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1: 人間七七四年 2011/04/21(木) 15:54:10.90 ID:3XXnNPQM
江戸幕府を開く徳川家康を排出した松平氏の歴代当主や一族である十八松平、
家康の子である信康、忠吉、信吉、忠輝らも語りましょう。

※家康公のスレは 【徳川家総合】 徳川家康 で検索して下さい。
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【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】








79: 人間七七四年 2011/05/18(水) 20:50:37.18 ID:/S5I2GUC
一つ聞きたいんだけど清康の三河統一ってどの程度の統一?
信秀の尾張統一くらいの名義だけで国内に守護・守護代だの色々残ってますよ的取り敢えず最大勢力です的統一なのか。
1569年の信長的な概ねまあ統一って感じなのか?
桶狭間後の対外勢力の介入も許さないほぼ統一状態なのか
信清滅亡後の誰も反抗する気さえ起きない完全統一なのか
どれ?
松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代の武将。三河松平氏(安祥松平家)の第7代当主。安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。徳川家康の祖父にあたる。

81: 人間七七四年 2011/05/19(木) 08:11:45.30 ID:5Rn2bJny
清康自体がぱっと出て、ぱっと消えてしまったから、線引きは難しい気がする。
でも、松平一族は取りあえず押さえていたのではないかと思う。
松平党って、それこそ清康が出てくるまで、党としては絆が強いみただけど、主従
関係は結構曖昧じゃないか?

102: 人間七七四年 2011/11/20(日) 00:38:33.49 ID:KI8Cr9an
清康の死って不自然だよな。
斬った阿部弥七郎の父・定吉は処刑も切腹なされてないし。
松平 清康

天文4年(1535年)12月、清康は尾張に侵入し織田信秀の弟の信光の守る守山城を攻めた。この守山の陣の最中の12月5日(12月29日)、清康は大手門付近で突如、家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られ即死した。これを「森山崩れ(守山崩れとも)」という。享年25。これは松平信定の策略であったといわれている。

89: 人間七七四年 2011/05/27(金) 07:00:24.68 ID:BkaTjkZv
徳川連枝と久松系を除いたら、江戸時代をのりきった大名松平家ってほとんどないんじゃないか

90: 人間七七四年 2011/05/27(金) 15:55:45.73 ID:MMY/8URf
意味不明基本松平家は徳川家の一門
譜代の松平氏はほとんどの大名家が改易されておらず江戸時代乗り切っている
越前松平家ですら改易何回もされてるけど将軍の兄の家ということで津山10万石で幕末まで乗り切っている
外様の大大名も江戸時代は松平氏だからたしか江戸時代の3割の大名は松平氏だから余裕で幕末まで続いている

91: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/05/27(金) 23:23:46.65 ID:u7tgtTag
徳川連枝ってのは家康の子孫てことじゃないのかね。

十八松平の血を保った大名家は少ないという意味なら納得できる。

十八松平(じゅうはちまつだいら)は、松平氏の一族のうちで、徳川家康の時代までに分家したルーツを持つ松平家の俗称。徳川宗家を含める場合もある。家康の祖父・松平清康までの庶家に限定する場合もある。



109: 人間七七四年 2012/02/05(日) 00:10:40.09 ID:9pjTwLqw
清康の次男、源次郎信康は後継ぎ無しで死んだんだろうか
この人の一族が生きてたら徳川姓貰えてたかな?

110: 人間七七四年 2012/02/05(日) 01:09:55.54 ID:5D6iT2Ht
そいつは無理だと思いますよ。
徳川姓は、数ある松平諸家のうちの抜きん出た首席を意味する希少価値のある苗字。子にも名乗らせなかった。ましてや又従兄弟や大叔父では…

それは中臣傍流の鎌足が藤原氏を貰い、藤原四氏から抜き出した仲麻呂が恵美押勝を名乗った動機と同じだと解する

113: 人間七七四年 2012/08/27(月) 23:43:47.60 ID:9woYCyIj
清康の弟達の系統は断絶、広忠の弟の源次郎信康は早死にで分家する余裕が無かった。

114: 人間七七四年 2012/08/28(火) 02:34:24.42 ID:DguDaCWo
源次郎信康の討ち死には家康にとってよかったのやら悪かったのやら

115: 人間七七四年 2012/08/28(火) 22:23:49.74 ID:ArA4i1zR
源次郎信康が長生きしてたら広忠が死んだ後、今川家にいる家康に代わって松平家の実質的な当主ってことになるだろうし
家康が桶狭間後に戻ってきた時に桜井信定の二の舞になるだろうな。

116: 人間七七四年 2012/10/14(日) 13:59:33.70 ID:flscYc2F
清康は自分自身を「安城四代世良田次郎三郎清康」と名乗ってるから
この頃にはまだ「松平宗家」=「安城松平家」という認識はなかったのかな

117: 人間七七四年 2012/10/20(土) 00:34:21.24 ID:LRSrRB5t
そもそも●●党と名乗る勢力には、絶対的な上下関係がなくてその時々に一番羽振りのいい人間が主導権をとる関係。
だから、宗家=指導者という認識も薄かっただろうし、自分が宗家であると主張する必要も薄かったと思う。

とりあえず安城系が最有力と言う時点で、十分だったんじゃないの。

118: 人間七七四年 2013/04/26(金) 18:33:15.76 ID:BrxQFQy5
たまに信康を「岡崎信康」と表記するのを見かけるが、これって岡崎三郎信康を岡崎・三郎・信康と区切ると思った結果だろうか

119: 人間七七四年 2013/04/27(土) 09:52:41.08 ID:UjUwTEYi
>>118
単純に三郎を省略しただけだろ。

120: 人間七七四年 2013/04/27(土) 11:12:07.85 ID:8Gwxogi4
>>119
でも他の表記は「結城秀康」「徳川秀忠」「松平忠吉」・・・だぜ?

121: 人間七七四年 2013/04/29(月) 01:35:41.64 ID:0q8LlLTo
>>120
岡崎城の信康ってことだし

132: 人間七七四年 2013/06/06(木) 10:57:46.72 ID:c1xQwUqI
>>130
松平次郎三郎元信を次郎元信とは略さんだろうって事だろ
岡崎(城)殿と呼ばれてたなら岡崎信康でもおかしくないけど

137: 人間七七四年 2013/06/06(木) 18:59:20.79 ID:S4KJwg61
>>132
岡崎殿と呼ばれていたと勝手に思ってたわ。サンクス。

138: 人間七七四年 2013/06/06(木) 19:12:46.17 ID:MHK4+qJ0
>>137
いや、藩翰譜なんかじゃ岡崎殿表記だったよ
ここで否定されてるのは信康が「岡崎」という名字ではなかったという話

141: 人間七七四年 2013/06/08(土) 23:35:34.61 ID:9N3Pzd1s
>>132
数日考えてみたけどやっぱりおかしいんじゃないか?
信康を在城名から「岡崎殿」と表記するのはあくまで実名敬避俗によるものだろう
似たようなところでは秀忠が嫡男時代に「江戸中納言」と呼ばれていたが「江戸秀忠」じゃ江戸氏の一族みたいな表記になってしまう
信康に関しても通称+名前の「岡崎三郎信康」は正しくとも岡崎が名字化してしまう「岡崎信康」は誤りだと思うな

……まあ徳川実紀だと「岡崎次郎三郎信康」って表記が一部にあったりするが、これが名字扱いか通称の一部扱いかはわからん

124: 人間七七四年 2013/04/30(火) 20:40:18.59 ID:ZXBV3qES
そもそも「松平信康」とする根拠ってなんなんだろうね。実記あたりでそうなってるのだろうか
個人的には、名実ともに嫡男だった信康が徳川名乗れないってのもおかしな話がするんだけどなー
岡崎城と一緒に松平宗家の家督を家康の代わりに継いだとかなら説明はつくかもしれないけど

128: 人間七七四年 2013/05/08(水) 11:15:55.66 ID:SJGUZunM
>>124
>徳川名乗れないってのもおかしな話がするんだけどなー

将軍じゃなければ、徳川と名乗るのはNGなんだっけ?
御三家とか例外はあるけど。

129: 人間七七四年 2013/05/15(水) 12:12:09.10 ID:iLCELIEQ
>>128
少なくとも俺は、徳川家の継承権を持った家が徳川姓名乗れるってことだと解してる
秀康は結城、忠吉は東条、信吉は武田、忠輝は長沢を継いだから継承権喪失=松平姓じゃないかな
で、信康が松平って書かれるのは、たぶん廃嫡されたから後世に徳川姓を剥奪されたんじゃねーかなと勝手に思ってる
なにかしら信康の発給文書が残ってれば存命時の名字がわかったんだろうけどね

131: 人間七七四年 2013/06/06(木) 10:30:02.77 ID:WdA+lgSY
徳川という姓は勅許として与えられたという経緯があるから、ある程度の時間を経るか、家康が相当の官位を得るまでは、自儘に与えることは出来なかったのかもしれない

もしかしたら、当初は一代限りという条件だったかもしれないし

136: 人間七七四年 2013/06/06(木) 17:34:22.61 ID:MHK4+qJ0
>>131
そもそも信康の姓は確定してないから当時の徳川姓の扱いすらわからないという
……というか調べてる内に松平信康表記はもしかしたら明治以降なんじゃないかという疑念が出て来た

149: 人間七七四年 2014/02/26(水) 20:45:02.90 ID:nsJ+Xbd3
「岡崎信康」の指摘はなかなか興味深い。

岡崎といえば三河松平家歴代の中でも英傑と称えられる家康の祖父清康の本拠地。
家康自身は岡崎生まれながらあまり愛着がなかった。
それがいつのまにか信康が名実ともに支配者に。

152: 人間七七四年 2014/04/20(日) 00:19:01.81 ID:ukCp86qr
>>149
新行紀一先生なんかは「信康は支配能力が欠けてたから切腹させられた」って言ってるけどな

153: 人間七七四年 2014/06/27(金) 19:22:29.76 ID:vCBhHj02
>>152
信康が無能と言う記録や証言は有りません。
家康自身も期待していた様子ですし、能力不足は無いでしょう。

それに能力不足なら、切腹までさせません。
出家させて、寺にでも放り込んでおけば良いと思います。

154: 人間七七四年 2014/06/27(金) 21:29:03.08 ID:jXRqMW6/
>>153
天正四年の岡崎家臣の大反乱を許してる時点で信康の統率力には疑問符がつくぞ?
しかも信康の傅役の一人すら反乱に加わるという始末

155: 人間七七四年 2014/06/27(金) 22:20:39.68 ID:r2z6kDMV
>>154
そんな事を言ったら家康だって一向一揆とかで本多とかに裏切られてますし、信長なんて、何回裏切られているか判らないでしょう。

松平信康が、生きていれば、秀吉の命令で日明戦争(朝鮮征伐)にも加わったでしょう。
ヌルハチ(ドルゴン)vs松平信康の戦いを見てみたかったです。
(家康は、関東の社会基盤整備や新田開発に追われているかも知れませんが)

それに信康なら、秀忠と異なり、関が原の戦いにも間に合ったでしょう。
小早川の裏切りとは関係なく、信康の活躍で、東軍が勝ったかも知れません。

157: 人間七七四年 2014/06/28(土) 05:16:32.38 ID:6ny2BNFe
>>155
家康や信長は裏切られても自分で収拾できているが、信康は出来ていない
それどころかその家臣の反乱の責任を取るために切腹させられたという説まであるくらいだ
そもそも信康有能論なんて後世の史書にしか出てこない。いいから新編岡崎市史一回読んでこい

159: 人間七七四年 2014/07/01(火) 16:57:09.79 ID:hUaiXXbI
家康が天下を取ったおかげで清康も評価されてるけど清康の実際の力量はどの程度のものだったんだろうね?
清康は13歳で家督相続してるから最初の数年は権限があったとは思えないし何より祖父の長親が健在だった。
かといって凡庸な人物だとしたら守山崩れで松平家が急速に衰退したというのが不自然になる。

160: 人間七七四年 2014/07/01(火) 17:12:19.35 ID:7b0MkQ4k
有能な祖父が後見についてる父も死んだ訳じゃない清康君13歳はともかく幼君が立てば一時的にも衰退するのは普通じゃねの

161: 人間七七四年 2014/07/01(火) 21:56:31.27 ID:HGhlYGEs
新編安城市史に「実際の戦の指揮は松平信定がやっていたのではないか」という説が載っていたな

175: 人間七七四年 2015/12/21(月) 18:15:12.98 ID:sr7P0QgI
ところで、松平氏は源氏の出なのかね?

176: 人間七七四年 2015/12/21(月) 20:07:34.08 ID:N2m2ykbJ
違うとは思うが、松平氏が源氏を称するようになった事自体は松平信光の頃まで遡れる

177: 人間七七四年 2015/12/21(月) 23:31:00.09 ID:eO1pwI+v
>>176
ウイキペディアだと賀茂氏の出ともあるね、でも新田源氏系統とも書いてあるんだがどちらなんだろ?

松平信光の伯父が得川を名乗ってるみたいだし、家康は松平でも良かったんでわとおもふ

178: 人間七七四年 2015/12/22(火) 10:51:30.22 ID:blmRGIBh
>>177
信光三男の松平親則や泰親の息子益親が賀茂朝臣を名乗っていたことが妙心寺本尊仏像記からわかる
一方信光が妙心寺に収めた自筆の願文には「永世ここで子孫を守り、源氏の武運が永久に尽きることのないように願います」
という文面が出てくる。信光に賀茂朝臣説と源氏説があるのはこれのせい

180: 人間七七四年 2015/12/22(火) 12:50:26.45 ID:/q9vp90I
松平が賀茂で娘たぶらかして転がり込んだ放蕩坊主が新田
という設定じゃなかったっけ?

182: 人間七七四年 2015/12/22(火) 18:35:06.52 ID:blmRGIBh
>>180
元の松平は在原氏という設定

187: 人間七七四年 2016/03/11(金) 17:15:56.08 ID:rk+4VtAJ
天下の将軍家の祖先なんだから、もっと逸話とか適当に盛っても良さそうなものだけどなぁ

188: 人間七七四年 2016/03/11(金) 18:16:32.89 ID:sNYbh9ze
徳阿弥って何者だったのかなぁ
新田源氏の末裔ってのは後世の捏造だろうけど流浪の旅人が松平家に婿入りしたっていうのは多分事実としてあったんだよね
後に天下を支配する一族の祖が素性不明の旅人ってロマンあるわ

189: 人間七七四年 2016/03/23(水) 11:39:36.31 ID:uMPz9Nnb
織田や浅井と同じで名家に接続するために創造された人物でしょ

192: 人間七七四年 2016/04/11(月) 09:48:00.17 ID:g5NPkXWK
しかし家康は子供時代苦労したとか言われるけど広忠の苦労はその比では無いな
叔父に城を乗っ取られ、流浪生活を余儀なくされ、今川の後ろ盾で漸く戻れたと思ったら
一族をはじめとした反乱続き、嫁は離縁、子供は人質に取られ、最期は佐久間の刺客により暗殺だからな

193: 人間七七四年 2016/04/17(日) 13:03:43.92 ID:/ITwSmsl
>>192
親父も子供の頃暗殺されてるし、三河武士の忠節なんて話、どこから沸いて出たんだ

195: 人間七七四年 2016/04/18(月) 10:16:52.70 ID:8oD6mDlw
>>193
たぶん、そう思っていなかった家康が吹いたんじゃね?
吹けば踊る三河武士・・ なんちゃってサ。

うちの会社の創業者が静岡出身だから、俺は身にしみて分かる。

194: 人間七七四年 2016/04/17(日) 21:17:13.30 ID:NAmp60SS
松平家の戦国大名としての成り立ち見ると
所謂譜代大名の先祖達も多くは松平と同じ土豪や国人だったりしたのが徐々に服属させられて家臣化していったみたいだし

197: 人間七七四年 2016/04/27(水) 21:48:51.91 ID:idNlYBCe
松平分家ありすぎて混乱する。
長親ってどうなんだろうな、あんまいいイメージない。長親親父は切れ者のイメージあるが

198: 人間七七四年 2016/04/27(水) 22:34:23.20 ID:81SCzsD7
長親の子にも色々疑問があるよな
信忠の早期隠居の背景とか
信定は次男なのか三男なのかとか
親盛が実は息子の中では最年長なんじゃないのかとか
まあ息子の兄弟順に関しては、嫡母と庶母の息子じゃ扱いが違うから長男の親盛が次男に回されたり、嫡母が産んだ二人目という事で信定が次男扱いされてる可能性もあるけど

199: 人間七七四年 2016/04/27(水) 22:39:03.32 ID:idNlYBCe
信定よりだったりね。お家が混乱した時も傍観気味だし。

202: 人間七七四年 2016/04/29(金) 09:29:47.11 ID:ePMFKaYg
後半行くと松平姓いろんな人に与えてるよね。他家だと分家の苗字与えるのは良く見るが。
まあ徳川に変えたから分かるが旧苗字に執着あんまなかったのかね家康さん。
苗字なんで得川にしなかったんだろう

206: 人間七七四年 2016/05/15(日) 02:02:50.91 ID:ahRRdVGO
>>202
源氏得川では三河守就任の前例がなかったので前例のある藤氏徳川にしたとか何とかかんとか
1566年だから将軍が京に居なかったので近衛さんに頼まざるをえなかったっていうのも理由になるのかも

203: 人間七七四年 2016/05/02(月) 12:08:16.61 ID:4zm9LeS9
当時は得川がまだ存続していて使えなかったって話を読んだ事あるな

211: 人間七七四年 2016/05/19(木) 10:56:34.68 ID:xzSAT+tG
松平一族の中でも家次や家忠みたいに家の字を与えられた者と
康元や康忠みたいに康の字を与えられた者の差はなんだろう?

214: 人間七七四年 2016/05/19(木) 19:39:20.67 ID:9w47wGM3
>>211
家康にとって尊敬する祖父の康の字と八幡太郎義家の家の字とではどちらが重かったのか

213: 人間七七四年 2016/05/19(木) 12:13:24.32 ID:S5GhVgTP
大まかに言えば血縁が近い松平は通字の康。遠目なら家じゃね

214: 人間七七四年 2016/05/19(木) 19:39:20.67 ID:9w47wGM3
>>213
>通字の康
安祥松平の通字は親忠、長忠(長親)、信忠、広忠を見るに忠なんじゃないか

216: 人間七七四年 2016/05/19(木) 20:48:32.44 ID:fsESgoUs
清康のやすはどっからもってきたんだろう?
いたっけ康の付く大名周りに?

243: 人間七七四年 2016/06/05(日) 19:40:30.59 ID:mSVYX5xA
>>216
康がつく有名どころの武将だと足利氏の祖である源義康とかいるけど
新田氏の流れの世良田氏を名乗った清康が足利氏関連の諱の一字を持ってくるのは違和感があるし、新田氏や世良田氏の中に康の字を持つ人でもいればよかったんだけど見つからなかったしなぁ

217: 人間七七四年 2016/05/19(木) 21:24:36.53 ID:WSRDQ/sa
下の字だし偏諱とかじゃないだろう
前名である清孝の孝と通じる字を選んだんじゃないか?

218: 人間七七四年 2016/05/19(木) 21:32:14.98 ID:fsESgoUs
兄弟で清康(清孝)、信孝、康孝って名前してるけど、清は吉良持清からだと思うが、孝と康は気になるな。

219: 人間七七四年 2016/05/19(木) 21:39:55.49 ID:WSRDQ/sa
孝は信忠の法名泰孝から来ているという説がある

221: 人間七七四年 2016/05/19(木) 22:32:58.48 ID:9w47wGM3
松平氏は伊勢氏の被官だったこともあるから孝の字は伊勢貞孝からの偏諱じゃないかって説をなにかで読んだことがある気がする

222: 人間七七四年 2016/05/19(木) 22:47:33.65 ID:WSRDQ/sa
拝領した字を下に置くかなー?
吉良持清から偏諱された説のある清孝はともかく信孝康孝も下においてるし

224: 人間七七四年 2016/05/20(金) 00:28:56.71 ID:ahwl+27v
親長・親則・親忠兄弟も伊勢貞親から偏諱されたという説が出てるけど、当時の松平一族に公親という人物がいることからホントに偏諱されたのか疑問

225: 人間七七四年 2016/05/20(金) 12:29:38.70 ID:1BQ7cMf7
なるほど、確かに伊勢の被官だしね。でも名前の下に置くのはおかしいよね。
でも長親の家系は正嫡じゃないから怪しいところいっぱいですね

226: 人間七七四年 2016/05/20(金) 12:31:57.97 ID:1BQ7cMf7
多分松平氏自体が三河山奥の土豪出身だろうけど、初期の頃は謎が多くて面白い

引用元: ・【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】