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831: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/16(土) 14:07:58 ID:dUu2w08Z
時代によって平均気温には波があるんだけど
戦国時代は今よりもかなり寒かったんだよな

832: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/16(土) 17:48:14 ID:5pVRlRHK
食べ物じゃないけど瓢箪なんてのは今より栽培量が多かったんだろうね。
ひさごのような食器を作るのに重宝しただろうから。
食べ物は果実(ざくろ、銀杏、干瓢など)なんかは結構多かったんじゃないの?
あと、七草なんかに代表するように現在食されてない多くの野草を食べてたと思う。

833: 名無しさん 2006/12/16(土) 19:36:54 ID:FdTrqTie
山肉を食わせば美味い上に精力がついて厳しい戦いにも耐えられたろうに4足獣をあまり食わなかったのは意外だな
猪や鹿なんか取り放題にいたろうから

834: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/16(土) 21:01:04 ID:i2XbmWU5
>>833
日本は昔も今も人口過密だよ。
戦国期にも二千万ほどいたから、北海道や沖縄がなかったことを考慮すれば日本の人口密度は現在のヨーロッパよりも多い。
そういう環境で山肉をコンスタントに食うのは無理だろう。

845: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/17(日) 07:48:54 ID:iCGZuu44
>>833
食いたくても、食えねえんだよ。
日本の環境では。
牧畜は米作に比べたら、人口扶養力が低すぎるので、選択されなかったんだろうな。
悲しいかな、昔のに日本人は肉なんてほとんど食ってません。
食べたくても、食べられません。

838: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/17(日) 00:09:37 ID:DGUoMgUw
ウサギはわざわざ寺なんかで育てて食ってたらしいね。
雉や鴨は普通に食われてたのでは?
鹿は伊豆辺りにも生息してて、しばしば鹿狩りなど催されて食われてたね。
猪は狩猟専門の人が獲ってたんじゃないかな。
でも、アメリカ大陸のバイソンとかみたいに数十万とか数百万匹という単位で居たわけじゃないだろうから皆が常食にするのは無理だと思う。
数百万人、数千万人が常食にしようよ思ったら牧畜するしかないでしょ。

842: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/17(日) 01:49:11 ID:+Uw6ztlK
戦国時代よりも前から奈良では(大和ではない)鹿を殺したら死罪、自宅の玄関先で鹿が勝手に死んでても死罪、だから奈良市民は昔から早起きで、自宅の前を掃除する習慣があるんだとか。

854: 名無しさん 2006/12/17(日) 18:11:09 ID:5lPKUQvy
第2次世界大戦直後俺の親父とおじさんが鳥目になりまったく夜見えなくなった
爺さんがまずいと思い町に出かけて闇屋から進駐軍から流れてきた2個の牛缶を買って野菜と煮て食べた
その缶は触るとぼこぼこ音がなりくさってたらしいが親父らは腹を壊すどころかいっぺんに鳥目は治りすごく元気になったらしい
親父は今でも肉の信者で体調を崩すとすぐ焼肉を食べる

859: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/17(日) 19:10:33 ID:DGUoMgUw
>>854
司馬の小説「花神」では大村益次郎が目が良くなく
目に良いと言われる泥鰌を食べて食ってたんだっけな。
その類の話はよく聞くよね。
現在は目に良いと言えばブルーベリー(アセロラも良い気がした)なんでブルベリー&レモンキャンディなんかをよく舐めるよ。

856: 名無しさん 2006/12/17(日) 18:14:27 ID:5lPKUQvy
われわれは当たり前に食べているから感じなくなっているが肉食は体力をつけるのには抜群らしい

860: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/17(日) 19:18:27 ID:DGUoMgUw
合鴨農法が戦国時代にあったか調べてみた。
田んぼにあひるを入れる農法は約1,000年前から中国揚子江から南のアジアモンスーン地帯では行われており、日本にも伝わり、戦国時代主に敵の夜襲を知るために行われたらしい。
主に近畿地方を中心に伝承され、戦後しばらくは食糧難克服に各地で実施されたが、1960年代後半、経済高度成長とともにすたれたそうだ。

883: 名無しさん 2006/12/19(火) 21:12:33 ID:wl5vhV1V
戦国時代最強の栄養物はやっぱり猪だろうな
醤油のなかった当時はウナギもそれほど食べられなかったろうから

885: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/19(火) 23:01:21 ID:NZ6K41xv
>>883
鰻は万葉集にも書かれてるし、食べられたんじゃないの?
(もちろん武士等の階級のある人間や、取れる地元人専用だろうけどさ)
蒲焼は室町時代には出来ていたので、十分食べられていた。
万葉集によると当時から夏痩せ(夏バテの事ね)に有用ってあるし。
分かりやすく言うと「薬」って扱いだったらしい。

で、醤油についてだが、「室町時代にはもう[醤油]というのはあった」ことはご存知か?
室町時代の文献に初めて「醤油」って出てくる。
(その後の文献から考えると「淡口(うすくち)醤油」の事じゃないかと推測されるのだが、そこまでは分かってない)

その後元禄から享保にかけて現在の醤油である「濃口醤油」が出来るのだが・・・。

886: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/19(火) 23:02:40 ID:NZ6K41xv
と思ったのだが、室町時代のはどう考えても「たまり醤油」だったな。
スマン、切腹してくる。

893: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 01:39:00 ID:TbUBGjRp
薄口醤油は1670年くらいに上方で作られ始めたそうですよ。

今でも自分でつった鰻を食うときは白焼きでは。 
開いて串さして七輪でやいて醤油漬けて喰ってるんで、昔もそんな喰い方じゃなかったんでしょうか?

890: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 00:51:25 ID:uk13bKDP
室町時代には鰻の蒲焼きが存在したとの事だが、タレはたまり醤油がベースだったのか。
現在では甘味をザラメや味醂等を使用しているらしいが(店によってまちまち)砂糖が高価な輸入品だった当時は水飴や蜂蜜が砂糖代わりだったのかな?

はっきり言って、たまり醤油だけで作った蒲焼きは食えたモンじゃない筈だ。

892: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/20(水) 01:14:02 ID:lmas/NY8
wikiってみたが、蒲焼以外にも調理法があるらしく

・白焼き
たれをつけずに炭火で焼く。ワサビ、卸大根またはショウガ醤油などをつけて食べる。

・う巻き
鰻巻き。ウナギの白焼きまたは蒲焼を芯にして巻いた卵焼きのこと。

とある。
白焼きならその当時ありそうだし。

あとは兵庫・岡山近辺の人間なら何か知ってないかな?
あそこら辺が鰻の有名なところらしいし。

894: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 02:43:00 ID:z0frwd4x
うなぎ屋さんって江戸時代から代々守ってる秘伝のつけダレとか持ってなかったっけ?

910: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/20(水) 23:55:01 ID:lmas/NY8
>>894
それは江戸時代から継ぎ足し継ぎ足し使ってるから、って事だな。
「江戸時代から継ぎ足し使って当時に近い味を守ってます」って意味だよ、それ。

ググって調べてみたんだが、江戸時代のタレの成分が残ってる可能性は00.1%以下だそうだ。
ドラム缶ぐらいの大きさだったら底5mm位になら残ってる可能性はある。ってのもあった。

908: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 22:54:30 ID:mqOV2blg
鮮魚は京を中心にした都市圏では結構な量が流通してたね
琵琶湖沿岸部や越後、瀬戸内他近隣沿岸部で水揚げされたものに限るけど
公家がその流通経路、権利に課税して荘園からの収入がわりにして群がってたくらいだし
そんなものより、丹波産松茸食い放題ウラヤマシス

932: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 21:10:32 ID:90SwqdME
万葉集で思い出したが

醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)きかてて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(みずなぎ)の羹(あつもの)

醤(ひしほ)ってのがあるから醤油らしき物ははるか昔からあったと思われ。
ちなみに蒜はネギ、ニンニク類のこと

934: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 22:29:30 ID:DXYpJesT
>>932
醤は実は現在の醤油とは製造法がちがうんですが先祖とは言えそうです。
↓参考文献
「平安時代の醤油を味わう」松本忠久ISBN:4-289-01178-0 

939: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 11:44:54 ID:+T8rJr0o
江戸時代も雑穀生産の中心地は東北だったかもしれませんね。

ヒエ、完全な「モチ」化に成功 岩手大
12月22日7時2分配信 河北新報
岩手大農学部の星野次汪(つぐひろ)教授(作物育成)は21日、完全にもち化したヒエの開発に成功した、と発表した。
粘りが強く単独でもちにすることが可能。つぶつぶ感もほとんどないという。年明けにも農水省に品種登録する。
ヒエの中で粘りの強い品種のノゲヒエにガンマ線を照射したところ、突然変異で誕生したという。
外見はノゲヒエと変わらないが、でんぷん成分がもち性を示すアミロペクチンだけで構成されている。
昨年秋に開発し、栽培を通じて遺伝的な継承も確認された。
キビやアワなどはもち化されているが、ヒエは遺伝子が多いため難しかった。
「もち」をうたったヒエは数種類あったが、いずれもうるち性を示すでんぷん成分のアミロースが含まれており、完全なもちではなかった。
雑穀生産が盛んな岩手県は、ヒエ生産はシェア8割で国内トップ。星野教授は「米とのブレンドや和菓子などへ需要が期待される。
穂の長さが2メートル近くあって倒れやすいので、栽培しやすいように改良を進めたい」と話している。
1995年に小麦のもち化に成功した東北農研の中村俊樹サブチーム長は「学会では『ヒエにもちはない』という通説が定着していた。
完全にもち化したヒエの開発は世界初ではないか」と評価している。最終更新:12月22日7時2分

「雑穀生産が盛んな岩手県は、ヒエ生産はシェア8割で国内トップ。」

940: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 13:23:20 ID:/+EBZyD/
>>939
これって、何の意味があるの?
もちってそんなにすごいの?

941: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 15:18:33 ID:KQtYQHOb
従来ヒエ餅を作る際にモチ米を混ぜて加工していたわけですが、今回ヒエだけでモチ米と同じ加工法ができるようになったわけで。まぁ新しい味、食感が増えると言うだけでもすごいことかと。
蕎麦でも十割とか二八とかあるわけですし…

ヒエ含め雑穀は明治以前は日本全国で普通に作られていましたよ(主食)。
今じゃ市場が小さくなって東北でしか作られてないだけでは?

942: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 15:27:08 ID:Vx7OPkUs
それだけ岩手県は米が作れる土地が少なかったので、稗みたいな雑穀が一番作られていると聞いた事あるな。
今でもそれは変わらないんだろうね。

943: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 18:45:46 ID:nfNfYB0u
たとえば山奥の椎葉村(宮崎県)なんかでは戦争中ぐらいまで雑穀が中心だったみたいだね。
たしか五年サイクルの焼畑農法をやっていたと思う。
極端な例だけど。

948: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 23:45:14 ID:ts0z3o/t
まぁあれ。
食ってみると、雑穀ってうまいと思う。
薫りと食感では米の圧勝だけど。

949: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/23(土) 12:27:42 ID:uod15mWn
>>948
たまに食うと美味いが一週間食ったら飽きてしまったな
米にブレンドしてわずかずつ量を減らした苦い思い出がある

951: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 00:21:44 ID:CMwf+sS0
>>949
米は主張が少ないから毎日食えるけど
雑穀は味がありすぎるかもしれないね。

個人的な事であれだが、かやくご飯が好きなんだな。
分量を増やすために昔からやっていたのかな?

家では大豆・ひじき・昆布・雑穀で炊いた飯を食ってる。
作るの楽だし良いよ~

955: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 20:31:18 ID:DHCs6MQm
侍女が書いた「おあむ物語」とかで戦国時代の武士は下級武士だと毎日雑炊。
家の人間が鉄砲打ち(訓練)に行くときは弁当を作るために「菜飯」を炊いたという記述があるらしい。
江戸に入るまでは武士も白い飯が食えたら今日はラッキーって感じだったのだろうか?
鎌倉時代での武士の生活も年に数回菜っ葉飯を食うの贅沢みたいな感じだったそうな
室町ぐらいで日本は二毛作などで食糧事情は多少はよくなったみたいだから農民でも赤米とかなら米は食えたのかも

956: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 21:01:32 ID:KjnhjlIo
米は通貨としての側面も持っていたから、どうだろうなあ。

957: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 23:30:36 ID:+ucGU9XN
両国の「ももんじや」という店に行ってきた。
猪鍋、熊肉、鹿肉、狸なんかの獣肉屋。享保年間創業だとさ。
だから江戸時代には獣肉屋があったという事だけど、江戸時代になって急に獣肉食い始めた訳じゃないから、やっぱ戦国時代も獣肉をたまには喰ってたんじゃないだろうか?

961: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 07:59:34 ID:fWA3R1/j
桜肉(馬肉)は食してたかもな

962: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 12:38:28 ID:JuNjsy4h
獣肉を食うチャンスは、山間部か否かでも、かなり違うだろうな。
マタギ、って職業が連綿と続いているから、極一部には肉を食う機会の多い人もいたんだろうから。

戦争中までの話では、事故・怪我で死んだ馬や牛の肉は自分たちで解体して食っていたらしいし、戦国時代にも同様のケースでは食べていたんだろうね。
関ヶ原撤退時に、空腹の義弘に馬肉を上げようとした家臣と、それを奪って食った中馬大蔵?もいることだし。

963: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 16:16:48 ID:swns4syd
獣肉はたまにしか食わなくとも鶏肉やウサギの肉は普通に食ってたんだろ
現代人だって猪や鹿なんて一生に数回しか食わない人がほとんどだわさ。

964: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 16:55:10 ID:5+dSaVdN
>>963
だから、日本の自然環境では、供給自体に限界があるから、そんなに食えないって何度も言ってるジャン。
ウサギも鶏肉もね。

968: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 18:35:23 ID:Xuym92H8
>>964
鶏にこだわる理由も分からんし、現代の感覚で語るなよ
トキが全国乱れ飛んでんだぞ。自然環境で言えばむしろ豊富。
利家の鶴の吸い物話とかあるだろ
武士は鷹狩りするから鶏より山鳩、鴨の方が身近だろう

日本で畜産が発達しなかったのは「必要ないから」
降雨量が多く耕作のみで必要カロリーを充分賄え、海に囲まれ河川が多いので魚貝類が豊富で動物タンパクにも困らない。
供給以前に食おうとすらあまり思わなかっただろうな。

965: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 17:30:07 ID:FVdeFWC+
>>963
>鶏肉やウサギの肉は普通に食ってたんだろ

鶏にしろ兎にしろ計画的に大量養殖しないととても「普通に」供給はできないよ

970: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/25(月) 19:15:18 ID:HRLSrCAw
まあ、「極たま」位には食してたんだろ?>獣類

戦国時代には狩猟といっても銃はまだまだ安い物じゃないし、そうすると罠を張るか弓矢で取るしかない。
奈良みたいに「鹿は神」みたいな信仰あるところでは食べれないし。

魚のイイのが取れた場合、大名等に献上品として納めた可能性もあるし、獣を獲って、内臓を薬として献上し、肉は家臣や獲った者に振舞う、とかってのは考えてはいかんのかなぁ・・・。

972: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 19:31:11 ID:Hpfp0lLn
肉類を食った話しは結構残っている
だから一般的ではなかったと言える
わざわざ書き記すぐらいだからね
〇〇が米を食べた
とか普段食べるようなものはいちいち書き残さない

978: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 00:16:07 ID:C0yd+vFR
名古屋コーチンなど、江戸時代に「人工的」に品種改良された鶏や大昔からある軍鶏をどう解釈するかだね。
またウサギを飼ってた寺が多く彼等はウサギは鳥だと言い張りウサギを食ってたからね。
少しスレ違いになるけど、当時の寺というの現在と違ってコミュニティーのかなり主要な部分を占めてた。
江戸時代以前は布施湯(いわゆる銭湯です)を村民に提供したし僧侶が村民の悩み事や世間話の相手にもなったし会議場として寺を貸すこともあった。
また、戦時には防衛拠点としての役割も果たし家庭内暴力から逃げる女性や、その他特殊な理由で逃げる人の「駆け込み寺」ともなった。
ツアー旅行の代理店の役割も負った。いわゆる「講」というヤツだよね。
江戸期には寺が現金収入を得るために博徒に夜間、寺を貸し「テラ銭」も得ていた。
ウサギを飼うのも彼等自身が食べる以外に現金収入を得るための手立てだったのではないでしょうか。

979: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 00:22:48 ID:C0yd+vFR
以前、例に出てきたけど合鴨農法の鴨も成長は必ず毎年食べなければならなかった。
幼鳥は雑草だけ食べて稲を食わないが、成鳥は稲を好んで食べるので毎年、春先には幼鳥を放して、秋に成鳥になるので子供を産む鴨以外は美味しく戴いたわけだ。西日本では古くから合鴨農法は普及してたんだよね。

981: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 01:21:04 ID:C0yd+vFR
正確には名古屋コーチン自体は尾張藩士は明治維新後に創った品種でしたね。
でも、その元になる蓑曳などの種は江戸時代に作られたもののようです。
日本鶏(ニホンケイ)は江戸時代以前の日本各地で創られた人口品種の数々で強さ(軍鶏)や観賞用としての美しさや鳴き声の良さ、肉の美味しさを求めて改良が積み重ねられてたようです。 

998: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 16:59:33 ID:mGOxFLfR
享保4年に書かれた朝鮮人来聘記で朝鮮通信使が庶民から鳥を盗む絵が残されているので1600~1700年辺りには富裕層なら頻繁に食べる事が出来、庶民でも年に数度は食すことが可能だったであろう。

992: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 13:25:35 ID:C0yd+vFR
たまにしか食えないのは前提だけど獣肉に関する諺や昔話が日本にも多いからなあ
「鴨が葱を背負ってやって来た」「雉も鳴かずば撃たれまい」「ぶんぶく茶釜」等々
でも、圧倒的に動物の恩返し系の説話が多いから動物に対しての殺生は良くないよ、動物にも慈悲の心を持とうねと教えてたというか小さい頃から洗脳されてた部分もある気がする。
仏教的な教えを庶民に根付かせるには、その手の説話やむかし話にして庶民に説いた方が浸透しやすいですしね。

993: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 13:32:17 ID:jbQHp2Z6
>>992
もともと、仏教の殺生禁止的な思想自体が当時のインドの日常的な飢餓状態を緩和するために出来た思想らしい。
肉って、エネルギー効率わるいからな。
貧乏人の敵だ。

引用元: ・戦国時代の食事・2



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