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1: 世界@名無史さん 2019/05/05(日) 23:13:16.40 0
過去において、インドが最も輝いた時代を語る








2: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 00:19:18.68 0
決して無能では無いはずなのに死ぬほど小物臭いフマーユーン好き
フマーユーン

インド,ムガル帝国第2代の皇帝 (在位 1530~56) 。

初代皇帝バーブルの跡を継いで帝位についたが,アフガン系のシェール・シャーと戦って敗れ,イランに逃れてサファビー朝の庇護を受けた。 1555年サファビー朝の援助によりインドを攻め,デリーを奪回してムガル帝国を再建した。翌年不慮の死をとげ,その子アクバルが 13歳で帝位についた。


4: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 02:33:27.24 0
>>2
短命政権が続いたデリースルタン諸王朝のあと、ムガール帝国も2代目フマーユーンで崩壊して、同じ流れになりかけたんだが
あの状況からカムバックして王朝を再興した例など、世界的にも稀な奇跡だろう

日本史に例えれば、大坂夏の陣に敗れた豊臣秀頼が明に亡命して、15年後に戻ってきて徳川家光を打倒し、豊臣の世を再興するのに相当する

12: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 19:34:01.90 0
>>4
その場合徳川幕府がスール朝に相当するわけだが、スール朝も二代目三代目がしっかりしてればもっと長く続いたのかも!?

5: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 02:42:21.93 0
亡命生活の間に、すっかりペルシャ文化に染まったフマーユーン

大勢のペルシャ文化人を引き連れてデリーに帰還したため、その後のインドは、ペルシャ文化の影響を強く受けて大きく変化した

7: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 07:37:29.47 0
ペルシア文化はヨーロッパでいえばフランス文化みたいな位置づけだな
21: 世界@名無史さん 2019/05/08(水) 05:11:59.00 0
バーブルナーマは日本語完訳も出ていて日本でも比較的有名だけど、フマーユーンナーマもなかなか興味深い内容のようだね 
チャガタイ語原典でバーブル自著のバーブルナーマに対して、ペルシア語原典でフマーユーン異母妹グルバダン・ベグム著のフマーユーンナーマってことだったか

8: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 09:23:17.33 0
近世アジアの3大帝国のひとつなのに、日本ではあまり関心が無いよね。仏教国でないし。
ヒンズー教を弾圧したしインドでも人気が無い。

9: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 09:41:17.16 0
インド文化に傾倒してヒンドゥー教との融和を図った第3代アクバル帝は、インドで評価が高い

逆に、狂信的なイスラーム信者で、ヒンドゥー教を弾圧した第6代アウラングゼーブは、インドでは評判が悪いが、パキスタンでは高く評価されている

アクバル(1542年10月15日 - 1605年10月27日)は、北インド、ムガル帝国の第3代君主(在位:1556年 - 1605年)。アクバル1世、アクバル大帝とも呼ばれる。アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させた。



アウラングゼーブ( 1618年11月3日 - 1707年3月3日)は、北インド、ムガル帝国の第6代君主(在位:1658年 - 1707年)。

アウラングゼーブの治世は実に49年の長きに渡り、その治世の前半は、曾祖父アクバル以来の繁栄が続いた。アウラングゼーブは若年から厳格なスンナ派の信者であり、ムガル帝国の宗教政策を変えて帝国をシャリーアで統治しようとしたが、その反面ではアクバル以来の融和路線に反する厳しい宗教政策によって、ラージプートなど異教徒の離反を招いた。特にデカン地方にヒンドゥーの復興を掲げたマラーターの指導者シヴァージーの抵抗には苦慮し、長く辛酸を舐めることとなった。

1681年以降、アウラングゼーブはデカンに大挙南下し、ビジャープル王国、ゴールコンダ王国を滅ぼし、さらにはマラーター王国を南に押し返した。だが、マラーターのゲリラ戦や重税に苦しむ諸地方の反乱、帝室における混乱といった様々な問題に悩まされ、その晩年は悲惨なものとなった。

1707年にアウラングゼーブは死亡し、その死までに帝国の領土は最大となったが、 彼の死を契機に帝国は衰退・崩壊した。



10: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 13:51:48.87 0
アウラングゼーブも真の無能ならまだマシだったが、こと軍事に関してはそれなりに有能なのがまた不幸だった
版図だけでいえばインド史上2~3番目まで拡大させたはずだが、財政破綻と憎悪で内部はボロボロな状態に
基本戦略が間違っているのに中途半端に有能で邁進できてしまうと国を滅ぼすっていう一例だな

11: 世界@名無史さん 2019/05/06(月) 17:20:25.15 0
ムガール皇帝の肖像画をみると、頭の後ろに金色の光輪が
描かれていたりするけど、イスラーム的にはアウトじゃね?

15: 世界@名無史さん 2019/05/07(火) 18:43:15.32 0
>>11
それ以前に、ペルシャで人物画のミニアチュールが発達した時点でイスラム的には微妙

16: 世界@名無史さん 2019/05/07(火) 18:43:59.08 0
ペルシャ細密画は、ササン朝ペルシャの美術品の流れを受けつぐ細密画(ミニアチュール)のこと。そもそもは9世紀ごろに、ギリシャの科学文献における挿絵として始まったと言われています。

ペルシャは13世紀ごろにモンゴル人の侵略をうけたため中国美術が流れ込み、東洋美術の影響を大きく受けて、現在のペルシャ細密画の原型ができあがったと考えられています。

成立の段階から、すでに多様な民族の芸術観や美術上の技術などが複雑に絡み合ってできた美術品です。

17: 世界@名無史さん 2019/05/07(火) 18:51:28.60 0
イスラム教の偶像崇拝禁止は、宗教的には正しい方針なのだろうが、イスラム圏の彫刻や絵画の発展を止めてしまったのは深刻なマイナス面

ササン朝以来の細密画の伝統を持つペルシャ美術を救ったのは、中国とインドだった


22: 世界@名無史さん 2019/05/08(水) 10:24:40.55 0
ムガール帝国って室町幕府みたいな印象があるな。
足利義満=アクバル1世以外はgdgdで、最後の100年間は似たような状況だった。
2代目皇帝の亡命は観応の擾乱、アウラングゼーブは足利義教ってとこか。

23: 世界@名無史さん 2019/05/08(水) 20:40:49.55 0
>>22
観応の擾乱みたいな兄弟間戦争は、ムガール帝国では代替わりのたびに毎度オナジミだ
しかも、足利尊氏と足利直義みたいに、微妙に遠慮しあうような優しい関係ではない
アウランゼーブは、兄の首を、幽閉中の父に送り付けて、父はショックで気絶した

24: 世界@名無史さん 2019/05/09(木) 20:51:11.40 0
アウランゼーブ死去後のムガール帝国は、形だけは存続していたが、事実上の崩壊

日本史でいえば、応仁の乱のあとの室町幕府
中国史でいえば、安史の乱のあとの唐朝
みたいな乱世に突入した

26: 世界@名無史さん 2019/05/09(木) 20:53:42.00 0
アウラングゼーブ死去後は帝国各地で反乱が頻発し続けた。これに加えて帝国は代替わりごとに後継者争いを起こし、遂にはズルフィカール・ハーンやサイイド兄弟といった臣下によって帝位が決定されるようになる。

1724年には宰相であったカマルッディーン・ハーンが、デカン高原で独立しニザーム王国を建国。以後、帝国の地方長官が事実上独立し、皇帝はその形式的な上位者にすぎなくなっていく。
最早、帝国は分裂状態となっていたが、更に、南からはアウラングゼーブ時代には抑えられていたマラーター王国が伸長してくる。
王国は各地の領主とマラーター同盟を形成し、北インドはおろか首都デリーを窺う程に勢力を伸ばした。
西からはナーディル・シャーがサファヴィー朝に代わってアフシャール朝を建てて、ムガル帝国領に侵攻し、帝国はインダス川以西の割譲を強いられた。これ以後、帝国の動向は北インドの有力者の動向に左右され続ける。

27: 世界@名無史さん 2019/05/10(金) 02:23:57.58 0
アクバルに倣って融和策をとるか
あるいは初代と二代目に倣って一度きれいに滅亡したほうがよかったな

28: 世界@名無史さん 2019/05/10(金) 10:13:48.21 0
結局、ダーラー・シコーとアウラングゼーブの兄弟間の(思想的・政治的)立場の違いって、そもそも何が始まりだったんだ
幼少期からの師匠か侍従か誰かの教育方針の違いなのか、身内に対する思春期頃からの警戒や反発の表れなのか、対立党派間の権力争いの御輿にされて気が付いたら退くに退けなくなってたってことなのか

34: 世界@名無史さん 2019/05/22(水) 06:28:38.09 0
>>28
父のシャージャハーンは、タージ・マハルに祀られている王妃ムムターズを深く寵愛していたため、ムムターズが産んだ子供のダーラーシコーを溺愛していた

これに対するアウラングゼーブの反感は大きかったと言われている

アウラングゼーブによって塔に幽閉され、タージ・マハルを見ながら幸せな日々の思い出に浸っていたシャージャハーンは、ダーラーシコーの首を送りつけられ、ショックで気絶した

60: 世界@名無史さん 2019/09/13(金) 10:38:58.89 0
>>28
いろいろあっただろうが、代替わりのたびに兄弟がそれぞれの軍隊を動員して戦争になるのは、遊牧系の帝国では毎度オナジミのお約束だからなあ

ダーラーシコーとアウラングゼーブの兄弟対立に巻き込まれて悲劇的な晩年を迎えた父のシャージャハーンも、かつては親兄弟にかなり酷いことをやってきた

35: 世界@名無史さん 2019/05/22(水) 06:43:00.57 0
こうしてみると、シャージャハーンは悲劇の人みたいだが、シャージャハーンも父帝に反乱を起こして失敗したり、兄に陰謀をかけて殺害したり、弟や従兄弟を処刑しまくってるので文句を言える立場ではない

36: 世界@名無史さん 2019/05/22(水) 07:04:58.40 0
アウラングゼーブも、ムムターズ・マハルが産んだ子供のはずだが、なぜか愛されていなかった

37: 世界@名無史さん 2019/05/22(水) 07:09:59.80 0
息子のシャージャハーンにクーデターを起こされ、「奴は私の息子ではない」と宣言した先帝のジャハーンギールだったが

そのジャハーンギールもまた、父のアクバル大帝との仲の悪さは史上に有名

「よく、これで廃太子されなかったな」というようなエピソードが多い

44: 世界@名無史さん 2019/06/12(水) 08:51:53.97 0
アクバル大帝は、中国史に例えれば、漢化した北魏の孝文帝みたいなものか

イスラム帝国のスルタンなのに、妙にヒンドゥー化していた

48: 世界@名無史さん 2019/06/25(火) 17:57:36.50 0
ダーラーシコーがもうちょっと軍事才能あればな
せめて側近の言うとおりにしてりゃ

50: 世界@名無史さん 2019/09/09(月) 13:25:18.26 0
ヒンドゥーでは聖人あつかいされるアクバル大帝だが、イスラムでは評判が良くない

イスラムで高く評価される人物はアウラングゼーブ

51: 世界@名無史さん 2019/09/09(月) 14:33:51.36 0
ムガール帝国っていうわりに、歴代皇帝はイケメンばかりでドルジ顔はおらんかったんやね

52: 世界@名無史さん 2019/09/09(月) 16:33:32.00 0
そもそもムガル帝国の呼び名はあくまでも他称であって、歴代皇帝たちはそんな名乗りはしてなかったからな

53: 世界@名無史さん 2019/09/09(月) 17:10:27.87 0
なんて名乗ってたの?

62: 世界@名無史さん 2019/09/14(土) 20:44:04.23 0
>>53
始祖バーブルは「ティムール帝国」と言ってたらしい

以後の皇帝は「グラーカーニー」などと呼んだが、これももともとティムール帝国の異名であり、意味は変わらない

63: 世界@名無史さん 2019/09/16(月) 04:53:09.54 0
ムガル帝国はモンゴルの後継国家というよりはティムールの亡命政権としての面が強いからなあ
ウマイヤ朝がイベリア半島に逃げて後ウマイヤ朝となったように、本当はムガル帝国も後ティムール帝国とでも呼ぶべきなのかもしれない

64: 世界@名無史さん 2019/09/16(月) 11:04:43.87 0
>>63
Wikipedia 「ティムール朝」によれば、まさにそんな感じ

・・・ティムール一代の征服により大版図を実現するが、その死後に息子たちによって帝国は分割されたため、急速に分裂に向かって縮小し、15世紀後半にはサマルカンドとヘラートの2政権が残った。

これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーニー朝によって中央アジアの領土を奪われるが、ティムール朝の王族の一人バーブルはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てた。

65: 世界@名無史さん 2019/09/16(月) 11:09:09.84 0
ティムール朝を滅ぼしたウズベクのシャイバーニー朝は、サファヴィー朝イランに敗れて勢力が衰える。

ティムール朝の王族の少年バーブルは、イランの支援を得てサマルカンドを奪回し、一時的にティムール朝を復活させた。
しかし、勢いを取り戻したシャイバーニー朝にサマルカンドを逐われて苦難の時期を迎えた。

バーブルは南下してアフガニスタンのカブールを占領し、そこで再起を図る。

55: 世界@名無史さん 2019/09/11(水) 02:39:39.12 0
モンゴル人というより、トルコ人に近いんじゃないか

56: 世界@名無史さん 2019/09/11(水) 02:41:15.34 0
といっても、モンゴル人とトルコ人がどう違うかっていったら、「北アジアの遊牧民のなかで、仏教徒になったのがモンゴル人、イスラム教徒になったのがトルコ人」というくらいだが

57: 世界@名無史さん 2019/09/11(水) 07:22:54.87 0
モンゴル系とトルコ系って一応言語レベルでも違いは大きいんだけどな
同じアルタイ諸語に属すとは言え、モンゴル語とトルコ語はそれなりに違う部分も目立つ言語だ

なお、ムガル帝国の建国者バーブルはチャガタイ・トルコ語で自伝を書いてる辺り、確かにモンゴル系よりはトルコ系に近いと思われる
当時の中央アジアは基本的にはトルコ系が目立っていた世界だ

71: 世界@名無史さん 2019/09/16(月) 13:04:38.17 0
要は、ティムール帝国の王族たちは自らを「グールカーニー」と呼んだ。
ムガール帝国の王族たちも、自らを「グールカーニー」と呼んだ。

彼らにとって、自分たちがティムール帝国の後継者なのは当たり前の事実だった。

75: 世界@名無史さん 2019/09/17(火) 11:50:24.94 0
実際のところ、帝国の歴史的な呼称としては、「後ティムール朝」でも、「グールカーニー朝」でも良かったんだろうけどな

それだけ、「ムガール帝国」が定着していたということだろう

76: 世界@名無史さん 2019/09/17(火) 18:08:18.82 0
モンゴルの訛りのムガールでも差し支えないと思うがな。
ティムールはチャガタイトルコ人でトルコ化したモンゴル系で祖先はチンギス汗と同祖。
代々チャガタイ家から嫁をもらってるので女系でムガール皇帝にもチンギス汗の血は流れてる。

58: 世界@名無史さん 2019/09/12(木) 09:02:17.51 0
オスマン帝国と大清帝国は20世紀の初頭まで続いたのに、ムガール帝国の崩壊が早すぎたおかげで、インドは植民地になった

ヒンドゥー教徒との融和政策をやめてしまったアウラングゼーブの責任

59: 世界@名無史さん 2019/09/12(木) 09:58:34.08 0
アウラングゼーブの瑕疵も大きかったが、歴史上インドは統一できていたことがほとんどなかったんだし、たとえアウラングゼーブがいなくても遅かれ早かれインドはまた分裂したんじゃないかという気はする
その動きをアウラングゼーブが早めてしまったことは確かかもしれないが

引用元: ・ムガール帝国



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