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1: 劉基 2010/11/02(火) 15:26:41 0
中国史に燦然と輝く超巨人 朱元璋陛下について語ろう。 



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超巨人・明の太祖朱元璋を語ろう  










2: 世界@名無史さん 2010/11/02(火) 15:29:11 0
>燦然と輝く

喧嘩売ってるのか?

3: 世界@名無史さん 2010/11/02(火) 15:34:14 0
光天の下 天聖人を生じ 世の為に則をなす
467: 世界@名無史さん 2015/06/21(日) 08:29:28.88 0
奴隷と乞食坊主と、どっちがより下層かは知らんが、同じ下層の出で、なおかつ有能・勤勉だったからお気に入りだったんだろうな 

太祖はブ州を降すと、王興宗を金華知県とした。 
王興宗は元は奴隷であったので、李善長と李文忠はともに不可とした。 
太祖が言った。「興宗は長い間私に従っており、勤勉実直で決断力もあり、儒生や官吏で興宗より優れた者はいない。」 
知県となって三年、果たしてその統治は好評であった。南昌通判に異動となり、のちに知嵩州となった。 
このころ民を兵に編入しようということになったが、王興宗は太祖にこう言った。 
「元末に結束した民は兵となり、離散した者は民となって、今や兵と民は区別されております。もし民を兵に編入すれば、民は居なくなり、どこから税を取ればよいのでしょうか?」 
太祖はこの意見をよしとした。 
それから懐慶知府に異動となった。 
王興宗が都に報告に来たとき、帝は諸郡守の報告に対し厳しく問い詰めていたが、王興宗が報告する番になるとただ「守公は勤勉で貪る所が無い。問うことも無かろう。」とだけ言った。 
それから蘇州に異動となり、河南布政使(従二品)に抜擢された。 
赴任する際、挨拶に行くと、太祖は「長らく会わないうちに老いたな。私もまた白髪となった。」と言って、宴会をしてから任地に赴かせた。 
王興宗はます職務に励んだ。後に事件に連座したが無罪であることが証明され、在任のまま卒去した。(『明史』巻百四十)

468: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 01:46:27.77 0
乞食坊主ってそもそもちゃんとした身分なのかも不明だし 
元々、仏教徒は托鉢で生活するけど、朱元璋は仏教の勉強をいつどこでしていたかは不明だし、朱元璋みたいな食い扶持のために寺に流れた連中が仏教徒の真似事をしはじめてそれが社会現象になったんじゃね? 
この時代以外に乞食坊主なんて聞かないけど

469: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 09:07:15.08 O
疫病で一家離散して皇覚寺に引き取られてる。そこで読み書きも習ったのが皇帝への第一歩と言える。
まぁすぐに托鉢の旅に出される、つまり乞食坊主になる事を余儀なくされた訳だが。
ちなみに我が国でも虚無僧(薦僧の美称)、願人坊主など乞食坊主は別に珍しくもない存在。

470: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 15:34:07.88 0
半年で追い出されたんでしょ?
半年で読み書き覚えたんかな

471: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 20:39:22.02 0
寺から出された遊方僧っていうのは共同体から切り離された存在なんじゃなかろか
紅巾の乱が起こって世の中が混乱したから社会に戻れたけど
平時ならいわば「無縁」の存在となって一生放浪して終わるしかない

473: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 21:40:13.67 0
朱元璋も皇帝になった頃「あの頃は孤独で才能もなくて放浪してた」的な発言をしたって記述があったと思う
朱元璋って本当世界史の中で最高の成り上がりを果たしてるよね
劉邦みたいな身分は低いけど明るい主人公タイプなのと違ってリアルな感じがする

474: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 23:11:26.59 0
>>473
『大明皇陵碑』かな?
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=816945
「儒臣」に書かせると「粉飾之文」になって子孫への戒めにならないからって
「既非可倚,侶影相將」(既に寄る辺無く影だけが友であった)とか
「聽猿啼夜月而淒涼」(猿の鳴き声を聞き夜の月を見てひどく悲しくなった)
とか、当時の思い出を自分の言葉で書いている

476: 世界@名無史さん 2015/06/30(火) 23:22:11.85 0
朱元璋の一家って疫病で一家の働き手がいなくなったから離散したけどそれ以前はそこそこの家だったんじゃないか?
『大明皇陵碑』だと
父が六十四歳、母が五十九歳で死んでいるけど疫病が無ければもっと生きていたはず
本当に貧困だと体を作るたんぱく質やカルシウムを摂取できないまま長期間過酷な労働で体に負荷がかかるので40代くらいしか生きられない
朱元璋本人も70歳まで生きているから体の基礎を作る年頃にはちゃんと食わせてもらってたんじゃなかろか

『朱氏世徳碑記』
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%9C%B1%E6%B0%8F%E4%B8%E5%BE%B7%E7%A2%E8%AE%B0
↑これだと5代前まで遡れるけど貧農なら祖父が分かる程度じゃなかろか

478: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 18:51:46.24 0
>>476
北魏の例からしても「五代くらいはでっち上げてでもお祭りしないと!」って感覚があるっぽいから
多分テキトーに作ってるだろう

479: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 22:30:49.19 0
北魏の場合は五代前で天女の子としているあたり
むしろ口伝として残っていない王が省かれている可能性が高い

話を盛るなら当時の神道碑によくあるように宋代の名門の子孫なんだけど戦乱で家譜が無くなったとか言いそうな所を納税しきれなくて田を棄てて逃げたとかあまり誇れないようなことを書いている

檀上寛が20年ほど前に評伝を書いたときこれを事実として記載しているけど今まで批判されていないようだからその通りなんじゃないのかな

480: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 23:25:44.96 0
少なくとも識字層の家柄に生まれたなら、名前に朱の家の五だの四だのテキトーな名前つけんだろう。零落しきった農家出身というのは事実だろう。
朱元璋に好感が持てるのは、劉宋や李唐みたいに家系を粉飾しないで自他ともに成りあがりを自負してたこと。(逆に宣伝に使っているとも考えられるけど)
本当は富豪の家に生まれてて、しかも後には赤龍の子だのでっち上げた劉邦とは違う。

483: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 05:23:24.81 0
>>480
中国だと前近代は村落レベルだと識字層がいないんじゃないのかな
蒼穹の昴の第十二話の13分からの数分
https://www.youtube.com/watch?v=DfR9tc1Zi9M

売官が横行して読み書きもおぼつかない人間が高官となることへ皇帝が怒るシーン
皇帝に挨拶できるレベルの官職を賄賂で買えるほどの人間が自分の字を書くのがやっとで書き順も変
蒼穹の昴は日中合作で中国側の一流の人間がしっかり時代考証しているようだから中国では20世紀初頭でもごく限られた人しか読み書きできなかったんじゃないの?

485: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 05:43:29.69 0
>>483
高官の地位が買えるのは、滿族のうち宗族当主の家から近い家系だけ。
世襲貴族は定員がきまっていた。

明代の場合は、朱氏一族であれば王朝から遠い家系でも買えた。
皇族の朱氏は増殖し続けた。

486: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 06:09:37.32 0
>>485
「今言」の書かれた嘉靖丙寅(1566)段階で宗室5万人越えてたらしいからねえ
↓これの「○一百六十五」
https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A8%80
これから明末までにさらに増える

488: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 10:14:37.57 0
>>485
明は皇族に冷たいから皇族手当の食禄以外に政治的な実職は皇族を理由に与えられる事はないよ。
明朝末期にはどうしても政治に参与したくて傍流の傍流クラスの皇族になると臣籍降下を願い出て科挙を受験するやつもいたらしい。
こんなにたくさんいた明の皇族だけど、清朝になるとみんなどこにいったんだろうね。
李自成みたいな反乱軍に殺されたのも沢山いたらしいけど、そこまで増えてると根絶は流石にできんだろ
540: 世界@名無史さん 2015/12/02(水) 23:17:43.91 0
明の中期にはこいつの子孫10万人超えててそいつらのメシ代だけで国が傾くというギャグみたいな話 

541: 世界@名無史さん 2015/12/02(水) 23:50:58.03 0
一人あたり5人ずつ成人した子供を残していけば、7~8世代目のとこで10万人超えるな 
1世代あたり25年でカウントすると175~200年ほどだから、まぁ十分ありうる話だよな 
平安~鎌倉期の日本みたいに、臣籍降下したあと土豪レベルまで落ちぶれるにはもう少し時間が必要か

549: 世界@名無史さん 2015/12/29(火) 21:01:05.76 0
10万人以上もいた朱元璋の子孫は清の時代になにやってたのか? 
延恩侯とかいう祭祀を継いだ家系があったはずだが、途中で何か胡散くさくなってきてるし

518: 世界@名無史さん 2015/07/23(木) 00:23:57.64 0
>>488
>こんなにたくさんいた明の皇族だけど、清朝になるとみんなどこにいったんだろうね。

難を恐れて姓名を変えて隠れてたらしい
聖祖詔賜朱姓復舊
http://open-lit.com/listbook.php?cid=43&gbid=322&bid=14858&start=0

490: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 19:13:22.58 0
>>483の元ネタはこれか。中国(台湾?)の本に載ってた。

中國歴史的驚鴻一瞥─非常事

1895年に四川監茶道、玉銘が光緒帝に謁見を賜った時の話。
光緒帝が玉銘に前の所属衙門はどこだったのかを尋ねた。
玉銘は「奴才は○○(原文は某某)号に所属しておりました」
光緒帝はそのような名前の官衙を聞いたことがなかったので、疑問に思いどのような組織なのかを更に尋ねた。
玉銘応えて曰く、「○○号とは、製材所(原文は木廠)の事です。奴才は家族でここを経営しており私はその指揮監督にあたっております。」
光緒帝は苦笑いしながら言った。「ほう、それは大変結構な事だ。製材所の経営とは感心すべき立派な仕事ではないか。なぜそんなやりがいのある仕事を棄てて監茶道の仕事に就いたのだ?」
玉銘曰く。「人から聞いた話では、四川監茶道は実入りがいい仕事で製材所の経営とは比べ物にならないほど利益が出るとの事なので喜んで志願いたしました。」
光緒帝はこれを聞いて大いに腹を立てたが、表情に出さないように言った。
「お前は満州語は話せるか?あるいは書に長所はあるのか?」
玉銘は「満州語は話せませんが、字には多少の自信があります」と答えた。
光緒帝は宦官に紙と筆を用意させて、乾清宮で文字を書かせてみることにした。
しばらくして提出された紙を見てみると、そこには誤字脱字が酷く、大小不揃いの汚い文字で「奴才某旗人」とのみ書いてあった。
光緒帝は激怒して人選の選びなおしを命じ、結果的に張元普が四川監茶道に任命されたのであった。

481: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 23:35:46.89 0
そういえば明太祖は、朱重八と朱元璋の名前ばかり有名だけど朱興宗という名前は一体いつ頃に称して、なぜ元璋という名前に変えたんだろ?
まさか興宗は興宋と書き間違えたというオチはないよなw

484: 世界@名無史さん 2015/07/04(土) 05:35:20.81 0
>>467で、太祖が婺州を降した段階で、王興宗が長年自分に仕えていたと言っているけど
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7140
普通、主君と同じ名前なら家臣の方が変えると思うから
かなり早い時期に改名したと思われるんだが
何で反元朝の組織に属しているのに名前に「元」を入れているんだろうか

493: 世界@名無史さん 2015/07/06(月) 22:13:47.64 0
>>484
本当か嘘かは知らんけど、「朱元璋」は同音で「誅元璋」つまり
元を誅する璋(周代に華南で使われていた祭器)にかけたという説があるらしい。
本当なら無粋過ぎて知識人がつけたとは思えないけど、璋なんて知ってるわけもないと思うんだけどな。
いや、僧侶上がりだから祭器の知識ぐらいはあったのかな?いずれにしろ謎

499: 世界@名無史さん 2015/07/15(水) 21:14:05.62 0
明史に郭子興の列伝あるけど、先祖は曹州出身だったとか母親は盲目だったとかやけに詳しいけど、底本になに使ったんだろうな。明史は郭子興の没後300年以上経っているだろうに

502: 世界@名無史さん 2015/07/16(木) 20:32:25.88 0

503: 世界@名無史さん 2015/07/16(木) 21:24:12.17 0
>>499
明史のうち
明代の前半期の人物の列伝を書く際には国朝献徴録を基本にして原典に当たったり他書を参照したと思われる

贈滁陽王定遠郭公廟碑
https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%9C%9D%E7%8D%BB%E5%BE%B5%E9%8C%84/%E5%8D%B7%E4%B9%8B%E4%B8%89

506: 世界@名無史さん 2015/07/17(金) 23:28:27.25 0
朱棣(永楽帝)と鄭和
宦官の起用で大当たりじゃ!

514: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 00:37:29.18 0
>>506
鄭和は初めはいいけど最後が報われない所がちょっと

明代で宦官を一人選ぶなら劉永誠かな
百年以上経っても都の有力者の家の屏風にその武功の絵が描かれていて皇帝から賜った額のある廟があって都の人から賞賛されてて
「劉聚封伯」
https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%AC%E6%9B%E9%8E%E7%8D%B2%E7%B7%A8/%E5%8D%B706
世襲の伯爵位もらって20家くらいしかいない勲貴の家になって家を継がせた甥も優秀だったから明が滅ぶまで代々軍の高官を輩出したからねえ
「劉聚」
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7155

507: 世界@名無史さん 2015/07/18(土) 10:12:02.59 0
サルフの戦いの惨敗と北慮南倭に終始苦しめられたせいか、明の軍事力は低いとか評価されがちだけど文禄・慶長の役では戦国武将オールスター戦の日本軍を結果的に追い返すことに成功したりそれと同時進行でモンゴルと組んだ楊応龍を叩きつぶすなど、歴代漢族王朝の中では群を抜いた強さだったと思うのは俺だけか?
南北や北宋だったらこの時点で詰んでただろう。

ただし、外交の稚拙さは歴代王朝と変わらんけど。文官の質が悪いのか?

513: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 00:16:25.54 0
>>507
それは秀吉軍が個別の戦闘では強かったけど戦争全体で失敗したからじゃない?

金は遼内部の渤海遺臣や有力漢人、宋内部の孔彦舟ら軍閥
元は漢人世侯や呂文煥ら
清は呉三桂ら
これら内応者を得て征服王朝を築いたけど

秀吉の場合
朝鮮の支配層全て取り潰して家臣に全土を所領として分配しようとした上に言葉も慣習も違うのに間に立つ人間も潰して安国寺みたいに日本語教えて日本式にしようと戦争も終わってないのにいきなり始めるから農民たちも動揺して安定した統治ができずグラグラな足場の上に立って戦ったようなもので
これでは上手く行かないでしょう

楊応龍は周辺の土司もこれを脅威として対立していたのでそれほど大きな勢力でもなかったわけで
むしろこれに手こずった方が問題

515: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 09:44:32.02 0
>>513
文禄の役の初戦は大体そんな感じだけど、一時講和を挟んで朝鮮半島南部で行われた慶長の役だと日本軍はほぼ連携取れて戦ってたよ。
結局外交解決で終わったけど、明が壊滅的な惨敗をして漢城を再占領されたという戦略的失敗を犯したというような事実も特にない。
別に明軍は太平の世で弱体していたのではなく、百戦錬磨の戦国武将と対峙しても遜色のない実力を持っていたのは確かだと思う。

明軍ではなくて遼東李家の軍閥じゃないかというツッコミはなしな。

519: 世界@名無史さん 2015/07/25(土) 12:41:56.92 0
朱元璋に対する評価一覧みたいの欲しいな
一代にして聖賢云々や清の皇帝の高評価に限らず、現代の作家や学者の評価とかも知りたい
モンゴル好きの杉山何とかは朱元璋をボロクソに叩いてるけど

520: 世界@名無史さん 2015/07/25(土) 23:33:02.17 0
日本で言うと信長・秀吉・家康の業績を全て一人でやった感じ?

522: 世界@名無史さん 2015/07/26(日) 11:24:21.88 0
>>520
秀吉を何倍もスケール大きくした感じだろ。
晩年の粛清の嵐も何倍もスケール大きかったけど。

528: 世界@名無史さん 2015/10/16(金) 10:59:14.60 0
>>522
跡継ぎもそれほど無能ではないという点が豊臣秀吉との大きな違いだな

530: 世界@名無史さん 2015/10/16(金) 12:27:36.99 O
>>528
建文帝が無能ではないの?
秀頼が有能なの?

531: 世界@名無史さん 2015/10/17(土) 08:21:34.70 0
永楽帝のことをいってるのでは?

524: 世界@名無史さん 2015/08/06(木) 10:56:52.72 0
杉山が朱元璋を嫌いなのは宋元代に活発化した東アジア海洋交易ルートを海禁政策で事実上断絶させたため。
これにより中国は海洋から背を向け内向きの衰退状態になった。

525: 世界@名無史さん 2015/08/06(木) 16:41:28.32 0
海禁に類似する海上貿易の禁令は、実際には元の終わりぐらいから萌芽が見られていたと
なんかの論文で読んだな。檀上寛の論文だったかな?
いずれにしろ当時の東アジアの状況で海洋交易なんかしても付随するトラブルで衰退の原因にはなっても海禁が原因で中国が衰退したとは思えないな。
朝貢貿易ぐらいで十分食っていけただろうし、ヨーロッパが東アジアに来るようになってからは民間が勝手に交易はしてるし。
当時の中国の統治方法だと関税収入なんて絶対に対して取る事はできないから国庫を潤せないだろうしね。

526: 世界@名無史さん 2015/08/07(金) 23:03:06.08 0
農本主義の宋代士大夫が海上貿易なんか瑣末なものと考えて自由にやらせていたものを利にさとい元朝が徹底管理して利益を得ようとしたんで倭寇が大発生して海禁せざるを得なくなったんじゃないの?

527: 世界@名無史さん 2015/10/16(金) 09:11:09.99 0
中国史では民間の商業経済が発達するのと反比例に士大夫の商業蔑視が激しくなる。



582: 世界@名無史さん 2016/01/05(火) 19:55:52.31 0
元代に銀の流出で経済が混乱したから私貿易を一律禁止する、というのが洪武帝の海禁政策の背景
倭寇はオマンマ食い上げになるからガン無視で、たまに狼藉する商人から完全なるアングラ武装密貿易者によくよく考えれば当初は銀じゃないにせよ日本は鉱物を持ってくる貿易相手だったんだし、イマイチな対応だったな
ぶっちゃけ義満が朝貢貿易する気をおこしてなけりゃ、はるかに面倒くさいことになってた気がする

583: 世界@名無史さん 2016/01/05(火) 23:53:47.71 0
瓦氏夫人
http://baike.sogou.com/v7558655.htm

広西軍閥にしか倭寇撃退がでなかったようだな。民国時代の李宗仁も広西軍閥。
中共時代にベトナムと戦争した時撃退したのも広西の師団。
瓦氏一族の当主が幼児だったから、井伊直虎みたいに女性の世襲領主だったようだ。
広西みたいな辺境だと宣撫司という世襲領主がいて、科挙官員ではないんだよな。

587: 世界@名無史さん 2016/01/07(木) 20:52:05.54 0
>>583
広西じゃないけど土司ってくくりなら洪武帝の時代には奢香とか劉淑貞がいたな

日本刀ってちゃんと剣術学んで無いと斬れないんじゃなかったっけ?
日明貿易の主要交易品が日本刀なのにほとんど中国で見つかってないのは実際入手してみたら思ったほど使えなかったので鋳潰したからだとか

597: 世界@名無史さん 2016/01/18(月) 23:38:41.67 0
>>587
中国の武器って日本刀に限らず、ずっと昔の物はほとんど残ってないよ。
今残ってるのは清朝末期のものや、青龍刀なんかは国民党や共産ゲリラも造ってたりしてるからかなり新しい。

588: 世界@名無史さん 2016/01/07(木) 22:07:36.87 0
戚継光の軍って日本式の剣術家とか雇ってたのかね。

592: 世界@名無史さん 2016/01/08(金) 20:21:15.79 0
>>588
戚継光軍が採用している「紀効八勢」は左手に楯を持ってて日本の剣道とはまるで違うよ
http://ntnuteenage.blog.163.com/blog/static/168092870201261811131390/

593: 世界@名無史さん 2016/01/17(日) 16:47:58.88 0
俺は朱元璋と明が大好きだけど、朱元璋は歴代中国史の皇帝の中でも珍しい生粋の日本嫌いなんだよなあ。
子孫への訓戒の中に諸外国との付き合い方を諭したものがあるけど、日本の箇所には「やつら分けわからんし迷惑だけど討伐するには遠すぎるから永遠に無視しとけ」と書かれるし、倭寇に荒らされまくった沿岸地域には、無学な者にも分かるようにわざわざ口語の詔勅(これで臣下の代筆ではなく自分で裁可した事がわかる)で「倭寇は見つけ次第ぶっ殺せ!」という内容を発してるからなあ…。

594: 世界@名無史さん 2016/01/17(日) 16:57:18.07 0
戚継光と日本刀はよく引き合いに出されるけど、実際には戚継光が生まれる前から日本刀は明に大量に輸出されてる形跡がある。
美術史では日本刀の質はこの頃から急激に低下したという事実があるけど、単に戦国時代に突入した結果の濫造ではなくて対明貿易用の濫造という説を唱えている人もいる。
あと、戚継光は日本刀の使い方だけでなく対倭寇用に箒みたいなやつで叩きながら他の兵士が槍で突き殺すやり方やモンゴル騎兵用に戦車みたいな兵器を発明したりしてる軍事クリエーターなので、別に日本刀だけを熱心に取り入れてるわけではない。

600: 世界@名無史さん 2016/02/11(木) 10:15:33.28 0
ドラマ「大明帝国 朱元璋」に出てくるエピソードの多くは史書にあるやつなんだが、イメージが違うことも多い。
例えば馬姑娘が獄に繋がれた朱元璋のために、熱々のお焼きを懐に隠し持って胸に火傷を負いながら、獄に赴いたエピは確かに史書にあるらしいが、朱元璋が獄に繋がれた理由が違っている気がしたりする。
また藍玉と李善長が同時に死刑台に行くはずないよなぁ?
両者の死は10年ぐらいの時差があったはずだし。
ドラマの進行上、史実を改変してるんだろうな。
いちいち史実通りやってたら、最終回に間に合わなくなるからなぁ。
などと考えながら楽しめました。




603: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 08:43:59.63 0
>>600
朱元璋の顔はどうなってるの?

604: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 08:48:29.60 0
>>603
イケメン俳優なんでイケメン。
郭子興が顔相でこいつは只者ではないと言うことでおしまい。

606: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 09:08:29.35 0
>>604
その時点で史実と合ってないなww
作品として説得力ゼロ

616: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 18:24:34.78 0
>>606
「田舎軍閥のお姫様が身の危険も顧みず火傷してでも食べ物を届ける」くらいの美男子ではあったと思うよ。
この辺源頼朝に近いかもしれないが、「都落ちの貴公子」という補正値も何も無いただの乞食坊主だからね。

602: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 08:14:16.42 0
完全に史実通りに描いていったら、気分が暗くなってしまい、視聴者が離れてしまいそう。

605: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 08:56:30.30 0
まぁ日本の大河ドラマのように、徹底的に「いい人」として描き、勤勉で有能で親切で仁義を重んじる人物で粛清は止むに止まれず、社会の混乱と無秩序と道徳心の欠けた世を正すしかなかった、
と、「仕方がなかった」感を出せれば、ドラマとして成功。

608: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 10:42:33.42 O
慈愛溢れる容貌に描かれた肖像画も存在する訳ですしおすし。

637: 世界@名無史さん 2016/02/20(土) 00:07:03.29 0
>>608
マシな容姿に見える肖像だって威厳と恰幅の良さで見栄え良くなってるだけで顔を見るとやっぱりブサイクだぞ

611: 世界@名無史さん 2016/02/14(日) 14:43:45.18 0
朱元璋が並大抵の君主だったら南人上がりの官僚のばかり重用して言うがままに華北の民意を無視した政治を行って明はすぐに滅んでただろうなあ。
恐るべきは自分も南人出身で支持基盤も100%南人なはずなのに、強烈な統一王朝の君主としての政策を断行し続けたところだろう。
この辺りの事情をクローズアップすればドラマ・小説でも大粛清の後味の悪さを幾分緩和できると思うんだが

620: 世界@名無史さん 2016/02/16(火) 00:50:44.40 0
「談氏筆乗」によれば
洪武帝は世情を知るためにお忍びで外出するのが好きで
そのとき顔バレするとまずいから似ていない肖像画を頒布したそうな

623: 世界@名無史さん 2016/02/16(火) 13:06:00.82 0
この人現代中国では人気あるの?

624: 世界@名無史さん 2016/02/16(火) 15:32:52.00 0
汚官濁吏粛清しまくって、庶民に優しい政策した皇帝はどう思われているのかと。

625: 世界@名無史さん 2016/02/16(火) 17:48:10.34 0
劉伯温(劉基)なら戯曲や小説、ドラマなどで人気があって、朱元璋の人気を上回っているかも。

水戸黄門みたいな感じで、史実云々というよりも、講談めいたお話がたくさんある。
中国人にとっては、諸葛亮よりメジャーかも。

626: 世界@名無史さん 2016/02/16(火) 20:23:02.96 0
>>625
劉基や水戸黄門みたいに権力者になってから暇な時期があるなら想像が膨らむけど洪武帝は毎日忙しそうだからねえ

せいぜいが「翦勝野聞」にある

国子監の監生が酒場で老人と相席になって意気投合して自分の思いのたけを吐露したら
翌日洪武帝にいきなり呼び出されてそれが前夜の老人でお前が本心から世の中を良くしたいという思いは良く分かったとかいって高官に就けられた

くらいかな

618: 世界@名無史さん 2016/02/15(月) 22:19:59.55 0
ああ陛下!
ルックスもイケメンでありまする!

引用元: ・超巨人・明の太祖朱元璋を語ろう



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