1: 人間七七四年 2015/02/18(水) 21:58:58.40 ID:2F6CxmlK
宇久氏や本間氏らはどのような活動をしていたのでしょうか?
戦国大名とどのように係わったのか教えて下さい








3: 人間七七四年 2015/02/28(土) 19:56:24.97 ID:8SJDUxd0
つつましく倭寇とかやってたよ。

4: 人間七七四年 2015/03/01(日) 00:47:12.26 ID:dcrKZxWA
対馬の宗氏とか五島列島の五島氏とか平戸島の松浦氏とか

5: 人間七七四年 2015/03/01(日) 01:40:57.25 ID:764ij8Zm
宇久氏は本土の合戦に参加してたらしいけど規模からすると数十人程度か
あの当時対馬や佐渡や五島にどれだけの人口がいたのか

6: 人間七七四年 2015/03/01(日) 13:32:12.57 ID:mDUHDdOs
隠岐とか壱岐とか宇和島とか淡路島とか・・・

45: 人間七七四年 2017/05/11(木) 01:40:53.53 ID:PhLRdr+t
>>6
淡路島は中央の戦に引っ張りだこだよ
阿波からも参戦してるし

7: 人間七七四年 2015/03/01(日) 16:09:55.27 ID:JxDSSxxh
お前ら山間部の領主のことも言えよ

8: 人間七七四年 2015/03/01(日) 17:14:30.56 ID:Qh139nlt
内ヶ島氏理は山間部に住んでいたがばかりに…

9: 人間七七四年 2015/03/01(日) 18:23:14.89 ID:764ij8Zm
毛利の本拠地は山あいで、こんなところから大大名が出てくるのか?
と驚いたものです

大内尼子に囲まれてたとは言え大大名が安芸国にいなかったから発展出来たのか
普通山間部の国人は平野部の大名には勝てないやろし

47: 人間七七四年 2017/05/13(土) 03:34:32.54 ID:BbZEkz+J
>>9
同意。まさかあんな山間部の領主があそこまで成長するとは思わなかった。
あんなになると分かっているんだったらもうちょっとあいつらと仲良くしていたよ。

10: 人間七七四年 2015/03/01(日) 18:53:34.95 ID:s4PS9pXU
阿波三好郡、三河松平郷も山間部のど田舎だったわ。越前織田村も田舎。

11: 人間七七四年 2015/03/01(日) 22:36:04.56 ID:764ij8Zm
信長が飛騨の山あいの領主だったら才覚あっても美濃すら侵攻出来なかったでしょうね

大規模な勢力がおらずに飛騨に比べたら平野もある安芸から始まった毛利元就や、統一された勢力がいない信濃を狙えた信玄はある意味ツイてるわ

28: 人間七七四年 2015/04/18(土) 10:23:09.18 ID:0zs8s9KZ
>>11
南部のような山間部の領地から始まってそれなりの勢力になった例もあるし才覚があればどこでもやっていけるだろ。

34: 人間七七四年 2016/02/21(日) 11:30:27.36 ID:7NLypHYQ
>>38
南部氏の本拠となった三戸町は比較的平坦で、縄文時代から定住集落が複数あった場所
馬の産地であり、金もとれる
あのあたりでは、かなり豊かな場所だぞ?

12: 人間七七四年 2015/03/02(月) 18:48:59.20 ID:G8w3UWN6
松平町は何だかんだ交通の便のいい位置

14: 人間七七四年 2015/03/08(日) 22:45:13.26 ID:2qOCtHMl
松平町って電車も主要な街道もなくね?
伊勢を支配してた三重県津市美杉町多気も山間部だったわ。

15: 人間七七四年 2015/03/09(月) 12:43:15.56 ID:545vqbSo
木曾義昌の弟で、義昌の後を継いだバカ殿・木曾義利に諫言して殺された上松義豊さん
木を見分けることに優れていて、毎日のように山を歩き回って、どこの山のどの場所にどんな木が生えているかをすべて記憶していたという
諸国からの木材輸出の依頼に対し、「この依頼には、あそこの山のここに生えている木を切って来い」等と家臣に指示し、木曽谷の木材の輸出を仕切っていたとか
つまり、林業の元締めだったわけだね

19: 人間七七四年 2015/04/03(金) 07:25:09.25 ID:SdI2T/vz
奥多摩とかどんな風だったのだろう

20: 人間七七四年 2015/04/10(金) 07:45:38.39 ID:cfF8w8V6
奥多摩というと、小菅氏や丹波氏、檜原城の平山氏なんかは割と研究が進んでるな
初期は割と独立的だったのが、北条と武田の伸長により支配下に取り込まれ、境目地域として紛争地帯になってる

小菅氏なんかは、郡内の小山田氏の影響もあって、国中の武田氏との間で半手になってたりとか

21: 人間七七四年 2015/04/10(金) 23:14:45.50 ID:xhCUK1Tq
あんな秘境でもやはり係争地になっていたのか…

22: 人間七七四年 2015/04/11(土) 04:09:43.73 ID:3FTCTLPh
>>21
奥多摩というか、今の大月、小菅、丹波山、小河内、氷川、檜原、棡原あたりから秩父は、当時は交通の要衝で、山間部を東西南北に街道筋が走っていたんだよ

文化的にもこの辺りは完全につながっていて、今もくるみ蕎麦やら食べ物に共通点があったりする
登山やってる人だと登山道で理解しやすいかもしれない

23: 人間七七四年 2015/04/11(土) 04:14:48.07 ID:bt0d37hK
越中の黒部あたりはどうだったんだろうか?

48: 人間七七四年 2017/08/21(月) 13:02:13.22 ID:rDDqrkKg
>>23
さすがに黒部の渓谷には誰もいなかった
立山方面なら、飛騨の江馬氏が有峰口まで進出してきてた。

24: 人間七七四年 2015/04/11(土) 06:52:06.88 ID:egLSO4Yd
山間部の領主は、樵・炭焼き・猟師・鉱山師・木工細工師の元締め
離島の領主は網元みたいなもの

当時の田舎は、農林水産か鉱業の一次産業しかなく、工業は存在せず、商業も行商人だけ
温泉地でもない限り、観光業という職業もない

25: 人間七七四年 2015/04/11(土) 07:46:01.68 ID:Xv9Fk1UQ
宿泊業は今より盛んだったよ
基本的に徒歩だから日帰りで遠出はできないから、どこにでも宿場があった

26: 人間七七四年 2015/04/11(土) 19:11:28.95 ID:xAYnAH6d
>>25
ここは「離島や山間部」の話だろ
それに街道沿いや港でないところに宿なんて、ほとんどない
寺や民家、その物置、廃屋などに泊まるほうが一般的だ
そもそも、武士階級や商人・流通関係者・旅芸人じゃない一般人は、伊勢参りや湯治じゃない限り、遠出しない
一生を今の都道府県レベルの地域で過ごす
各大名が交通を規制した関所もあるしな

27: 人間七七四年 2015/04/13(月) 00:00:33.72 ID:L/l8diX0
>>26
昔は今でいうところの字単位で宿場があったんだよ
そもそも人の行き来が厳しく制限されたのは江戸時代の話
その江戸時代でも人の往来は意外と激しかった
それに昔は徒歩が基本であるから中規模程度の藩ともなれば例え藩内であっても宿泊はする
江戸時代の日記や書状等を見るとそういった記述がよく記されている

29: 人間七七四年 2015/04/18(土) 17:55:11.12 ID:zRtWfTV8
甲府盆地(国中)を山間だと思ってる奴がいるようだが
あそこは割と広く豊かな盆地であってだな多くの衆を養うに足るんだよ
飛騨やら木曽やらとは全く条件が違う

他国の介入を防ぎやすいという意味では、広大な関東のど真ん中とかよりずっと守りやすくて条件恵まれているだろう

31: 人間七七四年 2015/05/26(火) 01:13:33.52 ID:ly8sz4Dq
在住地の国境が山間部なのですが
虐殺だのなんだの血生臭い話しがごろごろあります

山間部でも規模の小さい領主が居て砦のようなものに篭城して戦ってたみたいですね

35: 人間七七四年 2016/06/29(水) 23:08:21.41 ID:t8oVJC8L
今じゃ全く感覚変わったけど、
昭和の最初までは山というのはプチ油田みたいなもので、持ち主には結構な収入だった。
島崎藤村の幕末小説「夜明け前」でも尾張藩が独占する木曾路の山林収入が、主人公達の一番の関心事になっている。

特に戦国時代は、乱伐が酷く高値で売れた時代で、山間部の領主はかなり潤ってた。

49: 人間七七四年 2017/08/21(月) 13:05:56.95 ID:rDDqrkKg
紀伊の浦や山間部の小領主が面白い。
南北朝時代の竹原氏がまだ居たりとか、熊野本宮の楠氏とか。
野長瀬氏、龍神氏、山地玉置氏、久木小山氏
調べると面白いよ。

50: 人間七七四年 2017/08/21(月) 13:15:40.74 ID:rDDqrkKg
岐阜の山奥の旧徳山村の徳山氏。
信長に越前との連絡役として重宝された

引用元: ・離島や山間部の領主について