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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/21(火) 14:31:42.02 ID:h9m/B/yv0
姜維について語りましょう
姜維(202-264) 天水郡出身。字は伯約。最終官位は大将軍。
三国志演義での登場シーンでは諸葛亮の計略を見抜き、趙雲と互角の一騎打ち。
果たして彼は蜀漢を滅ぼした戦犯だったのか? 







2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 11:18:09.30 ID:oH20vKm90
私欲がなくて清廉潔白で一流の指揮官。
傑物だったのは間違いない。
ただ、彼の唯一の欲、つまり「北伐したい病」が国を疲弊させたのは事実。
戦争屋としては有能だが、彼を抑制できる存在がいなけりゃ国が傾くのも当然。
彼と陳祗が実権を握った数年でそれまでの20年間と内外共に真逆の方向に進んだからね。

後世で諸葛亮の後継者扱いで美化されすぎて一番戸惑っているのは当の本人じゃないかなw

4: 名無し 2015/04/24(金) 20:10:19.89 ID:sJHmBre40
蜀漢は諸葛亮没後からは北伐をしないでそのまま内政をし続ければ良かったのでしょうか?
それなら蜀漢をまだ長く維持出来たのでしょうか?

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/27(月) 02:56:56.79 ID:ursw4+GP0
>>4
必然的に蜀が北伐をしないで内政を続けたとしても魏との国力は年を重ねるごとに差が広がり遅かれ早かれ滅ぶのは間違いないでしょう

まだ長く維持を出来た>にしても雀の涙程度では無いでしょうか

因みに北伐の話題が中心となる姜維ですが守りに徹した剣閣が要害とはいえ少ない兵力で、魏の鐘会を撤退寸前まで追い詰めたのは、素晴らしい統率力に優れていたからと思われます
姜維が守っていた剣閣からは一兵たりとも魏軍から突破されなかったことについては評価に値すると思われます

9: 名無し 2015/04/26(日) 15:10:45.02 ID:bgL7/Fpy0
しかし、外様でありながら大将軍まで就けたのは評価しても良いが
逆に蜀漢が人材不足で彼しか大将軍の器がいなかったのも否めない

昔仕えている廖化や張翼(因みに張良の子孫らしい)を抜いて出世しているのが凄いよな
少なくとも蜀漢は現在の役所務めの公務員のような年功序列では無いのが分かる

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/27(月) 01:52:49.67 ID:11+1BCuA0
正史三国志の著者の陳寿は「姜維は文武ともに優れていたが、多年に渡り国力を無視した北伐を敢行し、蜀の衰亡を早めた」という批評を下していますが、姜維が北伐を再開したとき、その無謀さを諌めるために『仇国論』を書いた陳寿の師匠譙周の影響も少なからずあったと思われるがどうだろう?
蜀のために最期まで戦った姜維には若干酷評だったと思ったりする。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/03(日) 04:56:25.41 ID:/muvxGjt0
>>11
姜維に対するその陳寿の評価は難しくかつ、微妙なんだよ

正史姜維伝の酷評後にに、郤正という人の論文が載っていてそれによると、

「姜伯約は上将の位置を占め、群臣の上に位置していたが、粗末な家に住み、余分な財産を持たず、別棟に妾を置く不潔さもなく、奥の間で音楽を奏させる楽しみももたず、あてがわれた衣服をまとい、備えつけの車と馬を使用し、飲食を節制して、贅沢もせず倹約もせず、お上より支給された俸禄の類を右から左へと使い果たした。
彼がそうした理由を推察すると、それによって貪欲な者や不潔な者を激励しようとしたり、自己の欲望を抑制し断ち切ろうとしたのではない。ただそれだけで充分であり、多くを求める必要はないと考えたからであった」

と記されている

陳寿は晋の政党王朝であった魏に最期まで抵抗した姜維に対して良い評価を書くことが出来なかった
それで、あえて姜維伝の最後に郤正の論文を載せた
つまり、陳寿は蜀の臣下だったので当時の情勢や立場上、姜維を高く評価をしたいが出来無かった可能性もある

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/02(土) 23:31:14.51 ID:Hu1GwvhG0
北伐を諦めると蜀漢の大義、存在意義が失われて、そっちを重視する層の不満が爆発しかねないんだよな
蒋エン、董允、費イの穴を埋められるまともな人材がもうちょっと出て来てれば、もうちょっと延命できたかもしれないけど、
まぁ遅かれ早かれだわなぁ

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/04(月) 11:12:48.94 ID:3z7EVPKO0
姜維は演義と正史との違いもあるよな
無双やゲームや演義の影響で孔明の後継者(弟子)みたいな扱いがある

正史を読む限り残念ながら孔明在命中は姜維はこれと言った活躍はしてはいない
孔明は確かに彼を高く評価するようなことは言っていたみたいだが、重要な局面で彼を用いた形跡がない
死に際して後事を託してもいない、孔明が彼を本当に後継者として考え難い

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/28(木) 00:50:21.69 ID:bPvPI0B20
戦術が優秀でも戦略が無能だよね
そしてえてして歴史マニア()からすべて無能の烙印をおされてしまう

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/01(月) 04:32:18.98 ID:LO/Toy7V0
結局諸葛亮が死んだ後で人材が減る一方の蜀じゃどうしようもないよね
魏延は速攻反乱起こして処刑されるし費イとかも死んじゃうし
老人の廖化とかが最後の剣閣戦でも出てくるくらいだし

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/03(水) 23:12:17.91 ID:fSG5aQCq0
>>21
魏延は反乱起こしてないぞw
命令が気に入らなくて反対して、好き勝手に別の命令出したけど相手にされなくて、逆ギレで橋を焼いて邪魔をしただけで、反乱じゃないぞwww

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/04(木) 00:16:30.77 ID:aHpVobYb0
日本人特有の「滅びの美学」の影響で日本に姜維ファンは少なからずいるだろう

恥ずべき生より誇りある死を
まあ、共感は出来るのだが実際に行動に移すことは不可能なんだけど憧れてしまう

織田信長然り、真田幸村然り、新撰組の土方歳三然りって感じなんだよな
姜維は、この御三方の日本の歴史上人物に共通するものがある

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/04(木) 01:39:06.44 ID:lGOVmoJs0
魏からの降将であること、没落した天水豪族の出であること、蜀の重鎮たちの派閥に入れなかったことetc.
複雑な背景を持つからこそ剣閣で刀を折った逸話や鍾会の反乱(未遂)での最期が輝くし、蜀漢の大義を護りたかったのか、 (涼州での?)権力を求めていたのか、様々な見方ができる点が彼の魅力だと思う
なんとなくだが姜維は蜀将として戦い地位を得る中で、無意識に自分の死に場所を探していたような気がする

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/04(木) 09:35:09.73 ID:EC3SrNrj0
>>25
>無意識に自分の死に場所を探していたような気がする

凄い共感持てるわ

ところで姜維って劉禅に対してはどういった存在なんだろうな
劉禅に絶対の忠誠があったとは思えないんだよな
普通の主従関係だけだったと言ってしまえば終わりなんだけどさ

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/05(金) 13:03:56.92 ID:n90tVaCl0
>>26
評価が分かれがちな人物だから共感してもらえてちょっと嬉しい
劉禅に対しては黄皓とか夏侯覇との血縁とか色々考えるべきところがあるけど、個人的にはある意味で曹操(と荀彧)にとっての献帝みたいな部分があったんじゃないかと思ってる
「反乱に成功して再び劉禅を擁立する」までは大義名分で、姜維はその先に居場所を求めていたのかなと

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/05(金) 11:33:59.15 ID:IhbM2Xt20
最終的に鍾会と組んで反乱を起こしたことについてですが
根っからの武人である姜維が、何故そのような“策”を企てることが出来たのか疑問に思います
皆さんはこの件についてどう考えていますか?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/05(金) 13:03:56.92 ID:n90tVaCl0
>>27
異例の人事とはいえ録尚書事に就任してるし(実際は前線にいて政治は二の次だったろうけど)
若い頃から勉学に励んでいたと言われているのである程度の“頭”はあったと思う

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/05(金) 14:08:28.21 ID:n90tVaCl0
個人的な姜維像が「清廉潔白」でも「北伐一辺倒」でもなく「良くも悪くも実直な器用貧乏」って感じなので、それなりに優秀だが天水にもいられず蜀の人間にもいまいち馴染めずただ戦うことしかできなくて
蜀が滅びにっちもさっちも行かなくなったところに現れた鍾会を利用しようと考えるくらいの“頭”はありそうだな、ってこと

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/09(火) 17:58:01.14 ID:wLxX2bWI0
このスレの人たちって姜維関連の書籍はどんなの持ってる?
自分は「孔明の聖像 姜維戦記」しか読んだことがないので
オススメがあったら教えていただきたい

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/09(火) 18:15:12.37 ID:GVeSlzTm0
>>32
正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
正史三國志群雄銘銘傳 坂口 和澄・著

正史 三国志全8巻セットは少々値が張るので
お金に余裕がなければ「正史三國志群雄銘銘傳」を購入するのを薦める

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/10(水) 17:14:25.98 ID:RtO11nsB0
>>32
姜維が主役ってわけじゃないけど渡邉義浩の『「三国志」の政治と思想』が面白かった
第七章で北伐および蜀漢滅亡について語られてる、あと巻末の枢要官表が便利
ちなみに吉川三国志では「胡蝶の可憐な美しさにも似たる」だの「花羞かしきばかりの美丈夫」だの
キラッキラの少女マンガみたいな書き方をされてるんだが、吉川英治は姜維好きなのかな

北伐厨という呼び方は無双6以降増えた気がする

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/10(水) 23:48:41.60 ID:Ea4heACR0
>「胡蝶の可憐な美しさにも似たる」だの「花羞かしきばかりの美丈夫」

初めてこの文章読んだとき「お、おう…」ってなったな
姜維好きでも「おいおい、そりゃあ脚色しすぎじゃないの」って思った
更に年齢もサバ読んでいる模様

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/10(月) 22:22:45.99 ID:M4X/qqwe0
馬超があと10年生きてたら姜維の立場はどうなってただろうか

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/11(火) 07:54:13.97 ID:bofCmyEj0
>>48
馬超が長生きしていたらか…
面白いのだが
恐らく姜維の関連性は無かったように思える
むしろ蜀漢全体と諸葛亮や趙雲に対しての話題になりそうだな

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/11(火) 13:51:20.77 ID:hjZtRuOI0
>>50
やっぱり大して関連性ないかな
姜維が子供の頃に父親が羌族の反乱で死んだってのが
馬超の冀城攻めの時だという説は面白いと思うんだが
姜維は冀県生まれだから辻褄は合うし

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/11(火) 21:52:14.71 ID:j4gJOS6JO
>>50
そやねー、涼州閥の名門としてどう蜀の政治に関わるかになりそうな。
そんな中では姜維の存在感はかなり霞むわな。
個人的に馬超に含む所があっても、姜維一人じゃ太刀打ち出来ないだろうし。
馬超が余りに調子に乗りすぎたら、諸葛亮が姜維を使って牽制するとかにしてもちょいと力不足の感は否めない。

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/02/23(火) 23:31:23.00 ID:N4z7vrDT0
姜維の発言力はどこからきたんだろう?
一緒に戦ってる廖化や張翼も消極派で主戦派閥なんてものもなかったようなのに。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/10/26(水) 16:31:20.44 ID:7+E3ZN8k0
素人目に見るとひたすら最悪の貧乏くじ押し付けられた人って印象だな、本人は優秀だったんだろうがそれ以上に末期蜀は人材、土地、兵力、政治力、生産力全てが壊滅状態だったんだろうなぁ

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/10/26(水) 19:16:06.34 ID:90R9GugV0
降将が軍権の最高位に就くくらいだもんな
どれだけ人材がいなかったのか想像に難くない

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/04(日) 13:37:53.95 ID:X0F/FoE20
中国には姜維の墓が三つ存在している

甘肅天水甘谷
四川雅安蘆山
四川劍閣

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/04(日) 13:46:19.59 ID:X0F/FoE20
三国志演義 119

天水誇英俊 涼州產異才
系從尚父出 術奉武侯來
大膽應無懼 雄心誓不回
成都身死日 漢將有餘哀


天水 英俊を誇り 涼州 異才を産ず  
系は尚父より出で 術は武侯より来る
大いなる胆 応に懼るところなかるべく 雄き心 誓って回らず
成都に身死するの日 漢将余哀あり

(姜維を惜しんだ詩)

引用元: ・【三国志】姜維 伯約



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