514oiGQD2iL (2)



1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/29(水) 00:34:49
蜀における武将、人材に関して総合的に語り合うスレ








6: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/02(土) 03:02:53
諸葛亮・法正・劉巴・李厳・伊籍
蜀科に拘わった人をみると伊籍の陰が薄く感じるのは気のせいなんだろか

8: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/02(土) 14:31:02
蜀科の内容って伝わってないんだよね?

10: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/03(日) 13:14:50
>>8
ないね

21: マ狂 2006/12/17(日) 22:30:11
馬岱が五丈原の翌年(だっけ)に牛金に撃破されたのが不思議だ
(何しにいったんだろうか?) 
22: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/18(月) 22:13:53
>>21
詳しく

27: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/20(水) 00:28:32
>>21
馬岱の魏領内侵入は晋書によると235年内の出来事
陳寿の蜀志にも華陽国志にもこの侵攻に関する記述がないことから 側にとってこの侵攻は領土奪取や魏との戦闘をメインにしたというより敵情視察的なものを目的としていたのではないかと仮定してみる
(戦闘がメインなら姜維の侵攻時のように後主伝に記載されるものとみて)
次に侵攻が行なわれた当時の蜀の内政だが、楊儀の失脚と蒋エンの大将軍就任が行われた年にあたる。
234年までは蒋エンは諸葛亮の後継として尚書令につき国政は担っているが軍政に関しては、華陽国志によると楊儀・費イ・姜維・鄧芝・張翼の5人がそれぞれ担当したとあり、蒋エンに軍を統括する官職(権限)はまだ与えられていなかったように見受けられる。
よって、235年の大将軍就任をもって初めて蒋エンは軍政も担える立場に立ったと思われる。

馬岱の侵攻がこの蒋エンの大将軍就任(235年4月)以降のことならば蒋エンは軍権を得たことで北伐の実施に向け魏の涼州方面の情勢を偵察させたのではないだろうか?
そして、この偵察軍が魏の牛金に破られ、涼州方面の守りを崩すのは困難と判断した蒋エンは水路による魏興・上庸方面侵攻へと北伐の方向性を変換させたのではないか?

と、適当に言ってみる

28: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/20(水) 01:03:38
続く記事が苻健の弟の帰順に関する記述である事から、235年正月の司馬懿の太尉就任から、236年4月の苻双の帰順までに起こった事件だと分かるが、まぁ、235年内の事だろうね。
資治通鑑にも記述が無いから、やはり詳細は分からないな。

238年の廖化の侵攻は、焼当羌族の芒中の叛乱に呼応したものだろうが、この馬岱の件はよく分からないね。
ただ、正確な時期は不明だが、青龍年間に涼州刺史徐邈が羌族の柯吾を討っている。
もしかすると、これに呼応したものかもしれない。

馬岱とはさほど関係ないが、司馬懿は牛金をよほど気に入ってたんだな。
231年に祁山で諸葛亮を防いだ時も、この馬岱の時も、公孫淵討伐の時も牛金を連れてっている。

29: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/20(水) 01:12:42
気に入ったというより司馬懿直下だったんじゃね?
まあ最後は毒殺なんだけど

31: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/20(水) 01:44:05
>>29
玄石図とかいうのに書かれていた、「馬後有牛」とかいう言葉を信じての事だったな。
司馬師が「牛金は名将だから、大いに用いるべきです」と止めたにもかかわらず。

それにしても牛金も息の長い将軍だな。
周瑜の江陵包囲から司馬懿の公孫淵討伐まで、一線で活躍してたみたいだし。

23: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/18(月) 22:31:17
たぶん孔明が死んでも蜀はまだまだ北伐をあきらめないぞ!
ってことを示すためだったんじゃないかと思う

32: マ狂 2006/12/20(水) 02:38:31
>>23
それもあるかも知れないね、ヒイとかは北伐反対だったみたいだけど、蜀の軍上層部では攻勢的防衛論(って言うの?適当だけどw)が根強かったのかも

119: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/22(月) 20:23:39
張翼とか廖化が好きなんだが彼らは四川省とかに史跡が遺こって無いのかな?
彼らは何故 後世において五虎将のような扱いをされ無かったんだろう?

そして陳式も彼らに次ぐ名将だと思うが 陳寿も もっとねじ込めばよかったのに

120: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/22(月) 21:06:10
季漢輔臣賛ねじ込んでるくらいだからホントに史料がなかったんじゃないか?

121: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/23(火) 22:39:11
ゲームから入った人間には、張翼はともかく廖化や陳式って、どうしても雑魚なイメージが拭えないんだよな。

同じく雑魚イメージだった曹豹・趙累・馬忠・簡擁あたりは、マンガ『蒼天航路』でずいぶんイメージが変わったけど。

126: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/24(水) 08:42:02
>>121 
張翼・廖化・陳式も蒼天の終盤に登場して 出番は少ないながらも印象的だったな。
まあ陳式はあの後、徐晃に敗退させられているわけだが

何で陳式は演義で刑死しているんだろうか。そのあたりもメジャー化を阻んでいるんだろうな

122: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/23(火) 22:55:30
陳式か。
漢中では別働隊を率いて馬鳴閣道から武都方面へ進出し、夷陵では水軍の指揮を執り、孔明の第三次北伐では中心的な役割を果たしているのに、いまいちメジャーになりきれんね。

123: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/23(火) 23:36:40
たぶん、演義は知らないけど、横山あたりで軍令に遵わずに突出した挙句に大敗して斬首、ってだけのイメージの人も多いんだろう
いまだにゲームでもてきとうな数値しかつけられていないし、麋芳や士仁も含めて似たような扱いってことには俺も甚だ遺憾

127: 無名武将@お腹せっぷく 2007/01/24(水) 11:40:58
演義は諸葛亮の政策や軍略の停滞・頓挫の原因と責任を他者に負わせるからな

この場合は陳式が生贄
魏延も絡めれば反骨云々の複線も回収しつつ諸葛亮は正当だと演出できるし

135: 名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中 2007/02/02(金) 17:18:33
陳式の官職って何ですか?

136: 名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中 2007/02/02(金) 17:42:28
>>135
三国志には明記されてないね。
・劉備の漢中攻めの時に十余軍を率い別働隊として馬鳴閣に向かったこと(徐晃伝)
・夷陵の戦役の際に呉班とともに夷陵に駐屯したこと(先主伝)
・呉班は劉備の時代に領軍に任命されていたこと(楊戯伝季漢輔臣賛)
あたりから呉班と同じように領軍などの中央軍の将領だったと思われる。

また
・229年に諸葛亮に派遣され武都と陰平を平定(後主伝・諸葛亮伝)
・230年に西方に侵入した魏延、呉懿はそれぞれ鎮北将軍・督前部・丞相司馬・「涼州刺史」、護軍・討逆将軍・「関中都督」だった。
呉懿との比較から同じく中央軍のそれなりの高官に昇っていたのではないか?

まあ確たることはほとんどわからん。他の史書はどうか知らん。

137: 名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中 2007/02/02(金) 17:55:00
護軍あたり?

143: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/10(土) 21:51:38
廖化・張翼・王平・句扶と、いわゆる五虎将軍を比較したいんですが。

144: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/10(土) 21:54:04
>>143
軍才は王平>>>>>>廖化>張翼だな。
句扶は王平に次ぐ将だったらしいが、具体的に図れそうな事跡がないからなあ。

145: 隠れ麋竺オタ ◆AQI/vjrPPE 2007/02/10(土) 22:13:28
>>143
まず蜀の将軍制度について考えてみると、ある時点で位階の逆転があったことが分かる。
ひろく五虎将軍と呼ばれている中の四方将軍、関羽・張飛・黄忠・馬超の生前は馬超が平西将軍から左将軍になっていることからも分かるように四方将軍の位は非常に高いものだったが、その後をみると四方将軍位を持つものが軍を総督することはなく、四征将軍、四鎮将軍などが目立つようになってきている。

そこで劉備の漢中王即位時の四方将軍がどの将軍位に対応するかが分かれば後期における誰が五虎将軍のポストにいるのかもわかると思う。
あくまで個人的な見解だが、四方将軍以外で五虎将軍というカテゴリに加えられた趙雲が
征南将軍、鎮東将軍を歴任していることから恐らくは四征、四鎮あたりが当てはまるんじゃないだろうか。

146: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/10(土) 22:16:17
>>145
後年の四方将軍は名誉職っぽいね。

147: 隠れ麋竺オタ ◆AQI/vjrPPE 2007/02/10(土) 22:31:19
蜀は後漢王朝の延長線上にあるということを主張していたから、正式な将軍は驃騎・車騎・衛と四方将軍、それに臨時任官の大将軍が加わって8名のみという事情もあるね。
(四征、四鎮が二品、四平、四安、四方が三品・・・というのはあくまで魏の序列だから。)
その後時代が移るにつれて魏と同じように実戦で指揮を執る遠征、国防の司令官である四征、四鎮が台頭したんだろう。

ちなみに、蜀の人士の序列は連名の上奏文を見ればよかったりする。

148: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/11(日) 11:51:34
漢中王即位の際の上奏文なんかとても興味深い

149: 隠れ麋竺オタ ◆AQI/vjrPPE 2007/02/11(日) 13:21:15
あとは李平弾劾のときのとかね。

150: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/12(月) 13:53:52
李厳弾劾の表は北伐参加者の連名で成り立ってるな

152: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/13(火) 07:44:55
>>150
当時の蜀の序列がわかりやすくて重宝するよね

153: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/13(火) 22:38:45
23人の連名を挙げて欲しい

154: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/14(水) 10:11:12
行中軍師車騎將軍都郷侯臣劉琰、使持節前軍師征西大将軍領涼州刺史南鄭侯臣魏延
前将軍都亭侯臣袁綝、左将軍領荊州刺史高陽郷侯臣呉壹、督前部右将軍玄郷侯臣高翔、督後部後将軍安楽亭侯臣呉班
領長史綏軍将軍臣楊儀、督左部行中監軍揚武将軍臣鄧芝、行前監軍征南将軍臣劉巴
行中護軍偏将軍費禕、行前護軍偏将軍漢成亭侯臣許允、行左護軍篤信中郎将臣丁咸、行右護軍偏将軍臣劉敏、行護軍征南将軍當陽亭侯臣姜維
行中典軍討虜将軍臣上官雝、行中參軍昭武中郎将臣胡済、行參軍建義将軍臣閻晏、行參軍偏将軍臣爨習、行參軍裨将軍臣杜義、行參軍武略中郎将臣杜祺、行參軍綏戎都尉盛勃、領從事中郎武略中郎将臣樊岐

漢中組のみだな。

155: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/14(水) 19:17:02
>>154
中央の人間が入るとしたら高翔あるいは呉班の次に陳震、楊儀の次に蔣琬、って感じかね。
あとは、費禕の上くらいに李福か。

158: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/14(水) 23:55:39
>>154みると、陳式はやっぱり中央軍の人間って認識でいいのかな
護軍だった経歴から考えても

160: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/16(金) 06:03:18
>>158
護軍云々は関係ないと思うよ。姜維も行付きだけど護軍だし。
武都、陰平攻略を単独で任されるくらいの人間だから、北伐当初は参加してたとは思う。
たが、李厳弾劾の上表に連署してない、ってのは武都・陰平攻略から、李厳弾劾までの間に死去したか、引退したんじゃないかな。

168: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/20(火) 17:53:28
陳式についてはもうすこし資料がほしいよな。
今の状況じゃ妄想が膨らむばかりだ。

174: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/27(火) 09:27:29
姜維や王平や夏侯覇ら降伏組は魏に負けたら誅戮されるだろうから周囲を巻き込んででも必死にやっていたって話はどこまで信憑性がありますか?

178: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/27(火) 22:27:14
>>174
夏侯覇はホントにそうかもしれんね。魏でも皇族の上、反司馬家を標榜してる訳だから。
王平の場合、出身地付近(巴西郡から漢中郡)を領有してる側に付いてるだけであって、国家と言うよか故郷に忠実な感だな。
姜維もどうかな。もともと魏で高官だった訳でもなし、高名だったわけでもない若造だった訳で。
出戻ったら殺されそうなのは、夏侯覇くらいじゃないかな。


175: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/27(火) 12:19:49
魏と呉を行ったり来たりした唐咨、魏と蜀の間をフラフラした孟達など、出戻りが誅殺されるとは限らない

177: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/27(火) 16:59:45
蜀の老臣二君に仕えず!

179: 無名武将@お腹せっぷく 2007/02/28(水) 21:15:50
何故か王平にはジジイという印象がある・・・

180: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/01(木) 08:47:46
廖化(一人説.ver)や張翼は良い年だろうに妙に若いな…


181: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/01(木) 10:02:27
廖化の二人説って何?

182: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/01(木) 10:14:46
>>181
廖化が長生きだった為に廖化という名前の人物が実は二人居たのではないか?という説

183: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/01(木) 11:29:11
正史だと70歳越え程度だが、演義だと100歳越えてそうだからな >廖化
だが90歳代なら司馬孚や呂岱が同時代にいるからあながちありえなくはない

184: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/01(木) 12:34:56
>>183
演義じゃ元黄巾賊だっけ?

そんな長生きで蜀の人なんだし
陳寿もインタビューしてたらなあ

217: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/04(日) 18:57:58
輔匡、劉邕、陳到の記録が少ないのは東方に配置され李厳のラインに付けられたからかねえ?

220: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/04(日) 21:40:28
李厳の弾劾文に載ってる劉巴ってのが劉邕のことらしいよ。

221: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/04(日) 22:38:11
劉邕、建興年間に監軍・後将軍まで上った。
劉巴、建興9年、行前監軍・征南将軍。
「邕」と「巴」。
建興9年時からさらに出世し、「行」の字が取れて「四征」から「四方」へ上った。
うーん、ありそうだ。

222: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/05(月) 00:18:25
どっかに劉巴=劉邕って書いてあったんだよ。
史料じゃなくて注釈か何かだったと思うがどこに書いてあったんだっけな。
思い出せんの。

224: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/05(月) 00:31:57
劉邕
字は南和 義陽出身
劉備に従って入蜀し、江陽太守を経て、監軍・後将軍、関内侯となる

228: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/09(金) 20:08:57
何度でも言うが、張翼徳と張翼のような改変は配慮して欲しかった
張翼の事をどうでもいいと思っていたわけではないのだろうが

230: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/09(金) 21:20:31
>>228
どんな改変だ?

232: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/09(金) 22:06:57
>>230
改変した結果他の人と紛らわしくなった
ってことじゃね?

233: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/10(土) 13:08:24
益徳→翼徳か

234: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/10(土) 13:33:55
龐悳と龐徳公は紛らわしいよなあ

242: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/17(土) 17:15:12
こないだ、ある談合にて馬超の家系の人と会えた

244: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/18(日) 03:19:25
馬超の家系って全員殺されたんじゃないの?

245: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/19(月) 11:02:55
>>244
馬承という息子が後を継いだ。
あと、秦良玉の旦那・馬千乗は馬超の子孫と称してたはず。

247: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/23(金) 19:46:21
>>245
劉理の子が馬超の血を引いているんだな。
全員がそうと言うわけではないんだろうが。

248: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/24(土) 04:21:51
馬承しか居ない気がしてたから、レアな血縁だと思ってたけど、そうか、劉理に嫁いだ娘もいたんだな。


>秦良玉の旦那・馬千乗は馬超の子孫と称してた

これって、小説じゃなくて、史書の記述でも「馬超の子孫」を称してるんかな?
秦良玉の記述は読んだことなく小説と史書の記述の区別がつか無い…(´・ω・`)
誰か詳しい人の子細説明せつに希望。

250: 無名武将@お腹せっぷく 2007/03/24(土) 13:46:59
>>248
でも劉理の血統は永嘉の乱に巻き込まれて絶えてしまってるけどな。

280: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/10(木) 19:33:26
呉征伐でほぼ総指揮を任された馮習、張南って何者なの?

281: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/10(木) 22:12:52
>>280
馮習 字は休元。荊州南郡の人。
中郎将として蜀征服戦に参加、益州諸郡を攻略。
成都入城後は揚武将軍に任ぜられる。
漢中攻防戦では張飛に従って張コウを破る。
劉備が皇帝に即位すると鎮東将軍・建昌亭侯。
夷陵の戦いでは領軍・大督として、全軍を指揮したが、敵を侮って深入りし敗北した。

張南 字は元進。荊州南郡の人。
中郎将として蜀征服戦に参加。
成都入城後は建忠将軍に任ぜられる。
漢中攻防戦では劉備に従って夏侯淵と戦う。
劉備が皇帝に即位すると征虜将軍・都亭侯。
夷陵の戦いでは前部督として、先鋒を指揮したが、戦死した。

285: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/12(土) 17:07:55
>>281
二人とも夷陵の戦いで急に出てきた印象があったけど、荊州時代からなら長いこと従軍してるんだな

287: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/12(土) 22:20:28
劉盾が蜀でどれくらい出世できたのかが気になって仕方ない。
劉備が乗っ取りに来なければ、蜀の皇帝ないし悪くても魏帝国の蜀王になれたポジションだろうし。。

ちなみに劉樟は呉帝国で益州牧に任じられたよね。

289: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/13(日) 01:59:31
>>287
奉車中郎将に任命された後の消息は不明。

290: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/13(日) 02:14:56
>>289
行方不明とは資料に名前がそれ以後出てこないの?

291: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/13(日) 02:43:14
>>290
そう。劉循の名前は奉車中郎将に任命されたところで史書から消える。

292: 無名武将@お腹せっぷく 2007/05/13(日) 03:05:44
>>287
無能ならそれなりの地位を与えて厚遇しただろう。
が、劉循は正史じゃ劉備を寡兵で年をまたいで防いだ訳で。
用いるのには優秀すぎて、自分の基盤を脅かすと考えたんじゃないかなぁ。

引用元: ・蜀将討議スレッド16



正史 三国志〈5〉蜀書 (ちくま学芸文庫)
陳 寿 裴 松之
筑摩書房
売り上げランキング: 274,883