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1: 世界@名無史さん 2012/03/13(火) 09:37:20.85 0
今年で生誕300周年を迎えるフリードリヒ大王。
18世紀を代表する卓越した君主である大王を語り尽くそう。
また大王に関する伝記・書籍についても情報あればお願いします。


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フリードリヒ2世

フ リードリヒ2世(1712年1月24日 - 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王(在位:1740年5月31日 - 1786年8月17日)。優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとす る芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。

学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、自ら書を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王と尊称されている。ドイツにジャガイモ栽培を広げたことでも知られる。




673: 世界@名無史さん 2017/04/17(月) 23:27:01.26 0
大王の7年戦争勝利が、後にドイツが2度も大ポカやった遠因だな
ある意味大王の呪縛だわ

七年戦争

墺仏露の3国に加えてスウェーデン、ザクセンなどドイツの諸侯も加えると、敵国の人口は8,000万にもなり、人口400万のプロイセンにとって絶望的かと思われる戦いだった。フリードリヒ2世は、序盤のロスバッハやロイテンにおいて、巧みな戦術で自軍より倍以上の敵軍を破ったものの、孤立同然のプロイセンの兵力は消耗し続けた。1757年6月18日にコリンの戦いで大敗した後は守勢に転じ、1759年8月12日のクーネルスドルフの戦いではフリードリヒ2世自ら敵弾にさらされて上着を打ち抜かれ、乗馬は2頭まで撃ち倒されて敗走している。この時の大臣宛の手紙には「これを書いている間にも味方はどんどん逃げている。私はもうプロイセン軍の主人ではない。全ては失われた。祖国の没落を見ずに私は死んでいくだろう。永久に。アデュー」と書かれている。フリードリヒ2世はその後、残存兵力をまとめてどうにか態勢を立て直すが、苦しい戦いは続き、1760年10月にはとうとうオーストリア軽騎兵がベルリンに迫っている。

イギリスの軍資金援助も打ち切られ、フリードリヒ2世は自殺を覚悟したが、1762年1月5日、ロシアのエリザヴェータ女帝が急死すると、甥で後継者のピョートル3世はフリードリヒ2世の崇拝者であったため、奇跡的にロシアとの講和が成立した。さらに西ポンメルンで苦戦を強いられていたスウェーデンも、フリードリヒ2世の妹であるスウェーデン王妃ロヴィーサ・ウルリカの仲裁により、同年5月に講和する。疲れ果てていた列強はこれを機に兵を収め、孤立したオーストリアに勝利を収めたフリードリヒ2世は1763年2月10日、フベルトゥスブルクで和議を結び、プロイセンのシュレージエン領有は確定する。


674: 世界@名無史さん 2017/04/17(月) 23:41:57.24 0
僥倖の勝利が後に禍根を残すという例。
日本人にも身に覚えがある。

675: 世界@名無史さん 2017/04/17(月) 23:55:20.64 0
百数十年もあとのことまで責任負えんわ
その間に意思決定できる指導者がどんだけいたと思ってんだ
そもそも大王がいなかったらナポレオンに初っ端ボコられるだけでなく、完全に消滅させられてたかもしれん

707: 世界@名無史さん 2017/05/11(木) 04:53:05.64 0
フリッツ爺さん「俺の本が出たらしい。作者は塩野七生とは?あれ皇帝?」

709: 世界@名無史さん 2017/05/15(月) 21:09:20.69 0
>>707
アンタじゃマッチョ好き塩野の触手は動かない

739: 世界@名無史さん 2017/05/18(木) 22:18:26.87 0
>>707
俺も危うくその本買いかけたんだよな

710: 世界@名無史さん 2017/05/15(月) 21:25:58.06 0
ホモで草食系でチビガリだっけ?
英雄だが、無理だろうな。

768: 世界@名無史さん 2017/05/23(火) 05:57:17.32 0
フリードリヒ大王が指揮した戦いじゃないけど、七年戦争でのミンデンの戦いはなんでプロイセンが勝てたのか戦闘の経緯がよくわからん
プロイセン連合軍のうっかり突出してきた兵団をフランス軍が騎兵で包囲攻撃という圧倒的有利なはずの展開で全部跳ね返されて敗北ってどういうこと?

769: 世界@名無史さん 2017/05/23(火) 09:49:22.11 0
まず一つ訂正せにゃいけんが、ミンデンの戦いにプロイセン軍は参加してない。
指揮官はプロイセン軍出身で、それまでに実績もある人だけどね。
フランス軍にとっての誤算はシュペルケン師団が増援を得ながら予想外に持ちこたえ、正面からの攻撃にもどうにか耐え抜いたこと。そして騎兵を援護するべき歩兵集団が連合軍の砲撃で阻止されたこと。また敗走した騎兵が友軍まで混乱に巻き込んだのも痛かった。
ゆえに「定石通り歩兵集団を正面から、騎兵を側面からぶつければ良かったのに」と批判されている。

770: 世界@名無史さん 2017/05/23(火) 10:00:19.11 0
あ、間違えた。ミンデンの戦いならプロイセン軍も参加してたわ。
ホルシュタイン=ゴットルプ中将とフィンク・フォン・フィンケンシュタイン中将指揮下の竜騎兵9個中隊、この他フザール3個中隊が投入されてた。

771: 世界@名無史さん 2017/05/23(火) 16:54:25.36 0
なるほど、詳しい解説ありがとう!
フランス軍はこの戦いであえて定石を外して騎兵を中央に配置したってのは知ってたけど、それが裏目に出ちゃったってことか
歩兵戦列の撃破は戦力優勢であっても騎兵だけではなかなか難しいんだな
なんか双方戦列が整わない状態で戦闘になっちゃって戦力が逐次投入になったような記述だったけど

773: 世界@名無史さん 2017/08/11(金) 13:31:54.99 0
ヴォルテールと喧嘩別れした話なんかは
フリードリヒⅡの人間性を考える上で興味深いな

774: 世界@名無史さん 2017/08/11(金) 21:40:27.19 0
ヴォルテールはフリードリヒ2世の宮廷で聞いた内部情報を使って金儲けをしていたからな。

775: 世界@名無史さん 2017/08/13(日) 22:58:32.34 0
>内部情報を使って金儲け
その噺のソースは?

776: 世界@名無史さん 2018/01/13(土) 13:09:11.41 0
大王様の好きだけど下手糞な自作の詩というプロイセンの最重要機密を漏らしたことでしょうな

778: 世界@名無史さん 2018/03/17(土) 08:08:56.95 0
主人にコーヒー禁止を言い渡し、自分は朝昼晩とコーヒーを愛飲。
18世紀のプロイセンにはそんな迷惑な下僕がいました。

779: 世界@名無史さん 2018/03/19(月) 13:30:39.18 0
国家第一の下僕ちゃんは国民がコーヒー買うとお金が国外に流出しちゃうから禁止してるだけで自分がちょっとだけ買う分には大丈夫だと考えてるわけ

皆がやったらだめってだけだよ

781: 世界@名無史さん 2018/03/22(木) 09:49:13.26 0
他の領邦やスウェーデン、スイスといった他国でも出てた禁令だから問題ない

784: 世界@名無史さん 2018/05/01(火) 21:57:25.81 0
大王様のおかげで我々臣民はどんぐりコーヒーを飲むことができるのですよ。
うん、おいしい。

787: 世界@名無史さん 2018/05/19(土) 13:15:54.76 0
後のナポレオンもヒトラーも誤解ないし曲解しているがこの人の戦略目的はあくまでシレジアの領有と飛び地の連結だけ

788: 世界@名無史さん 2018/05/20(日) 17:47:05.45 0
そんなことで国を滅ぼしかけたのか

789: 世界@名無史さん 2018/05/21(月) 11:46:08.50 0
>>788
そらオーストリアとの国力差を縮めないと先代のユーリヒ=ベルク継承問題
みたいにさんざん神聖ローマ帝国から良いように扱われちまうからね。
「そんなこと」じゃ片付かないんだよ。

790: 世界@名無史さん 2018/05/21(月) 20:35:52.09 0
>>789
何か目的が増えたぞ

791: 世界@名無史さん 2018/05/21(月) 20:53:24.81 0
>>790
いや、シュレージエンの領有と飛び地の連結は結果として
オーストリアとの国力差を縮めるべ。
戦略目的、言い換えればやりたいことは変わってない。

792: 世界@名無史さん 2018/05/21(月) 22:35:37.26 0
>>791
つまり、オーストリアとの国力差を縮めるのが目的で、シュレージエンの領有と飛び地の連結はその手段という位置づけになるな。
そうなると目的を達するための手段としては不足しており、当然のようにさらなる征服活動が必要とされる。
事実、ポーランドを分捕るチャンスがあればすかさず食いついているしな。
(第二次・第三次ポーランド分割)

796: 世界@名無史さん 2018/05/24(木) 21:50:21.87 0
>>792
いや、だから大王が関わったポーランド分割は1次だけ。
あとはアホーな後継者がしでかしたことで、大王のせいじゃない。

793: 世界@名無史さん 2018/05/23(水) 00:04:57.05 0
ナポレオンやヒトラーとの大きな違いは、七年戦争を除けばオーストリア継承戦争、バイエルン継承戦争、ポーランド分割と 外交的にうまく立ち回って、おいしいところだけうまく頂くのを達成できたところ

794: 世界@名無史さん 2018/05/24(木) 21:15:11.91 0
そういう勝ち逃げは真似できるもの、という錯覚を長きにわたり与えた。
石原莞爾もその一人だったな。

799: 世界@名無史さん 2018/05/27(日) 00:56:22.72 0
>>793
ただし当時と後世を幻惑したのはむしろ七年戦争の奇跡の方という皮肉

802: 世界@名無史さん 2018/05/27(日) 12:31:30.93 0
七年戦争についてはむしろロスバッハやロイテンのような戦術的勝利の方が取り沙汰されたからな
むしろ外交的な不利を戦術的勝利の連続で挽回するという志向が一般的になってしまった
流石にビスマルクはそれに乗らず妥協も後退も辞さなかったがそれもまた当時の彼の不人気の理由の一つだったような

804: 世界@名無史さん 2018/05/27(日) 12:51:25.92 0
>>802
7年戦争も、実際には戦術的勝利よりは、粘り強く戦い続けたことで、ロシアとオーストリアの不和を引き出せたことが大きい。
フリードリヒ大王も、ザクセンを押さえて長期戦に耐える資力を蓄えるという目論見で開戦したし

806: 世界@名無史さん 2018/06/14(木) 23:30:13.70 0
ナポレオンやヒトラーには目標や目的の限定性が無い
それこそ進める限りどこまでもで

スターリンはまだ「止まる」事も知っていたが

807: 世界@名無史さん 2018/06/15(金) 01:29:31.23 0
>>806
ナポレオンはトラファルガーで敗戦したせいでイギリスにどう足掻いてもトドメを刺せなくなったからイギリスが経済的に終わるか、ナポレオンがどっかで負けるかのチキンレースをするしかなかった
だからイギリスが音を上げるまで一生終わらない
実際イギリスも青息吐息でナポレンは後一歩だったからロシア遠征さえしくじらなければな

フリードリヒ大王も同じようなもんでペチコート同盟が止めるって言うまで一生内線作戦でモグラ叩きするしかなかった
大王の場合、幸運にもロシアが一番最初に脱落してくれたのが助かった

808: 世界@名無史さん 2018/06/15(金) 10:07:08.84 0
>>807
ドームシュタットルで勝ってオルミュッツを陥落させ、オーストリア軍に決戦を迫れたら対オーストリア戦は1762年まで長引かなかったかもね。

813: 世界@名無史さん 2018/07/04(水) 22:19:19.89 0
(フリードリヒ2世は)まるで何ら戦術の知識がない者のように
行動することがしばしばであった。

─── ナポレオン

823: 世界@名無史さん 2018/07/09(月) 21:59:40.51 0
>>813
ナポレオン1世の言うことを信用するなら、足萎えのイカサマ師タレイランのことを絹の靴下の中の糞といったのも正解なんだな?

841: 世界@名無史さん 2018/08/24(金) 06:45:19.35 0
>>823
どちらも本質を捉えたコメントだと思うね。
ナポレオンには評論家の素質がある。

814: 世界@名無史さん 2018/07/05(木) 23:10:54.59 0
戦術的なセンスに欠けていたのは、残念ながらナポレオンくんの指摘通り。

815: 世界@名無史さん 2018/07/06(金) 09:30:15.96 0
ホッホキルヒなど負けた戦闘の指揮には酷いものがあるが、ロスバッハの戦いにおける指揮は他ならぬナポレオンも賞賛してる

ロイテンの戦いも見事な采配だった

817: 世界@名無史さん 2018/07/06(金) 18:18:29.87 0
知識が弱いというか頭でっかちで実地の知識が足りてないというか

何ていうか文人肌だから現場を結構無視してぼくのかんがえたさいきょうのせんじゅつやってる時がある

818: 世界@名無史さん 2018/07/06(金) 21:09:18.49 0
しかしツォルンドルフ、リーグニッツにトルガウのいずれも果敢な攻撃が多勢な敵からの勝利をもぎ取っているので、結局誰もが結果次第で後からあーだ、こーだと言ってるだけ。

819: 世界@名無史さん 2018/07/09(月) 12:01:07.61 0
>多勢な敵から勝利を

いや、会戦の場で敵より少数になってしまうというのがそもそも指揮として拙いわけよ。

820: 世界@名無史さん 2018/07/09(月) 14:12:16.90 0
>>819
プロイセンとオーストリア一国のみでも人口差が大きいのにそんなこと言ってたら始まらない。
兵力差の背景にある動員数や軍の配置なんて語りだしたらもう戦略レベルの話だし、それならそもそも戦争すんなと言うのが正解で終わる。だが今の話題は戦術だ。いざ戦場に臨んだ時、手持ちのカードをどう切るかって話だ。その観点でフリードリヒ大王を見ると、極端な兵力差の前に順当に敗れることもあるかと思えば、倍以上の敵に勝ったりもする。兵力差が1.5倍未満の戦いでもだいたい勝ってるな。

828: 世界@名無史さん 2018/07/10(火) 11:31:18.02 0
>>820
フリードリヒ大王の頃とナポレオンの頃で違うのは、戦争の質じゃなくて徴兵の質。
プロイセンはカントン制を敷き、少なくとも国内では都市部からの徴兵を控えた一方、フランスは王政時代から都市部の住民を含めてほぼ無軌道に徴兵していた。
連隊所属の募兵部隊が応募者を甘言と深酒で勧誘したり、徴兵請負人が民家や教会にまで侵入して男を拉致したりすることまでやってた。
フランス革命期、カルノーの改革で国民皆兵となり、後の時代に悪影響を及ぼすほどの動員が達成され、フランス一国で周辺各国を圧倒するまでになる。
プロイセンは第六次対仏大同盟戦争の時期にはラントヴェーアを導入して同様の傾向を辿るが、同時代のフランスほどの根こそぎ動員はやってない。てか、やりたくてもそこまではできなかった。

824: 世界@名無史さん 2018/07/09(月) 22:11:06.41 0
ナポレオンは確かフリードリヒのことを、戦力集中がヘタみたいな事を書いてた気が。
まあナポレオン自身、人の事を言えるとは思わんが。

825: 世界@名無史さん 2018/07/09(月) 22:35:24.00 0
フリードリヒ大王のころの戦争と、ナポレオン戦争とではそもそも戦争の質が違うからな
戦争は王侯のスポーツといわれていた。

敵であるヨーゼフ2世やピョートル3世からも尊敬されたフリードリヒ大王と同国人からもコルシカの食人鬼といわれたナポレオンの違い

830: 世界@名無史さん 2018/07/13(金) 00:22:13.01 0
七戦争のプロイセンは、軍隊の損耗率が100パーセントを越えたと何かで読んだが・・・
そんな戦争をする王も王なら、それにつきあう国民も国民だ。
呆れるしかない。

834: 世界@名無史さん 2018/07/13(金) 09:56:31.72 0
>>830
何で読んだのか言えないようじゃ鵜呑みにできん

だいたい大王の時代は現代に通じる啓蒙思想がようやく芽生え始めた頃で、一般人、特に軍人は日本の体育会系を煮詰めたような精神性の持ち主ばかりだぞ

しかも、それはプロイセンに限らずヨーロッパのどこでもそうだった

831: 世界@名無史さん 2018/07/13(金) 02:46:19.48 0
先代がそのためだけに国家を保有する軍隊とまで揶揄されるような
プロイセン王国を長年かけて作り上げたからな

835: 世界@名無史さん 2018/07/13(金) 22:34:27.34 0
そもそもフリードリヒ大王の時代の兵隊は傭兵だから、一般国民とは何のかかわりも無い

836: 世界@名無史さん 2018/07/14(土) 21:06:03.84 0
>>835
大王の時代のプロイセン兵はカントン制で集められた農村出身者と徴兵請負人が国外から連れてきた傭兵の二本立てでございます。

837: 世界@名無史さん 2018/07/14(土) 21:13:55.60 0
さらに都市の守備隊は民家に分宿してたんで、一般国民とはめっちゃ関係がある。
兵士は薄給だったから、市内で内職にも励んでいたし。

845: 世界@名無史さん 2018/09/18(火) 23:30:03.83 0
フリードリッヒ2世の功績としてはオーストリア継承戦争とシュレージエン領有は確かに評価される。しかし7年戦争の窮地に嵌まったのは明かなフリードリッヒ2世の外交的失策つーか、外交以前の自身の舌禍が原因だ。
戦術的勝利で戦略上の窮地を7年凌いだのは立派だが、最終的に勝てたのはたまたまの幸運だ。大王と呼ばれる程の王ではない、明かに過大評価だろ。

むしろ抑止力としての軍事力育成に徹した父の兵隊王こそ評価されるべき。

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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
(1688年8月14日 - 1740年5月31日)は、第2代の「プロイセンにおける王」。粗暴で無教養だったが、財政・軍制の改革によってブランデンブルク=プロイセンの強大化に努め、兵隊王(または軍人王)とあだ名された。

848: 世界@名無史さん 2018/09/25(火) 20:55:51.83 0
>>845
確かに総合的には兵隊王の方が君主として評価に値すると思うが
後継者の教育には成功したと言い難いのでそこが減点

850: 世界@名無史さん 2018/09/26(水) 00:06:33.53 0
>>848
ハァ?
兵隊王の後継者が他ならね大王だろ
兵隊王の「あの教育」が無ければフリードリヒ2世は唯の芸術好きな文人王に終わってたかもな

852: 世界@名無史さん 2018/09/30(日) 17:09:37.79 0
>>850
兵隊王は最晩年、ユーリヒ=ベルク公国の継承を巡ってハプスブルク家と決裂し、王太子に自らの言葉で外交に関する遺訓を残してたりするんだよね。
かなり大雑把に言うと、諸外国に決して気を許すなというもの。

日本だとフリードリヒが恩あるオーストリアにいきなり牙を剥いたかのように言われることもあるが、兵隊王の最晩年にも神聖ローマ帝国に対する遺恨があった点に注目する人はあんまり居ない気がする。

(「にも」と言うのは兵隊王に限らず、大選帝侯もフリードリヒ1世も神聖ローマ帝国に煮え湯を飲まされてきたから)

846: 世界@名無史さん 2018/09/19(水) 13:42:24.09 0
七年戦争勝ち抜いた後の内政面に大王の手腕って父親よろしく盛大に発揮されてる

というかむしろそっちのが後のプロイセン雄飛の礎と言ってもいいくらいに成功してたりする
単純に勝ったから大王というわけじゃないってことはちょっと抑えとくべきだな

847: 世界@名無史さん 2018/09/23(日) 06:17:12.78 0
7年戦争時の状況を作ってしまった反省を戦後に生かしてるよね

853: 世界@名無史さん 2018/10/12(金) 17:38:17.20 0
シュレジェンの領有確定については現地が新教人口が多くプロイセンの統治を歓迎していた面も大きい

864: 世界@名無史さん 2019/01/21(月) 23:41:40.17 0
フリードリヒ大王のような人はプロイセンの政治風土の中では異端なんだよな
彼のような人が彼の地にもっと多くいれば、ドイツが軍国主義に染まることもなかっただろうし、その夢と熱から醒めるのに二回も頭を激しくぶつけて出血多量になる必要もなかっただろうに

865: 世界@名無史さん 2019/01/23(水) 06:55:31.24 0
彼のような人が居たから、ドイツは軍国主義に染まって二回も頭を激しくぶつけることになったのではないかな

866: 世界@名無史さん 2019/01/23(水) 10:43:03.30 0
ビスマルクがどれくらいフリードリヒ大王を参考にしていたか知らないけど、ビスマルクであれば「外交的に孤立したらドイツは詰む」って教訓を引き出していたと思う。自身も外交畑だしな。

一方ヴィルヘルム2世やヒトラーは、この点を甚だしく軽視していたとしか思えない。政治は結果責任だから、大選帝侯からフリードリヒ・ヴィルヘルム2世までの歴代君主の功績は否定しようがないが、あの二人は「ブランデンブルク家の奇跡」があくまでも「奇跡」であることを重く見てなかったのではないかな。

引用元: ・【プロイセン】フリードリヒ大王【啓蒙専制君主】



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