09:57:43 ID:wemgq1jC
関が原で鉄砲傷を負って、結果的にすぐに死んじゃう直政に彦根18万石を与えたのは、不思議な感じ。天下普請で築城までしてやっている。
この時点ではまだ藩主は直孝じゃないし。

365: 人間七七四年 2010/08/27(金) 19:48:54 ID:O/czreFC
すぐ死んでねーし

366: 人間七七四年 2010/08/28(土) 15:34:08 ID:CBlo12vt
すぐ死んでるし
少なくともそれまでのように槍働きができるからだじゃねえし

367: 人間七七四年 2010/08/28(土) 18:30:53 ID:G6202/Vi
時代が時代だから養生させつつ城主にってことなんじゃ
もう戦場で暴れなくてよくなった時代

371: 人間七七四年 2010/09/05(日) 02:34:46 ID:JDRh+tth
井伊が島津の鉄砲が元で死んだなんて絶対嘘。
破傷風の場合昔は数週間で死に到るのがほとんどだが井伊はこの後も関が原の戦後処理や外交役として東奔西走している
重傷おってたらこんな芸当できるかっつーの。

373: 人間七七四年 2010/09/05(日) 20:50:20 ID:sAsC+LIc
>>371
で、死因はなに?

375: 人間七七四年 2010/09/05(日) 23:40:22 ID:64HygubV
井伊直政が死んだのは単に過労死。鉄砲傷とは関係ない。
2年も経ってるしな。その間もあちこち働きまくりだったし。

376: 人間七七四年 2010/09/06(月) 09:39:41 ID:FU+573rV
過労死した戦国武将はほかにいるの?
藤堂高虎の方が忙しそう。

377: 人間七七四年 2010/09/06(月) 10:59:29 ID:RoaFYAWz
病弱だったんじゃね?井伊って普段の合戦でも傷を多く受けた事で有名だし。
そこに過労が重なって死んだんだろう。

378: 人間七七四年 2010/09/06(月) 11:09:31 ID:9kvC5LJ0
敗血症との合併症とかじゃないか
満身創痍で戦してた時期はピンピンしてた奴が事務方の仕事2年程度で過労死とかはあり得んよ
撃たれてから気性が大人しくなったのは事実だし鉛弾の破片が体に残ったままならあり得る話だよ

379: 人間七七四年 2010/09/06(月) 12:09:40 ID:sQMspaYk
気性が大人しくなったも何も合戦機会がなかっただけだろ。
しかも事務方って外交折衝であちこち飛び回ってるのに。
過労か単に病弱か寿命だったんだろ

398: 人間七七四年 2010/10/15(金) 00:27:55 ID:v+EPu66A
直政は毒を盛られて死んだという話もあるよ
根拠は死んだ翌日に火葬されて、遺骨の1/2は彦根にあとの1/2は井伊谷に埋葬された

394: 人間七七四年 2010/09/28(火) 22:29:51 ID:ncIoE82r
病弱なので幕命により当主交代させられた直勝が直孝より長生きするというのもなんか皮肉なもんだな

395: 人間七七四年 2010/09/29(水) 09:06:35 ID:K/haJifZ
大坂の陣で寿命を縮めたか
幕政関与で寿命を縮めたか
支藩で安穏としてた方が長生きできるじゃないの

396: sage 2010/10/06(水) 01:36:35 ID:tnMEsH7G
直孝を彦根藩二代目に選んだのは権現様なわけだけど、直政自身は自分の後継をどう考えていたのかな?
直孝はかなりの間正室に遠慮して認知されてなかったみたいだし、父子のエピソードみたいなのって皆無だよね。

402: 人間七七四年 2010/11/10(水) 00:32:15 ID:hDMG7tZL
前に豪徳寺行ったら直孝はじめ歴代の墓所に普通に入っていけてちょっと感激。
(ちなみについでに行った寛永寺では当然徳川家の墓に近づくことはできない。)
彦根の清涼寺はまだ行ってないが、直政の墓は見せてもらえるのかな?

412: 人間七七四年 2010/12/07(火) 05:22:36 ID:pJdq11ft
直江やお江やるくらいなら直政やってほしかったんだぜNHKェ・・・

413: 人間七七四年 2010/12/09(木) 10:56:45 ID:7MGk/NSt
自分も、直政が大河になればうれしいが、正直難しいだろう。
直政の波瀾万丈な人生はドラマチックだけど、最近の大河が求める家族愛の部分が見えないからなー。
家臣にも人気なかったようだし・・・。
あるとしたら、徳川四天王モノだけど、きっと主役は平八郎になると思う。
とりあえず、彦根は間違っても石田なんかをプッシュしないでほしい。

416: 人間七七四年 2010/12/09(木) 21:24:49 ID:vwxCCKWk
>>413
そんな愛だの何だのとやってるから戦国ヲタに評判が悪いものばっかりできるんだろうな
もしもやるとしたらガッツリ戦う「硬派戦国モノ」をやってほしいよ・・・
短く太く生きた直政だったら合うのにな
意外にも四天王の他の3人て晩年は・・・だから

415: 人間七七四年 2010/12/09(木) 19:15:20 ID:h2HD/Srl
序盤を井伊直虎メインですれば面白そうだけどな。

>大河井伊直政

ただ滅亡寸前のお家を盛り立てるために
女を捨てて生涯独身だったのは最近の大河の価値観と合わないだろうな。

417: 人間七七四年 2010/12/10(金) 17:39:17 ID:s64g26Od
大河でやるなら、直孝主人公の方が面白くないか?
性格的にも直孝の方が主人公向きだし、人気が出る要素は直孝の方が多いと思う

419: 人間七七四年 2010/12/10(金) 19:00:14 ID:4t25PgS5
つーかどう見ても直政の方が生まれてから死ぬまでエピソードがあって向いてる

420: 人間七七四年 2010/12/10(金) 19:30:37 ID:s64g26Od
不幸な出生と幼少時代、大坂の陣での大活躍、戦国武将の気風を持った幕閣の重鎮としての存在感、親孝行ぶり、自分に厳しいけど情のある人柄、大河要素がたっぷり詰まってると思うんだけどなあ。
伊達政宗が日本で唯一はばかった男だぞ?

422: 人間七七四年 2010/12/10(金) 22:46:07 ID:3ocw9Nik
生まれてすぐに命を狙われて、寺に預けられるなんて不幸のどん底
そこから我慢の日を耐えて、あの天下人・徳川家康との運命の出会い、
そして直政により事実上の井伊家の復興
武将となっても譜代でない引け目からの過度な奮闘
それによる同僚からの嫉妬にも負けず
家康からの信頼も得て、あの赤備えを継承
精強な元武田軍も従えての戦場での赤鬼とも言われた戦いぶり
それだけでなく政治的な面での活躍
そして譜代名将と並んでの四天王の呼び名も得ることができて
結果的には最も石高も高くなる
部下には厳しい反面、豊臣からの人質とのエピソードもありつつ
ついに天下分け目の関が原では、堂々と抜け駆けをやってのけるところ
そしてそのときの傷が元と言われての短くも太い人生を終えた
そんな井伊直政の大河があってもいいじゃないか

但し家康との衆道シーンは割愛で

426: 人間七七四年 2010/12/11(土) 22:07:03 ID:y+e8e66A
Wikipで直政・直孝を読み比べたら
時代の違いで当たり前だが直孝は戦国武将としての人生は比率として少なくて戦国好きからみたら物足りないな

それと直政がそこそこ生きていたら大阪も直政が出てたのかな
家督は息子に譲っても戦場には親父が出るというパターンも無いことはないし
そうしたら井伊家周辺の戦況はどうなってたかな
でも伊達政宗ですらやられてたから必ずしも活躍できたとは限らないし
それか直政が出てると家康の親衛隊みたいに配置が変わってたか・・・
いややはり井伊家は徳川の先鋒だから最前線か

429: 人間七七四年 2010/12/12(日) 11:57:50 ID:Ff+4CEAT
40そこそこで死んだとはいえそれまでの戦場では活躍してたから戦況を見る目は当然あったわけで史実での大阪の井伊家大打撃の場面は直政だったら自重したかもとか考えると面白いな
酒井は言うに及ばず、本多・榊原もいなかったから直政がいたら一人で重責を背負ってただろうなあ
あるいは徳川軍の事実上の総大将になってたかもしれんし

>>426
>家督は息子に譲っても戦場には親父が出るというパターンも無いことはないし
考えたら大阪の家康からしてこれだった
将軍職も委譲してたし

427: 人間七七四年 2010/12/11(土) 22:11:17 ID:7VhtUEQv
50代半ばで先鋒はきついな。
でも性格的におれがおれがで、前に行きそうな直政w
60才近い藤堂高虎は手痛い目に遭った。

428: 人間七七四年 2010/12/11(土) 22:40:27 ID:RlmwQD7d
大坂の陣で直政を先鋒にしたら、絶対に先頭切って敵に斬り込んで傷だらけになるから、
50代でそんな事してたら死ぬかもしれない。

432: 人間七七四年 2010/12/13(月) 01:05:34 ID:lqRFpIsS
徳川家の文・武の支柱だし、年齢的にも、経歴も十分大将になる人間だと思うけどなあ
だって他に徳川にいないもん・・・経験があっても上杉・伊達は外様であるし
だから史実ではある意味自然に隠居の家康が総指揮してたようなもんだろうと
戦場において秀忠では・・・頼りなし
家康との関係を見てももしも直政がいるなら代わりに任せてもいいと思いそうだしね
関が原での、密約があったんじゃないかと疑われるあの一件もあったし
そしてこの大坂の戦いが明らかに戦国最後の一戦と分かってるから
直政にしても徳川のためなら死んでもいいと先頭に立って戦うと思われ
見た勝ったなあ大阪での直政・・・

434: 人間七七四年 2010/12/13(月) 19:27:42 ID:mmKCRr1l
例えば、関が原の抜け駆けに家康からのお咎め無し
の件についてもどうみても軍律無視に罰則無しはおかしい話なのにスルーしたってことは
主従に密約があったと見るのが妥当だけど、密約が文書に残ってるわけないしね
それじゃなんのためのコソーリの話なのか分からん
周りも文句は言ったけど正式に抗議はして無かったと思ったが

438: 人間七七四年 2010/12/14(火) 09:33:57 ID:IHuAPlZk
>>434
家康の実子で唯一参戦した松平忠吉も一緒に咎めるわけにもいくまい。
むしろ、家康譜代の大名が先鋒まがいの行動をしたことに意義がある。

439: 人間七七四年 2010/12/14(火) 20:13:10 ID:31zTOE/p
>>438
忠吉の後見人でもあった直政の立場を考えると、譜代が先陣を切る事が重要なんじゃなくて、忠吉に先陣の名誉と戦功を立てさせる意図の方が大きかったように思うのだが、どうだろうか?

440: 人間七七四年 2010/12/14(火) 20:47:25 ID:pzyj5K3I
大筋そうでしょう。
ただ戦功を立てるほどの人数を連れていなかった。
忠吉の身になんかあったら逆効果になる。

443: 人間七七四年 2010/12/15(水) 00:56:03 ID:IhYSWovs
この関ヶ原の抜け駆けを巡って、直政と忠勝が喧嘩したとかいうのをどこかで見たことがある。
ただ、史実か創作わからない…。
もし史実だとしたら、抜け駆けは譜代の側近の間では周知のことだったということなんだろうか?

445: 人間七七四年 2010/12/15(水) 18:38:54 ID:PX5Fxn0l
>>443
・突然の独断だったので制止された
・密談説を実話と仮定した場合、家康・直政だけの間のものだったため知らずに制止された
・仲の悪かった二人なので単純に一悶着あった
と、とっさに思い浮かんだ

450: 人間七七四年 2010/12/16(木) 01:38:04 ID:9RSM89M/
>>445
直政は徳川が天下とったあとの世を考えた政治的判断で抜け駆けを決断したけど、忠勝がその意図を理解できなくて云々みたいなかんじだったと思う。
それと、その後仲直りしたのか、関ヶ原の後に康政も含めた三人でお疲れ飲み会したとも書いてたけど、さすがにこれは創作かなー。

446: 人間七七四年 2010/12/15(水) 21:21:54 ID:rgFa2HzW
直政と忠勝は仲が悪かったって??

448: 人間七七四年 2010/12/16(木) 00:05:46 ID:+VVSrnWk
>>446
ライバル関係とのこと
榊原に関しては最初はやはりあまり良く思ってなかったらしいが途中から考えを変えたようで先輩・後輩としての立場だったとか何かで組んだことから変わったとかなんかで読んだ希ガスる

本多というと家柄からしても松平と近いからよけいに遠州からの新参にはよく思ってなかった部分も多少はあったんじゃないかね

447: 人間七七四年 2010/12/15(水) 21:27:32 ID:GMHhwuO/
古参からは、成り上がり者の若僧としてあまり好かれて無かった直政だけど、本多正信との関係はどうだったんだろうか?
家康の側近の中で政治手腕に特に優れて信任の厚いこの二人の間柄に関する逸話を、不思議な事にほとんど聞いた事無い。

449: 人間七七四年 2010/12/16(木) 00:06:45 ID:+VVSrnWk
>>447
確かに謎

引用元: ・★☆井伊直政・直孝総合スレ☆★



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