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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/03/22(火) 02:10:17.63 ID:4ejMYDhi0
なかったので










五胡十六国時代

五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)は、中国の時代区分のひとつ。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。

五胡十六国は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づくものであり、実際の国の数は16を超える。後漢末期から北方遊牧民族の北方辺境への移住が進んでいたが、西晋の八王の乱において諸侯がその軍事力を利用したため力をつけ、永嘉の乱でそれを爆発させた。



65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/03/30(水) 18:23:55.06 ID:IMwoTdHX0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は漢(前趙)。名将・猛将を挙げるにあたり、自分の中で基準はあるにはあるが、けっこう主観も入ってしまってる。あとは、これはと思う人物を挙げてもらうとありがたい。 

【漢(前趙)】 
・王弥:飛豹の異名を持つ劉淵の旧友 
劉淵服属前は青州を中心に荒らし回った有名な人物であった。劉淵服属後は周囲勢力の平定、洛陽攻略に功があった。 

・劉曜:千里駒及び神射の異名は伊達じゃない 
対西晋戦線の総指揮官として洛陽、長安を落として西晋の息の根を止める。後趙の石虎を一蹴するなど軍才は文句なし。 

・劉胤:劉曜譲りの軍才の持ち主 
前涼軍に大勝し、その存在を刻みつける。その存在に前涼は前趙に攻め込むのを止めるほど。 

・平先:剛勇を誇る陳安を問題にせず 
陳安との一騎打ちで、彼の得物を弾き飛ばして完勝をおさめる。この一戦で陳安の命運は尽きたも同然となった。 

・遊子遠:文武の才を兼ねた逸材 
前趙成立直後の大規模反乱をわずかな兵で鎮圧し、心服させた。石勒との決戦時に生存していれば、歴史が変わっていたかもしれない。 

・劉岳:前趙の軍事を支える劉曜の従弟 
仇地、前涼戦で活躍する。後趙戦で石佗を斬り、その後は洛陽攻略寸前まで石生軍を追い詰めた。 

・劉霊:乱を望んで、中原を暴れ回る 
暴れ牛を止め、暴れ馬を追い越すほどの豪傑だった。劉淵服属後、石勒と共同して冀州攻略にあたり、漢の北方攻略を担当した。 

・趙染:西晋より降りて、力量を発揮する 
西晋より降り、主に劉曜の麾下で対西晋戦線を戦った。劉曜に献策して、奇襲を仕掛けるなど活躍した。 

・劉翼:劉淵から認められた豪傑 
驍勇で知られ、射術に長じていたため、人々は関羽張飛の再来と呼んでいた。平陽の城門を軽々と越える身体能力の高さで、劉淵から只者でないと高く評価された。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/03(日) 09:06:11.13 ID:x/kYeF9g0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は後趙。この国の雑多な家臣構成は見てて面白い。人種、境遇、身分と違う者同士を組み合わせ、それで中原を治めた石勒はやはりすごい。そうせざるを得ない環境だったのもあるが。 

【後趙】 
・石勒:死んでなければ負けじゃない。ゾンビ並みの復活力 
多くの敗戦も苦にせず、最後には勝利する。劉曜との洛陽決戦では、終始先手を取って劉曜を捕える大勝をおさめた。 

・石虎:石勒の弟にして、石勒軍のジョーカー 
破った相手は数知れず、切り取った領土は五胡十六国随一。石勒は明確に相手を破りたいときは、必ず彼の軍を動かした。 

・孔萇:石勒の躍進を支えた爪牙 
石勒の勢力拡大に貢献し、段末破を破り、幽州を平らげた。一定以上の結果を残す、計算できる名将。 

・石生:石勒の養子にして、前趙との戦端を開いた攻防に優れる将 
洛陽を前趙に渡さず、逆襲に転じるきっかけを作った。前趙、東晋と戦い、石虎との戦いでも堂々と渡り合った。 

・郭権:石虎に認められた、“ますらお” 
石生とのコンビで石虎軍との戦いを優位に進める。石生死後も、独立して石虎との戦いを継続した。 

・姚弋仲:石虎も恐れぬ剛直な男 
梁犢の乱は後趙の武将を次々に破った。要請を受けて、討伐に加わるとたちまち梁犢を破り、反乱を鎮圧した 

・支雄:十八騎の一人にして、石勒股肱の臣 
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石勒死後も段遼との戦いに参戦した。門臣祭酒として、胡人の訴訟問題も担当した。 

・キ安:十八騎の一人にして、大都督として東晋を掠す 
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石虎支持をいち早く決めて、征討大都督として荊州・揚州北方を征圧した。 

・桃豹:十八騎の一人にして、数々の戦歴を持つ 
祖逖に敗れるも、河南において長期戦を展開した。劉曜との洛陽決戦にも参戦し、段遼との戦いには水軍を率いて活躍した。 

・麻秋:負け戦が目立つけど、その名を聞けば泣く子も黙る 
蒲洪、段遼に勝つなど、負けばかりではない。相手があまりに格違いなだけ。勇猛さにかけては定評があり、泣く子に“麻胡”が来ると言えば泣き止んだという。 

・王擢:後趙の西方戦線でなくてはならない存在 
石生に招かれて以来、後趙の西方戦線で活躍した。前涼と一進一退の攻防を繰り広げ、後趙滅亡後は諸勢力の間を渡り歩き、存在感を示した。 

・石瞻:勇猛果敢に戦い続けた冉閔の父 
敵方から石虎の養子となる。以後、東奔西走して戦場を駆け巡り、西晋、東晋との戦いで活躍した。 

・郭敬:流転の末に巡り会えた石勒の恩人 
石勒が年少の頃から、彼の大器を見抜いて様々な便宜を図った。奇策を用いて荊州北部の基盤確保に努め、民心を得ることも忘れなかった。 

・石聰:石の姓を与えられて勇躍した晋人 
東晋との戦いでは、石生を破った郭誦、李矩を破り、さらには寿春を落とした。劉曜との決戦に参加し、活躍した。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/21(木) 12:08:01.45 ID:8M91xwPp0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は成漢。この国は最初の益州流入からの約10年間くらいが一番熱いと思う。敵味方、かなりの将兵の血肉で国が興り、固まっていくのは胸熱。 
それを過ぎると、あまり話題がないというのも、益州は一度固めてしまうと、引きこもりにはいい環境なんだろう。 

【成漢】 
・費黒:南方戦線のエキスパート 
成の南方攻略に大きく貢献する。南方の事情に精通し、的確な進言を行い、李寿から軍事を委ねられた。 

・李驤:李特の弟にして、成の勢力を拡大させる 
成の成立、反乱の鎮圧、北・西・南への勢力拡大に活躍した。成の初期より、軍事の要として東奔西走した。 

・李蕩:李特の子にして、決死の戦いで父を救った 
李特に従って、各所の戦いに活躍した。張徴との戦いで、李特が危機にあったとき、敵軍の重囲を破って救い出した。休む間もなく追撃し、ついには張徴を討ち取った。 

・李庠:李特の弟にして、成建国の引き金となる 
文武の才に優れ、人々から文鴦、関羽、張飛のようだと評価された。彼の死に民衆の誰もが流涕して悲しみ、成建国の流れが生まれた。 

・李離:李特の妹婿にして、成の基盤作りに貢献する 
李雄と共に西晋軍を撃退する。巴西での西晋軍をことごとく破り、漢中に侵攻して勢力の拡大に貢献した。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/04/23(土) 10:57:41.59 ID:uiUxOnRN0
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は前燕。ここらへんの戦闘系の充実ぶりは素晴らしい。戦歴もそうだが、それなりにエピソードもあって、キャラも立っているのはいい。 
五胡十六国時代の序盤から中盤まで存在し、中央にも深く入り込んでいる国だし、当然と言えば当然なんだけど。 

【前燕】 
・悦綰:後趙の大軍に寡兵で城を守り切る 
後趙の大軍に対し、逃げようとする将兵を鼓舞して、千人余で城を守り切った。呂護、冉閔との戦いでも活躍した。 

・賈堅:慕容儁や慕容恪も愛した、抜群の射術を持つ老将 
六十歳を超えて、精妙さをほこる弓術に人々は感服した。十倍の兵に対してもひるまずに自慢の弓術で渡り合った。 

・慕與根:長く前燕に仕えた歴戦の宿将 
石虎の進軍に恐れた慕容コウを止めて、力戦して侵攻を食い止める。各方面に参戦し、前燕の中原進出に寄与した。 

・慕容仁:慕容カイの子にして、決して揺るがぬ遼東の守護神 
宇文部、高句麗から遼東を守る。特に高句麗軍を撃破してからは、高句麗は遼東侵攻を行わなかった。 

・慕容翰:慕容カイの子にして、数奇な運命に翻弄される 
慕容カイの頃は軍の中心として各方面で勝利を重ねた。一時、前燕から離れたが、帰参後は宇文部、高句麗との戦いに活躍した。 

・慕容恪:慕容コウの子にして、五胡十六国随一の将器の持ち主 
石虎、冉閔という当代の猛将に勝利し、前燕の中原進出、最大版図の原動力となった。その存在は他国にとって脅威でもあった。 

・侯青:従軍すれば先頭に立っての陥陣営 
騎射に優れ、従軍すれば先頭に立って敵陣を落とし、慕容儁から張飛に比されるほどだった。 

・鮮于亮:大恩に大功で応えた国士 
石虎に仕えたが、敗れて前燕に仕えた。高句麗戦で数十騎を率いて敵陣を犯した。後趙戦でも活躍して、その名は広く知れ渡った。 

・悉羅騰:三軍に冠する武勇にして、精妙な囲碁の達人 
桓温との戦いで慕容垂と共に戦い、反乱者を捕らえ、敵将を斬る活躍を見せた。囲碁の達人であり、これに並ぶ者はいなかった。 

・悦綰:死命を果たし、国の滅亡を阻む 
後趙の大軍が城に迫るも、断固として屈せず守り抜いた。反覆常ない呂護を捕らえ、姚襄と呼応して冉閔を破るなど活躍した。 

・傅顔:数々の戦いに参加した勇将 
反乱者の李黒、慕輿根を討ち果たし、東晋の北伐を阻んだ。慕容恪と共に呂護を破り、前燕の軍事行動を支えた。

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 10:16:17.71 ID:mIYXFJde0
敢えて慕容評名将論を提唱し評価のあり方に一石を投じてみる

主要な戦績
①343年 慕容儁とともに代(拓跋部)を攻撃する
②350年 勃海で自立していた賈堅を攻撃し捕虜とする
③351年 魯口の王午討伐を担当、南安において王午の将鄭生を斬る
④352年 ?を攻略し冉智らを捕虜とする
⑤358年 慕輿根の支援を受け上党の馮鴦を攻撃し野王へ敗走させる
⑥359年 傅顔とともに東阿において諸葛攸の北伐軍を撃破
⑦364年 李洪とともに河南を攻略する
⑧370年 30万の兵を率いて王猛の軍歩騎6万の阻止を図るも大敗、戦死者5万、捕虜10万余りの大損害を受け?に敗走する

最後負けてるから評価下がっちゃうのは仕方がないけど
枋頭の戦いより前の段階だと慕容垂と同じくらい勝っているような気が

慕容垂の戦績(枋頭の戦いまで)
①342年 慕容翰とともに慕容?の前鋒として高句麗遠征に参加
②344年 宇文部征討において敵将渉夜于を斬り宇文部を潰走させる
③350年 慕容部南侵開始、後趙の征東将軍鄧恆を敗走させ安楽・北平の兵糧の接収に成功する
④352年 繹幕県で自立していた段勤を降伏させる
⑤357年 勅勒(高車)を8万の兵を率いて攻撃し捕虜・斬首10万、馬13万頭を得る
⑥365年 慕容恪とともに洛陽攻略に参加、陥落後は征南大将軍・荊州牧・都督十州諸軍事として魯陽に出鎮する
⑦369年 林渚において桓温の北伐軍に敗れる
⑧369年 撤退する桓温5万の軍を襄邑に追撃し8千騎でこれを大破、首級3万を得る

載記には載ってないけど慕容垂が敗れた記述が海西公紀と桓温伝にはあるから、おそらく慕容垂負けてるっぽいんだよなあ
だから対桓温戦で苦戦した原因は慕容垂が敗れているからのような気がしないでもない

340: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/14(木) 10:34:38.11 ID:lWGynjV80
>>319
慕容垂よりも慕容評の方が慕容恪の援護の役割を果たしている
少なくとも方面司令官としてキッチリ仕事こなしたのは慕容評の方

最高司令官の大司馬としては下手こいたが

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 10:39:14.19 ID:mIYXFJde0
全盛期の慕容部は慕容恪は言わずもがな
慕容垂、慕容評のほかにも慕輿根、陽?、悦綰、皇甫真、傅顔、慕容臧、李洪らが控えていたわけで
桓温しか決戦兵力のなかった東晋から見るとかなり層が厚く感じられる

367年前後で慕容恪、封奕、陽?、悦綰たちが一挙に没しているのも地味に痛かったか
それにしても枋頭の戦い直前までの前燕は無様に捩じ込まれすぎではある

321: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 12:45:19.75 ID:rEbF5cYf0
慕容翰は父親生きてたときは輝いてたな。国を追われ、戻ってからも大功をあげてたのにハッピーエンドにならないとこは、悲劇の名将というのがしっくりくる

322: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 14:15:59.88 ID:jxyYDDte0
遊牧民系の集団は母ちゃんの身分が結構重要なのだろうけど
母親の氏族が良い生まれか代々の姻族とかじゃないと扱い悪くてかわいそうになるわ

東晋なんて二代目明帝からして母親の身分が低いの関係なく即位しているからなあ

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 21:32:09.78 ID:R6cccDkK0
333年は、石勒、慕容カイ、李雄と時代をリードしてきた人物が亡くなってる。八王の乱からの一時代の一区切りみたいな感じがする。まあ、それで終わらずに、さらなる混沌があるんで面白いんだけど

324: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:31:49.16 ID:OnLBqph/0
>>323
330年代は実は東晋の動きの方が面白い
ユ亮が陶侃死んだ後に豫州から江州、荊州まで勢力広げて「さあ、北伐だー!」と意気込んでいたところに全力で冷水をぶっかける後趙という流れが実に小気味いい

東晋がその後北伐再起するまでさらに10年も費やすことになったけどその後は何度負けても諦めずに北伐続けるようになるのが不思議

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:37:44.77 ID:IT/I2FLY0
石虎が前燕遠征失敗した所に追い打ちかけようという庾亮の判断は正しい
だからこそ無理してでも電撃的に先手を打って叩いた

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 22:46:50.92 ID:OnLBqph/0
>>325
石勒が死ぬ間際に慕容も前涼も無視して荊州侵攻を開始したのは実は最善手なんだよな
あそこで荊州取れてたら蘇峻の乱でボロボロになってた東晋滅ぼすのは容易だったと思うわ
慕容攻めに行った石虎の圧倒的な戦略センスの無さ

328: 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! 2016/07/10(日) 19:37:19.40 ID:izqIl0sD0
君主営の漢人の言う通りにしただけなのに
【石虎】

329: 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! 2016/07/10(日) 19:45:27.75 ID:Cjvwh1vb0
>>328
石虎は簒奪の際に程遐や徐光といった君子営の漢人たちを排除しているからあんまり関係は良くなかったんじゃないの?
どちらかと言えば十八騎の古参を重用している感じでは

石勒時代の有能な養子連中は完全に排除
それに代わって石虎の息子たちが将軍や藩公に収まっていった流れなんだろうけど如何せん石虎の倅たちは頭が悪すぎた

330: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/10(日) 20:22:50.79 ID:58Wbe85N0
劉隗とか東晋からの亡命組をブレーンにしてたんじゃねえか
石弘から嫌われていた連中も石虎の味方になったんだろ
劉隗の孫が東晋に帰参してるから胡人至上主義にどっかでなったんだろうなあ

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/13(水) 00:54:22.39 ID:QQA+jNfRO
郭黙ってめっちゃ自己中だな

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/13(水) 15:15:13.24 ID:TmJTna0J0
>>332
徐龕、張遇、張平、呂護あたりもなかなかのものだぞ

東晋って北伐はすれど華北に残留せざるを得なかった士人・豪族・領主層が建康における官界の序列にどうやっても組み込めないシステムになってるよね
これじゃあなんぼ頑張って北伐しても華北の漢族の指導者たちは東晋に靡かないで自立するか異民族でもいいから自分たちを重用してくれる領袖に服属するに決まってるわ
どうにかならなかったのか?

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/13(水) 09:01:23.01 ID:cU1jl4Bc0
郭黙が李矩を見捨てて逃げたのは酷い

336: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/13(水) 23:19:34.71 ID:41So68Oz0
しょうがないけど腰の定まらない奴が多いな

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/20(水) 14:28:48.61 ID:1mdrGvYl0
河南一帯を回復した桓温、謝玄、劉裕はベリサリウスくらい評価されてもいいと思うんだけど
南朝の北伐で世間的に一番評価されているのは洛陽まで行ったけど爾朱栄に撃退された陳慶之という現実

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/20(水) 15:44:28.08 ID:jWFGc0V30
宇宙大将軍「ワイも陳慶之に負けてるしな」

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/20(水) 16:22:12.89 ID:ppBjSTYP0
>>359
梁を実質的に滅亡に追い込んでいるけどそもそもそんなに強くないのな
斛律金、段韶あたりの方が遥かに格上
似たような領域を保持していた前燕で言ったら慕輿根みたいな微妙なポジションだろう
名前だけが一人歩きしている

365: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/21(木) 11:50:27.25 ID:DRgSrf4T0
梁の脆さはギャグレベル。やっぱ長過ぎても駄目なんすねえ

366: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/21(木) 15:39:25.89 ID:5Pu700Kv0
>>365
北伐がせいぜい陳慶之の火事場泥棒レベルが限度だからな
それも計画性皆無の出たとこ勝負
それに比べたら東晋の中期以降の北伐はよく計画されていると思うわ
その完成形が劉裕の北伐

367: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/21(木) 18:13:36.85 ID:5Pu700Kv0
南朝の軍事能力は東晋時代の劉裕をピークに低下の一途

貴族政治真っ盛りの東晋の方が寒門軍人を出自とする劉宋より軍事的に優勢だったというのは皮肉だろう
門閥政治と言いながら地方を任せられた軍事貴族たちがそれなりに実力主義で選ばれる場面があったからだろうか
桓温と謝玄の抜擢のされ方は象徴的ですらある

368: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/21(木) 19:32:23.43 ID:29csD53q0
三国時代あたりから蛮族を傭兵として使い始めて八王の乱で諸侯が大々的に使用したせいで力をつけちゃうのよね
司馬炎が臣下の言うとおり蛮族を北に戻しておけば華北が蹂躙されることもなかっただろうに・・・

369: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 00:59:37.15 ID:52fFRqf60
遊牧民を大々的に登用したのは光武帝の頃から
まだ陶謙に身を寄せたころの流浪の傭兵時代の劉備や公孫瓚や袁一族をはじめとして多くの群雄が雑胡を率いて記述がある
司馬一族の暴政がなければずっと漢の忠実な傭兵として機能していただろうに

381: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 18:52:42.07 ID:LivDGlgV0
>>369
石勒は自分の出身部族を軍団として率いたわけではなくそこらへんの盗賊や難民、漢人知識人たちを雑多に集めて軍団を編成している
こういうイレギュラー的な怪物が自然的に発生してしまった場合、異民族傭兵を統御する機構がいくら整っていても無意味だと思いますわい
自分の出身部族当てにせずにここまで暴れられると手の打ちようがない
王浚や劉コンは比較的異民族をコントロールできていたのだが石勒にいいように切り崩されたのが不憫

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 10:41:12.96 ID:tD8wYP4F0
一度小作農化した異民族たちを元の居住地に帰還させるのはかなり難しいんじゃないかな
それこそ益州みたいな独立運動が起きた可能性も

異民族をうまく分割統治し続けるシステムが構築されていれば良かったのだろうけど
どうしてもその時期の異民族統御官の個人的な資質や能力に依存せざるを得ないからなあ

373: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 11:25:18.62 ID:PUjxFJaE0
三国時代でも田予~陳泰~鄧艾の流れが切れた途端に鮮卑族が暴れだすからな。

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 12:19:49.55 ID:aZz0TaBJ0
石勒は王莽以降の急進的儒教国家体制下における統治者交代の理論的背景としての禅譲システムに対し
「有徳者(要は強いヤツ)」による武力放伐で統治者交代しようぜー、と訴えたイノベーター

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 12:30:34.36 ID:PUjxFJaE0
石勒は実は孟子の湯武放伐理論(池沼君主はぶっ殺そうぜ理論)の信奉者だったのか。

ウン。東晋の人士とは全く合わんな。

376: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 14:38:33.79 ID:LivDGlgV0
前趙建国のロジックはかなり特殊(匈奴と漢は兄弟だから天下を継承しても構わないよね的な何か)だったけど後趙は「実力で天下取る」というシンプル過ぎる建国理念だからなあ
秦、前漢、新、東漢、曹魏、西晋いずれとも異なる建国プロセスを辿っており強いて言うなら前漢が一番近いのだろうか
先行する諸王朝を概観してみたら確かに劉邦の前漢リスペクトに至るのも分かる気がする
秦(戦国の雄国)や後漢(劉氏の血統)、前趙(匈奴単于の血統)みたいに貴種性がない以上は仕方のない選択とも言えるが

石勒とそのブレーンたちは王朝の正統性確立のために史書の研究を相当やりこんでいたんじゃないのかな

377: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 15:18:29.55 ID:LivDGlgV0
系図偽造(前趙に疑惑あり)や讖緯(王浚)に走らなかったのは石勒の素朴さの現れなんだろうが
これがプラスに働いたかマイナスに働いたかは評価しにくいところ

蒲洪は「草付応王」の讖文で苻姓に改めることにより、三国時代のテイ族の王苻健の後継勢力であることを主張する形をとっている
これはプラスに働いているっぽい

378: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 15:27:02.25 ID:PUjxFJaE0
石勒の発言って陳勝の「王侯将相寧んぞ種有らんや」を意識してるっぽいしね。

382: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 19:41:42.82 ID:vpd4TBGJ0
君子営の要になる張賓が早期の内に手に入ったのは豪運だな

383: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/22(金) 20:43:54.08 ID:52fFRqf60
ローマ帝国=漢

ゲルマニア=匈奴

フランク王国=北魏

東ローマ帝国=南朝

384: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 01:08:00.78 ID:pZ5NdCPf0
北魏は東・西ゴート王国みたいに蛮族が文明地に進出しただけ
けどカール大帝はザクセン戦争で、ヨーロッパのフロンティアを東に拡大できた
北魏は中国のフロンティアを越えてなさそう

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 08:18:50.03 ID:kJ8INv9I0
>>384
北魏は代の頃よりモンゴル高原に対する支配力が低下して柔然の勃興を許しちゃってるのがなあ
スケールが全盛期前秦にどうしても劣る
全盛期前秦は漠北が分裂傾向にあったとは言え膨張し過ぎだろう
瞬間最大風速では隋唐に匹敵するんじゃないのか

418: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/26(火) 19:44:10.33 ID:+ye+RHka0
>>385
前秦が天下統一を急いで瓦解したから
北魏はじっくりいこうと考えたんじゃね?

421: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/26(火) 21:13:12.88 ID:4UvPw4/i0
>>418
じっくり行こうとして柔然と南朝に挟まれたのはどうかと思う
後趙並みに身動き取れてないような
あの時は慕容恪という規格外がいたから戦況動いたけど

386: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 08:38:50.20 ID:8t36/JiO0
北魏は南北に挟まれつつ上手く国家経営したと評価するべきか
結局滅亡する直前まで前秦を越えられなかったと評価するべきか大いに悩む

387: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 08:52:01.83 ID:1JzldPM70
部族の漸進的な解体とか農業改革とかで北魏は五胡十六国の華北のまとまりの無さを長い時間かけて処理することには成功したと評価するよ

388: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 09:15:15.33 ID:1lhp4Xii0
北魏は支配の密度では前秦よりはるかに上だろう
前秦は所詮、点と線レベルでは

389: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 09:23:45.36 ID:8t36/JiO0
北魏の東西分裂の過程を見ていると言うほど部族制が解体されていたか疑問に思う
特に山西一帯はかなり濃厚に温存されていたように感じる

391: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 10:09:57.24 ID:OltFSQAv0
東晋の頃は中原経略が亡命王朝としての政治的最終目標になっていたけど劉宋になってから明らかに優先順位が低下したような気がする、東晋中期のような連年の北伐は鳴りを潜めている(それでも文帝は頑張った方だが)
北魏は案外劉宋の成立にかなり助けられていたのでは?

394: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 13:50:28.10 ID:lbAF0Wqp0
北魏は初代皇帝が息子に殺されるって展開なのに何故か揺るがない印象。

395: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 15:20:00.75 ID:M6n/Fj1D0
その後比較的有能な君主が宣武帝まで続いたからな

396: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/23(土) 17:00:07.74 ID:MaRSxqtl0
時代もあったんだろうけど、安定感では五胡~北朝で随一だわなあ

399: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/24(日) 05:03:07.14 ID:6mNMxGyK0
北魏の部族制解体時に南朝が北伐して「君たちの部族を○公に封じてあげるよ」とかやってたら
北魏は普通に混乱してたんじゃなかろうか?
テキ氏や慕容氏あたりは乗ってきそう

422: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/26(火) 21:22:05.87 ID:MLeU4XW90
五胡スレは結局慕容恪最強に戻っての来ちゃうのが嫌い

423: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/26(火) 23:48:25.88 ID:Gr9UXaG/0
慕容格は最強って言うよりぐう聖だろ?

425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/27(水) 03:19:09.74 ID:1NjYrvhB0
誰も突出してないから混迷を極めてるんじゃ

426: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/27(水) 10:07:20.19 ID:wPiNsrOC0
>>425
苻堅は傑出してただろう
簒奪直後は好機が来るまで虎視眈々と雌伏し続けることができたのに東晋に対してだけは辛抱できなかったのが本当に悔やまれる

謝安が強心臓過ぎるのがいけない
呉とかだと丞相張悌が自棄っぱちになって晋軍に突撃していってたけど当時の東晋も似たような状況にあったにもかかわらず迷わず勝ちに行っているという狂気

引用元: ・五胡十六国時代について語るスレ



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