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1: 無名武将@お腹せっぷく 2009/10/13(火) 14:52:24
演義関連の小説・漫画作品も含めあまり語られない
夷陵の戦い~呉滅亡までを語るスレです。

呉と言うと一致団結しているイメージがあるけど孫権時代末期から中央内部で誅殺・賜死・皆殺しの嵐だったんですね。
関連記事
【諸葛恪】三国時代の呉末期を語る【孫皓】  









258: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/07(日) 15:22:09.17
孫皓がとんでもない暴君、ってのも実際はかなり怪しい話で、晋による捏造の可能性も高い
亡国の君主が悪く書かれるのはこの時代に限った話でもないし
孫 皓

孫 皓(そん こう)は、三国時代の呉の第4代皇帝。『三国志』において、本名は孫晧。祖父は、初代皇帝孫権。父は孫権の第3子で皇太子に立てられていたが廃された南陽王孫和。

いわゆる「暴君」であり、無理やり群臣達に飲酒を強要した上で、監視の役人を側に置き、酩酊状態でわずかでも問題のある言動があれば処罰を加えた。また後宮に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない宮女を殺害し、宮殿内に引き込んだ川にその死体を遺棄したという。刑罰では残虐な方法を使い、人の顔を剥いだり、目玉をえぐったりもしたという。お気に入りの人物は重用し高官に取り立てた。さらに土木工事を好み、民衆を労役で苦しめた。こうして民心が離れていったという。

一方で、降伏に際して孫皓は家臣たちに書簡を送り、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を発揮するようと伝えている(『江表伝』)。
元の侍中であった李仁は、孫皓の残虐な刑罰について弁明したという。また、呉の滅亡後に晋に仕えた吾彦は晋の武帝の前で、孫皓は英明であったと弁明している(『晋書』「吾彦伝」)。

259: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/08(月) 10:42:48.18
孫皓はどうみても暴君だろ
いったい何十人の臣下が孫皓時代に孫皓に殺されてると思ってるんだ

261: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/08(月) 18:17:27.58
>>259
粛清なんて暴君じゃなくてもやってるぞ

263: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/09(火) 16:13:00.99
妾に市場で泥棒させて真面目に取り締まった役人を処刑

これは暴君でないとなかなかできない

264: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/09(火) 17:35:02.96
髭が薄いことを馬鹿にされたから他の事に託けて処刑

これも暴君でないとなかなかできまい

265: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/09(火) 17:56:19.91
>>263
その手の基地外じみた逸話は、いわゆる亡国の君主には付き物だからなあ…
北斉後主しかり、南斉後廃帝しかり。
晋の征服正当化による作り話っぽい感は否めない

269: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/09(火) 23:55:37.87
孫皓の侍中だった李仁が孫皓が大臣の目を抉ったとかいう話は、皇帝の尊顔を許しも無く直視した者を、不敬の罪で処刑しただけだと弁護してるな。

孫皓が仁愛に満ち溢れた名君だったとは言わないが、その残虐エピの幾らかは晋で実際以上に誇張されて話されていた可能性もあると思う。

271: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/11(木) 21:13:15.79
諸葛恪の怪奇ネタ豊富すぎワロタ

272: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/12(金) 10:10:42.39
末期エピソードの「こいつ死ぬぜ」感は半端ない
諸葛恪に対する関心の高さが偲ばれる

妖亀を煮殺す話もあったね
孫権陣営の知恵袋役を諸葛恪が担当していて興味深い
諸葛 恪は、中国の三国時代の政治家。呉に仕えた。字は元遜。諸葛瑾の長男で、蜀(蜀漢)の丞相の諸葛亮の甥にあたる。

伝説・伝承
諸葛恪は正史のエピソード以外にも、知恵者としての伝承が後世に伝わっている。

孫権が王であった時代、ある人が大きな亀を捕まえたところ、亀は「運悪く捕まってしまった」と呟いた。彼はこれを不思議に思い、孫権に献上しようと建業へと向かった。その途上、亀を憐れんだ桑の古木が亀に話しかけるが、亀はどんなに火を焚こうが煮殺されはしないという。そこで桑の古木は「孫権に仕えている諸葛恪は博識だ、彼は必ず答えを見つけ出し、君と私を殺そうとするだろうから油断しないように」と忠告した。

亀が献上されると孫権はこれを煮るように部下に命じるが、どれだけ火を焚いても亀に変化がない。それを見た諸葛恪が「桑の古木を薪とすれば亀を煮ることが出来るでしょう」と孫権に進言した。献上した者がこれを聞いて途上の桑の木のことを話すと、孫権は人を使わしてこの桑の木を切り倒し、これを薪にして火を焚いた。すると立ち所に亀の肉は熟れていき、ついに亀は煮殺されてしまった。(『異苑』)


273: 無名武将@お腹せっぷく 2011/08/12(金) 12:39:20.87
孫登が生きてたら、諸葛恪は諸葛亮司馬懿と並ぶ知将として後世まで語り継がれていただろうな

277: 無名武将@お腹せっぷく 2011/09/05(月) 04:20:24.05
諸葛恪未満のどうしようもない諸葛融ってなんなの?
なんであんな立派な親からどうしようもないのが生まれてくるのかな・・・

280: 無名武将@お腹せっぷく 2011/09/05(月) 19:22:20.40
>>277
能力は残念だけど、気前がいいから人気者だったらしいよ

285: 無名武将@お腹せっぷく 2011/09/07(水) 05:35:51.75
朱績、歩協、諸葛融というラインナップみると朱績の苦労がよく分かる気がしてくる

286: 無名武将@お腹せっぷく 2011/09/07(水) 10:19:44.40
功臣の子息の貴族化というのはそういうものだ。
仕方ない。

290: 無名武将@お腹せっぷく 2011/10/19(水) 19:24:21.70
ちょっと後の時代になるが、陳敏の反乱が成功してほしかった。
顧雍や賀斉、甘寧らの子孫が活躍して祖国を復興なんて素敵じゃないか

294: 無名武将@お腹せっぷく 2011/10/25(火) 16:54:19.17
>>290
廬江人の陳敏に脅されて従ってただけだろう。
華融の子孫に恥を知れとたしなめられて離脱してるし。

301: 無名武将@お腹せっぷく 2011/11/12(土) 16:45:58.89
陳敏って誰かの子孫なのだろうか?陳武は関係ないのかな?

302: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/11(日) 11:53:04.02
陳敏は陳邵の子孫説

303: 無名武将@お腹せっぷく 2011/12/24(土) 13:04:05.17
陳邵、何者?!

304: 無名武将@お腹せっぷく 2012/01/02(月) 14:43:17.76
陳邵は関羽も陥せなかった裏陽を陥した呉将

306: 無名武将@お腹せっぷく 2012/01/28(土) 18:50:39.19
>>304
陳邵は裏陽を守ってただけで実際には裏陽を陥したのは別人の可能性も

309: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/21(火) 16:52:11.88
丁奉って年齢不詳とはいえ赤壁の時点(209年)ですでに名前が出てくるから若く見積もってもその時15歳。とすると252年に決死隊を率いて敵陣に斬り込んだ時は若くても58歳。
その後も270年近くまで戦場に赴いているが、70代半ばということになる。

年齢のはっきりしない黄忠とかと違って丁奉リアルに凄い老将じゃん。

310: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/21(火) 19:43:59.68
丁奉も赤壁の時点で居たかどうかはっきりしない
演義では徐盛とのコンビで出ていたが実際はどうだろ
丁奉は普通に80代で没じゃないかな

黄忠は何故か昔は148年生説が流布していた

312: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/22(水) 06:30:24.77
丁奉は、甘寧、陸遜、潘璋の指揮下にいたから少なくとも210年代には戦いに参加していたようだ。

ということは、丁奉の生年は180年代~190年代が有力。

313: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/22(水) 10:25:16.44
とするとやはり70代でもバリバリに戦っていたわけか。

314: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/26(日) 12:46:13.77
指揮官なら別に70代でもバリバリ戦える
大モルトケも70代でフランス屈服させて88歳まで現役だった
呂岱はもっと高齢でも軍役に就いていたから丁奉ぐらいでもそれほど騒ぐ必要はあるまい

315: 無名武将@お腹せっぷく 2012/02/27(月) 21:58:24.30
252年に決死隊率いて斬り込んだ時おそらく60以上だからそれは凄いと思う。

317: 無名武将@お腹せっぷく 2012/04/08(日) 20:30:00.42
三国志の華やかりし頃(関羽が死ぬぐらいまで)に現役で最も後まで活躍していたのは丁奉かな。

320: 無名武将@お腹せっぷく 2012/05/03(木) 11:19:51.67
丁奉の弟の丁封の話題が出ない件について

321: 無名武将@お腹せっぷく 2012/05/13(日) 00:05:52.03
丁奉よりも早くにお亡くなりになったから・・・

322: 無名武将@お腹せっぷく 2012/06/02(土) 11:20:02.16
丁奉よりも長生きで戦歴凄い呂岱について触れたがらない件について

323: 無名武将@お腹せっぷく 2012/10/16(火) 20:06:34.51
呂岱は別格ですから

324: 無名武将@お腹せっぷく 2012/11/11(日) 01:18:25.10
呂岱が広州交州で活躍した頃で既に還暦過ぎてたからな・・・

452: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/26(土) 18:07:23.23
大将軍まで昇った丁奉も戦歴は決して良い訳ではない 
蜀滅亡前後から毎年のように攻め込んでいるが石苞、牽弘に撃退されている。 

石苞を離間の計で引退まで追い込んだぐらいしか良い所はなしのまま没する

454: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/27(日) 02:09:35.28
なんか呉って長生きする人と若死にする人が両極端じゃないか?

455: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/27(日) 11:02:29.80
孫策や周瑜が70歳ぐらいまで生きていたらどうだったろうか

292: 無名武将@お腹せっぷく 2011/10/22(土) 04:28:57.45
呉の皇帝って、重臣を簡単に処罰してるのが分からないんだよな
自国よりも遥かに強大な魏と敵対してるのに戦力面、人心面でマイナスになるようなことをする意味が分からないんだけど

293: 無名武将@お腹せっぷく 2011/10/22(土) 12:43:39.60
よく言われる豪族連合ってのが事実ならタマ取らんと降格程度じゃコントロールできんだろ

325: 無名武将@お腹せっぷく 2013/01/31(木) 20:00:35.51
孫家ってなんで気性荒いやつばっかなんだ
パパ、サック、虎狩り、大虎、小虎、暴君…
悟空以外の戦闘民族みたいだ・・

348: 無名武将@お腹せっぷく 2014/04/29(火) 15:34:37.43
>>325
名前通りの静かな方もおられまする

328: 無名武将@お腹せっぷく 2013/02/14(木) 02:17:10.24
諸葛恪は呉の歴史上最多の軍勢で合肥新城を攻めて負けたけど魏の揚州は負け戦の後で戦力が不十分だったのに勝てなかったのは諸葛恪がミスったのか揚州刺史カン丘倹さんが意外に凄いのかどっち?

333: 無名武将@お腹せっぷく 2013/04/23(火) 20:25:29.72
>>328
当時の呉将の誰が合肥新城攻めても無理っぽいな
大軍で囲むよりも合肥旧城抑えて牽制した方がまだマシに見える

334: 無名武将@お腹せっぷく 2013/04/24(水) 01:56:18.59
無理って程じゃないんじゃね
新城自体は攻略できる
あとは援軍に出て来た毋丘倹率いる魏軍がどう動くか

335: 無名武将@お腹せっぷく 2013/04/24(水) 20:46:17.99
いや無理だろう
呉の人間誰も結局は新城攻略できなかったんだから
三叛の時の混乱時に何とか新城通過して寿春まで辿り着けたりしたぐらいか

336: 無名武将@お腹せっぷく 2013/05/15(水) 20:49:56.02
合肥新城の手前が戦乱と徙民で事実上空白地帯だから,補給線が届かなかったからではないかと。
(だから逆に最後まで突破されなかったわけで。)

338: 無名武将@お腹せっぷく 2013/06/01(土) 13:48:21.70
合肥旧城なら巣湖のすぐ側なので呉は水路から補給が容易だったのだが

349: 無名武将@お腹せっぷく 2014/05/12(月) 10:30:36.70
呉固有の文化というのはあったんでしょうか?
呉の都は滅亡時にどうなってしまった?
呉の文化は日本にもつながるとも言われるだけに王朝とともに滅びてしまった世界観があったなら惜しい。

350: 無名武将@お腹せっぷく 2014/05/12(月) 23:32:03.26
>>349
呉は六朝文化の最初の時代だよ
一般的に終わったとか滅びたというよりは、そこから始まって花開いたという位置付けだと思う
孫権が都を建業においてから、後の建康、南京に繋がってる

自分もあんまり詳しくないけど、出土品を地域に注目して見てみると
呉の物は明るくて面白いよ

387: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/12(土) 16:17:43.38
張昭はなぜ丞相になれなかったの?

388: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/12(土) 16:20:52.57
孫権に煙たがられてたから

389: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/12(土) 21:08:14.71
>>388
なんで煙たがられてたの?

392: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/13(日) 03:18:38.47
>>389
とにかく直言居士で耳に痛いことばっかり言ってたり孫策や呉夫人から孫権の後見を頼まれてたから無碍にできなかったり赤壁の時降伏派の筆頭だったり色々積もり積もった感じ

393: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/13(日) 11:10:09.74
>>392
孫権ってやっぱり老害だったんだな。

394: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/13(日) 13:26:58.35
劉備や曹操と丁々発止のやり合いをしてた頃は間違いなく乱世の雄だったんだけどねぇ…
ある程度情勢が落ち着いてからの後半生は…

399: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/13(日) 18:45:14.43
末期の優秀な人材というと殆どの人は陸抗の名前を挙げると思うけど俺は陶璜も推したい
活躍したのが主に交趾方面だったり呉の滅亡後晋に降っていることからあまりメジャーでないけど間違いなく優秀

405: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/14(月) 20:38:34.44
>>399
陶璜は悪くないけど天紀4年の晋の侵攻を防げなかったから過小評価になる
まああの時期なら陸抗が生きてても防げなかっただろうね

441: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/24(木) 09:48:35.02
鬱になりそうな孫皓の時代で唯一結果を残したのは交州奪回したことのみ

なお僻地すぎるのと気候が酷すぎて毒が蔓延。従軍していた薛珝と虞汜が病死
陶璜は交州に留まざるおえなかった。

443: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/24(木) 21:49:02.99
>>441
それじゃむしろ不良債権獲っちゃったようなもんじゃんw

444: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/24(木) 22:35:32.12
>>443
しかもその交州(コウシ郡)は呉滅亡直前に私兵の反乱が起きて晋の呉討伐戦の原因となった。

なお交州を奪回した年には長らく対寿春方面で頑張っていた丁奉が死亡(没年82)

445: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/25(金) 03:01:43.20
一体何のために交州取ったんだよw

446: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/25(金) 11:02:16.61
>>445
交州は士ナントカさんの一族から奪ってからは呉の領土だったが蜀滅亡時に魏に降伏した南中のカクヨクが忠誠を示すために交州へ攻め込んだ

交州は呉の南方と言ってもいい位置なので背後を脅かされるので奪回するしか選択肢はなかった

448: 無名武将@お腹せっぷく 2014/07/25(金) 16:31:51.27
>>446
孔明が南蛮を平定したようなものか

引用元: ・【諸葛恪】三国時代の呉末期を語るスレ【孫皓】



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