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16: 人間七七四年 2009/09/04(金) 14:54:05 ID:gXv4flaf
真田家に関する史料とか、皆さんはお読みになりますか?
今「真田三代記」を読んでいて、とにかく痛快でこれも面白いんだけど実際に名が残っている史料とかあるなら見てみたいなぁと思い始めました。
オススメのものなどあれば、教えていただけますか。クレクレですみません

17: 人間七七四年 2009/09/04(金) 17:33:04 ID:SoL0jqXi
加沢記なんてどう?

15: 人間七七四年 2009/09/04(金) 08:21:57 ID:Mka3VxsN
やっぱ昌幸がダントツで名将だよな
幸隆は村上関連でしか活躍してないし

25: 人間七七四年 2009/09/22(火) 18:55:44 ID:DGKjctB1
>>15 
>>幸隆は村上関連でしか活躍してないし 

上野攻略は無視ですか、そうですか。

30: 人間七七四年 2009/09/26(土) 18:48:41 ID:z++uXaO1
実際1番すごいの幸隆のジジイだよね

42: 人間七七四年 2009/09/28(月) 11:26:20 ID:MxlLuGo+
>>30
幸隆=幸綱やし

44: 人間七七四年 2009/09/28(月) 13:34:04 ID:0SaYP08X
>>42
幸村がだめなら幸隆もだめだよな。甲陽の創作かもしれないわけで。

46: 人間七七四年 2009/09/28(月) 16:41:13 ID:WohyLdA2
>>42
最近の研究では幸隆も正しかった、になってるそうな

50: 人間七七四年 2009/09/28(月) 21:08:29 ID:0SaYP08X
>>46
よかったらどういう研究か教えてくれ。入道名説しか知らん。

51: 人間七七四年 2009/09/28(月) 21:26:02 ID:F7GXdRJ1
>>50
柴辻俊六氏曰く、
永禄5年ごろまでは「幸綱」、晩年は「幸隆」と名乗ってたそうな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%B9%B8%E9%9A%86

61: 50 2009/09/29(火) 09:11:57 ID:lQgNCAD9
>>51
ありがとう。結局幸隆でもよさそうってことだな。
ただ、やっぱり個人的意見だけど実名「ユキツナ」、入道名「コウリュウ」を支持したい。
棟綱-幸綱-信綱ってのが説得力あるし。

63: 人間七七四年 2009/09/29(火) 12:04:39 ID:A6I2zZhh
>>61
自分もその流れが自然とは思うけど、
昌幸が真田性に復した時、信幸の元服の際、なぜ「綱」を使わなかったのかが気になる。
幸隆→昌幸→信幸って血筋で見ると、「幸」が3世代繋がる。
その後も真田一族で多いのは「幸」と、武田の縁と思われる「信」の字ばかり。
信綱の戦死だけで、縁起が悪いと全く使わなくなったというのもなぁ。

67: 人間七七四年 2009/09/29(火) 22:56:20 ID:lQgNCAD9
>>63
庶流の「(昌)幸」系統が残ったってだけじゃないかなあ。
昌幸は一度別家に養子に入ったわけだし。

71: 人間七七四年 2009/09/30(水) 08:31:03 ID:YcarwwnF
>>63
幸隆→昌幸 は結果としてそうなったけど、少なくとも幸隆生存中は信綱が家督であって、「幸隆→昌幸→信幸って血筋で見ると自然」って言うなら後世書き換えたと言いたそうに見える。
滋野氏の幸綱が武田に従うのを機に綱の字を捨てた、ならわかりやすいんだけどな(笑)

信幸元服時に「綱」にならなかったのは武田から「信」をもらう以上、信綱にすることができなかっただけでは?
それと、昌幸が信綱の後嗣に入ったわけではないから。あくまでも昌幸の立てた家が残った、ということで。

58: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:52:23 ID:x08sxeD+
>>50
天文二十一年の賀詞に「幸隆」を使ってる。
ただ、その後の永禄五年に「幸綱」の名前も見える事からどちらの諱も使用していた可能性があるのではないかと言われている。

52: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:14:25 ID:T4zBQKa6
ここの人に聞きたい。
真田幸隆は信玄の軍師だったのだろうか?

53: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:15:50 ID:oJz6llJE
はっきり言うが軍師なんて便利な存在は戦国期のどの家にも存在しない。

55: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:26:45 ID:T4zBQKa6
じゃあ、大名は方針や作戦を家臣全員と相談するというのかい?
それに軍師は便利な存在ではない。

56: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:37:24 ID:oJz6llJE
>>55
侍大将、足軽大将、備ごとの指揮官、などによる合議で作戦は決められる。
軍師なんて一人の天才が魔法のように作戦を作り軍隊を動かすような、そんな夢想的な戦争は存在しない。

軍師なんてわけのわからんものは、講談小説の中にしか存在しないんだよ。

58: 人間七七四年 2009/09/29(火) 01:52:23 ID:x08sxeD+
幸綱が特別に信玄から合戦に関する相談事を受ける役割だったなんていう記録は無いと思うよ。
どちらかというと、信州から上州にかけて大きな影響力を及ぼす滋野氏の棟梁である海野氏嫡流という立場が信玄にとって利用価値が大きかったんだろう。

73: 人間七七四年 2009/09/30(水) 23:12:03 ID:EzYQg79O
>>58
廃れた海野家に利用価値や影響力ってあるの?

74: 人間七七四年 2009/10/01(木) 01:13:55 ID:kiny8x6m
>>73
滋野氏は古代から小県を中心に大きな勢力を誇っていた名門であり、小県や佐久、吾妻等を治めようとするには打って付けのブランドだったと言える。
また、滋野支族である望月氏は未だ武田に抵抗し、禰津氏は武田の家臣となっている。
滋野氏の嫡流である海野氏の幸綱を用いる事は内外に大きな影響力を及ぼすと考えられる。

ちなみに海野平の合戦で棟綱の嫡男と言われている幸義が戦死しているが、幸綱が海野氏嫡流を僭称しようとしたのはその事が切欠となった可能性が高い。
であれば、海野平の合戦後に生まれた昌幸に海野氏嫡流をアピールする為、海野家の通字である「幸」の字を用いたと考えられないだろうか。

75: 人間七七四年 2009/10/01(木) 02:16:33 ID:F7vFQF8i
>>74
だとしたら、
なぜ、幸隆は海野姓を名乗らない?
そして、真田姓は子供の誰かに相続させればいいはず。

76: 人間七七四年 2009/10/01(木) 03:40:05 ID:kiny8x6m
>>75
松代藩真田家系図等では幸綱は棟綱の長男で、村上氏に小県を追われ真田郷に移り住んで真田を称した、としている。海野氏は小県郡海野に本拠を構えたから海野。
ある時から急に海野に変えたらおかしいだろ。

ちなみに真田氏は幸綱以前にも同地に既に存在していた可能性が高く、幸綱が移り住んで初めて真田を称したというのは偽りである可能性が極めて高い。

85: 人間七七四年 2009/10/02(金) 11:54:45 ID:/2Rd4Ptu
信之と信繁の男系子孫は残っているんだよな?

88: 人間七七四年 2009/10/02(金) 13:39:24 ID:MFmbiFeO
>>85
信繁の子、大助が片倉家に匿われて、片倉守信と名乗り仙台藩士となる。
1712年に真田を名乗るようになるが、男系は絶えて(本家からの養子で途中一時男系が復活するが)女系で幕末を迎える。

信行の松代藩も5代で男系は絶えて女系で生き残る。
詳しくは「真田氏と天狼の系譜-扶桑家系研究所」で見てくれ。

91: 人間七七四年 2009/10/02(金) 18:12:41 ID:6ue0itEM
>>88
片倉守信は大助じゃなくて次男の大八だよ
大助は大坂夏の陣で豊臣秀頼に殉死している

97: 人間七七四年 2009/10/03(土) 23:12:38 ID:psGELFfb
信之の男系は藩主では途絶えたが、勘解由家に残ったはず

信繁の男系だが本家では途絶えた。
守信の家系に男系維持できてる分家はないのかな?

99: 人間七七四年 2009/10/04(日) 19:49:40 ID:R7P7xyiV
長野と滋野・海野はどんな関係なんだろうか?

100: 人間七七四年 2009/10/06(火) 12:10:56 ID:ftfWZ4hX
>>99
禰津・海野・矢沢を滋野3家という。
滋野と長野はともに関東管領上杉の家臣。
武田、諏訪、村上に攻め込まれた時、管領上杉の援軍が1ヶ月も遅れたため、守りきれず北信濃から上州に逃れた。
その後はNHK大河にあった通り。

101: 人間七七四年 2009/10/06(火) 18:17:39 ID:UTXqM0iY
>>100
矢沢は滋野三家ではない。正しくは禰津・海野・望月。
ついでに、滋野氏は北信濃というよりも東信濃の小県郡あたりが本拠地。

102: 人間七七四年 2009/10/09(金) 22:52:13 ID:6YKJ6aWU
信繁は豊臣の姓をもらうくらいだから、秀吉から相当可愛がられてたってことでいいの?

103: 人間七七四年 2009/10/09(金) 23:53:15 ID:/awmE0OA
別に信繁が、ってことはないが、真田の家は重視されてたんだろう。

104: 人間七七四年 2009/10/10(土) 00:20:39 ID:eHy029ab
次男のくせに嫡男の信幸と同じ従五位下で、その上ちょっと格上の左衛門佐だしなぁ。

145: 人間七七四年 2009/11/16(月) 13:35:27 ID:io5umdtd
ちょっと失礼、「幸村という名の初出は難波戦記である」
という旨の本なり論文なりが何か分かる人はいないか?

146: 人間七七四年 2009/11/21(土) 22:04:48 ID:3B2GthLD
俺は幸村は講談で広まったって聞いたけど、初出は他の詳しい人に任せます

148: 147 2009/11/22(日) 16:29:45 ID:N9n/vhNF
>>146
講談「難波戦記」の元ネタが実録「真田三代記」、
「真田三代記」の〃が実録「厭蝕太平楽記」、
「厭蝕太平楽記」の〃が軍記「難波戦記」らしい

wikiに「初出は江戸時代の寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』にあり」とあったんでそういったことを示したものがあるのか?と思ったんだけど誰も知らないのかな

151: 人間七七四年 2009/11/23(月) 20:32:45 ID:sCiLultJ
真田家家老の矢沢薩摩守頼綱ってシブいよな?

152: 人間七七四年 2009/11/23(月) 21:02:49 ID:AIbwlrLJ
>>151
渋いっつうか、無双だろ
第一次上田合戦のときに北条軍3万を十分の一以下で撃退したんだから。

153: 人間七七四年 2009/11/23(月) 21:15:27 ID:ymcjyZqj
矢沢薩摩守さんは戦闘能力はチート級といってもいいし、息子の頼康は筆頭家老として善政したし、老体で大阪の役に行ったり。

155: 人間七七四年 2009/11/23(月) 23:11:37 ID:YtjmM3th
矢沢氏って元は幸隆の弟だよな
いい一族に恵まれたもんだ

162: 人間七七四年 2009/12/01(火) 12:48:52 ID:MYuSGfdP
昌幸や信幸や頼綱を筆頭に真田家は寡兵での戦い強すぎる。

何回、北条の数万の軍勢撃退してんだよ。しかも数百の兵で。

164: 人間七七四年 2009/12/02(水) 09:48:31 ID:Itmx6Z2Y
地元だけに防衛戦は得意なんだろうな
逆に国外に出て行って勝った事あるのかな?

165: 人間七七四年 2009/12/02(水) 13:57:55 ID:nlbkegaO
上野の地は実力で奪い取ったでしょ

167: 人間七七四年 2009/12/03(木) 11:04:34 ID:joJoarhA
>>165
もともと流浪中の幸隆が世話になっていて土地勘もあるわけじゃない?
だからどうなのかなと思ったのよ

168: 人間七七四年 2009/12/03(木) 20:31:33 ID:hjHTzJBv
上野といっても上野一国を取ったわけでもなんでもないしなあ

169: 人間七七四年 2009/12/03(木) 23:39:27 ID:BML/XyRQ
沼田をほぼ独力で取って維持できただけで大したもんだろ。

170: 人間七七四年 2009/12/04(金) 12:45:16 ID:6eftyw61
本能寺の変後の徳川・上杉・北条に狙われて混沌とした信濃と上野を守りきったのは凄いと思う

171: 人間七七四年 2009/12/04(金) 13:42:36 ID:mpT1W0Fp
武田・北条・徳川・上杉と転々と主君を変えた奴のどこが凄いというのか? 

172: 人間七七四年 2009/12/04(金) 14:58:25 ID:LW2221J+
>>171
主君を転々としている大名なんて腐るほど居るだろ・・・・その程度で何いってんだ?
結果的にあれだけ小規模の大名が所領を守りきって大名家として残ったのが凄いんだよ。
しかも幕府で譜代格になり、老中まで出してるんだから、半端ない。

175: 人間七七四年 2009/12/05(土) 10:19:54 ID:WshOUlvM
>>171
主君を次々と変えながらも信濃や上野に攻め込んできた大軍を援軍無しで撃退してるのが凄いんだよ

177: 人間七七四年 2009/12/05(土) 12:10:16 ID:io25zftz
大体、武田は別に裏切ったわけでもなく、あちらが先に滅んでしまっただけで、全く後ろめたい要素はないだろ。

178: 人間七七四年 2009/12/05(土) 12:26:25 ID:vWezOkVs
昌幸に勝頼を守れるはずがなく首を信長に差し出す魂胆だったんだろ
それを看破したから昌幸の所に行かなかったんだろ

179: 人間七七四年 2009/12/05(土) 12:47:10 ID:WshOUlvM
>>178
では小山田なら勝頼を守れると考えたのか?

んなわきゃない

180: 人間七七四年 2009/12/05(土) 16:24:48 ID:44Aq17q5
やばくなったら上杉にでも逃がして降伏すりゃいい。意外と義理堅いよ、昌幸は。

181: 人間七七四年 2009/12/05(土) 18:31:16 ID:tqsBT7gL
むしろ、自国の領民と滅亡した武田の旧臣達の為に身の振り方を考えていたのである
徳川から見れば信用なら無い奴でも家臣、領民から見れば、「英断できる」トップ
信頼されていなければ上田城で死んでいただろう

182: 人間七七四年 2009/12/05(土) 18:41:07 ID:6nHxH0it
第一次上田合戦では領民が支援してくれなかったら、ひねり潰されていたのは確実だからねぇ。

とはいえ、重税云々という話も残っているけど。

282: 人間七七四年 2010/02/23(火) 22:36:45 ID:FmomqoDq
昔どこかで「三成と親交のあった信幸は本当は西軍につきたかった。でもお家存続のために親父殿から東軍にされた」、と聞いたんだけどそうなの?
にわかな自分で調べても三成云々を見つけられない

283: 人間七七四年 2010/02/24(水) 16:55:43 ID:dubZj8l7
>>282
西軍につきたかったかはわからんけど三成と親交があったらしいのは本当
三成から信幸宛の書状(プライベートっぽい)がたくさん残ってる

285: 人間七七四年 2010/02/24(水) 22:48:48 ID:PEE1nDdZ
三成の友達になってあげるなんて兄さんはいい奴だな

286: 人間七七四年 2010/02/24(水) 23:18:42 ID:MIyWJ/Xy
>>285
友達少ないといわれる三成だけど、直江兼続、佐竹義宣、大谷吉継など、意外とおるやん。

287: 人間七七四年 2010/02/25(木) 10:41:30 ID:2PBDaHFV
友達いなさそうな連中がつるんでるようにしか見えない

289: 人間七七四年 2010/02/27(土) 15:46:02 ID:JsiLxh4V
友達は直江兼続、佐竹義宣、大谷吉継、真田信幸か。
三成の友達にバカや俗物はひとりもいないな。

まあ、個人としてはそれでいいけど、天下を仕置きするには狭量だったんだろな。

290: 人間七七四年 2010/02/27(土) 15:51:03 ID:PnquVGWL
大谷以外は友達と言えるか?
佐竹と直江は反家康でつるんでただけでしょう

294: 人間七七四年 2010/03/01(月) 01:56:54 ID:ZNuGISnT
>>290
三成スレネタになるけど、佐竹義宣と三成との関わりは忍城攻略戦からで、忍城攻略戦に関わった三成、大谷吉継、佐竹義宣、直江兼続、真田昌幸らは西軍についているように、負け戦だったとはいえ忍城攻略戦は三成の人脈形成にかなりの影響を与えている。

んで、宇都宮国綱の改易の際、佐竹にも類が及びそうになったところ、三成のとりなしで佐竹にはなんの咎めもなかったことから三成に恩を感じるようになり、七将襲撃事件の際には三成を救出して「治部が死んでは生き甲斐が無くなる」と言ったといわれている。

各種資料からも、当時からかなりガチの友人とみられていたのは確か。

295: 人間七七四年 2010/03/01(月) 16:19:21 ID:bWtQzJwn
>>294
大谷、佐竹、直江あたりは「三成の人物に惚れていた」と言われても、そうなのかなぁとか思っちゃうが、昌幸って三成という人物をどう見てたのかな?
すごく興味あるな・・・

昌幸が三成を絶賛するような手紙でも見つかれば、近年の三成再評価にこの上ない真実味が出そう。

296: 人間七七四年 2010/03/04(木) 15:25:04 ID:YMg/JWag
昌幸と三成って嫁さんつながりだっけ
昌幸は大谷刑部とは普通に親しかったぽいが三成はどうなのかな?

引用元: ・真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 3



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