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1: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:18:07 ID:k0O
蘆名盛隆
1561-1584

顔芸でおなじみ、二階堂盛義の嫡男。
二階堂家は隣国の蘆名家との戦争に負けたため盛隆は蘆名家の人質となる。
しかし、蘆名家の跡継ぎが若くして死んでしまったため、盛隆はその未亡人を娶り蘆名家の当主となった。つまり戦争で負けた国が勝った国を乗っ取る形となった。

ちなみにクッソイケメン(公式)で、イケメン過ぎて隣国との戦争を終わらせた経歴を持つ。
なおイケメン過ぎてホモの痴話喧嘩に巻き込まれて殺される模様。








2: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:19:58 ID:k0O
中村一氏 
?-1600

豊臣秀吉の古参家臣で、三中老とかいう偉いのか偉くないのかよくわからない地位にいた。
紀州征伐時に守っていた砦を雑賀衆に攻撃されるが、突如海からやってきた大蛸が敵兵を薙ぎ払い難を逃れたという伝説がある。

93: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:21:58 ID:ASs
>>2
召喚士大名とか言うすげぇ存在

3: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:23:56 ID:k0O
斎藤龍興
1548-1573

美濃の戦国大名。若くして当主になったため政治というものがよくわからず
また、代わりに政治を行ってくれる敏腕家老もいなかったためあっという間に国衆たちの信頼を失い領地を追われる。
(一応、竹中半兵衛とかいうSSRは持っていたが・・・)

しかし、領地を失った後は何かに目覚めたのか、敵である織田信長との抗争に拘り、微妙に苦しめる。
その活躍は三好三人衆と本願寺を結託させて信長包囲網の結成に一役買うほど。

フロイス曰く「西洋のことをよく理解しているのは信長と龍興だけ」

6: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:33:50 ID:hSy
>>3
センゴクのこいつはカッコよかったが
有能なのかは分からんな

4: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:27:21 ID:k0O
上杉憲政
?-1579

関東管領山内上杉家の当主。
北条家との戦いに敗れ、没落。越後の長尾景虎を頼り関東管領と上杉の名前を明け渡してまでも北条家への復讐を目論んだ。

しかし、景虎の死後上杉(長尾)家で勃発した御家騒動では「なぜか、北条家から養子にきた」上杉景虎側を支援し、敗北。最後は上杉景勝に暗殺される。
最後のガイジムーブは本当は景勝側だったけど邪魔だった憲政を排除した景勝サイドの言い訳なのかもしれない。

5: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:31:30 ID:k0O
大久保長安
1545-1613

元武田領に住んでいた猿楽師。
徳川家康の部下となると、鉱山開発の知見を評価され金山経営を任される。
ヨーロッパから輸入した技術を導入して、金山収入を飛躍的に向上させ、天下の総代官とまで謡われた。
しかし、死後巨額の汚職事件が発覚。子供が自害させられたり、直属上司が改易させられるだけでなく、本人の遺体も墓から引きずり出され磔にさせられた。

7: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:35:17 ID:k0O
津軽為信
1550-1607

青森県弘前市の基礎を作った人。
元は八戸流南部家の庶流とも異世界転生してきた青年とも言われはっきりしない。
居候していた大浦家の娘を娶ると、突如野心を表し、大浦家の一族や地域の有力者をぶっ殺して大名に成り上がる。
しかし、あまりにも強引な手法から周囲の大名全てを敵に回してしまう。

25年の苦難をかけて青森県西部を統一し豊臣秀吉に所領を安堵された。
今までの常識にとらわれない合理的な考えを持っており、唐突に奇策を思いつく策士。
ちなみに関羽がすき。

18: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:55:09 ID:tIK
>>7
城下に犯罪者を放って守備側兵士の妻子を見えるようヒャッハー!させたヤベー奴

10: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:36:15 ID:3f4
仙石秀久と山内一豊も出ますか?

12: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:39:28 ID:k0O
>>10
仙石秀久はどうしよう・・・

14: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:44:30 ID:3f4
>>12
ワイが紹介してええか?

15: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:45:18 ID:k0O
>>14
いいぞ

16: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:52:06 ID:3f4
>>15
じゃあ貼るで


仙石秀久
1551-1614

センゴクの主人公。
織田信長・豊臣秀吉に従い、讃岐高松10万石城主となったが、戸次川の戦いで長宗我部信親・十河存保らを生贄にして敵前逃走したため領地を没収され、高野山に謹慎した。しかし小田原攻めに戦功をたて信濃小諸城主5万石に復し、小諸藩主仙石家初代となった。

近年「(戦国)史上最も失敗し、最も挽回した男」として再評価されつつあるが、長宗我部没落の元凶であるため長宗我部ファンや高知県民からは未だに嫌われ続けている。

11: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:39:12 ID:k0O
禰寝重長
1536-1580

肝付と島津の間で生き残りをかけた小領主。
推定2~3万石のくせに、単独で明と貿易ができた情報通。
日本で初めて温州みかんの国内栽培を研究した人らしい。

戦中に腹が減ったからといって戦場のど真ん中で弁当を食べ始める天然な性格。
でも地方情勢はちゃんと理解していたのか、島津家が強くなるとすぐに臣従して所領安堵されるなどちゃっかりしている。

ちなみに、子孫は小松帯刀。

13: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:44:11 ID:k0O
水野勝成
1564-1651

徳川家康の母方の実家、水野家の当主。
近年では猛将と再評価されてるが、当時の評価はもっぱら「喧嘩好きのガイジ」だったので各地を放浪してもすぐに出奔しては前の主君から刺客を放たれる問題児。

たった一人で北条軍1万を撃破したり、全裸で刀をもった強盗を殴り殺したり、武勇伝は枚挙にいとまがない。
常識にとらわれないので、居候した家の娘と婚約したと思いきやその侍女を孕ませ二人とも正室と言い張るハーレム主人公性も持つ。
(なお妻子を放り出して10年放浪)。おかげで困窮して農民みたいな生活を送っていた息子は農民の気持ちが分かる名君になったとか。

17: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:52:36 ID:k0O
足利氏姫
1574-1620

捏造ではなくマジもんのおんな城主。
いわゆる関東足利家の末裔で、実家の古河公方は家の格だけはあったので北条家に神輿を担がれる形でそれなりに存在感を放っていた。
しかし父の義氏には男児がいないまま亡くなってしまったので、「別に政治に参加する訳じゃないから女の子でもええやろ」という理由で9歳にして関東足利家のトップとなる。

しかし、すぐに豊臣秀吉が北条家を滅ぼしてしまったため、なし崩しに氏姫も領地没収の憂き目に(300石だけは返還された)
古河公方と対立していた小弓公方(100年ぐらい対立してる)の姫が秀吉に側室となった際、側室が「自分の弟と氏姫を婚約させて関東公方を存続させろ」と秀吉に頼んだため、古河公方と小弓公方が合併し喜連川家が新設された。

が、氏姫自身は小弓公方の存在を認めず、亡くなるまで両家臣同士の派閥争いが起きたらしい。
ちなみに喜連川家は5000石の領地しかないが、10万石級の家の格があり将軍ともタイマンで会える権限がある。

19: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:58:12 ID:k0O
リクエストにお答して

山内一豊
1546-1605

「山内一豊の妻」の夫である。
妻のほうが有名だからね、しょうがないね。

嫁の金で馬を買ったとか、嫁の手紙のおかげで出世したとか嫁の逸話がよく紹介されるが本人もそれなりに戦は強いので全くの無能というわけではない。

彼の最大の功績は小山評定でほかの大名が考えていた「自分の居城を開放して食糧とか提供します!」という案を丸パクリして先に発言し、家康から評価された点(パクられた大名かわいそう)。

その功績で無事土佐一国に左遷もとい栄転する。
相撲大会で集めた反山内派の旧臣を殺したり、影武者5人と一緒に行動してV6ゴッコしたり死ぬまで、長曾我部旧臣におびえる日々を送った。

20: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)08:58:45 ID:3f4
>>19
功名が辻の主人公やね

21: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:01:21 ID:Rny
小田氏治頼む

24: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:02:28 ID:k0O
>>21
わかったやで

22: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:01:50 ID:k0O
織田信砲
1543-1614

信長の同母弟なのにめっちゃ影が薄い人。別に無能というわけでもない。
織田家の中では信長→信忠→信雄→信包という風に織田家のナンバー4に位置した。

本能寺の変後は秀吉に肩入れし、大坂の陣の直前まで豊臣家の偉いさんだったようだ。

25: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:08:57 ID:k0O
小田氏治
1534-1602

肖像画が飼い猫がいるのでおそらく猫好きの大名。
元々関東八屋形という格の偉い殿様で親父の時代はそれなりに戦も強かった。
本人も北条と上杉と強国の間でシーソーゲームを繰り返す国衆の心得を理解していたのだが肝心の戦がからっきしでこてんぱんに負けて城を奪われては家臣に取り戻してもらうということを繰り返した。

負けても領地に戻ってくることから「常陸の不死鳥」とか近年では無駄にかっこいい異名がついてるが城の近くに小田家とめっちゃ親しい寺があったようで、城を奪われた際にはここに逃げ込んで作戦会議をしていた説が有力(寺は名目上中立なので敵の攻撃を受けない)。

なお、ある時犬派の武将、太田三楽に居城を魔改造されついに領地に復帰することがないまま惣無事令が発令。
氏治大名復帰の夢はついに終わった。

26: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:14:09 ID:k0O
宇喜多直家
1529-1582

日本三大梟雄にしてお茶に毒薬仕込んでくるやつ
サーッ(迫真)

上司の浦上宗景も下剋上にて兄を討伐したり、毛利と織田と尼子を同時に戦争しかけたりするやべーやつなので直家と宗景は運命共同体のような存在だった。

が、「(流石に三か国同時攻略は)いかんでしょ。」と上司の暴走についていけなくなった直家は主君を見限り浦上の真の当主(大嘘)を神輿にして宗景に反旗を翻した。
一回目は直家が呼んだ織田の援軍を宗景が返り討ちにしてしまったため、降伏するが2回目は毛利に通じて再度謀反。
宗景を追放し岡山全土を掌握する。

31: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:22:02 ID:tIK
>>26
なんだかんだで子飼いの暗殺者は大事にしてるのすこ

27: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:18:14 ID:k0O
山名豊国
?-1626

山陰の有力大名、山名家の庶流だったが後に嫡流に昇格。
庶流の出だったり、大大名のくせに国衆的な外交ムーブを繰り返すため家臣の信頼を失い追放される。
(一応豊臣秀吉の兵糧攻めを一度は跳ね返した有能なのに・・・)

その後は、文化人として生き豊臣秀吉とは何かやばそうな雰囲気を悟ったのか仕官を断り徳川家康に接近する。
徳川幕府成立時には、旧室町幕府有力者の末裔で唯一、宴席で祝言を述べ、室町幕府から江戸幕府へバトンを渡す役を担った。

29: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:19:59 ID:3f4
土佐七雄の中で一番影が薄い大名・大平氏

大平元国
?-?

土佐国高岡郡の豪族。本山養明の呼び掛けに応じて、吉良・山田の諸氏とともに反長宗我部連合を結成。
そして1508年、本山氏らと共に長宗我部兼序を攻め自害に追い込んだ(岡豊城の戦い)。

武辺一辺倒ではなく和歌や占典籍にも通じてたという。
また横倉社など数々の寺社の造営にあたったことが知られている。


大平国興
?-1546

元国の子。
勢力を拡大する土佐一条家と長宗我部家の合間で生き残りに腐心するが、1546年、津野家の救援に向かった戦い(須崎の戦い)で討死した。


大平国文
?-1566

国興の子。
1546年、一条兼定と本山茂辰の挟撃を受け戸波村積善寺にて自害した。
これにより土佐大平氏は滅亡した。

30: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:21:26 ID:k0O
宇喜多秀家
1572-1655

宇喜多直家の息子。
毒殺おじさんとはうってかわっておぼっちゃん大名。
豊臣家一門で中納言、後継者候補にまで上り詰めたが、おぼっちゃんだったので宇喜多家臣の統制に失敗し譜代家臣の多くが出て行ってしまう。

関ヶ原の戦いでは奮戦するも敗北、死罪は免れて八丈島で島流しになり人生の大半をそこで暮らした。
皮肉にも、その後の宇喜多家は八丈島にて政治闘争に巻き込まれずかえって繁栄したのだが・・・

32: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:23:33 ID:3f4
>>30
八丈島より泳いで参った!

34: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:28:54 ID:k0O
戸沢盛安
1566-1590

夜叉九郎の異名を持つ東北の若き武将。
何倍の国力を持つ小野寺家や安東家とも果敢に戦い、捕虜は殺さず返還するというイケメン。

川で泳いで風邪をひいて死亡。
攻撃特化のスペランカーだった・・・

35: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:33:31 ID:k0O
赤井輝子
1514-1594

上野の大名・由良成繁の妻。
北条軍に息子を人質にされ城を包囲されても、北条軍めがけて大砲をぶっ放すやべえババア
流石に人質の息子本人が使者としてやってくると、北条に降伏したが豊臣秀吉が北条攻めにやってくるとすぐに豊臣方につき、所領を安堵された。

由良成繁についてはあまりよくわかっていない。そこそこ強かったらしい。

36: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:36:10 ID:k0O
立花誾千代
1569-1602

雷神・立花道雪の娘。
一人娘(姉がいたとも)だったため道雪は娘をたいそうかわいがり、元服のお祝いに家督と居城をプレゼントする始末。
家臣に流石にやめろと言われ、同僚の高橋紹運から婿養子をとるが、誾千代本人は立花の真の当主は自分だと主張し続けたらしい。

言ってるだけではなく、自ら鎧をつけて出陣するし、敵船を攻撃して鎮める武功も挙げている。

38: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:38:53 ID:tIK
>>36
婿に来たのがよりにもよって戦国屈指の完璧超人立花宗茂やったのが…

37: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:37:41 ID:3f4
内ヶ島氏理
?-1585

飛騨の豪族。飛騨帰雲城主。
豊臣秀吉の家臣・金森長近の飛騨侵攻軍に降るが、間もなく大地震による山崩れが発生し城と城下町が全て埋没。
城主の内ヶ島氏理ら一族も全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡した。

帰雲城の跡地には埋蔵金があると言われている。なお城のあった正確な位置は現在も特定されていない。

39: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:39:08 ID:hSy
>>37
ダーウィン賞あげたい

41: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:40:56 ID:k0O
毛利秀元
1579-1650

関ヶ原の戦いでは吉川広家に弁当を食われ敗北。
江戸時代には他の大名に持ってきた弁当を食べられるなど謎に弁当の逸話が多い人物。

戦は強く、20歳で朝鮮軍6万を粉砕したりしている。
一時期は「輝元より当主らしい」と毛利家ではもっぱらの評判だったが、割と自己主張の激しい性格で最終的には敏腕家臣的な立場に収まった。

43: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:41:57 ID:14R
松永久秀って名前は聞くけど功績とかはあまり知らないけど、有能なんか?

44: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:43:05 ID:tIK
>>43
有能やなかったらノッブが最後まで助命しようとするはずがないんだよなぁ…

50: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:45:35 ID:k0O
>>43
有能
朝廷と三好家のパイプ役だった。

ただ仕官の理由が、すでに三好家で活躍していた弟のコネということで三好三人衆の一人(誰か忘れた)からは嫌われていた。
ノッブを裏切ってるけど、基本的に三好家に対しては忠臣ムーブしてるので梟雄というには難しいかもしれない。

近年コーエーが推してるのは「長慶様が亡くなって、三好家をまとめられる人間がいなくなってもうた・・・せや三好家を守るためにワイが三好家を掌握したろ!」ってやつ。

49: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:44:50 ID:fgD
真田の兄とか言うストレスだらけの環境のせいで91歳の若さで亡くなった人

53: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:48:45 ID:h9N
>>49
奥さんが普通でお家騒動がなければ後20年生きれたと言う風潮

58: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:53:35 ID:k0O


真田信之は普通の名将でおかしい要素が少ないけど、立花宗茂はあれやから開設するで

立花宗茂
1567-1642

島津軍3万にたいして兵700で戦った高橋紹運(勝ったとは言ってない)を父に持ち
雷に撃たれても生きていた立花道雪を養父に持つ、戦国界のサラブレット。

戦はとにかく全国トップクラスで東の本多忠勝、西の立花宗茂と言われた。

ただ、弱点が多くある。
一つにあまりにも男女の感情に疎いこと。(奥女中と家臣の恋愛は基本的に死刑ものなのだが、彼は普通に喜んでるしむしろ推奨してる)
二つ目は彼が怖がるポイントがずれていること(目の前で首が飛んでもけろっとしているが、道雪に怒られて泣きながら鰯を食べてトラウマになっている等)
三つ目は政治感覚がゼロのところ(関ヶ原では本気で西軍が勝つと思い込んでたらしい)

ゆえに徳川サイドからは「戦は強いけど政治には疎いから、兵を持たせなければ心強い味方」ということで西軍の中で唯一改易された領地をそっくりそのまま返してもらった。
子供がいなかったため弟の息子が後を継ぐが、その子孫は麻生太郎。

60: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:54:38 ID:fgD
あと世間知らず

61: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:55:49 ID:tIK
日本のリアルなろう系主人公

こんなの小説に出したら批判されそうやな

62: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:56:27 ID:k0O
一条兼定
1543-1585

長曾我部家のせいで不当な評価をさせられている人。
とはいえ、一条家はもともと京都の公家出身であり、地元の戦国大名みたいに庶民と交流したり、領地拡張策をとったりしていた兼定はおかしな存在だった。

最後は、部下に裏切られ片腕を斬られ追放、離島にてキリスト教を信仰しながら亡くなった。
ナポレオンかな?

66: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:59:12 ID:fgD
>>62
クッソ有能な曽祖父の房家が国親を助けちゃったのが悪いという風潮

63: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:56:56 ID:fgD
関ヶ原で立花が京極とか言うクソザコを全力で潰しに行かなければ勝てたという風潮

67: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)09:59:21 ID:k0O
>>63
降伏していない城を無視して進むのは普通に得策でないので京極を攻撃自体は正解やで
むしろ立花相手に喧嘩うった京極がやばい

68: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:00:32 ID:fgD
>>67
蛍大名のあだ名といい京極の謎の天運すこ

72: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:02:21 ID:qYG
京極いうたら名家やから九州の田舎大名に侮られたくなかったんやろか

75: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:03:44 ID:k0O
龍造寺隆信
1529-1584

九州三国志の一格。
活躍はいたって普通の名将(フロイス曰くカエサル並の頭脳)だが、若いころは暴れん坊で一族に強制的に出家させられても庶民と喧嘩ばかりしていた。

当主の話が回ってきたとき、多くの一族がこれに反対し、くじ引きで決めることになったが三回連続「隆信は当主がふさわしい」が出たため当主になった。

76: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:04:45 ID:tIK
龍造寺四天王(5人)

78: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:05:16 ID:fgD
戦国屈指のぐう聖蒲池さんの恩を仇で返した畜生

79: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:06:11 ID:hSy
肥前の熊って蔑称やろ?

80: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:10:25 ID:k0O
前田利家
1538-1599

DQN→ロ○コン→槍の又左→裏切者→秀吉の親友→豊臣家の重鎮→ガイジ→家康が恐れた男
と年をとるごとに評価が分かれる男。その実態は「前田利家の妻」の夫といったほうがいいかもしれない。

本人は武功はすごいが政治(内政・外交共に)感覚がやっぱりなく、重要なターニングポイントはすべて嫁のまつが担当している。
ドケチでロ○コンな所は生涯治らなかったようだが、「若いころは失敗するものだ」と若者に理解があり、小姓には年に一回「親に相談できないようなことがあった時だけ使えよ」とお小遣いをあげていた逸話もある。

81: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:11:31 ID:tIK
花の慶次被害者の会筆頭

83: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:14:07 ID:fgD
前田利家の妻妾

まつ →11歳 利家21歳
聚福院→13歳 利家30歳
隆興院→14歳 利家36歳
金張院→12歳 利家38歳
明混院→13歳 利家50歳
逞正院→15歳 利家56歳

84: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:14:58 ID:k0O
徳川頼宣
1602-1671

おそらく唯一、家康自らが子育てをした息子。
それゆえに戦国時代らしい気骨ある男に育っている。

戦場で活躍することはなかったが、内政センスは抜群で「紀州は平坦な土地が少ないから土地柄に合わせた作物を育てろよ」と商品作物の重要性を説き、和歌山のフルーツ経済の基礎を作った。

子供のころ駿府城で食べていた、みかんが大好きでみかんを庶民に広めるべく、有田川周辺をみかん農家まみれにした(みかんの税率を0にした)

87: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:18:09 ID:tIK
>>84
ええ結構逸話あるから有能やったんやろな

88: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:18:32 ID:k0O
井伊直政
1561-1602

徳川四天王期待のニューカマー、赤鬼、人斬り兵部。
徳川家臣にしては珍しく、今川旧臣の出で、若いころはそれなりに同僚にいじめられたが本人の負けん気の強い性格からすぐに頭角を現し、武田の赤備えを任されるまで出世する。

文武両道に熱いと思いきや、戦場ではついかっとなって家老に指揮を任せ、本人は先頭に突っ込むというガイジプレーをよく行う。おかげで家臣の心労が絶えない。

また、ささいなことで家臣を切り殺すため、毎日家臣が屋敷を出るときは家族と別れの盃を交わしていたという家臣の心労が絶えない。

89: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:19:42 ID:tIK
先頭で突っ込んだ結果早死

94: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:22:05 ID:k0O
>>89
怪我というより
関ヶ原の論功で日本中の大名・武将の評価を行ったり、全国から届く所領安堵の嘆願状を処理しているうちに過労死した説が有力やで。

97: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:25:00 ID:tIK
>>94
そら撃たれて完璧に傷癒えてないのに激務じゃあなぁ
しかも火縄銃の鉛玉やし

90: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:20:27 ID:k0O
服部半蔵
1542-1596

徳川の忍者・・・ではなく有能な槍使い。
先祖は忍者だったが、親父の代で廃業になったらしい。

とはいえ、親父の時代の忍者とのコネがあったので神君伊賀越えでは縦横無尽の活躍をする。のちに忍者の管理を任される役目に。

96: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:24:47 ID:t0u
>>90
一番の親友やった教え子信康の介錯した話悲しい

98: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:28:22 ID:k0O
島津忠恒
1576-1638

蹴鞠と和歌が大好きで、戦が嫌い、しかし徳川家の情報通というどこかの無能を想起させる存在。
いったい何川氏真なんだ・・・

しかし、地の利を生かし徳川家と粘り強く交渉した結果島津の所領安堵を勝ち取る。
沖縄の人には悪いが「三成が負けた・・・せや琉球併合したろ!」のムーブは見事としか言いようがない。

朝鮮の役では10倍の兵に城を囲まれながら、現実逃避に蹴鞠に講じていたところ「俺は軍神の生まれ変わりや!」ととち狂って勝手に敵軍の中に突入し肝をつぶした親父がそれを追いかけ、結果的に勝利するというジャイアントキリングを達成する。

116: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:39:44 ID:KJa
>>98
ウッジーは実は有能説あるから…戦国の世にどうしようもない程不向きだっただけや

102: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:31:50 ID:Yfp
徳川が何を思ってこんな戦闘民族を安堵したのか分からん

103: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:32:54 ID:tIK
>>102
そらあんな端に居る薩人マシーン攻めるだけ損やろ

105: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:33:46 ID:ODb
イッチ的に金吾はどういう評価なんやろ

110: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:36:33 ID:k0O
>>105
戦 → 強い。でも若いころから活躍する武将は多いので、猛将評価まではいかない。
内政 → まだ平岡や稲葉とか有能家臣に補佐されている段階。まぁ有能家臣の策を実施してるだけ有能やと思う。
裏切り→ 当初から徳川サイドだったので、大谷刑部の恨み言は逆ギレに近い。むしろ脇坂と朽木がアウト。
子供 → いないまま亡くなったのが致命的。

結論:アルコールには気を付けよう!

111: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:38:30 ID:ODb
>>110
だいたい同じだわサンガツ
やっぱ子宝って大事だわ

113: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:39:09 ID:aVi
関東武将でなんかおもろいのいない?

123: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:43:01 ID:k0O
>>113
里見義尭
1507-1574

房総半島の大名・里見家の当主。
庶流の出だったが家督争いに勝利して下剋上を達成する。

その後は北条家に喧嘩を売りつつ幕府のコネをとりつけ勢力を拡大する。
攻めてこられても籠城して撃退とかいう攻守に優れた武将である。

中国の古代王朝について深い造詣があり、名前の「尭」は中国伝説の王様が由来。

124: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:43:38 ID:tIK
関東なら北条氏政がすこ

133: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:48:25 ID:k0O
正木頼忠
1551-1622

里見家の家臣。だったがこの時にはすでに里見は衰退しており北条に押されている状況だった。
北条に代わって徳川家康が関東に入ってくると、家康が側室探しを始め、娘が見事側室入りする。

しかも家康が天下をとってしまったため、数千石の田舎侍なのに年上の将軍から「お義父さん!」と言われる立場にどうしてこうなった。

娘(のちに徳川頼宣を生む)と弟は、徳川家につかえるが本人は故郷がいいと考えたのか里見家につかえ続けた。

140: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)10:58:54 ID:k0O
土岐頼芸
1502-1582

かつて美濃を治めていた土岐家の当主。
土岐家の戦国時代は親父が弟をかわいがる→死後兄が弟に宣戦布告して家督争い勃発の繰り返しで、頼芸もその例に漏れなかったが部下として頼りにしていた斎藤道三に裏切られる形となり対立していた土岐家共々追放される。

その後、朝倉家や六角家、武田家と各地を放浪し(ことごとく織田に滅ぼされてる・・・)
最後は武田家に見捨てられ、甲斐の屋敷にいるところをかつての旧臣で側室の兄、稲葉一鉄に発見される。

一鉄と共に数十年ぶりに美濃に帰国した頼芸はその年の暮になくなった。なんと信長や光秀の死後よりも後の出来事である。
戦国後期のすべての原因やのに滅茶苦茶長生きである。

ちなみに絵が得意。「芸」を「頼」りにして生きていたんやろなぁ

141: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:03:47 ID:Yfp
>>140
可哀想

146: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:16:59 ID:k0O
>>141
最後は畳の上で死ねたから・・・
来年の大河で確実に登場するから絶対に見てくれよな!(美濃国をぶっ壊す!)

147: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:19:21 ID:Yfp
>>146
来年の大河は久々に期待しとふ

148: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:25:31 ID:k0O
ラスト!

織田信長
1534-1582

対して強くもない守護大名の家臣のその家臣の息子からスタートして数百万石の大大名にまで上り詰めた戦国時代、いや日本史の主人公。
初期領地に熱田神宮と港を所有していたため経済の重要性を理解していたのが素晴らしく、経済を回して金を集め兵と家臣は金で買うという非常に効率的な方法で勢力を拡大した。

お金が無くなると、貨幣レートを捜査してインサイダーしたり、お布施という名のカツアゲ行為を堺や本願寺にしたりしてその場を凌いだ(おかげで当時の人々からは悪魔とか呼ばれるようになるわけだが・・・)。

方針としては「信長ドクトリンを果たして結果を出せば、部下は何やっても自由」「信長ドクトリンは、たまに飛んでくる信長の命令は絶対。でも足軽の給料はちゃんと支払うこと」
有能なベンチャー企業の社長といえば聞こえがいいが、ブラック企業のパワハラ上司とも揶揄される。

結果、四方八方から恨みを買い、謀反や反旗を翻されることは日常茶飯事。時には許し、時には泣いて土下座し、時には敵を一族皆殺しにするなど戦国ライフをエンジョイしてきたが、一番高く評価していた重臣・明智光秀の謀反だけは逃れられず無念の自害。

是非も無し。

149: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:26:33 ID:KJa
おつ

150: 名無しさん@おーぷん 19/08/31(土)11:27:34 ID:3f4
おつ

引用元: ・【中山司】変な大名について適当に解説していく【不細工 犯罪者】



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