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1: 人間七七四年 2012/08/07(火) 01:07:44.47 ID:iMZ6qjFl
二人とも秀吉に仕えた天才的な軍師で名高く両兵衛とまで言われているが、実際はどちらの方が優れて居たのか?
激論しましょう。








83: 人間七七四年 2012/08/20(月) 01:16:39.06 ID:hm1rRj4V
竹中半兵衛は江戸期に何だか良くわからんまま神格化されたが、黒田官兵衛は江戸期に家臣からキチガイ呼ばわりされた(古郷物語)

84: 人間七七四年 2012/08/20(月) 15:53:56.37 ID:7A9fvUnh
清いイメージのまま死んだのと秀吉のそばで「君取りたるべし」とか言っちゃったり
息子に「そのとき片腕はどうしていたのだ」とか言ったり
秀吉存命時から警戒されてたり知謀はあるけど悪どいイメージがあるからだと思う
半兵衛が張良で官兵衛が陳平みたいな感じで(張良も撤退する楚軍を襲えとか言っちゃうけど)

85: 人間七七四年 2012/08/20(月) 16:06:57.24 ID:YwsOmfBx
>>84
中国大返しの時は何て言ったか分からないからまあいいとして、長政を叱ったエピソードの所為で誤解されてるよなあ。
忠義の人、とは少し違うけど当時としては珍しく道義を弁えた人格的にも優れた将だったと思うんだけど。

88: 人間七七四年 2012/08/21(火) 07:58:49.49 ID:p0ZU9yRL
官兵衛は変わり者な性格だったみたいだね。
それで家臣を困らせる事も度々だったとか。

95: 人間七七四年 2012/08/22(水) 21:27:22.91 ID:XBy6jjB7
>>83、88
「古郷物語」は基本的に如水礼賛の書物であって、いかに如水が知恵が回るか、家臣に配慮したかを家臣の側から愛をこめて描いたもので、だからこそこの人は「仕えやすきこと、この上なし」と書かれたわけですよ

よく戦国板で引用される、古郷物語の「きちがいのよう」というのは、悪口ではまったくなくて、逆に「さすが如水様、考えることが常人ではない」という肯定的なニュアンスであって、別に家臣が迷惑してるわけでも、如水の行動が本当におかしいわけでもないのは、通して読めば一目瞭然なんだけど
全体の文脈とか背景を知らずに、個別の逸話や文章の断片をスレで読むだけだから、勝手なイメージがひとり歩きするんだお

89: 人間七七四年 2012/08/21(火) 17:53:13.27 ID:JB38fX8e
息子のため円滑に家督譲るために晩年は家臣にわざと辛くあたったりして早く息子の代にならないかなと思わせたりしたそうだよ
関ヶ原がもし長引いてたら九州(薩摩除く)四国くらいは取れたかもしれんね

90: 人間七七四年 2012/08/21(火) 19:38:49.14 ID:8ewyfPnX
>>89
九州を取る、の意味が分からんな。
当時盟友とも言うべき清正が熊本を統治してたのだが、その清正を裏切ってまで官兵衛が九州を支配するとでも?
それともまさか清正と手を組んで九州統治?
忠義の士で野心無き清正と?

91: 人間七七四年 2012/08/21(火) 19:59:59.81 ID:dNJHXAHM
黒田如水は九州で、あくまで東軍の一員として行動していたわけであって、法的にも家康の指揮下にあった。
であれば家康の指揮権を否定するよほどの理由がない限り、家康の意図に反した行動は取れない。
仮にそういう行動を取れば如水自信が東軍の討伐の対象になる。
その程度のことのわからない如水じゃないわな。

93: 人間七七四年 2012/08/22(水) 02:42:39.88 ID:WPVd+T3B
その時歴史が動いたとか戦国関連で九州制覇に動いたみたいに書いてるのって嘘だったんだ…

97: 人間七七四年 2012/08/23(木) 07:49:25.57 ID:QOUbVIWL
如水って後世でも損な役だな

98: 人間七七四年 2012/08/23(木) 13:20:01.26 ID:S8inEYLt
黒田官兵衛って実際有能だったの?
恐れられていたから石高抑えられていたのではなく、石高相当の能力や実績って事はないの?

99: 人間七七四年 2012/08/23(木) 14:16:48.44 ID:1MWjYOEM
青山・土器山で織田軍3000を300の兵で撃退
九州征伐に於いて島津軍3万5千を秀長本隊の救援無しで撃退
中国大返しの際に毛利軍と調停、国境を確定
立花宗茂の居城、柳川城無血開城
そのついでに島津義弘を海に沈める
北条親子を説得、小田原城開城
朝鮮軍8000を1500の兵で撃退
毛利・織田の板挟みで信長を選んだ慧眼
名護屋城や中津城築城に携わった築城の名手

他にも官兵衛の功とされるものに鳥取城、高松城攻略等があるし、小牧・長久手なんかでも活躍してるらしいけど、その辺は不確実なので割愛。
少し誇張気味なのはご愛嬌ってことで。

100: 人間七七四年 2012/08/23(木) 15:46:45.06 ID:S8inEYLt
>>99
実績から考えたら、豊臣で何万石ぐらいが適正だったと思う?
適正っていうの難しいと思うけど。

101: 人間七七四年 2012/08/23(木) 16:05:05.90 ID:tLxjX2Yu
>>100
加藤福島が17万石だっけ?
仕えた年数や功績を考えたら少なくともこの二人と同等かそれ以上貰って然るべきだと思うけどね。
と言うか確か家康から40万石ぐらいを提示されてたような。

102: 人間七七四年 2012/08/23(木) 16:33:13.81 ID:S8inEYLt
>>101
加藤福島は、実績に比べてもらい過ぎだろうな。
まぁ親戚筋だから、当然かもしれんが。

40万石は、妥当かもしれんな。
その石高だと、秀吉の信長時代から下にいた中ではトップだろう。
(秀長は別格として)

40万石というと蒲生と同じ立ち位置かな。
蒲生は、陸奥会津に移封され時に42万石で、のちの検地・加増により92万石だから。

113: 人間七七四年 2012/10/16(火) 21:49:24.15 ID:IrtnKdkx
竹中に対する高い(後世の)評価は、ほとんどが息子の父親自慢がソースになってるからでは?
信長の評価が不当に低いんじゃなく、後世の評判が不当に高いんだよ
息子の重門が自著「豊鑑」で、やたら自分の父・半兵衛をもちあげて評価を盛りまくる→絵本太閤記や名将言行録あたりに拡散→神話化という流れな

114: 人間七七四年 2012/10/17(水) 09:10:46.88 ID:TDv86N+K
江戸時代に名前が残った中小大名の殆どはそうじゃね?
○○家譜とか先祖自慢のオンパレードやん。
実際は単に従軍しただけっぽいのに「最前線に出て無双しまくった!」とか「この作戦は実はうちの先祖が発案したんですよ!」とか。

115: 月孔雀 2012/10/17(水) 10:57:57.96 ID:lpVgq8uR
半兵衛は頭脳は優秀だったけど、体が弱くて、早死・・・
官兵衛は体も強く、苦労したけど、長生き。

体力面では官兵衛が上

135: 2013/02/08(金) 00:33:40.00 ID:42slJAnz
竹中の伝説、稲葉山城を数十人で奪い取った
黒田の伝説、関ヶ原の時、軍勢をかき集めほぼ九州を切り取った

この差は大きくないかな?城と国の差があるよ

136: 人間七七四年 2013/02/08(金) 01:31:09.73 ID:wUHvkWKD
「ほぼ九州を切り取った」は、いくらなんでも盛りすぎ
関ヶ原終了まで:豊前・豊後の大部分(全域ではない)
↑ここまでが、黒田くん単独での軍事行動

東軍の勝利確定後:北九州の西軍諸城を攻略
↑ここからは、関ヶ原後の敗戦処理

もっとも、東軍兵力の空白地帯だった北九州にいきなり
大兵力をつくりだして席巻した手腕は、さすがとしか言えないけど

137: 人間七七四年 2013/02/08(金) 20:09:49.10 ID:90ExjmIK
ちょうどうまい具合に東軍に転向したがってた大兵力持ちの鍋島さんがいたからね

139: 人間七七四年 2013/02/08(金) 21:25:51.13 ID:qq1Y55Qd
>>137
うまい具合も何も、鍋島は東軍に転向したがってたというより、もともと東軍につく気だったのに、結果的に西軍に加担する羽目になっただけで、関ヶ原での状況判断は普通に下手くそなんだが

142: 人間七七四年 2013/02/11(月) 11:21:18.31 ID:fUx34+eb
ニ兵衛の共通点といえば、正室以外の女性がいなかった(らしい)ことがあるわね。

143: 人間七七四年 2013/02/11(月) 13:35:04.12 ID:viCvTOXM
官はキリシタンだからな

144: 人間七七四年 2013/02/13(水) 00:06:52.58 ID:++xk8IFW
竹中本家は石高が少ないといわれるが、
信長や秀吉や家康・・・らその時の主君に頭下げて恩賞もらって
かわりに先祖伝来の地から遠く離れた辺地に行かされた黒田家が、比べて幸せだったのかな、とはおもっちゃうけどね。
もともとの所領はしっかり安堵した竹中家の身の処し方は、なかなかに素敵だと思うよ。
つか、半兵衛は、漢の張良(高祖から、西の海際の斉の地に3万戸やるっていわれて、いえ中原の3千戸がいいです。といって故郷に近い小さな町をひとつもらって引退した)をすごく意識してると思う。
つうか長浜時代の1053石って何だ、何か意味あんのかね、この半端な数字わ。

146: 人間七七四年 2013/02/13(水) 08:47:18.17 ID:G8SyQPkr
単に早く死んだだけのことでしょ。
秀吉が播磨を領国にした時まで生きてればそれなりの知行を宛がわれるかもしれんが

148: 人間七七四年 2013/02/17(日) 01:20:55.58 ID:M4jwqhC9
1053石に意味なんてないでしょ?与えられた所領の取れ高なだけだとおもう。わざわざキリの良い数にしなきゃならんわけでもないしな

149: 人間七七四年 2013/02/20(水) 22:02:45.43 ID:PevnnqzZ
自分は戦国武将のなかでは黒田孝高が一番好きなんだけど
でも竹中も黒田も、ぶっちゃけ「秀吉に天下をとらせた功労者」というより秀吉の寄騎なり家臣になったからこそ引き立てられもし活躍の場も与えられたわけであって

黒田くんはさらに「天下も狙えた男」(客観的には無理だろ)
秀吉に恐れられた男という、いわば加褒の名誉までもらったわけでさ
このふたりの評価は秀吉の七光な部分がすごく大きいし、ゲームでも小説でもむしろ秀吉の能力が両兵衛に反映されてる感がある

そういう意味では、まさに後世の評価まで豊臣恩顧の恩恵を蒙ってるわけで秀吉に感謝しないとだな

164: 人間七七四年 2013/02/24(日) 09:11:20.30 ID:EvPRSgPH
>>149
「秀吉に天下をとらせた功労者」はどちらかというと小早川隆景という印象
秀吉が日本の蓋にしても余りあるって言ってるくらいだし
黒田家譜でも官兵衛より賢人扱い

165: 人間七七四年 2013/02/24(日) 11:25:29.81 ID:dzVCYNal
>>164
言われてみればそうだな
本当に「取らせた」って感じ。秀吉になんかビビっと来るものがあったんだろうかね

166: 人間七七四年 2013/02/24(日) 19:42:54.20 ID:owK2Hjk5
>>164、165
意外(?)にも、秀吉は黒田くんより小早川隆景とのつきあいの方が、年代的には古かったりする
まだ織田と毛利が交戦状態になる以前、秀吉が信長から毛利との申次を命じられ、外交窓口になってた頃からの知り合いになるから
(当時の毛利の対織田外交のカウンターパートが小早川隆景だった)
のちに、中国大返しで隆景が周囲を抑えて慎重論を主張したのも、豊臣政権下で隆景が重用されたのも、 このふたりのつきあいの古さは大いに関係しているとは思う
まあ自分は黒田くん贔屓なので、やっぱり播磨攻略~中国攻略期の孝高の功績を一番に評価するんだけどさ

167: 人間七七四年 2013/03/14(木) 00:35:52.53 ID:lMTeoas4
竹中のほうが秀吉の初期からの立身出世を共にしているから愛着がわく。
黒田が活躍する頃は秀吉はもう多数の部下をもっているからね。
なにがなんでも黒田ってわけじゃないでしょ。
秀吉から信頼されない以上、竹中のほうが上だわな。

170: 人間七七四年 2013/03/19(火) 08:20:27.05 ID:T1a15I1m
>>167
秀吉に信頼されてない?
何か、世間話をそのまま受け取った様な気が。
どっちにしろ、竹中、黒田は活躍する時期が違うので、比較は出来ないと思う。

177: 人間七七四年 2013/03/26(火) 08:11:28.57 ID:5DHHpriT
黒田さんの真価を見抜いてたってだけでも凄くね?
狂犬織田信長に逆らってまで なんてさ。

178: 人間七七四年 2013/03/26(火) 08:41:33.58 ID:Nf+q2jqA
そのへんの信憑性が問題視されてんだろうに

179: 人間七七四年 2013/03/28(木) 22:12:01.92 ID:ToFbi64e
そのへんの信憑性は、疑う必要はないと思うわ
「孝高が裏切るわけねーと思って、竹中が信長に反論したけど聞いてもらえなかったので、こっそり長政を匿ってくれました、本当にありがとうございます」
と、当の黒田家譜にも経緯が書いてあるわけで

劉備の三顧の礼まんまの「太閤の三度通い」とか、ほかの天才軍師系の竹中の逸話は、息子や絵本太閤記や司馬遼が盛りまくりだが

180: 人間七七四年 2013/03/30(土) 15:01:16.03 ID:iNCPL4DE
知らぬ顔の半兵衛 とかいう言葉が残ってる割には実際の行動は、友情や義ってものを重んじていて、それが尊敬される所以というか生前も死後も影響が大きい人だよね、竹中さんわ。
黒田さんちとの縁もそうだし横山城で討ち死にしかけてた加藤さんを竹中さんが助けた縁で、亡くなった後でも息子の嫁に加藤さんが娘をくれたりね。

182: 人間七七四年 2013/04/07(日) 03:30:08.45 ID:l+pYxzP2
竹中半兵衛の実績のほどんどが後世の脚色で、実際はそれほどの人物ではなかったという説があるね。
荒木村重に捕まった黒田官兵衛が謀反の疑いをかけられたときに、半兵衛が松寿丸(長政)を匿ったとのことだが、たぶんこのことによって、黒田家から半兵衛が名軍師だったという噂が流れて広まったのではないかな?

189: 人間七七四年 2013/04/11(木) 23:06:46.23 ID:6pblCkBT
>>182
黒田家がというより、息子の重門自身が豊鏡で、秀吉を劉備に、父親を諸葛亮に例えて、名軍師説を唱えてる
このあたりが竹中=名軍師説の起源だと思うわ
「おい、孔明が劉備より先に死んでもいいのかよ!」
という根本的なツッコミどころがあるが

196: 人間七七四年 2013/04/14(日) 20:39:35.86 ID:l2AtjrbF
>>182
黒田家譜では名軍師として描かれてるのは如水で半兵衛さんに関しては二つのエピソードが書かれているくらい。
ひとつは信長に背いて松寿を助けたこと、もひとつは三木攻めの一戦で、官兵衛が伏兵伏せてたのを打ち合わせもしてない半兵衛が察して神子田に策を授けたりして側面援助して大勝利し「秀吉両人の謀を大に感じ給ふ」話だね。
この話はそれだけ見ると半兵衛をすごく持ち上げているように見えるけれど「或時~」ではじまる、如水が優れた作戦で敵を打ち破ったよ!エピソードの中のひとつとして書かれているので読んだ印象はそんなに目立たないよ。

183: 人間七七四年 2013/04/07(日) 16:00:52.43 ID:9cIqI/Tf
そもそも例の岐阜城乗っ取りも、味方の国人とともに行った謀反の失敗だった、という認識が今は一般的だろ

185: 人間七七四年 2013/04/11(木) 21:20:30.16 ID:6pblCkBT
同時代人の快川紹喜は、乗っ取りの件で竹中を不忠だと罵ってるけどな
まあ、当時の基準でもふつうに下剋上だと思うわ
乗っ取り自体には成功したものの、竹中も舅の安藤も、稲葉山城を維持できるほどの支持を美濃の国人から得られなくて、結局退去せざるをえなかったというだけの話
別に隙があればそれくらいするだろ、戦国だもの。とは思うけどね

191: 人間七七四年 2013/04/12(金) 22:50:19.41 ID:ayrNahFe
うーんそうか?
稲葉山城の件は、信長が長年攻めあぐねてたのを20歳そこそこの若造がたった十数人で落としたってことと、その後の去就の鮮やかさ、潔さ(内情はどうであれ、結果として斎藤家にとって変わろうとしたり、信長の誘いに乗ったりはしてないわけだから)が当時としても特異なエピソードとして人の記憶に残ったんだと思うけどね。
現代の我々が聞いたって、ちょっとありえないような話なわけだし。
信長に逆らってまで松寿丸を助けた話も、ありえなさ、潔さって点で稲葉山城乗っ取りと通じるものがあるよ。
この二つの出来事だけでも、竹中半兵衛って人の非凡さは充分感じられると思うが。

192: 人間七七四年 2013/04/12(金) 23:08:46.87 ID:1BUD8V0z
えーと、信長の誘いを断ったも何も、信長はそもそも稲葉山城占拠時に、竹中や安藤相手に、美濃半国と引き換えに稲葉山城よこせなどという交渉自体してないわけでな・・・
当然、信長公記をはじめとする史料にも信長からの勧誘は一切でてこないんだわ
もちろんドラマや逸話のように、代わりに秀吉を派遣した事実もなく美濃国内の形勢がクーデター側に不利になったので、再度龍興に明け渡して、逃げざるを得なかっただけなんだが

195: 人間七七四年 2013/04/14(日) 20:23:11.15 ID:l2AtjrbF
いや、信長公記に載ってないだけで、他の史料には出てるから。
信長公記はそもそも稲葉山城クーデター事件を故意に無視してけどね。
(信長公記はそもそも信長に都合悪いことは書かないことが多いってのは有名だよね)
この時期の信長にとって、喉から手が出るほど欲しかった後の岐阜城がクーデターで半年間城主不在状態で、何もしませんでした。なんてことのほうが 不自然だろうに。

199: 人間七七四年 2013/04/15(月) 21:16:12.16 ID:LH9aXbYw
>>195
いや、この話に関しては、後世編まれた史料や逸話にしか記載がないんすよ
甫庵太閤記の逸話が一番有名になってるけど同時代の一次史料には、信長公記を含めて記載がないんで史料的な裏付けは客観的にはない、としか言えない

城の乗っ取り自体の記載は、同時代の史料があるんだけど

209: 人間七七四年 2013/04/25(木) 01:23:29.18 ID:ncm+53wq
稲葉山城占拠のときには、安藤と竹中は越前の朝倉に接近を試みる
→コネがない→美濃の国人に仲介を頼む書状は残ってるな。
朝倉と結ぶつもりだったらしいが、結局上手くいかなかった。
織田との間には、交渉したような史料や書状ないと思うが。

211: 人間七七四年 2013/04/26(金) 03:58:53.43 ID:bfjsUuVs
知ってる限りでは、信長が稲葉山と引き換えに美濃半国うんぬんは、甫庵太閤記の記述が、一番年代的には古い出典かなぁ
つか当の「竹中家譜」にも、そんな話は載ってなかったはず

212: 人間七七四年 2013/05/01(水) 20:23:36.78 ID:cRuNWG0r
美濃古城領記と美濃雑事記にも載ってるけどたぶん書かれたの江戸時代だよな

215: 人間七七四年 2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:ojdhMuML
稲葉山城の件で快川和尚に半兵衛に従った奴は不義理と書かれちゃってるけどね

217: 人間七七四年 2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN ID:Ayqu2Cy2
半兵衛は松寿丸助けたので後世に名が残った一発屋の印象ですな

浅井攻めでの半兵衛の功績っていうのも信長公記では弟の久作の手柄として記載されてますしお寿司
天才軍師とか冗談にもほどがあるですよ

わずか千石という半兵衛に対する信長の評価は同時代の半兵衛に対する見方を考えるうえでかなり客観的な指標だと思うわけです
ま、大河ドラマで美化されるのはもう火を見るより明らかですが

224: 人間七七四年 2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:aYjrhM6i
>>217
おっと、その千石は秀吉の領内からの分だ。
もともとの竹中家の領地は別。あわせて6000石くらい。

その論法で行くと、黒田君は当初は信長から領地をもらっていないので(小寺の一門衆なので当然だけど)、評価0になっちゃうぞ。

226: 人間七七四年 2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:14IS3kD0
>>224
評価も何も臣従したばかりの外様の小寺の家臣で、織田家の直臣でも寄騎でもない黒田に信長がなぜ知行をやるのかと・・・
主家の小寺が離反・御着退去した播磨領有後に秀吉から朱印状を直接もらって秀吉の家臣団に編入。蜂須賀・前野・浅野ら豊臣恩顧の大名と同時期に2万石程度の知行をもつ大名になったけど、黒田が織田に帰属した時期を考えるなら遅い割に十分高い評価だと思うけどね

225: 人間七七四年 2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:E6++zQGU
6000石っていう数字の根拠が不明
在地の豪族の領地はこの時代そもそも石高制で換算してないからわからないんじゃないの?
正確な美濃菩提山の竹中領の石高が確定するのは、豊臣政権期の秀吉が重門に宛てた朱印状までないと思う
あと竹中家は美濃平定後から弟が兄より時期的に先に信長の馬廻りで仕えてるわけでその間、旧領は弟が持ち越しで認められる可能性がある

258: 人間七七四年 2014/12/07(日) 18:17:15.20 ID:ruOoxJhb
優れるってなんだろうな
例え豊臣政権成立まで存命だとしても如水のほうが石高が高いような気がする
しかしそれが優れた結果と言えるのだろうか
与えられる石高で文句を言わず、戦で土地を失った農民に出来る範囲で山林や畑を寄付していた半兵衛のほうが人間味として優れていると個人的には思う
まあ感情論

262: 人間七七四年 2014/12/09(火) 11:05:01.87 ID:oUDbF+AK
宣教師が本国に送った手紙の中に、秀吉が宣教師に肩入れする黒田官兵衛に対して「お前がキリシタンであり、バテレンらに愛情を抱いておったために、お前に与えようと最初に考えていたよりも低い身分にしたことをお前は心得ておらぬのか」と叱りつける逸話が紹介されている

黒田官兵衛が低い石高におさえられたのは その才能を恐れられたからというだけじゃなかったみたいだな

335: 人間七七四年 2019/11/05(火) 16:51:12.71 ID:JU665z3P
>>262
実際これだろ
キリシタンだっていうのが一番ネックだったんでしょ
九州転封だって左遷というより先々の朝鮮出兵を考えたら前線配置でしょ
出兵の本拠地名護屋城築城も官兵衛にやらせてるし
後に官兵衛が如水と号して入道するのもキリシタンがネックになってたのを正しましたって意思表示でしょ

1年幽閉されても寝返らなかった官兵衛を疑うなんて本願寺狂いするかキリシタン狂いするかしかないでしょ

271: 人間七七四年 2016/11/29(火) 11:44:51.29 ID:4+wMdit6
黒田家の史料は、主に、「黒田家譜」と、「古郷物語」ではっきりいって嘘臭い
豊前国6郡12万石は自己申告で実際には18~20万石とも。

秀吉に警戒された、左手は何してた?の話は創作だな

280: 人間七七四年 2018/03/26(月) 11:23:59.57 ID:xW6f1oFm
伝説めいた逸話を除けば半兵衛がやった事跡なんて安藤守就主導でやった稲葉山乗っ取りクーデーター(結果維持に失敗して放棄)と近江に逃げてた時のコネを生かした浅井家臣の調略くらいだろ?
一族が後に厚遇されていないのを見てもたいしたやつじゃなかったってのは一目瞭然

281: 人間七七四年 2018/03/26(月) 16:46:45.13 ID:DRXDABVP
半兵衛の評価はともかくとして遺族が厚遇を受けないのは当前じゃね?
重門は半兵衛死んだときまだ子供で後見役の重利だってまだ二十歳にも達していないから
若い当主でも厚遇されるってのは宇喜多みたいな政治的配慮が必要な場合か残された家臣が強訴した堀みたいな事情がなければ遺族の器量次第の待遇しか受ける事はできないんじゃないか

282: 人間七七四年 2018/03/26(月) 21:12:41.38 ID:xW6f1oFm
それでも父親がそれなりに功績があれば
いきなり大削減とかはしないでしょ信長は
そういうところ縁故とか過去の実績割と重んじる方じゃん

285: 人間七七四年 2018/06/01(金) 12:01:47.16 ID:3FTa6UJX
浅井家家臣団の調略で活躍したくらいだけど、逆にこの調略成功がなければ小谷城を孤立できなかった(小谷城ー山本山城ラインで北国街道を封鎖して背後の朝倉の後詰を容易にしていた)し、後に秀吉が長浜城を築城することもなかったことを考えればこの一件だけでも歴史を左右する活躍はしている

286: 人間七七四年 2018/06/01(金) 17:05:56.89 ID:SQ4QAkRp
それが半兵衛だけの活躍かどうかわからんし
仮に山本山城が寝返らなかったとしても力攻めでも行けたべ
それがでかい功績だっていうなら、竹中家ももっと加増されていただろうしな

引用元: ・竹中半兵衛、黒田官兵衛のどちらが優れて居たのか?



竹中半兵衛と黒田官兵衛 秀吉に天下を取らせた二人の軍師 (2020060201)
嶋津 義忠
PHP研究所
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