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1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/08/31(木) 22:59:46
河北屈指の忠義の士・審配を中心に、袁紹配下等について語れ!








4: 無名武将@お腹せっぷく 2006/08/31(木) 23:36:32
小学生のころ三国志を読んだとき、なぜか印象に残った。
魏、呉、蜀といった三国に直接絡まないのに、マイナーながらもに誇り高く生きた姿に感動を覚えたものだ。
こいつの奮闘がなかれば、袁家の滅亡物語なんてほんとつまらない、わざわざ語るほどのこともないものになったと思う。
とはいえ、その審配が袁家滅亡の内紛の元凶でもあるから難しいのだがw

6: 無名武将@お腹せっぷく 2006/08/31(木) 23:55:09
審配のギョウの守城戦は凄まじいのひと言

7: 無名武将@お腹せっぷく 2006/09/01(金) 22:22:06
散り際の潔さでも相当いい線いってるんじゃなかろうか

8: 袁症 ◆G4YeARAQJk 2006/09/01(金) 22:40:02
彼ほどの忠義の士は居ない

けどねえ・・・
跡目争いを引き起こしたのも・・・・・

9: 無名武将@お腹せっぷく 2006/09/01(金) 22:41:31
そこが彼の一番のネックだよね

10: 無名武将@お腹せっぷく 2006/09/01(金) 22:42:36
審配は青州に置いとけばよかったんじゃね?

11: 無名武将@お腹せっぷく 2006/09/01(金) 23:01:34
>>10
袁譚に速攻で叩き斬られてるだろ。

「我意が強く策がない」って言われてるんだよな確か。
策がないってのは微妙だが、我意の強さは相当なもんだろ。
やっぱそこで田豊とかより評価下がるんだろうな。

14: 無名武将@お腹せっぷく 2006/09/04(月) 22:11:51
>>11
最初から袁譚にその忠義心を捧げていればうまくいったかもしれん。
袁譚に翻意を促す手紙も送ってるし

18: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 04:17:19
袁家の家臣はみな激しいかイメージがあるが、審配は別格 
20: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 16:06:54
袁紹に従って戦った者の中には、顔良や文醜のような侠の匂いのするものや河北の名士たち、淳于 ら過去の同僚など様々な種類の人間がいる
中には曹操に惜しまれた者も多々いるが、彼らの多くは袁家に殉じた
能力はあるもののメンタル的に不安定な主君といい、妄想するにあたって魅力的な集団である

21: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 18:50:23
>顔良や文醜のような侠の匂いのするものや
どこにそんな記述が
っていうか顔氏は河北の名家だと考えられる存在で侠とか関係ないと思うんだが

22: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 19:26:58
>>21
河北の名士かー
その顔氏について詳しく知りたいんですが、どういった一族だったんですか?
良ければ教えてください

23: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 19:54:11
名士じゃなくて名家ね
で書道家として名高い唐代顔真卿の先祖が顔良という説もあってそこから顔氏は名家だったのではないかって説がある
その説だと顔良は孔子の弟子として有名な顔回の子孫という事にもなっていたりする

24: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 20:23:40
>>23
顔回の子孫って説は確かに聞いた事があるけど、そういう流れだったのか
もしかしたら顔良も、武の人であるだけでなく才人でもあったかもね

25: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 20:34:48
沮授又諫紹「良性促狹、雖驍勇不可獨任」【袁紹伝】
この沮授の評を見る限りあまり名家の出という感じはしないがなあ。

26: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 20:51:24
名家出身でも狭量で匹夫の勇を誇るような奴はいるっしょ
名門=権門じゃないから名門であることが逆にコンプレックスになったりな

27: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/19(木) 21:04:55
軍のそれなりに上の位にいるようだから、名門であってもおかしくはないな
話としては元侠者とか元山賊のが面白いが

32: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/09(木) 23:05:06
袁紹政権のNO.2 て誰だったのかな?
監軍の沮授かな?
それとも別駕従事だった田豊か審配かな?
ちなみに審配が別駕従事になったのはやはり田豊死後かな?

33: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/10(金) 16:17:15
袁紹に関しては何だか彼の時期にすでに派閥があった気がする。
官ガン支配を打ち倒したが、名家であったからには当然そういう質の家臣もいたのでは?
疑心暗鬼も多かった人らしいし、特に絶大な信頼を置いてた人間は一人もいなかった専制君主だったりして・・・

42: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 04:33:25
>>33
専制君主にしては優柔不断さが目立つよね
外見は鷹揚だけど、内面は猜疑心が強いというのはかなり当たってるかも。

34: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/10(金) 17:07:20
袁紹は名士好きだったようだから、ミーハーというか多少軽薄な印象が。

38: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/10(金) 23:46:31
袁紹は逢紀を特に重用してたみたいだな。

あと韓猛とかいう奴を思い出した

39: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 00:12:08
>>38
でもその逢紀と審配仲が悪かったみたい。
珍しく後に和解してるけど。

44: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 05:09:09
それにしても袁家の内紛は複雑。
官渡決戦でも田豊・沮授ら河北出身者は持久戦を主張してるが、同じく河北出身の審配は河北出身でありながら豫州出身の郭図と組んで短期決戦を主張している。
(その割には審配と郭図はその後決定的に対立してるが)
また、袁紹と個人的な繋がりが深い逢紀は河北組の田豊は讒言してるのに、審配のことはかばってる。
一方同じく袁紹個人と懇意な許攸は審配と折り合いがつかず出奔している。
んで、袁紹死後は河北出身の審配と袁紹との個人的関係が深い逢紀が担ぐ袁尚陣営と郭図・辛評ら豫州(袁家の縁の地)組が担ぐ袁譚陣営で内紛を起こしてる。
河北出身者、袁紹との個人的繋がりが強い者、袁家と縁が深い豫州出身者などの利害が複雑に絡んで単純な派閥争いではなくなっており、もう何が何だか、て感じになってるね。
それにしても一代の烈士とまで言われた審配がなぜ三男の袁紹を盛り立てたのか未だに分からない。
実直で義理堅い彼の性格を考えれば素直に長男の袁譚を支持しそうなものだが。
そうなってれば、袁家滅亡はもう少し先になったのかも知れないと思うと、惜しい気がする。

50: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 15:24:43
それにしても辛評ってこれだけあくの強い袁家家臣団の中でぜんぜん目立たないよね。
袁譚立ててるし、まともな常識人だったんだろうか

53: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 16:43:48
袁術と袁紹って、性格がほとんど反対だね。

55: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/16(木) 01:23:38
袁紹と袁術の一番デカイ対立理由ってなに?

57: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/16(木) 01:39:55
>>55
袁紹が劉虞を新帝として擁立しようとしたのに対し、袁術は劉協を正当として董卓からの奪還を真剣に考えていたから。
袁術が帝位僭称するよりずっと前に、袁紹は偽の勅命を作ったり勝手にシンパに爵位をばらまいたり好き放題してた。

61: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 01:14:51
>>57
実際袁術と陶謙や公孫讃の関係ってどんな感じだったんだろう。
陶謙はともかく、名士嫌いで傲岸な性格の公孫讃が人の下風につくってなかなか想像しづらいものがある。

>袁術は劉協を正当として董卓からの奪還を真剣に考えていたから。
どうなのかな?
確かに袁紹の劉虞擁立には劉協の正当性を主張して反対してたけど、それは劉協の正当性を信じてたからというより自身が皇帝になりたいからじゃないだろうか?
これはもちろん結果論に過ぎないけど。
袁術に帝位への野心が芽生えたのはいつごろからなのかな?


58: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/16(木) 01:55:00
曹操が台頭してくるまで「袁家」の冠は別格。誰も文句言えなかったんじゃないか?
あの頃に袁紹の配下になるというのは、正しい判断の1つだったと思う。

61: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 01:14:51
>>58
そうだよね。反董卓同盟瓦解後の争いは基本的には二袁の主導権争いに諸侯が巻き込まれたって感じだよね。

59: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/16(木) 21:18:48
袁紹はそれこそ家の看板しか持って無くてそれを使って地力を付けて一大勢力になったんだが始めから名も実もあった袁術と同列にしてやるなよ

63: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 01:41:20
>>59
逢紀の策で公孫讃そそのかして、んでもって韓馥脅して冀州奪い取ってからだよね。
袁紹の勢力拡大がうまくいき始めたのは。 ここだけ見ると逢紀ってすげえって思う。
家の看板の重要性と、好戦的な公孫讃の性格、臆病な韓馥の性格をよく見抜いてうまく利用してると思う。袁紹が逢紀を重用したのもよく分かる。
讒言癖がなけりゃ優れた策士なのに。
なんだかんだ言っても袁紹配下は人柄に難はあるものの才能のあるやつが多いな。

袁術は豊かな南陽太守で確かに名も実もあったけど、圧政をしいて領土を疲弊させてるから遅かれ早かれ没落は避けられなかった気がする。

62: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 01:31:11
袁紹は中央のエリート街道に居たから、自分の地盤を持ってなかった
董卓に飛ばされた後、ほぼ地力で官渡までの大勢力を築いた

60: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/16(木) 23:01:15
家柄は袁術の方が上か

61: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 01:14:51
>>60
年下だけど袁術は正室の子だったと思うよ。
袁紹のほうが年上だけど妾腹。
この場合どっちが格上なんだろう。
でも敗者だから血縁関係の詳細は不明みたい。

65: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/17(金) 04:45:57
>>62
普通に考えれば、袁紹が格上。
側室の出とは言え、長子(?)なら跡継ぎになる。
養子とは違って、血筋はちゃんと繋がっているから、母側の上下は余り関係ない。寧ろ、母側はそれで格の上下を決められる。
所謂「母凭子貴」ってやつ。母側が名族、豪族の出なら話が変わるが。

ただ、当の正室の子がどう思うかによって、内紛が起こることもそれなりにある。
唐の李旦と李顯の場合は正室の出の李旦が譲ったことで美談で済んだが、袁術はどうやら納得できていなかったようだ。

68: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/18(土) 20:59:09
袁術は単に自分が一番でないと駄目なだけ
袁紹の反対の策を取ってるだけで、そこに理論性は無い
馬鹿だもん

69: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/18(土) 23:35:22
>>68
後漢王朝の衰退にいち早く見切りをつけ
自ら王朝を興した先見性は評価…できないかやっぱり

74: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/20(月) 04:40:35
袁術の皇帝即位を配下はどう思ってたんだろ
何人か諌めたやつはいたみたいだが

76: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/27(月) 21:29:19
話変わるけど河北四州ってどのくらい豊かだったんだろう?
幽州、并州は辺境だし、異民族問題もある。
しかも幽州はついこないだまで公孫讃の領土。
青州も青州黄巾賊が荒らしまわっただろうし、冀州は黄巾の乱の首魁張角の出身地だから、河北四州どれも戦乱で相当疲弊していたのでは?
官渡は袁氏にとってもかなりの負担だと思う。

だが韓馥が冀州譲るときには部下がこの州は帯甲百万,穀は十年を支えるていって諌めてる。
袁紹も曹操も州都の鄴手に入れるやすぐ本拠地にしてるし、土地自体の持つ回復力が高かったのだろうか?
それとも袁家の領土経営が上手かったのだろうか?

80: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/27(月) 22:35:38
>>76
ずっと後になるけど冀州は魏の国力の心臓部なので軍役を課すなというのがあったよ。
明帝の時代だったかな?

88: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/01(金) 21:51:41
>>76
冀州は異民族問題の最前線幽州、并州への兵站基地、策源地としての役割を前後漢の間ずっと担ってきた
黄巾の乱の時も主戦場は南陽盆地とエン州の辺りで冀州はほぼ無傷
三国時代で疲弊していない地域の1つだよ

92: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/02(土) 03:00:15
>>88のいう通りであれば、河北四州とはいうものの、その豊かさの土台は冀州ということになるな。とすると、逆に公孫サンはすごいな。
一時は陶謙なども傘下に収めてたとはいえ、基本的に彼の地盤は豊かとはいえない幽州が中心。しかも彼は地方軍閥には珍しく異民族とは仲が悪い。
名士層とも上手くいってなかったみたいだし、商人たちとは仲がよかったみたいだが、基本的にあの時代は農業生産力こそが国力の基盤だったはずだ。
これだけの悪条件を抱えながら、袁紹、袁術らと肩を並べる勢力を誇り、袁紹と張り合っていたのだから、大したものだ。
白馬義従や易京の備蓄300万石の費用などなどは、どこからひねり出したのだろう。やはり民に重税を強いていたのだろうか?


94: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/02(土) 04:53:23
>>92
当時既に貨幣経済が発展しており米相場とかも存在していた
(と言うか戦国時代から投機と見られる話しがチラホラとある)
経済というものが既に農業からは完全とは言わないまでも切り離されていたと考えていい
農業ができなくても物を金で手に入れることは可能と思われる
まあ当時の米相場は暴騰してたみたいだから略奪、商売の両方で蓄えたんではなかろうかね

78: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/27(月) 22:22:00
沮授あたりは河北は今消耗してるから回復するまで曹操との全面戦争はやるべきでないって言ってたんだよな。

83: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/28(火) 13:27:07
ただ河北の回復を待ってるだけだと曹操側も備蓄を整えて迎撃態勢を整えてしまうからゲリラ戦で曹操を消耗させつつ河北の回復を待つのが田豊あたりの戦略だったわけか。

85: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/28(火) 13:44:53
>>83
至極真っ当な戦略だよね。
どうして袁紹はその策をとらなかったんだろう。

ただ、曹操の領土って、屯田制を採用してるとはいえ、虐殺を行った徐州や蝗で飢饉になった兗州など、もう本当に疲弊しきってるところばっかりだよね。

宮城谷三国志だと、持久戦の沮授・田豊派に対し、郭図は単に反対のために反対(さすが郭図w)、一方審配は、曹操をこれ以上放っておいたらますます手がつけられなくなるという理由で反対してる。

曹操の優れた政治手腕と現在の疲弊しきった領土を考えれば、こちらも疲れてるとはいえ、相対的に見て今こそ好機だ、と判断しても間違いではない気がするよ。

86: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/28(火) 17:40:01
劉備造反の好機に動かなかった以上、何かのチャンスを狙っていたとは思えない。

対曹操ではいくつかの外交的謀略を行っていたが、公孫サンのときと違い、大概うまくいなされ潰されている。劉表は動かないし、張繍は降っちゃうし。
それによって気持ちが押されて速戦派に傾いてしまったというのはどうだろう。

87: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/28(火) 21:17:16
>>86
劉備造反の際には持久派の田豊まで速戦を進めてたね。
主従の確執がどうしようもない所まできてしまっていたのだろうか。

曹操包囲網が期待してたほど上手く機能しなかったので自らが実力行使するしかない、と思ったという説には納得。

97: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/07(木) 01:17:17
審配ってさ、忠義者であるのはわかるんだが、戦術を任せられるほど実力はあったの?

98: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/07(木) 01:32:09
>>97
最後の籠城戦を見るに、十分評価できると思うぞ。

99: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/07(木) 03:23:49
>>98
篭城戦は戦術の能力よりも、統率力(必ずしも戦術性に優れているわけではない)と忍耐力があればいいような気もするが・・・
戦術面の筆頭には顔良でも文醜でも張コウでも良いんじゃない?

105: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/07(木) 21:41:25
>>99
顔良はなかなかだけど、文醜は酷い。
てか、軍部のTOP審配。政略のTOPを沮授でいいと思う。
んで、田豊を本多忠信的位置にすればおkじゃね?

107: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/08(金) 01:44:40
>>105
ただ、顔良も荀イクに「匹夫の勇」て評されているんだよな。やはり参謀指揮下で作戦遂行に使うのが無難かも知れんね。

106: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/08(金) 01:38:04
>>99
麹義は戦術面にも秀でていたと思うから、戦術を任せてもよかったのかも知れん。
傲慢な性格に難ありだが。

100: sleepknot ◆r4HwcKQwNE 2006/12/07(木) 08:31:00
当時の張コウはまだ若かったから魏将後期のような働きが出来たかは微妙だし、顔良・文醜も猛将として名が通っていただけに戦術もどうかなぁと思うような。文醜は特に。文醜は特に。

やっぱり戦術は参謀に任せて作戦遂行に使うのが無難なのでは? 
せっかく参謀層が厚いんだし、無理せず活躍できる場を与えてやった方が良いような気がする。

101: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/07(木) 16:05:57
>>100
張コウは対公孫サンで活躍しているから、当時もそこそこ実力があったのでは?と思う。

108: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/08(金) 02:32:04
ここでの審配の評価は、日本で言う真田幸村の評価に似ている
どうも最後が壮烈だったせいで過大評価されてない?

117: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/05(金) 23:30:31
義理堅い審配がなぜ序列を無視して三男を支持したのかということが非常に気になる。

118: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/06(土) 13:26:53
郭図、辛兄弟と対立してたからだろ。

119: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/06(土) 23:12:40
>>118
官渡では主戦論で郭図と同意見だったんだがなあ。
郭図憎しのあまり対抗馬として袁尚を立てたのか。
なんでそんなに郭図や辛兄弟が憎いのか?

120: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/07(日) 00:15:36
審配の様なタイプは義理堅いっていうよりも、普遍的な道理云々よりあくまで主人の意向に対して忠実って感じがするな

だから長幼の序がどうこうより、袁紹個人に対しての忠義って意味で袁尚に継がせたかった内意を汲んでる感じ
そこに派閥の要素が絡んでああいった図式におちついたと

121: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/07(日) 22:26:17
なるほど。そうなるとやはり荀彧の言ったとおり大局を見通す目はなかったわけだ。
審配は忠義一徹に見えて、莫大な私財をため込んでいたり、罪人を平気でかくまうなど、実はかなりダークな部分も持ってるんだな。
だから後継者争いも私利私欲が絡んだのかもしれんな

引用元: ・河北の烈士審配



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