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1: 世界@名無史さん 03/03/25 03:46
漢に抗したチュン姉妹からモンゴル撃退、明国撃退。
フランスの支配に憤然と立ち向かった独立抗争史などなど、我が国の隣りの半島とは対象をなす歴史を語ろう。








6: 世界@名無史さん 03/03/26 11:15
ベトナムの伝統家屋が、日本のとそっくりだよ。
中国の雲南省も含めて、あの辺の文化は日本の中国系弥生文化と同じ

8: 世界@名無史さん 03/03/28 04:50
>>6
ドンソン文化と弥生文化って文明レベル的には同じようなものなのかね?

9: 世界@名無史さん 03/03/28 05:05
ベトナム戦争の本で、チャンフォダオ(弾道成だっけ?)が紹介されてて、伝統的にゲリラ戦が得意だとか。
ベトナム史を知るのにいい本があったら教えてください。

ところで、金日成とホーチミンはキャラがかぶってないか?

10: 世界@名無史さん 03/04/01 22:55
>>9
中公新書の「物語 ベトナムの歴史」がオーソドックスでいいと思う。
チャンフンダオは陳興道ね。

無敵のモンゴル軍を撃退したのって、日本、ベトナムとマムルーク朝エジプトだけか。
これってかなり凄い。

13: 世界@名無史さん 03/04/02 06:54
ベトナム歴代王朝の年号の資料・書籍がまるで見つからない。
昭和63年の暮れ、あるミニコミ誌に年号の由来と現状の記事を書いた。
日本、中国、朝鮮半島の年号の資料はあったのだが、ベトナムのものを探し回ったのだが。

34: あやめ 03/04/03 19:26
>>13
越南歴朝の世代年次の資料が見当たらないとのこと、それじゃこれから少しづつ
書くことにしましょう。長丁場になりそうだけど付き合ってね。
史料は「大越史記全書」と「越史通鑑綱目」などです。

朝鮮の檀君神話に相当するのが「鴻厖紀」の時代です。
支那の炎帝神農氏の三世の孫に帝明という天子があり南巡して五嶺に至る。越南の歴史に関心のある方は御存知かとは思うけど、「五嶺」というのは廣東省と湖南省の間に横たわってる山脈で、大庾・始安・臨賀・桂陽・都龐(掲陽)の5峰から成ってます。
帝明はそこで婺僊という女と交わって一子を儲けますが、聖智聡明な資質を奇とし後継ぎにしようと考えたんですが、当人は帝明には既に帝宜という長子がいるので固辞します。そこで明は宜を嗣として北方の天子とし、婺僊の生んだ子の禄續には南方の統治を任せ涇陽王に封じます。涇陽王はこの地を赤鬼國と号し百粤の君主となります。2879B.C.のことだということになってます。

45: あやめ 03/04/06 15:12
>>34の続きです。
涇陽王は洞庭君の娘の神龍を娶って崇纜という子を儲けます。崇纜は涇陽王を継ぎ、赤鬼國の君主となり貉龍君と号します。彼は帝來の娘の嫗姫を娶り百男を儲けます。
百卵を産んだとも伝えられているそうで、この百男がそれぞれ百粤の祖となったということになってます。
ある日のこと姫は貉龍君に向かい「我は龍種で儞は僊種と種族が異なる、水火相克の理によって一緒にやってくのは難しいから別れましょう」と突然の申し出、しかも五十子を連れて実家に帰り五十子は夫の許に置いてきました。

龍種が水に属すというのは判りますが僊(仙の本字)種が火に属するというのが不明、婺僊は二十八宿の婺女に由来すると思われ五行では水に属するから、龍種との相性は好適なはずです。恐らく母方の先祖に問題があるのではなく男系の方が炎帝の子孫という点が、水火相克という意味付けになってくるのかと思います。

46: あやめ 03/04/06 16:16
ここで炎帝神農氏の歴代について触れておきましょう。
通常の三皇五帝伝説ではこれら古聖帝はみな一代限りで次の天子に交代し、子孫に統治を世襲させることはしてないことになってます。オリジンではそういう基本構成になってたんでしょうが、時代が下ると君主は世襲という通念に拘泥した説が出現してきます。
宋の劉恕の「資治通鑑外紀」に引用されてる諸書ではそれぞれの王朝の歴代の君主の称号を伝えています。炎帝王朝についても2代目が臨魁で3代目が帝承、そして4代が涇陽王の父とされてる帝明というわけです。
帝明の次が帝直で次が帝釐となってますが、帝釐は載籍によっては帝來とも表記されて即ち貉龍君の妃の嫗姫の父です。帝釐の次は帝哀で次が神農氏王朝の末代の帝楡罔で、諸侯の離反により黄帝軒轅氏の政権に交代します。

48: あやめ 03/04/06 17:36
貉龍君の許に遺った五十子の長男が君位を継ぎ、雄王と号し峯州に都して文郎國を建てます。領域の範囲は東は南海(南支那海)から西は巴蜀に及び北は洞庭から南は胡孫(後の占城)に接するという大国と謳われています。
どの民族でも古代には大帝国を形成してたと誇称したいもののようです。この境域を十五部に分かち相を貉侯といい将を貉將といった体制を整備し、子孫6代に世傳して雄王の号を継ぎ、その間には越裳氏と号し周の成王に聘して白雉を献じたとあります。これは「史記」の記事から取ったものかと思われます。
雄王の季世に王女の媚娘の艶を聞きつけた蜀王が求婚してきますが、何か魂胆があるに相違ないという貉侯の意見に従って拒絶します。また群臣も王女は元来僊種なのだから才徳兼備の者と婚姻すべきですと進言します。
するとある日のこと二人の者がやってきて庭下に拝して求婚し、それぞれ水精と山精であると名乗ります。王は明日を約し聘物を具えた上おいでを願う、先着者に娘を上げましょうと申し出ます。翌日になって先ず山精が珍宝や山の幸を持参して来ましたので、約束どおり嫁がせましたが遅参の水精はやけを起こして洪水でアダをします。

50: あやめ 03/04/06 19:46
やけっぱちの水精が惹起した洪水災害はめでたく婿入りした山精の奮闘で何とか収まります。しかし収まらないのは前に肘鉄を食わされた蜀王で、その子孫に文郎國をいつか必ず滅ぼしてくれと遺嘱して死にます。
果たして孫の蜀泮の代に文郎國に攻め込んできます。初めは文郎の将兵は勇敢に戦い蜀軍を撃破しました。雄王はこれに慢心し我に神力ありと武備を廃し酒宴に溺れ、蜀軍が迫ってきても泥酔していて遂に井戸に落ちて薨じ、その軍隊も戈を倒かしまにして降伏し文郎國はここに滅亡しました。
かくて蜀泮は文郎國を併合し甌貉國を建て安陽王と号します。周の赧王の五十八年甲辰(257B.C.)に当ります。そこで王城を築くことにしましたが広さ千丈にして盤旋すること螺形の如しとあって、何だかバベルの塔あたりイメージしてしまいます。この城は築き終わるとやがて崩壊してしまうというとこもバベルの塔を連想させます。
苦に病んだ安陽王は斎戒して天地山川神祇に祈り再び着工しました。すると
神人が城門を指して「一体いつになったら出来上がるのやら」と笑いました。
王は殿上に招き成功の方を問いますと「江使の来るのを待ちなさい」との答。
ある日の朝のこと王が城門を出ると金の亀が東から江に浮かんで来たのです。

36: 世界@名無史さん 03/04/03 20:31
謎につつまれたベトナム古代史なわけだが、俺は橋本信広の『ベトナム民族小史』(岩波新書、1969年)を持っているので、困らない。あやめさんの元ネタもこれだったりして。
この本、情報が古くなってきたみたいだけど、出版された当時は画期的なベトナム通史だったみたいだぞ。ベトナム史の素人はアホな質問するまえに、この本買うか、借りるかして基本をおさえとけよ。
「調査無くして発言なし」という大量虐殺者・毛沢東の格言もあることだしな。

41: 世界@名無史さん 03/04/05 19:52
古くから外敵を撃退してきたベトナム人の強さの秘訣ってなんだろう?

42: 世界@名無史さん 03/04/06 01:54
ベトナムは中華に度々併合されている。
フランスにも植民地化されている。
日本に対してもさして有効な抵抗は出来ていない。

密林の難路による補給線の確保の困難と、湿気による衰弱・疫病発生が、長期戦に負担をかける。
ましてベトナム人(軍ではない)はゲリラ戦を愛好するので、捕捉撃滅が困難とくる。
長期戦による出血を嫌う敵か、あるいは寒冷地出身の敵には滅法強い。

43: 世界@名無史さん 03/04/06 02:16
つかベトナムは中国文明と影響を受けていると言うよりもむしろ中華文明の一部って感じだね。
実際行ってみると。

と書くと誤解というか過剰反応されそうだけどさ。

47: 世界@名無史さん 03/04/06 16:49
阮朝の末裔は今どこで何してるの?

49: あやめ 03/04/06 18:29
>>47
阮永瑞(元の保大帝阮福晪)は1997A.D.の7月30日に逝去されました。日付は資料によっては31日となっています。パリとハノイの時差によるものかも?
享年83歳とのこと。
晩年はパリでプレイボーイの名をほしいままにしたという噂で、ポルノグラフィコレクションが凄いとか、有ること無いこと色々言われてます。シアヌーク氏と比較したら格段に無能だったことはまちがいないでしょう。
元皇太子はフランス空軍の将校だとか、元公主はヨーロッパの某貴族と結婚し今未亡人だとかの記事を目にしたことはあります。
日本に亡命していた畿外侯彊柢(クォンデ)という方はどうなさったのかしら。

52: 世界@名無史さん 03/04/07 00:24
>>49
クオンデは半世紀ばかり前に日本で亡くなりました。

バオダイは個人的な資質という点ではシハヌークに引けを取らない程度ではあったと思います。むしろベトナムの政治状況が彼を必要としなかった点が大きいのでは?

53: 世界@名無史さん 03/04/07 01:59
なんか変な宗教なかったっけ?

55: 世界@名無史さん 03/04/07 02:08
気になっちゃったので調べてきた。


カオダイ教

【既存大宗教との大胆な混合】

ホアハオ教とならんで、ベトナムを代表する2つの新興宗教のひとつがカオダイ教である。カオダイ教は1926年にゴー=ヴァン=チエウが南部のタイニン省で創立した。

ホアハオ教とは異なって、民族色は少なく、世界宗教的な色彩があるが、既存の大宗教との大胆な混淆性が特徴で、人に奇異な印象を与える。仏陀・イエスを崇拝するほかに、カオダイ神を最高神とする。カオダイは漢字語で「高台」の意味である。

総本山はホーチミン市北西のタイニン省にあり、聖堂は観光名所となっている。聖堂の中には巨大な眼が本尊として据えられている。また各地には、総本山を二回りないし三回りほど小さくしたような聖堂が建てられている。

現在、カオダイ信者の数は約150万人とされる。信者は南部に多いが、中部や北部にも部分的に信者がいる。カオダイ教は大きく2つの派に分かれているが、とくに対立しているわけではない。

56: 世界@名無史さん 03/04/07 02:09
カオダイ教の続き


【親日勢力だったこともある】

ホアハオ教と同じく、かつてはカオダイ教にも民族主義的な傾向が入り交じっていた。第二次大戦前にはフランスの支配に抵抗し、さらに日本軍がベトナム南部に駐留していた時期(1941~45年)には、ベトナムの独立を日本が支援することを期待して親日化したこともある。

インドシナ戦争の時期(1946~54年)には、ホアハオ教と同様に私兵を擁して、タイニン省の総本山のある地域を実力支配していたが、1955年以降、南ベトナム政府によって武装解除された。

57: あやめ 03/04/08 17:10
高臺(CaoDai)教は1920A.D.ころ呉文昭(NgoVanChieu)という官吏により首唱され
始めました。教団として創設され正式にフランス当局から認可されたのは1926で、初代の教主として就位したのは黎文忠(LeVanTrung)で、当時の幹部は范公稷(PhamConTac)高懷爽(CaoHoaiSang)でした。本部は当初から西寧省の西寧(TayNinh)に置かれ現在に至っています。
教義は仁(儒教)神(クリスト教)聖(聖母柳杏など土俗精霊崇拝)仙(道教)佛5教を融合したもので、釈迦・孔子・老子・関帝・イエスと広汎に取り込んでいます。そのスローガンは「大道三期普度」というもので、上記の先行宗教により過去2度まで救済の主が出現したが、この高臺神こそが3番目にして最後の真の救済の宗教で普く衆生の苦を済度するものと説いています。
「奇筆」によって布教するとやらで天理教の「お筆先」みたいなもんでしょうか。教団組織にはローマンカトリックに類する階層制を採用しています。高臺教というとシンボルの雲中に輝く巨独眼があまりの異様さで印象的です。
高臺は農民など下層民衆に広く信仰されている土俗神をも排除しない教義により教勢を伸ばしていき、特に范公稷が1935に教主を襲位してから急速な伸長を見、フランス当局との対立も先鋭になっていきました。

58: あやめ 03/04/08 18:28
1930A.D.前後フランス当局はヴェトナムの民衆運動を極力抑圧する方針で臨み、高臺教も常に監視されていました。初代教主の黎文忠は当局が教徒を共産党員と誣いて逮捕したことに抗議し、更に声明を発してフランス共和国から授与されたレジォン-ド-ヌールを返却したそうです。
高臺教はその後もフランスに対する反抗的態度をますます募らせ、1940A.D.末にはサイゴンを中心とする大規模な暴動を起こしています。
反面で日本に対してはシンパシーが強く支援を期待していたようです。そして日本に亡命していた阮朝皇族の畿外侯彊柢への支持に傾きました。
大戦後はフランスに対して教団内では反抗・親和・中間の3派に分かれていたとされますが、バオダイ政権に対しては理念的支柱になっていたとのことです。
しかしカトリック教徒の呉廷琰(NgoDinhDiem)が南ヴェトナム政府を支配して、封建的宗教団体の解体方針を打ち出してから抗争が激化し、阮文盛(NguyenVan Thinh)が掌握する1万5千の教団兵は共和国軍との熾烈な戦闘の末、1956A.D. 鎮圧され武装解除されてしまいました。呉の失脚後に教団は息を吹返しますがヴェトナム戦争中は内部分裂を起こしたこともあったそうで、サイゴン陥落の後は完全にハノイ政府に協力し命脈を維持しているようです。

59: あやめ 03/04/08 19:44
日本でも戦時中は高臺教への関心が高まったそうです、以下は叔父の話
「大東亜戦争中は南方圏に対する関心が一時的に高まったことがあった。南方圏というのは今の東南アジアのことで、それ以前は外南洋と言ってた。東南アジア関係の本も雨後の筍式に出版された。どれも西洋人の著述の焼き直しか丸写しだ。
戦争に負けたらぱったりアジア関係の本は出なくなり、戦争中に出たのは二束三文で古本屋で埃かぶってた。戦争中に東南アジア関係で書かれた小説で記憶に残ってるのは『南の風』という獅子文六の新聞連載がある。どの新聞だかは忘れたが高臺教というものが安南にあるのをこの小説で初めて知った。もっとも小説の主な舞台は東京と九州で安南まで行ってはいない。
主人公が莫大な遺産相続するんだが詐欺にかかっちまう。詐欺のネタというのが高臺教がらみの利権なんだ。詐欺師が高臺教という宗教は日本びいきなんだと、何でかというと教祖が実は西郷隆盛であると言うんだ。
西郷さんは城山で死なないで安南に落ち延びて、高臺教を創め民衆から崇拝されるようになる、今に日本がフランスから安南を救いにくる、向こうでは皆がそう言ってるという話なんだ。勿論まったくのデタラメさ」

60: あやめ 03/04/08 20:12
叔父の話の続き
「主人公も最初は西郷さんは城山で死んだはずだと信じてる。しかしよく考えると西郷さんは自害する直前に、部下からこの辺で自害したらどうかと勧められると、もうちょっと先まで行ってからと何度か先延ばしして決行しない、西郷ほどの人が姑息な態度を取るわけがない、何か確実に期することがあったに違いない、再挙の計画にも繋がるコネクションがあったんだろう、それが安南行きじゃなかったのか、こう判断して利権話に乗ってしまうというわけだ。当然の展開として最後にはオジャンになってしまうんだが」
西郷生存説というのは色々ありますが傑作は芥川龍之介の「西郷隆盛」です。
戦前の安南に纏わる小説というと久生十蘭の「魔都」があります。十蘭はフランス語に堪能で載籍調べが得意の人なんで期待して読んだんですが、安南に関する知識はまるっきりでたらめでした。この作品は昭和12年発表ですので当時の日本人の東南アジアについての知識も関心も頗ぶる低かったことの反映と言えるでしょう。

64: あやめ 03/04/16 17:55
高臺教と拮抗する宗教勢力の和好(HoaHao)教は黄富楚(HuynhPhuSo)という地主を開祖として創始されました。彼は1919A.D.朱篤(ChauDoc)省(現在の安江(AnGiang)省の一部)新州縣の和好郷に生まれました。1939A.D.に大悟し佛教の一宗派として呪術による施療を行いながら、布教に努める傍ら「讖講詩文」などの経典を著述し急速に信者を獲得していました。
フランス当局は警戒を強め彼を病院に拘禁したり活動を制限しました。日本の占領中はこれに協力的だったそうですが、「越南佛教聯合會」や「越南獨立運動會」などを組織し政治色を濃厚にしました。
そして戦後は更に高臺教や越南國民黨と提携し、青年団体や知識階層をも広汎に含む「越南國家統一戦線」を結成しました。胡志明(HoChiMinh)の領導する「越南獨立同盟(VietNam DocLapDongMinh)」略称「越盟」の呼びかけに応じ、45A.D.の10月にはその「南部行政委員会」に参加しました。
ところが47A.D.に両者間に紛争が発生し、同年4月にはヴェトミン(越盟)の地方委員会と建香(KienHuong)省で会談中に起きた発砲事件で暗殺されました。

65: あやめ 03/04/16 17:59
和好教の教義は19世紀からメコン下流デルタ地帯に弘布していた寶山奇香(BaoSon KiHuong)教を継承するものと言われ、組織や祭儀など一定の影響は認められますが思想体系は黄富楚が独自に創始したものと考えるべきでしょう。
佛教を中核として儒教や道教をも加味していますが民間信仰は迷信として排除しています。信者には在家のままでの佛道修行を勧め、弥勒出世の時に龍華大會が開かれ善行を積んだ者は救済されると説いています。寺院や僧侶は設けず礼拝には偶像を用いず迷信的な祭儀は行わない。専ら諸佛・祖先・通天(天地の神祇)の祭壇のみを朝夕二回礼拝する。月に四日の精進料理を喫する以外には特別の戒律苦行はない。
こうした簡易明快な教義が農民層を中心に広汎な信者の獲得に成功した所以です。教祖の暗殺から和好教は反共を教是とするようになりましたが反米反政府的運動も強め、高臺教とともに呉廷琰から弾圧を受け56A.D.に私兵の総帥が逮捕され降伏。
しかし呉政権の失脚後に反共政権との協力により勢力を回復し、特に阮文紹(Nguyen VanThieu)の支持で「保安總隊」という武装組織も持ち、彼の権力維持と抗共活動に協力していたのですが、やがて対立を生じサイゴン陥落直前の時期に大規模な衝突事件が発生したそうです。

66: あやめ 03/04/16 18:04
和好教も共産政権による統一後は当局から長らく警戒の目で見られてきたようで、カンボジャとの国境近くにある安和寺という本山などにはスパイが潜んでるとか、信者は大っぴらに信仰を公表できないので普通の佛寺にお参りして、「隠れ和好」やってるとか噂されてましたが、最近では宗教団体としての公認も得られ、政府関係者が教団が開催する行事に来賓として出席するまでになっているそうです。

高臺教や和好教の外に前述の寶山奇香教とか四恩孝義教とかありますが、情報が甚だ少なくまとまったことが書けません。ただ教祖の行状が極めて振るっている椰子教(別名ココナツ教)についてちょっぴり。
教祖の阮盛南(NguyenThanhNam)は建和(KienHoa)省の出身でフランスで化学技師の資格を取得し、帰国するとかなり奇抜な苦行を次々とクリア、中でも凄いのがココナツ汁だけで生きてたという話。
メコン河下流北岸の美湫(MyTho)港からやや下ったCoPhung(別名フェニックス島)という中洲みたいな島に「不戦自然成」を標榜する「地上の楽園」を建設しました。
例によってあらゆる宗教を取り込んだ教義のようですが、格別に布教に熱心でもなかったのにヴェトナム戦末期で脱走兵や兵役逃れの若者で島は繁盛。
1971A.D.教祖は7日以内に戦争を終わらせると唱えて大統領選に立候補し落選。終戦後は教団は寂れきってしまいましたが、教祖はヌーディスト村みたいなことを始め、当人も奥さん9人を擁してたそうです。もう70歳代で体重27kgとかの老人がですよ!みんな呆れ果てて去ってしまい教団は事実上消滅。
そして1990A.D.遂に警察に踏み込まれ、逃げようとして2階から落ち頭蓋骨陥没で死亡したそうです。
現在この島は有名な観光地になってるとか。

77: 日本@名無史さん 03/04/20 07:59
インドシナ三国志
ベトナム・タイ・カンボジア
これで演義小説書いたら、結構面白くなりそうだな。

78: 世界@名無史さん 03/04/20 08:41
タイ、ビルマ、ラオスになると思う<インドシナ三国演義
ベトナムとタイが絡むのは相当新しい時代になるんじゃないかな。
逆にカンボジアは早い時代に舞台から去ってるっぽい。


つかバンコクあるいはアユタヤ王朝とは別に北タイの王朝も入れれば4国になっちゃうかな?
あ、ラオスいれてタイ系民族のみで三国志できるかな?

131: 世界@名無史さん 03/05/30 21:23
チュン姉妹の最期って、結局どうだったの?
河に飛び込んで自殺したとか、中国兵に○姦されたとか、
色々聞くけど、一番有力なのはなに?
徴 姉妹(ちょう しまい)は、1世紀の交趾(現在のベトナム北部など)で起こった反乱(ハイ・バ・チュンの反乱)の首謀者。

徴 側(ちょう そく、生年不詳 - 建武19年(43年)4月)と徴 弐(ちょう に、生年不詳 - 建武19年(43年)4月)の姉妹を指す。

132: 世界@名無史さん 03/05/30 22:32
>>131
漢の税金徴収に反対したチュン・チャック(姉)は地方の士族に反乱を呼びかける。
妹のチュン・ニも合流し、ハイ・バ・チュン(2人のチュン)は反乱のシンボルに。
チュン・チャックは女王と呼ばれ、三年間ベトナムを支配。
光武帝は馬援を将軍として派遣、2万の兵でベトナムを攻める。
ベトナムの将たちの離反が相次ぎ、勝負をかけた戦いでハイ・バ・チュンは大敗。
故郷に撤退するが、馬援に捕らえられ、二人の首は塩漬けにされ洛陽におくられる。
最後の瞬間は不明。ただしいくつかの伝承がある。
「戦場で死んだ」「馬援に斬られた」「病死した」「雲の中に消えた」。
一番信じられたいる(好まれている)のが
「追いつめられた二人は手をたずさえて、川に飛び込んだ」。
ちなみに当時は母系社会。彼女たちに同調した士族も女性が多かった。

155: 世界@名無史さん 03/08/27 21:19
入門書としてベトナム民族小史(岩波新書)はどうですか?

156: 世界@名無史さん 03/09/11 23:53
>>155
古すぎてダメです。30年前まではこの程度の認識しかなかった、ってことはわかるけど、アジア停滞論とか背景を押さえておかないと分からないしね。

157: 世界@名無史さん 03/09/15 10:24
>>156
でも、一般人はベトナム史(とくに前近代)のアウトラインすら知らないわけだから、
とりあえず古代~19世紀の大まかな流れを知る上では有用だよ。
専門的なことは、もっと興味が出てから調べればいいわけだし。

159: 世界@名無史さん 03/09/22 05:01
>>157
いまなら他に代わりはいくらでもあるでしょ。『もっと知りたいベトナム』 とか山川の各国史とか中公の世界の歴史とか。ざっとしたアウトラインなら高校の教科書に載ってるし。

わざわざ骨董品を入門書にする必要があるとはおもえん。

160: 世界@名無史さん 03/09/23 12:34
山川の教科書でベトナム関係の記述を拾い読みしてもアウトラインにはならない。
俺は近代より前近代の王朝時代の方に興味があるから、十分面白かったよ。

161: 世界@名無史さん 03/09/26 22:14
んじゃあ中公新書の『物語ヴェトナムの歴史』は?
全くの初心者にはあれでも苦しいかもしれんが

171: 世界@名無史さん 03/09/27 19:31
森達也『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』角川書店

ルポルタージュ風のクォン・デ公の伝記

174: ty270410 03/10/29 22:36
戦時中に刊行された『安南通史』という本があった.
王朝史については,かなり詳しく書いてあったように思う.
多分,ベトナムで漢字で書かれた史書を典拠としたものと思う.
もう,稀購本になっていると思う.

180: あやめ 03/11/13 18:13
>>174
それは岩村成允著「安南通史」(富山房刊)だと思われます。
資料は「大越史記全書」「越史通鑑綱目」「大南寔録」を主として、「越史撮要」 「安南志略」などを参照したものと、巻頭の例言に記しています。従って全体に漢文読下し調の文体になっていますが、附録としてフランスの殖民地化の過程については仏文書籍に拠って叙述しています。
500ページ近い大冊なので詳しいことは確かです。阮朝の部分など「大南寔録」を検索する際に利用するレヴェルには適しているかも知れません。

182: 世界@名無史さん 03/11/15 12:21
岩波の「東南アジア史」は? とびとびにはなってしまうが。

183: 世界@名無史さん 03/11/16 16:06
最近、海外へ行ってきました。
飛行機の窓から下を眺めていたら、川が曲がりくねっているだけでなく、二股になってまた合流したり、三日月湖が多いところがありました。

つまり、ほとんど治水工事をしていない国なわけで、スッチーさんに場所を尋ねたらベトナム上空だといわれました。治水工事は、政治の基本だと思っていたので、ちょっとびっくりしました。ベトナムのようにそれなりの歴史を持っている国で治水工事をほとんどしなかった、つまり、その必要がなかったのはなぜなんでしょう。

184: 世界@名無史さん 03/11/19 06:35
>>183
ほとんど勾配のないデルタでの中小河川直線化は徒労です。

治水は13世紀ころから本格化するけど、堤防建設が中心。
詳しくは『稲のアジア史』第2巻でも読んでくれ。

190: 世界@名無史さん 03/12/12 03:23
半年前にベトナムに初めて行きましたが、その時もネット上で該当する史蹟を捜しました。第1条件は地球の歩き方とロンプラ等ガイドブックに載っていないこと。捜したのは3ヶ所。

黎氏の故郷藍山の後黎朝の諸帝陵、陳氏の故郷即墨、雄王廟。時間の問題で藍山のみ行けました。藍山は最寄の都市で、遺跡は「藍京」と呼ばれていました。宜しければ報告もできます。

来年のベトナム旅行にもこの様な史蹟を訪れたいので、ベトナム史に造詣の深い方々の意見を是非聞きたいと思います。宜しくお願いします。

193: 世界@名無史さん 03/12/14 02:58
>>190
北部だとコーロア(Co Loa)とかホアルー(Hoa Lu)とかどうですかね?
ブッキングオフィスで車をチャーターすれば比較的安価に行けますが。

即墨はある程度詳しいガイドがつかないと、行くのはしんどいかもしれません。
ナムディン市内にある即墨文化公園兼博物館なら比較的楽に行けますが、日帰りは面倒くさいかもしれません。

雄王廟は日帰りできます。ブッキングオフィスで相談すれば大丈夫でしょう。
ちなみに、車のチャーター代の相場は1km/2000ドンくらいです。


197: 世界@名無史さん 03/12/14 18:08
即墨文化公園は市内です。博物館と併設。
廟や普明寺のある即墨とは別です。こちらは数キロ離れてます。
ベトナムのあの郊外道路を自転車で走る勇気は私にはないので、自転車での往復については何とも言えません。

226: 世界@名無史さん 04/01/24 09:39
グエン・バン・チューをチュー、レ・ドク・トをトと略する西洋人は頭がおかしいのですか
それともそれなりの理屈があるのですか

227: 世界@名無史さん 04/01/24 11:53
ヴィエトナムでも呼び名は一番最後の一句だよね。
バンは男性に一般的な名前なので、親しく呼ぶときはチューでいいよ。

228: 世界@名無史さん 04/01/24 12:10
ヴェトナムではグエン姓と個人名の上半分のバン(文)が非常に多いので、実質的に個人を識別するのは個人名の下半分にならざるをえない。

それでチュー大統領のような表現になる。

238: 世界@名無史さん 04/01/27 15:33
>>228
補足しておくと、ラストネームで呼ぶのはちょっと馴れ馴れしい。
だから、ホー・チ・ミン(胡志明)主席をミン大統領と呼ぶことはありえない。ホー主席だ。
同様に、ゴー・ディン・ジエム(呉廷 王+炎)総統も公的な場ではゴー総統だった。
グエン・ヴァン・ティエウ(チュー、阮文紹)総統もグエン総統。
白人も日本人も半可通だから、ジエム政権とかチュー政権とか、小ばかにしたいいかたを南ベトナムの元首に使う。失礼な話だ。

243: 世界@名無史さん 04/01/28 02:24
>>238
ホー主席ってのは日本語だと思うよ。Chu tich Ho、あるいはレー書記長(レ・ズアンのことね)とかボー大将なんて表記、少なくとも現在のベトナムでは見たことも聞いたこともない。ホーおじさん主席やホー・チ・ミン主席って表現は頻繁に見聞きするけど。

グエン・バン・チューやらゴー・ディン・ジェムの場合は全くしらないけど、グエン・バン・チュー総統やらゴー・ディン・ジェム総統といった風にフルネームで呼んでたんじゃないのかなぁ。

リアルタイムでは知らないので、今の語感で判断してしまうとやばいだろうけど。

244: 世界@名無史さん 04/01/29 15:31
>>243
Chu tich Ho というのは英雄ホーチミンに対し失礼な言い方。普通は Ho Chu tich.
姓 + 職名 というのが尊敬の言い方だよ。
だから、
Tong thong Diem ジエム総統というのも失礼な言い方で
Ngo Tong thong ゴー総統というのが当時の正式な言い方。
気をつけるべし。

270: 世界@名無史さん 04/02/22 00:28
ベトナムって国名は、漢字で「越南」と書いたのをそう発音したってわけだよね。
「越南」は、さらに昔には「安南」と書いていたと聞いた。
「安南」が時代とともになまって、「越南」になったというわけだろうか?
この「安南」という名前だが、元々は中国によって設置された地方役所の名称「安南都護府」から来ているものでしょう。
ほかに「安北」「安東」「安西」もあった。
「安東」は朝鮮との国境地帯であり、今、中国の県名になっている。北朝鮮からの脱出者が多数亡命生活をしている地域であり報道番組でもよく耳にする地名だ。
 
話がそれたが「ベトナム」という国名の語源が、中国によって設置された地方役所「安南」から来ているものだとしたら、こりゃずいぶん国辱的な名前ではないだろうか?
それともフィリピン同様(これはスペイン国王の名前が語源だ)、昔のことだから、ということで気にしないのだろうか?

271: 世界@名無史さん 04/02/22 00:45
安南がなまって越南になったわけじゃないよ

272: 世界@名無史さん 04/02/22 00:52
阮朝を開いた阮福映(嘉隆帝)が国名を「安南」から「越南」に改めたんだろ。
最初は「南越」にしようとしたが、それでは秦末~漢初の「南越」と同じ国号という理由で清朝が難色を示したために、「南」と「越」をひっくり返して「越南」にしたとか。

273: 世界@名無史さん 04/02/22 03:30
つーか、帝がなんで他国の難色で自分の思った通りの国号を付けられないのか?
帝とは言うが、これでは、やはり王レベルとしか思えんな。

275: 世界@名無史さん 04/02/22 18:04
>>273
正しい指摘だ。
ベトナム皇帝は支配者であるフランスに対してすら、自分は「大南国皇帝」だといいはる気骨をみせたが、中国(清朝)に対しては、越南国王と卑下してみせた。
建国の際に自分が主張した国名を変えられたという点では、
越南の場合の南越→越南→(とち狂って)大南
朝鮮の場合の和寧→朝鮮→(魔が差して)大韓
というのとよく似ている。わが日本も誇大妄想で「大日本」を名乗ったりしたが・・・
(ただし、江戸時代の「大日本」は全日本という意味であり、イギリスの「グレートブリテン」と同じで、誇大妄想ではない)

278: 世界@名無史さん 04/02/22 19:51
>>273,275
この辺りが、国同士の微妙な関係なんでしょうね。
島国的史観からは理解しにくい問題なのかも。

279: 世界@名無史さん 04/02/22 20:55
越南は基本的に反中国でしょう。
ただ、直接国境を接しているから、あまり中国を刺激するわけにはいかないので、国内向けには「帝国」を称していても、中国の冊封を受けたんでしょうね。

281: 世界@名無史さん 04/02/23 19:44
越南は中国への対抗意識が強く、中国を「北国」、自らを「南国」と称し、「大南」(ダイナム)という国号は、阮朝の全盛期の明命帝の頃に採用した。

引用元: ・ベトナム史総合スレ



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