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1: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)15:12:37 ID:bIY
これは全身から血を噴き出した呂蒙さん








5: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)15:14:16 ID:DYj
蒼天航路読んだら
呂布さんもなかなかや
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14: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:23:12 ID:zSi
劉備に調理された人

15: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:23:55 ID:O06
>>14
調理は劉安やし……
しかも創作やんけ

16: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:25:07 ID:zSi
んじゃ姜維
姜 維(きょう い、建安7年(202年) - 景元5年1月18日(264年3月3日))は、中国三国時代の人物。

降伏後の姜維は、鍾会が魏に反逆する意図を抱いていることを見抜き、鍾会に接近して反逆するよう提案した。その目的は、まず鍾会を魏から独立させ、機会を見て鍾会と魏の将兵を殺害し、劉禅を迎え入れて蜀を復興させようというものであった。鍾会は姜維の進言に従い、遠征に従軍した将軍らを幽閉し反乱を準備した。だが将軍らが命の危機を感じて暴動を起こしたため計画が失敗し、姜維は鍾会および妻子らと共に殺された。享年63。

『三国志』蜀書姜維伝の注に引く『世語』によれば、魏兵が彼の遺体を斬り刻んで胆を取り出したとき、その胆は一升枡ほどもある巨大なものであったと記述されている。

17: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:39:21 ID:UO6
何度も殺された夏侯覇さん

18: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:10:19 ID:O06
張コウは三度死ぬ

19: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:11:24 ID:aaf
生魚食って寄生虫まみれで死んだ奴何て名前だったっけ

20: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:12:33 ID:O06
>>19
陳登

21: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:13:39 ID:WDo
憤死やっけ?
悔しくて死んだやつおるよね

23: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:14:09 ID:O06
憤死は結構おるな
陸遜とか朱儁とか

24: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:15:04 ID:WDo
>>23
原理がわからん 悔しいだけで死ぬんやったらザブングル1000回くらい死んどるやろ

27: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:16:03 ID:O06
>>24
憤死は死んだ状況のことやで
客死とか頓死と同じカテゴリや

28: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:16:45 ID:WDo
>>27
そうなんや なんで悔しくて死んだと思ったんやろ・・
ありがとな

26: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:15:20 ID:6GB
トウタクやないの?
臍に芯刺されたし・・
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30: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:17:15 ID:n9k
土下座して投降した壁画掘られて憤死した于禁

31: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:24:22 ID:mJx
串刺しにされた廃帝

32: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:24:56 ID:O06
>>31
誰や

33: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:26:14 ID:mJx
>>32
曹髦
曹 髦(そう ぼう)は、三国時代の魏の第4代皇帝。廃帝髦、高貴郷公髦とも称される。

甘露5年(260年)5月7日、曹髦は側近の王業・王沈・王経に「司馬昭の心は、道行く人でも皆知っている(司馬昭之心、路人皆知也)。私はこのまま廃位の恥辱を受けることはできない。今日こそ卿らと共に打って出よう」と打ち明けた。王経は、司馬氏が強大になって久しく、皇帝の宿衛(近衛兵)の欠員も埋まらない状況での無謀さを諫めたが、曹髦は自ら剣を手に、李昭・焦伯ら数百人の召使いを率いて挙兵した。
しかし、王業・王沈が密告したため、既に司馬昭の懐刀である賈充が、軍勢と共に待ち受けていた。しかし、誰も天子を畏れて斬りかかろうとしなかった。賈充は部下たちに「司馬公がお前たちを養ってこられたのは、まさに今日のためである」と叱咤し、罪に問わないと約束した上で曹髦を殺害させた。

『晋書』文帝紀では「太子舎人成済、戈を抽きて蹕(さきばらい)を犯し、之を刺すに、刃は背より出で、天子は車中に崩ず」とある。結局、司馬昭は実行犯の成済に全責任を押しつけ、一族諸共処刑してしまった。成済は処刑直前、門の屋根に登り司馬昭や賈充を罵ったという話も伝わる。また、ただ一人密告しなかった王経も、老母共々処刑された。一方、賈充は全く罪に問われなかった。

34: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:27:11 ID:O06
>>33
あーあの辺の司馬昭ホンマクソ

35: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:28:07 ID:mJx
>>34
アンチ乙悪いのは成済だから

36: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:28:32 ID:O06
>>35
罪に問わないと約束したのは誰なんでしょうかねぇ

37: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:29:37 ID:mJx
>>36
か、賈充…

39: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:31:51 ID:O06
>>37
??「腰斬されても残念でもないし当然」

40: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:32:21 ID:mJx
>>39
しばしょー「ダメです」

42: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:34:12 ID:O06
>>40
これこそ陳泰憤死案件
陳 泰(ちん たい、? - 260年)は、中国三国時代の魏の武将、政治家。

裴松之の引く諸史書では、曹髦(高貴郷公)が司馬昭の誅殺を図って挙兵し殺された事件について、陳泰がどのような反応を示したかを載せている。

干宝の『晋紀』では、曹髦が殺害された後、司馬昭が朝臣を集めて相談したが、陳泰だけは出席しなかった。そこで、陳泰の叔父の荀顗を遣わして、自分たちに理があることを説明させた。しかし、陳泰は「世人は私と叔父上を比べていますが、今(殺された帝に対して忠節を保っているという点で)叔父上は私に敵いません」と言っただけだった。それでも、周囲の人々から強いられて、涙を流して参内した。司馬昭は密室で陳泰と二人きりになると、「私はどうすればいいだろうか」と尋ねた。陳泰は「(曹髦を殺した)賈充を斬り、天下に謝罪なされよ」と答えた。司馬昭が「別の手段を考えてはくれぬのか」と食い下がったが、陳泰は「私は、ただこれを進言しに参ったのです。別の手段など存じません」と答えるのみだった。司馬昭はそれ以上何も言わなかった。

『魏氏春秋』では、帝(曹髦)が崩じたとき、司馬孚と陳泰は、帝の遺体を腿に枕させて哭泣の限りを尽くした。そこへ司馬昭が参内したため、陳泰は彼に向かって泣いたとあり、以下、『晋紀』と同じようなやりとりが記載されるが、この会見の後に「かくして(陳泰は)血を吐いて亡くなった」との記述が付加されている点が大きく異なる。



46: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:36:08 ID:O06
やっぱり司馬家は滅んで当然ですわ

48: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:40:10 ID:mJx
>>46
割と生き残る模様

49: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:42:04 ID:OO9
>>48
晋の次からがまた三百年ぐっちゃぐちゃやからなぁ

50: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:46:24 ID:mJx
>>49
東晋で100年その後北魏に亡命して貴族になる
51: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:46:44 ID:AzQ
やっぱり司馬一族って有能だわ

60: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:54:16 ID:OE9
>>51
異民族に奴隷にされたりするの草生える

62: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:56:02 ID:mJx
>>60
石勒「残当」
63: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:56:37 ID:AzQ
五胡十六国時代で名前に石がつくやつってまともじゃないよな

68: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:00:45 ID:82I
>>63
石虎「は?」

69: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:01:43 ID:OO9
>>68
お前がまともなら恵帝すらまともやわ

41: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:33:14 ID:BU3
因果応報としか言えないけど何皇后(何進の妹)


47: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:38:39 ID:OO9
南蛮編の大王たち

53: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:47:55 ID:WDo
>>47
兀突骨とかいう巨人すき

55: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:48:58 ID:O06
>>53
丸焼きで草燃えますよ
ここで孔明が自分の非道を悔いるシーンって正史程普のネタだよね

56: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:49:48 ID:mJx
>>55
程普ってそんな酷いことしたか

58: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:52:15 ID:O06
>>56
叛徒数百人に火の中へ身投げさせた後、程普は癩病を煩い数百日で死んだ

正史じゃなくて呉書だったしちょっと違ったわすまんな


54: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:48:49 ID:AzQ
南蛮編って明らかにネタ切れしてたよな
北斗の拳でいう修羅の国後みたいな蛇足感ある

57: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:51:44 ID:G60
>>54
三国志演義に挿入されてるから異質に見えるだけでほかの中国古典小説では平常運転よ


67: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)18:58:31 ID:O06
食人といえば王忠程昱
劉安に比べてクッソこき下ろされてて草

70: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:07:53 ID:G60
三国時代には惨死代表格の矢でハリネズミがいないからちょっと弱い
別の時代になればそれで有名な人がいくらかおるんやけどな

71: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:09:26 ID:82I
ホウ統の流矢で戦死の流矢は流れ矢と雨のように降り注ぐ矢の2つの解釈があるんやっけか

72: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:10:27 ID:O06
>>71
それ本場の学者が「雨のようにだって?」って鼻で笑ってたゾ

73: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:16:08 ID:G60
世の中には四年間で二十五回陣に臨み八回流矢に当たった人もおるんやで
雨のように降る矢やったら確実に死んどるやろ

75: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:18:24 ID:IVM
典韋
理想っちゃ理想の死に方だけど

76: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:19:36 ID:31a
拷問されて死んだのって誰かおったっけ
史記やと四肢切断されて便所に放置されたり爪に竹串刺したりとかあった気がするけど

77: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:21:37 ID:G60
>>76
吉平
吉 丕(きつ ひ、? - 218年)は、中国後漢末期の人物。吉本(きつ ほん)とも呼ばれる。

小説『三国志演義』においては、吉太(きったい)となっている。字は称平で、人々からは吉平(きっぺい)と呼ばれる名医という設定となっている。董承が病に倒れた際、献帝が診察に差し向けている。そこで董承の曹操暗殺計画に参加し、診察の際に曹操を毒殺しようとするが、計画が事前に漏れていたために失敗して捕らえられる。共犯者を問われて拷問されたため、黙秘を通して自殺してしまう。

78: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:23:42 ID:31a
>>77
思い出せんくてググったわ
そういえば曹操暗殺しようとしてたな

79: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:24:49 ID:G60
>>78
それ
「指を一気に切り落としてやるから誓ってみせろ」はワイのトラウマ

80: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)19:31:33 ID:O06
献帝の右往左往に付き従った漢臣は悲惨やったな
沮儁とか

引用元: ・三国志で一番惨い死に方した人物←誰想像した?



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