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6: 世界@名無史さん 2008/07/20(日) 05:50:01 0
わざわざスパルタにしてるということは、ラケダイモンの中でもスパルティアタイしか語らないということですね?

8: 世界@名無史さん 2008/07/21(月) 01:01:17 0
史料の上ですと、スパルタとラコニア、ラケダイモンなどの言葉の使い方はけっこういいかげんで、全部一緒くたに考えても問題ないのかもと思うほどですよ。

13: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 17:59:50 0
スパルタ人は商人としてはどうだったんでしょ?
アテナイ人とかの方が上手だった?

14: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 21:57:15 0
スパルタ人にとって商売などあってないようなもの!

16: 世界@名無史さん 2008/08/25(月) 00:24:23 0
陸戦強いのは分かるが、あまりに国のあり方が偏りすぎてて滅ぶのはどのみち時間の問題だったな。

17: 世界@名無史さん 2008/08/28(木) 00:54:31 0
そんなに偏っていたかな。国のあり方。
各ポリスの独立精神が強かっただけじゃないかな。

プルタルコスを参考にすると今のスパルタってイメージが出来上がるけどちょっと他の資料見てみると結構合理的だと感じるよ。
二人の王を立てるなんてローマの執政官になんか似てるし。

ていうかむしろそのスパルタを愛の力で破ったテーベが凄いw

23: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 19:50:13 0
>>17
テーベの新戦術の方が勝っただけだよ
神聖部隊のイメージが強すぎるんだよお前らw

神聖隊は、紀元前378年に将軍ゴルギダスが結成した古代ギリシア・テーバイ(テーベ)の、ギリシアで最強と謳われた精鋭歩兵部隊である。

スパルタを破ったレウクトラの戦い等で活躍し、紀元前4世紀のテーバイのギリシア覇権確立に大いに貢献したこの部隊は、150組300名の男性の恋人同士によって編成されていたという。なぜ男性同士のカップルから成っているかというと、愛する相手に惨めな姿を見せようとせず、かつ恋人を守って戦うだろうとの想定のもと設立されたためである。


24: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 00:28:15 0
エパミノンダスのは新戦術と呼べるものなのかな?
戦陣をななめに引くのはテーベの伝統だってどっかの誰かが言ってたけど。
このスレ的には不謹慎だがエパミノンダス最高。

エパメイノンダス(紀元前420年? - 紀元前362年)は、古代ギリシアテーバイの将軍・政治家である。レウクトラの戦いで、斜線陣を用い、神聖隊を率いて、最強と謳われたスパルタ軍を破った。


25: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 01:16:33 0
結局、神聖隊はそのななめ合戦で間を割って入られて包囲された中壊滅か。
300人じゃどうにもならんな。もっと増やしておくべきだったなw

30: 世界@名無史さん 2008/12/28(日) 22:30:49 0
マンティネアの戦いてさぁ
テーベの負けなんじゃないの?

42: 世界@名無史さん 2009/01/01(木) 11:57:34 0
>>30
マンティネイアの戦いっていくつかあるけどエパミノンダスが戦死したやつだよね?

多分スパルタからみたらスパルタの勝ち。
テーベからみたらテーベの勝ち。
って感じだと思う。

でもあのクセノフォンが「どっちも勝利者を名乗ってる」って書いてるからテーベの勝ちかなw

それにしてもあの戦いは天下分け目の戦いだったみたいね。
ギリシアの関が原だわ。

マンティネイアの戦いはアルカディアのマンティネイアにて紀元前362年にテーバイを中心とするボイオティア同盟軍とアテナイ・スパルタ・マンティネイア連合軍との間で戦われた会戦である。

この戦いの後、双方が勝利を主張したものの、交戦国の間で和平が結ばれた。この戦いでボイオティア同盟軍は勝利を得たものの、エパメイノンダスをはじめとする多くの有能な将軍を失った。そして、テーバイの覇権は彼の個人的な才覚に依存していたため、これ以降テーバイはギリシアの覇権を維持できなくなり、衰退の道を歩むこととなった。


31: 世界@名無史さん 2008/12/28(日) 22:38:20 0
ペロポネソス戦争に勝ち裕福になったことで質素倹約のスパルタの美徳が失われ団結が乱れた

また、ペロポネソス戦争~ペルシャ遠征(失敗)といった一連の戦いで衰退していった

32: 世界@名無史さん 2008/12/29(月) 10:09:44 0
>>31
マキャヴェッリ先生もそんなことを言ってたような気がする

33: 世界@名無史さん 2008/12/29(月) 14:10:58 0
孫子の「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」を、思い出した。

40: 世界@名無史さん 2008/12/31(水) 22:58:51 O
ペルシャ戦争では嫌々ながらアテネと協力したが海軍が弱い為に活躍出来ずアテネに主導権を握られ面目丸つぶれだったな。

43: 世界@名無史さん 2009/01/01(木) 12:04:25 0
ペルシャ遠征失敗が
スパルタ覇権の終わりの始まりだと思う

49: 世界@名無史さん 2009/02/02(月) 19:39:15 O
>>43
失敗?
ダスキュレイオンの戦い
バクトロスの戦い
カウエの戦い
いずれもアゲシラオス率いるスパルタ軍はペルシアに勝ってるよ

ペルシア遠征中にコリントス同盟が反乱起こしたから中止せざるを得なかっただけ

アゲシラオスは自ら軍を率いた戦いには一度も負けたことないよ
岩波のプルターク英雄伝第8巻読んでみなよ

アゲシラオス2世

古代ギリシア,スパルタの王 (在位前 399~360) 。ギリシアにおけるスパルタ制覇期 (前 404~371) の大半に君臨した。

異母兄アギス2世の次に即位し,前 404年アテネを破った。

前 396年より,ギリシア諸市をアケメネス朝のペルシアから解放するため小アジアに遠征,各地に転戦したが,ペルシア海軍の勢力を破ることはできなかった。

前 371年レウクトラの戦いで,もう一人のスパルタ王クレオブロトスがテーベに敗れ,スパルタの覇権が失墜すると,彼は国土の防衛に努め,さらに国庫の収入を増すため海外に従軍したが,エジプトからの帰途,84歳の高齢で死んだ。彼は有能な戦術家で,攻撃的なスパルタ精神の権化であった。


50: 世界@名無史さん 2009/02/03(火) 02:21:15 0
世界史的にいってアゲシラオスは気の毒なほど低評価すぎるよな。
いくらなんでも歴史の影に隠れすぎだろw

思うんだがこの人の低評価ぶり見てるとアレクサンドロスのペルシア遠征ってたいしたことなかったんじゃないかと思えてくる。
つまりペルシアって攻めやすかったorギリシアの兵と相性が悪かっただけなんじゃないかと。

難しいのは
ギリシア統一>>>>>>>>>>ペルシア遠征
じゃないかと。

51: 世界@名無史さん 2009/02/03(火) 07:04:15 O
同時代のクセノポンの他
プルタークやネポスの英雄伝、トログスの地中海世界史にはアゲシラオスの事績が特筆されてるから少なくともローマ人には評価されてると思いますが

52: 世界@名無史さん 2009/02/03(火) 12:32:17 0
それにしても忘れ去られすぎだろ。アレクサンドロスよりもパイオニアなのに。
少なくともレオニダス、リュサンドロスなどに並ぶ傑物。
もしかしたらエパミノンダスとの会戦をなるべく避けた姿勢がマイナスとされたのだろうか。
個人的にはそれでも戦略家として十分というかむしろ賢いと思うんだが。
この人がいなかったらあっという間にスパルタは滅んでた。

55: 51 2009/02/06(金) 01:03:49 O
>>52
エパミノンダスとの戦いを避けたわけではなさそうです
アゲシラオスの友人であり、常に彼の戦陣に加わっていたアテーナイ人の傭兵クセノポンによると
彼は軍を率いてテーバイに味方する都市を懲罰しに外征していたとあり
他も病や怪我で出陣出来なかったなど諸説ありますが私は老齢で指揮を取ることが出来なかったのではないかと思います
アゲシラオスはBC442~444年に生まれたのでレウラトラの戦いの年(BC371年)には齢70を越えています

あとアゲシラオスが対ペルシア戦を行っている間に本国反アゲシラオス勢力が身勝手な行動を始めたのも注目する必要があると思います
特にアゲシラオスが帰国しコリントス同盟やテーバイに対する戦いに外征中にアンタルキダスがアゲシラオスの同意を得ずにペルシアと和約を結んだことを聞き憤慨したとクセノポンは記述しています
アンタルキダスの和約によりアゲシラオスが対ペルシア戦で勝ち得た成果を無効にするだけでなく、スパルタに味方する都市も離反する羽目になったからです
アンタルキダスはもともとアゲシラオスの政敵として知られ反アゲシラオス勢力の中心的人物です

長文失礼致しました

56: 世界@名無史さん 2009/02/06(金) 01:34:42 0
>>55
アゲシラオスが高齢であったのはわかっていたけど具体的にいくつかは知りませんでした。そうかレウクトラではもう70だったのか…。
それに加えて本国の反対勢力との争いがあったわけか…。
彼はエパミノンダスとはライバルのイメージが強いけどこんな年が離れてちゃ戦えないわな。
でもエパミノンダスの最後のペロポネソス遠征の時はアゲシラオスは果敢に指揮をとって活躍していたように思えるけど彼はマンティネイアの戦いでは指揮をとってたりしたの?そこがいまいちわからないっていうか調べてないw
それともやっぱ病気や年で無理だったのかな。
とにかく彼は長生きだよねw

57: 世界@名無史さん 2009/02/06(金) 03:26:58 O
>>56
おそらくアゲシラオスが自ら軍を率いて戦った最後はBC378?or376?年のテーバイに対する遠征だと思われます
彼の軍がテーバイからスパルタに帰国する途中のメガラで足を痛め、鬱血し発熱したそうです
どうもその時、喀血を施されたようで逆に失血で失神してしまったそうです(プルターク英雄伝第八巻)
同時代人のクセノポン以外のローマ人の本ではアゲシラオスが生れつき片足が不自由だったと書かれていますがローマ人たちの原書はおそらく反スパルタ勢力のものを採用しているからでしょう
クセノポンの書には片足が不自由であったとの記述がなく、逆にアゲシラオスが自ら剣を持ち戦ったことが書かれています
上記の遠征での足の負傷がもとで障害が生じたのではないかと私は推測します

あとテーバイがスパルタ本土に攻めてきたBC362年に軍を指揮し守りきったのはアゲシラオスではなく、彼の息子アルキダモス3世です(トログス 地中海世界史)
無論、アゲシラオスのアドバイスは受けたのかもしれませんがこの時、アゲシラオス当人は病床に臥せていました
息子アルキダモスがスパルタを守りきったことで安心したのかBC361/360年に王位を息子に譲っています(同)

58: 世界@名無史さん 2009/02/06(金) 14:28:45 0
>>57
詳しい説明ありがとうございました。
アルキダモスって普通に豪傑な一武将かと思ってた。
しっかり指揮していたんだ。勉強になりました。

65: 世界@名無史さん 2009/02/09(月) 00:13:49 O
>>58
アゲシラオス、アルキモダス、アギス、アレウスetc
スパルタの王は独立独歩でかつ行動的で野心的
なかなか面白いですね

でもアゲシラオスは自分が指示していなかったのにペルシアと和平したと憎まれエジプトで客死
息子アルキダモスは第2次神聖戦争に参戦するが、あまりうまくいかず
スパルタの唯一?の植民市タレントゥムに救援に行くがルカニア族らに敗れ敗死
アギスはマケドニアのフィリッポスやアレクサンドロスの和議を拒絶し、意地を見せるが
ディアドコイ戦争まで以後マケドニアから無視される

アゲシラオス以降のスパルタ王はなにか物悲しいですね

66: 世界@名無史さん 2009/02/09(月) 22:04:52 0
>>スパルタの唯一?の植民市タレントゥムに救援に行くがルカニア族らに敗れ敗死

kwsk、どれぐらいの兵力?

67: 世界@名無史さん 2009/02/11(水) 23:17:08 O
>>66
兵力とかはわからない
BC338年
タレントゥムに救援に赴いたアルキモダモス3世はマンドニオンでルカニア族とメッサピイ族の連合軍に敗れる

ルカニア族は当時はローマと同盟中、しかしBC298年サムニテス同盟に参加し、反ローマに転ずる

タレントゥムはBC282年にエペイロス王ピュロスに救援求めローマと戦うが

そのピュロス王はBC272年に戦象24頭を含む2万7000の大兵率いスパルタ侵略を試みるが
対戦象、騎兵用の壕を掘り待ち構えたスパルタ歩兵4000に敗れる
ピュロス王は初陣の息子プトレマイオスをこの戦いで失った

68: 世界@名無史さん 2009/02/12(木) 00:32:26 0
>そのピュロス王はBC272年に戦象24頭を含む2万7000の大兵率いスパルタ侵略を試みるが
対戦象、騎兵用の壕を掘り待ち構えたスパルタ歩兵4000に敗れる

スパルタつええw
テーバイ台頭以降すっかり弱くなったと思いきや…。
フィリッポス二世もアレクサンドロスも実はスパルタを恐れていた、なんて可能性はあるのかな。
っていうかスパルタ無視してる時点でマケドニアはギリシア統一したといえるのか?

69: 世界@名無史さん 2009/02/12(木) 03:34:21 O
>>68
とにかくアレクサンドロスはペルシア遠征を急ぎたかったんだろう
アレクサンドロス遠征中にスパルタ王アギスはペルシアの援助でマケドニアに反旗翻し、ペロポネソス諸国を解放するが
BC331年にメガロポリスでマケドニアの長老アンティパトロスの大軍に敗れ、アギス王は護衛兵を逃がすと自らは敵に斬り込み戦死
アギス王はアゲシラオスの孫にあたる

アレクサンドロス死後のディアドコイ(後継者)戦争には巻き込まれディアドコイ最有力のアンティノゴスの息子で勇将として知られているデメトリオスに敗れた

しかしBC235年にクレオメネス3世がスパルタ王に即位するとペロポネソスでの覇権回復のため、市民権しか持たなかったペリオイコイに参政権を付与しスパルタ市民数を増やしアカイア同盟に戦争を仕掛け、リュカエウス、ラドケイア、オルコメノス、デュメと戦いに連勝
アカイア同盟盟主アラトスはマケドニア王アンティゴノス3世とエジプト王プトレマイオス3世に救援を依頼
スパルタは連合軍にBC222年セラシアで敗れ、ついに建国以来初めて市街に敵の入城を許した
スパルタはこれまで市街周囲までテーバイ軍やデメトリオスのマケドニア軍が攻めてきた時はあったもののその都度撃退していたため城壁の類は一切築いていなかった

53: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 18:59:43 0
スパルタは占領民の扱いが悪かったのではないか
レウクトラ以降、テーベを解放軍として迎える所が多かったそうじゃないか

54: 世界@名無史さん 2009/02/06(金) 00:55:47 0
>>53
そうだけどテーベが解放したあとギリシアの諸ポリスは今度はテーベの支配を嫌がった。時代変わってマケドニアが覇権を握ると知っての通りテーベは反乱を起こしてアレクサンドロスに破壊された。

要するに破壊するほどの衝撃と恐怖を与えないとギリシア人は独立心が旺盛過ぎてすぐに反乱を起こす。

これを分かっていたか分かっていないかがアゲシラオスとアレクサンドロスの違いだったのかもしれない。
ただ、アレクサンドロスのやり方は少々文明的とはいえないと思う。

59: 世界@名無史さん 2009/02/07(土) 12:06:19 0
>>54
ギリシャ人は部族国家から抜け出せなかったんだろう
同時代のケルト人やゲルマン人や遊牧民のうように部族ごと(ポリスごと)に分裂してまとまることができなかった
思えばアレクサンドロスが死んだあとにディアドコイ戦争が起きたがこれも有力なリーダーがいなくなると分裂するゲルマン人や遊牧民に似ている

60: 世界@名無史さん 2009/02/07(土) 12:07:20 0
帰属意識が一国家、一民族ではなく
自分が所属する部族(ポリス)だったのではないか
ということ

62: 世界@名無史さん 2009/02/08(日) 01:57:56 O
>>60
それがエトノス、共同体意識です
民族が違ったとしても共同体として一致する意識、近代まではそれが基本的規範でした
しかし19世紀末の帝国主義段階の西欧で創世されたのが現代の民族意識、ネーションという規範です

エトノス、共同体意識が最たるものがローマ帝国でしょう

70: 世界@名無史さん 2009/02/12(木) 14:45:01 0
スパルタにスパルタ的なものがなくなったのはいつごろなんだろう。

71: 世界@名無史さん 2009/02/14(土) 22:00:46 O
クレオメネス3世が旧来の慣習を改め(優秀な)ペリオイコイをスパルタ市民に取り込んだ時点でスパルタの変質が始まったのでは
クレオメネスが敗れスパルタを陥落させられると事実上二人の王が並立した王制は崩壊します
エウリュボン家(祖先にアゲシラオス)のクレオメネス3世は妻子とともにエジプトへ逃亡
アギス家(祖先にテルモピレーの戦いで有名なレオニダス)のエウクレイダスはセラシアの戦いで戦死

以後のスパルタは僭主が支配するようになり
BC205年に僭主となったナビスは完全にスパルタの国制を破壊しました
ラケダイモンの兵制や教練の中核であったスパルタ男性市民を追放
土地財産を没収し隷属民であったヘイロタイに分割
残されたスパルタ女性市民はそのヘイロタイの慰み者に落とされました
ナビスは対外的も当初ローマと同盟(BC205年)しながら裏切りBC197年には敵方だったマケドニアについたりし信頼を失墜
有能な指揮官も不在で士気や練度が著しく落ちた兵のスパルタ軍では勝てるわけもなくBC195年にフラミニヌス率いるローマ軍に惨敗
BC192年には名将ピロポイメン率いるアカイア同盟軍に敗走させられました
ナビスの名はあの臭いカメムシの一種の学名にも使われてることからかなり恨まれたのでしょうね

72: 世界@名無史さん 2009/02/14(土) 22:41:36 O
スパルタの強味は幼年時からプロの兵士になる素養を養成し集団訓練を施し極めて素早い展開や方向転換しての側面攻撃など行うことが出来ました
アテーナイやテーバイなど他のポリスでは兵は戦時徴集の民兵で普段は他の職業に就いてました
ギリシア人の各ポリスの共同体意識は高いため、各民族から強制的に徴集されたペルシア兵には強かったですが民兵主体で指揮官も民主的な選挙で選ばれていたスパルタ以外のポリスは奇襲や策略を講ずる以外にプロの職業軍人集団のスパルタにはかなうはずありませんでした

映画『300』の一場面でスパルタ以外のポリスの兵達からスパルタの兵が少ないことをなじる場面がありましたが極めて似たようなことが史実としてあります
アゲシラオスが同盟都市軍を率いテーバイへ向かうさなか同盟諸都市の兵達からスパルタの兵が少ないことをなじられました
アゲシラオスは全ての兵を座らせ、まず鍛冶屋を立たせました
スパルタ人は誰も立ちません
次いで陶工、指物屋、大工、職人と職業を言い立たせましたが、ついにスパルタ人は誰も立ちませんでした
アゲシラオスは言いました
「見給え、我等が諸君らよりこれだけ多くの兵士を出しているではないか」

そんな職業軍人集団のスパルタも同じように職業軍人集団として訓練されたマケドニアには歩が悪くしかも彼等のファランクス戦術にはかないませんでした
スパルタがマケドニアに勝ったのは唯一、第2次神聖戦争のコリントスの戦いだけであとは全て戦う度に敗北させられました
スパルタがマケドニア流の長大な長槍サリッサをようやく採用するのはクレオメネス3世時代です
他のポリスも同様でアレクサンドロスが東征時にギリシア都市同盟諸軍を軽視し副次的任務しか付与しないのもこのためだったでしょう

73: 世界@名無史さん 2009/02/14(土) 23:06:27 O
スパルタが独立した都市国家として戦った最後の戦いはBC148年でアカイア同盟軍に敗れました

その後、独立を失ったスパルタはローマのヴェスパシアヌス帝に自由市としてラコニア領有を認められますが文献等で確認できるスパルタの最後の軍事行動はAD216年にカラカラ帝のパルティア遠征に同行し活躍したこと

ユリアヌス帝の師ニコクレスはスパルタ出身の学者らしいです

その後のスパルタは
267年ゲルマン人のヘルリ族に略奪される
395年アラリック率いる西ゴート族に攻略される

スパルタは衰退し、ビザンツ時代には郊外の新都市ミストラに廃墟となったスパルタの建材が使われました
ミストラはスパルタとは正反対にビザンツ随一の文化都市となり帝都コンスタンティノープルがオスマンに陥れられてもなお7年も長らえました
そのミストラも衰退し、今度はその建材を使用して現在の単なる閑村となったスパルタが再建されました

74: 世界@名無史さん 2009/02/15(日) 02:54:03 0
いつもいつも詳しい解説ありがとうございます。
マケドニアに職業軍人が多いのは意外でした。
これはフィリッポス2世による軍事改革の影響が大きいのかな?

やはりスパルタがパッとしなくなるのはテーバイ台頭以降みたいですねぇ。
あまり信用できないウィキペディアではマンティネアの戦いはエパミノンダスとアゲシラオスが戦ったかの如く記述されてるけどこれって間違いだよね???アルキダモスでしょ?

仮にエパミノンダスとアゲシラオスの二大英雄が戦ったとしたらあの戦いはどちらが勝ったと言えるんだろう。
クセノフォンはラケダイモンよりの記述だから頭から信用できないし。
個人的には戦術的にはエパミノンダスの勝ち、戦略的にはアゲシラオス(アルキダモス)の勝ちではないかと思うんだけど。

75: 世界@名無史さん 2009/02/15(日) 07:30:41 O
>>74
ファランクスはかなり長期の兵役でないと錬成できない戦術です
そこで重装歩兵のペゼロイタイから選抜し職業軍人化したのが近衛歩兵隊ヒュパスピスタイです
同様に騎兵隊ヘタイロイも職業軍人化しています
そのヘタイロイから精鋭を選抜し組織したのがアゲーマという近衛騎兵隊です

マンティネイアでアゲシラオスがいたかどうかは前述のように高齢で病身なので無理だと思います
この時の戦いでのスパルタの方針は始めから決まっていました
損害を出してもエパミノンダスのみ狙い討つと
そしてスパルタの同盟軍が崩壊していく中、スパルタ軍は損害も顧みずに突進しエパミノンダスのみならずダイファントス、イオライダスという上級指揮官クラスはスパルタ軍により全て討ち取られました
結果、スパルタは刺し違えることにより後に起こるはずであるスパルタ本領侵攻の圧力を軽減させました

76: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 02:13:36 0
毎度どうもありがとうございます。
なるほど、だんだん見えてきた。
となるとこのカラクリ(職業軍人が鍵)を理解、応用できたのは優秀な極小数の将軍だけだったわけだね。
エパミノンダスが死ぬ前に敵と講和するよう言い残すわけだ。

それじゃあ、テーバイがスパルタに勝てたのも決して自軍の弱兵をスパルタ兵に当てず、職業軍人や鍛えられた兵士、神聖隊のみを前面に押し出していたからかな?
…それにしてもマンティネアの戦いは正に蛇の頭つぶし作戦だね。テーバイはレウクトラと同じことをやられたわけか

ところでダイファントス、イオライダスって名前しか聞いたこと無いけど基本、どうやって資料集めて研究してます?
情けないことに自分は小学校もろくに出てないのでw研究の仕方がわかりません。

78: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 22:38:20 O
>>76
テーバイの斜線陣他もろもろの兵制や戦術はエパミノンダスが全て編み出したものではありません
例えば深い縦深隊形や神聖隊はエパミノンダスが生まれるずっと以前
BC424年のペロポネソス戦争でのデリオンの戦いで散見されます
ギリシアの諸ポリスの軍体形の縦深は通常8~12列ですが、テーバイ軍は25列の深い縦深隊形を取りその前面に新編成された神聖隊を配置しました
これ以降テーバイ軍の伝統となりました

エパミノンダスは職業軍人集団のスパルタと相対するに際しそれらの戦術をアレンジし、策略を巡らせました
まずスパルタの中核はスパルタ市民軍ですが、それだけでは兵力的には足りません
そこで参政権は持たないペリオイコイに軍役を課しました
ペリオイコイは主に重装歩兵として徴発され、かなりの負担で不満がありました
エパミノンダスは事前にペリオイコイたちにスパルタから独立させることを約し、ペリオイコイの戦意を喪失させました
エパミノンダスは騎兵を選抜し訓練、精鋭化し戦陣突破力を増しました
そしてレウクトラの戦いでは対スパルタ戦用に縦深を25列から倍の50列としさらに前面に精鋭化した騎兵隊を配備
ペロピダス揮下の神聖隊にはスパルタ軍が行うだろう迅速な配置転換と側面攻撃のための迂回機動を犠牲を払っても阻止せよと命じました

そして実際、神聖隊が必死に足止めしてる間に中途半端な隊形のスパルタ軍に対し騎兵隊を尖兵にしたテーバイ軍が突入
スパルタ軍はレオニダス以来の王が戦死、クレオンブロトス王を失い敗北しました

82: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 23:40:18 O
>>76
私も専門家でもなく、実は本来ディアドコイのセレウコスに興味あってスパルタに興味が派生しただけなので参考になるかどうかわかりませんが
スパルタについて書いてある読みやすい書籍を紹介します

①古代ギリシア人の戦争/会戦事典 市川定春著 新紀元社
→かなり詳細で参考文献の膨大さから記述はかなり信頼できる 買って損はないと思います

②地中海世界史 ポンペイウス・トログス著 京都大学学術出版
→歴史書なので読みやすい
しかし後代のローマ人の書なのでギリシア・ヘレニズム時代の事柄については他史料の裏付けが必要かも

③クセノポン 小品集 クセノポン著 京都大学学術出版
→「アゲシラオス」「ラケダイモン人の国制」
言わずと知れたアゲシラオス王の友人・戦友、同時代人なので記述は信頼できるが、友人なので贔屓目な所はあると思う

④英雄伝 ネポス著 国文社
→「パウサニアス」「リュサンデル」「アゲシラオス」等スパルタ人や
「コノン」「エパミノンダス」「ペロピダス」等スパルタの敵対者の伝記
しかし各人の章の記述はそんなに量的に多くない

⑤プルターク英雄伝 岩波文庫
→第4巻「ペロピダース」
第8巻「アゲーシラーオス」
なぜかエパミノンダスがないがプルタークは書いたとあるので文献がなくなったのでしょう
やや読みにくい、これも他の史料の裏付けが必要だと思う

①以外は図書館で見つけた方がいいかも知れません

79: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 22:59:45 O
ペロピダスについて
レウクトラの戦い後、エパミノンダスは越権行為を問われ裁判されることになりました
前述のようにスパルタ以外のポリスでは指揮官から選挙で選ばれるのですがエパミノンダスは独断で任期切れているペロピダスを4ヶ月も任期延長していたかどです

ペロピダスはその後、使者としてテッサリアのフェライへ向かいましたがその時、不当にもフェライの僭主アレクサンドロスに投獄されました
後、解放されましたが、ペロピダスはこの事を深く恨みました
やがてそのフェライと戦争となり、ペロピダスはテーバイ軍を率いBC364年キュノスケファライの地で相対しました
戦いは敵より少数であったが、ペロピダスの巧みな用兵で勝利する気配でした
その時、敗走するフェライ軍の中にあの憎いアレクサンドロスを見つけると側近の止めるのも聞かずアレクサンドロスに一騎打ちを申し込みました
しかしアレクサンドロスは応じませんでした
ペロピダスはさらに歩を進め申し込むが、アレクサンドロスは応ぜず代わりに多数のフェライ兵の槍がペロピダスの胸を貫き、ペロピダスは絶命しました

これがペロピダスがマンティネイアの戦いの地にいなかったわけです

81: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 23:23:51 0
>>79
ペロピダスの死についていえばプルタルコスの証言を待つまでもなく、彼自身の浅はかさがあったとしかいいようがないでしょうね。

しかしフェライのアレクサンドロスというのは実質どういった人物だったんでしょうか?
プルタルコス対比列伝では相当悪く描かれているようですが…。
彼自身はボイオティア地方出身なので本当に公平に書けているかどうか個人的には疑わしく思っています。

あとフィリッポス二世が人質になったとき、彼は本当にエパミノンダスから学んだのでしょうか。
影響は受けているでしょうが、教育は施されたのでしょうか?

83: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 23:50:43 O
>>81
フィリッポスにはエパミノンダスの戦術に影響はされたでしょうね
でもテッサリアのフォキスの名将オノマルコスに2度も敗れているところを見ると理解し実践するまでには時間はかかったでしょうね

僭主アレクサンドロスはほんとに凶悪だったのかどうか断定はできませんね
ネポスの英雄伝「ペロピダス」にも書いてあるのですが
おそらくプルタークと引用原典は同じだと思われるので判断し兼ねますね

90: 世界@名無史さん 2009/05/05(火) 16:24:43 0
アテネと異なり、後世に痕跡を残すことなく衰亡したね。

92: 豚松 ◆.5DV4fMpf6 2009/06/02(火) 06:05:43 O
いくら農地が多くあっても、こんな社会制度を続けていたら、商業も古代なりの工業技術も学問も化石となり、いずれは戦も弱くなり、滅亡は避けられない。
サン-ジュストは古代スパルタの教育制度と商工業制限を理想としていたことが残されたノートから知られている。
奴隷制だか農奴制だかがないスパルタ?あるいはアテナイ?
どちらもありえない。
18世紀末のフランスは近代資本主義がどんどん進行し、イギリスとは比べようもなかったが近代工業も芽生えていた。
だから、サン-ジュストもブルジョワジーとサンキュロット、地主・大借地農と中小自営農との対立を緩和することに苦闘していたのに、いくら夢想だとしてもクレイジーとしか言いようがない。
ロベスピエールも理想主義者だが、こんなDQNじゃない。
ロベスピエールは現実に選択、実現しうる中から己が理想と近いものや国の現状に最善と考えられるものを選び、古代スパルタを模範に云々なんていう奇妙な夢想はしなかった。
また、マラー、ジャック・ルー、エベールら極左の連中も、サン-ジュストと違い古代スパルタにもアテナイへの憧れは無し。

93: 世界@名無史さん 2009/06/07(日) 19:42:59 0
スパルタ人の子孫は現存するのだろうか。

94: 世界@名無史さん 2009/06/07(日) 20:14:58 0
国として滅んだだけで皆殺しにされたわけじゃないからいると思うよ。

引用元: ・古代ギリシアスパルタについて語るスレ 2


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